『同和はこわい考』に対する基本的見解   (解放新聞1987年12月21日)
権力と対決しているとき − これが味方の論理か    部落解放同盟中央本部

 中央本部は、『同和はこわい考−地村協を批判する』(藤田敬一著)にたいし、「地対協」路線と同水準のもの、国家権力と対決している時に部落解放運動にたいする味方の発言とは評価できないとして、きびしく批判していくことを決定した。批判見解の内容はつぎのとおり。



 部落解放運動は重大な局面にさしかかっている。昨年八月五日の「地対協・部会報告」いらい、「啓発推進指針」など一部官僚の手による露骨な反動攻勢は、平和・人権・民主主義の陣営を分断・解体しようとするものであり、その狙いは、衆人の周知するところである。
 それゆえに、「部落解放基本法」制定要求国民運動を中心に、日本の人権と民主主義を守ろうとする力は、この反動攻勢を手放しで放置してはおかなかった。
 「部会報告」が「意見具申」となるとき、相当部分が削除され、書きかえられ、ごまかしによって糊塗的に擬装しなければならなくなったところもある。
 熊代昭彦(前地対室長)の手になる「啓発推進指針」にいたっては、「地対協」路線の後退に歯どめをかけようと、あらん限りの「悪智恵」をしほって、攻撃の体制を強化したものとみることができよう。
 このようなとき、われわれの運動周辺から思わざる混乱を誘発するような論理が飛びだしてきた。
 「同和はこわい考−地対協を批判する」(藤田敬一)がそれである。
 「同和はこわい」という差別思想を「地対協」路線が精一杯ふりまこうとしている、いまの時期、その印象に上塗りをするような書名としたのはなぜか。「奇をてらう」以外のなにものでもなかろう。
 主観的には「地対協を批判する」という副題をつけることによって、部落解放運動と味方陣営に位置しているというポーズをとろうとしているようである。
 だが、「同和はこわい考」は、文字どおり、われわれの運動を「こわい」運動であると分析し、そこからでてくる矛盾、弊害の数かずを「地対協」がいうところと同質の水準で指摘しているのである。

 被差別部落外の人びとのあいだに「同和はこわい」という意識が根強く、しかもその原因を「被差別」の側に求める傾きがあることは否定できない。と同時に「被差別」側にも相手のこのような意識に乗じて私的利益を引きだしたり、便宜供与を要求したりして「こわおもて」にでる人がいないわけではない。そのい数、二百をこえるといわれる自称「同和団体」の叢生はこの間の事情を熟知もしくは察知した連中が「同和は金になる」とむらがっていることを示しており、それがまた人びとの「同和はこわい」という意識を補強もしくは再生産しているのである。(「同和はこわい考」4ページ)

 こうなってくると、「地対協」路線の典型的文書である「部会報告」のつぎの論理とどこが違うであろうか。

 民間運動団体の確認・糾弾という激しい行動形態が、国民に同和問題はこわい問題、面倒な問題であるとの意識を植え付け、同和問題に関する国民各層の批判や意見の公表を抑制してしまっている。(「部会報告」−同和問題について自由な意見交換のできる環境づくり)

 さらにつぎの文章とも、どこが違うかということになる。

 えせ同和行為が横行する原因としては、同和問題はこわい問題であるという意識が企業・行政機関等にあり、不当な要求でも安易に金銭等で解決しようという体質があること等が挙げられる。(「部会報告」−えせ同和行為の排除)

 こうなってくると、「地対協」路線が、一番力点を入れて攻撃している糾弾闘争についても「同和はこわい考」は批判していることになるし、政府・警察権力に弾圧の口実を与える「えせ同和」についても、その責任が、部落解放同盟にあると主張していることになる。
 著者のこのような、あやまてる認識に到達する生活体験は、この人自身がのべているように、少年時代に父方の親戚の家で見た被差別部落民にふるまう食器が「不浄」だとして便所の棚におさめられていたというきびしい差別のイメージと、著者がこれまで交わってきた運動らしきものとの、このましからざる関係によって、部落解放運動を正当に評価しえないところに、のめりこんだことによるものとみるべきであろう。



 「同和はこわい考」のもう一つの差別思想はこうだ。

 識字学級の集りで「文章を書くには、ちゃんと辞書を引いて」と話したところ、「差別の結果、教育をうける権利を奪われたわたしらに辞書を引けというのは、それはひどい」と批判きれた作家がいる。
 誰にも多かれ少なかれ自己正当化や自己弁護の心理はあり、なにもかも自分の責任にしていたら人は生きてゆけない。問題は自己責任をなにものかに転嫁することによっておこる人間的弛緩だろう。自己責任との緊張関係のない「差別の結果」論は際限のない自己正当化につながり、自立の根拠を失なわせる魔力をもつように思う。(「同和はこわい考」67ページ)

 残念ながら、ここでも、「部会報告」の露骨な、部落更生論、部落責任論の差別思想と同質のものをみざるをえない。著者、藤田敬一氏の、これまでの運動とのかかわりが何であったのかを疑わねばならないであろう。

 同和関係者の自主的な努力がなければ、自立のための環境条件が整備されたとしても、結局、同和関係者の自立、向上は、いつまでたっても達成きれないことになる。(「部会報告」)

 「部会報告」はいうまでもなく、政府はやるだけのことはやったという認識に立って、このようなことをいっているのである。政府の方が「遠まわし」な表現で、藤田敬一氏の方が、むしろ、表現は、部落に責任を転嫁することにおいて露骨である。
 部落解放同盟は、その運動方針で、早くから、「主体の確立」をかかげている。
 そして、「運動の弛緩」には、自らの闘いのために、これと対処してきた。いまも、その課題とはとりくんでいる。
 要は、一つの政党や、一つの団体と路線上の争いをしているときではない。国家権力との対決の時期である。そのときを「めがけて」藤田敬一氏が、ここぞとばかり、自らのいびつな姿勢からくる運動にたいする偏見を噴出させていることは、部落解放運動にたいする味方としての発言とは評価できない。



 しかも、著者の発想の「いびつ」をごまかすために、「両極からこえる」という詩人・金時鐘さんの発言を利用しようとする。
 金時鐘の「さらされるものとさらすもの」(明治図書)は、まさに部落解放同盟が、自らの運動方針の中で、「主体の確立」をよぴかけ、これまでの「腐敗」の部分を指摘し、統制処分の事例まで公表して、自らを戒めている思想と一致する。
 「両極からこえる」は、「地対協」にあっても政府の政策の「欠陥」に目を向けるということが、第一義でなければならない。
 藤田敬一氏にとっても、これまでの自分が何をしてきたかということでなければならない。
 その点が欠落しているから、はからずも「いよいよ国が音頭をとって「啓発」に乗り出してきました。熊代昭彦室長はこの「研修」をやりきって、厚生大臣官房人事課長に転出しました」と、本音を吐くことになるのである。ここでいう「研修」は熊代最後の「地対協」路線を地方自治体に押しつけようとしたものであり、悪名高い高木正幸記者も講師となっていたのである。
 権力がきびしく、われわれを攻撃するとき、必ず、このような傍観的、第三者的な客観性を装った理論が、差別性を擬装して台頭してくることに警戒をおこたってはならない。

「同和はこわい考」にたいする基本的見解
(解放新聞1987年12月21日)PDFファイル 369KB