同和はこわい考通信 No.57 1992.5.14. 発行者・藤田敬一

《 往復書簡───被差別部落民とはなにか④ 》
住 田 一 郎 様
 “部落差別の結果”という打ち出の小槌こづちについて
灘 本 昌 久(京都・大学講師)
1.
 ながらくご無沙汰していますが、お元気でご活躍のことと思います。
 「部落民とはなにか」についての議論は、一部の人たちには強い関心を、そして一部の人たちには困惑をもたらしたようですが、総じてわかりにくかったという印象はいなめませんね。私自身、自分の主張が住田さんの議論と、どこでどうかみあっているのか、いまひとつわかりかねるぐらいですから、『こわい考通信』を読まれただけの人は当惑したかもしれません。実際、いまだにどうして「血統の話が出てしまいましたのでつけ加えますと、僕のおじいさん、おばあさんまではみな被差別部落に生まれ育って、僕は部落民三世です」という発言が、論評するほどの重大事だったのかわかりません。「私は部落民という被差別者なので、普通の人よりは黒人差別についても語る資格がある」といったのなら問題でしょうが、そうでないことはあの座談会や他の文章からも明らかですから。藤田さんも「灘本さんが被差別者としての立場・資格とその意見を過大に意味づけしているように感じられてしかたがないのです」という印象をもたれたようですが、よくわかりません。私の日頃からの実感からいえば、私のいろいろな発言が「部落民である灘本の発言」と再解釈されることに、つねづね困惑しており、またそれを打ち消すのに少なからぬ消耗をしいられている私としては、なおさら不条理に感じられます(藤田さんに「病気でもない体を開腹手術されて、縫い合わされたような気分」という感想をいいましたが、それはこういう意味です)。
 しかし、そうした点をのぞいて、なおあの議論に意味をみいだすならば、部落民が部落民でなくなっていく過程を裏側からと表側の両側から論じていることかなあと感じています。ですから、文章表現上での相違のほどには、考えていること、見ていることは違わなかったのではないでしょうか。
 柚岡ゆおかさんが『こわい考通信』52号で指摘されているように、従来「部落の低位性」「実態的差別」といわれてきたものは、単に貧困などの外的なものではなく、部落民自身の内面的弱さまで含めて考えるべきであるということを、地域での具体的な活動、経験をとおして提起してきたのが住田さんでした。この点に関しては、私自身、従来から住田さんの議論を高く評価しており、今後の展開にもおおいに期待しています。そして、こうした議論は本当に重要だと思いますので、気分をあらたに感想を述べたいと思います。

2.
 住田さんの新たな問題提起に関連して、今私が考えたい最大の問題は、部落解放運動は今後何をめざして活動すべきかということです。このことについては『思想の科学』1991年1月号に「解放運動の解放」という一文を草しましたので、読んでいただいたかもしれませんが、あそこでは概略次のようなことを書きました。
 社会運動は、その全盛期には人を引きつけてやまないものがある。水平社時代の個人糾弾しかり、戦後の行政闘争しかり。それぞれの闘いが盛り上がっているときは、闘争のひとつひとつに手ごたえがあり、「快感」があった。この参加者の快感がなくては運動はなりたたない。しかし、今の部落大衆、とりわけ部落の若い人たちは、裕福でなくても生活に困るほどではなく、スポーツなり旅行なり、人生を楽しむ手段はいくらでもあり、単に行政から同和事業を引き出し継続させるための運動は、貧乏臭く、魅力のない運動である。科学技術の発展のところどころに「ブレークスルー」といわれる飛躍点があるように、社会運動もなだらかな道筋を単調に歩んでいるのではなく、水平社の創立や行政闘争の開始のように、従来の発想や方法とは大きな断絶をともなう飛躍があるものである。現在の解放運動は、そうした地点に立っており、その飛躍を成し遂げてこそ運動の展望もあり、行政闘争からの脱皮もある、と。
 この『思想の科学』の文章では、今後の新しい運動の中身を書いておらず、序章にすぎなかったのですが、今も部落解放運動の新たな方向を体系的に述べるほどの準備がなく、申し訳ありません。
 ただ、簡単に思うところを羅列すると、ひとつは主体の問題として、部落民の存在感、地域の存在感が希薄化していくことをプラスとして取り込めるような運動のスタンスが必要ではないかということです。逆にいうと、今の同和事業の獲得をなかば自己目的化したような運動では、そうはならないと思います。同和事業を獲得するためには、どこが同和地区で、だれが部落民であるかを常に限定し、確定しておかないとなりたたない。したがって、結婚して部落に「嫁に来た」女性は、旧来の運動上では「部落民」として確定せざるをえないのです。「結婚して部落に来た部落民でない私」では困るわけです。本来は、それでよいはずですよね。こうした不必要なアイデンティファイが、「部落民と部落外との結婚により生まれた子どもは部落民や否や?」という不要な疑問を、部落の側からも再生産させるわけです(ちなみに、私など、自分の子どもが部落民であるかないかなどという倒錯した疑問をかつて抱いたことがありません)。ただ従来は、そうした人は比較的例外的存在であり、また社会からの排除も強かったために議論の余地もなく、部落に埋没してしまっていました。しかし、これからは「部落にきた部落民でない私」の存在を明確に認めなくてはいけないと思います。それは上掲データーからも明らかですし、部落と部落外との真の平等という解放運動の理念からも必要でしょう。当然、部落内に部落民以外が住むのも勝手です。今は、部落外の人が何の目的もなく部落に住民票を移動して住むというのは例外的で、「許された一般民」が住んでいるような感じですが。

出典:部落解放研究所編『図説 今日の部落問題』第2版,1991.
出典:部落解放研究所編『図説 今日の部落問題』第2版,1991.

3.
 次に、住田さんのいう部落の低位性の問題ですが、外面的低位性は格段に改善されたことは明らかでしょう。いつまでも統計的差異を見つけだしては同和事業にありつきたい一部の人たちを別にすれば、多くの部落住民たちの素朴な感情として、部落の衣食住は格段に改善されたはずです。人間としての最低限度の生活にも達しない不幸のどん底に呻吟しんぎんしている人たちは例外的存在でしょう(このあたりの問題は、もう少しデーターなりなんなりにもとづいて詳しく論ずる必要があるでしょうが、今回はおきます)。この点で、旧来の同和事業の延長上にはあまり部落差別解消の効果は期待できないし、そればかりか、害が大きいと思います。つまり、同和事業が差別克服の「テコ入れ」でなく、単なる家計費の補助に繰り込まれてしまい、その保護的政策から部落民が永久に脱却できないことになるという。
 住田さんの強調される内面的低位性、内面的脆弱性について私は、「現在の被差別部落の凄まじい否定的な実態」(『こわい考通信』50号)が全国の被差別部落に普遍的に存在するとは思えないのですが。今から30年前には、部落の極端な貧困からくる否定的な生活実態、否定的部落民像は現実に存在したでしょう。そして、私が経験的にさかのぼれる1970年代なかばにも、そうした否定的実態は多分にあったと思いあたります。しかし、最近の部落の生活は、とみに改善されてきたのではないでしょうか。あまり的確な例証ではありませんが、若い人の立ち居振る舞いを考えても、昔のあの顰蹙ひんしゅくをかうような「ガラの悪さ」は本当に過去のものになったと思います。もちろん、経済的上昇にまったく平行して改善されないかもしれませんが、少しおくれて、追っかけるように、部落は普通の地域になっていっているんではないでしょうか。もちろん、人は金持ちになってもその時はしょせん「成金」で、長く金持ちをやっている人からみれば、洗練されていない生活・文化を引きずっているものですが、1、2世代たてば板についてくるものです。私には、部落の生活の否定的現実とはその程度のものにしか思えません。
 やはり、むしろ問題は現在の同和事業が、部落民にとっての既得権益となっていることからする、部落民の自立性の阻害ではないでしょうか。住田さんが指摘される、「喫茶店でモーニングサービスの朝食」も、それ自体が問題であるよりも、あまりにも過剰な部落民優遇策が、こうした部落の放漫な家計の存在を許しているのではないでしょうか。同じ賃金水準にある人同士を比べた場合、同和事業下の部落の生活の気楽なこと!こうした状況のもとでは、明日にそなえてつましい今日を生きるというような生活規範は出てきようもないのです。これを放置していて、いくら自立をといても、絵に描いた餅でしかありません。それに、本来はどんな朝食をとっていようと、自分の甲斐性で実現している限りは、個人の自由でしょう。要は、実入りが少なければ放っておいても財布の紐は締まるということです。したがって、住田さんのいわれる、部落の内面的向上・成長のためには、現在の既得権としての同和事業を打ち切ることが大きな課題でしょう(これは、同和事業の即時全面廃止を意味するわけではないのですが)。
 そうした点で、このたびの同和事業法のなしくずし的5年延長は、残念でなりません。今こそ整理すべきでした。これに関連して思うのですが、今の解放運動は、「朝田理論」をもとに実践されてきたはずですが、今や朝田理論からも大きく後退していますね。その最たるものが、未指定地区の問題です。朝田理論で強調されてきたことの重要な論点のひとつが、要求は目的ではなく手段である、要求のないところになされる同和事業は融和主義にほかならない、ということでした。ところが、いまや未指定地区に事業がなされていないことまでが行政の責任になってしまい、同和事業は、手段ではなく完全な目的に堕してしまったのです。本当に、どこまで運動の責任が免罪されていくのやら、そして未指定地区の主体性がどこまで無視されるのやら。

4.
 つらつら書いてきましたが、なかなか創造的な展開になりませんね。すみません。しかし、今のような“部落差別の結果”という打ち出の小槌こづちを部落民自身が放棄しない限り、同和事業によって改善されてきた外的条件の進歩が、部落問題の改善にはつながらないのではないだろうかというのが、極めて素朴ではありますが、私の抱く率直な感想です。住田さんは、部落の内面的弱さを「部落差別の結果」と表現することを非常に慎重に避けておられます。しかし、55号では「より本質的には歴史的社会的な部落差別によって被差別部落大衆が背負わされた生活文化の脆弱性=低位性(内面的弱さ)を明らかにする作業を抜きにして、今日における部落差別問題の認識を深めることはできない」といわれています。この「部落差別によって…背負わされた」という言い方には、どこか古い尻尾を引きずっているような感じをいなめません。住田さんの気持ちがまったくわからないというわけではないのですが、やはり「結果」という言葉にひそむ自己責任の否定をここにもかきどってしまうのです。住田さんにはそういう意図はないと思うのですが、そうした逃走経路をまだ残しているような感じがするのです。
 私の方も、一方的な意見の吐露になってしまい、申し訳ありません。今回は、この程度でご勘弁ねがいます。(1992.4.22.)



《 採録───もう一つの往復書簡 》
『同和はこわい考』をめぐって
  ──真宗大谷派『「同和」推進フォーラム』No.13(91/11)から──
真宗大谷派同和推進本部長 調しらべ おさむ 様
 「同和」推進フォーラムNo.6について
社会教育課 平田 美知子
 人づてに入手しました『「同和」推進フォーラム』No.6を読ませていただきました。/初めて意見を述べさせていただく立場で、誠に恐縮なことではありますが、『同和はこわい考』-藤田敬一著-は私も読み、その後さまざまな理論展開がなされたことはご承知のことと思います。/また、『解放新聞』(1987.12.21.全国版1352号)でも、解放同盟中央本部の見解として、

『同和はこわい考』にたいする基本的見解
 権力と対決しているとき-これが味方の論理か-

という大見出しで掲載された記事を思い起こしたことです。
 そのリード部分を引用してみます。(中略)そして、その内容としては、

『同和はこわい考』は文字どおり、われわれの運動を「こわい」運動であると分析し、そこから出てくる矛盾、弊害の数かずを「地対協」がいうところの同質の水準で指摘しているのである。
要は、一つの政党や、一つの団体と路線上の争いをしているときではない。国家権力との対決の時期である。そのときを「めがけて」藤田氏がここぞとばかり、自らのいびつな姿勢からくる運動にたいする偏見を噴出させていることは、部落解放運動にたいする味方としての発言とは評価できない。
「両側から超える」は「地対協」にあっても政府の政策の「欠陥」に目を向けるということが、第一義でなければならない。藤田敬一氏にとっても、これまでの自分が何をしてきたかということでなければならない。

『同和はこわい考』にたいする総体的見解は、このようになっております。
 このようなことを踏まえたうえで『「同和」推進フォーラム』の冒頭「いま思うこと」に藤田氏の文章を引用されたのでしょうか。加えてこの藤田氏の文章の前後に関連して、調本部長の引用された文章の解釈はなされるべきではないでしょうか。 この引用された文章は、「被差別」の立場、資格を絶対化する者の傲慢さになじめないとする論調で書かれた藤田氏の文章です。解放同盟中央本部でも、「関係の客観性」があってはじめて成り立つ「両側から超える」という深い次元のことを説明されているはずですが、その藤田氏の文章を引用されるにしては、宗教団体の方の内省として再びあやまてる方向に向かっておられることになりはしないでしょうか。(以下略)。(1989.12.22.)

コメント.
 真宗大谷派(東本願寺)同和推進本部発行『「同和」推進フォーラム』No.6(89/9) に掲載された本部長・調しらべ おさむさんの「いま思うこと」にたいする平田美知子さん(広島県府中市教育委員会社会教育課)の質問状です。
 問題にされている調さんの文章というのは、こうです。

最近あらためて『同和はこわい考』を読んだ。その中で藤田敬一氏は、次のように語っている。

 自ママの成育史や生活体験を絶対化してしまうと、他の人々にも程度と質の違いはあれ、それなりの苦しみ、悲しみ、憂さ、辛さがあることへの配慮がなくなり「やさしさ」を失う。他者への共感のないところで人間解放への希求を語っても説得力はない。
 同和推進本部長に任命されて、まもなく半年になろうとする。その間、二度にわたる糾弾をとおして、同じような言葉を聞かされた思いがしている。/被差別大衆が大谷派に問うていることは、単なる制度の改廃や宗政にかかわる問題だけではない。/本質的には教学・信心が問われているのである。(後略)

この文章は、どうみても自己の成育史・生活体験の絶対化への自省の言であり、宗教者としてのあり方への自問ではないでしょうか。ところが、平田さんによれば、それは「宗教団体の方の内省として再びあやまてる方向に向かっておられること」の徴候になるらしい。しかし、平田さんのおっしゃりたいのは、とどのつまり部落解放同盟中央本部が否定的な評価を下している『こわい考』からの引用がよろしくないということです。「『同和はこわい考』にたいする総体的見解は、このようになっております」との文言には、部落解放同盟中央本部の「基本的見解」以外の立場は認めないという平田さんの気持がよく表われていますが、わたしの関心はなぜか、この文言に漂う権威主義的な匂いの発生源にむかってしまいます。

平田 美知子 様
真宗大谷派同和推進本部長  調 紀
 (前略)こうして、改めてこれまでの平田様よりご指摘いただきましたことを考えますとき、私自身はもとより、宗門の「同和」運動推進のありかたにとって大切なことがらを示唆いただいていることに気づかされました。(中略)
 早速ですが、『「同和」推進フォーラム』No.6で「いま思うこと」と題して、1987年6月に発行された『同和はこわい考』(藤田敬一著)から上記のとおり文章を引用し、私の思いを述べさせていただきました。しかし、ご指摘のとおり、引用させていただいた文章は、「自立と連帯をはばむもの」という見出しのなかで、差別を受けてきた人びとに対して言われた言葉であります。
 それは、「関係、資格の固定化、あるいは体験、立場、資格の固定化は、当然のことながらそれらの絶対化を生む」と、そして、「たとえば、部落民でないものになにがわかるか、わかるはずがない、との一面的主張」は「両側から超える」「共同の営みとしての部落解放運動の創出にたいして有害無益だ」というところから言われている文章であります。
 これらのことからみまして、宗門に身を置く私自身のこれまでの歩みに対する自責の思いをお伝えしたかったとはいえ、文脈を無視した上での引用であり、それは自分自身の言葉で表現することが適切でありました。
 今回、そうした反省にたち、いろいろとご意見をいただくなかで、「資格、立場の絶対化」と「両側から超える」ということについて考えさせられましたことを述べさせていただきます。(中略)
 結論から申しますと、被差別者と差別者の両側から超える共同の営みとしての運動の創出がいわれるとき、それがどういうものか、私自身具体的に見いだせません。むしろそれをいうのであれば、まず差別する側の、差別することによって歪んだ自身の在り方を明らかにし、そしてそのことを克服する運動をどう始めていくのかが問題にならなければならないと思います。差別する側の、そういう主体の確立のための闘いがあってこそ、共に歩める世界がどこで開かれるのかという問いも成り立つのではないでしょうか。
 たとえば、『同和はこわい考』のなかで、「体験、立場、資格を固定的に考えてしまうと、判断停止にいたる」ということで、在日韓国人の問題にふれた、見田宗介氏の「民族というものからできるだけ自由に生きたいという姜やその同じ世代の日本人たちに、まったく共感する。-けれどこのことを、日本人であるわたしが、姜や宗にいうことはできないのである。それは資格がないからだ」という文章がとりあげられています。しかし、引用された見田氏の文の全体を読ませていただきましたが、そこでは、「70余万の姜たちを普通に生きさせないでいる関係の実質の壁を、わたしたち自身の側から破砕しつくすことのできる日までは、素直に生き交わしたいという在日外国人たちの世代と、日本人たちの世代の思いは、ガラス戸をへだてた手と手のように、今すぐにでも届きそうにみえてたがいに届かない。」(『白いお城と花咲く野原』)と結ばれています。(中略)
 何百年にわたって差別し、人間らしい付き合いをしてこなかった、そういう壁を私たちの側から崩す営みが求められています。(中略)
 糾弾については、それは「差別を焼き尽くさずにはやまない、浄化の火の性格」をもつものであると言われた方がおられます。私たちは、その差別を焼き尽くさずにはやまないきびしさのまえで、差別者としての自身を赤裸々に照らし出されます。しかし、私自身が差別者であるという私自身のありのままの姿を容易に受けとめることができないとき、自己正当化に陥っていきます。
 それにしましても、差別の現実はもちろんのこと、差別に無関係ではおれない私自身のありのままの姿をどこで受けとめ得るのか。ここに親鸞聖人が「煩悩具足の凡夫」と、ことさらにそういう在り方のものとしてこの私を見いだされた意味があると思います。(中略)そういう、あらゆる人と共にでないと救われ得ない「凡夫の身」に立ち帰ることによって、自己正当化せずにやまない自身から解放され、自身のありのままの在りようを問いつづけていくことができる世界が開かれるのでしょう。/金時鐘氏は、連帯ということについて、「繋がらねばならない相手との責務と、自分自身が担い切らねばならない責務が当然負荷される、というよりは、自分の内側の質の問題として持ち上がってきます。」(『在日のはざまで』)と、そこにきびしい自己省察が展開されています。ひるがえって、差別する側のものとしての私自身の自己認識、部落差別の問題認識をどのように深めていくかについてのきびしい示唆を与えられました。(中略)差別する側の差別克服の運動が、共に解放されていく問題として求められねばならないと思います。そして、それぞれの現実でのきびしい自己省察に立つことによって対等な議論がされるのだと考えます。(後略)(1991.8.10.)

コメント.
 平田さんの質問状にたいする調さんの応答です。今回、平田さんのと調さんのやりとりが公表されるずっと以前に、平田さんの質問状をふまえ、「いま思うこと」を問題視した小森龍邦さん(部落解放同盟中央本部書記長・広島県連委員長)の文章「大谷派へのメッセージ」が『推進フォーラム』No.11(91/1)に掲載されたのはなぜなのか、その背後にどのような事情があったのかなどと詮索しても仕方がない。また「部落解放運動は差別・被差別関係総体の止揚にむけた共同の営みとして創出される必要があり、その一歩として差別・被差別の両側から超える努力がなされねばならない」というわたしの考えにたいする調さんの批判は、これまでのものと大同小異で、あらためて反論することもありますまい。
 ただ、調さんが自らを差別者、差別する側のものと規定し、「差別する側の主体の確立のための闘い」「差別する側の差別克服運動」「差別する側のものとしての私自身の自己認識」を強調すればするほど、言葉がうつろに響いてしまうことだけは申し添えておきたい。それはおそらく部落差別(意識)を媒介にした人と人との関係を抜きにして、差別者・差別する側だけを取りだし、自己を差別者・差別する側という範疇に押し込め、そうした自己を丸ごと否定しようすることからきている。人と人との関係の変革にむかう回路をもたぬ自己否定は、遅かれ早かれ空中分解せざるをえないものです。もし空中分解しない自己否定があるとすれば、それは「主体なき同一化」か、それともたちの悪い冗談、もしくは自己防衛の擬態のいずれかにほかならないからです。調さんの心情を忖度そんたくするつもりはないけれど、「きびしい」とか「きびしさ」とかが連発されるわりにはリアリティーが感じられず、言葉がうつろに響くのは、わたしのそんな危惧に根ざしています。

真宗大谷派同和推進本部長 調 紀 様
社会教育課  平田 美知子
(前略)最初のお手紙に書かせていただきましたように、『同和はこわい考』に対して、『解放新聞』全国版に解放同盟中央本部の見解が出されましたが、差別者であるという認識に立った私たちは、まず何によって自己を検証していくかということを考えますとき、やはり差別と闘っておられる人々の実践、理論に学ぶほかないと思うのです。その実践、理論がいかに普遍的であるかということに思い至ったとき、初めて自分自身のエネルギーとなり、不合理、矛盾に立ち向かっていけるのではないでしょうか。そして私たちの日常の中、生き方から、ますます自己の差別性に気づくことができるし、そのあやまちが「地対協」路線につながることの理解も思い至らねばならないでしょう。(中略)
 次に、「両側から超える」ということについてですが、最初に申し上げたかったことをご理解いただけたことについて、たいへん嬉しく思います。「自己とは何ぞや」を問うていくということは、とことん凡夫である自己に気づき、差別者である己に気づいたとき、とても被差別者に何一つとしてのぞめることのできない自分であることを思えば、その自己の差別性を克服していく以外方法のないことに気づかされるのではないでしょうか。
 仏教では、「立場」ということを非常に問題にすると聞かされています。その「立場」とは、自己をどこまで掘り下げて見つめるか、ということだと思うのですが、それは親鸞聖人の言われた「煩悩具足の凡夫」「罪悪深重の凡夫」、あるいは「いし、かわら、つぶてのごとくなるわれら」のような、徹底した内省の姿だと思うのです。そのように自己であるからこそ、そこで私たちはもう一度、水平社宣言の思想に返ってみなければならないと思うのです。「両側から超える」などということは、差別する側の同情、融和からきた傲慢な思いのあらわれではないでしょうか。/差別する側の、その「立場」にきちっと帰ってみれば、言えることと言えないことの理解がそこでできてくるのではないかと思うのです。水平社宣言の中にある「人間を勦るかの如き運動」の「勦るかの如き行為」は、もう二度と許せるものではないはずです。/仏教でいわれる「立場」の理解も、そのことを指すのではないでしょうか。/「あの人があのようなことをするから差別されるのだ」とか、「あんなことをしなければ差別の払拭に協力するんだが」などと、差別する側にあるものが言えるはずはないでしょう。(後略)(1991.9.1.)

コメント.
 平田さんのこの文章は、差別・被差別の隔絶された関係の奥底に潜む感性、心性、思考パターンの一端を示してくれている点で、実に貴重です。
 被差別者以外の者は「とても被差別者に何一つとしてのぞめることのできない自分であることを思」い、被差別者の実践と理論に学び、それがいかに普遍的であるかに思いをいたすことによって不合理・矛盾に立ち向かっていけるエネルギーを汲み取れと平田さんはのたまう。これはなんとも驚くべき教義ではないでしょうか。被差別者以外の者は、被差別者に「こうしてほしい」と希望・請願・要請してはならず、直言・苦言・批判などはもってのほか、ただただ被差別者のまえにひれ伏せといっているようなものです。立場・資格の固定化・絶対化が極限にまで進み、完全な判断停止に陥っている無残な姿がここにはある。だから部落差別問題をめぐる状況、部落差別(意識)を媒介にした人と人との関係について、自分の言葉で思索することは論外で、被差別者=被差別部落民という存在の絶対化、反差別の実践と理論の神聖化(つまり部落解放運動の神話化)、差別者としての自己の否定だけが語られても不思議ではない。
 平田さんによって「差別と闘っておられる」被差別者は、いまや神の高みにまで持ち上げられ、平田さん自身は神に仕える巫女みこ役を演じているかのごとくです。そういえば平田さんの口振りがどことなくご託宣めいているのもうなづける。しかし、いくら水平社宣言に「人間が神にかわろうとする時代におうたのだ」とあるとはいえ、被差別者と反差別運動の物神崇拝もここまでくれば悲劇を通りこして喜劇です。
 それはともかく、このような物神崇拝はけっして平田さんの独創でもなければ、局部的現象でもなく、やはり運動の根底に流れている思想の産物とみなすべきでしょう。それだけに根は深く、このままでは調さんのおっしゃるような「対等な議論」などどだい無理というものです。

<番外>
『水平社宣言』に聞く
藤 井 慈 等(三重・慶法寺)
 (前略)最近、賛否両論の藤田敬一著『同和はこわい考』(私は筆者の両側から越える論については、論としては成り立ち得ても、実践的には片側、すなわち歩むものにとっては道はひとつしかないと考えます。その意味では差別するものが差別克服の歩みを主体化しえない時には、両側論は糾弾否定に繋がるのではないかと思います)……(後略)

コメント.
 藤井さんの一文に挿入されたこの注記も平田・調「往復書簡」と関連があるとみて抄録しました。ところで藤井さんのおっしゃる「実践的には片側、すなわち歩むものにとっては道はひとつしかない」とは、それぞれ差別者としての道、被差別者としての道しかないということですか。もしそうだとすると他者を差別する被差別者の道はどうなるのでしょう。「差別するものが差別克服の歩みを主体化」するというのも言葉がうわ滑りしていて、理解しにくい。いったい藤井さんはどのような意味あいにおいて自らを「差別するもの」と規定しておられるのでしょうか。そのほか東本願寺教団内部はもとより世間に広くみられる差別・被差別の隔絶された関係の実情をどう考えておられるのかについてもおたずねしたいと思う。さいわい藤井さんは『通信』のなが年の読者でもあるので、この際いい機会ですから、ぜひ寄稿して厳密かつ具体的に論じてくださいませんか。


《 紹介 》
☆吉田智弥「部落問題・意識調査を読む」
  奈良県地方自治研究センター発行『自治研なら』43号,1992/2.750円.
  〒630 奈良市大宮町7丁目1-57 Tel.0742-34-5501・5504

A4判74頁の大冊で、吉田さん(奈良県職員労働組合書記・奈良県地方自治研究センター事務局長)の単独執筆です。「はじめに編集の目的と執筆者の立場」から「おわりに き日にむけた関係の変革を」までの全八章には、借り物でない分析視角が随所にみられます。「部落解放という課題に向きあっている人たちにとっての大きな不幸のひとつは、「解放を願う立場」「ともに闘う立場」からの、部落解放同盟に対する根底的な批判が非常に少ないことである。たとえば社会党の機関紙「社会新報」や「月刊社会党」に、解放同盟の方針や指導的理論に対する批判が掲載されたことがあるだろうか?」と吉田さんはいう。これを政治感覚ゼロの青臭い議論として無視できる人は幸せです。

《 あとがき 》
★庭に咲きこぼれていた卯の花が、雨で今日はしょんぼりしています。ところでこの花、唄にあるようには匂いませんねぇ。唄がまちがっているのか、それともわたしの鼻が悪いのか
★今号の灘本文、刺激的です。もう少し展開されたらよかったのにという気がしますが、さて、みなさんは如何
★平田・調「往復書簡」は、真宗大谷派(東本願寺)の同和推進運動の歴史に残る文献となるはず。と同時に80年代から90年代初頭における「共同闘争」の内実を垣間みせてくれる資料でもあります。熟読玩味してくださいますように
★『通信』を素材に語り合う会を開くので、忙しくても送りつづけてほしいとのお便りあり。えらいことになりました。次号から6年目に突入しますが、問題意識が枯れるまでは発行するつもりですので、よろしくお願いします
★4月11日から5月12日まで、京都(5)、島根(2)、岐阜(2)、三重、大阪の11人の方より計101,355 円の切手、カンパをいただきました。ほんとにありがとうございます。このなかには『通信』をコピーして、カンパをつのってくださった方の分も入っています。なんとお礼をいったらいいか
★本『通信』の連絡先は〒501-11 岐阜市西改田字川向 藤田敬一です。(複製歓迎)

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