同和はこわい考通信 No.52 1991.12.3. 発行者・藤田敬一

《 往復書簡───被差別部落民とはなにか───割り込み編① 》
住 田 一 郎 様
灘 本 昌 久 様
柚 岡 正 禎(京都)
 お二人の往復書簡、じつに興味深く拝読しました。居住まいを正し、心して、割り込みさせていただきます。

(1) 「灘本=部落民」発言への批判について
 まず「灘本=部落民」を言う必要はなかったのではないか、という住田さんの批判ですが、これは灘本さんも言うように、被差別者が一様にサンボを糾弾しているわけではないことを知らせ、精神を自由にして主体的に考えてもらうためには、それなりに有効ではないでしょうか。いまだに言葉狩りと自主規制を引き起こす解放運動とその周辺の現実から見て、意味のあることだと思います。したがってこの点での住田さんの批判は当をえていません。むしろ灘本さんにとってはそのサンボ擁護論などの立論からしても方法的に一貫している、と言えるでしょう。これは灘本さん流の闘い方なのです。
 しかし問題は、「言う必要はなかった」ではなく“言うべきでなかった”と、本音では思った住田さんの怒りがどこから来ているかです。お二人の立場は、一方では、いわゆる部落民意識の希薄化や実態的格差(住環境、仕事保障、教育諸条件、生活水準における)の解消という時代の流れが背景にあり、他方では、『こわい考』が警鐘を鳴らした否定的な解放運動・差別論が依然として存在する、このような現在にあって、それにどう応えるか、どう闘うかをめぐる、全く異なる二つの立場だということです。灘本さんは、「部落民自身が、部落民であることをありのままの事実として、卑下するでもなく誇るでもなく、まっすぐに受け入れられているかどうか」「その点さえ自分の中で整理されておれば、部落の中に住んでいようと、部落の外に住んでいようと基本的には解放されている」(50号、P6) と述べてます。解放運動の現実の中で、それへのアンチとしての、個人の存在や意識の自由さ、灘本さんにとってはこれこそが部落問題から解放されている否かの基準です。居直りによる闘い、とも言えるでしょうが、それは自分を守るためということではなく、それを規範にして解放運動の現実にかかわろうとする、ひとつのやはり実践的な立場なのだと思います。『部落の過去・現在・そして…』(阿吽社、P294)で藤田さんが確認・宣言しているような戦闘的個人主義なしに、はたして『こわい考』の問題提起がありえたかどうか、それを考えてみれば、この立場をよりポジティブに評価できるのではないでしょうか。
 だが、ここで問題提起しているのは住田さんの方です。

(2) 「実態的差別」とはなにか
 先の全国交流会の第1分科会で私は、住田さんの言う被差別部落大衆自身の「内面的な弱さ」「低位性」の意味を何も理解できないでいました。それをただ、従来の解放運動の物取り主義や行政依存と同種のもの、単なるその結果、としてのみ捉えていました。つまり従来の解放運動の否定的側面の指摘のくり返し、としてだけ聞いていたのです。住田さんがそれを「部落差別の実態として正面にすえる」(前掲書、P270) 、すなわち「実態的差別」の位置を与えていることの重大な意味に全く気付きませんでした。そのため住田さんに対し、「そんなふうに部落の否定的現実をくり返し言ってくれるよりも、以前のように(2年ほど前の差別論研究会でのように)、“差別はいまだある”と断じてくれる方がこちらは元気が出る」などと妙な発言をしていました。ところが家に帰り、住田さんの「報告」や以前のものなどを読み返しているうちに、また『つだバージョン』11号(個人通信)などにも助けられて、突然気付いたのです。実態的格差がほぼ解消しつつあるという時代の流れの中で、部落民意識の希薄化への注目よりも実態的格差の残存にこだわり続け、長年にわたりそれと格闘してきたであろう住田さんが、───いつのまにか後進国革命?を成し遂げて、───同対審答申以来の「実態的差別」の概念を換骨脱胎かんこつだったいし、みごとにわがものとして作り直していることに。
 1951年のオール・ロマンス闘争以後の行政闘争は、65年の同対審答申へと結実しましたが、答申は、「経済構造の特質は、そっくりそのまま社会構造に反映している」「このようなわが国の社会、経済、文化体制こそ、同和問題を存続させ、部落差別を支えている歴史的社会的根拠である」といった反映論にもとづいていました。そしてその上で部落差別を、「心理的差別」(=「観念や意識のうちに潜在する差別」)と「実態的差別」(=「同和地区住民の生活実態に具現されている差別」)の二つに分け、両者は「相互に因果関係を保ち相互に作用しあっている」「この相関関係が差別を再生産する悪循環をくりかえす」と規定しました。当時この理論構成に疑問をもつ人は少なかったのではないでしょうか。
 そんな中で、“社会意識としての差別観念を人は空気をすうように受け入れる”という朝田善之助さんの主張は、大枠でこの反映論の内にありながらも、差別意識を階級関係に還元して説明する《差別=政策》論を超えて、行政闘争の指導理論として大きな影響力をもっていきました。それはいわば、近代法における反差別=人権理念を至上のものとし、強力な武器としながら、実際には「マルクス主義的」に、経済的・社会的利益を追及する、という奇妙な運動理論でした。実態的格差の解消を目標とするこの運動が自らの存立基盤を掘り崩しながらそれをおし進め、そして他方で、部落民意識の希薄化にあらがうかのごとくにその差別・被差別関係を急進化、固定化させていった顛末についてはすでに大方の知るところです。
 地対協・地対室の三文書(86・87年)はこの時代背景と運動の現実を十分ふまえたものでした。たとえば「意見具申」は、「実態面での改善に比べて、心理的な差別[差別意識]の解消は、不十分」だと総括し、その原因を、(因習の残存以外には)ひとえに解放運動側の姿勢(あるいはそれを許してきた行政の責任)に求めてきました。これに対し私達は、それは解放運動からイニシアティブを奪い、国家主義的=融和主義的に部落差別の解消をはかろうとするものだとか、「同和はこわい意識」は地対協が言うように糾弾などで外からもたらされるものではなく、自分の中にひそんでいる差別意識にあるとか、またより厳密には、差別・被差別両方の相互関係・悪循環こそが問題だ、などの批判・問題提起で応えてきました。
 しか私達ははたして、住田さんの言う、「永年の部落差別による被差別部落大衆自身の生活に色濃く残された『内面的弱さ』」「低位性」を、「部落差別の実態として正面にすえる」(前掲書、P270)ことなしに、すなわち、解放運動がそこに働きらきかけるべき部落の「実態」そのものを確定することなしに、国家主義と対抗して自立的な解放運動を進めることなどできるのでしょうか。上の差別・被差別の悪循環の背後、この悪循環の克服をはばんできた基礎的要因として、歴史的に形成された被差別部落大衆の否定的現実としての「実態」を想定することは、部落大衆自身がこの悪循環を断ち切り、自らを解放し、自立する運動にとって、決定的に重要な理論構成ではないでしょうか。
 私は、住田さんの言うこの新しい「実態的差別」は、たしかに従来の実態的格差がほぼ消滅した今日になってはじめて見えはじめ、課題視されるに至ったわけですが、それは生活上の実態的格差がなくなったから目立つようになったとか、この課題だけが残った、というものではないと思います。そうではなく、もっと普遍化できると思います。「心理的差別」と「実態的差別」の「悪循環」を経済主義的に指摘したのは同対審答申でしたが、こ時にもすでにこの表面化した悪循環の背後に、この悪循環を支えてしまうものとして、部落大衆の「実態」=「内面的弱さ」が、自ら克服すべき課題としてあったのではないでしょうか。劣悪な生活上の低位性のすぐ裏側にあったため、外からは、そして現在のわれわれからは見えにくくなっていただけということだと思います。(このように理解は、山本尚友さんの言う明治末期以来の部落における貧困の再生産構造、つまり社会的上位にある人口が部落を嫌い、部落外へ流出するというメカニズム、とも相即的です。前掲書所収論文)

(3)
 被差別部落の生活実態がすでに大きな変貌をとげているにもかかわらず、部落差別意識がいまなお根強く残っているのはなぜか、この問いに住田さんはすでに答えています。それは基本的には、つまり解放運動側の問題を別にすれば、日本の多くの部落共同体に、なお住田さんの言う意味での実態的差別が厳然として存在するからです。これこそ従来の間違った解放運動により助長されもし、また逆に部落大衆がその間違いを自らただすことを困難にしてきた当のものです。被差別部落大衆が、「自らの自立を主体的な課題とする」(住田報告)ことによりはじめて見いだした、歴史的に形成されてきた“差別の結果”としての実態的差別。これは『こわい考』の問題提起に対する部落民住田さんの応答として出てきたものですが(私はここのところがすばらしいと思います)、『こわい考』が提起した差別意識論の問題圏をも越えるものでしょう。部落解放理論は最終的に経済決定論の呪縛から解かれ、解放運動は、理論的には、最後の闘いに入ったのでは、とそんな気さえします。
 『部落の過去・現在・そして…』に収録されている座談会で、「部落民意識に依拠しない運動」が可能かどうか話題になりました。部落民性を絶対的基礎にした運動に転換が迫られていることが共通の認識ですが、山城さんが、これからは部落問題にかかわる部落内外すべての人達が主体として参加できるゆるやかな運動を、と言うのに対し灘本さんは「差別されている対象と運動を進める主体がそんなにずれてる運動がなりたちますか」と問い返しています。つまり灘本さんにとって運動が依拠可能な部落民意識とは、従来の伝統的な“差別されることにより目覚める部落民意識”そのままです。山城さんは部落民意識の希薄化というよりも運動主体を広げるべきことを言い、住田さんの言う「地域」をイメージしていると思いますが、本当は運動主体の中心にある部落民意識そのものが、希薄化というより“変容”をとげつつあると言うべきだったのではないでしょうか。被差別体験はないが、あるいはすでに克服してしまったが、この街、この土地への愛着がある。親たちや、近隣の人達の生きてきた過去や意味を取りもどす闘い、アイデンティティを作り直す闘い。住田さんの言う、被差別部落大衆が自立の課題を自己に課してはじめてわがものとできる地域と歴史への帰属意識、これは新しい部落民意識の誕生と言えるでしょう。
 住田さんは灘本さんに対し、“穢多の末裔まつえいであることを安易に語るな”ではなく、現在の都市スラム型部落をはじめとする部落の「実態」をもっとよく知って欲しい、その上でなお古い部落民意識からも自由でいて欲しい、と言うべきだったと思います。部落共同体の中で、あるいは新しい部落民意識にもとづく運動の中で、灘本さんの自由な発言が新たに生きる場を提供すべきだと思います。灘本さんはそのときも、サンボ擁護のあの仕事をされたように、きっぱりと、そして飄々と今の立場を貫いて欲しいと思います。(1991.10.31)



《 論稿 》
梅沢利彦さんの「『構造主義反差別論』批判」に寄せて
柴 谷 篤 弘(京都)
 梅沢さんから寄せられた、私の『科学批判から差別批判へ』に対する批判は、文脈配置がゆきとどき、著者の私があらためて納得させられるようなことで、私がかなり乱脈に書いたことを、よく整理し、私が部落解放運動や日本と日本人に寄せる思いも、明確にとり出していただいた。梅沢さんから反論への促しをうけて以下に書くことは、だから、かれと私との間の個人的な差にかかわることで、全体の文脈を変えるものではない。これは主として、われわれの「構造主義」や言語論の理解に関することである。
 そのことにはいるまえに、個人の意見の差について私の考えを書いておく。構造主義と多元主義とはなじみがよく、私は単一の思想や価値では現実を扱えないとおもっている。だから、従来の部落解放運動とは系譜や原理のちがう意見を私が出したとしても、それは私のが正しくて従来のがまちがっている、というわけではない。しかしそれは同時に逆の作用をして、部落差別の歴史的な起源を根幹に据える運動論の立場だけでは不十分なのかもしれず、そちらの方からも私のような「異端」を無視するのはどうだろうかということが、原則的に言えるはずであろう。
 チョムスキーとソシュールの言語論についていえば、主として池田清彦が明らかにしたことにもとづいて、私たちが今理解しているこれらの理論は、一般の解説書と必ずしも同一ではない。
 まず、チョムスキーはソシュールの理論を全く評価しない。またチョムスキーの理論には、「恣意性」あるいは「無根拠性」の概念が全く欠失している。それは、チョムスキーがもともと「普遍」文法の存在を考察のひとつの出発点としたことからも理解できることである。しかし言語能力の生得性に関するチョムスキー理論の説得力にくらべて、「普遍」文法のほうは、具体的な成果にとぼしく、かれの最近の理論では、「文法」概念が落とされて、「原理とパラメータ」というふうに言いかえられる。つまり普遍的な原理のあちこちに具わったパラメータの値を、スイッチをいれるようにオンにするかオフにするかによって、幼児の習得する言語(の文法)がきまる、という。私にいわせれば、榊原陽のやっている日本人幼児を対象とする言語運動の結果、 7ヵ国語を同時に幼児にきかせても、それぞれが同時に習得されて、まじりあうことがないことがわかっているという。これが正しければ、チョムスキーのいう諸パラメータは、独立ではなく、個々の言語のなかでたがいに関連し、ひとつに統一されているはずである。これが意味することは、人類にとって、ただひとつの言語の原理は存在しない───言語が可能になった状態で、人類は言語を多発的に独立して発生させた、ということを示唆する。この考えかたには、原稿の生物進化の理論の主流にとっては、異端であろうが、もともと生物学における構造主義は、進化理論の主流に対する異議申立てとして出てきたものであるから、ここに論理の矛盾はない。田中克彦のチョムスキー批判にも、言語における普遍原理の存在を疑問視する流れが読みとれる。すくなくとも文字については、漢字とローマ字が単一起源であることは考えられないので、言語についても同様に考えてわるい理由は、わたしには見あたらない。
 そうすると多くの言語は、ことなった「構造」(ラング)にもとづく。ここでラングが深層構造、パロールが表面現象、ということになる。極端に言えば、人類に7000のことなった言語があれば、それだけのことなった深層構造が生得的に存在する、と考える。それは多すぎるだろう、という考えに対しては、生物学はこれまで、生物にひそむ可能性をたえず過少評価してきた、という圧倒的な事実があることに私は注意したい。池田はこのような「深層」構造の重層化を、構造列という一種の階層性で理解しようとしている。なお人類のすべての文化、社会の問題もすべてあらかじめ個人の脳にくくりつけになっているもので(その意味で人類が発生したときに現代の文化は理論的には成立していたことになる)、そうした既存の構造のうちの特定のものだけが、文化・社会的な個人間の相互作用によって賦活化される(あとまだどれだけでてくるか、だれにも見とおせない)、というのが池田の文化・言語・種などの個体封緘理論なのであり、私もそれに依っているわけである。つまりチョムスキーの深層構造は、(ソシュールもかつて言ったように)個人の脳に存在するもので、もともと存在しない「構造」はいくら社会的に強制しようとわれわれの身につかない。ちょうどトリの鳴き声が、われわれの文化に、トリと同じ意味・形式で固定しないのと同一である。
 ここで、すべての人間に、英語なり、日本語なりの両立しない言語構造が生得的に具わっているように、差別と反差別の構造も、生得的に具わっている。そういう意味で、日本語の潜在能力が人類全体に普遍的に具わっているのと同様に、差別の「能力」も、人類に普遍的だ、と私は言うわけである。しかし、日本語の言語環境は、人類社会に偏在しているが、差別環境は、ほとんどすべての社会にあるであろう。それは種々の理由で、すべての人間個人が、自分の責任でない属性を背負わされている事実から派生してくる事態なのであろう。
 われわれはこのような「深層」構造が、個人を離れて空間・社会に浮遊しているのではなく、人間の脳に内蔵されていると考える。それを明らかにすることは、「自己言及」の制約のもとにあるが、科学者としてわれわれは、このような見方を「神秘主義」とはとっていない。それへのひとつの接近法は、予言とその検定であって、これはたとえば運動の実践を通じてもなされる可能性があると考えている。
 いずれにせよ個人における「深層」構造は、個人の発育の過程で、社会から賦活され、ここに表面現象としての日本語や差別行為があらわれる、と考える。そういう風にしてでてきた私個人は、日本語をまったく抑圧して、たとえば英語だけで生活をつづける、という経験をもったこともある。生得的な差別構造は厳然として脳内に存在しても、その活性化を抑圧することは、社会的に可能であろう。
 西欧社会が、日本と同様な中・近世の「賤」差別をなくしてきたことは、西欧社会に他の差別もなくなったことをかならずしも意味しない。近くは韓国における、部落に似た「賤」差別の対象とされた白丁が、朝鮮戦争のあとで消滅にむかったのは、注目すべきことであるのに、その過程をたどることは日本でなおざりにされているようだ。梅沢さんは「どうしても歴史を捨象することはできない」という。私も同意する。私はただ、歴史を現代を説明する原理としてではなくて、現代ともども「構造」によって説明されるべき対象である、と考える。
 いまの日本の差別現象を解く鍵は、私としては、あくまで、日本の現代社会のなかにある、といいたい。西欧や韓国との「賤」差別に関するちがいは、この視点から解かれるべきで、そのことについても、私は『科学批判から差別批判へ』のなかで少しだけれどふれている(p142-143) 。そのひとつの入り口は、やはり日本単一民族幻想にあるだろう、というのが、只今の私の思いいれである。それは限りもなく、自己検定にむかうはずである。
 当人に責任のない、身体・出自に関する属性をとりたててなされる差別(障害者、アイヌ差別など)に対しては、被差別者がその当の属性を逆にかまえて、それへの帰属性に依拠するという、すこぶる非対称的な反差別闘争の戦術が、これまでどこでも普遍的にとられてきた。つまり、この「属性」を、差別者が用いることを断じて許さないが、被差別者側は、それを自分の存在のあかしとして用いる。しかしこの論理矛盾は、弱者、少数者にとっては許されるだろう。なぜなら客観的条件がもともといちじるしく非対称的だからである。ところが部落解放運動だけが、最近ではこの枠組からはずれてきたようにおもわれる。それはおそらく全国水平社のはじめの精神が、運動のとちゅうで変質してきたためだろう。部落解放運動の変革をめざすいくつかの団体では、連帯の幅をひろげ、部落以外の被差別集団との共同行動をめざすようだが、ここにはらまれた矛盾をこえるには、やはり日本単一民族論、「和」の精神をのりこえてゆく方法が有力だ、と私は考えてしまう。現在の部落に、新しい文化をつくりだす潜勢力があるのかどうか。官製の運動は、原理的にそれを否定し、存在する差別を増殖させながら同時に隠蔽する方向にむかうであろう。新しい文化を生み出す力は、帰属性の隠蔽からではなく、逆にその露出から生じる心の痛みに根ざす、と私は推測している。

《 あとがき 》
★しばらくのご無沙汰でした。体調をくずしていたわけではなく、あれこれと忙しくしていたためです。10月一杯、他の仕事に没頭し、11月は岐阜県内各地で話をさせてもらう機会が多く、ついつい『通信』発行の時間的余裕がつくれなかったにすぎません。他事ながらご休心ください
★11月8日、関市で全国自由同和会岐阜県連と部落解放同盟岐阜県連の共催による「部落差別の解消をめざす教育・啓発のあり方を問う」シンポジゥムが、1200人の参加者を集めて開かれ、わたしもパネラーとして出席しました。翌日の新聞は全国自由同和会と部落解放同盟が共同でシンポジゥムを開催したことの意義を強調していましたが、岐阜では部落差別問題をめぐる状況に一つの、ゆるやかではあるけれど確かな変化がおこりつつあるようにみえます。ただ「部落差別はあっても、もはや解決しなければならぬ課題としての部落差別問題はない」とされかねない時代が到来するのではというわたしの危機感が簡単にぬぐえそうにないのはどうしてでしょう
★11月末、島根県に出かけてきました。うっすらと冠雪した大山や、陽光に輝く日本海・宍道湖がまことに結構で、知友との再会もあり、いい旅になりました。やはりときどき外に出て、英気を養わんとあきませんなあ
★田中龍雄さん(岐阜市在住、作家)の「私の同和問題」(地域改善対策研究所編『シリーズ|人権を考える①ー差別なんてない…?』株式会社ぎょうせい刊所収)は、岐阜県内の被差別部落の暮らし、とくに野犬捕獲を丹念に描いて秀逸。ぜひ一読されることをおすすめします
★「往復書簡」割り込み編はこのあとも続けたいと思ってますので、原稿をお寄せください。お待ちしています
★年内にもう1号出せないかもしれません。そのときは御免こうむります
★10月15日から11月27日まで、大阪、京都、岐阜、東京、島根(2)の6人の方より計57,930円の切手、カンパをいただきました。ほんとにありがとうございます
★本『通信』の連絡先は〒501-11 岐阜市西改田字川向 藤田敬一です。(複製歓迎)
戻る