同和はこわい考通信 No.130 1999.2.20. 発行者・藤田敬一

《 随感・随想 》
「Kを偲んで、Tより──藤田さんへの手紙」に答える
藤田 敬一
 上掲表題の文章は、以前本誌「『同和はこわい考』の十年とわたし」欄に掲載させてもらったものです。原稿をいただいたときから、いずれきちんとお答えしなければいけないと考え、Tさんにもそう伝えておいたのですが、忙しさにかまけて返事がついつい遅くなってしまいました。そこで、青土社発行『現代思想』99年2月号の特集「部落民とは誰か」に寄せた「部落解放運動の現在-差別・被差別関係の止揚を求めて」の一節を再録して、わたしからの応答とさせてもらいます。いささか論争的口調になっていますが、ことは部落解放運動の根幹にかかわるものである以上やむを得ません。なお一部語句を補正しました。

 〈再録〉

 (『こわい考』の刊行から)十年余、いまも私のこのような意見に対して懸念、疑念を抱いている人がいる。ここに紹介するのは、『同和はこわい考』刊行十年を機に『同和はこわい考通信』の読者にお願いして寄せて貰った文章の一篇である。

藤田さんは、差別・被差別の関係で、立場、資格の絶対化が、批判の拒否をともない、両者の間の対話をとぎれさせていると指摘し、これからは「両極から徐々に手をさしのべて、その接点をまさぐりあう」努力が必要であると主張されました。そして、いまや解放運動にかかわる人たちの間では、「両側から超える」という言葉が流行語にもなりかねない感じさえあります。『こわい考』では、論拠を示しての問題提起でもあったわけですが、最近のように、あまり安易にこの言葉が口にされるのをみますと、これでよいのだろうか、と気になり始めます。
 ところで、「両側から超える」といわれながら、さしあたり人びとの念頭にあるのは体験の絶対化が対話をとぎれさせる要因になっているなど、もっぱら被差別(部落)の側に対する批判であろうと思います。問題解決に向けての共同の営みであるはずが、被差別の側の自己批判、自己規制を求める声ばかりが聞こえてきて、犯罪学でいえば、加害者の問題はさておき、被害者学の必要性が唱えられているというところでしょうか。しかし、一方で、具体的な中身も示さずに、解放同盟などの運動団体の側からさえも、「両側から超える」という言葉が出てきたりしますと、あれは活動家だけの問題をさしていたのかと、はたと戸惑いを覚えたりしますが、どうでしょうか。(略)
 また、私は、「資格や立場の絶対化」の排除に賛同しながらも、そのあまりの寛容さには懸念を覚えます。差別・被差別は人間関係のありかたの一つですから、そこには知性のみではコントロールしがたい、情緒的な要因が強く存在します。情緒的な要因を無視して、論理のみを問題にする批判が、相互不信の増幅を招くことは明らかです。藤田さんの提言は、「共感と連帯」の絆の存在を前提にしてのことでしょうか。それとも、相互批判を通して信頼関係を築くというのであれば、それは個別体験の伝達可能性への過信であり、楽観論に過ぎるように思います。体験にまつわる自分の気持ちを、相手がまったく理解してくれない場合と同じく、「あなたの、その気持、わかる、わかる」などと、簡単に言われる場合のもどかしさも信頼関係の成立を阻害します。このように考えますと、体験や立場の相違の絶対化も排除すべきですが、相互理解に対する謙虚さももたない限り、「両側から超える」ための信頼関係は生まれてこないと考えます。(略)
 Kは、よく口癖のように、連帯すべき人たちと、そうでない相手を見分けるよう、活動家の学生に話しておりました。いま思えば、差別、被差別のいずれの側の者か見きわめるということであったのでしょう。喧嘩ばやい若い学生が相手であったことでもあり、「両側から超える」などという、「おとなの論理」は、彼の口から出てくるはずもありませんでしたが、彼が生きていたら何といったでしょうね。(「Kを偲んで、Tより-藤田さんへの手紙」『同和はこわい考通信』No.114,97/5。『同和はこわい考の十年』46頁以下)

「両側から超える」という言葉は金時鐘さんから借用したものだが、それを部落解放同盟奈良県連(川口正志委員長)が二、三年前からしきりに使っていることは知っているし、大阪府連のある幹部が昨年末、京都市内の集会で使ったという話も聞いているけれど、Tさんによればこの言葉が部落解放運動にかかわる人たちのあいだで流行語のようになりつつあり、安易に使われているという。かりにそうだとしても、そんなことは私には関係がない。どなたがどのようにお使いになろうと勝手、自由であり、その責任までは負いかねる。そして「これでよいのだろうか」と思うなら、当の相手にいえばいいのであって、私にお鉢をまわされても困る。
 さてそこで、第一に、Tさんは「両側から超える」の主張が、もっぱら被差別側に対する批判として受けとめられ、その自己批判、自主規制を求める声を誘発しているかのように否定的に書いている。私は「両側から超える」という意見に対してそのような受けとめ方があって当然で、それによって部落解放運動に自省と自制を求める声が誘発されたとしてもおかしくないと考える。なぜなら部落問題の解決をめざす取り組みにおいて、運動団体もしくは「差別される側」の存在感は比類なく、力は巨大であり、「差別する側」の人びとはその存在と力に圧倒されていると感じている現実があるからだ。運動団体を権力と呼ぶ自治体職員すらいる。このような情況のもとで「両側から超える」という言葉に、運動団体もしくは「差別される側」への不満、批判を託す人がいても、それはやむを得ないところがある。むしろ私が気になるのは、胸中に秘める思いを率直に語ることができず、鬱屈し、内攻させている自治体職員や企業の担当者などが少なくないということである。鬱屈と内攻はときには怨念・憎悪となって表出することもある。それをとらえて非難することは簡単だが、それですむ問題ではない。まして「両側から超える」の主張をめぐって、「犯罪学でいえば、加害者の問題はさておき、被害者学の必要性が唱えられているというところでしょうか」などと茶化すことは、私にはできない。それに「差別する側」が犯罪における加害者で、「差別される側」が被害者であるという比喩も乱暴すぎる。このような二項対立的な発想こそが「両側」の溝をより深くし、壁をより高くしているのである。
 第二に、Tさんは、「『資格や立場の絶対化』の排除に賛同しながらも、そのあまりの寛容さには懸念を覚え」るという。意味がよく読み取れないないのだが、おそらく「差別する側」からの「差別される側の資格・立場の絶対化」に対する批判に私が寛容だということなのであろう。何を根拠にそのように断定するのか理解に苦しむが、かりに私が寛容であったとして、それがなぜいけないのか。
 たとえば小森龍邦さんは

 何が差別だということは肌身を通じて一番よくわかるのは、被差別体験をもった者よね。人間だから差別とは何かで迷いをおこさないとは絶対に言えないが一番正しく判断できるのは、被差別体験者ですから、一番正しく判断できない者が逆に、(自らの)差別(判断)を絶対化して解放同盟が差別だといったら差別かというような言い方をするのは見当違いだと。(『解放新聞』広島県版、91/1/9。括弧内は藤田補説)

と語り、
 平田美知子さんは

 差別者であるという認識に立った私たちは、まず何によって自己を検証していくかということを考えますと、やはり差別と闘っておられる人々の実践、理論に学ぶほかないと思うのです。その実践、理論がいかに普遍的であるかということに思い至ったとき、初めて自分自身のエネルギーとなり、不合理、矛盾に立ち向かっていけるのではないでしょうか。(略)「自己とは何ぞや」と問うていくということは、とことん凡夫である自己に気づき、差別者である自己に気づいたとき、被差別者に何一つとして望めることのできない自分であることを思えば、その自己の差別性を克服していく以外方法のないことに気づかされるのではないでしょうか。(略)/「両側から超える」などということは、差別する側の同情、融和からきた傲慢な思いのあらわれではないでしょうか。
 差別する側の、その「立場」にきちっと帰ってみれば、言えることと言えないことの理解がそこででてくるのではないかと思うのです。(真宗大谷派同和推進本部『「同和」推進フォーラム』No.13、91/11)

と述べる。ここには典型的な「差別される側の資格と立場」の双方からの絶対化があり、部落解放運動とその理論および「部落民」と活動家の物神崇拝がある。これほど極端でなくても、それに近い心情の持ち主はまだまだ多い。
 私自身の経験に照らしても、「資格・立場の絶対化」は双方からなされているのであって、片方だけでは「人と人との関係における資格・立場の絶対化」は起こらない。「部落民でなく、差別する側に立っている者に、何がわかるか」という意識、心理と、「部落民でなく、差別する側に立っている私には、部落民に対して何もいえない」という意識、心理とが対応することによって「人と人との関係における資格・立場の絶対化」が成り立つ。「両側の隔絶された関係」に対する批判が他者批判をともなうのは不可避なのである。『同和はこわい考』の批判者、とくに宗教者に、出口なしの自己否定に陥る人が多いのは、関係批判が他者批判をともなうことを避けようとするからだろう。しかし私はいかに危うくとも、人と人との関係を変えたいと願うがゆえに他者批判を自らに禁ずるようなことはしない。なぜなら「両側の隔絶された関係」の現実から目をそらすことができないからである。他者を批判するだけで、自己を問おうとしない人はどこにでもいる。だからといって、他者批判をしてはいけないということにはならない。まして批判を拒否したり、批判を抑圧するとき、運動や組織・集団にいかなる事態が起こるか、その実例に事欠かないのである。部落解放運動にとって最大の不幸は、異論・異見が表明されず、開かれた議論がなされないことだと、私は考えている。
 第三に、Tさんは、「差別される側」の情緒的要因を無視して、その論理だけを批判することへの懸念を表明している。この箇所も意味が鮮明には読み取れないのだが、差別や差別的言動に直面したことのある人びと、あるいは直面するかもしれないと心を震わせる人びとの心理・心性・情緒、直接体験にもとづかなくても「同和はこわい」と感じている人びとの心理・心性・情緒を無視して、「差別される側」の資格・立場を一方的に問題にすることを批判しているのかもかもしれない。もしそうだとすれば、『同和はこわい考』を読んでもらえばわかるように、私は自らの体験、経験をふくめて見聞したかぎりの範囲で、人びとの心理・心性・情緒について触れており、「情緒的要因を無視して、論理のみを問題にする批判」は行っていない。私が問うたのは「差別される側の資格・立場の絶対化」であり、それが対話をとぎれさせ、関係を隔絶させる要因になっているということである。私のこうした意見が差別-被差別両側の「相互不信の増幅を招くことは明らか」だと、どうしていえるのか。この十年、『同和はこわい考』がそのような事態を招いたとは聞かない。私の意見を利用しようとした人はいる。京都府のある町長がそうだった。しかし読者の中に、この十年自らの内面を問い続けている人がいることは、『同和はこわい考通信』に寄せられた便りを見れば、それこそ「明らか」である。その人びとは簡単に「差別される側」を非難、批判するだけではすまないと感じているからこそ思索し続けているのであり、当初は反発した人ともいまでは親しい間柄になっているということもある。つまり「相互不信の増幅」とは、Tさんの単なる想像の産物にすぎないのではないか。
 第四に、Tさんは、「藤田さんの提言は、『共感と連帯』の絆を前提にしているの」か、「それとも、相互批判を通して信頼関係を築くという」のかと問い、もし後者であれば「それは個別体験の伝達可能性への過信であり、楽観論に過ぎる」という。どうもTさんは「共感と連帯」の絆を前提にしなければ信頼関係は築けず、「共感と連帯」の絆を前提にしない相互批判では信頼関係を築くことは不可能だといいたいらしい。もちろん私は「共感と連帯」の絆を議論の前提にしていない。それは当然のことだ。もしそんなものを前提にするなら、だれも「人と人との信頼関係」など築けないことになってしまう。個別体験の伝達可能性を無邪気に信じることもなければ、それをはなから否定することもない。大切なのは、人間の問題について交感・共感・同感する関係をいかに双方からつくりあげていくかということである。「わかってほしい」という思い、願いと、「わかりたい」という思い、願いがつながることを、私は夢想する。そして、それは可能だと信じる。その意味で「相互理解に対する謙虚さ」は双方に求められているのであって、片方だけに求められているわけではない。
 第五に、Tさんは、連帯すべきは「差別される側」の人びとであって、「両側から超える」などというのは「おとなの論理」、つまり世故にたけた人間のさかしらな言いぐさであるといいたいらしい。Kとは、中国近代史の研究者で、私の先輩であり、Tさんと某大学で同僚として大学闘争にともにかかわわった人であるが、そんなことはこの際どうでもよろしい。問題はTさんが人間を「差別する側」と「差別される側」に截然せつぜんと分け、「差別される側」の人びととのみ連帯すべしと断言していることである。人には、物事や世界を二分して考える癖があり、そしてそれは避けられないことでもあるのだが、部落解放運動では、この二分法、二項対立的発想があまりにも過剰である。その過剰さが言説の段階にとどまっているのなら影響は少ない。それが部落問題解決のための取り組みの場に持ち込まれるやいなや、その効率のよさは驚嘆するほどである。あらかじめその効果を計算する人もおれば、前もって身構える人もいる。
 そこで、Tさんに、部落問題において「差別される側」の人、「差別する側」の人とは具体的にはどういう人を指すのかお聞きしたい。揚げ足をとっているのではない。短い文章だから意が尽くされていないことを承知の上で訊ねたいのである。この問いは、私の見るところ差別-被差別関係の呪縛から双方が解き放たれるためには避けては通れないものだからである。

《 再録 》
その1
 藤田敬一編『「部落民」とは何か』-「差別」を問い直す交流集会の発言集-
  (『朝日新聞』98/11/8,書評欄。評者:中川 研・朝日新聞社論説副主幹)

 編者が以前に著した『同和はこわい考』には、ずいぶんと教えられた。差別される側、する側が、双方から手を差し伸べ合う必要を論じた書である。/同和を考えるとき、かく申す私も「こわい」と感じる。で、何がこわいのか。せんじつめれば、自分の意識の底には差別があるのかもしれない。そのことへのおそれであるように思う。自分で制御しがたい、不条理な心性の揺れが、自分にとってこわい。
 部落問題を考えるために開いた、交流集会での発言をまとめたのが、この本である。参加者の多くに、心の揺れのようなものがうかがえる点に、私などは共感するし、かつほっとする。/ただし、ここでの「揺れ」はその輪郭がかなり鮮明である。「部落民である」または「ない」。そもそもそれは一体、何のことなのか。この問いを核に、議論は展開されていく。
たとえば日本にやってきた日系ペルー人がいる。管理づくめの日本を知り、、自分のペルー人性を呼びさました。ところがペルーに戻ったら、その貧しさに、日本人である自覚を強める。集団へのひとの帰属とは、実はかなりのあいまいさを含む。
 そこから「一括りから一人ひとりへ」という提言が成り立つ。差別の共同体意識を「個人意識を対峙すること」で押し返そう、という姿勢にもつながる。/個人を基盤とするはずの市民社会なら、それは当然の帰結かもしれない。この日本で、そうすんなりと行かないのは、もちろん差別の現実による。そこで差別される側、する側がともに問われる。
 しかし、この両立場も、絶対的に二分されるものではない、と説く参加者がいる。障害者解放の運動で、立場を超えようと、自分の鼓膜を破ろうとした人の例が紹介されている。これもまた、ひとを二分し、双方の正しい関係を考えないやり方、と批判される。/全編に緊張がある。読み終えて、肩の荷が少し軽くなったように感じる。同和がこわい、から「重い」に変わった気はするのだ。

その2
 シンポジウム「部落問題の虚構理論を斬る」(月刊『解放への道』98/12)

 杉之原(寿一、神戸大学名誉教授):(略)藤田敬一氏が主宰して毎月発行している『こぺる』という冊子がありますが、昨年の五月頃から毎号のように、「部落(民)とは何か」ということについて、多くの人びとがきわめて抽象的・観念的な議論を展開しています。この『こぺる』には、解同に対する批判的な論稿も掲載されていますが、解同がそれを容認しているのは、基本的には「部落」対「部落外」という排外主義的な「理論」を側面から補強するような意見が展開されているからです。排外主義路線を補強するものであるかぎり、たとえ解同に批判的な冊子であってもそれを許容するという解同の枠組みのなかで、『こぺる』が一定の役割を果たさせられていることにも注目する必要があります。(略)

コメント.
杉之原さんの発言については『こぺる』99/2のあとがき「鴨水記」にちょっと触れておいたのでそれを抄録しておきますが、それにしてもその古風・固陋な発想にはあきれるほかありませんな。

▽全国部落解放運動連合会(全解連)の機関誌『解放の道』98年12月号にシンポジウム「部落問題の虚構理論を斬る」での発言が収録されています。(略)注目されるのはうれしいけれど、お門違いの注目は迷惑です。本誌は言うまでもなく部落解放同盟に許されて存在しているものでもなければ、部落解放同盟の理論と実践を補強するための別働隊でもない。「主観的にどうであれ客観的に見て、ということだ」との意見があるかもしれませんが、こうした「客観的役割」論がどれほど無惨・悲惨な事態を招いたかは歴史が教えています。/「部落民とは何か」をめぐっては当然のことながら、いわゆる部落出身者・部落外出身者の「存在と関係」を論議の対象としている。だからと言ってそれを「部落民以外は差別者」として排斥する意見と同一視するのはあまりにも乱暴すぎる。党派的発想にとらわれると、ものがゆがんで見えるのでしょうね。(藤田敬一)

《 川向こうから 》

●ご無沙汰してしまいました。昨年10月30日付で129号を発行して以来ですから、なんと四か月ぶりの『通信』です。わたしは相変わらず。『現代思想』の原稿執筆のために年末から年始にかけて酒を控えたのがよかったのか、はたまた水泳のおかげなのか、保健管理センターの血液検査では、高脂血症傾向が消え、経過観察の処置ですみました。まあ、この一月で六十歳になったので、なにごともほどほどにしなあかんなとは思ってます。

●さて、報告を少し。10月末からは、『同和はこわい考の十年』の原稿整理に熱中。初版千部が11月20日にでき、郵送作業が一段落したうえ『現代思想』の原稿も送ってほっとしていた1月8日、京都新聞が『十年』を紹介してくださったおかげで京都、滋賀、大阪から申し込みが殺到し、テンヤワンヤの大騒ぎ。電話やファックスで申し込みを受けると、相手をあれこれ想像しながらすぐに郵送する。四、五日たって郵便振替受払通知が届く。通信欄にちょっと挨拶が書き込まれているだけで、もううれしくなってしまって。新年早々こんな楽しい日々が過ごせるとは思いもよらぬことでした。京都新聞の他、部落解放同盟池田支部、奈良県連、全国自由同和会岐阜県連も機関紙誌で紹介してくださいました。感謝します。
 ところで『十年』は、わたし自身の記念として、そしてこの間、わたしを励まし支えてくださった方々へのお礼の気持を込めた「引き出物」として発行したものです。自費出版というと、低く見る人がいますが、そんな人は市場原理に毒されているのです。自費出版にしたのは、『十年』が商品ではないことを示すためでもあります。『十年』には、書く人・読む人の境目とともに、売る人・買う人の境目も越えようというネライが隠されているんです。もちろん書店か取次店に注文するかのような口調で申し込んでくる人がいて苦笑してしまうこともあるんですが。ここで、これまでの収支の報告をしておきます。2月16日現在、出費は印刷代83万5000円(二千部)、ケース代他1万4801円、『こぺる』広告代1万5000円、郵送代10万3090円、計96万7891円で、11月23日以来のカンパ・切手と冊子代金はあわせて53万7345円です。ありがとうございました。なお『十年』は1冊300円(郵送料その他込み)でおわけします。希望される方にはそのむねお伝えください。郵便振替番号は、〈00830-2-117436 藤田敬一〉です。

●本『通信』の連絡先は、〒501-1161 岐阜市西改田字川向 藤田敬一です。(複製歓迎)