同和はこわい考通信 No.139 1999.11.25. 発行者・藤田敬一

《 随感・随想 》
そんなことは言ってはいない!
畑中 敏之
 「誤解だ!」。野町均さんの「『理不尽』と部落問題-畑中敏之、藤田敬一氏の所論をめぐって」(『「同和はこわい考」通信』137,1999年9月)を、最初に目にした(読んだ)とき、第16回部落問題全国交流会(9月11日~12日)の会場で、野町さんに直接そのように言った。野町さんがこの論稿で取り上げているのは、私の見解ではない。その意味では、「誤解」に基づく論稿である。
 それが「誤解」だという思いに、今も変わりはないが、しかし、再度、再々度、読み直してみて、野町さんに「誤解だ!」と非難を込めて言ったことを反省している。その反省点の一つは、私の発言(昨年の第15回部落問題全国交流会での分科会のまとめ)は、そのように受け取られたのだ、ということ。私自身の本意・意図とは違っていても、そのように受け取られたということを認めなければならない。「誤解」の主たる責任は、野町さんにではなくて私にあるのかもしれない、と思い直した。だからこそ、あのとき、藤田敬一さんは、あのように反論したのだろう。そのことが、一年後にやっとわかった次第である。もう一つの反省点は、野町さんが「『理不尽』と部落問題」で展開している問題は、それはそれとして重要な論点であり、その議論に対してはキチンと応えなければならない、ということである。「誤解だ!」と言ってしまって、論稿での議論そのものを切り捨ててしまうわけにはいかないからである。
 しかし、この二つ目の反省点にかかわる議論に進むためにも、やはりその前に「誤解」は解いておかねばならない(なお、野町さんの展開した「『理不尽』と部落問題」にかかわるテーマについての私見は、別途稿を改めて論じたい)。
 昨年の第15回部落問題全国交流会での分科会のまとめで、私が何を言いたかったのか。ここでは「言った・言わない」の不毛の議論はしない。弁解もしないが、何を言いたかったのか、そのことだけは言っておかねばならない。そこでまず、野町さんが私の見解を紹介している部分を引用する(前掲・野町「『理不尽』と部落問題」)。

畑中、藤田両氏のあいだで議論になったのはこの種の不祥事を部落問題と関連させて見るのかそれとも個人の行為として見るのかということであった。/口火を切ったのは畑中氏で、交流会の分科会での討議を報告するなかで氏は同和地区に居住する清掃局員が覚醒剤容疑で逮捕されたからといって部落問題と関連づけたりしていると「やっぱり部落民は……」といったふうに、個人の行為を部落民という一括りで見てしまう考えに陥ってしまうと語り、清掃局員の部落か部落外かといった「所属」を問うのではなく一個の人間の行為として考えるべきだと主張した。

 いわゆる「部落民」の不祥事ではなくて、例に挙げられているような不祥事が、同和行政・同和教育・部落解放運動の現実と無縁であるはずがない。そのゆがみの一つの現象であることは間違いない。その意味で、部落問題と関連する不祥事であることは否定できない。このように、私は考える。ところが、そのような不祥事を「部落問題と関連させて見る」ことに、私が反対しているかのように、野町さんは言う。ここに最大の「誤解」がある。「部落問題と関連させてみるのかそれとも個人の行為として見るのか」などという二者択一の議論を、あの場で藤田さんと行ったという自覚は、私にはなかった。
 あのような不祥事は、基本的には個人の資質にかかわる問題であるとしても、そこに部落問題が関連していることも、また言うまでもない。このような認識は、藤田さんとも共通するだろう。では、あのとき、私は何を言ったのか(言いたかったのか)。それは、そのような不祥事を指摘(告発)することの〈悩ましい問題〉についてである。運動・行政・教育の在り方をめぐって、もっと言えば、部落問題の解決をめざす立場に立つならば、そのような不祥事を見過ごすわけにはいかないことは言うまでもない。しかし、そのような指摘(告発)が、その意図にかかわらず、「やっぱり部落民は……」などというように「部落」に対する偏見・差別を助長する役割を果たすネタとして利用されてしまう現実がある。そういう〈悩ましい問題〉である。だからと言って、その現実を前にして、指摘(告発)することに躊躇するわけにはいかない。では、どうすればいいか。実践するに簡単なことではないとは思いつつ、次のように考える。運動・行政・教育、部落問題に関連させて、逆に言えば、そのような不祥事を指摘(告発)することによって、運動・行政・教育の在り方を問うことはもちろんであるが、そのことと同時に重要なことは、にもかかわらず基本的には「個人の行為」であるという認識-「部落民A」の不祥事ではなく「A」の不祥事という認識-をいかに説明(徹底)仕切れるかどうかということであると、私は考える。
 私は、このような主旨の発言をした(つもりであった)。このように私見を再提示したうえで、では、藤田さんの議論とどうかみ合うのか、今後の課題として考えていきたい。

 野町さんの「誤解」は、以上述べてきたように、それは「誤解」には違いないが、その責任(原因)ということで言うならば、野町さんを一方的に責めるわけにはいかない。当日、充分意を尽くした発言をしたという自信はないからである。その意味で、ここで取り上げた野町さんの「誤解」の事例は、「そんなことは言ってはいない!」という本稿のタイトルには必ずしも相応しくない。
 そこで以下、「そんなことは言ってはいない!」というタイトルに、より相応しい事例を列挙しよう。

 川元祥一さんは、『解放新聞』連載の「関係性の論理-内在する概念と体系」のなかで、私見を取り上げて次のように言う(1934号、9月6日)。

最近出版された『「部落民」とは何か』(藤田敬一編・阿吽社)のなかで畑中敏之は「部落、部落民というのは定義不可能であるということです」という。またアイデンティティを帰属意識と解釈したうえで「ある集団なり組織への帰属意識がまるで自明の如く血縁的な条件で語られる。そして、帰属というものでアイデンティティが語られる現実に疑問がある」とする。この二つの引用文でもわかるとおり、彼はアイデンティティを曲解したうえで部落民のそれは必要ないと語っているのである。

 ここでは、二つの誤解・誤読がある。一つは、「アイデンティティを曲解」という部分。この「曲解」とは、文脈上は「アイデンティティを帰属意識と解釈した」ということを指しているのだろうが、これは、全くの誤読、まさに曲解。私の主張は、むしろ「アイデンティティを帰属意識と解釈」することに疑問を呈しているのである。川元さんの引用部分(これ自体も杜撰な引用で欠落部分のある不正確なもの)にもあるが、私は「帰属というものでアイデンティティが語られる現実に疑問がある」と述べているところである。二つには、「部落民のそれは必要ない」という部分。「それ」とはアイデンティティのことであり、「部落民」のアイデンティティは必要ない、と私が語っているというのである。誤読・曲解も甚だしい。「部落民」とは何か-私にとってこのテーマは、単にそのアイデンティティの存在の有無を論じるものではない。『「部落民」とは何か』の再読をぜひお願いしたい。
 川元さんは、この議論の延長で、さらに誤読を重ねる。「部落の起源論はもうやめよう」という私の主張を、被差別部落の歴史を論じることをやめよう、などと言っているのだと捉える。このような誤解・誤読は、川元さんだけではなく、私見への誤解・誤読としてはポピュラーなものではあるが、この誤読は、逆に「部落史」というものがいかに起源論と一体で捉えられている(きた)かを証明するものであろう。川元さんにとっては起源論抜きの「部落史」などは考えられないのであろう。

 竹末勤さんは、「近代における部落問題の歴史的研究をめぐる近年の状況について」(『部落問題研究』148,1999年9月)において、次のように言う。

結論的にいえば、私は前田・杉之原両氏の畑中氏の主張の整理と問題点の指摘に賛同する。とりわけ、杉之原氏による畑中批判は根源的であると思う。

 このようにあっさりと「結論」だけを言われてしまうと、困ってしまう。前田正明さん、杉之原寿一さんによる私見批判は、もちろん同一のものではないし批判点も各々多岐にわたっている。そのような前田さん、杉之原さんの畑中批判の内容を具体的に一切示すことなく、「賛同する」とだけ言う。このような論評の態度には驚くばかりである。
 竹末さんは「杉之原氏による畑中批判は根源的である」という結論だけを言うが、では何がどう「根源的である」のかを言わない。それを言ってもらわなければ、私としては応えようがない。論評するならば、少なくとも、双方の見解を紹介し、その批判の視点を明示することが最低限求められる。それをしないで、一方的に「賛同する」とだけ言うような論評があるだろうか。これでは、誤解・誤読、それ以前のものだ。竹末さんが、拙論をどのように読まれれたのか、そのことすら伝わって来ない。竹末さんにとっては、何が議論されているのかではなく、誰が議論しているのかが、重要なのだろうか。

 原田琢也さんは、「アイデンティティの相対化と実体化の狭間で」(『こぺる』79、1999年10月)において、次のように言う。

本誌においてはここ数年、「部落民」のアイデンティティをめぐる議論が活発に行われている。(中略)もう一つの系は、「部落史」の存在をめぐる議論である。畑中敏之氏は「部落史」というものがあってはおかしいと言い、師岡佑行氏はそれがなくてはおかしいと言う。

 原田さんは、「畑中敏之氏は『部落史』というものがあってはおかしいと言い」と言うが、「あっておかしい」などと言っている「畑中敏之氏」とは誰のことか。これに類する誤読・誤解については、師岡佑行さんへの反論「歴史に何を学ぶか」(『こぺる』1999年7月)で既に述べたところである。原田さんが、それでもなお、拙論(私見)をこのように捉えるのか、理解に苦しむ。私は、「部落民」・「部落史」の存否ではなくて、その在り方(捉え方)を問題にしてきた。私は、幾度となくそのように言ってきた。

 ここの紹介した事例以外にも、拙論(私見)に対する誤解・誤読に基づく非難、さらには具体的に批判箇所を示さないでの非難、さらには、反論をしているにもかかわらず繰り返される同様な批判、等々が後を絶たない。「取りあげていただいてありがたい」などとは、もはや言っておれない。
 私が言った(書いた)ことに対する批判ならば、反論もできる。しかし、「誤解」に対しては、反論のしようがない。「誤解だ」「そんなことは言ってはいない」となどと殊更に言うことが、何か弁解じみていて、いやなものだから、その手の非難に対してはしばらくは無視していたが、やはり言わねばならないという心境になった。思えば、師岡佑行さんの批判に接したことがそのことの始まりだった。師岡さんとは、この間、いろいろと議論する機会が多かっただけに、批判はあっても少なくとも拙論に対する「誤解」はないものと思っていたので、「誤解」に基づく批判に接したときには本当に驚いた。
 「打たれ強い」という言葉があり、そのような人はいる。「批判され強い」という人もいるだろう。確かに、そのような人はいるだろうが、私の場合は、決してそうではない。しかし、「世間」は、そうは思っていないらしい。そうとしか考えられないほどに、「打たれ」「批判され」ることが続いている。私の言った(書いた)ことに対する批判ならまだしも、そうでないから、消耗するばかりである。そのような「誤解」に基づく非難を聞き流すほどに、私は寛容ではないし、強くもない。

《 採録 》
「解放理論に関する議論(諸説)を考える」
  (部落解放・人権研究所編集・発行『部落解放研究』No.130,99/10)

 渡辺俊雄(部落解放・人権研究所) 二つ目は藤田敬一さんなど雑誌『こぺる』を中心にされている議論で、近年は『「部落民」とは何か』という本が出た(1998年、阿吽社)。藤田さんからの問題提起を受けて、それに共鳴する人たちが集まっている。藤田さんが問題にしてきた議論は、それなりに支持や共感を得ている。なぜそういう共感を得ているのかということは、考えなければならないと思う。/私なりに考えると、今まで何を議論するにしても、解放運動という枠組みで議論してきたので、運動全体を否定するわけではなくても批判的な議論は、研究者などもできていなかったと思う。そういうことを議論することは、後ろから鉄砲で撃つことになると、運動の論理が働く。ある人にいわせれば「撃ってもかまわない。当たらなければいい、警告の意味で撃つのは大いによろしい」という人も中にはいたが、全体としてはそうではない。歴史の分野でも、松本治一郎の戦争責任の議論などは、なかなかしにくい状況が続いた。
 そういう状況にあって、運動の意見を代表するとか、どの組織を代表してものをいうとかではなく、いっさいの組織、団体を代表しない、個人の資格で議論しようという。そういうことが、ある種、議論の風穴を開けてきた面は、確かにある。又、そういう議論をみんながほしがっていた、ということもあるわけで、どこまでできるのかわからないが、研究所なんかもそういう場を提供すべきなんだろうと思う。そういう意味で、かなりの人が共鳴、共感している。私は「こぺる」の会議に行ったことがないから、雰囲気はよくわからないが、端から見ているとあそこの議論はおもしろい、ということになって、続いている気がする。
 「こぺる」のグループの意見を象徴しているのは、たとえば藤田さんが最初からいっている「両側から越える」という問題。具体的にどういうことなのか、何をどうしたいといっているのか、私には具体的なイメージとしては湧いてこないのだが、一つは差別・被差別の関係を絶対化しないということ。もう一つは、組織も団体もなにも代表せず個人として発言するといういい方からもわかるように、個人として部落問題にかかわっていこうということ。組織とか運動を背負うのではなく、個人として、立場を問わず議論し、「両側を越える」ということになってくる。
 私も部落問題とのかかわりというのは、非常に個人的な問題が大事で、組織としての解放運動はそれとしてあるのだけれも、その中でも一人ひとりが部落差別とどうかかわるとか、運動とどうかかわるとか、あるいは部落外の人間がそういう解放運動とどう向き合っていくのかとか、自分たちの身の周りにある差別の現実とどうかかわるのか、どう変えていくのか。そういう個人がどう部落問題にかかわわるのかということは、これまで弱かった視点だし、非常に大事だと思う。
 ただ、現実の問題としては、部落差別の問題をそんな個人の問題に、すべてを個人の生き方に還元してしまっていいのか、という気はする。個人としてかかわるということはいいが、その個人というのは、いろんな意味で組織とか立場だとか、歴史性に規定されているわけで、ここのグループで議論されているように、抽象的に個人として今の世の中に存在しているのかな、という気がする。そういう点がいちばんひっかかるところである。(略)

北口末広(部落解放同盟大阪府連) 話は違うが、『「部落民」とは何か』という藤田敬一さんなどは、ちょっと運動を斜めから見ている人という気がする。これは、なぜだろう?

渡辺 だから、ああいう発想で運動ができるかどうかというのは関係なしに、部落の外へ出て、思いの丈をしゃべっているという感じがする。

秋定嘉和(池坊短期大学) ぼくは、やはり、両側から越えるということは、われわれの方からいうと、批判はできなかった。ところが両側から越えるという議論でいうと、向こう側からのいい分を一方的に今まで受けとめた受け身の立場が、そうではなくて両方の側から意見がいえて、という意味では、一般の側の主体解放がある。そのことを同じように考えている部落の側も、やはり同盟批判をやるし、同盟のあり方に対して批判を、あきたらなく思っている人も参加してくる。一般の側と部落の側の、双方の側が論じあっているところの場所として問題性をもって存在している。(略)

北口 私は、部落民とは何か、ということを、こういうかたちで議論されるのは、非常にいいことだと思う。議論されるようになってきているというのは、部落民のアイデンティティが希薄になってきているからだ。だから、よりいっそう、それを求めているというか、要するに今はっきりさせないと、なんかこうぼやけてしまうと多くの人が思っている。そういう危機感があるのではないか、と思う。どうだろうか?

秋定 やはり解放を願いたい人は、一般の側からの議論は、あなただけでなく向こうの藤田氏も同じ。だから、そういう点でいうと、新しい基盤というか、新しい提起というか、それが次の時代を、解放同盟プラスそういう、同じことを考えている人びとで、やっていきたいという実践性を、彼らは求めている。今のところ、少数の個人の結集で、そういう思想関連になっていると思う。ここで練っておいて、できれば運動の中で、どういう役割をはたせるのか考えている。部落差別は、ずっと続くと考え、しかしその内実には変化があると考えており、それをどうやってともに変えていけるのか、といったら、日本を変えることにつながるんだという。ある意味では永続革命的な、国民国家論的な、色彩が強い。だから、そんな中で、おち合うところが出てくるだろうか。全解連や国民融合論とある程度までは、同盟に反対するところでは合うだろうけれども、究極のところへいくと、ダメになる。/一方、畑中さんは一致しているように思っているけれども異なるのではないか、ということを見ていて思う。

コメント.
 わたしについて「すべてを個人の生き方に還元してしまって(いる)」だの、「運動を斜めから見ている」だの、「部落の外へ出て、思いの丈をしゃべっている」だの、まあ好き勝手なことをおっしゃってますが、それもまたよろしい。これまで『こわい考』にいっさいふれなかった人が、『こぺる』などでの論議が部落解放運動をめぐる状況に「風穴かざあなを開けてきた面は、確かにある」というようになっただけでよしとすべきです。ちなみに辞書には、「風穴を開ける」とは、「その組織体にとって根本的な危機感を与える意、伝統・独占に慣れた世界の現場に新風を吹き入れる意」とある(『新明解国語辞典』)。渡辺さんはその意味を承知のうえでお使いになったのでしょうね。ちょっと気になるので一言。

《 川向こうから 》
●畑中さんの気持はよくわかります。しかし文章を公表する以上、誤読、誤解は避けられないのではありますまいか。誤読、誤解はたしかに著者にとっては不本意にちがいありませんが、でも根気よく応えるしかない。「誤読、誤解をした」人ともその後、わかりあえるということもある。要は、あきらめないということ。「話せばわかる」とは必ずしも考えませんけれど、話しつづける努力だけは放棄してはならぬと、わたしはみずからに言い聞かせてきたつもりです。畑中さん、元気をだして。

●某日、あるところから「こんど人権に関する研修会を開かざるをえなくなりました。ついては講師にきてもらえませんか」との電話あり。いやいや開くというホンネがぽろりとでたにすぎず、気色ばんでたしなめるほどのことではない。この国の情況はその程度なんです。それで、どうしたかって。もちろん丁重にお断りしましたよ。「おれも人間がだいぶできてきた」と思うこのごろですが、この手の物言いにはまだカチンときます。あきまへんなあ。

●最近読んだ本から───★網野善彦『古文書返却の旅-戦後史学史の一こま』中公新書、99/10.1950年代に各地から借用した漁村関係の古文書を返却する旅が、戦後歴史学の軌跡と戦後史への旅にもなっている自伝的な一篇。網野さんの本を読んだことのある人には、その歴史像が形作られてきた現場と背景を知ることができて貴重★「ひとはじぶんが誰かを知るためには、じぶんがそこからきたという場所を知らなければならない。じぶんが確かな土地、確かな生活様式に属しているということ、そしてじぶんがその土地を、その生活様式を親しく知っているということを、人生の滋養として、ひとは育つからだ。」長田 弘『アメリカの心の歌』(岩波新書、96/7)に引かれた北アイルランド生れの詩人シェイマス・ヒーニーの言葉だ。はたしてわたしに、そのような「確かな土地、確かな生活様式に属している」という実感があるだろうか。

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