「同和はこわい考」通信インターネット版
■ 「同和はこわい考」ってなに?

 1987年5月に阿吽社から発売された小冊子、「同和はこわい考 地対協を批判する」 藤田敬一 著(消費税込み¥840)のことです。


■ 「同和はこわい考通信」ってなに?

 1987年6月、藤田敬一さんが「同和はこわい考」の反響を伝え、共に考えていくために始めた私的通信誌です。
 2003年現在でもほぼ毎月発行。藤田さん自身は、大学教授を退職後も、独自で高級輪転機を買い込み、発行に意欲満々です。

 「同和はこわい考」の出版以降、全国各地の部落解放研究会、三重の山城さんなどの読者が、ゲリラ的に独自の「同和はこわい考通信」を発行し、「同和はこわい考」の提起する問題をさまざまな形で考えてきました。
 本サイト、インターネット版もその一つです。


■ 「同和はこわい考」の3つの意義

 今さら・・・という感じは非常にしますが、「同和はこわい考」の意義を考えてみます。

1.1980年代後半時点での部落解放運動の問題点に、思想性も含めて解決方法を具体的に示した

 「こわい考」のサブタイトルにも、「この冊子を読んでくださる方に」にもあるように、もともとこの本を出すきっかけは、政府の「地域改善対策協議会」(会長:磯村英一。以下、地対協と省略)の「基本問題検討部会報告書」(86年8月)と「意見具申」(86年12月)に対する批判と、部落解放運動の現状に対する問題提起でした。
 地対協の意見は、「同和問題はずいぶん解消してきたが、心理的な差別はまだ残っている。その原因は、1.解放運動による威圧的な態度に対する行政の屈服。2.同和関係者の自立、向上精神の不足。3.解放運動による糾弾闘争が原因の「こわい」という差別意識を利用したえせ同和行為の横行。4.同和問題についての自由な意見の潜在化、である。」というものでした。
 それに対する部落解放運動の最大勢力、部落解放同盟の反論は、「差別糾弾闘争による威圧や暴力は事実無根で、差別糾弾闘争を否定して解放運動をつぶそうとする政治的弾圧」といったもので、何ら有効な反撃にはなっていませんでした。
 一方、市民の間では同和問題は潜在化し、表向きは「部落差別はいけないこと」と否定しながらも、部落の悪いうわさはあちこちで広がっていました。同和対策事業にまつわる解放運動の不祥事は全国で発覚し、マスコミは、不適切な発言だと指摘される可能性があることばを全て言い換え、部落問題についての批判はほとんどタブーとなっていました。
 そのような硬直した現状の中で、自らの体験を具体的に語り、反省しながら、「現状を打開するためには、差別する側、される側、両側からの腹を割った討論と、密接な関係を結んでいくことしかない」と藤田さんは提起したのです。
 特に、解放運動の成果ではあっても、行政に依存する体質、自分らの意見に間違いはなく他者の意見は聞き入れないといった独善性、自己の利益のためには一般社会からの評価も気にしないといった自己中心性、それらの事が部落の子供たちにも大きく影響しているといった、部落解放運動の思想性、根幹をも問う指摘は、大変衝撃的なものでした。

2.自らの体験、意見、感想を語り合うことの重要性を示した

 1987年当時、部落解放運動内部では「共闘」が叫ばれながらも、部落出身ではない者は部落出身者の闘争の「お手伝いをする」といった感覚がまだ一般的でした。
 部落出身者の体験、意見、感想を聞く機会はあっても、非部落出身者の語る機会は少なく、関心もあまり持たれませんでした。酒の席などざっくばらんに意見交換できる時にでも、非部落出身者がうっかりしたことを言ってしまうと「それは差別だ!」ときびしく指摘されて大問題になることも珍しくありませんでした。
 部落出身者も、それまで一般社会では部落出身者であることを語る事ができず、自らの被差別体験を語って受け入れられることも少なかったので、語ってもいい、受け入れられる機会では、相手の気持ちも考えず少々度が過ぎてしまったのかもしれません。
 行政の同和問題担当者にも大きな影響を与えました。それまで解放運動の言いなりになってきた。疑問や批判があっても言う事ができない。しかしそれではいけないんだ、自分の疑問や意見ははっきりと言わなければいけないんだという勇気を与えられた人々もたくさんいました。
 本当に共闘関係を結んで現状を打破していくためには、意見を交換して良い関係を深めていかなければならなりません。時には腹の立つような批判も受け入れていかなければなりません。そのために体験、意見、感想をお互いに語り合い、共有、共感していくことが必要なのです。
 藤田さんはその重要性を、それまでならば抽象的だったり教条的に語っていたことを、自らの恥ずかしい反省すべき体験を例にしながら具体的に示したのです。

3.部落解放運動批判のタブーを破り、他の差別問題にも広く影響を与えた

 「こわい考」の出版以降、この本は多くの人に影響を与え、マスコミでも数多く特集が組まれたりして話題となりました。それから「こわい考」の賛否も含めてマスコミでは解放運動批判がなされるようになり、現在では「解放運動は批判して当たり前」のような風潮すらあります。ことばの言い換えや削除も少なくなってきたようです。それらの事が、解放運動の暴走を抑え、自浄を多少なりともうながしているでしょう。
 「こわい考」は、歴史的にも内容的にも日本の反差別闘争の最先端を担ってきた部落解放運動を手本とする他の反差別闘争の人々にも大きな影響を与えました。差別の問題そのものは違っていても、似たような問題を抱えているところが多くあったのです。
 他の闘争の問題であるからこそ、自らの問題がより見えやすかったのかもしれません。


 一番大きな成果は、差別問題であれ、何であれ、タブーを作らずに語り合っていくという風潮を作り上げたことかもしれません。今も脈々と「こわい考」の精神は人々の中に流れ続けています。
2003.12.23.文責:管理人