同和はこわい考通信 No.96 1995.7.17. 発行者・藤田敬一

《 各地からの便り 》
その1.
 最近思うのですが、部落解放運動というのは、どうも実際とかけ離れたところで進められているような気がします。
 先日、友人たちとドライブしていたとき、その中の一人が「この辺は部落やよ。こわい所やし、近づいたらあかんでぇ」と言ったのです。今まで私は、こういう発言を身近で聞いたことがなく、どぎまぎしてしまいました。とっさに出た言葉は、「あかんよ!そういう偏見は。そういう偏見があるしあかんのや!」でした。そうは言ったものの、私の中ではもうひとつすっきりしませんでした。相手は「部落」が憎くて言ったわけじゃない。そういう「思い込み」があるだけなのです。そんな相手にどう言ったらいいのか、ほんとのところ私にはわかりません。
 また別の友だちですが、たわいもない話をしていて、親のことが話題になりました。彼は、「おやじも近所のおっさんも、そら怖かったでぇー。俺んとこ、いわゆる部落でなぁ」と言ったのです。そのとき私は「ふぅーん」としか言えませんでした。話の流れの中で出てきたことをいちいち取り上げるのはどうかと思っての「ふぅーん」でした。彼が「ふぅーんはないやろ」と言ったなら、いろいろ言うことはできますが。こんな場合、「ふぅーんで終わらせてほしくない」と言う人もおられます。しかし私は別に話をはぐらかすつもりはありませんでした。「ふぅーん」が一番いい返事だとも思っていません。ただ、私がこれまで部落解放運動について話を聞いたり、文章を読んだりして理解してきたことが、自分の私生活ではすぐに結びつかなかったことに戸惑いを感じました。
 部落解放運動の中で語られていることは、日常の生活と感覚の頭上はるか上で展開されているように思えてなりません。イコールで結びつかないのです。言われていることは分かります。でもそれをいざ自分の生活している場で実践しようとしても、部落解放運動で語られるマニュアル通りにはいきません。
 相手は生身の人間なのです。こう言えばこう対処する、とはなかなかできないんじゃないかと……。部落問題について、私は私なりに考えてきました。なるべく自分に引き寄せて考えるようにしてきたつもりです。けれども想像していたことと実際とはあまりにも違いがあり、思ったようにいかなくて落ち込んでしまいました。生身の人間と人間との関係、いのちいっぱいの人と人との関係は、マニュアル通りにいくわけがないのです。こういう人もいる、こういう人もいるんだと自覚していないといけないんだとつくづく思いました。身近に起こった「発言」をきっかけにいろいろと考え始めています。あれから友人とのあいだでは部落の話は出ませんが、なんとなく落ち着かず悶々としています。  (滋賀 U.Nさん)

コメント.
 運動団体に「差別発言対策マニュアル」があるという話は聞いたことがありませんから、個々人の判断にまかされていると言ってよろしい。黙ってやり過ごす人もいれば、その場できちんと指摘する人もいる。自治体や運動団体に報告されて確認・糾弾に進む場合もある。いずれにしても人は「発言」に直面したとき、どうしよう、どうしたらいいかと悩むものです。「差別だ!」と思ったら、自治体や運動団体に駆け込む人もたまにいますが、多くはそうではありません。
 喫茶店・商店・居酒屋・スナック・タクシー・団体旅行のバスの中で、あるいは学校・職場・家庭で、被差別部落(民)についてマイナス・イメージをともなう話が出てきたときどうするか、どうしたらいいか、人は日ごろあまり考えていない。そらそうでしょう、四六時中身構えて生きてるわけではないからです。どぎまぎしたり、あっけにとられたりして当然です。そしてまた、こんなときはこうしてという正解はないように思います。時と場所と状況、相手との間柄などによっても対応は変わるし、変える必要があります。
 わたしがいま言えることは、たとえば私的な場での知人・友人・家族など親しい人の発言にたいしては、部落(民)にたいする概括的マイナス・イメージ(紋切り型、ステレオタイプ)の危うさと誤りをできるだけ穏やかに(これが、なかなかむずかしいんですが)、時間をかけて話すよう心がけたいということに尽きます。なぜなら相手は思わず、ふっと、何気なく言っただけと思っているわけで、それにたいして厳しい言葉が返ってくると驚いてしまい、そのあげくに心を硬くし、場合によっては心を閉ざすかもしれないからです。こんりんざい部落(民)のことは触れまい、さわるまいといった警戒心をもたれたら、それこそおしまいですから。個人と個人とのつながりを切らないように心を配りつつ、発言をきっかけに差別について一緒に考えてゆけるような関係にしてゆくことが望ましいのではないでしょうか。発言の背景にはそれとは自覚されない意識、心理、心性の長い歴史がひそんでいるのであって、そんなことは一切考慮せず短兵急に誤りをただそうと意気込めば、一人相撲になりかねない。相手が、「そらそうや。やっぱし自分は変な考えにとらわれていた」と、自らに言い聞かせてもらうことが大切なのです。
 ところで、「俺んとこ、いわゆる部落でなぁ」と、友人がさりげなく語ったとか。友人はどんなつもりでそう言ったんでしょうね。U.Nさんが部落についてなんらかのイメージをもっていることを前提にしてのつぶやきであることは間違いありません。しかし、お便りを読むかぎり相手の反応を確かめようとか、それをきっかけに部落差別について話しあおうとしたようには思えない。父親や近所の大人たちの怖さを“手っ取り早く”説明するためだったかもしれません。そのあたりのことがつかめなくてU.Nさんが戸惑ったとしてもそれは致し方ないでしょう。彼の真意、気持をあれこれ推しはかるより、ひとまずは「ふぅーん」と返事しておいて、あとでまた話題に上ったときに話しあうというのも一つの対応です。これこそ部落民宣言だと、過剰な思い入れをするのもなんか不自然です。友人同士として、ゆったりとした雰囲気の中で話せる環境ができるのを待つことも大切ではないでしょうか。
 「ふぅーんで終わらせてほしくない」という意見を、わたしも聞いたことがあります。その気持がわからないではないけれど、「ふぅーん」は部落差別問題の重要性を認識せず、被差別部落民の差別に対する感情、心理、意識への共感的理解を拒否する姿勢の表れだと一概に弾劾すると言うのでしょうか。「ふぅーん」で終わるか、「ふぅーん」から始まるかは、新しい関係を作ろうとする双方の意志、意欲で決まるのです。「ふぅーん」で終わらせたくないのなら、言葉をつなぎ、言葉をつくして、話ができる関係をつくるよう努力するしかありますまい。
 「部落差別への怒りの共有」を即時即座に相手に求める性急さからは、なにも生まれないのです。それどころか対話がとぎれ、関係そのものが切れてしまうことだってある。U.Nさんは、「『ふぅーんはないやろ』と言ったならいろいろ言うことができます」とおっしゃる。それでいいのではないでしょうか。彼との関係が熟していけば、落ち着かない気分も収まっていくと思いますよ。

その2.
 藤田先生、お元気ですか。御無沙汰致しております。いつぞやは“通信”に私の手紙を載せていただき、恥ずかしいけど嬉しくて涙出しながら読んでしまいました。
 私の住む地区で県内七番目の支部結成を果たす運びになりました。私達だけの力ではできそうにない事をしたわけです。そのためこの二、三ヶ月、一口では話せない出来事の連続で。今からが出発なんですが、私と主人はやれやれです。
 先生の通信を読むと、いろいろな事を知ることになるし、本当に考えさせられる。先生の人柄を知らないで読めば、「この人、反対派?」とも思えるんです。でも一回でも二回でも会っていると、絶対この方は信じていい人と思っているんです。
 6/29の新聞(50年の物語)、読みました。胸を張って生きることと、肩をいからせて生きることの違い。私も思います。力がない者もせめて胸を張って生きたい。けれども地区外であろうがなかろうが、肩をいからせて生きてる人たくさんいるんです。でもちょっぴり心理的に目に見えないもので締め付けられている者は、胸を張ろうと頑張ったり、力が入ると、自分では胸を張っているつもりが、もう肩をいからせてしまってる。真に運動の意味がわからないで抵抗している人は、どうしても肩をいからせてしまう。それぐらいの抵抗しかできないのが現状かなあと思っているのです。まだまだ真の運動が必要です。今日はこのへんで失礼します。  (島根 Y.Sさん)

コメント.
 「胸を張って生きる」ことと「肩をいからせて生きる」こととは、ずいぶん違うと言われますが、どこがどう違うのか、生き方の問題として考えています。Y.Sさんが気づいておられるように、「胸を張って生きる」という物言いには、どことなくりきみがある。目に見えない力に締め付けられていると感じる以上、それをはねのけるには力が要ることはわかりますが、その力はすぐさま力みに変わりうるもので、「肩をいからせて生きる」さいの力みに通じていることも知っておきたい。「胸を張って生きる」ことは、一つ間違えば「肩をいからせて生きる」ことにつながるのだという自省がなくなると、一気に坂をころげ落ちる石に似て、無惨な姿をさらすことになります。しかし、世間の人は、めったに力み返っていることのおかしさ、つまらなさを指摘してはくれません。だからこそ全国水平社創立宣言が「人間に光」という言葉に込めた意味を考えてほしいのです。
 わたしはこれまで部落解放運動の中で、自らにられるレッテルやラベルにおびえたり卑下したりせず、さりとてレッテルやラベルをちらつかせて人を圧伏したり私的利益を引き出したりしない生き方の実践者と出会い、教えられてきました。同時に、資格・立場にあぐらをかき、すっかり舞い上がってしまっている人に辟易させられてきたことも確かです。とくに、運動や組織を背景にものを言う人ほどそういう傾向が強い。この人びとは、被差別者とその運動、組織に身と心をすり寄せる随伴者、心情的協同者にかこまれているだけに、ちょっとやそっとでは目が覚めそうにない。そのまわりを多数の「共闘関係者」がとりまいている。先頃、ある本を読んでいたら「なんら共感を伴わない連帯関係」という、部落解放運動の共同闘争にぴったしの言葉を見つけ、ニンマリしてしまいました。共感に裏打ちされない連帯ほどむなしいものはない。なれなれしさの裏に、よそよそしさが透けて見えます。ところが、ヨイショされてうっとり夢心地の人には、それが見えないんです。Y.Sさんのところで同盟の支部が結成されたということですが、くれぐれも肩に力が入らぬよう気をつけてください。では又。お便りをお待ちしています。

その3.
先日届きました通信NO.94の「川向こうから」に、『こわい考』が出て8年…と書かれていました。私は改めて今、NO.1から読み返してみたくなり、ページをめくっています。差別の根源に教育のあり方があることを常に考えさせられ、それだけに私とって通信は「生きていくための私自身のテキスト」であり、高1、中1になった娘達との会話を豊富にする糧ともなってきました。歯がゆい程、私の歩みはのろいのですが、関わるいろんな事柄にやっぱり差別の問題がついて回ることを痛感する毎日で、少しでも行動に変えていけたらと思っています。通信のこれからが楽しみです(楽しみとは、不謹慎な表現かもしれませんが……)。  (岐阜 H.Mさん)

コメント.
 このようなお便りをいただくと、照れつつなぜか励まされます。

《 採録 》
その1.田村 正男『花より団子』(横浜国際人権センター刊、94/12)
 部落問題にも詳しい岐阜大学の藤田敬一という先生が『同和はこわい考』という本を出し、これも全国的な議論になったこともあります。この本の中で藤田先生は、大学生の意識調査結果などを分析して「“同和は怖い”という考え方は根強いものがある」と指摘し、その原因が被差別部落の側にもあるかのような論調の部分もあったために議論がわき起こったわけです。これには賛否両論がありました。
 さらに、世間一般にも「同和地区の人たちは怖い」と考え、陰でコソコソささやき合っている人が、かなりおります。昔は公衆の面前で公然と言う人もおりましたが、さすがに最近は、そういう人は、あまり見あたりません。けれども、その考え方が改められたのではなく「差別問題になったら、かなわん」と警戒しながら隠れているにすぎないのです。裏にまわれば、まさに「同和は怖い」の大合唱です。
 いったい、なぜ怖いのでしょうか。その原因は、どこにあるのでしょうか。そこを明らかにせずに「恐怖感をもつことは間違いだ」「差別だ」とお説教をたれてみても問題の解決には、つながらないのは当然のことです。(114~115頁)

コメント.
 田村さんは、もと朝日新聞記者。『こわい考』についていまだにこんなことを言っているとは。それでも少し変わってきてる感じはしますが。

その2.八木 晃介「部落問題の現実についての点描」(『こぺる』95/6)
 一つの見解がある時代の状況にとって決定的に重要な意味を発揮することがある。一昔前の『同和はこわい考』(阿吽社)の、当時の部落解放運動に対する一定のインパクトもそうだったと思う。私自身は当時『毎日新聞』の書評で、可もなく不可もない、いわば中立的な批評をおこない、続いて『こぺる』に求められて記した短文においても、おそらく多くの人々に煮え切らない第三者的な見解として受けとめられ、または受けとめられなかったような記述をしたことを思い出す。当時の私の心算をいえば、『こわい考』の主張点に多くの同意を覚えながらも、その点には直接関与することなく、むしろ論争の前提部分を明らかにしたかったのだと思う。だが、それはそれとして、同書の意味を客観的に振り返ってみれば、部落問題に関する多くの専門的な論者が、部落解放運動のいわゆる正統的な理論をある程度相対化したり、場合によってはその呪縛から免れて自由になる、そのような契機を提供した重要な見解の提起であったことは疑いない。(6頁)

コメント.
 八木さんが『こわい考』をこのように位置づけてくださっていることを知りちょっと驚きました。最近書かれたものを見ても、八木さんとわたしとのあいだには、部落解放運動に対する認識にそれほど違いはないようです。

その3.畑中 敏之『「部落史」の終り』(かもがわ出版、95/5)
 「関係、資格の固定化、あるいは体験、立場、資格の固定化は当然のことながらそれらの絶対化を生む」として批判し、「差別・被差別関係総体の止揚にむけた共同の営みとしての部落解放運動」を提唱して、藤田敬一さんが『同和はこわい考』(阿吽社)を刊行したのは、1987年であった。その後、活発な議論が展開したことは言うまでもない。だがしかし、相変わらず、差別・被差別の立場を絶対化する議論が横行している。たとえば、末吉高明さんは、「被差別部落出身者に対する差別は歴然と存在する。それは、被差別部落に生まれたという差異の事実に起因する差別である」として、「被差別部落に生まれず、部落差別を知らない私」は、「差別者」であると「自己認定」している(前掲「同化論と差異の認識」『同和教育』393号、1994年12月)。念のために言えば、この「差別者」という「自己認定」は、過去・現在を問わない末吉さんの本質不変の「自己認定」なのである。末吉さんは、前述した四国学院大学の「特別推薦入学選考」の推進者である。「差別者としての自分」を強調する末吉さんの「自己認定」の、「被差別部落」か「一般地区」のどちらに生まれたのかということに拠る。「部落」に生まれた人は「被差別者」に、「一般地区」に生まれた人は「差別者」になるのである。そして、この「自己認定」は不変なものとして捉えられている。古典的な部類に属する差別・被差別論であり、かつての「部落民以外は差別者」という命題の亡霊をみる思いである。
 末吉さんのように、「差別者としての自分」と、今もなお言い続ける姿には、鼻持ちならないものを感じる。「被差別部落出身者」に対してへりくだった、このような物言いは、結果として「被差別部落出身者」に対する偏見・差別を助長するものである。「差別者」の立場を絶対化することは、「被差別者」の立場を絶対化・固定化することになるのが当然の理屈ではないか。/なぜこのような被差別の立場の絶対化がいつまでも克服されないのか。その一つの理由は、前節でみたような、その立場がいわゆる「出自」によって成り立つものという前提、頑固な認識があるからである。「被差別部落出身者」は「被差別部落」の「出自」であるが故に「被差別者」であるという、この命題である。だから「被差別者」は絶対的な存在になってしまうのである。
 ところが、“「被差別者」の立場は絶対ではない”、などという言い方は最近ではよく耳にするようになってきた。しかし、厳密にみてみると、少し議論がズレたようなものがある。たとえば、“「被差別部落出身者」も、民族差別については差別する側”などと言う議論である。このような議論では、「被差別部落出身者」は、部落差別においては絶対的な「被差別者」であるという見解に、いささかの変更点もないのである。(109~111頁)

コメント.
 畑中さんの『「部落史』の終り』は、前著『「部落史」を問う』とともに、そのうちまとめて批評するつもりなので、ここでは『こわい考』に触れている部分だけを採録するにとどめます。

《 お知らせ 》
● 第25回『こぺる』合評会
   7月22日(土)午後2時 京都府部落解放センター2階
   7・8月号の高木論文「差別的表現に関わる二つの事例から」を中心に
   ※8月の合評会はお休みです。9月は30日(土)の予定。

● 第12回部落問題全国交流会「人間と差別をめぐって」
 日 時:8月26(土)午後2時~27日(日)正午
 場 所:京都・本願寺門徒会館(西本願寺北側)
     京都市下京区花屋町通り堀川西入ル柿本町。TEL 075-361-4436)
 交 通:JR京都駅から市バス9,28,75系統 西本願寺前下車
 費 用:8,000円(夕食・宿泊・朝食・参加費込み)
     4,000円(夕食・参加費込み)
 申込み:〒602 京都市上京区寺町通今出川上ル鶴山町14 阿吽社
     TEL 075-256-1364 FAX 075-211-4870
     葉書か封書に住所・氏名(フリガナ付き)・性別(宿泊の方のみ)
     ・電話・宿泊の有無を書いて申し込んでください。  締切り:8月10日(木)まで。

《 川向こうから 》
☆福井県の小浜へ講演旅行に出かけてきました。二日間、大勢の人が熱心に話を聞いてくださり、中には『こわい考』に関心を持たれた方もあって、ありがたかった。講演の合間をぬって羽賀寺の十一面観音菩薩像を拝観させてもらいましたが、その美しさは奈良・秋篠寺の技芸天に匹敵しますね。

☆前号に大きなミスあり。4頁11行目の「Cさん」は「Bさん」の間違いです。普通、こういうときは「Cさんにはご迷惑をおかけしました」と言うところですが、匿名だからお詫びのしようがない。困ったもんです。

☆最近読んだ本のことなど───藤田省三『全体主義の時代経験』(みすず書房、95/1)。冒頭の「『安楽』への全体主義-充実を取り戻すべく」が明晰で、現代社会の精神的基礎を鋭く衝いて秀逸。「少しでも不愉快な感情を起こさせたり苦痛の感覚を与えたりするものは全て一掃したいとする絶えざる心の動き」「不快を避ける行動を必要としないでむように、反応としての不快を呼び起こす元の物(刺激)そのものを除去してしまいたいという動機」「不愉快な社会や事柄と対 面することを怖れ、それと相互的交渉を行うことを恐れ、その恐れを自ら認めることを忌避して、高慢な風貌の奥へ恐怖を隠し込もうとする心性」という文言に接して、差別をめぐる状況がチラッと頭をかすめたのは読み込み過ぎか。/曺智鉉さんの写真集『部落』がやっと出た(筑摩書房、95/4)。20年来の友人としてこんなうれしいことはない。『こわい考』の表紙裏の写真も収録されている。曺さんは、「当時も現在も、私には差別を写真で表現しようという考えが無い」と「あとがき」に書いているが、写真に差別の証拠を見つけようと目をとがらせている人には、その意味がわからないだろう。曺さんがカメラを通して見た70年代の部落がいまどのような状況にあるのか、ゆっくり語りあえたらと思う。

☆『通信』があと4号で100号を迎えます。「なにかやるのか」とのお便りがありましたが、とくに予定はしていません。「出したいから出す。出す気力がなくなればやめる」「読んでほしい人、読みたいと言う人にだけ送る」という原則を再確認して、11月には一人で祝杯をあげようとは思っとります。

☆『こぺる』は、購読料が切れたあとも3か月間を送って払込みをお願いしてるんですが、それでもやはり払込んでくださらない方がいる。『通信』読者の中にもそういう人が30人ほどおられたので、前号本欄にあんなことを書いたわけです。われながら、いじましいとは思うけど、性分だからしかたおまへん。

☆本『通信』の連絡先は、〒501-11 岐阜市西改田字川向 藤田敬一 です。(複製歓迎)

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