同和はこわい考通信 No.129 1998.10.30. 発行者・藤田敬一

《 採録 》
○〈探求-記者の目〉 「部落民」とは何か-「立場」を離れて根源的な論議を
 (『朝日新聞』東京本社版、98/10/10.上丸洋一記者)

 参加者は、個人の資格で発言し、自分以外の何者をも代表しない。結論を出したり、方針をまとめたりしない。/そうした約束事の上に、「人間と差別」について自由に意見を交わす「部落問題全国交流会」が九月十二、十三の両日、京都で開かれた。十五回目となった今年のテーマは「発想の転換を求めて」。十三都府県から約百三十人が集まった。
 「私たちは、部落民がいつの場合も『被差別の立場』にあると固定的に考えてきた。しかし、健常者であれば障害者との関係で差別する立場に立つことがある。人間は時に差別され、時に差別する。部落民も例外ではない」
 奈良県で三十数年、部落解放運動に携わってきた山下力氏は講演でそう語った。「被差別部落民」は常に被差別者であるわけではない、差別-被差別の立場は絶対的なものではない、というこの指摘は確かに、従来あまりなかった発想といえる。山下氏も言うように、差別は人と人との関係の中で生ずると考える時、改めて「部落民」とは何か、「被差別部落民」とは何か、という問いが浮かんでくる。/一般に、部落差別は、前近代の被差別者の系譜を引く人びとへの血筋の差別であり、その居住地区への差別であると説明されている。/しかし、仮に「祖先に一人でも部落民がいれば子孫は部落民である」と考えるとして、例えば六代前の六十四人の祖先それぞれについて、名前や出自を明らかにするのは不可能というものだ。「私は部落民ではない(である)」と系譜の上で立証できる人はいないといっていい。
 全国交流会でも、畑中敏之・立命館大教授(日本近世史)が「なぜ私は差別されるのかという問いに、『あなたの祖先は江戸時代に……』と起源論で答えるのはすり替えにすぎない。それでは今の現実の差別の理由を説明したことにならない」と語っていたが、その通りだろう。
 結婚などで部落外から移入した人は「部落民」なのか、逆に部落の外に出た人はどうなるのか、その子や孫は……と考えていくと、自明のように思われてきた「部落民」という概念が、いかにあいまいであるかがわかる。
 『部落問題辞典』(部落解放研究所編)の「部落民」の項目にもこう書かれている。「部落民とみなされる人、あるいは自ら部落民とみなす人を部落民という。この両義反復的なことでしか、部落民を定義することができない」
 なのに、なぜ「部落民」はあたかも一つの「民族」のように実体のあるものとして人々の目に映り、差別の対象にされるのか……。
 今回の全国交流会の開催に合わせて、一冊の本が出版された。題はずばり『「部落民」とは何か』(阿吽社)。昨年の交流会での十時間に及ぶ討論をまとめた本だ。「アイデンティティ」「共同幻想」などをかぎ言葉に濃密な議論が展開されている。
 この討論について、本の編者の藤田敬一・岐阜大教授は「資格・立場を相対化し、差別-被差別を対象化する共同の営み」であり、「ここからしか『部落問題解決への道』は明らかにならない」と述べる。「問題はそれぞれが部落差別(意識)を媒介にした人と人との関係の呪縛(とらわれ)からどのように自らを解き放つか」であり、大切なのは「焦らず、諦めず、対話をつなげようとする志」であると。
 「部落民とは何か」については、部落解放同盟も「新たな解放理論の創造に向けて」と題する提言(一九九三年)で、論議の展開を促している。三十年近く続いた特別法による同和対策事業は昨年で終わり、一部の継続事業も二○○一年度で期限が切れる。そんな転換点にあるからこそ、事のはじめに立ち返る事が必要だといえる。/「立場」や「所属」のくびきを離れた根源的な思索と討論が求められている。

コメント.
 この記事は東京本社版だけに掲載されたようです。紹介されている当事者としては残念としか言いようがない。こういう記事の場合、載せるか載せないかは各本社の判断にまかされているんでしょう。これまでにも部落問題に関連した記事で東京本社版に載って大阪本社版には載らなかったものがあり、それがかえって「関西における部落問題の問題性」を示唆していておもしろい。

○第十五回部落問題全国交流会から(『部落解放運動情報』No.27、98/10/20. )

 それは交流会一日目の夜のこと。私は突然の胃痛におそわれてたまらずダウンしてしまった。何より楽しみにしていた懇親会のさなかにである。二時間後には救急車に乗り込むハメになったのだが、この夜、みなさんにどれほどお世話になったかわからない。初体験の激痛に「このまま死ぬんちゃうか」なぞと大層なことを考えはじめていた私の相談相手になってくださった方……。藤田敬一さんからは「よっしゃ、ワシが抱いて寝たろ」と、ありがたいけれど余計に胃を悪くしそうなお言葉までいただいた。病院までつき添ってくれた事務局の方とは、実は10年ほど前に運動の中でケンカ別れした間柄なのだ。当分は頭が上がらないことになったけれど、それもいい。私にとってこの交流会は、そういう人たちとの新たな出会いを通して、私自身を見つめ直す場でもあるのだ。/とにかく、みなさんの温かい心遣いがほんとにありがたかった。この場を借りて改めて感謝したい。/というわけで、後半はただボーッとしていただけなのだが、私の感じたことを報告しようと思う。

発想の転換を求めて
 第十五回部落問題全国交流会は、九月十二日と十三日に京都で開催された。私は昨年に続いて二度目の参加である。今回のテーマは「発想の転換を求めて」。パネルディスカッションと分散会で論議を深めようとの企画である。「今年は、運動団体に身をおいて活動している方に討論の素材を提供して」もらうとのことで、パネリストは奈良県連の山下力さんと矢田支部の戸田政敏さん。
 冒頭で、司会の藤田さんがこんなことを言った。「私と、矢田の戸田さんと、除名された山下さんが並んでいると、ゴリゴリの政治的な見方をする人からは『なんちゅー集まりや』と言われそう。けれども私には何も不思議ではない。友だちですから。何より一生懸命やってる方たちですから」。藤田さんならではの表現だけれど、こんな話を聞いていると、なんかうれしくなってくる。
 みなさんの論議にはなかなかついていけてない私だが、こういうことだけは、いつまでも忘れられないものなのだ。
 山下さんからは差別事件への対応や狭山集団登校などをめぐって、奈良で論議しているところが提起された。戸田さんからは、運動に関わってきた経緯も含めて、支部の運動を変えていくために考えてきたことなどが話された。
 分散会のコーディネーターは住田一郎さん、畑中敏之さん、原口孝博さん、山城弘敬さん。この四人の方はいずれも昨年の交流会でのパネリスト。「部落、部落民、部落差別とは」をテーマに二日間延べ10時間にわたって行われた前回の論議は、まだ記憶に新しい。その論議を収録した『「部落民」とは何か』という本が、阿吽社から出版されている(定価二千円)。「このテーマで議論し本が出されることは画期的」と藤田さん。これまでの運動が素通りしてきたと言っていい課題を正面にすえて論議が開始された意味は大きいだろう。私のなかでも「部落民」という存在が一人歩きしていたところが多分にある。「部落民として生きる」ことが、長い間わたしのとってのテーマであった。「部落民らしさ」みたいなものを追いかけまわしていたといえるかもしれない。あらためて「部落民らしさ」って何やと問われると答えに困るのだが、ともかくそれは、自分のなかで完結してしまうものなのだ。だから「人と人との関係」を視点にした交流会の論議は、私にとって新鮮であると同時にむずかしくもあるのだが。
 分散会では、昨年の論議を引き継ぎながら活発な意見が交わされた。それにしても、みなさんの意見を聞いていると、さまざまな立場の人がそれぞれの経過や思いを持ってこの場に臨んでいることがよくわかる。奈良から一緒に参加した人が「ここは何を言うてもええ場やなとすぐわかった」と言っていたが、それは「自分以外の何者をも代表しない。結論や方針を求めない。多数をめざさない」というこの集まりの了解事項にあらわれているように、対話をつなぐ努力をされてきたからに他ならないと思う。
 「部落、部落民、部落差別とは」という論議は興味深くもあり、私にとって少々重たいテーマでもあるのだが、結論を急がず向き合っていきたいと思う。
 なお、福岡水平塾から『「内」と「外」、「幻想」と「現実」をめぐって』という冊子が発行されている。藤田さんを囲む座談会のやりとりを収録したものだ。阿吽社の『「部落民」とな何か』とあわせて、ぜひ一読をすすめたい。(J)

コメント.
 あの夜、苦しんでいるJさんに、そんなことを言いましたかねぇー。覚えがない。アハハハ。しかし大事にいたらなくてなによりでした。それに、ケンカ別れした人と和解できたのは「ケガの功名」、いや「胃痛の功名」かな。
 ところで、「部落民として生きる」ことをテーマにし、「部落民らしさ」を追いかけまわしていたと自らを振り返るJさんにとって、「部落民とは何か」という問いは重たいとおっしゃる。重たいと感じるのは心理的葛藤が起こっているからにちがいありません。そこで、たいていの人は心理的葛藤から逃れるために「問い」そのものを認めようとはしないのですが、Jさんはちがう。「結論を急がず向き合っていきたい」という。わたしもまた「結論を急がず」にJさんと対話を続けたい。

《 『部落史を読む』をめぐって 》
○『岐阜自由同和』No.204 、98/9/10.「天上大風」
 藤田敬一さんの共編「部落史を読む」に掲載された「洛中洛外図屏風」は見慣れた写真なので、見過ごすところだったが、そのゆきとどいた解説に「牛の臓物や頭などを運ぶ人、そのかたわらでは行水をつかったり、洗濯している」とあった。
 「部落史を読む」を読んだ、いささかの探求心から、現代での職場と「行水」との切りはなせない関係を思いついた。/岐環協の柿下さんに「あなたがたの企業で従業員のために浴槽を設備している経営者が何人いますか」と。/答えは全53企業の100%が、労働のあとに身体を清潔にする設備をととのえている。/ついで高山、養老の処理場に電話したが、これは確かめるまでもなく全国的にも処理場には従業員のための浴室が常設されている。/仕事で汚いもの、不快な匂いが身につけば洗い落とすのになんの理屈もあるまい。汚れが職業であれば、常時その清潔さが要求される。「行水」が「浴室」や「シャワー室」に設備の変化はあっても、職業との関連は切りはなせない労働の条件として今日までもひきつづいている。
 屏風図の「行水」は子どもの水あそびの風景ではなくて、その職業の必然的な存在として描かれ、絵師の風俗描写になる的確な眼を語るものではないか。/ところが、天皇や宮廷貴族たちの「触穢観」によれば、犬の死骸の夢を見たので、それを身の汚れとしてお祓いのうえ、三日も屋敷に籠もったような、自分たちの「神聖化」を意識的に頭のなかでつくりあげている。
 汚れたものは洗えばいい、のは庶民の感覚で、洗っても汚れているというのが天皇や貴族たち、いわゆる神聖でもって権威を守ろうとする階級の「触穢観」ではないか、などと、推理をたくましくさせられた。(た)

○『部落解放運動情報』No.26、98/9/20.「研究誌から」
 欲しいと思って注文しようと話していたところ、「ご書評の栄を賜りますれば幸甚に存じます」と添えて阿吽社からこの本が届いた。本の題を見たまでは「ラッキー!」だったのだ。はさんであった栞を見てプレッシャーがどっときた。「どうしよう」。わが情報誌は編集委員それぞれが、読み手のことをちょっぴり心におきながらも、まあ好き勝手に書いている冊子である。書評を書いてもこの本の売上に貢献できるかどうか、はなはだ心もとない。それを「栄を賜る」なので「トホホ」となった。仕方がない、売上への貢献はたっしゃな口(?)を使うことにして、プレッシャーをはねかえし読後感想を書いていきたい。
 この本は『こぺる』に連載されたものや部落問題全国交流会での講演を再録・加筆訂正したもの。前書きに「本書は(略)思索の素材を提供すべく編まれたものである。つまり、自分の言葉で『新しい部落史像』を描き、語ろうとしている人びとを読者に想定している。本書が一つのきっかけとなって、歴史研究者と運動・事業・教育・啓発にたずさわる人びととの対話が進むことを心から願っている」とある。 私は1994年から始まった奈良県立同和問題史料センター主催の県民歴史講座に四年連続で参加している。月一回の講座に毎回とはいかないまでも出向き、時に眠い目をこすりながら、真剣に勉強してきた。「勉学途上」ではあるが現時点で、私がイメージしているのは「身分差別という変換キーをおさずに、部落差別をただ部落差別としてつかむ」ということだ。(史料センターの先生方の努力に応えられていないかもしれない)。こう考えると、「先に解釈ありき」では隠れていたものが見えてくる。地域社会の成り立ちとか偏見や人間関係の心理メカニズムとか、問題意識はどんどんひろがっていく。「勧善懲悪」「十把一からげ」ではない歴史観は、頭の中を一度は混乱させるけれど、なかなか面白い。
 「藤田 (国家が作った制度に人の心が)縛り縛られるていくんだけれど、他方ではそれをすり抜けて出会ったりつながったりする関係もあるわけですね。いままでは、差別と貧困だけで歴史像を描こうとしてきたことは確かではないでしょうか。むちゃくちゃやられていたんだと。人と人との出会い、つながりの中にはおおらかな部分もあったわけで、それもきちんと見ておかないといかんのじゃないですかね。そうでないと、差別と貧困の部落史像、生産と労働の部落史像、文化・芸術・芸能の発祥の地としての部落史像の三つだけではつまらない」。これには共感する。
 解放運動の中で被差別だけがクローズアップされてきたきらいはないか。なら解放新聞で「ムラの外からきた《嫁》さん」というシリーズを企画している。インタビューに同席したが、どの女性にも共通した点がある。「胆がすわっている」こと。自分のものさしをしっかりもっていて、かつそれを修正できる余裕もある。部落差別だけでなくいろんな偏見に対しても、ビビットなのだ。当然、自堕落な部落の人には容赦がない。被差別のことさらの強調は「差別をしない」人を彼岸のかなたへおいやり、現実の関係を見えなくさせているのかもしれない。/ふむ、歴史をひもときながら現実もまた観察していけるのがこの本のいいところだ。
 政治体制の変化から日本列島の歴史を追いがちだが、社会-人と人との関係のありようから歴史を見ていく必要がある。これは史料センターの講座でも繰り返し強調されてきたし、本書を貫くものでもある。対談形式の本が苦手な人は最後の項目の「体験的部落史像の検証から」(藤田敬一)を最初に読んでおけば、よりわかりやすい。/ところで、山水河原者又四郎の「某(それがし)一心に…」のことばについて。この前半部分を超える思想に部落解放運動の中で出会っていない。横浜屠場労組の仲間たちの屠場差別とむきあい培ってきた思想が、もう少しで「屠家に生まれしを悲しみとす。故に、物の命は誓うてこれを断たず」を超えるのではと期待している。(F)

○『学燈』98年9月号
 三部からなる本書は、一部「部落史を読む」-『京都の部落史』概説編をめぐって-に編者と網野善彦、編者と井上清の座談会二篇、二部「部落史を考えるために」に網野善彦と横井清の二論文、三部「歴史と現実の狭間で」に藤田の論文を収める。部落の発生を、江戸期の支配者側の民衆を支配する手段とする従来の近世政治起源説を超え、人が人を賤視し、差別するのはなぜかの根本命題から原始・古代まで遡って考察。東西の地域差、非人の発生などの論議をふまえ、穢れの問題が差別の重要な要素と説く。

○『出版ニュース』98年10月下旬号
 被差別部落の起源については「江戸時代の支配者によって、民衆を支配する手段としてつくられた」という近世政治起源説が、部落解放運動の高揚のなかで確立されてきたが、今、この近世政治起源説に対する反省が生まれ、その再検討の声があがりはじめている。本書はその空気を意識して編まれたもので、部落史の研究者らが、この近世政治起源説とそれを生み出した運動の功罪を素直に語り、「新しい部落史像」を創造するために必要な素材は何かという点にも踏み込み大胆に発言している。

○『部落解放』No.445 、98年11月号
 『京都の部落史』全十巻を完成させた京都部落史研究所が、雑誌『こぺる』にときどき掲載した座談会・論文などを収録したもの。前近代をめぐっては網野善彦さんと師岡佑行さん・藤田敬一さんの、近現代は井上清さんと師岡・藤田さんの座談会が、京都に限定することなく、部落史に関するさまざまな論点を提示している。 そのほかに、網野さんと横井清さん、藤田敬一さんがそれぞれ部落史の見方について論じた論文がある。多くの読者に新しい部落史との出会いを促す契機の一つになる本だ。(渡)

《 川向こうから 》
☆今号は採録特集になりました。ひっそりと出版された本に注目し、紹介してくださる人がいるというだけで、正直言って勇気づけられます。
☆わたしはいま、招かれれば時間が許すかぎりどこへでも出かけるよう心にきめています。先日も高山の中学生に話をしてきました。来月は高知の高校に出かけます。わたしのような者がしゃっちこばったってどうなるものでもないことはわかってはいるけれど、なぜか気がせくのです。部落問題の解決をめざす取り組みがこの国の人権思想の普及に大きな役割を果たしてきたことは確かなのに、部落問題や同和教育にたいする冷ややかな雰囲気が急速に広がっているように感じます。その背景の解説は適任者にお任せして、わたしは当分走りまわります。
☆交流会で雑談していたとき、「いま、部落問題関連のメディアでおもしろいのは『こぺる』と『こわい考通信』と『部落解放運動情報』とちゃうか」と言ったら、同席していた柴谷篤弘さんが間髪をいれず「そら、そうです」と、いともあっさりおっしゃったので、つい笑ってしまいました。しかし、わたしはかなり本気でそう思ってます。本号をご覧になれば『情報』誌のユニ-クさがわかってもらえ るはず。連絡先は『部落解放運動情報』編集部(TEL 07443-3-8555)です。
☆福岡水平塾から『藤田敬一さんを囲む座談会-「内」と「外」、「幻想」と「現実」をめぐって』が出ました。福岡の論客を相手に丁丁発止と渡り合うわたしめの勇姿をご覧あれ。お申し込みは〒813-0021 福岡市東区みどり丘3 北口 忠さん か、阿吽社(075-414-8951)または藤田まで。
☆『「同和はこわい考」の十年』と題した四六判150頁の本を刊行します。印刷作業など一切を戸田二郎さんにたのみ、11月末には出来上がる予定。「『同和はこ わい考』の十年-なにが見えてきたか」、「差別とたたかう文化会議との討論」、「住田・灘本『往復書簡』を読む」他が収録されます。新鮮味はありませんが、それでいいんです。この間、励まし支えてくださった方々に再読してもらうことを願っての、わたし自身による十周年記念の自家版なんですから。
☆本『通信』の連絡先は、〒501-1161 岐阜市西改田字川向 藤田敬一 です。(複製歓迎)