|
|
『同和はこわい考』の十年 − なにがみえてきたか − |
|
藤田 敬一 |
寄稿 〈『同和はこわい考』の十年とわたし〉 |
藤田さんへの手紙 |
Kを偲んで、Tより |
岐阜の街は燃えていた |
工藤 力男 |
出発点としての『こわい考』 |
恩智 理 |
『こわい考』と私 |
高橋 勝 |
『こわい考』と民主主義の精神 |
野町 均 |
「両側から超える」という問題提起に応えて |
住田 一郎 |
経験の思想化 |
師岡 佑行 |
切り札をもたない人びととの交遊 |
松岡 勲 |
〈無限責任〉と〈主体〉について |
Y・S |
|
|
附録 |
|
I 差別とたたかう文化会議との「討論」 |
|
「個人の見解」と「組織の見解」について |
藤田 敬一 |
文化会議の自立性が問われている |
藤田 敬一 |
《採録》藤田敬一著『同和はこわい考』についての報告
(差別とたたかう文化会議『かいほう』第二巻三号1989.2.10) |
II 住田・灘本「往復書簡」を読む |
藤田 敬一 |
自分のなかの“被差別部落民”像を見つめることの意味 |
わたしのなかの“被差別部落民”像をたどり、人と人との関係を考える |
|
あとがき |
|
1998年11月20日 |
初刷発行 |
印刷 |
戸田写植
岐阜県羽島郡笠松町円城寺 |
|