『同和はこわい考』の十年
「同和はこわい考」通信インターネット版
あとがき

 本書は、『同和はこわい考』刊行十年を記念して、『同和はこわい考通信』にのったものから抜粋して編んだものです。なにかのよすがにしていただければ幸いです。
 内容についてひとこと。
 「『同和はこわい考』の十年 − なにが見えてきたか」は、奈良の『部落解放運動情報』誌に同じ題名で寄稿した文章をふくらませたもので、わたしなりの一応の区切りです。
 「『同和はこわい考』の十年とわたし」は、読者にお願いして寄稿してもらったもの。送られてきたのはわずかに九篇あまりでしたが、それでもわたしにはありがたかった。
 附録 I 「差別とたたかう文化会議との討論」は、先の「『同和はこわい考』の十年−なにが見えてきたか」ではふれなかった「運動と随伴的知識人」「組織と個人」についてのわたしの考えを述べたものとして読んでください。同じテーマに関わるものとして真宗大谷派同和推進本部などとのやりとりもありますが、のせるとなると膨大なものになるのであきらめました。
 附録 II 「住田・灘本『往復書簡』を読む」は、『「部落民」とは何か』(阿吽社、一九九八年)が出た現在ではあまり意味がなく、ご両人には迷惑かもしれないけれど、わたしとしては一所懸命考えて書いた思い出深い文章なので収録しました。なお『往復書簡』は、『通信』五○号(一九九一年九月)、五一号(一九九一年十月)、五五号(一九九二年三月)、五七号(一九九二年五月)にのっています。お読みになりたい方は、ご連絡くださればお送りします。
 さて、本書は、奥付を見てもらえばわかるように印刷その他一切を戸田写植にたのみました。つまり、本書の発行は十一年前、『こわい考』の出版作業を途中までしてくれた戸田二郎さんへのささやかな感謝のしるしでもあります。
 福岡の松永幸治さんは、わたしを「とにかく打たれ強い」と評されましたが(『藤田敬一さんを囲む座談会 − 「内」と「外」、「幻想」と「現実」をめぐって』福岡水平塾、一九九八年九月刊)、そんなことはありません。いたって神経の細い人間です。部落解放中国研究会での討論や部落解放同盟京都府連幹部・事務局員との話し合いを前にして胃痛を起こしたくらいですから。ただ、この十年を振り返ると、わりかししゃんとしてきたことはたしかであって、われながら不思議なんです。おそらく岐阜を初めとする各地の友人、部落問題全国交流会のスタッフ、『通信』や『こぺる』の読者、ある企業の同対室メンバーなどとの出会いとつながりが大いに関係しているとにらんでいます。わたしは、こうした人びととの呼応の関係に励まされ支えられてきました。いや、もっとはっきりいえば生かされてきたのです。「生きる力」は、「生き合う」中でしかはぐくまれない。そのことを実感した十年でした。心から感謝します。ありがとうございました。そして、これからもよろしくお付き合いくださいますように。
 なお、文章は初出のままで、文法的におかしいところを少し手直しするとともに、体裁を統一しました。

     一九九八年 秋
藤田 敬一
2008.4.28.(2008.6.8.一部修正)