同和はこわい考通信 No.123 1998.2.26. 発行者・藤田敬一

《 随感・随想 》
『同和はこわい考』の十年-なにが見えてきたか-②
藤田 敬一
1.
 『こわい考』には大きくいって二つのテーマがあったように思う。一つは部落問題解決のための取り組みに関するするものであり、もう一つは差別・被差別に関するものである。前者は運動・政治にかかわり、後者は心理・思想にかかわる。ところが、『こわい考』には部落解放運動の方針、展望がないと批判する人がいた。たしかに、わたしは今後の具体的な方針や展望を論じてはいない。むしろ、そんなものはないと指摘したのである。
 長くなるが、『こわい考』の一節を引用する。

部落差別をなくすにはどうしたらよいか。いま部落解放理論は、この単純にして素朴な問いかけの前に立ちすくんでいるように、わたしにはみえる。いやいや、わが組織がかかげる解放理論にもとづいて運動をすすめれば、たちどころに解決できると豪語する人はいる。いつの時代にも、こんな楽天家はいるものだ。しかし、そんな快刀乱麻のごとき理論、方法があるとは思われない。疑う人は日々生起している差別事象-匿名のはがき・手紙・電話による嫌がらせ、落書き、結婚差別などをみればよい。これらの事象は、行政機関の怠慢の結果だろうか。(中略)行政が差別の根源だと簡単にはいえそうにない。それではアメリカ帝国主義と日本独占資本、あるいは日本帝国主義が差別を再生産しているのか……。もう、こんな議論は止めにしよう。
 ところで、『戦後部落解放論争史』(柘植書房)の著者師岡佑行さん(京都部落史研究所所長)は、現在を新しい状況にもとづく部落解放理論形成の過渡期だと述べているけれども、あるいは過渡期のずっと手前にわたしたちはいるのかもしれない。かつて部落解放理論は明解に「部落解放への道」を指し示しているかのように思われたものだ。観念、意識諸形態は下部構造に規定されているのであるから下部構造を変革しさえすればよろしい。下部構造の変革とはなにか。生産力の発展にもとづく新しい生産関係の創造  革命、これである。一切の改良は革命主体形成のための手段にすぎない……。
 だが社会主義がぼやけ、革命がぼやけてくるにしたがって、部落解放理論もぼやけてくる。「目的」が薄れ「手段」が前面に出てきた。一九六五年の同和対策審議会答申がその指導理念となり、高度経済成長がそれを支える。同和対策事業によって劣悪な環境の整備もすすみ、七○年代中期には五○年代ごろの実態は大きく改善されてくる。狭山差別裁判糾弾闘争の展開とともに、被差別統一戦線・反差別統一戦線の結成が主張され、「被差別部落を住民目治、解放の町、根拠地に」というスローガンも提起される。世界的な反差別・人間解放の波と、それは呼応しているように受けとめられた。しかし、まもなく部落解放運動をめぐって状況は錯綜しはじめ、同和対策事業をめぐる不祥事が頻発し、組織矛盾が噴出する。その要因の一つには「行政施策の積み重ねによる部落解放の達成」という行政闘争論の問題があったのだが、その理論的検討は放置されたままである。部落解放理論は事態の進行に対応しきれなくなっている。
 こうした状況を前にして「あなたは同和問題を解決するためには今後どのようなことが必要だと思いますか」とたずねられたらどう答えたらよいだろうか。
(『こわい考』29~31頁)

つまり、わたし自身が抱き、それにもとづいて活動してきたこれまでの部落解放にかかわる発想や理論・思想、方針や取り組みではどうにもならないということなのだ。これが、部落完全解放路線なるものを求めてさまよいつづけたあげく到達した結論だった。この部分に関して、大西巨人さんから「殊に、甚大な疑義ないし異見を抱く」「ここの文章(文体)は、いちじるしく弛緩しかんしていて、内容のいかがわしさを私にまず覚えしめる」と批判された(「部落解放を『国民的課題』にする一つの有力有効不可欠な道」、『朝日ジャーナル』1988/8/5.大西巨人文選4『遼遠』みすず書房、1996所収)。わたしの主張のどこがいかがわしいのか、よくわからない。資本主義・独占資本・帝国主義が部落差別を再生産しているといった旧来の考 え方を一蹴したことが大西さんをいらだたせたのかもしれない。しかし、10年たったいまもこの主張を変える必要をまったく認めない。

2.
 問題のありようからして、当時もいまも、なによりも先ずこれまでなじんできた発想、理論、思想の枠組みから脱却することが求められているのである。「この先は行き止まりだ」と考えて別の道を探し求めるか、それともあいも変わらず行政施策の継続・拡充を要求するか、それが問われている。かつて「部落解放運動は差別と欲のとも連れだ」と喝破した意見さえあった。要求・欲望を差別とつなげ運動に人びとを結集するというわけである。言い得て妙だと感心はしたが、部落解放運動としてそれでいいはずがないと思っていた。わたしは部落解放中国研究会などの活動をとおして、「腐敗と堕落、利権と暴力」批判から行政闘争論批判をへて、部落解放理論の行きづまりを確認するにいたる。
 前号であげた「部落解放運動の現状に切り込む論争を-『解放新聞』紙上の師岡・大賀論文を読む」(『紅風』79/9~79/11)はまだまだ硬い言葉を使い、旧い枠組みを引きずったままではあるが、わたしなりの一応の結論だった。梅沢利彦さんはこの論文と『こわい考』との関連について、

誤解のないように断っておくが、これは批判のための批判、あるいは議論好きの理論いじりではない。「部落解放運動がよってたってきた思想、理論の具体的分析、具体的批判こそが、いまなされなければならない」、「この特措法十年が何を生みだしたというのか。それがまず問われねばならない」(『紅風』26号19頁)という問題意識に支えられているのである。部落解放運動の死活に関わる問題を論じているのである。(中略)今回の『同和はこわい考』は俗流化したテーゼ(「資格の絶対化」・「基準の絶対化」)を批判の対象にしているが、七九年論文の延長線上のものであることは明白である。(『こぺる』No.124,88/4、こぺる編集部編『同和はこわい考を読む』阿吽社、1988所収)

と述べているが、「部落解放運動の死活に関わる問題を論じ」ようとしたことだけはまちがいない。冒頭に引用した『こわい考』の一節は、ほぼ30年にわたる活動と思索の結論を凝縮したものである。その後もわたしの問題意識に揺らぎはなかった。 『こわい考』から一年、論議が一巡した段階で『こぺる』に、「部落解放運動をめぐる率直な論議を-あわせ聞けばあかるく、かたより信ずればくらし」(No.125,88/5。『同和はこわい考を読む』所収)を寄稿した。その中で、

部落差別とはなにか、その実態はどうなっているか、どうすれば部落解放が達成されるのか、といった部落解放運動の根本問題について、いまほど真剣に議論しなければならないときはない。(中略)部落解放運動は重大な局面にさしかかっているだとか、情勢は厳しいだとかいってられるほど状況はなまやさしいものではない。運動の存在根拠が問われ、これまでの理論や考え方の再検討が迫られているのである。(146頁、175頁)

と書き、なぜ旧来の枠組みを破らなければならないかをあらためて論じたのだった。
 『こペる』復刊第1号にのせた「運動は人と人との関係を変えたか-対話がとぎれる現状をみつめる」(93/4)も、

これまでの取り組みは、部落差別(意識)を媒介にした人と人との関係にどのように切り込もうとしてきたのか、そしてどこまで切り込めたのか、もし切り込めなかったとすれば、それはなぜなのか。

を分析視点として、これまでの運動や事業、啓発・教育を検討したものであり、

第一に、一九五一年のオール・ロマンス闘争以来、「差別事件を行政闘争に転化せよ」とのスローガンのもとに行政施策の拡充が追求されたけれども、事業、施策はあくまでもモノやカネであって、モノやカネそれ自体としては、人と人との関係を変えられなかったということである。(中略)
 第二に、偏見を克服し、部落問題の解決のために努力する人びとの輪をつくろうとして、広範に啓発・教育が取り組まれてきたが、教える人と学ぶ人との分離が前提とされている啓発・教育は、具体的な人と人との関係を変えるには自ずと限界があったということである。(中略)
 第三に、人と人との関係を変えるという点では、被差別部落出身者と被差別部落外出身者が一堂に会し、共通・共同の課題について論議し、その解決に向けてともに取り組む意味は大きいはずだが、共同闘争・国民運動なるものの空洞化・形骸化は目をおおうばかりで、部落解放運動における被差別部落の内と外との溝は基本的には埋めることはできなかったということである。(中略)
 以上、要するに、糾弾闘争をふくめ、これまでの取り組みは全体として人と人との関係に切り込めず、その変革に成功してこなかったといえる。部落解放運動七○年のこの現実をどうみるか、これがすべての出発点である。

と結論づけたのだった。
 もちろん、わたしのこのような意見にかかわりなく、日々の部落解放運動は展開されている。各種の全国集会は人であふれ、そこでなにがしかの充足感を得る人もいるにちがいない。にもかかわらず「部落差別とはなにか。その実態はどうなっているのか。部落解放とはなにか。どうすれば部落解放を達成できるのか」を根底的に問わない取り組みの結末は容易に想像できる。
 「運動や運動団体についてどうのこうのいうのは、もういいんじゃないか。放っておけば」と忠告してくれる人がいる。しかし、わたしは、部落差別に苦悩している人がおり、部落問題の解決を求めて苦闘している人がいて、部落差別(意識)を媒介にした関係に縛られている人がいるこの〈現実〉から出発したい。差別の問題は人間存在の根源にかかわるがゆえに、運動・政治の問題は避けられず、心理・思想の問題、もっといえば文学・哲学の問題としてのみ扱うわけにはいかないのだ。少なくとも、わたしにとってはそうである。もし、人間の〈現実〉の苦悩を無視もしくは等閑視すれば、わたしの人間理解と言説は空虚なものにしかならないという気がする。こざかしい議論をする人はいくらでもいるが、<現実>と切り結ばない議論はいかに精緻に見えようと空疎でしかない。あくまでも<現実>と格闘する人びととつながりながら「人間と差別」について考えたいのである。

3.
 『こわい考』から四年、部落解放運動に注目すべき動きが現れた。大賀正行さんの部落解放運動第三期論である(『第三期の部落解放運動-その理論と創造』、人権ブックレットNo.30、部落解放研究所、91/7)。わたしは、この著作から大賀さんの運動と組織の現状に対する危機感を読みとった。彼はこういっている。

「部落解放とは何か」「どういう状態をもって部落解放というのか」ということを規定する必要があります。「そんなもん、まだ先のことや」「そんな抽象的なこと、議論しても観念論になる」ということで、今までこんな議論を余りしませんでした。しかし、そろそろはっきりさせる必要が出てきたと思います。(中略)第三期を強調するというのは、今まで通りのやり方ではいけない。部落民とは何か、部落解放とはどういう状態をいうのか、理論的にもはっきりさせて完全解放ということを射程に入れて、お互いに知恵を出し、腹をすえて取り組もうということです。(18~19頁)

大賀さんは「部落解放とはなにか」を、将来実現されるであろう「ある状態」と考えているようだが、そのことはさておき、運動にとって肝心カナメのこのテーマを議論してこなかったと告白するその率直さ、「今まで通りのやり方」ではその先は行き止まりだというその感覚こそ、わたしが運動に求めてやまないものだった。
 翌92年5月、部落解放同盟第49回全国大会において上杉佐一郎さん(当時委員長)は「沈滞と保守主義を排し、旧態依然とした『部落観』や闘争スタイルから自らを解放していくことが急務」だとして、中央理論委員会の再開を提案し、それにもとづいて同年8月、上杉さんを委員長、小森龍邦さんを事務局長とし、大賀正行・村越末男・鈴木祥三・石元清英・野口道彦・三輪嘉男・小林茂・寺沢亮一・土方鉄・田村正男・元木健・森実さんらを専門委員とする四部会体制を整えて出発した。とりわけ、大賀さんを部会長とする第三期運動論部会は基本的課題を扱う中軸で、理論的諸課題として、

部落解放運動とは何か(歴史的総括と現状)
部落完全解放とは、いかなる状態か
完全解放への条件整備はどうあるべきか
部落の完全解放と国内外の反差別闘争との関係はいかに位置づけられるべきか
部落解放運動の将来展望

があげられた。その一つひとつが部落解放運動70年の総括と深く関連している以上、どのような内容のものが最終的に出てくるか、当然わたしは注目した。
 93年10月、名古屋で開かれた第27回部落解放全国研究集会第5分科会で、

(大賀さんの)極めて率直な意見、提言に感動すら覚えます。今の大賀さんの考えだったら、数年前の『同和はこわい考』の出版に対して、中央本部がとった圧殺の態度はとられなかったでしょう。大賀さんは、『こわい考』に対して再評価はないのでしょうか。いずれにしても、いまだかつてない率直な開いた解放同盟の姿勢にエールを送りつつ、提言する段階においても、同様の認識で取り組まれることを切に要望します。

との参加者から出された意見を大賀さん自身が読みあげて紹介したという。この分科会には上杉さんもパネラーとして出席していたから、これは明らかに同盟中央の姿勢が変わりつつあることのきざしであり、「提言」が思い切った内容になるのではないかと、それなりに期待した。
 一年近くたって中央理論委員会の「提言」として出されたのが部落解放同盟中央本部編『新たな解放理論の創造に向けて』(解放出版社、93/11)である。そこではこういっている。

これまでの運動と組織は、「特別措置法」時代の終結により大きく構造的転換を余儀なくされることは明らかである。また、権力による新たな攻撃に対する備えも必要である。しかるに法延長慣れというべきか、法期限後に対する危機意識が欠如している。また、「特別措置法」という有利な条件は一部に「甘え」や「行政依存」のぬるま湯的状況と自主解放の精神を麻痺させ、一種の「バブル運動」ともなりかねない危機的状況を生みだしている。(中略)部落の実態や部落大衆の生活の大きな変化、部落をとりまく周辺地域や国民意識の変化は、従来の要求や運動に.転換を求めている。行政闘争主導の第二期とも言うべき時代の、とくに「特別措置法」以後の運動の総括、わが組織の長所と短所、あるいはその強さと弱さをえぐりだし、「部落解放運動とは何か」「完全解放を担いうる主体はできているのか」と自問し、大胆な点検と改革への取り組みが必要となっている。(17頁)

「危機意識の欠如」、「行政依存のぬるま湯的状況と自主解放の精神の麻痺」が見られるという。この程度のことなら70年代中・後期の運動方針にも書かれていたが、それが旧来の発想、理論、思想の点検へとつながるとすれば運動に転換をもたらす可能性があると、わたしは考えた。そんなこともあって、『こぺる』誌上で大賀さんと対談したのだった(「部落解放運動新時代の可能性」No.17,18.94/8~94/9)。96年夏の部落問題全国交流会に大賀さんを招いたのも、運動内部における発想の転換について議論がしたかったからである。
 だが、危惧していたように「(運動と組織の)大胆な点検と改革への取り組み」は提唱したことすら忘れられ、部落解放運動第三期論は反故にされた。格差をもって差別だとし、人権予算の名のもとに特別措置の継続を要求する主張が罷りとおっている。新綱領をめぐる議論の低調さに現れているように、「部落差別とはなにか。その実態はどうなっているか。部落解放とはなにか。どうすれば部落解放を達成できるのか」といった根本問題を考える気力はうせてしまっている。運動は今後ますます迷走するだろう。そうなれば、部落解放運動はなんのために存在するのかという根源的な問いが公然と投げかけられるにちがいない。いや、そんな問いが出されるならまだしも、黙って人は去るかもしれないのである。そのとき、「人間を尊敬する事によって自ら解放せんとする者の集団運動を起せるは寧ろ必然である」(水平社宣言)と確信を持って答え、呼びかけられる人がどれだけいるだろうか。
 運動の中で苦悩している人は少なくない。先日、ある支部の幹部たちと話し合う機会があったが、若い一線の活動家なのに元気がない。よく聞いてみると、日々の活動が「部落解放」につながっているという実感がないというのである。そこで、『こわい考』以来、わたしなりに思索したあげくたどりついた次のような「部落解放への見通し」を語った。

おたがいに差異を認めつつ、一人の「丸ごと生命いのちいっぱいの人間」として向き合い、民族や性別、生い立ちや障害など個人の自由な意志で選択したわけでなく、個人の努力で変更できない事柄を口実にして他者を忌避・排除する差別に立ち向かう共同の営みを続けるとき、気がつけば両側を隔てていた溝が埋まり、壁が消え、差別・被差別の二項対立ではない、新たな関係が生まれているにちがいない。部落差別とは、結局のところ人と人との関係に帰着する以上、個人と個人の関係を人間らしいものに変えることから始めるしかないのではないか。

わたしの話がどこまで青年たちの心に届いたかはわからないけれど、「この先は行き止まりだ。しかし、発想を転換して、もっと広く深く人間の問題として差別を考え、人と人との関係を人間らしいものに変えるべく、関係を変えたいと願う者が一歩踏み出して努力する先に道は開ける」ということだけは伝わったように思う。
 このようなわたしの意見を「部落解放をめざす運動と組織の解体論になるのではないか」という人がいる。「初めに運動・組織ありき」ではなくて、「わたし」から出発し、個人と個人との関係を重視するという意味ではそういえるかもしれないが、だからといって既成の運動と組織を解体せよと主張しているわけではない。同盟中央の動向とかかわりなくこれまでの取り組みを振り返り、運動と組織の発想転換をすすめようとしている人びとが現にいる。特別措置・特別枠になじんできたことによる影響は根強く、そう簡単に発想の転換がすすめられるとは思われない。しかし困難を承知で「旧い自己からの脱皮」に挑む人びとがいるのである。組織・集団に縛られず、さりとて組織・集団を否定せず、それらの人びととゆるやかな呼応の関係をたもちつつ、わたしは「わたしの部落解放運動」をつづける。(未完)

《 川向こうから 》
☆前号の発送作業が深夜までずれ込んだのがいけなかったのか、風邪を引き四日間寝込んでしまいました。喉は腫れるは、腰は痛むはで散々でした。体力が落ちているのかもしれませんな。おかげで風邪が治るまで酒はおあずけ。そのかわり治ったあとの熱燗と湯豆腐のうまいことといったらなかった。アハハハ。

☆某日、全校40数人の中学生に話をしてくれとの依頼があって、昨年8月に寄せてもらった岐阜県恵那郡川上村を再訪しました。高校生に話をしたことは何回かあるけれど中学生は初めてにひとしいので、ちゃんと聞いてくれるか心配でしたが、1時間40分、「人間に対する“まなざし”を考える」という話に、生徒たちはじっと耳をかたむけてくれました。帰りぎわに「ありがとうございました」と礼をいい、手を振って別れの挨拶をしてくれる生徒もいて、いたく感動。きちんと、まっすぐに話をすれば中学生にも伝わるんですね。中学生といい出会いができたうえ、恵那山と笠置山も眺められて、もういうことなし。

☆某日、真宗大谷派大垣教務所が開いている「仏教公開講座」に出講。共通テーマ「一大事-私にとって本当に大切なこと-」に関連してなにを話したらよいか悩んだすえ、「よく生き合うことの意味」について話をさせてもらいました。平日の夜なのにたくさんの方が出席なさっている。遠くから車に相乗りして来ている人もおられるという。なんといっても話を聞いてくださる態度が真剣で、こちらが圧倒される感じでした。終わったあと友人たちが開いてくれた小宴がまた楽しく、忘れ難い一夜になりました。

☆ハンナ・アーレント『イェルサレムのアイヒマン』(みすず書房、69/9初版、97/11第3刷)をやっと手に入れて読み終えました。この間、「体験・資格・立場・帰属意識」について考えてきたので、「<ユダヤ人>アーレントにおけるユダヤ人問題」は実に読書意欲がそそられるテーマです。ただ、アーレントの他の著作やアーレントに関するものを読んでいないので直観でいうしかないんですが、加藤典洋さんが『敗戦後論』(講談社、97/8)で紹介し、原口孝博さんや恩智理さんがふれたアーレントのショーレムあて書簡(『現代思想』97年7月号、青土社に訳文あり)の中の「ユダヤ人の共同性」なるものを拒否している言葉は額面どおり受けとることはできないのではないでしょうか。あれはよほど屈折した表現のように思います。ところで最近読んだものではサンダー・L・ギルマン『ユダヤ人の身体』(青土社、97/3)が「差別と身体」を論じていておもしろかった。

☆本『通信』の連絡先は、〒501-1161 岐阜市西改田字川向 藤田敬一(研究室直通TEL&FAX 058-293-2222、E-mail:k-fujita@cc.gifu-u.ac.jp)です。(複製歓迎)