同和はこわい考通信 No.21 1989.2.22. 発行者・藤田敬一

《 採録 》
連帯の思想-「同和はこわい考」に思う(無署名)
 (「日本を考える」第26号.1988.12.朝鮮民主主義人民共和国平壌市.)
はじめに
 今年に入ってある雑誌で「同和はこわい考」をめぐって論議が続けられて来た。(略)最初この題名を聞いて、政府側の宣伝書かと思った。政府が攻撃をかけている時期だけに、その意図はどうあれ「同和はこわい」宣伝ともなりうるようなこの題名は一考を要すると思う。
 それはともかくこの本は、「同和問題はこわい問題」「面倒な問題」であり「避けた方が良い」と感じている人は決して少なくない、だから政府の言い分が一定の説得力をもってくる、それゆえ部落解放運動自体の再検討が必要ではないかという認識から出発して書かれたとされている。当然ながら論議もこの点に集中している。
 「同和はこわい」意識論議、差別問題についてはまた後の機会に譲るとして、ここではまず部落解放運動への支援、連帯に取り組む態度、その思想について考えてみた。/「同和はこわい考」の筆者である藤田敬一氏は学生時代から長らく部落解放運動に携わって来られた方と言う。この著書では「随伴者にすぎぬ自分」についての総括が述べられている。自らの中に深く潜んでいる「同和はこわい」意識という筆者の問題意識も今までに自身の部落解放運動にたいする取り組み方の総括として提起されている。また数多くの「同和はこわい考」論議のなかで、連帯の思想そのものについて触れたのはあまりなかったように思うので、この側面から考えてみるのも必要ではないかと思う。また政府当局の「同和はこわい」宣伝も部落人民と部落外人民との間に対立を煽り、分裂を図るものであるだけに我々が連帯の思想をしっかりもつことが重要だと思う。

まず共感し、共通の立場に
 「部落ママはこわい考」には部落外出身者の部落解放運動へのかかわり方について 「部落外出身者が部落解放運動(同盟)に拝跪してしまってはいけない。運動の中での自立が、いま問われている」とある。筆者は自己の運動へのかかわり方を総括しながら次のように述べておられる。
 「わたしは長いあいだ、ずっと、部落解放運動とは部落民自身の運動であると考え部落外出身者としてのかかわり方は、どうなければならぬのか、実のところ、よくわからなかったのです。」「しだいに、わたしは随伴者にすぎなぬ自分に疲れはて“このままいけば、部落外出身者にとって、部落解放運動、もしくは部落解放同盟とのかかわりの問題は、おそらく、なんの成果もあげることなく、『挫折と不信』の中にうもれてしまいかねないように思われる”と音をあげはじめていた」
 筆者は学生時代の「おまえは部落の娘と結婚できるか」との問いに答えられなかったこと、狭山事件にかんする不注意な表現で糾弾されそうになったこと、部落の児童から成績の悪いのも差別の結果だと聞き違和感を感じたことなど、支援、連帯運動の自己の体験から差別者-被差別者の関係を越えられないことに「疲れ」を感じていると吐露されている。この原因が自らの差別意識にあるとともに部落解放運動自体にもあるのではないかと問題提起している。
 ここでまず、連帯する主体の側から「部落外出身者」は「差別側の立場のもの」「差別者」という「差別者意識」をどう克服するか、どうしたら真の連帯が生まれるのか、こうした問題提起を考えてみたい。女性差別にしろ民族差別にしろ、その当事者以外の人が差別問題に接する時、往々にしてこの種の問題にぶつかるものと思う。我々もチョソンに来た当初、にたような感情を経験した。革命博物館に行っても抗日闘争の映画を見ても日本人がいかにチョソン人民を蔑視し、略奪し、虐殺してきたのか、抑圧民族としての父や母の世代の日本人の姿を見ると同じ民族として複雑な気持ちになる。そして今日も在日チョソン人への民族蔑視、差別は続き、共和国に対しては「北はこわい」敵視感情が煽られている。日本民族は加害者であり、抑圧民族である。民族としてみれば自分もその一員であり、日本民族としては加害者である。/「自己否定」ということが全共闘運動はなやかなりしころ言われた。大学生という特権階層、将来ブルジョアジーに奉仕して一定の出世を狙う存在、そんな「内なる自己」を否定するというものだったと思う。ではチョソン民族の前に抑圧民族である日本人だということを恥じ入り、日本人を否定するのか。チョソン人民に日本人民であることを謝罪、贖罪すればいいのか。チョソン人民と日本人民としては連帯できないのか。(略)
 まず共通の立場に立つこと、これが連帯の思想の核ではないかと思う。上の例で言えば日本人民もたとえ抑圧民族とは言え、日本軍国主義支配の下で自由を奪われ抑圧を受けた人民だ。だからチョソン人民の受けた迫害を自身へのことのように共感できる。日本軍国主義は過去も今日も日朝人民の共通の敵である。だから互いに固く連帯する。これが支援、連帯の出発点であり、前提ではないだろうか。
 ここには両者間に日本軍国主義への怒りと被抑圧者、人民としての共感がある。この共感なくして支援、連帯の感情も出てこないのではないだろうか。この共感は単なる同情や加害者意識から生まれないと思う。なぜなら加害者であることに「負い目」を感じるということ、それは「相手とは違う」という自覚、部外者のものである。部外者の立場からは絶対に共感は出てこない。わがことと同様に感じてこそ共感と言える。他人事と思えば感情を共にすることもできないし、心からの連帯の感情もわいてこないと思う。他人事ならせいぜいが同情、義務感どまりになる。自分のものにはならない。だから同情、義務感からでは連帯運動もしんどくなるのではないだろうか。
 では部落差別ママへの支援、連帯はどうだろうか。同じことだと思う。部落外の人間は確かに差別の痛みを身をもって知ることは難しいかもしれない。植民地統治下のチョソン人民が自分の言語、名前まで奪われたという、その民族としての屈辱感を我々、日本人が身をもって知ることが簡単でないのとそれは同じだと思う。しかしだからと言って差別の痛みをわがことのように共感することはできないのだろうか。日本人は日本軍国主義から受けたチョソンの人々の民族的屈辱はなかなか実感できないかもしれない。しかし当時、軍国主義ファシズム下でのあらゆる人権抹殺の苦しみは誰よりもわかる。また自分の肉親の戦死が全く無意味であるばかりか、「侵略者」「鬼子」の汚名をぬぐえないということは、どれほど無念かつ痛恨事であることか。民族的にしろ、階級的にしろ自主性の蹂躙を受けている点においては同じだ。蹂躙の内容、程度の差はあれ、人間としての生命、自主性を蹂躙されていることに変わりはない。だから同じく日本軍国主義支配によってチョソン人民の受けた屈辱は自分の受けた苦しみを通じて共感できる。軍国主義の支配を知る日本人はチョソン人民がどれだけひどい蔑み、虐待を受けていたのか、自身の体験を通してより認識、共感を深めるだろう。自分が自主性を蹂躙されているのに無自覚であれば、そのことがどれほど人間として屈辱的なこともかも、それが絶対許されてはならないものであるかも感じないだろう。
 部落人民への共感も同じだと思う。部落差別は今日の自民党政権下での独占資本の支配によっていまだ放置され、利用されているものである。同じく自民党政権下で労働者やその他の日本人民もそれぞれ自主性を蹂躙されている。部落人民との連帯の根拠もまさにここにあるのではないだろうか。共通の敵によって自らの自主性が蹂躙されていること、この自覚から、部落差別の苦しみに共感できる。部落人民の人権蹂躙についても自身の人権への蹂躙のように考えることができるのではないだろうか。一方、自らも自主性が蹂躙されているという自覚がなければ、部落人民への差別、人権無視に接しても同情はできても、わがことのように怒りがわいてこないだろう。/共感、共通の立場に立つこと、これが真の連帯、強固な連帯の前提であり、出発点ではないだろうか。

差別-被差別の壁は越えうるか?
 「同和はこわい考」の筆者は直接、運動にかかわるなかで様々な体験をし、差別者-被差別者の壁を越えられなかったことを総括されている。連帯が口で言うほど簡単でないのも事実だと思う。
 連帯する側にも差別意識がまったくないということは言えない。例えば「女のくせに」といった発言が女性蔑視思想であるにもかかわらず、活動家でもつい口にしたりする。部落差別に敏感な人でも女性差別には鈍感な人もいるかもしれない。古い思想は一朝一夕になくなるものではない。我々も「人民のため」と決意したつもりでも、上からものを言ったり、自己中心のものの考え方を同志や読者から指摘されて初めて分るときが多い。そうした古い思想があるからと言って、その活動家が女性差別論者であったり、また我々が人民の利益を侵害しようとするものでないことも事実である。ことの本質はその人が差別のない社会をめざす人であり、我々も人民に尽くそうというものであるということにある。そうした差別意識や自己中心思想はあくまで古い思想の残滓としてのそれであって決してそれが固定不変のものどころか、その人にとっては克服すべき自身の闘争対象とされるものである。だから古い思想の残滓をもって連帯が困難という根拠にはなりえない。
 またこの筆者が言うように部落の運動内にも差別-被差別を固定化して部落外出身者をなかなか信じようとしない人がいたり、「自分は部落出身者」、被差別者であることに「安住」して部落外の人への配慮に欠けるような現象が両者の連帯を妨げたり、「同和問題は避けた方が良い」という空気を作り出すこともあるかもしれない。事実のほどは知りようもないが。しかしそうであればあるほど共通点を見いだしていく努力が必要ではないだろうか。部落出身の活動家、部落外出身の支援者それぞれが主体的立場で解決する以外に方法はない。
 かつて中国東北地方(満州)でチョソンの抗日部隊は民族的対立と反共思想のため中国の民族主義部隊に同志を殺害されながらも、なおも反日のための連合戦線形成のために努力したと聞く。そのとき彼らは相手の民族的良心、反日の共通点を必ず共有できることを信じたそうだ。こうしてあらゆる迫害にもかかわらず中国民族主義者と反日の心を通じさせ、ついには連合戦線形成に成功したと言う。
 部落差別反対の闘いとの連帯も同じだと思う。人民内部の古い思想残滓をあれこれ言えばキリがない。問題は差別を生み、統ての人民への人権蹂躙を許す社会制度、その物質的根拠を共になくしていくことが先決である。こうした両者の目的、大きな方向性があれば、「自らの内なる差別意識」や「部落外の人間は差別側の人間」などということが互いの連帯の障害になるようなことはなくなるのではないだろうか。共闘の中で古い思想も徐々に克服されて行くものだと思う。
 これはあまりに楽天的な見方かもしれない。しかしとにかく人民相互の連帯闘争なしに差別-被差別の克服もない。まず大事なことは互いに連帯する思想をしっかりもつことではないだろうか。互いに支配を受け、人権を抑圧され、自主性を蹂躙されている人民としての共感、互いの支配との闘いを支持し、声援する関係、更には共通の敵と闘う仲間、兄弟として互いに信じ合う関係、この共通の感情、立場に立つことがまず出発点ではないだろうか。それが筆者の言う「両側から越えること」という相互の努力の中身とならねばならないのではないだろうか。
 以上、「同和はこわい考」を読んで、まず連帯の思想について考えさせられた。この文章はまだ一般的で原則的な視点といったものの域を越えるものではないと思う。現実はどうなのかわからない点も多い。それゆえ読者の皆様、特に現場で日夜、苦闘されている部落解放活動家、支援の方々からのご教示、批判を切に乞う次第である。

コメント.
 全文5700字あまりのうち8割以上を収録しました。もちろん海の向こうからのものだからではなく、こうした意見を最近めったに聞くことがないので、できるだけ全体の内容を紹介したいと考えたからです。それにしても一読、なつかしい気分になったのは変ですね。
 なお筆者は読者からの「教示、批判」を求めておられます。そこで奥付に記載されている連絡先を書き写しておきます。
 *朝鮮民主主義人民共和国 平壌市国際郵便局私書箱83.「日本を考える」編集委員会.または〒780-91 高知郵便局私書箱79. 「日本を考える」誌.

《 各地からの便り 》
その1.“両側から越える”試みの一方の当事者となるために
O・A(大阪)
 …先日、行政の人と話す機会があったのですが、その方は「部落の人々の“弱さ”について行政側から指摘すことを阻む“溝”が残念ながら存在し、その結果、行政側もハード面の施策だけで終わってしまう。部落の人々自身による自らの“弱さ”の指摘と主体的なたちあがりが、今一番必要だと思うし、何をおいても部落の人々の現実の、生の声を要求も含めて聞きたいし、自由な対話がしたい」と言っておられました。
 部落解放運動にとっての最大の転機は、同時に同和行政の転機でもあるようで、特に「地対財特法」によって終了されそうな情勢のなかでは行政側の混迷も深いようです。その打開のためには藤田さんが『同和はこわい考』で提起された“両側から越える”ための、お互いの真摯な試み以外にはないと断言できるように思います。
 他日、小学校の先生と話をすることができました。その先生の勤める学校での解放教育の現状は例の「一人の部落出身の子どもにこだわりつづける教育実践」に終始しているようで、展望は見えにくいとのことでした。小川太郎氏が昔、提起した同和教育における「二〇坪の内と外」の結合が今ほど重要な時はないと思いますが、先生方の実践は「内」にかたより、「外」の問題は「つきはなす」のではなく「安易な教育要求をすべて“正しい”と受けとめ」、本来背負いきれない課題まで教師は背負っているように思います。正しい意味での連帯関係が、きり結べないままになっているように感じました。ここでも“両側から越える”という問題提起を深くとらえることが必要なのだと思わざるをえません。…
 状況を見ると気持ちは沈む一方です。そうはいっても、この状況から私の活動も出発せざるをえません。“両側から越える”試みの、一方の当事者に、部落大衆がなりきれるように、私たち一人一人が地域内でがんばるしか、部落解放の展望はひらけないと覚悟をきめる今日この頃です。

コメント.
 行政側から被差別部落側の「弱さ」が指摘できない、あるいは指摘することを阻む“溝”があるといわれる。しかし事柄は、なにも行政と被差別部落(民)、運動体との関係にかぎりません。
 問題は「指摘できる、できない」ではなくて、“溝”の正体のはずです。わたしが『こわい考』で明らかにしようとしたのも、部落解放運動における“溝”にほかならない。「部落民でないものに、なにがわかるか」といわれて黙ったり、すねたり、ふてくされたり、消耗したりしながら、なんとしても“溝”の正体に迫まりたいと思いました。例の二つのテーゼが“溝”の理論的思想的な核心であり、差別-被差別関係のありようそのものが“溝”を成り立たしめていること、そしてわたし自身が二つのテーゼを受け入れ、自らの内部に“溝”をつくっていることに次第に気づきはじめたのでした。“溝”は具体的な関係の中に存在しているだけでなく、人の心理、意識、観念の中にも存在するものです。
 そんなことならずっと前からわかっているという人もおられるかもしれませんが、わたしにとっては大発見でした。しかし“溝”の正体がわかったからといって、それだけではどうしようもないことはたしかです。ただ、いまは“溝”を越える手がかりを求めて、お互いにウロウロするしかないのではありますまいか。

その2.接点を見出だすためになにかやろうと思っています
S・Y(大阪)
 前号の「通信」に拙文を載せていただき、ありがとうございました。改めて自分の書いたものを読むと、何か気恥かしい気持ちがします。ともあれ、やはり多くの方々に読んでいただけてよかったと思っています。読んでくださった方のうち何人かでも、批判や意見を出してくださったら、なおすばらしい。部落の人たちと自分との接点を見出すために、今年はなにかやろうと考えています。

コメント.
 “溝”を前に逡巡しつつ、「自由な対話をしたい」と願っている人もおれば、接点を求めてこれから動きだそうとしている人もいる。他方、『通信』を読んで、「部落解放について真剣に考えている人がたくさん周囲に存在していることに、うれしいやら恥ずかしいやら、なんと複雑な思いがすることか」との感想を送ってきてくれた同盟の活動家がいる。こうした事情を知るにつけ、「両側」がつながる場、接点の場がいかに乏しいか痛感せざるをえません。
 いささか生意気なことをいわせてもらえば、この『通信』自体、「とぎれる対話をつなぐ」一つの場でありたいと考えています。発行部数550 部程度のミニコミ誌で対話がつながっても意味がないなどとおっしゃらずに、ご意見、ご感想をお寄せください。テーマは「差別と人間」とでもしておきますか。字数は5000字以内。
『こわい考』にかかわりなく書いてくださって結構です。ただし採否は当方におまかせねがいます。もちろんこれまで通り、わたし宛のお便りも大歓迎ですのでよろしく。

その3.見えなかったものが見えてくるとき
S・N(東京)
 私は、よい関係をつくれるか、あるいはつくれないかについてのヒントが崔文子さんが通信に書かれた文章の中にあるように思います。“私は二つの国の友好、親密、暖かい交わりを心から願うものですが、それは全てを忘れてこれからの良い関係だけを作りあげてゆこうというものではありません。こう云うと過去にこだわる執念深い人間だと思われそうですが、これからを作るために過去の正しい認識が必要だと云いたいのです。そうでないと、在日韓国人、朝鮮人が日本人には見えてこないと思うのです。”(『通信』No.17)
 “見えるようになる”というのが、容易なことでないというのは実感でもあります。以前には見えていなかったものが見えた時に、“見えなかったということ”あるいは“見えなかった自分のありよう”に気がつくわけですから、感心するほどびっくりしてしまいます。自分がなにほどもわかっちゃいないなというのが最近ではよく自覚できます。私の刺激的な(キツーイ)友人たちがそのことを自覚させてくれるのですが、私はそれにこだわりつづけたいと思っています。よい関係は“見える”といったことと、ぬきさしならない関係にあると思っているからです。
 崔さんのことばは、私の刺激的でやさしい友人たちのことばとも重なって聞こえてきます。友人たちの中には、「こわい考」に対して反発を示す人も何人かはいるわけですが、彼らの“反発”にもこだわっていきたいと思っています。私の「こわい考」に対する共感とともに。“何が正しい”とか“こうあるべきだ”というところとは違った視点で見えてくることもあるように思います。いずれにしても自分をばらした(あからさまにした)ところでやっています。…

コメント.
 刺激的でやさしく、キツーイ友人の中に『こわい考』に反発を示す方がおられるよし。ぜひともその方に反発の一端を書いてもらえないでしょうか。たのんでみてくださいませんか。

《 あとがき 》
*三重の倉元祥子さんと崔文子さんが岐阜に来てくださり、太平天国社の船坂君をまじえ歓談しました(1/29) 。あまりゆっくりしてもらえなかったのが残念ですけれど、次は上野のみなさんと太平天国社メンバーでミニ交流会をやろうと衆議一決。楽しみです
*甲山控訴審第3回公判の傍聴に出かけてきました(2/1)。検察側の有罪立証のための鑑定人(一谷・京都教育大学教授)が「精神遅滞児の一般的概括的特徴」について証言したのですが、検察側の思い通りにはゆかなかったようです。もっとも傍聴席80に傍聴者が40人では寂しい感じはまぬがれませんでしたが(公判傍聴記は『天国つうしん』2 月号に掲載)。次回は2 月22日(水)、午後1 時10分から、弁護側の一谷証人に対する尋問です(次々回公判は3 月24日)
*差別意識論研究会の予定をお知らせしておきます。第11回:前川勝彦さん「農村部落からの報告」(2/18)、第12回:灘本昌久さん「憂うべき差別語の取り扱い」(3/18)、第13回:山城弘敬さん「差別概念の拡散状況について」(4/15)。いずれも午後2 時から京都部落史研究所にて
*1 月21日から2 月11日まで、富山、東京(3)、福岡 (2)、滋賀、大阪(4)、兵庫(2)、三重、岐阜(2) 、京都の17人の方から計48,300円の切手、カンパをいただきました。ほんとにありがとうございます
*本『通信』の連絡先は〒501-11岐阜市西改田字川向 藤田敬一です。

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