同和はこわい考通信 No.146 2000.9.8. 発行者・藤田敬一

《 随感・随想 》
A子さんと石原英雄さんとの往復メールを拝見して-A子さんへ
福田 典子
 六月十六日付けの『同和はこわい考』通信を拝見し、たち昇る思いを押さえられず書いています。A子さんと石原英雄さんのメール交換を読み進めていく中で、フツフツと一つの感情が燃え上がってきました。A子さんと相手の男性の結婚を応援したいという気持ちはおそらく石原さんも、読者のみなさんも同じだと思います。
 けれども、私はA子さんに一つだけ心にとめて貰いたい事があります。
 それは様々な困難を二人で乗り越えようとする彼女にとって、少々厳しい事柄になるかもしれません。しかし、私はA子さんならきっと理解してくれると信じています。また、部落問題の現実を彼女がしっかりと掴む事が相手の男性と本当の意味で向き合い共に生きていけるのだと考えています。
 同和地区と地区外(この表現を使う事を迷いながら…)の人間が結婚しようとする時、往々にして部落問題の知識が問題にされがちです。
 確かにA子さんのメールにあるように部落問題に関する不安は必至であり、そうした場合の助言の多くは部落を軸に語られる事が多いでしょう。部落問題に関するより正確な知識を得る事は、きっと結婚への勇気となると思います。
 けれどもA子さんにとって最も必要とされる勇気は、部落を軸とした問題ではなく、彼女を軸とした問題ではないでしょうか。部落差別の現実は否定しがたいものであり、同和地区の男性にとっても彼女にとっても厳しく高い壁です。その壁に立ち向かう時、彼女は相手の男性が受けた差別の話を、精一杯の愛をもって受けとめるでしょう。石原さんのメールにあるように「差別の不当性」に怒りを持ち、愛する男性の気持ちをA子さんは一生懸命に理解しようと努力し続けているに違いありません。でもA子さんが相手の男性を軸に結婚問題を考える事が果たして彼女にとって全てなのでしょうか。
 私も過去に、A子さんと同じ悩みを持つ人と話しあった事があります。仮にその人をB子さんと表現しておきましょう。B子さんは複数の人に相談していました。ある人は部落問題の歴史や知識を、ある人は部落差別の不当性と差別の痛みを、B子さんに語りました。その結果、B子さんは相手の男性の「痛み」を受けとめ続けました。そして彼女は部落絶対主義に陥り、相手の「痛み」と「辛さ」を全て引き受けてしまったのです。両者が共に越えるのではなく、相手の男性の「遠い川岸」に自らを近付ける事のみに心を使いはじめました。しかし相手の男性は「お前は部落じゃないから解らない」と言い放ち、その言葉をB子さんは全身で受けとめ、疲れ果ててしまったのです。その時、私はB子さんにこう忠告しました。
 「あなたは彼が差別の厳しさに疲れ、部落民じゃないお前に俺の気持ちなど解らないと言った時にどう向き合うのか。残念な事に部落民の多くは一番近い人間に差別の苛立ちをぶつけてしまいがちだ。あなたは自分の結婚を、彼を軸にして考えてしまっている。むしろあなたは自分の生き方を軸に結婚を考えるべきだ。あなたが同和地区の人間と結婚する事は、周囲からすればあなたも同和地区の人間になる事だと言われるだろう。けれど同和地区に入ると、あなたは地区外から来た人間になる。本当は同和だろうがなかろうが関係はない。しかしそれも部落問題の一つの現実である事を考えて欲しい。その上で彼と共に生きていくよう考えていく事が必要なのではないか。部落民じゃないからと切り捨てる彼と格闘してゆく覚悟がなければ、あなたにとっても彼にとっても不幸な形しか残っていない」と。
 この私の忠告はB子さんにとっては部落問題のもう一つの側面を正面から突き付ける形だったかもしれません。しかし、「差別の痛み」という言葉を境に彼女と彼が、壊れた橋のたもとで佇んでいる姿が私には耐えられなかったのです。差別の経験は個々人によって違うにもかかわらず一般化して「痛み」として語られる事は誤りだと私は考えています。同和地区と地区外の人との結婚は、片方の人間が一方的に相手を思いはかる事では決してありません。A子さんの現状は相手の男性を軸に考えている段階かもしれません。けれど、A子さんにとってたとえそれが出発点だとしても、自分自身の生き方を軸に彼と向き合っていって欲しいと願っています。A子さんが長い長い橋を渡り、彼としっかりと手をつなぐと同様に、A子さんの彼も彼女に向かって歩んでゆかねばならないのです。同和地区の人間も「痛み」一般で逃げてはいけないのです。
 某解放団体は部落問題を展開する時、己れの思いを相手に理解させる努力を放棄したまま、常に相手に回答を求め続けます。そうした誤った運動は運動に参加している人間とそれに関係する人々の両者を腐敗させています。部落問題への煩わしさをひそめた「仮装の理解と共感」と呼ばれる事態も少なくありません。同和地区の人間にも生き方が厳しく問われるべきなのです。差別問題に向き合うには忍耐が必要です。繰り返し自分と相手の考え方や生き方を話し合い、理解し合わねばならない途方もない作業です。その作業に特別はないのです。部落であろうがなかろうが、その人の生き方が問われるのです。
 A子さんの気持ちを想うと、うまく文章がまとまりません。突然、藤田敬一さんのご自宅にお電話した延長で一気に書いています。A子さん、あなたが星を見上げて涙する事のないように祈っています。
 あなたにとっての幸せと私にとっての幸せは違うでしょう。だからこそA子さんがその腕であなたの幸せを抱きしめて欲しいと思います。私は結婚に破れました。
 一人で歩く道もいいけれど、二人で歩く道もいいものですよ、A子さん。笑顔のあなたを思い浮かべています。あまりにも感情的な文章になってしまい、貴重な誌面を割いて頂くのが申し訳ない気持ちです。A子さんへの石原英雄さんのメールの温もりは、言葉や文章にはおさめきれないA子さんの心に伝わっていると思います。

 藤田敬一様
『同和はこわい考』通信144号を拝見してからというもの、この問題に心が痛みました。突然お電話を差し上げて失礼しました。電話を切ってからしばらく考え込み、短時間で打ったもので雑な文章です。今の私には何故かこういう文章しか書けません。A子さんを想う時、部落の冷たさが我が身を打ちます。今号は何度も拝読いたしました。お元気で!
2000年7月9日

コメント.
 福田さんとはお会いしたことはなく、これまで手紙のやりとりをしてきただけの仲ですが、今回こうして電話とファクスをいただき、ほんとにうれしい。後日、送られてきたお便りに、こんなことが書かれていました。「“敬一太平”(失礼!)の後書きがいつも『同和はこわい考』通信に在ります。でも私は、その太平さを拝読する毎に、藤田さんも大変なんだなーと想像します。既成運動団体の事ではなく、本当の意味で部落問題を厳しく見つめる時、そんな簡単に割り切れるものではありません。おそらく藤田さんの真意を理解せず、『同和にくし』の感情の人がうなづく場面も講演会の中であるのではないでしょうか。両側から考えるのではなく、ますます川が広がってゆくという時もあると存じます。しかし衝撃的な『こわい考』は、この日本とよばれる国に一つの問題をつきつけました。この国の人は個を大切にしません。むれは大切にするけれども個を打ち出す事におくびょうです。私は思うのです。隠れ部落民の中には、誤った思考法をしている人もいます。彼ら全てを肯定する気もありません。全体としてひとくくりに評価できません。しかし、少なくとも部落だと人前で、何か事があれば言える自分は、その人達のぶんまで語ろうと決めています。(略)藤田さんとも若干考える視点が違うのも確かです。けれども、それでよいし、その方が楽しいと考えています。色々な御関係、わずらわしいお仕事、真意が解ってもいないのに拍手する人…、そんな光景で、さぞやご苦労も多いと存じます。藤田さんの「ときどき疲れますが」の葉書の一文、これはぐちではなく、焦りと情熱の言葉と、私は解釈いたしました。広島からささやかながらもエールを送り続けます。」福田さんは、いま闘病中です。病室からの電話の声には、こちらが戸惑うほどの軽やかさがあり、かえって励まされた次第。

《 各地からの便り 》

○前略 『同和はこわい考』通信、お送りいただき、ありがとうございました。さっそく反論をと考えていたのですが時間的余裕がなく、桜の季節になってしまいました。/さて、私が随分むかしに書いた原稿に関するコメントですが、論点がずれているようなので、再度、私が言いたいことを書きます。
 「ひょうご部落解放」の書評で私が主張しているのは、私をはじめとして、身近にいる部落民、さらには私が取材した限りにおいて、部落民であるかどうかで悩んでいる人を知らないということです。これは私が知らない、という問題ではなく(仮にそのような人物がいたとしても)そのことを出発点に議論を進めることには無理があると思うのです。
 具体例を挙げましょう。例えば私が取材した、ある三十代の女性は、部落出身の両親のもとに生まれましたが、部落外で育ちました。ある男性と交際し結婚の話がでたときに男性の両親から結婚を反対されます。しかし彼女は「私は部落民?」と悩んだわけでなく、部落民であることを引き受けたうえで彼と結婚できるかどうかで葛藤するのです(「被差別部落の青春」の選択の章を参照)。私も永年部落民をやり、また部落問題を取材していますが、「私は部落民?」と悩んでいる人を寡聞にして知りません(まったくいないとは思いませんが)。/ですから藤田さんが言われるように「『私は何者なのか』『私にとって他者とは何か』という人間存在の根源にかかわる問い」は、藤田さんをはじめとするインテリの問題意識であって、多くの部落民はそんなこととは無関係に生活しているのです(それがいいとか悪いとかというレベルの話ではなく)。
 現に、藤田さん自身もコメントの中で、

「『部落民であるぼくには、生きること、毎日の生活そのものが差別との闘いである』という述懐にリアリティーを感じる人は少数だと見ていい」

と書いておられます。
 もう一度言います。私が問題にしているのは、「私が部落民?」と悩んでいる人は現実にはいない、いてもごく少数である。そのような「現実」を議論の前提にするのはおかしいのではないか、ということです。
 以上がコメントに対する私のコメントです。またご意見をお聞かせください。
                    早々
          2000・4・11
                              角 岡 伸 彦

コメント.
 四月に受け取りながら返事もださずにいたことを、角岡さんにお詫びします。さて、あらためて本誌No.142(00/2/28)に採録した角岡さんの文章とコメントを読み返したものの、わたしの意見を見直す必要をまったく感じません。角度が違えば、ものは異なって見えるとしても、なにもいますぐそれぞれの抱く像を掲げて「さあどうだ」と言い張ることもないでしょう。ただ角岡さんの文章について一言。「私も長年部落民をや」ってきたという物言いは、「部落民であることを引き受けてきた」という意味だろうと推測しつつ、「引き受ける」とはどういうことか、もっと素直に語ればいいのにと思いますね。また「藤田さんをはじめとするインテリ」という表現もいただけないな。「インテリ」とは何か。角岡さんの規定ではどうなっているのか知らないけれど、角岡さんご自身、ある意味では「インテリ」の資格を充分備えていることをお忘れなきよう。

○今回の石原さんの文章、農作業の合間に日溜まりの中で読ませて頂きました。A子さんとのメールの交換、石原さんのお人柄が丸見えのお話の進め方(特に5ページから7ページに掛けて)が妙に説得力を帯びてて私もこの部分が好きでとても印象に残ります。A子さんもきっと石原さんがアドバイスされているように、「整理して、はっきりと、素直に、心静かに、優しく自分の考え」を云え乍ら、あらゆる周囲の状況に凛として対応されていかれることと信じます。この様な心安らかで居られる流れの中に身をまかせ乍ら我が町内の同和研修の話し合いが持たれたらどんなにか幸せだろうに…と、つい無いものねだりの幻想を抱いてしまいました。漠然とした感想でご免なさい。  (京都 A.Tさん)

コメント.
 A.Tさんの願いを「無いものねだりの幻想」にしてはなりますまい。なぜなら、もしそれが幻想にすぎないなら、部落解放運動のまわりに友人がいなくなってしまうからです。運動団体に属する人のなかには、敵と味方しか目に入らない御仁もけっこういるけれど、彼らには友人という存在は必要ないんでしょう。わたしは、そんな人とのお付き合いは、ごめんをこうむります。

○『こぺる』6月号(No.87)の野町さんの文章は、私にはとても読みごたえがありました。“平和教育”や“同和教育”におけるうわすべりの感覚は、いつも私自身が感じていたところで、その話(講演、演劇など)は生徒には届いていないんじゃないか、と感じつつ、騒ぎだしたどうしようかという怖れさえありました。そういうわけでなので、熱心にやっている方はどうしてあのような熱心さで取りくめるのだろう、ファナティックな感じさえする、と考えていました。そのような熱心な取りくみに対して私自身の冷めた感じ方にも違和感を覚えておりました。また、熱心な方々は、自分たちのやっていることを100%信じて訴えているのか、いくぶんポーズも含んでいるのか、と失礼ながら見極めようとも考えていました。その根底には、生徒たちの現状がありましたし、おしつけられる好意、善意じゃだめなんだという感覚もありました。
 以前、被差別部落出身の方が、講演の中で「同情はしてほしくないんや」ということを何度も力説されたことを思い出します。その方の話の趣旨はもう言うまでもないと思いますが、その時に私が感じたことは、同情すらしない人にその話はどういう意味があるか、ということでした。差別体験の厳しい現実でさえ、すでに生徒たちにはどうでもいい話なのではないか、という疑問です。
 野町さんの「まずは自分自身の、観察力、感覚でもって部落問題の『現実』を把握してみること」(p15)と言われる同和教育の構想がどういう内容なのか、とても気になります。私には、その構想は、識者たちの公共性に関する議論(p10)ほどに抽象的なままです。ともあれ、“自身の現在”と交差する文章を久々に読みました。 また、今年は交流会にも参加させていただきます。みなさんの議論を傍観するだけになりそうですが、“枯れ木”にも居場所のある会だと信じております。  (三重 K.Mさん)

コメント.
 交流会には銘木もなければ枯れ木もない。自分で銘木だと信じている人は交流会に見向きなどしません。それでいいのです。大言壮語はもうたくさん。K.Mさんんが共感なさった野町さんも参加されます。大いに議論してください。

《 採録 》
『部落解放運動情報』No.44(00/3/20) 「ひろば」
 先日、ある取り組みの今後のあり方について何人かで話をしていた時のことだ。一緒に活動しているA子さんは、頑なにこれまでの延長を良しとする主張をし、変えていく必要があると言った私と真っ向から対立した。(経過は複雑で、もちろん私にも反省すべきところはあるのだが-)Aさんは、Aさんと異なる意見を言ったことを、さも意外だという風に驚いて、その上でこう言った。「あんたは結局地域外の者やからムラの実状が何もわかってへんねん! ムラの実状はそんなもんと違うんや。そやからあんたは薄情やねん!!」。(なんちゅうことを言うねん!)と思いながら「薄情と言われようが何て言われようが、私は変えていかなあかんと思てる」と言い返したものの、その後、悔しいやら悲しいやらで涙が止まらなかった。 私は自分で「よう言うた」と思っている。だって、これまで自分がAさんと違う意見を持っててもなかなか言えなかったから。が、痛手も大きかった。目の前で線引きをされて強く拒絶されたような感覚や、「私を黙らせるために言うてんやな」とか「一緒にいたBさんもCさんもなんで何も言うてくれへんねん」とか、そんなものがないまぜになって「傷ついた」という感じだった。すったもんだの話の後、「泣かせてしもうて悪かったね!」と捨て台詞のように言って出ていくAさんに、「私はあなたの言葉に傷ついた。謝って下さい」と言いたかったのに言えなかった。この日以降、依然としてAさんとは冷戦状態にある。
 私は今の仕事についてその多くをAさんから教わった。過剰なくらいAさんに依存しながら、他方でAさんは私を思いのままにコントロールしようとする、と感じてきた。話しをしても《同じ》意見であることを求められている気がして、窮屈で息苦しいと思ってきた。違う考えを持っててもなかなか言えずに、結果Aさんの意見に同調して動いていく-それはまるで、自分がAさんに「呑み込まれる」といった感覚で、その度ひどい自己嫌悪に陥るのだ。けれど、私がしんどかった原因がすべて「Aさんの私に対する関わり方」にあるとは思わない。私の中にも、同じでなければならないとする考え方が根深くあると思うからだ。運動や組織そのものも、「同じであること」を善しとしてきたところがある。でも、私が窮屈で息苦しいと感じるような関係は「もうやめや!」と半ばやけくそで思うのだ。
 一緒に運動してきても、見ているところも考えていることも違うということはいくらでもある。「同じやな」とか「あ、違うねんな」ということは、互いを確かめあっていこうとする対話を通してしかわからない。そんな対話が、丁寧にできてこなかったんやなと思う。
 互いに自分の気持ちや考えを率直に話しできていく、その中で自分や他者を発見しながら「違ってていいんや」、「私は私であっていいんや」って心のレベルで実感できてきて自分を肯定していけたら、今の関係も変えていけるんかな。
 みなさんのまわりで、そんなしんどい関係ないですか?あれば、ぜひ友だちになってください。  (BU)

コメント.
 「BU」さんのこの文章がずっと心にかかり、『部落解放運動情報』誌上での反応を注目していたのですが、このままでは「BU」さんの意見は消えてしまいそうなので、みなさんにも読んでほしくて採録させてもらいました。もし「BU」さんの体験と意見を、被差別部落に外から入った人の問題としてのみ受けとめるなら、それはあまりにも想像力に欠けると言わざるをえません。わたしはいまでは、「両側から超える」ではなく、「関係を変えたいと願う者が、関係を切らずに関係を変える努力をするしかない」と考えるようになりました。相撲の立ち合いと同じで、「両側」から一緒にエイヤッと超える呼吸、間合いがむずかしい。そうではなくて超えたいと思う者が先に超えるのです。「BU」さんには酷な言い方になるけれど、Aさんにたいして、やはり「その発言はおかしい」とその場で言うべきでした。そうでないと豊かな関係がきずけないのではないでしょうか。わたしには、おかしいと言うべきときに言わなかった悔いがいっぱいあります。もちろん、言わずもがなのことを言ってしまった悔いも多いですがね。

《 川向こうから 》
●公務員は楽やなあとヤユされることはあっても同情されることのない身の上ですが、今年の夏休みは実質一週間だけでした。なにがそんなに忙しかったんかと言われたって大したことはしてないので返答に困るんですな、これが。まあ、身を持て余すより忙しく走り回っているほうが健康によろしい。おかげで体調は万全。

●最近読んだ本から───☆金子光晴『詩人-光晴自伝』講談社文芸文庫、94/7。「じぶん一人でもいい、踏止どまろう。踏止どまることがなんの効果のないことでも、それでいい。法灯をつぐという仏家の言葉がある。末世の混濁のなかで、一人無上の法をまもって、次代に引きつぐことをいうのだ。僕も、人間の良心をつぐ人間になろうと考えた。一億一心という言葉が流行はやっていた。それならば、一億二心ということにしてもらおう。つまり、一億のうち、九千九百九十九万九千九百九十九人と僕一人とが、相容れない、ちがった心を持っているのだから。/そんな考えのうえで生きてゆく一日一日は、苦しくもあったが、また、別な生甲斐があった。」(200頁)帰属する集団の上にあぐらをかいたり、集団行動しかとれず徒党を組みたがる人に「一億二心」は期待できない。それにしてもこのような独立不羈の気概は、何から、どのようにしてできあがるのか。

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