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《 随感・随想 》
『同和はこわい考』の十年-なにが見えてきたか-②
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藤田 敬一
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1.
『こわい考』には大きくいって二つのテーマがあったように思う。一つは部落問題解決のための取り組みに関するするものであり、もう一つは差別・被差別に関するものである。前者は運動・政治にかかわり、後者は心理・思想にかかわる。ところが、『こわい考』には部落解放運動の方針、展望がないと批判する人がいた。たしかに、わたしは今後の具体的な方針や展望を論じてはいない。むしろ、そんなものはないと指摘したのである。
長くなるが、『こわい考』の一節を引用する。
つまり、わたし自身が抱き、それにもとづいて活動してきたこれまでの部落解放にかかわる発想や理論・思想、方針や取り組みではどうにもならないということなのだ。これが、部落完全解放路線なるものを求めてさまよいつづけたあげく到達した結論だった。この部分に関して、大西巨人さんから「殊に、甚大な疑義ないし異見を抱く」「ここの文章(文体)は、いちじるしく弛緩していて、内容のいかがわしさを私にまず覚えしめる」と批判された(「部落解放を『国民的課題』にする一つの有力有効不可欠な道」、『朝日ジャーナル』1988/8/5.大西巨人文選4『遼遠』みすず書房、1996所収)。わたしの主張のどこがいかがわしいのか、よくわからない。資本主義・独占資本・帝国主義が部落差別を再生産しているといった旧来の考 え方を一蹴したことが大西さんをいらだたせたのかもしれない。しかし、10年たったいまもこの主張を変える必要をまったく認めない。
2.
問題のありようからして、当時もいまも、なによりも先ずこれまでなじんできた発想、理論、思想の枠組みから脱却することが求められているのである。「この先は行き止まりだ」と考えて別の道を探し求めるか、それともあいも変わらず行政施策の継続・拡充を要求するか、それが問われている。かつて「部落解放運動は差別と欲のとも連れだ」と喝破した意見さえあった。要求・欲望を差別とつなげ運動に人びとを結集するというわけである。言い得て妙だと感心はしたが、部落解放運動としてそれでいいはずがないと思っていた。わたしは部落解放中国研究会などの活動をとおして、「腐敗と堕落、利権と暴力」批判から行政闘争論批判をへて、部落解放理論の行きづまりを確認するにいたる。前号であげた「部落解放運動の現状に切り込む論争を-『解放新聞』紙上の師岡・大賀論文を読む」(『紅風』79/9~79/11)はまだまだ硬い言葉を使い、旧い枠組みを引きずったままではあるが、わたしなりの一応の結論だった。梅沢利彦さんはこの論文と『こわい考』との関連について、
と述べているが、「部落解放運動の死活に関わる問題を論じ」ようとしたことだけはまちがいない。冒頭に引用した『こわい考』の一節は、ほぼ30年にわたる活動と思索の結論を凝縮したものである。その後もわたしの問題意識に揺らぎはなかった。 『こわい考』から一年、論議が一巡した段階で『こぺる』に、「部落解放運動をめぐる率直な論議を-あわせ聞けばあかるく、かたより信ずればくらし」(No.125,88/5。『同和はこわい考を読む』所収)を寄稿した。その中で、
と書き、なぜ旧来の枠組みを破らなければならないかをあらためて論じたのだった。 『こペる』復刊第1号にのせた「運動は人と人との関係を変えたか-対話がとぎれる現状をみつめる」(93/4)も、
を分析視点として、これまでの運動や事業、啓発・教育を検討したものであり、
と結論づけたのだった。 もちろん、わたしのこのような意見にかかわりなく、日々の部落解放運動は展開されている。各種の全国集会は人であふれ、そこでなにがしかの充足感を得る人もいるにちがいない。にもかかわらず「部落差別とはなにか。その実態はどうなっているのか。部落解放とはなにか。どうすれば部落解放を達成できるのか」を根底的に問わない取り組みの結末は容易に想像できる。 「運動や運動団体についてどうのこうのいうのは、もういいんじゃないか。放っておけば」と忠告してくれる人がいる。しかし、わたしは、部落差別に苦悩している人がおり、部落問題の解決を求めて苦闘している人がいて、部落差別(意識)を媒介にした関係に縛られている人がいるこの〈現実〉から出発したい。差別の問題は人間存在の根源にかかわるがゆえに、運動・政治の問題は避けられず、心理・思想の問題、もっといえば文学・哲学の問題としてのみ扱うわけにはいかないのだ。少なくとも、わたしにとってはそうである。もし、人間の〈現実〉の苦悩を無視もしくは等閑視すれば、わたしの人間理解と言説は空虚なものにしかならないという気がする。こざかしい議論をする人はいくらでもいるが、<現実>と切り結ばない議論はいかに精緻に見えようと空疎でしかない。あくまでも<現実>と格闘する人びととつながりながら「人間と差別」について考えたいのである。
3.
『こわい考』から四年、部落解放運動に注目すべき動きが現れた。大賀正行さんの部落解放運動第三期論である(『第三期の部落解放運動-その理論と創造』、人権ブックレットNo.30、部落解放研究所、91/7)。わたしは、この著作から大賀さんの運動と組織の現状に対する危機感を読みとった。彼はこういっている。
大賀さんは「部落解放とはなにか」を、将来実現されるであろう「ある状態」と考えているようだが、そのことはさておき、運動にとって肝心カナメのこのテーマを議論してこなかったと告白するその率直さ、「今まで通りのやり方」ではその先は行き止まりだというその感覚こそ、わたしが運動に求めてやまないものだった。 翌92年5月、部落解放同盟第49回全国大会において上杉佐一郎さん(当時委員長)は「沈滞と保守主義を排し、旧態依然とした『部落観』や闘争スタイルから自らを解放していくことが急務」だとして、中央理論委員会の再開を提案し、それにもとづいて同年8月、上杉さんを委員長、小森龍邦さんを事務局長とし、大賀正行・村越末男・鈴木祥三・石元清英・野口道彦・三輪嘉男・小林茂・寺沢亮一・土方鉄・田村正男・元木健・森実さんらを専門委員とする四部会体制を整えて出発した。とりわけ、大賀さんを部会長とする第三期運動論部会は基本的課題を扱う中軸で、理論的諸課題として、
があげられた。その一つひとつが部落解放運動70年の総括と深く関連している以上、どのような内容のものが最終的に出てくるか、当然わたしは注目した。 93年10月、名古屋で開かれた第27回部落解放全国研究集会第5分科会で、
との参加者から出された意見を大賀さん自身が読みあげて紹介したという。この分科会には上杉さんもパネラーとして出席していたから、これは明らかに同盟中央の姿勢が変わりつつあることのきざしであり、「提言」が思い切った内容になるのではないかと、それなりに期待した。 一年近くたって中央理論委員会の「提言」として出されたのが部落解放同盟中央本部編『新たな解放理論の創造に向けて』(解放出版社、93/11)である。そこではこういっている。
「危機意識の欠如」、「行政依存のぬるま湯的状況と自主解放の精神の麻痺」が見られるという。この程度のことなら70年代中・後期の運動方針にも書かれていたが、それが旧来の発想、理論、思想の点検へとつながるとすれば運動に転換をもたらす可能性があると、わたしは考えた。そんなこともあって、『こぺる』誌上で大賀さんと対談したのだった(「部落解放運動新時代の可能性」No.17,18.94/8~94/9)。96年夏の部落問題全国交流会に大賀さんを招いたのも、運動内部における発想の転換について議論がしたかったからである。 だが、危惧していたように「(運動と組織の)大胆な点検と改革への取り組み」は提唱したことすら忘れられ、部落解放運動第三期論は反故にされた。格差をもって差別だとし、人権予算の名のもとに特別措置の継続を要求する主張が罷りとおっている。新綱領をめぐる議論の低調さに現れているように、「部落差別とはなにか。その実態はどうなっているか。部落解放とはなにか。どうすれば部落解放を達成できるのか」といった根本問題を考える気力はうせてしまっている。運動は今後ますます迷走するだろう。そうなれば、部落解放運動はなんのために存在するのかという根源的な問いが公然と投げかけられるにちがいない。いや、そんな問いが出されるならまだしも、黙って人は去るかもしれないのである。そのとき、「人間を尊敬する事によって自ら解放せんとする者の集団運動を起せるは寧ろ必然である」(水平社宣言)と確信を持って答え、呼びかけられる人がどれだけいるだろうか。 運動の中で苦悩している人は少なくない。先日、ある支部の幹部たちと話し合う機会があったが、若い一線の活動家なのに元気がない。よく聞いてみると、日々の活動が「部落解放」につながっているという実感がないというのである。そこで、『こわい考』以来、わたしなりに思索したあげくたどりついた次のような「部落解放への見通し」を語った。
わたしの話がどこまで青年たちの心に届いたかはわからないけれど、「この先は行き止まりだ。しかし、発想を転換して、もっと広く深く人間の問題として差別を考え、人と人との関係を人間らしいものに変えるべく、関係を変えたいと願う者が一歩踏み出して努力する先に道は開ける」ということだけは伝わったように思う。 このようなわたしの意見を「部落解放をめざす運動と組織の解体論になるのではないか」という人がいる。「初めに運動・組織ありき」ではなくて、「わたし」から出発し、個人と個人との関係を重視するという意味ではそういえるかもしれないが、だからといって既成の運動と組織を解体せよと主張しているわけではない。同盟中央の動向とかかわりなくこれまでの取り組みを振り返り、運動と組織の発想転換をすすめようとしている人びとが現にいる。特別措置・特別枠になじんできたことによる影響は根強く、そう簡単に発想の転換がすすめられるとは思われない。しかし困難を承知で「旧い自己からの脱皮」に挑む人びとがいるのである。組織・集団に縛られず、さりとて組織・集団を否定せず、それらの人びととゆるやかな呼応の関係をたもちつつ、わたしは「わたしの部落解放運動」をつづける。(未完) 《 川向こうから 》
☆前号の発送作業が深夜までずれ込んだのがいけなかったのか、風邪を引き四日間寝込んでしまいました。喉は腫れるは、腰は痛むはで散々でした。体力が落ちているのかもしれませんな。おかげで風邪が治るまで酒はおあずけ。そのかわり治ったあとの熱燗と湯豆腐のうまいことといったらなかった。アハハハ。☆某日、全校40数人の中学生に話をしてくれとの依頼があって、昨年8月に寄せてもらった岐阜県恵那郡川上村を再訪しました。高校生に話をしたことは何回かあるけれど中学生は初めてにひとしいので、ちゃんと聞いてくれるか心配でしたが、1時間40分、「人間に対する“まなざし”を考える」という話に、生徒たちはじっと耳をかたむけてくれました。帰りぎわに「ありがとうございました」と礼をいい、手を振って別れの挨拶をしてくれる生徒もいて、いたく感動。きちんと、まっすぐに話をすれば中学生にも伝わるんですね。中学生といい出会いができたうえ、恵那山と笠置山も眺められて、もういうことなし。 ☆某日、真宗大谷派大垣教務所が開いている「仏教公開講座」に出講。共通テーマ「一大事-私にとって本当に大切なこと-」に関連してなにを話したらよいか悩んだすえ、「よく生き合うことの意味」について話をさせてもらいました。平日の夜なのにたくさんの方が出席なさっている。遠くから車に相乗りして来ている人もおられるという。なんといっても話を聞いてくださる態度が真剣で、こちらが圧倒される感じでした。終わったあと友人たちが開いてくれた小宴がまた楽しく、忘れ難い一夜になりました。 ☆ハンナ・アーレント『イェルサレムのアイヒマン』(みすず書房、69/9初版、97/11第3刷)をやっと手に入れて読み終えました。この間、「体験・資格・立場・帰属意識」について考えてきたので、「<ユダヤ人>アーレントにおけるユダヤ人問題」は実に読書意欲がそそられるテーマです。ただ、アーレントの他の著作やアーレントに関するものを読んでいないので直観でいうしかないんですが、加藤典洋さんが『敗戦後論』(講談社、97/8)で紹介し、原口孝博さんや恩智理さんがふれたアーレントのショーレムあて書簡(『現代思想』97年7月号、青土社に訳文あり)の中の「ユダヤ人の共同性」なるものを拒否している言葉は額面どおり受けとることはできないのではないでしょうか。あれはよほど屈折した表現のように思います。ところで最近読んだものではサンダー・L・ギルマン『ユダヤ人の身体』(青土社、97/3)が「差別と身体」を論じていておもしろかった。 ☆本『通信』の連絡先は、〒501-1161 岐阜市西改田字川向 藤田敬一(研究室直通TEL&FAX 058-293-2222、E-mail:k-fujita@cc.gifu-u.ac.jp)です。(複製歓迎) |