同和はこわい考通信 No.128 1998.9.11. 発行者・藤田敬一

《 随感・随想 》
障害児との出会いの中から
福田 俊樹(高知)
 先日、自転車で帰宅途中、クリーニング屋の前の自動販売機で養護学校での教え子がジュースを買っているのが見えました。仕事が終わり、ゆったりした気分で買っているのだろうと思っていましたが、中学生が4人ぐらい彼のまわりを自転車に乗りながらたむろしているのが見えました。その中の一人は道路工事に使う赤と黒の模様の棒をつつきながら、「おい」と声をかけていました。そのクリーニング屋には社長の理解により数名の障害者が雇用されているのですが、彼らはそのことを承知して、普段からからかっているふうに見えました。殴っているというわけではなかったのですが、私もできた人間ではないですから、「何をしているのか」と睨みながら詰問すると、彼らはすぐに散っていきました。このようなことは障害児と生活をしていると、数多く見ることができます。修学旅行で宝塚線に乗ったときには、朝の混雑の中でも、私たちのまわりに人が近寄ることはありませんでした。列車に乗ると、「気持が悪い」と言って逃げていく高校生がたくさんいます。このような人にどのような人権教育をしたらいいのかわからなくなります。
 私が最初赴任した学校は盲学校でした。赴任直後、その年入学予定の子どもが母親に殺されるという事件が起きました。子どもを養護学校へ入れることが、それほど世間体が悪いと考えるのかと思い、殺すことはないのにと怒りはしましたが、就学指導の問題点を指摘し、取り組むというような行動力を持ち合わせていない自分がそこにいました。担任した子どもは、目は緑内障で全く見えず、耳も聞こえず、言葉もないという三重苦の障害を持つ子でした。どのような教育をすればいいのかわからず、形の弁別や、近くの高知城に散歩につれていくことしか私にはできませんでした。指文字を少し覚えて、葉っぱや木などを触らせ、子どもの手を包んで指文字を伝えました。理解しているかどうか全くわからなかったのですが、物には名前があることを教えたいという思いでした。何もできなかったという挫折感が残りました。
 肢体不自由児の学校では、姉妹とも筋無力症の子どもと出会いました。30キロも離れた家から母親が一緒に通学している姿を見て地域の学校に通学できればと思い、二人の障害を持つ子どもの母親の強靭な生き方を見ました。
 自分で働けない子どもに出会ったのもこの学校でした。食事はもちろん、排便も人の手を借りての生活です。排便はお腹を押して出していました。この重い障害を持つ子どもとの出会いによって、生きるとはどういうことなのかを考えさせられました。自分の生き方を問い直した時期でもありました。知的障害者との出会いでは、自分をそのまま出しての生き方を見ることで、自分の殻や肩書きからの脱却の必要性を学びました。現場実習ということで企業で働くわけですが、ブロイラーの職場では、鶏が多くの人の手によって解体されていく中で、彼らが8時間立ちっぱなしで取り組む自立した姿を見て感動したものです。高卒後の就職も大変でした。脳性マヒのために常時よだれが流れている子どもが就職を希望していました。ブロック作りの会社の社長は雇用すると言ってくれていたのですが、従業員の方から「よだれが汚いから嫌だ」と言われ、雇用に至りませんでした。
 障害児学校にいるとき、障害を持った子どものいる教師から、「障害を持った子どもの親でなければ、この気持ちはわからん」と言われ、大変さは感じましたが、その言葉で関係が断ち切られた気がして反発が心に残りました。当事者でなければわからないこともあるかもしれないが、その言葉は障害者問題の解決に共に手をつなぐことにはならないと思ったことでした。また同じようなことを研修会でも聞きました。今年、養護学校の同和教育部の数名の先生方が同和問題の学習ということで、同和地区のフィールドワークをされたそうです。そのとき、地区の方から「障害者問題と同和問題は違う。障害者は一代限りであるけれども、私たちは何代にもわたって差別を受け続ける」と言われて、何とも言えない気持ちで帰ってきたという話を研修会で発言され、人権問題に天秤を持ち込むことはできるのかと問うておられました。障害者問題にかかわった者は、このような差別に軽重をつける心の傾きを感じることがたびたびあり、残念に思うところです。

コメント.
 いつぞや「部落差別と障害者差別を一緒にするな」という部落解放運動の中でよく聞かされた話を紹介したことがありますが、それがいまも生きているんですね。自己を特別化することが人間的にどんな悲惨な情況を招くかわかっていないのでしょう。なによりもやさしさがなくなるんです。そんな人の語る人間解放なんて、わたしは信じない。

《 採録 》
部落解放同盟奈良県連(山下力委員長)『解放新聞』(98/6/25)
  主張「上田氏退任でどう変わるか-解放同盟中央本部のゆくえ」
1)
 部落解放同盟第55回全国大会が5月10日から12日にかけて福岡県春日市において開催された。上田卓三さんが中央本部委員長を一期二年で退任し、川口さんも副委員長から顧問になるという歴史的な大会となった。ことわっておくが運動的な画期点が刻印されたということではない。1980年を前後して以降、「利権に敏腕」をふるった二人が中央本部の第一線から引いたという点において、である。
 だからといって、部落解放運動にひそむ功利主義や行政依存主義について解明していこうという動きが、この大会ではじまったわけではない。あいかわらず「部落差別とは」「部落解放とは」という核心点は宙に浮いたままの状態だ。

2)
 新委員長には組坂前書記長(福岡県連)、書記長には高橋前財務委員長(大阪府連)が就任した。この人事交代の大義名分は「世代交代」といわれている。
 しかし、なにゆえ一期二年で59才の上田氏が委員長を降りるのか。あるいは、川口・羽音両氏が副委員長を、青木氏が中執を「勇退」するのかは明らかにされていない。過去の交代劇、辞任劇とまったく同じ構造である。一期で委員長が代わるという解放同盟のかつてない事態に対して経緯を秘密にしてしまうというのは、危険な組織運営とはいえまいか。上田批判なら上田批判をオープンにすべきであろう。批判を封じてしまうと、話し合いながら自分たちを問い返すという回路を閉ざす。
 かつて、藤田敬一さんが『同和はこわい考』を出版したとき、中央本部は利敵行為と真っ向から批判した。藤田さんは出版したことで事を済まさなかった。「なぜ部落差別があるのか」「人と人との関係を途切れさせるものは何か」を年に一度の集まりと月一度の『通信』、そして『こぺる』という月刊誌で思索し続けた。反対に中央本部はレッテルを張っただけで済ませてしまったのである。いまなお、なんの葛藤もない。その世代の落とし子が組坂氏であり、高橋氏ではないのか。利権批判を封じ、あらゆる討論を封殺してきた世代である。「世代交代」という大義名分はメッキにすぎない。
 全国大会の召集責任者である上田卓三氏は、大会初日に顔を見せなかったという。5月9日付の『産経新聞』によると、「今大会の最大の関心事は人事の刷新だった-わずか一期二年という異例の早さで委員長を引いた上田氏の意向をはかりかねていた同盟員らに対して上田氏は退任のあいさつで『まだ若いのにとも言われたが、いつやめるかは人それぞれの価値観』と説明」とある。本人が希望した退任ではないことがよくわかる。ここにも《スムーズな「世代交代」》のウソがみえる。

3)
 ところで、川口さんは今年3月、奈良の大会で五役の人事刷新を掲げ、自分以外の60歳以上はすべて引退する、としたらしい。他の人は、てっきり川口さん本人も引くのだろうと思っていたとか。これにはわけがある。中央人事をめぐって昨年来、画策されてきたのが「上田氏に不信任をつきつけ委員長代行に川口さんを」という話だ。それが結論が出ないまま3月末まで、もつれこんだからである。「毒には毒をもって制す」という方針なのか、どっちにしてもあまりにもその場しのぎの中央の人事攻防だったといえる。(下略)

コメント.
 「コップの中の嵐」という言葉があります。今回の出来事を遠くからみていてこの言葉を思い浮かべました。辞書には「当事者にとっては大変な事だが、大局的に見るならば、狭い範囲内の出来事でしかない意に用いられる」とある。今回の人事交代における「当事者」とは、中央本部人事を動かし得る有力府県連の、多く見積もっても二、三〇人ほどの幹部連であって、同盟員は交代劇をポカーンと眺めるだけの観客でした。そしてこのごく少数の幹部連にとっての「大変な事」とは、上田卓三さんに引導を渡すことだったのです。そして当然ながら、それが「大局的に見るならば、狭い範囲内の出来事でしかな」かったことは、「主張」の指摘するとおり。人事交代劇を演出した幹部連に「上田ではどうにもならんのとちゃうか」という考えがあったにしても、交代劇そのものが部落解放運動の「大局」と無関係に運ばれたのは、この人びとに「部落解放運動にとってほんとに『大変な事』とは何か」がわかっていないからでしょう。そうでなければ「世代交代」などという誰も信じない説明を内外にしてのんきにかまえておれるはずがない。今回の人事交代によって部落解放運動が刷新される可能性はほとんどないといってよろしい。だから「コップの中に嵐」と評するのです。
 それにしても、なぜ同盟の活動家たちは観客の役回りに甘んじて、ウンともスンともいわなかったのでしょうか。鳴り物入りで選出された有名人がわずか一期二年で委員長を退任するというのに、「なぜ?」という質問すら出ないままに、それこそ粛々と決まって行く。同盟は、どうも急速に組織としての活力と求心力を失いつつあるようです。その遠因の一つとして「利権批判を封じ、討論を封殺してきた」ことがあるという「主張」の見方はあたってます。
 かつて『同和はこわい考』批判を精力的に展開していた小森龍邦書記長(当時)が全国大会で「一枚岩の団結」を獅子吼ししくしたことがあります。この言葉を『解放新聞』でみたとき、恐ろしいことをいう人だなと思ったものです。「一枚岩の団結」とは、要するに中央本部の見解が唯一正しく、それに対する異見、異論、批判は一切容赦しないということでしょ。しかし、異見、異論、批判があってこそ、その組織・集団に活力が生まれるのであって、疑問や批判的意見を許さない組織・集団はいずれ衰弱して行くしかないでしょうね。

《 各地からの便り 》
○『滋賀の部落』は年5000円の購読料で教職員に配布されているのですが、この間、紙面は共産系の主張が掲載されています。本当に同和問題の解決、研究を進めるのであれば、対立する考えを同時に掲載して、より良い取り組みだと思っていることとか、地域別の取り組みなどについての多様な考え、取り組みを発表し、教員一人一人に考えさせるものになればいいなと思っています。いずれにしろ、どこの世界も主導権争いが盛んで、“子どものため”や“民主的”という言葉を聖域にしているようで、本当に困っている人たち(私も含めて欲しい)のことをどうするのか考えているのかな?と思ってしまいます。
 雑感ですが、“教員”って神様のようですね。絶対に誤りがなく、差別心や偏見もなく、自分を“絶対”と考えているように思えて仕方がありません。記事を読んでいて、同和教育をいい加減にしてきたのは“教員の資質”の問題だということに全く触れていないのは残念です。いろいろな考え方がありますが、同和教育をするのが嫌なら止めたらいいと思います。ですが、教職員向けの人権教育については、しっかりやって欲しいと思います。何しろ、事が起これば対応していくのは教員なので、その点については、どの提言でも触れていないと思います。(言い過ぎかな) 学校の職員室は日本中で一番封建的で、偏見が多く、差別的な場所だと思っています。私が経験しているだけでも訴えたいことは山ほどあります。ですが、今は状況が許さないので、できる範囲のことを細々としています。
 送付しました資料の中で、とても「楽しい」記事があります。5ページの

同和教育の継続か終結かという論議の中で、大きな争点になっているのが部落問題の現状をどう見るかである。しばしば「差別事件」が継続の根拠とされる。(略)県教委によれば、「差別事件」は未だ後を絶たないという。ちなみに県民センターによれば、1997年度差別事象は11件、人権・結婚相談は○件である。11件の内訳は、発言が6件、落書きが4件、その他1件である。

という部分です。基本的に自分の結婚問題でとても難しい課題がある時に、センターに相談なんてできますか?相手のことを思い、周囲の人々への波及効果も含めて、なかなかできるものではないでしょう。本当に困っている人ほど自分の家庭や心の中にしまっておくことが多いということを理解していないのでしょう。というよりは自分の主張に沿わせるためにわざと筆者はそんな風に言っているのでしょうね。
 2ページの巻頭言「こころがけで人権問題が解決できるのか」も、わけのわからないことを言っていて、私には理解できません。

昨年の同和問題啓発強調月刊のポスターに「人類がどんなに進歩しても、文明がどんなに発展しても、こころが豊かでなければ、幸せにはなれません。差別のない、人権が尊重される社会。それは一人ひとりのこころの進化で実現します。」として、最後に「こころは進化していますか。」と問いかけている。
 しかし、一人ひとりのこころが豊かになれば、社会から差別や人権侵害がなくなり、幸せになれるのだろうか。答は否である。/なぜなら、善良な市民が大企業や国家という組織の下で、国民を弾圧したり、人権を侵害したりすることは、これまで何度もあった。あげれば枚挙に暇がない。(略)
 人権侵害に関わった人たちは、鬼でもなければ蛇でもない。善良な市民である。その彼らが、なぜ、そのような行為に走らせたのかは、強大な企業や組織の一員としての立場がそうさせたのである。/したがって、人びとがいくら豊かなこころを持っていても、企業に憲法が通用しないと言われるように、非民主的な組織や体制では、それは通用しないのである。豊かなこころは、平和や人権を基礎にした民主的な社会でのみ保障され、また、その保障は国民の不断の努力によってのみ成り立つものである。
 ところが、その人権をもっぱら国民の「こころの進化」の問題だけとしてとらえ、今日においても依然として最大の人権侵害者である社会権力や国家権力を免罪しようとしている。これは、まさに逆立ちした人権認識といえよう。

ここで言う善良な市民を教員に、企業や国家権力を学校、行政と置き換えた時、果たして私たち教職員(特に公務員=公立学校に勤めている)のこころがけでは解決しませんか?私たちは組織の一員として行動しているだけなのでしょうか?私自身の経験談と考えは、お会いできた時にお話しします。  (滋賀 Y.Tさん)

《 部落問題関連記事拾遺 》
○『京都新聞』(98/6/10)
「ひと-立ちばなし-解放運動も町づくりも改革の時期に」
 「行政に対する要求だけでは、部落差別は解消しない。解放運動の進め方自体も改革しなければ」と力をこめるのは、部落解放同盟京都府連合会書記長の西島藤彦さん(45)。先日の全国大会で、部落解放同盟中央本部の書記次長にも選ばれた。三十年続いてきた同和対策事業の特別措置もあと4年で打ち切られ、一般施策に移行する方向だ。「特別施策によって、部落がよくなったのも事実。しかし、若者を中心に、ふるさとでもある部落を出ていく人が増えている。住宅計画にしても画一的な建物ばかりで、魅力が薄れている」と指摘する。東京での仕事が増えたが「部落の町づくりに多様さが求められている」と、車中で新しい解放運動の構想を練る。

コメント.
 同和事業を積み重ねても部落問題が解決しないのはなぜなのかが問われているときに、「行政に対する要求だけでは、部落差別は解消しない」と一般的に語っても仕方がない。しかも西島さんの発言を注意して読むと「行政に対する要求するだけでは」と限定つきなんですな。行政要求はやめないということでしょう。

○『朝日新聞』大阪本社版(98/8/30)
「覚せい剤使用容疑も-傷害容疑の京都市職員を再逮捕」
 傷害容疑で下鴨署に逮捕された京都市環境局左京まち美化事務所職員の萩原篤容疑者(27)=左京区田中馬場町=が覚せい剤を使用していたとして、下鴨署は29日、同容疑者を覚せい剤取締法違反の容疑で再逮捕した。/調べでは、萩原容疑者は8月初旬から18日までの間に覚せい剤を使用した疑い。(略)同容疑者は、先月16日夜、左京区玄京町の市養正隣保館近くの路上に駐車しようとした際、別の車が止めてあったことに腹を立て、同館に「適切な処置をしろ」と要求。対応した主任(43)を殴り、顔や足などに約3週間のけがを負わせたとして、今月18日に傷害容疑で逮捕された。29日に処分保留で釈放されると同時に覚せい剤取締法違反容疑で再逮捕となった。/京都市は28日付で萩原容疑者を一カ月の停職処分にした。処分は傷害事件に関するもので、覚せい剤事件に関しては改めて処分を検討するという。
 市人事部によると、覚せい剤取締法違反で逮捕された京都市職員は昨年度が三人、今年度は二人目。いずれも環境局(旧清掃局)の職員で、萩原容疑者を除く四人はすでに懲戒免職処分を受けている。/また、同市は環境局北部クリーンセンター主任(50)に対しても、錦林隣保館館長に暴行を加えたとして、同日付で20日間の停職処分にした。

コメント.
 情けないなあとしかいいようがない。駐車場が設置されていながら路上駐車が後を絶たない状況。特定の路上空間があたかも自分の権益に属しているかのように振る舞う感覚。同僚である隣保館職員に「適切な処置」を要求して殴るに至っては話にならん。いったい彼の要求する「適切な処置」とは何か。考えるだけで熱が出る。

○『解放新聞』(98/8/31)
「山口公博が読む『今月の本』」
 『最暗黒の東京』に「日本一の麕園」として登場する地は、「獣類を屠したる余の臓腑を買い来って按排し、舌、膀胱、腸、肝臓等の敗物を串貫して煮込みにし路傍に鍋を鼎出してこれを售る」とある。この情景は、まさに、わが三百万の兄弟姉妹ではないか。

コメント.
 「わが三百万の兄弟姉妹」。いまどき、この言葉を口にしたり、書いたりする人は珍しいので、一瞬、懐かしくなるとともに「おやっ」という感じがしました。山口さんが「わが三百万の兄弟姉妹」と書く以上、なんらかの実感に支えられているのでしょうが、それが何なのか知りたい。

《 川向こうから 》
○今号、なんとか全国交流会に間に合いそう。これから印刷にとりかかります。わたしは特俵に足がかからないとアカンみたい。かかれば、まだまだ馬鹿力が出る。ま、得意気に話すことでもありませんがね。
○『「部落民」とは何か』が出版されました。書店には20日ごろならぶとか。先日、天理市で開かれた奈良県連主催の研究集会で阿吽社が出張販売したところ、なかなか好評でした。おおげさにいえば水平社創立以来初めて「部落民とは何か」を正面切って議論した画期的な本だと自負しています。書店にない場合は阿吽社へ直接注文してくださいますように。
○本『通信』の連絡先は、〒501-1161 岐阜市西改田字川向 藤田敬一 です。お急ぎのときはFAXが一番確実。(複製歓迎)