No.164 2003.12.27.
《 随感・随想 》

冠をとり補語をはずすということ
   −ある真宗大谷派教区での研修から−
藤田 敬一
1.
 2001年10月と12月、わたしはある真宗大谷派教区の同和研修会に招かれて話をさせてもらった。10月は同和協議会常任委員対象の事前学習会的なものなので部落問題に限定した内容で話し、12月は住職・門徒さんなどに広く参加を呼びかける研修会ということで部落問題を軸にしながらもそこから敷衍して「人権・人間」について日ごろ考えていることを話した。
 二回にわたるわたしの話は、常任委員会によってパンフレット『よく生きあうということ』にまとめられた(02/6)。ここで終わりになると思いきや、委員会はなんと各組(部)で輪読会を開き、意見や感想をまとめて報告書を作成するという。 輪読といえば、受講者が順番に漢文史料を声を出して読み、教授に読みのまちがいをただされたり、内容について質問されて、汗をかき恥をかいた学生時代の演習を思い出す。わたしの話がそんな演習のテキストにされる恥ずかしさもさることながら、輪読する人びとの胸中が察せられてつらくなった。しかしそれは委員会がお決めになったことで、当方としてはいかんともしがたく、「輪読報告書」の到着を待つしかない。
 しばらくして届いた「輪読報告書」はA4版14頁。部落問題とその解決のための取り組みに対する率直かつ真摯な意見・感想が述べられていて感銘を受けたのだが、ここでまた終わらないところがなみの委員会ではない。今度は「輪読報告書」について語ってほしいという。03年5 月、わたしは出かけて「『よく生きあうということ』輪読報告書を読んで」と題して話をした。それはいずれ四人の問題提起者の報告とともにパンフレットにされ、04年春、四たび招かれて意見交換することになっている。
 委員会の熱意にうながされ、部落問題解決のためのこれまでの取り組みを振り返る機会がもつことができてほんとにうれしい。そこで「輪読報告書」の意見・感想を紹介しつつ、あわせていま考えていることを書き記したい。

2.
 なによりも輪読会という形式への反応がおもしろい。「義理と無理で輪読を行うような体質自体に問題があろう」というきびしい意見。「読みたいから読むのではない。読まされるから読むのだ。しかも報告書を提出せねばならないとは?!」。そんな不満が表明されてもおかしくはない。そらそうだろう。輪読会の日時設定がまず問題だ。平日なのか週末なのか。昼か夜か。それに参加者各人の体調・気分、さらには立場・資格、体験・経験、感じ方・考え方のちがいもある。それらがもろに出てくるかもしれない。型どおりのスケジュール消化的取り組みではないからこそのホンネが出てくる可能性がある。「薮をつついて蛇を出す。」誰もそんなことはしたくない。だからみんなありきたりの意見をいいあっておしまいにする。それではダメだというので輪読という形式がとられたにちがいなく、その結果、さまざまな意見が出てきたというのが実情だろう。しかし委員会のメンバーに動ずる気配はなく、それらをしなやかに受けとめる風情が気に入った。

「差別問題を論ずることを止めることが、差別をなくすこと。本山あげて同和(差別の増幅)をやっている。インドにカースト制度があるが、暗い顔をしていない。差別意識の中で皆平等なのだ。差別を話題にすることが差別だ。論じないことが、差別意識からの解放だ。」

 「暴論だ!」と怒り出す人がいるだろうが、「差別意識の中で皆平等なのだ」という主張は、ひょっとしたら西洋近代政治思想とは異なる、仏教の「差別・平等」観につながっているかもしれないではないか。ここはひとまずそう受けとめて議論していけばいいのである。discriminationに差別を、equalityに平等を翻訳語としてあててまだ百有余年。差別も平等も本来仏教語だから、仏教を深く学んだ(と思われる)人に西欧近代政治思想の考え方を頭から押しつけてもはじまらない。

「同和問題は国民的課題だとあおられてきた(啓発)。意識の上では観念的に受け取ってきた。知識で。とにかくやらなければならないのでやってきた。」

 啓発と称する働きかけを受けて「とにかくやらなければならない」とみずからを励まし、まわりを説得するなど無理してやってきたことのつらさ。背中を押されて歩んできたことのしんどさ。文面にただよう疲労感を見逃してはなるまいとつくづく思う。

「以前より、部落問題を学ぶ時、いまいち身が入らないと感じていた。一つは同和地区、出身者との接点がない。二つ目は地区を明確に把握していない、つまりどこか知らない。知らなければいいとは思わぬが、問題として採り上げることで地区、人が明確になる。知らなければ思わぬことが、知ることで考えさせられる。悪く言えば身構える。だからと言って、問題にしない方がいいとも言わないが……。」

 「(同和研修に)いまいち身が入らない」、つまりワクワクしない・できない気分。それがなぜなのかを問うと「知ることで身構えてしまう」自分がいることがわかる。だから知らなければよいかというと、そうともいい切れない。そんなおのれの迷いを語る人も場も身近にないとすればどうしたらいいのかと苦悩する姿が目に浮かぶ。社会問題の存在を知るということは、これまでの自分のなかの何かが揺さぶられることでもある。揺さぶられ、ときには葛藤の渦に巻き込まれる。やわらかい感性の持ち主ほどそのような情況に陥るのではないか。こうした意見を「寝た子を起こすな」論として否定・断罪してすむわけがない。

「同和問題となると、つい身構えてしまう。糾弾という歴史的なことをふくめますます口を閉ざし、下手なことを言ってはいけないと思わせる空間がある。」

 「身構えてしまう」自分。その背景に「糾弾を受けた」教団の歴史がひそんでいる。自分自身が糾弾を受けたわけではないのに「下手なことをいうと糾弾されるかもしれない」と思ってしまう。だから「口を閉ざす」という仕儀とあいなるわけだ。そんな「身構え」を生む「空間」。研修会も、もろもろの会議もそのひとつだったのかもしれない。それにしても「下手なこと」とはどういうことを指すのだろうか。「やり方が上手でなくて、かえって不結果をもたらすこと」と辞書にはあるが、この場合、「やり方」の問題ではあるまい。適切ではないとされる言葉や表現、その裏にある観念、意識、心理までもが「やり玉」にあげられるかもしれないことへのおそれは、警戒的・防衛的・対策的姿勢を生まざるをえない。「糾弾で取り組みが生まれたが、内面化されただろうか」という振り返りの意味は重い。

「部落問題の学びが形式化し、空洞化していて、いきづまりみたいなものを感じる。『たてまえ論』であり、『きれいごと』でしか聞けない、学べない。」

 「やり方上手」が幅をきかすかぎり、研修会が形式化・空洞化して当然で、抜本的に改革する目途が立たぬのなら、いっそのこと同和研修そのものをやめた方がいいとさえ考えることもある。ところがなかなかそこまで踏み切れぬ「何か」が自分を捉えてはなさない。各地の様子を見ていると「昨日またかくてありけり/今日もまたかくてありなむ/この命なにを齷齪あくせく/明日をのみ思ひわづらふ」という島崎藤村の詩(「千曲川旅情の歌」)の文句そのままに形勢観望し、いずれ時期を見計らってヤンペにしようとしているところもあれば、軽やかに「人権研修」に転換しているところもある。だが、それらを一概に非難できはしない。その意味で形式化・空洞化と向きあい苦闘するこの教区の「しつこいほどの取り組み」は貴重としかいいようがない。

「同和問題というと、いつも差別する側とされる側の二者対立の構図があり、多くは後者の立場に立って前者を啓発するという図式が多いように思う。」

 「差別(者)−被差別(者)」の二項対立的図式は、啓蒙・啓発の初発においてはその威力を遺憾なく発揮する。しかし、そこにとどまった瞬間、この図式は呪縛の論理へと転換し、資格・立場の絶対化と関係の固定化を招き、人びとのこころを凍らせるほかない。もし研修がこの図式内でつづけられるなら、形式化と空洞化はとどまるところをしらず、「またかといわずに同和研修」といかに叫ぼうと、見向きもされない状況を迎えることは必定だろう。

3.
以上のような意見がある一方で、次のようなものもある。

「『自らが差別者である』という認識が学びの中で教えられ、普及した。部落問題という課題が、私(人間)を解放する学びであることが願われているにもかかわらず、現状として学んだことが、知ったことがかえって、私を保身していくかたちになっているのではないか。この問題は、『信仰』の課題である。『人間をどう見るか』という人間観が問われ、結局、『おまえはどう生きるのか』の態度決定が問われている。要するに、『自己保身的に自分の都合のよい関係だけを求めて、あたらず、さわらず演技して孤独に生きるのか』、それとも『縁あって様々な人たちと関わりあって、その関係を豊かに交わりをもって深く生きるのか』の問題である。と同時に、『どう生きることが真実なのか』が問われているのである。」

 この人の場合、「自らが差別者である」という認識をふまえつつも、そこから関係を変える「生き方」を求めようとする。ことがらは、「自分の中の差別性、我が内なる差別意識を自覚して自己否定する」姿勢の問題と関連する。

「著者(藤田)が指摘した『よく生きあう』関係を作るという課題は、本来、同朋会運動の課題であると思う。なぜなら、十方衆生に開かれた『純粋な信心の運動』はあらゆる差別を超え、全人類がどのように共通の世界をともに生きるかという問題に取り組むことを課題にしている運動であり、自己を凝視する『悲』の批判精神を大切にするが、著者のいわゆる『自己否定の論理』のみに終始する運動ではないと考えるからである。同朋会運動の理念はこの意味で差別を超える人間解放の課題を内に含む運動であり、深い仏教的人間観に基づいた運動にほかならないと思う。著者が真宗同朋会運動の志願に一言も言及していないことを憾みとする反面、本文中で(p21)『本願寺の僧侶の中の…人間観が薄っぺら過ぎる』という指摘を受けた事態を残念に思う。こころの痛む思いが残る。省みれば、教典において『十方衆生』という呼び掛けがあること、また親鸞聖人が『非僧非俗』という自覚において十方衆生の極みなき悲しみの中に自身を見い出し、自らを『いし、かわら、つぶてのごときわれら』として、如来の教法を聞思する学仏道の歩みを歩まれたことを偲ばずにはいられない。」

 このような誠実な意見に接すると粛然とせざるをえない。しかし真宗同朋会運動が何を「志願」しているか、どのような運動を展開してきたか、そしていまどのような問題に遭遇しているかは、それとして大事ではあろうけれど、さしあたりわたしには関係がない。わたしはあれやこれやの理念や教義、歴史から出発するつもりはないからだ。ただただ、『こわい考』をめぐる真宗大谷派同和推進本部と部落解放同盟とのやりとりにかかわって、

「宗教者の陥りやすい危険は、自分の中の差別性、我が内なる差別意識を自覚して自己否定することです。自己否定は他者批判を控えさせる。そうすると、出口なしのふんづまりなると、私は思う。自己否定はいいですよ。自己否定が関係を変える方に向かわなければ、自己否定は常に内向するしかない。それでは部落解放運動を批判的に見る、部落解放理論を批判的に読むということはできません。」(p19、一部訂正)

と語ったにすぎない。問題は「自己の差別性」ではなく、「関係のなかの差別性」なのだ。「(単独)自己の差別性」なんて何百万回、何千万回語ろうと、そんなことはまったく意味がない。差別意識を仲立ちにした人と人との関係を変えようとしない「自己否定」はぐるぐるまわりするだけである。この三十数年らいの事態がそれを証明している。
 さて最後に、小文を書くきっかけをつくってくれた意見を紹介する。

「テーマ・内容については、藤田先生の課題であって、我々の課題ではないように思われる。なぜなら、藤田先生の場合は、活動者が活動団体とのかかわりの中での話であって、本当に部落民の人達とかかわってきたか疑問である。運動団体とのかかわりではないのか。私達の基本は『真宗門徒としてのかかわりを中心に聞くことが大事である』との話し合いによって終了した。」

 わたしの経験とそれにもとづく思索には特異な面があるのかもしれないとは思うものの、この意見には違和感がぬぐえない。
 ここには二つの問題があるようだ。第一は、わたし藤田と真宗門徒の部落問題とのかかわり方にちがいがあるのかどうかという問題。第二は、「藤田は本当に部落民の人達とかかわってきたか疑問である」という断定をめぐる問題。
 第一について。「部落問題・部落解放運動とわたし」「社会問題と『わたし』」と題して、部落解放同盟・部落解放運動とのかかわりのなかで考えつづけてきたことを語った。それが誤解を招いたのかもしれないが、部落問題に触れて以来、「部落差別とは何か。その実情はどうなっているか。どうすれば部落問題解決の課題が達成できるのか。そもそも部落問題の解決とはどういうことか」というテーマと向きあってきた。それは「活動者と活動団体とのかかわり」という枠を超えた社会問題一般に共通するテーマである。部落問題を学びはじめて45年、いまもって解答をえたとはいえそうにない。真宗門徒ならこれらの問いへの解答はちゃんと用意されているというわけのものではあるまい。だとすれば、わたしの課題は真宗門徒の課題と重なる部分があるはずだ。それでもなお、それは「藤田の課題であって、我々の課題ではない」というのだろうか。
 そもそも「真宗門徒としての(社会問題との)かかわり」とはどういうことか。真宗大谷派が取り組むハンセン病問題やアイヌ民族問題などもふくめていわゆる社会問題に真宗門徒特有のかかわり方、向きあい方があるというのなら、それを具体的に提示するのでなければ説得力はない。こんなことをつらつら考えているうちに、どうも「真宗門徒としての」という修飾語、「真宗門徒である」という補語に特別な意味が付与されていることに気づく。どうもこの人びと(全員が住職)は、「真宗門徒としての」「真宗門徒である」ことがはずせず、そこからしか出発できないらしい。
 この人びとだけが問題なのではない。修飾語も補語もアイデンティティーの根拠になると同時に、他者との関係を疎遠にする根拠にもなりうる。つまりアイデンティティーの根拠とされるものは、人を縛り、人と人との関係を縛るものにもなりうるのである。資格・立場の絶対化と関係の固定化への誘惑はどこにでもよくある話というわけだ。そこからは「開かれた人と人との関係」は生まれはしない。
第二について。こういう断定的な物言いに遭遇すると逃げ出したくなるが、そうもいっておれない。19歳から64歳の今日まで、わたしなりに休み休みしながら部落問題と向きあって生きてきたつもりである。「部落問題と向きあう」とは、いわゆる「部落民」と向きあうということでもある。わたしの「かかわり方」がいびつで、ゆがんでいるというのなら具体的に指摘すればいい。ところが薮から棒に「藤田は本当に部落民の人達とかかわってきたか疑問である」という。こういうことを人に向かっていう以上、自らのかかわりを提示するのが作法というものだろう。
 しかしまあ、力むほどのことではない。真宗門徒だからといって、「宗祖親鸞聖人の教え」をよく学んだからといって、人間の苦しみ・悲しみ、憂さ・辛さ、怒り・嘆きに共感できるとはかぎらないのだ。わたしの二人の娘は京都の東西両本願寺系大学の卒業生だが、二人とも一番つまならなかったのは仏教の講義で、解説ばっかし、教授者自身がたとえば『歎異抄』をどう生きてきたかという話はまったく聞けなかったという。不勉強を棚にあげてといわないでもらいたい。不信心者の心を開くことができるかどうかも、「信心」のありようにかかっているのではないか。「信心(思想)は、生きられてはじめて信心(思想)となる。生きられぬ信心(思想)は画餅にひとしい」。真宗門徒という資格・立場によりかかっているかぎり、その言説が相手に届くことはむずかしい。人間の問題と向きあおうとするなら、せめて修飾語「冠」をはずすし、「補語」をとるようつとめなければなるまいて。

《 各地からの便り 》

○「論座」(朝日新聞社、04/1)を読みましたよ。楽しく読めました。お二人とも関西人ですね。涙があって、笑いがあって、落ちをつける。読者に対するサービス精神が伝わってきました。編集部がまとめるにあたって、気をきかしたんですかね。「原点」、「命運」という金時鐘さんに、私は共感を覚えつつ、「周辺の出入り自由なところ」という藤田さんの位置に立ちたく思います。 (兵庫 Y・Kさん)

コメント.あの対談(金時鐘*藤田敬一「人間と差別を考える−差別する側・される側/二項対立の論理を超えて」)は、もちろん関西弁で語りあったんですが、編集部がうまくまとめてくださいました。苦労をかけたようで感謝しています。で、Yさんは「中心におれば見えないものが、私のように周辺の、出入り自由なところにいると見えることがある。(被差別部落や在日3・4世の)青年たちもきっとその出入り自由なところに生きていると思う」という箇所にきちんと反応してくださいました。Yさんからは以前、「『側』から出発しない」という意見をもらったことがあります。やっとわたしもその地点にたどりついたということでしょう。

○論座、早速拝見しました。悲しいことに矢田の書店にはどこもなく、隣町の針中野迄買いに行きました。対談ページをまくり、もひとつうれしかったのが金時鐘さんが相手だったということ。金さんは、私のことなど知りませんが、私の中で藤田先生と金さんの接点があったからです。金さんのことを知ったのは、私が中学生か高校生ぐらいの時だったと記憶しています。先生のことを知ったのは、私が矢田支部に来てからなので、金さんの方がちょっと早かったかナ?私が矢田支部に来て、藤田敬一という人物と知り合い、まぁ何と辛口で、その当時余り皆が口にしなかったことをズバリ物申す人だなというのが、私が最初に抱いた先生への印象。それが一貫して全然変わらなかった。それが時代と共に、“先生の言うのはもっともや”と回りが変化してきているのが、支部のデスクにいて手に取るように見えてきました。笑うことではないのですが、思わず笑ってしまったことも一度や二度ではありません。話はあちらこちらへとなりましたが、対談を読み(敢えて今回は感想文は書きません)、納得したり、首を傾げたり、又又自分自身に言い聞かせるように、ウンウンと。これも納得の内に入るんですよね。誌面で元気な姿も拝見出来たことだし、気持ちよく本を閉じることが出来ました。     (大阪 S・Mさん)

コメント.「論座」をもとめて隣町の本屋さんまで出かけてくださったとは。感謝感激アメアラレ。ある人からも「三軒まわってやっと」とのお便りあり。友情とはありがたいもんです。Sさん、感想文を待ってますよ。

《 川向こうから 》

●ご無沙汰しました。何をしていたかって?読書と講演、プール通いと山小舎暮らしはいつも通り。『通信』が発行できなかったのは、講演などで忙しかったということもあるし、ホームページ(HP)に熱中していたということもあるけれど、部落問題や部落解放運動をめぐる最近の情況にちょっと気落ちしていたからやないかな。でも大丈夫、いや、たぶんもう大丈夫。
●今年(03年)、とくに印象深かったできごとをあげると……。
  3 月 岐阜県土岐市立土岐津小学校で全校生徒に話をする。
  6 月 娘(J2)の提案でHPを開設する。(現在7200ヒット)
  9 月 阪神タイガースが18年ぶりにリーグ優勝して涙する。
  10月 金時鐘さんと『論座』で対談。思いのたけを語る。
  12月 愛知県豊田市立豊田養護学校の生徒、岐阜市立黒野小学校の全校生徒に話をする。
 もうひとつ大きなできごとは、講演を聞いてくださった人びととHPを通して知りあいになれたこと。そのなかには中学生もふくまれます。印刷物だから「顔が見える関係」が生まれるとはかぎらない。新式のメディア(媒体)だって充分こころを通わせることができるんですな。なにしろHPへのアクセスは気がねしないですむ。しかもメールは敷居が低いときている。そうすると、肩の力が抜け、こころが開かれ、文体が軽やかになるから不思議です。一度お試しあれ!
●8月22日から12月22日まで、神奈川、兵庫、岐阜、愛媛、京都、大阪、島根、徳島、東京、高知、三重、愛知の26人の方より計108,669円の切手、カンパをいただきました。ありがとうございます。支出は郵送料(163号)、封筒、葉書など計50,775円。本『通信』の連絡先は、〒501-1161 岐阜市西改田字川向 藤田敬一(E-mail<k-fujita@h6.dion.ne.jp>,郵便振替<00830-2-117436 藤田敬一>)、ホームページ<http://www.h7.dion.ne.jp/~k-fujita>)です。(複製歓迎)