同和はこわい考通信 No.127 1998.8.10. 発行者・藤田敬一

《 論稿 》
〈部落・部落民〉=共同幻想の理解について-①
原口 孝博(福岡水平塾生)
1.
 2月末、京都での『こぺる』合評会(住田一郎さん提起「差別は幻想か」)に、松永幸治さんと共に福岡から参加した。京都の友人、石原英雄さん(京都府職員)から「昨年秋の全国交流会の継続版になりそうだ。出て来てみては」という誘いがあったのも理由の一つだが、やや衝動的に前日参加を決めたのはそのテーマに対する違和感だった。「差別は幻想か?」これは反語的で「差別は幻想ではない」ことが含意されている。当たり前である。差別(行為や現象)が幻想であるはずはなく、極めて具体的に特定の人間や地域を忌避・排除し、当人に内面の深い傷さえもたらす。なぜこんなテーマ設定になるのか。私は、「部落差別の本質は共同幻想」であり、その視点から「〈部落〉や〈部落民〉は共同幻想であって実体としては存在しない」と言ってきたが、「差別は幻想だ」と言った覚えはない。ことば足らずや提起の不十分さがそういう読み方を一面導いたのではとは思うが、どうもこれは住田さんとの間で少しピントがズレかかっているのではないか。そういう不安を抱きつつも、とにかく顔を出してみようと京都まで出向いたのである。
 住田さんの提起は、私の『こぺる』への寄稿文や小林清人記者(読売新聞)の記事を下敷きに、部落差別と「共同幻想」の関連やカムアウトとの矛盾等について住田さんなりの理解・疑問点が率直に語られ、討論では、参加者から私にも多く質問・意見が出された。慌ただしく意見は述べたものの、私の不安感は議論の中でますますつのり、このピントのズレは何が原因なのか、それをどういう風に修正し議論の焦点を合わせていけばよいのか、ということが帰福後の私の反省点として残った。 1週間後(3月上旬)、臨時「福岡水平塾」で九州入りされた藤田敬一さんを囲む座談会を持ったが、京都の議論の余韻もあってか、話題は「部落差別における『現実』と『幻想』の関係」などに集中した。藤田さんの話は熱が入り、数時間膝づめの議論だったが、またも平行線の印象が残ってしまう。何かもやもやしたものを感じたままだったところに、折良く住田一郎さんの一文を読むことができた(「差別は幻想か」、『こぺる』62号、98年5月号)。2月の合評会の感想を住田さんなりに整理し簡潔にまとめたもので、そのおかげもあって先のピントのズレの在りかが私にも少しづつ見えてきたような気がする。ここでは住田さんの誠意に応え、今後の対話へつなぐことを期待してこの間の私なりの感想・意見を述べてみたい。

2.
 部落問題を語る場合、吉本隆明氏が創出した思想概念である「共同幻想」という視点は、既成の解放理論や運動論に慣れ親しんできた私たちにとっては確かになじみにくい面があるだろう。68年『共同幻想論』発刊時の「国家の本質は共同幻想である」という大胆な提起は左右を問わず一種の革命的出来事だったが、あくまで抽象に徹する吉本思想の骨太さに手を焼き、「吉本はとりあえず棚上げだ」といった風潮も一部にみられた。具体的な(差別・抑圧の)「現実」を原点にすえて問題を語ろうとする当時の思想傾向から、難解な理屈や観念論ぎらいの紋切り型運動家周辺で冷遇されてきた理由もわからないではない。
 だが一方で、全水運動以降の部落解放運動において「存在が意識を決定する」という「観念=実態反映論」(これもマルクスの思想概念)は現在に至るも強力に生きている。この影響もあってか、幻想論を下敷きとした論議は「現実」を無視した空虚な観念論とみなされ、一蹴される傾向もある。先の住田さんの感想も全体を貫く視点は、ここから発した疑問であると思える。しかし、あえて言えば、私は差別の実態や身近な現実を見ず、頭でっかちに独りよがりな観念論を振り回しているのではない(しかも幻想論は単純な観念論ではない)。語られてきたところの「部落」に生を受け、70年以降部落解放運動に加わり様々な差別の現実や現場を体験し、自身が抱え持つ内面的な弱さ・屈折感とも闘いながら部落問題を必死で考えてきた人間である。一部に見られたように、吉本隆明氏の思想への知的関心や読書趣味でイカレたような、生白く無味乾燥の世界を生きてきたわけではない。
 正直に言えば、私もある時期まで住田さん同様に差別の現実(姿)を規定的実態におく「社会的立場」論によって、部落や部落民の存在を否応なく受け入れるべき実体=「現実」と考えてきた(そういう認識しかできなかった)。しかし「光も陰もある生身の人間(私)が日々生きていく」という単純な事実と、様々な修羅場をくぐる中で感じた「社会(実態)的規定とは人間にとって抽象された一部分かつ外在性(階級・労働者・大衆・市民・・・・と同じ集団属性)でしかなく、人間の内在性(一人一人で異なる個の在りか)は本来別にあり、もっと大きい」との考えを前に、どこかでそういう「規定」に違和を感じる自分があった。
 加えて、部落解放運動が抱え持つ「資格・立場の絶対化」や倫理的呪縛が引き寄せた内ゲバ・崩壊への強烈な運動体験(70年~73年)から、以後みられたそれら絶対化や利権・腐敗などの矛盾を批判する視点に「近代的市民概念の〈社会・個人〉という高みから〈共同性〉の土俵をすっ飛ばして見下ろすものだ」という限界を感じ(これでは、必然的に市民的ルールの順守・規制の強調、特権・第一主義否定→単なる「部落」性の消去・融和の方向に行くしかない)、その枠組みでは届かない日本的「共同性」の存在に無自覚になれず、これを運動・理論の俎上にのせて批判し考える必要を痛感した。(例えば、①今は壊れつつある共同体ルールや隣人関係というより、歴史的に受け継がれたある集団や枠組みの中だけで通用する観念的規範、共有された意識の囚われ、精神的紐帯、ねじれ・屈折感等のことばになりにくい〈過剰さ〉などの対象化、②「共同性」の縛りと外との〈関係〉の現れ方、長短所を十分射程に入れた上で批判すべきなど・・・・)
 そういう自覚から私なりに部落差別の[根拠]を追い続け、試行錯誤の後に見えてきたものが、数年前に投げかけた「共同幻想」論なのである。従って、私にとっては差別の[無根拠性]に気づいたから「肩の荷がおりた」といった程度の代物ではなく、長い歴史的時間を通底し続ける「観念」と「現実」の関係も含めた〈共同幻想の正体〉(仕掛け)が理解できた-即ち、人間を今なおとらえ続けてやまない〈現実に憑いた観念による呪縛〉の仕組みが見え、ここに部落差別の根っこ(コア)があるだろうということ[有根拠性]に気づいた-からこそ、本当に「肩の荷がおりた」のである。
 マルクス主義の輸入以来、私達を長い間拘束し続けてきた「観念=実態反映論」は、階級矛盾としてある圧倒的多数の貧困者層を目の前にし、その人々を丸ごと一定水準まで引き上げていく上では十分有効だった。かつて共産主義の理想を求めた一人として、マルクス思想の功績とその意義を否定するつもりはない。しかし[個人・共同幻想等の上部構造自体が持つ運動性・自在さを一旦無視する]一定の抽象度をもって成立つ[経済決定法則の限界]を踏まえない政治・社会思想が、「現実」世界でどういう悲惨を生み、その運動や組織に関わった個々人をどんなに貧相で干からびた〈場所〉へ連れていったかは、私たちの実体験やここ30年の間[人間や社会をめぐって引き起こされた出来事]を冷静に見直すアンテナがありさえすれば、誰でも気づくことができる。人間が本来持つ臨機応変な観念性や未知の要素を含めた[全存在性]がもっと顧みられなければならない。(-人間が意志的に、法則性でたどれる範囲〈目で見、把握できると思っている現実〉はほんの一部であり、まだ手つかずの領域が多く在るということ-)
 その意味からも、多様かつ豊かな可能性を持つ人間を「経済的範疇(実態)による規定が全てに優先する」とする考え方によって手前勝手に抽象した「現実」規定に閉じこめ(例えば、部落民は実体的存在である)、やせたモノクロ的人間像・人間観を振り回す運動や思想はそろそろ止めにすべきではないのか。また、個々の違いを認め合う〈共生〉や〈関係〉志向は、まずその[違いの在りか]が相互に了解・納得し得るものとして確認された上でなければ意味はなく、砂上の楼閣となる。 私たちには知的関心や、実体化が不可避に呼び込む「寄り添い寄り添われ」の心地よさに安住して、同じことを繰り返したり堂々巡りをしているゆとりはない。今求められているのは、(藤田さんも唱えているように)様々な教条(ドグマ)から自由になり、自身(個人)にとって切実な問題が「私にはこういう風に感じ、考えられる」ということを思い切って提示することであり、そうすることによって「今まで見えなかったことが見えるようになる」ことは、その苦労をいとわない者であれば十分に有り得ることだと考える。

この根源的なものから逆に事物を眺め返してみると、その光景は、普段私達が見馴れているものとまるで異なって見え、ある場合には逆立ちして見える。
(ハンナ・アーレント『人間の条件』より)

 これはいわば、私自身が歩まざるを得なかった様々な体験と思考を通じ、既成の社会認識に基づく〈現実〉とされているものを塗り変える(現実の見え方が変わる)ことによって自身(個人)を奪還しようという試みである。〈部落〉共同幻想の視点を持つことは、具体的な差別を含む「現実」の場の矛盾・困難に人間として立ち向かうスタート地点に立つことであり〈幻想〉性を対象化することで「部落・部落民は実体的存在」といった垣根を踏み越え、個々人が創りだす〈関係〉において生きることの宣言でもある。その意味で部落問題に止まらず、むしろ〈人間〉や〈社会〉への認識自体を転換していこうではないかという提起なのである。

3.
 前置きはこのくらいにして具体的な話に入ろう。まず第一に、部落問題において一般的に語られ、住田さんが言う「カムアウト」論の前提=「実体としてある部落、部落民の存在」に対して、〈共同幻想〉の考え方(部落も部落民も実体としては存在しない)はどういうスタンスをとるのか、その場合の「幻想」と「現実」(実体)の関係はどうなっているのか、という疑問が合評会でも多く出された。この点は藤田さんも「関係の中の幻像であって部落民という民が存在しているわけではない。しかし、この幻像が実体化される。」、「そういう現実から出発すべき」と述べ、結果として幻像(幻想)をメインのこととして捉える方向ではなく、実体化された対象(現実)を重視して考えるという立場にある。
 〈部落・部落民〉=〈共同幻想〉と理解する視点とはつまり、部落問題のキーワードは具体的な実態から直接規定されずに存在し得る共同的な〈観念〉と、それがある現実的対象に憑くこと(偽現実化)で生じる〈呪縛〉にあるととらえる見方である。他の差別問題との比較で言えば、共通項で取り出しやすい政治・社会構造や階級支配、差別現象(忌避・排除・優越等)から考えるのではなく、部落差別現象を発生させる核(コア)と考えられるものを正確に抜き出す時に見えてくるものであり、私にとっては、これが他の差別と明確に異なる部落差別の[独自性]=解体の直接的ターゲットと思われるものである。
 まず先の疑問に対する意見(住田さんとのズレの在りか①)を述べてみよう。
 「幻想」か「現実」かといった議論に見られるように、それらは一見対立するように見える。しかし、元々は対立したりする並列概念なのではなく(単に「観念」という場合は「現実」との並列で扱えよう)、〈幻想〉は「現実」を大きく包摂する概念だと考える。部落差別の本質を〈幻想〉としてとらえるというのは単に「観念」や「意識」を指しているのではない。「観念」はそのままで存在することはできず必ず憑く対象(「現実」)を求める(藤田さんの言う実体化)。しかしここからが肝心だと思うのは、「実体化」されたそれは正しい意味での「実体」ではなく、いわば「観念がセットで貼り付いた偽りの実体」なのではないのか。つまり「観念」が特定の対象(人間や地域)に憑き、貼り付くことによって元々の対象(「現実」)とは違う別な対象に見えたり思ったりしてしまう事態を生み出すこと(「偽りの現実」化)、そしてその本質的正体は実体化された「偽りの現実」の方にあるのではなく、何らかの理由で「貼り付いた観念」の方にあること、そういう仕組みや仕掛け(構造)の総体を<幻想>であるという言い方で表現しているのである。
 「差別は幻想か」という提起は、幻想=単なるまぼろしと理解するためにそれが空虚に一人歩きし、観念=実像のないものとして具体的な差別やそれと闘う「現実」が後退してしまいかねないという危惧からであろう。住田さんの言う「部落・部落民が実体として存在しないのなら、部落差別も存在しないのであろうか、・・観念的な実像のないものであろうか。・・地域への囚われも観念のなせる業でしかないのであろうか」(前掲文)という疑問も、〈幻想〉を単なる〈観念〉と見ているために、現実に引き起こされる差別の事実や感情、現に「部落」と見られている地域の存在まで否定されては論外だという横すべりを起こしてしまっていると思われる。
 我々が見ている(思っている)「部落・部落民」とは、「観念」が憑き、貼り付いているために、元々の対象(現実)とは違う別物に転化させられてしまっている「偽りの現実」(幻想)であることから、「部落・部落民は実体として存在しない(実体としてあるのは一人一人で異なる顔や考えを持つ人間であり、人達が住む町である)」(という前提を持つべき)と言っているのであり、そういう「偽りの現実」による規定(あるいはそこから生み出されるアイデンティティ)をスタートラインに据えたままで、部落差別やそれとの闘いを語るべきではないのではないか。更に言えば「偽りの現実」を受け入れたまま、それを生み出す仕掛け(〈共同幻想〉の性質や機能)に的をあて矢を射かけずして本当に部落解放=人間の解放はあり得るのか。
 住田さんが言うように、確かに具体的な差別(行為・現象)は、この「偽りの現実」(幻想)を下地にして生み出されるまぎれもない「現実」である。そこで悩み苦しんでいる人間の存在もまたそうである。だから、それと闘うために、言われてきたところの「部落・部落民」を語る(あるいは名乗る)必要は当然あるだろう。しかし問題は、語り、名乗るべき「部落・部落民」をまずどういう中身で規定するのかということであり、その内容次第で、闘い方も差別克服の方向も大きく異なってしまうのである。従って、差別と闘う主体としては、観念が憑依(人間や地域に貼り付く=偽実体化)し、それがある共同水準で歴史的に維持された〈共同幻想としての部落・部落民〉として理解し位置づけた上で語られるべきであり、「人々の前に〈実像のごとく〉横たわる部落・部落民とは一体何なのか。実体なのか、虚構なのかが問われている」(住田前掲文)のではなく、あくまでも「〈実像のごとく〉横たわる虚構」=〈共同幻想〉的存在として押さえられるべきではないか。そう押さえることによって、①〈部落・部落民〉とは実体的存在ではなく、幻想的存在として現実の人間が対象化する(突き放して考える)ものであること、②解体の主目標や私たちが当面闘うべき相手は、賤視や忌視といった古い観念がモノに貼り付き、人間を観念的に縛る〈共同幻想〉性にあること、これが「偽りの現実」にとらわれて差別・被差別の関係を生み出してしまう双方の人間が乗り超えるべき共通課題だ、という風に考えられはしないだろうか。
 合評会で住田さんは、「共同幻想は、部落差別が(根本的には)観念世界の問題=無根拠性は明らかであり、それに気がつくという範囲ではわかる」「しかし、個別具体的な場面でとらわれている人は、観念世界ではなく、観念世界を構成している具体的な実体(部落や部落民)との関連で差別事象が起こっている。そこのつなぎをどう見るのか」という趣旨の発言をされた。ここで住田さんが言う「観念世界を構成している具体的な実体」は、私が言う「偽りの現実」に対応している。具体的な差別はこれを下地にして起こるのであり、ここまではあまり違いはない。
 違うのは「観念を構成している実体」と述べているように、住田さんは「部落・部落民」の存在を観念が貼り付いた状態(「偽りの現実」)とは見ず、「実態反映論」の立場から、観念の実体化によって「現実」に存在する「部落・部落民」が再び循環的に賤視観念を構成する、だから「部落・部落民は実体的存在」であると考えるのに対し、私はいつも直接に「実体が観念を構成している」のではなく、貼り付いた観念とその対象となっている人間・地域は〈幻想〉理解によって明確に区別できるし、貼り付く観念そのものが、いまの現実(実態)に規定されない原始・未開的要素を持つものとして相対化し独自に取り扱えるとするために「部落・部落民は実体ではな幻想的存在」であると考えている点にある。
 つまり、古い時代に何らかの規定的実態がある特殊な観念(賤視、忌視)を生み出したことは間違いないが(実態というより自然の脅威を前にした人間集団(共同体)が、その間を媒介する異集団を必要としつつ排除する〈疎外〉関係維持のために発生した共同体間の〈関係〉意識ではないか。その意味で部落差別観念の起源は相当古いと思う)、一旦生じた観念は独自の運動性によって臨機応変に現実に貼り付き、観念自体が不要なものとして解体無化されない限り、発生時以降の実態・関係(当初、二次・・・・の根拠)がもはやなくなっても様々な対象(現実)に憑依し生き延びることができる。従って、実態の方は様々に入れ替わり、新しくなったりするのに、貼り付き憑依する観念の方は古い原型を残したままいつまでも居座ることもあり得る。
 合評会で私が「部落・部落民の規定は川の流れのようなものだ。離れていれば満々と水をたたえた川(観念が貼り付いた対象)しか見えないが、近くで見れば川を構成する水はいつも流れ、動き、入れ替わっている(現実の人間)。しかも、その水とそれで成り立つ川とは、どこから来ようと水(人間)でさえあればよく、直接(共時)的連関はない。川(部落・部落民)の概念は、一つ一つの水(人間)を直接指し示すものではないことに我々は気づくべきだ。この一点で「名乗り」の意味は全く異なる。固定して見える川(部落・部落民)=幻想性に目を奪われている限り、個々の水(人間)とは齟齬を生じ、正しくとらえられない」という意味のことを述べたのは、こういう仕組みのことなのである。いつも動いている水(人間)を川(部落・部落民)の概念で実体化してしまうと、水(人間)は川(部落・部落民)に縛られ、変化し流れているにもかかわらず、子々孫々まで永遠に離れることができないものとして生きねばならない。
 水平社宣言は、(こういう仕掛けをとらえてはいないが)このような理不尽さに対する[人間(水)の根源的な怒り]を[エタであることを誇る]という逆説的な言い方で社会に向けてぶつけていると私は感じている。江戸期以降を血縁的に正確にたどれる(と思っている?)人はもちろん、近・現代に何らかの理由で〈部落〉に流入・関係した人まで、いつの間にか<部落民>とみなされていくという(他に例を見ない)特有の構造は、みなされた実態(「偽りの現実」)の方を追いかける限り永遠の縛りで個(人間)は「あいまい」なまま堂々巡りするほかない。
 私たちがかかえ込んできたこの矛盾を、「特定の対象(現実)に憑き生き延びている観念」=〈幻想〉の仕掛けとしてきっちりと標的にし、その幻想性自体を「現実」の個々の人間の〈営み〉や〈関係〉の中でたたいていく(「現実」の見え方を変える→自分は一滴の水であり川ではない。もしも、自分〔の属性〕が川なら同時に空であり、山であり、海でもある)ことでしか解決方向は見えてこないだろうと私は考えている。(98年6月記、未完)

《 採録 》
『部落解放運動情報』(No.23,98/6,「研究誌から」)

 私も、この半年くらい『こぺる』を読んでいる。そして『同和はこわい考』の著者である藤田敬一さんに対して、つい最近まで強烈な違和感をもってきた一人だ。 青木秀男さんの文章(「解放理論と解放運動の『革新』はできるか?-『こぺる』読後感想として」、『部落解放ひろしま』98年4月号)は、読んでいて耳ざわりはいいけれど、現実の運動の課題が何ひとつ明らかにされず、「人間美学に賭けて差別しない」という哲学か?観念か?現実か?の区別もない。藤田さんに対して「かつて糾弾されて黙ってしまった」総括を問うているが、自らの思想の関わる問題については、「人間美学」や「想像力」でスリ抜けるというズッコさである。文章全体を通して、青木さんの問題意識がどこにあるのか見えてこないし、解放運動の総括がない。
 私は、『こわい考』が出された頃、「地対協意見具申を補強する利敵行為だ」という評価で一色だった。当時、大学で当局とやりあっていた頃、「しょせん、文化人とはこんなものだ。結局、一切の責任を部落の側(被差別の側)に押しつけて事たれりなのだ。当局のいい手本だ」と。ところが、十数年たって藤田さんの文章を読んで「わたしは対話がとぎれる原因を差別される側にだけ求める考え方を退け、そのうえで」と言っているところを受け止める余裕が、当時の私にはなかったと思えるようになった。藤田さんは『こわい考』以降もこだわり続けていた。逆に、私自身が部落民というだけでもつ「共通感情」や「安堵感」はなんだったんだろう?なんとか本音でぶつかりあえる仲間(部落民でない仲間)をつくりたいと思いながらも、何か批判されると、「(部落)出身学生の格闘をどうふまえてるのか」とはねかえしてきた。「何をわかってんねん」と殻に閉じこもってきたように思う。これでは、せっかく作った関係も台なしだ。
 「こわい考通信」124号に「ここちよい殻から抜け出すとき」という山下力さんの文章が紹介されている。それを読んで、私自身が揺れながら歩んできた学生運動での自分の姿を浮きぼりにされる思いがした。そして、強力なバリア(殻)をはがされ肩の力がスーと抜けていく気がした。「被差別を防衛する」-「被差別に正義あり」みたいなけっこう偏ったものの見方をしてきたんだなあと思った。「差別-被差別」の社会的な立場に縛られず、自然な会話が成立したら、もっといろんなものが見えてくる気がした。「部落民の思いをわかってほしい」-しかし、批判されている相手の真意をわかろうとしない一方通行の「わかってほしい」からは、関係が成立しようがない。「わかりあうために」-解放を求めるが故に何が必要か?という発想の転換の中からしか関係が始まらない。しかし、「まず部落民として胸をはって」みたいな立ち方をしてきた私には「発想の転換」や「被差別の立場から自由に」なることに「融和的になってるんじゃないか」という戸惑いもまだまだある。それと、少しだけ触れたフェミニズムには「癒し」と「がんばろうと思えるパワー」を与える不思議な力がある。これまでの運動の概念では捕らえきれない何かがある。 色んなものや考え方に触れて自分の身についてきた運動感覚をおおいにゆさぶってみるのもいいことだ。四〇歳にして「私はこの辺に偏って生きてきたのかな」と少し客観的自分が見てきた気がして、「もう少し広い所で生きてみたいなあ」と最近思っている。(H)

《 川向こうから 》
●126号は6月4日付でしたから、二か月ぶりの発行です。体調を崩していたわけ ではなく、要するに忙しかっただけです。「出したいときに出し、出せるときに 出す」、それでいいのだと思うことにしました。この間、変わったことといえば、 猫が一匹増えて九匹になり、山小舎に寝室棟が完成したことぐらいかな。先日は、 社会教育主事講習の受講生十数人が山小舎に来てくれてドンチャン騒ぎをやりま した。このご時世になにを呑気なことをと怒らんといてくださいね。みんな適当 に息抜きをしバランスをとりながら生きてるんですから。アハハ…。
●忙しかったのは、二冊の本の編集作業がつづいたためです。『部落史を読む』は すでに書店にならんでいるはず。もう一冊の『「部落民」とは何か』は、9月12 日~13日の第15回部落問題全国交流会に間に合わせるべく目下奮闘中です。ぜひ 読んでくださいますように。阿吽社へ直接注文してくださってもOK。
●原口孝博さんの文章は三回連載の予定です。本号の発行が遅れ原口さんには迷惑 をかけました。お詫びします。
●本『通信』の連絡先は、〒501-1161 岐阜市西改田字川向 藤田敬一 です。(複製歓迎)