同和はこわい考通信 No.142 2000.2.28. 発行者・藤田敬一

《 論稿 》
カムアウトを考える(4)
柚岡ゆおか 正禎まさよし
原口孝博さんの共同幻想論
 次に、この間の議論の中で、実態主義を克服するうえで最も学ぶところの多かった原口さんの所説を検討してみたい。だが本稿はすでにあまりに長くなり、幅広い読者をもつ本誌の誌面をこれ以上、占領することは心苦しいので、私は原口さんの何が評価でき、どこに問題があると思っているか、できるだけその中心を記すことにしたい。
 カムアウトについて原口さんはあまり多くを語っていない。だがその独自の共同幻想論により、住田さんの「実態」論やカムアウト論を受け止め、首尾一貫した議論を展開してきた。部落や部落民という規定そのものが、歴史的に生き延びてきた共同体意識・共同幻想の所産にすぎず、これらが「実体としては存在しない」(本誌96/8)ことを知ることこそ決定的であるとした。  これに対し住田さんは、カムアウトする際には、部落民の存在も前提されざるを得ず、もし原口さんの言うように部落民が「実体として存在しない」のなら、「名乗るか名乗らないかということは問題になりようがない」、「私にとって、実体としての部落・部落民は大前提」(『こぺる』98/5)であると反論した。
 だが二人の位置関係は、『「部落民」とは何か』における原口さんの以下の発言にうまく整理されている。住田さんのレジュメ(同書付録7頁)からも引用して、その発言をまとめるとおよそ次のようになる。

 住田さんはレジュメで、カムアウトは単に外の人びとに自分が部落民であることを語るだけの行為ではなく、「部落民である自らを客観的に自覚認識する」ことにより、自分を部落差別を乗り越える主体にまで高めることだと述べている。しかしその「客観的に認識する」ということの中身は、「自分が部落民であることを認識する」というようなことではなく、「自分が部落民であるという意識」にとらわれている自分を、別の自分がみつめるということではないか。  (82頁)

 ここで二人はすれ違っている。住田さんが「部落民である自らを客観的に自覚認識すること」と述べた真意は、自分が今日的な「実態」にとらわれている“部落民”の一員であることを引き受け、その自覚をするという点にあったはずである。そしてもしそれを関係の中で深めることができれば、その自覚の中心には、自分を含む“部落民”がこれまで自ら“部落民”であるという意識にとらわれてきたことの反省が生じたはずである(注)。つまり原口さんの批判を十分受け止めることができたはずである。ところがここで住田さんは、カムアウトの意義を、ただ「部落民である自らを客観的に自覚認識すること」としか述べていない。「関係」の中で自分の「実態」認識が深められ、あるいは否定されるという把握や、そういう予感がカムアウトする者にはすでにはらまれているという認識を欠いている。逆に原口さんが批判するように、カムアウトが、「自分が部落民であること」をまず受け入れ、それを「大前提」(前掲『こぺる』文)にしてなされるものであるかのように述べてしまっている。原口さんはそこを衝いているのである。

(注)現に住田さんは、すぐ後に続く討論で、原口さんの言う部落民であるという意識にとらわれ「呪縛」された状態も単なる意識の問題ではなく、「存在そのもの」──私に言わせれば「実態」とすべきところ──と述べている(95頁)。また畑中さんも、これを正確に「実態」であるとしている(99頁)。ただし畑中さんは、おそらく他のすべての実態とともに、これを「社会的諸関係」の下に包摂させるだろうが。

 だが他方の原口さんも、「関係」の中で遂行されるカムアウトを通じて、「部落民であるという意識にとらわれている自分」を認識すべきだと述べているのではない。「問題は、語り、名乗るべき『部落・部落民』をまずどういう中身で規定するか」(本誌98/8)にあるとして、それらが共同幻想でしかないことを、カムアウトの前にあらかじめ知っておかねばならないと言う。住田さんや私のように、カムアウトを通じて「実態」の中の最後の「実態」(被差別意識)から解放されるというふうに問題を立てないのである。まず部落も部落民も共同幻想でしかないことを知り、この共同幻想論を拠点にして、「共同体内部の民衆自身に浸透した」(『こぺる』96/5)共同幻想──「実態」──に立ち向かうと言うのである。

 さらに原口さんは、近代部落の発生以来、その時々の「実態」をめぐる両側の公的・私的な対抗「関係」としてあった部落差別の歴史を、素直に、その通り描かず、これをある理論操作によって、有史以来の連続性をもった共同幻想の歴史に作り上げてしまう。どういう操作によってか。様々な部落差別の「実態」が解消し、歴史の最後になってようやくはっきり現れてきた真実──以前から見え隠れしていたが──すなわち、「意識のとらわれ」こそ「部落差別の本質」(前掲書91頁)であるという真実を指摘することによってである。今だから言えることを、今言うことによってである。「意識のとらわれ」や「共同幻想」を原口さんは「部落差別の本質」として歴史の最後(結論)から導いた。そしてそれを歴史の初めからあったことにした。共同幻想は、あたかもヘーゲルの“精神”(=霊)のように実体化され、歴史は、共同幻想が共同体の内外や民衆に取り憑く歴史、共同幻想の歴史として描かれるのである。
 たしかに原口さんの共同幻想論の長所もここにある。私も、差別の本質は「意識のとらわれ」にこそあると思う。だが原口さんは、この認識を一体どこから得たと言うのだろうか。まさか吉本隆明氏の著作からだけではあるまい。様々な時代における両側の対抗「関係」の中で、差別の実在的な根拠として機能してきた古い「実態」が、ときに消滅することがあった。差別=幻想論は、その時々に垣間見られ、経験されたことの一般化に外ならない(注)。

(注)だがその経験は「実態」の変遷の過程でまた見失われる。なぜなら人は、「関係」の中で、「実態」への他人のまなざしから自由ではあり得ず、「実態」の変化に応じて、差別=実態論に逆戻りすることがあるからである。

 原口さんの共同幻想論も、むろんその経験から派生してきたものにすぎない。そしてその経験を導いたのは共同幻想論的な考え方ではなく、常に「実態」とかかわってきた両側の「関係」なのである。差別=幻想論が特に今、説得的に響くのは、現在が両側の「関係」の最後の段階にさしかかっているからであり、部落・非部落、部落民・非部落民などの規定そのものが「関係の産物」(藤田敬一、『こぺる』97/11)──共同幻想の産物ではない──であることに気づく人が増えつつあるからである。
 原口さんがひとたび把握した「部落差別の本質」(差別=幻想論)は、今、この「関係」の最後に、この「関係」全体、過程全体によって-つまり両側が、様々な「実態」を、頭の中だけでなく現実に克服してきたことによって-解消され、実現されようとしているのである。

「まとめ」に代えて
 本誌や『こぺる』誌上でくりひろげられてきた90年代後半の討論は、まことに実り多いものだった。議論することの大切さや、自分の思考や思い込みがいかに危ういものであるかを、いやと言うほど思い知らされた。それに気づいたのはやっと今年(99年)になってからであった。
 藤田さんは、『こぺる』97年11月号で、改めて、「いま、なぜ『部落・部落民・部落差別』なのか」を問うているが、私は長い間、この問題意識が分からなかった。「なぜそんなことを問うのかわからないといぶかしく思っている人」のひとりだった。ところがこの間議論になったいくつかの文章を読み直しているとき、まったく突然に、「部落民とは何か」という問いこそ、最も根源的な問いであり、「部落差別の実態は何か」という問いよりも先にあるのだということに気がついた。
 「人びとの自己規定に『ゆらぎ』がみられること」(藤田前掲文、16頁)、この「ゆらぎ」は、人と人との今の「関係」から生じているのであり、したがってそこで問われるほかないこと、部落差別の「実態」もゆらいでおり、この「関係」の中にしかないこと、そしてすべては「部落民とは何か」という問いの内にあるということが、突然、分かったのである。それからしばらくして、自分も参加した、本誌上でのあの住田・灘本往復書簡シリーズ(91/9~92/5)の標題が「被差別部落民とはなにか」となっていることを見つけたときは、椅子から転げ落ちるほど驚いてしまった。“視れども見えず、聴けども聞こえず”とはこういうことを言うのかと思った。
 それはともかく、ここで述べておきたいことは、この問いのもつ広さ、根源性に引き寄せられるようにして、畑中さんが加わり、それに住田さん、原口さんが応じ、また多くの人たちの発言があったということであり、そして、本稿で取り上げた三氏が、ねばり強く、一歩も引かず自説を主張してくれたおかげで、私もやっと自分の間違いに気づくことができたということである。問いを共有するということの大切さを深く教えられた。
 三氏の所説、特に畑中さんと原口さんのそれに対しては、私の切り口は少し荒っぽく、とても認めてもらえないかもしれない。しかし考えた末、こうなったことなので許していただきたい。またそこに思わぬ誤解があるかもしれないので、三氏にはぜひ、また反論をお願いしたい。  (1999/9/10 記)

《 採録 》
書評『現代思想 二月号』──特集 部落民とは誰か──
  (『ひょうご部落解放』87号、99/5。角岡かどおか伸彦)
 「現代思想」といえば岩波書店の「思想」と並ぶ、哲学・思想界をリードする月刊誌である。なんでまた運動団体とは関係ない雑誌が……と思ったのは私だけではないだろう。それほど「部落民とは誰か」というテーマはインテリにとって関心を呼ぶ話題であるらしい。
 部落民の規定を巡っての議論は、まずは部落問題業界から巻き起こった。だが、私には多くの部落民の意識と離れたところで議論されているような気がしてならない。藤田敬一氏がこの特集で書いているような、部落民かどうかをめぐって自分が何者なのか分からない、自己の存在が確定できずに不安をもつ人など、まずいない。部落外で育とうが、片親だけが部落民であろうが、ひとたび差別を受け部落民として見られれば、その人物は、部落民として自己認定する、というのがライターとして部落問題の取材を続けている私の結論である。自己認定した上で、人によっては差別に抗う逃げるかを悩むのであって、部落民という自覚やアイデンティティがないからといって不安にはならない。部落民とは誰かを一番悩んでいるのは一部の学者や運動団体ではないのか。
 さて、特集では二百頁にわたり、一四本の論文が掲載されている。この業界にありがちな「そやからどないしてんな」「それここで書く必要あるの」と言いたくなるような“論文”は別として、全体として面白い内容になっている。だが、部落民とは誰かというテーマに関していえば、いずれもその周辺をぐるぐる回っているだけで、なにひとつその答らしきものはない(唯一例外は、藤田敬一氏の、他の人びとが、被差別部落民と考える人間である、という規定ぐらいであろう。だがこれも以前からあちこちに書いておられることである。)
 部落民とは誰かという命題は、部落とは何か、部落差別は何故残っているのか、という問題とも重なる。特集の中から受容な論点をピックアップしてみたい。
 部落民論争には欠かせない存在となった畑中敏之氏は、部落差別を祖先に起因する見方に疑問を投げかけている。

……部落問題が存在することの〈何故〉という問いに[運動と教育が=引用者注]「部落」の〈祖先のあれこれ〉を土俵に上げてしまったことの意味は重大であった。それは近代以降における部落問題の存在(理由)に『部落』の〈祖先のあれこれ〉は一切関係がないにもかかわらず、『今、何故差別されるのか』という『部落』の内からの訴え(問いかけ)に、理不尽にも〈祖先のあれこれ〉が持ち出されたからである。まさに理不尽である。差別する人の、あるいは差別を当然とする社会の在り方を問題にしなければならないにもかかわらず、被差別の側の、しかもその〈祖先のあれこれ〉が問題にされたのである。(57~58頁)

 部落問題は「歴史に起因する」のではない。「歴史」=〈祖先のあれこれ〉が差別の口実になっている問題である。「歴史」=〈祖先のあれこれ〉を差別の口実にする〈しかけ〉をこそ問題にしなければならない。(58頁)

 渡辺俊雄氏が冒頭のインタビューの中でも指摘しているように、畑中氏には時代を区分して議論を進めるきらいがある。だが、果たして「近代以降の部落問題の存在(理由)に『部落』の(祖先のあれこれ)は一切関係ない」のだろうか。〈祖先のあれこれ〉は差別する側が詮索しだしたことであって運動と教育に責任転嫁するのは本末転倒である。また、部落差別を現在においても残存させる〈しかけ〉の中に、〈祖先のあれこれ〉を言う身分意識なるものが残っているのではないか。畑中氏は、肝心のその〈しかけ〉がいったい何なのか、述べていない。これでは畑中理論の画竜天晴を欠くというものであろう。
 部落問題はなぜ続いているのか、という現代的な問題については語っているのが吉田智弥氏である。氏は三つの理由を挙げる。ひとつは研究者、同和教育の担当者、活動家が部落、部落民、部落解放とは何かを説明してこなかった(出来なかった)こと。二つ目は部落民に部落解放を担う力量が形成されなかったこと。三つ目は日本の体制秩序を維持するには部落的な存在が必要であるということ。
 非常に面白い考察だが、なんだか変だ。では部落、部落民、部落解放とは何かを規定できていたら部落問題はなくなったのか。あるいは違う展開になっていたのか。部落解放を担う力量が形成されなかったというが、ではそもそも部落解放とはどんな状態をいうのか。部落や部落民がわからないのに「部落解放とは何か」がわかる道理はない。さらに部落問題がいまだに続いている理由が体制維持、分断支配ではいかにも新味に欠ける。皮革産業に数多くの外国人が就労していることに見られるように、部落はもはや民衆の沈め石的存在ではなく、代替可能な存在になったと言える。
 これらの論点を、無謀であることを承知で私なりに整理してみたい。部落民とは誰か?と問われたら、それは私です、と私なら答える。そう思わされてきたし、思い込んできたからである。その意識は主に解放学級や同和教育を含む部落解放運動、さらにはメディアによって形作られたが、私はそれを必ずしも否定的にとらえていない。なぜなら、私はやはり差別される(かもしれない)立場・存在だからだ。部落民とは部落差別を受ける(かもしれない)立場にある人、というのが現段階での私の定義である。
 では部落問題はなぜ現在もあるのか。差別する側は、その理由は何であってもよい。差別者はどんな違いであっても(あるいは違いがなかろうと)それを見つけだす。まず部落差別ありき、ではなく人間を差別化する際に、部落というスティグマが意味をもつのである。部落が「改善」された今、若い世代ほどその傾向は顕著である。
 付け加えると、近年の部落差別は、ある選択を迫られるとき、消去法でおこなわれる場合が多い。結婚差別でいえば、何がなんでも部落はダメ、というよりも(そんな例もあるが)何もよりによって部落の人を選ばんでも……という消去法である。そこにおいて「部落は暴力的、閉鎖的」などのマイナスイメージが作用する。
 部落を取材して思うのは、差別する側や学者・運動団体には「部落民」は必要不可欠なキーワードであっても、大多数の部落民、とりわけ若い世代には大きな意味をもっていないということである。これをもって部落解放というのか、私には今もってわからないが……。

コメント.
 評者の角岡伸彦さんは、『被差別部落の青春』(講談社、99/10)の奥付によれば、1963年兵庫県加古川市生まれ。大学卒業後、新聞記者をへて、現在ノンフィクションフリーライター。さて角岡さんにとって、「部落民とは何か」は、問うも愚かな自明の事柄であるらしい。「部落民として見られれば、その人物は部落民と自己認定」するのであって、「部落民という自覚やアイデンティティがないからといって不安にはならない」という。これは部落問題を取材してきた経験にもとづく結論だと念をおされると、「部落民とは何か」を議論するのは、やはりインテリや部落問題でメシを喰っている連中の好事家的職業的関心でしかないんだなと、早とちりする人がおられるかもしれない。ほんとにそうなんでしょうか。
 「部落民として見られる」といっても、「見る人」と「見られる人」との関係や、両者をとりまく情況によって、その“まなざし”と反応はさまざまな様相を呈するはずです。経済の高度成長や大衆社会化の進展によって、それに対する受けとめ方が多様になっていることは明らかですし、新しい感性が部落内外に生まれかけていることも事実です。「部落民であるぼくには、生きること、毎日の生活そのものが差別とのたたかいである」という述懐にリアリティーを感じる人は少数だと見ていい。にもかかわらず「部落民」という名づけ・意味づけ・しるしづけにともなう遇し・遇され方を通して形づくられる自己像との葛藤は決して過去のものではないと思います。そして「わたしは(あなたは)部落民である。わたしは(あなたは)部落民ではない」という自己規定と他者規定は、「わたしは何者なのか」「わたしにとって他者とは何か」という人間存在の根源にかかわる問いにつながっているのです。そうしたことを無視したり、軽くいなしたりしていては、差別の人間的基礎を照射することなどできるわけがない。人はみな日常の生活感覚では、「あたりまえ」の見なれた自明世界に生きているものです。思索は、自明と思われる事柄を問うことから始まる。自明性にあぐらをかくなら、「物を書く」意味がない。自明、常識に挑みたいからこそ、人は「物を書く」のではないでしょうか。角岡さんには、その点をとくと考えてほしい。

《 川向こうから 》
●某日、島根県山間部の、ある町に出かけました。伯備線生山駅で下車、迎えの自動車での峠越えは雪中行となりスリル満点。翌朝、会場に集まってくださった平均年齢70歳の高齢者に「よく生き合うために」と題して1時間ほどお話ししました。笑い声が起こったり、会場を出るときに手を振ってくださる人があったりして、うれしかった。講演って、一方通行のように考えられがちですが、会場から無言のメッセージが発せられていて、わたしとの間で双方向の呼応関係が成り立つことがあるんです。もちろん、先日、某市で開かれた同和教育講演会のようにイビキが響きわたることもときにはありますよ。しかしそれはそれで面白いエピソードに変換すればいいのです。問題はエピソードに変換できる力量がわたしにあるかどうかです。その日は20数年前の卒業生が会場に来てくれていたのでリラックスしていたのでしょう、笑ってすますことができました。

●柚岡さんの論稿は今号で完結です。昨年9月末に原稿をいただきながら、掲載がこんなに遅くなって申しわけなし。むずかしいとの感想が寄せられています。テーマがテーマなのでしかたがないかなという気もしますが、身近な経験を素材にした議論がもっとあっていいとは思いますね。

●最近読んだ本から───☆年末年始、柄にもなく現代詩を読んだ。長田 弘、茨木のり子の詩集が刺激になったようだ。「世界の真昼/この痛ましい明るさのなかで人間と事物に関するあらゆる自明性に/われわれは傷つけられている!」(「1940年代・夏」『田村隆一詩集』思潮社、現代詩文庫、68/1)、「言葉のない世界は真昼の球体だ/おれは垂直的人間/言葉のない世界は正午の詩の世界だ/おれは水平的人間にとどまることはできない/言葉のない世界を発見するのだ
 言葉をつかって/真昼の球体を正午の詩を/おれは垂直的人間/おれは水平的人間にとどまるわけにはいかない」(「言葉のない世界」)。『オーデン詩集』(思潮社、現代詩文庫、93/8)にも、「できたら、垂直的人間を/尊敬しようではないか、/われわれは水平的人間しか/重んじないけれど。」というフレーズがあった。水平的人間、垂直的人間という言葉から何を想像するか。☆山折哲雄『悪と往生-親鸞を裏切る「歎異抄」』(中公新書、00/1)。親鸞とその弟子で『歎異抄』の編者でもある唯円をめぐって話が拡散し、焦点がぼけている。

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