同和はこわい考通信 No.28 1989.10.16. 発行者・藤田敬一

《 報告 》
人権を考える教育の試み
工 藤 力 男
 我が十年越しの夢が、この四月、少し形を変えて同僚の協力で実現した。岐阜大学教育学部に「国語」の一つとして開講されたもので、題して「言葉と人間」。

 世界人権宣言から41年、人々の人権意識は確実に高まっている。しかし、さながら医学の進歩によって新しい病気が発見されるように、人権意識の高まりによって、従来見えなかった人権侵害もあらわになってくる。また、技術や経済の発達と社会の複雑化にともなって、新たな人権問題も生じている。
 岐阜市のある中学校では、生徒は掃除の時間に口をきくことが禁じられ、膝に傷を作りながら床やアスファルトの廊下をこすっている。大垣市の中学生は父母が伴なわなければ映画館に入ることができない。これはほんの一端、いま最も著しく人権を侵害されているのはこどもたちではないか。わたしはその現実を、「学校の光景」と題して『幻野通信』3~9号に書いたが、かかる学校の教員の多くが、残念ながら自分が禄をはむ大学の卒業生なのである。

教員養成学部でありながら、同和教育の「ど」もない岐阜大学教育学部の無慚な姿と、その構成メンバーでありながら、なにごともなしえていない、わたしの無力さが問われなければならないが、

 藤田敬一氏が『同和はこわい考』にこう書いているように(p.14) 、わが学部に同和教育の授業は無い。

*わずかに昨年から、「教員養成実地指導」の一環として、4時間の「人権教育特別講義(同和教育を含む)」を外部講師に依頼して始めただけである。ちなみに、昨年の受講者は30人ほどであった。対象学生のうち、4年生に出席を期待するのは難しいとしても、3年生の1割に満たなかったことになる。

 かつて、それを嘆く藤田氏に、わたしはその実施を勧めたことがあるが、部落問題に限定せず人間全体にわたらなければ意味がない、というのが氏の返事であった。氏が考えている形は、わたし自身、ながねん暖めていた自主講座「人間」の構想でもあったが、当世の学生を相手にして、そんな計画は絵空事にすぎない。かくて、実現の見込みなきままに時は過ぎた。
 昨夏、この話を某氏に漏らすと、自主講座には学生が集まらないだろうというなら、正規の授業に建てたらいい、と言われた。そうだ、単位を与える授業にすればいいのだ。どうしてそんなわかりきった事に気づかなかったのだろう。

 この隘路が開かれると、事は急速に具体化に向かった。教育学部の小学校課程の学生は、8教科に開講される教科専門科目のうち、6教科16単位を取得しなければならない。その国語の科目の1つにこれを建てようというのである。幸い、同僚7人の協力が得られることになり、翌年の開講に向けて準備が進められた。講義内容を検討し、ビデオ資料を集め、授業の進め方を模索した。新年度、3年生に配られる授業案内には、次のように紹介、いな宣伝した。

 国語学各論(2単位 工藤 木曜日 第4限)
「言葉と人間」 言葉と人間とのかかわりを中心に、民族、国家、性、部落差別などの多彩な問題を取り上げ、映画やビデオ資料を使いながら、学部内から講師を招聘して学際的な授業を展開する。多数の学生の受講を望む。

約半分の時間は協力者それぞれが、専門領域あるいは関心ある主題によって講義し、残る時間はわたしが、言葉の面から人権の問題を論ずるというのである。
 この計画については、昨冬から随時、B5判4ページ平均の『修羅――授業《言葉と人間》通信――』を発行して、関係者と協力者とに配布している。現在、14号に達しているこの通信の紙名は、宮沢賢治『春と修羅』第一集の「いかりのにがさまた青さ/四月の気層のひかりの底を/つばきし はぎしりゆききする/おれはひとりの修羅なのだ」によっている。
 4月13日、いよいよ開講。何人出席するだろうかと不安をいだきながら、とりあえず資料は15部だけ用意して、わたしは教室に向かった。もし2倍の学生がいても、もやいで読んでもらうつもりであったが、階段教室は8割がた埋まっていたのには驚いた。同席してくれた藤田氏に急遽追加印刷を頼んで、どうにか切り抜けたのであった。
 今学期は休日が多くて13回しか講義できないが、学生は、その内の任意の3つの講義についての感想を次の時間に提出し、単位が必要なら学期末にまとめのリポートを提出する。――これだけの条件が学生に示された。講義の終わりに提出された受講届は85枚、対象学生の4分の1が受講の意思を表明したのである。ただ、男子は5名だけであった。
 以下に、今学期実施された授業の概略を紹介しよう。

 第1回 序章=言葉と人間:わたしは、民族・人種・国民の違いに着目して、民族意識の中核は言語であることを語り、次いで、世界人権宣言と世界諸国の憲法を示し、日本国憲法には言語の条項がないが、日本にも他民族が生活している現実に目を向けさせた。
 第2回 職業と人権(伊東久之氏):伊東氏は、家船・山窩・ササラといった職業に対する強い差別意識、盛花もりばなによって縁談の仲人などが差別を助長していること、人権の侵害が職業に絡んで生まれた言葉があることを、4つのフィールドノートによって考えさせた。学生たちにとって、そうした言葉はいずれも初耳で、差別の根の深さを改めて知ったようだ。
 第3回 アイヌ・やまと:わたしは、近代のアイヌが置かれた状況を各種の統計で示し、近年の新聞記事でアイヌの現状把握に努め、アイヌ作家鳩沢佐美夫の遺稿断片に関わる寿岳章子氏の感想を紹介した。そして、東京で開かれた第1回アイヌ語弁論大会と、それを企画したアイヌ一家とその周辺を追ったTBSの「報道特集」(1989.3.5)の録画を見せた。そのアイヌ・豊岡さんの「言葉さえあれば、アイヌ文化は守れる」という発言に、多くの学生の心が共鳴した。
 第4回 沖縄・やまと:わたしは、沖縄返還協定批准国会を妨害した沖縄青年の、法廷における沖縄語による抵抗を、50年前に強引な標準語政策を採った沖縄県学務部と日本民芸協会との論争に絡めて、言語差別について話した。その強制のために使われた方言札が、英国でもウェールズ語禁止に使われた事実を、英国BBC制作の「幻の民・ケルト人」(NHKの放送から録画)で見た。
 第5回 朝鮮と日本語:わたしは、日朝関係史を略述し、日本統治時代の皇民化政策を、創氏改名・日本語強制を中心に語り、高史明コ サミョン氏の『生きることの意味――ある少年の生い立ち』、同氏「失われた言葉――高校教科書に掲載予定の作品が検定で落とされて」(毎日新聞1989.11.5 )などの資料を用いた。さらに、「ドキュメント日本列島 オモニナラ・母の国――金剛学園の修学旅行」(NHK 1984.12放送)の録画を見せた。肉親と言葉の通じない悲しさの映像は衝撃的であった。
 第6回 障害者と人権(小川克正氏):小川氏は、授業参加者全員に点字を実際に書かせ、その体験を障害者問題を広く考える手がかりにさせようとした。点字の特性の説明を聞き、下書きの原稿に従って、フェルトペンで墨点字を入れるというものだが、メという音節は、視覚障害者が最も切実に欲しているものだから、6つの点全部を使うのだという話は、学生たちに大きな感動を呼んだ。
 第7回 教育とこどもの人権(神田光啓氏):神田氏は、主題を「言葉と教育関係」と設定し、学生の体罰体験と氏自身による調査によって体罰を考えさせ、生活綴り方教育を使うことによって、人間の尊さを追求することの必要を説いた。
 第8回 性差別をめぐって:わたしは、国語辞典の語義記述や用例における女性蔑視、「主人」という言葉をどう考えるか、夫婦別姓をめぐる問題、現代の俗謡における女の姿、女性が職業を持つことの意味などを、遠藤織枝、寿岳章子、鹿島 敬氏の著書をもとに考えさせた。翌週提出されたリポートは43編。女子学生たちの、やがて社会に出て受けるに違いない差別の予感が察せられる。
 第9回 宗教と人権(栗山義信氏):栗山氏は、迷信と宗教との違い、善行と宗教とのかかわり、宗教は消極的な生き方をもたらすかなどについて、親鸞の悪人正機説、岐阜盲学校設立者森巻耳に関する文章、粟津キヨ『光に向かって咲け──斎藤百合の生涯──』(岩波新書)などを引いて語った。その上で、NTV8から差別戒名の録画を見、水平社宣言と決議(1922年)を読み、差別語はいかなる時に使って良いかを考えさせた。VTRでの水上勉氏の言葉「差別戒名を感謝して受け取った人たちにこそ仏がいる」は、学生たちの心に深く刻まれたようだ。
 第10、11回 部落差別について 1,2(藤田敬一氏):わたし以上にこの講義の実現を待望していたに違いない藤田氏が、用意した資料は11枚。200分の時間を大幅に越え、差別一般を視野に収めた講義は要約しにくいが、おおよそ次のようであった。①差別とはなにか:紀伊国屋書店の女子店員採用基準の文書にあるブス・チビ・カッペなどから。②差別と言葉:映画やテレビ劇の制作者が、「店賃四つ」「火事は川向」を自己規制した姿勢を批判する花沢徳衛氏の文章など。③差別・人権問題と「わたし」:滋賀県木之本での体験から、エピソードと原体験の差など。④31年前の思い出から:被差別部落の生活実態の改善―同和対策事業の推進など。⑤差別実態について:みえにくい、みえない、知らされない、みない。⑥差別意識のありよう:岐阜大学学生レポートから、伝聞に基づくマイナスイメージの形成など。⑦いま、求められていること:被差別者の思いに耳を傾け、知る努力を。人間に対するまなざしの問題など。
 第12回 環境と人間(杉原利治氏):杉原氏は、責任を曖昧にした「公害」という言葉の問題からはいり、VTR「水俣病――その20年――」によって水俣病とその周辺を考え、加害者と被害者とが直接に見えない環境問題の例として長良川河口堰を取り上げた。社会科の時間に簡単に触れただけの水俣病の映像は、学生たちに衝撃を与えた。おりしも東京での世界環境会議と重なる日程になった。
 第13回 終章=天皇制の言語学的考察:わたしは、17世紀から日清戦争後までの「民衆の天皇観の変遷」をたどり、「昭和天皇の日本語」を論評し、「明治憲法制定史に見る天皇を表わす言葉」の意味を考え、「元号の意味」を語った。

 以上の講義概略を見てわかるように、みなさんが講義題目に義理だてして、言葉の問題に引き付けて論じてくれたことに対しては、感謝の言葉もない。

 学生のリポートは各講義平均20編、彼らがそれぞれの講義をいかに受け取り、いかに考えたかを知るべく、それを読むのがこよない楽しみなのだが、そのうちの特色あるものは、授業担当者の感想を添えて『修羅』に掲載している。3回の必要条件を越えて提出した学生もすでに23人ある。まとめのリポートで彼らの思索がどのように深まっているか、締切日が待たれる。
 先日、授業担当者の座談会でいくつかの問題点が指摘された。これを改善して、来年度はいっそう充実した授業を展開したいと思っている。最大の問題点は語るべき事柄に比べて時間が少なく、学生と十分話しあえないことである。これを1学期でやろうとすることがどだい無理なのである。
 この授業の構想は、はじめ、林竹二氏の授業「人間」、古在由重氏の哲学の学習塾、宇井純氏の自主講座「公害原論」などが刺激になって芽生えた。だから、これが大学の門を出て市民の中に入ってゆき、東京豊島区の地域福祉研究会〈ゆきわりそう〉がやっている「人間塾」のように根付くことこそが、わたしの本来の夢なのである。
 とまれ、今わたしは、多くの学生の真剣なまなざしに接しえた喜びと、心やさしい同僚に恵まれた幸せをかみしめながら、来年度の授業計画を練り始めている。

コメント.
 わたしも2コマ持たせてもらった授業「言葉と人間」の主宰者、工藤さんに、この授業の成立ち、内容、半年の授業の感想を書いていただきました。
 同和教育の「ど」もないという岐阜大学教育学部の状況に、その後なんの変化もありません。こんなことをいうと、またもや「そりゃーないんじゃないかな」と揶揄されそうですが、事実だからしかたがない。
 なにもわたしはこれでよいと思っていたわけではありません。一年に四時間だけ回ってくる社会科教育法の講義で部落問題にふれたりはしてきました。『こわい考』で紹介した学生のレポートを教授会で読みあげるなど、それなりにアタックもしてみたのですが、いかんせんわたしの話に説得力がなかったのか、ごく少数の人びとが関心を寄せてくれただけでした。運動団体から、なぜ同和教育の講座がないのか、講座を開く準備はないのかとたずねられるたびに、あのレポートを聞いても表情を変えなかった同僚の面々を思い出し、なんとも答えようがなく、言葉を濁していたのです。わたしはほとんどあきらめかけていました。そんなときに工藤さんからお話があった。あれもこれもと考えて結局中途半端な授業しかできなかったのですが、学生たちに考えるヒントをいくらか提供できたのではないかと思っています。
 一週間におよそ三百数十コマほど開かれる講義の中の一つ、必修科目でもなんでもない授業がなにになるのかという人がいるかもしれない。しかし授業「言葉と人間」が開講されたことは画期的です。なにより上から網を大きく打たれてはじまったのではなく、工藤さんが主唱し、数名の教員が協力したというのが、なんともいえず好ましい。専門店や百貨店に太刀打ちできないかもしれないけれど、露店には露店の味がある。「言葉と人間」、「差別と人間」をめぐって、ささやかであれ教員と学生との間に生まれた交流の芽を大切したい。

《 各地からの便り 》
その1.全国交流会に参加して
O・S(大阪)
 …私が参加したのは第2分科会「差別とことば」でしたが、議論の中心になったのは「バカチョンカメラ」でした。問題提起の中で、「バカチョン」のチョンは、元々朝鮮人の蔑称ではなかったという話があったのに対して、やはりそのことで傷つく人がいるという現実があるとの意見が出ていました。傷つく人がいる限り、そのことばを用いないほうがよいのではないか、ということです。
 その話を聞いていて、あることばに「傷つく」人がいるかいないかの判断は、絶対的に決められないのではないかと思いました。傷つく人がいるのならやめようということなら、極端な話、今使っていることばのうちのどのくらいが残るのか、疑問に思います。また、傷つく人が100 人なら使わない、1人だったら使ってもよい、ということでもないでしょう。
 これは「バカチョン」とは、レベルのちがう例かもしれませんが、私は中学時代、友達から「まじめやね」とか「かしこいね」とか言われるのがとてもいやでした。そのことば自体、常識からいうと“ほめことば”に当たるものかもしれませんが、中学生同士の中では、それらは「あんたは、私らとちがうねんよ」というニュアンスで用いられていました(今でも、中学生や高校生は人から「まじめ」と言われるのを、きっときらっていると思います)。言った本人はほめたつもりだったかもしれませんが、その言葉を受け取った私は「仲間でない」とほのめかされたようで、傷つきました。ことばは、使い方や受け取り方、使われる場の雰囲気によってどうにでも変わるような気がします。使う、使わないということよりも、結局はお互いの思いやりが肝心なのではないかと思います(こんな意見は何の解決にもならないかもしれませんが…)。
 ところで全国交流会について、あつかましくも私の希望を少し述べさせていただきます。「一切の資格を問わない」のが趣旨だとするなら、解放運動のことを全く知らない人が部落の人たちと自由に意見交換できる場(分科会)を設けていただけないものでしょうか。交流会のレジュメなどを見ても、やはり解放運動に何らかのかかわりのある人でないとわかりにくい内容になっていると思います。私としては「両側から超える」の「両側」は「解放運動」という枠の中にあるものとは考えていないので、そういう場も意義あるものだと思うのですが…

コメント.
 昨年の交流会にも参加され「来年は自腹を切って」とお便りをくださった方です。「人見知りする性格が災いして、何かの成果を得たとは言いがたい結果に終わってしまいましたが、今年も参加できてよかったと思っています」とありました。そうですね、目にみえる成果がないのがこの交流会の特徴で、参加された方に物足りなさを感じさせたかもしれません。しかも多様な人びとが参加され、関心や問題意識もさまざまですから、なかなか一本にまとまりにくいということもあります。けれどもOさんの提案をふくめ、来年の交流会がもっと充実したものになるよう考えてみます。

その2.納得できなければ動かんと決めています
I・H(京都)
 『同和はこわい考』通信を頂き始めてはや1年半ほどになります。郵便受けの鍵を開ける度に、この通信または『こぺる』を発見することが楽しみとなっています。それは、『同和はこわい考』を初めて読んだときに10年以上に亙る憂欝な疑問が一気に解決されましたが、そのときの<納得>が毎号展開されているからです。『こぺる』には誌代を払っていますが、こちらには郵便代も払わずに来て、本当に申し訳なく思っています。郵便振替で誌代を払うことは容易ですが、コメントを付けて、限定されない誌代をお送りすることは、まことにしんどい事です。そのうち立派な手紙を差上げようと思いながら時が流れ、最近は、このままでは止められてしまう不安を感じ、取り敢えず心ばかりのカンパを添えお礼の手紙を差上げるしだいです。
 第6回部落問題全国交流会に参加しました。阿部先生の講演、ドイツの森の話は楽しいものでした。「あかずきん」や、「白雪姫」の森の恐さを僕の子供たちの感性で想像してみました。また、小宇宙と外の世界にまたがる者への畏怖と、これが差別へ転換することの不思議についてなど、僕は随分前から師岡さんや横井清さんの部落差別起源論についてのお仕事に期待している事柄です。多くの感想を綴る能力はありませんが、阿部先生の言葉のなかで「歴史的差別」ということが印象に残っています。部落差別を歴史的差別として振り返ってみるときが来るのでしょうか。
 第3分科会。山本尚友さんの、「二次的差別」の考え方など切れ味の良い分析は、溜飲が下がる思いで聞きました。「ゴキブリ退治」の問題から、部落がなくなることの危機感に至るまで同和行政に対する大胆な切り込みに驚きました。
 一月以上過ぎてメモを見ながら感想を書こうとする怠惰を恥じ入るばかりです。僕は狭山闘争を休止したあと、今になって急に労働運動の現場に引き出されました。諦め切ったつもりでいた労働運動の最悪の局面で現場に出ていますが、やはり先は真暗闇です。今迄の考え方から、労働者の利益の為という視点で労働戦線問題を見るとき、明るい展望はありません。さらに六月の天安門事件、ボートで脱出する中国の人々、社会主義に背を向けてハンガリーから「西」へ出ていくドイツの若者。僕は全てスターリニズムが悪いんだという考えを捨ててから久しいのですが、今、全てを真剣に考え直さなければ、何もできないときだと思います。僕は労働運動で、周りがどんな動きをしていようとも、自分の頭で考えて納得が出来なければ動かんと決めています。…

コメント.
 「限定されない誌代」というのは傑作ですね。この2 年4 カ月の間、転居先不明で発送を中止したのが2 通、読んでいただかなくて結構とこちらからお断りしたのはわずかに2 通ですので、「もういらん」といわれないかぎり、発送ヤメにすることはまずないといってよろしい。お便りをもらうと嬉しいし、切手・カンパを送ってもらえば正直いって助かります。しかし、この『通信』は、わたしが勝手に出して送りつけているにすぎません。“誰に遠慮がいるものか”を地でいってますので、どうか負担に感じないでください。

《 紹介 》
☆京都部落史研究所『こぺる』特集“『同和はこわい考』をめぐって”14、15.
 山城弘敬「差別糾弾の有効性について」(No.141.89/9)
 稲垣有一「同和教育における学力保障」(No.142.89/10)

《 あとがき 》
*先日、島根に出かけたのですが、『破戒』を読んで感想文を書き、その上で講師の話を聞くという猛烈な研修会があり、驚きました
*新潮文庫『破戒』は発行いらい374 万4000部のロングセラーとのこと。ただ数年前まで『破戒』は、太宰治『人間失格』、夏目漱石『こころ』についで三位だったのが、最近は武者小路実篤『友情』に抜かれています。あまり読まれなくなっているのでしょうか
*9月9日から9月23日まで、岐阜、三重、東京(2)、大阪、兵庫、愛知、京都の8 人の方から計24,448円の切手、カンパをいただきました。ほんとにありがとうございます
*本『通信』の連絡先は〒501-11 岐阜市西改田字川向 藤田敬一です。

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