同和はこわい考通信 No.32 1990.2.28. 発行者・藤田敬一

《 随感・随想 》
外と内とをつなぐ自由なネットワークはいかにして可能か
  ──柴谷篤弘著『反差別論-無根拠性の逆説パラドックス』(明石書店)を読む③──
藤 田 敬 一
1.
 さきにふれたように本書は「外」「内」「両側から」の三部構成になっているが、もちろん著者の的は「両側から」にしぼられている。
 ところで差別者・被差別部落外出身者・差別する側に立つ者と、被差別者・被差別部落出身者・被差別の側に立つ者との二分法、二項対立的発想が根強く、両者・両側が隔絶された関係にあるかぎり、地対協の打ち込んできた楔の影響は次第にひろがってゆくにちがいないと、わたしは予測したけれども、1986年夏いらいの経緯はこの予測を裏切ってはいない。あれこれの集会の盛況ぶりやテレビ・週刊誌の特集、選挙の結果などではなく、部落解放の課題と取り組む人びとのあいだにただよう雰囲気をとくと見ればよい。「差別・被差別の両側から超えた共同の営み」「差別・被差別関係総体の止揚にむけた共同の営み」への希求は、強まりこそすれ弱まったとはとてもいえない。だから著者の矢は正確に的にむかって放たれていると思う。
 著者はプロローグで次のように書いている。

問題は、どのようにして、(運動のなかにいる人びとと)運動の外にいる人びととのあいだで、共同の運動を組んでゆくかについての、見通し・目標がはっきりしないことである。逆にいえば、私のように、これまでまったくそれにかかわってこなかったものにとっては、どのような接近方法があるのか、という問いがでてくるわけである。…私のような、部落出身者でないために、部落解放運動にたいして、これまでなんの寄与もしてこなかった者の自己批判をどのように具体化すればいいか、がよく見えてこないということでもある。はっきり表現するならば、私たちは、部落解放運動の当事者たちと、国家・地方自治体とに、解放のための実践のすべてを任せて、局外者の立場をきめこんでいた、としかいいようがない。(P3)

被差別部落出身者でなく、したがって運動の当事者でもなくて、局外者の立場をきめこんできたとの述懐で止まるのなら、話は「外」で終わり、「内」はもとより「両側から」の問題は出てくるはずもない。
 自らと被差別部落出身者との資格・立場・体験の差異という溝・壁の前でめまいを起こしている人、いつのまにか外から内にすべりこみ内の目で外をながめ、外の無知・無関心・無視・軽視にいらだつ人がいる。糾弾の場で、異様なまでに激昂して相手を問い糾したり、運動団体の専従活動家となって集会で「わたしたち部落の婦人は…」と語ったりする、被差別部落外出身者がいた。すべての責任を内に押しつけている人をふくめ、これらの人びとにとっては、外だけ、内だけが問題であって外と内の関係は視野に入ってこない。だが著者はそうではなくて自らの「自己批判」をどのように具体化すべきかという視点から共同の運動のありかたを考えるのである。
 そのさい「踏まれた者の痛みは踏まれた者にしかわからない」との主張については、想像力によって当事者でない外部の者にも差別の内実は理解できるのであって、かかる理解(想像)を拒否するのは自閉的な立場であり、被害者願望の表われだと指摘するのだが、同時に

とはいえ、私は多くのことについて無知または無感覚である。そういう、本質的な欠落を承知のうえで、いろいろな意見を重ねあわせてゆくことに、意味を見出だすことを選択している人々のために、私は率直に、私の思うところを書いてゆこうと思う。

とも述べる(P93~94)。わたし自身そうだったが、部落差別にかかわってなにごとかを語ろうとすると、えてして心情告白的文言が口をついて出てしまうのはどうしてか。わたしに限っていえば、個人の自由な意志で選択したわけでなく、個人の努力では変更できない資格・立場・体験の差異が、己れの差別問題にたいする認識を深部で規定しているかもしれないとの不安があったようだ。情緒や感傷に流されたのも無理はなかった。いまではドライな論理、理論一本槍も嫌だし、さりとて情緒、感傷に傾きすぎるのにも辟易している。しかし、その背後に差別・被差別関係の問題がよこたわっていることもたしかなのだ。

2.
 著者は、加害と被害、多数と少数、強者と弱者という二分法、二項対立的図式を用いているが(ただここで差別と被差別の対応が明示されていないことは注意されてよい)、それは加害者・多数者・強者の集団に属する人間の帰属(意識)の転回を主張せんがためである。
 例としてあげられている花崎皋平さんならずとも、差別問題に少しでもかかわったことのある人なら「アイヌでも、部落出身者でも、女性でも、『在日』でも、沖縄人でも、身体障害者でもない」自分にあらためて気づかされる(P80)。そしてさらに加害者・多数者・強者・差別者としてのわたしへと、自己限定、自己確認はひろがってゆく。当然のことながら、そうした自己限定、自己確認はたいてい「わたしは○○ではない」といった否定文で語られるのが通例である(だから『こわい考』で紹介したあの女子高校生が「わたしは一般の日本人です」と名乗って反撥をうけた理由のひとつは「わたしは被差別部落民でも、在日韓国・朝鮮人でもないのですが」という否定形ではなく「わたしは一般の日本人です」と肯定形で自分を語ったからにちがいないと、わたしはにらんでいる)。非女性、非在日韓国・朝鮮人、非部落民、非障害者、非アイヌ人、非沖縄人、非朝鮮人、非中国人、非黒人、非ナニナニ、非某々…と、否定形の言い方でしか己れをいい表わすことができないように感じる心理状態、被差別の立場から逆照射される関係のなかでしか自己の存在を確認できないと思ってしまう、じれったい状況。ここからの脱却の道はあるのかないのか。あるとすればどのようにしてあるのか。
 著者もまた「自分自身、多数者=加害者=強者としての帰属意識をもつものとして、少数者=被害者=弱者としての被差別主体に、どうして橋がかけられるか」との疑問にとらわれたという(P199)。そのなかで著者がたどりついたのは「世界のほとんどすべての解放運動にとって、私はつねに外部の者としてとどまらざるをえない」という、一見開き直りともとれる剛直な姿勢であるが(P93)、しかしそれは「共同実践による共同認識」ではない「異種実践による共同認識」の可能性の確信に裏づけられている。そして自らの帰属(意識)の転回、己れの属する強者・多数者集団から弱者・少数者集団へと自覚的に、主体的に帰属(意識)をかえること、つまり「自らを少数者として規定できるような、新しいアイデンティティを発見する」ことがもとめられる。

これまで暗黙のうちに仮定されてきた、共同の帰属性を否定することからはじめねばならない。…加害者であるにもかかわらず、自分たちをともすれば被害者として規定したがる、「なれあい」をきっぱりと拒絶すること…。それは自 称被害者集団──資本主義とたたかう労働者──の多数者集団から降りてしまった少数者として、自己を再規定することになるはずだ。…これは、自分自身に対して加害者になることを通じて、加害者/被害者である自己の矛盾をのりこえることである。そして、そのような、高度に主体的な自己の選択によって、自分自身はいまや強者/多数者のなかの、弱者/少数者集団に、帰属をかえることになる。そのときはじめて、自身はアイヌと対等になり部落出身の人と対等になるわけである。
自分自身を少数者として規定して、帰属意識をかえる、ということは、決して、単に、自分自身が部落出身者なりアイヌなりの少数(者)集団/弱者に対する、連帯者/同情者として、かれらに身をすり寄せることではないだろう。自分自身、自分の主体の上にしっかりと立つこと、アイヌでもなく、部落出身でもなく、自分自身として選びとり、自分が定義した少数者として、自身のアイデンディティを明らかにし、そこに拠ることなのである。(P81~82)

「おちこぼれる」「降りる」は本書の鍵言葉である。強者・多数者集団からおちこぼれる、強者・多数者が暗黙のうちに了解している生き方から降りることに積極的な意味をもたせている。著者は自らを「おちこぼれ」と評し、「多数者になることを避けてきた」といっているが(P3,13,14)、それはともかく「みずからに対する加害者」になることが強調され(P47~61,85)、この「容易ならぬ投企」には「多数者の行動とは無関係に、自分一個で選ぶべき、行動の規範。そこで個人は孤独であっても、なおかつ自分の生をかけてそこに依拠すべきなにものか」としての大義、志が必要とされる(P85)。かくして「おちこぼれ」=少数者としての自己は、加害・多数・強者・(差別)の集団から離脱して、被害・少数・弱者・(被差別)の集団と対等になるというのである。
 話がうまくゆきすぎるという気がしないでもない。自らを加害者・多数者・強者・(差別者)として、まるごと規定してしまうことの危うさもさりながら、大義、志といっても持続がむつかしいし、強者・多数者集団のなかの弱者・少数者集団へと帰属(意識)が転回されたとしても、はたしてそれで大枠の弱者・少数者集団と、対等のそれこそ地平を獲得することは可能なのかという疑問もわく。
 やはりわたしは、多少のフンバリはあるにしても気がつけば逸脱していた、ズレていたという感じでありたい。課題・問題に向き合い、加害-被害、多数-少数、強者-弱者、差別-被差別の関係を凝視しつつ、人間存在もしくは「自分とは何者か」「自分にとって他者とはなにか」を考えつづけるしかないのではと思っている。それがひょっとすると「自己にたいする加害」となり、多数者のなかの少数者への道につながるのかもしれないけれど、それはまあ結果としてそうなるのであって、自覚的主体的にといわれると、いささか尻ごみしてしまう。

3.
 本書のいまひとつの鍵言葉は被害者願望である。日本人の被害者願望を「コメとクジラ」「原爆被害」「南の島々における戦没者慰霊」などに例をとり、

自分たちを被害者と規定する立場からは、加害者としての自分のすがたは見えにくい。…被害者意識、弱者意識においたてられて、一生懸命やっているうちに、いつの間にか(知らないうちに)強者=加害者の立場に移ってしまっていた。しかし自分たちを被害者にみたてる心理は、たやすくは消えうせない。

という(P55~56)。これは一応「日本人の」という限定つきだが、著者は被害・少数・弱者・(被差別)の集団における被害者願望も見逃さない。だから「踏まれた者の痛みは踏まれた者にしかわからない」という感情表白はひとつの真実をついた考えととらえつつ(P188)、しかし「その叫びは『世界の多くの、異なった事情のもとにある差別』の内実を、理解(想像)することを拒否する、自閉的な立場」として、これを退けるのである(P94)。被害者願望にもとづく被害者多数の「なれあい」、内外に差別を増殖する被差別部落民の問題とあわせて(P104)、やっと著者が「内の問題」として考えているものの全体像を、わたしなりにおぼろげながら理解できたように思う。そして被差別部落民、部落解放運動にたいする問題提起をもう一度整理すると次のようになる。

①部落差別は無根拠に、恣意的に成立しているのだから、「差別のいわれ」にこだわらず、社会的な営みのなかで共に解決してゆくべきである。
②「差別をなくす」=同和=多数者への同化をめざすことは不毛であり、敵を見誤っている。
③被差別部落の人びとは、部落解放運動を人権運動へと普遍化するとともに、あくまで少数者として自らの帰属(意識)を前面に押しだし、多数者になれあわず、少数者との連帯をもとめるべきだ。

 少数者・異端のままでの解放状態を主張する著者の根底には「部落民としての帰属意識を明瞭にもち、それにたじろがず、その同一性をもとにして闘争することを宣言した」水平社があり、そこからストレートに著者の被差別部落民像が出てきているようである。

根本には、被差別部落の人たちが、ふつうの日本人とは、アイデンティティ、帰属意識を異にする実在であることが、前提になっている。そしてまた、その人たちがめざす、被差別部落解放のたたかいとは、日本と日本人とを、現在とはちがったかたちに変容させるための、種々の困難な実践活動である…。これをひとことでいえば、「私は部落民系の日本人です」ということを、誇りをもってだれにでもいえるような、そういう社会に日本をつくりかえてゆくことを願い、めざしてたたかうという思いが、この「異叛」の二字にこめられるだろう…。(P187 ~188)
被差別部落の人びとは、普通の日本人とちがった目で人生を見、社会を見、大きくいえば、独特の宇宙観(コスモロジー)をもっている。(P188)
被差別部落300 万の人びとが、特異な「異叛」の感性と知性にもとづいて、この国に寄与する可能性は、莫大である。これまで、その可能性は、「同和」の旗印によって、燃えあがることを阻まれ、ただ燻りつづけてきただけなのではないか…。(P195)

こうした著者の被差別部落民像はさらに

普通の日本人には感じ取りにくい、差別をうける痛みを、心の底からよく理解 できる人びと──かれらこそが、今後の人間社会における、差別とたたかう継続的な実践において、もっとも力を発揮し、他の人びとの先頭に立ってゆく運動主体であることは、論理的に明白である。(P189)

といった被差別者像にまで拡大される。しかし、わたしは著者のこれらの論断についてゆけそうにない。「論理的に」とは意味深長だ。それを差し引いても、かつて労働者階級、プロレタリアート、もしくは植民地・半植民地人民に、解放の主体をもとめたのと同じような「まるごと規定」の危うさがここにも露呈しているように思えてならないのである。
 「人の世の冷たさがどんなに冷たいか、人間をいたわることがなんであるかをよく知っている吾々は、心から人生の熱と光を願求礼賛する」と、たしかに水平社宣言にはある。そして、わたしは学生時代いらい、この水平社宣言の思想を理論や理屈の上ではなく血肉化している幾多の人びとに出会ってきた。世間の虚飾から自由で、たくましく、それでいてあたたかい、人情味あふれた人びととの出会いがあったればこそ、途中下車前途無効にならずにすんだともいえる。
 にもかかわらず著者のように被差別部落民に独特の宇宙観、特異な感性と知性があると概括的にいうことは、いまのわたしにはできない。なぜなら被差別部落民としての帰属意識、アイデンティティの稀薄化がこの30年間のうちに急速に進行しているからだ。共同体的な紐帯の弛緩は都市部落、農村部落を通じてひろがり、それにともなって共通感情も明らかに減退している。被差別部落民をひとくくりに「まるごと規定」し、特有のなにものかを見定めることがそもそも困難になっているのである。被差別部落民として自己を位置づけることの意味があらためて問い返されているのも、そのためなのだ(今岡順二・中島久恵・灘本昌久・山城弘敬・山本尚友「部落青年のアイデンティティー──その過去・現在・未来──」、『こぺる』No.130 .津田ヒトミ「アイデンティティを求めて」、『全国交流会通信』つだバージョンNo.1 ~4 など)。このような状況のなかで、これまでの帰属意識、共同体意識の再生、蘇生をいくら追求しても、その先は行き止りのように思われる。だから著者も新たな帰属意識の発掘が部落解放運動の目標転換にとって不可欠だというのだが(P204)、それがいかなる内容をふくむのか、読みとれない。
 わたしは、被差別部落民としての資格・立場の対象化、相対化からしか、なにごともはじまらぬと考えている。資格・立場の固定化、絶対化を横に置いていては新たなアイデンティティの発掘や創造は問題にもならない。

4.
 「(被差別部落民が)胸をはって異叛の立場で生活できる社会の到来をめざす運動」「さまざまに異なった帰属意識をもった人びとがその意識にしたがって生活することを積極的に助けあう社会をつくり出す運動」へと部落解放運動が転換されるとき、「現在の差別主体から、なれあいを拒否して離脱してくる、いろいろの主張をもった、多くの小さな少数者集団(外側)は、被差別主体によって作られた、種々の反差別運動にかかわる少数者と同列にならび、ゆるい連帯のなかで各々の主体性を失うことなく、ともに進むことができるであろう」と、著者はいう(P204)。それはまた「外側からと内側からとのあいだの、少数者であるという所属意識に支えられたネットワーク」であり(P213)、このネットワークでは「絶えず現れてくる、新しい形の少数者への差別と、不断にたたかって行くこと」が期待される(P205)。これが著者が展望する「両側からこえる」運動と組織のイメージである。
 これを読みながら、テレビで見た、北米黒人の公民権運動のなかで手をとりあって行進する黒人と白人の姿を思い浮べていた。著者の一語一語にうなづきはするものの、ひるがえって部落解放運動の現状を見ると、どこから、なにから手をつけてよいかわからず、ともすれば暗然とした気持になる。
 さりとて手をこまねいているわけにもゆかない。それぞれの場で組織と組織、集団と集団ではなく、個人と個人とのつながりを基本に、著者のいうネットワークをつくる努力をするほかあるまい。わたし自身は、岐阜の太平天国社や部落問題全国交流会を通じて、両側から超える道を模索している。わたしや友人たちに少数者としての所属(帰属)意識があるかどうか定かでないけれど、まがうかたなき少数者であり、天国社も交流会も不定形の集合体にすぎない。しかし、こんな集りだからかえって両側からヨイショッと超えるのではなく、「超えてしまっている関係」が自然に生れるのではないかと思っている。
 魅力的な論点に教えられるところが多く、本書によって、充分煮つまっていなかった考えの輪郭をはっきりさせることができたといえるが、著者の意見はまだ腹に納まりきってはいない。しかし、こうして部落解放運動の目標転換と新たな組織のイメージが提示されたのだから、著者の意欲的な問題意識に学んで論議をさらに深めるべく、わたしも精々思索と実践に努めることにしたい。(完)

《 各地からの便り 》
いろいろと考えさせられる問題提起の書
F・K(島根)

 No.29に紹介のあった柴谷篤弘著『反差別論』を買い求めました。私にはいささかならずむずかしい著書でしたが、いろいろと考えさせられる問題提起があったと思います。特に「われわれにとって部落解放とは招来せられるべき状態でもなければ、現実が指向すべき理想でもない。われわれにとってそれは、現状を廃絶しようとする現実の運動である」などその一つです。先生の太平天国社での毎月の運動が思い浮びました。/ところで、去る12月15日岡山市で開催された集会に著者の柴谷さんや、師岡佑行さん、日高六郎さんの講演、パネル・ディスカッションがあるのを知り、休みをとって出かけました。そこで論議された点をあげますと、1.実態の改善と差別意識の解消は、バラレルには結びつかない。2.「同和」という概念、それによる運動は、他の被差別グループを差別する結果をもたらすおそれがある。3.「水平社宣言」にあるアイデンティテイがこれからの運動に大きな意義をもつ。4.糾弾には、やさしさが必要、などです。出かけていったかいはあったと思います。

《 お知らせ 》

 本誌No.28,29で紹介した「授業:言葉と人間」の主宰者・工藤力男さんが、学生の感想文・レポート、授業者のコメントを集めてそのつど出してこられた通信『修羅』が合本になりました(B5版92頁.無料)。残部が少々ありますので、ご希望の方は〒501-11 岐阜市柳戸1-1 岐阜大学教育学部 工藤力男さんまで申し込んでください。『修羅』合本がお手元に届いた段階で郵送料210 円を送ってくださればよいとのことです。

《 あとがき 》

*前号は誤植がいくつかありました。6 頁13行目の被岸は彼岸、8 頁下から4 行目の12月2 日は12月21日です。他は御免蒙ります
*京都部落史研究所の研究例会(3月31日PM2)で柴谷さんが「部落差別の根拠と無根拠」の題で報告されます。わたしも出かける予定です
*2 月5 日から2 月17日まで大阪(3)、三重、京都(2)、福岡(2)の8 人の方から計33,480円の切手、カンパをいただきました。ありがとうございます
*本『通信』の連絡先は〒501-11岐阜市西改田字川向 藤田敬一です。

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