同和はこわい考通信 No.113 1997.4.1. 発行者・藤田敬一

《 再録 》

◇世の中探見-部落差別の現在⑦(「毎日新聞」大阪本社版、97/3/21夕刊)

部落解放とはいったい何か。解放運動とは、被差別部落の人々だけの運動ではないことは明らかだ。部落周辺の人々との連帯をどのようにつくりあげていけばいいのか。部落解放に向けて部落の「内」と「外」との間をつなぐものはなにか。個人誌「同和はこわい考」通信を発行し、毎年夏に部落問題全国交流会の開催を呼びかけてきた岐阜大学教授(生涯学習論)、藤田敬一さんに語ってもらった。

人間のつながりを核に-「内」と「外」を貫く運動を
藤田 敬一
 全国水平社が創立されて75年、この間、人びとは差別にくじけず、差別の不当・不合理をただし、抜本的解決をめざしてたゆみない歩みを続けてきた。1965年の同和対策審議会答申も、69年の同和対策事業特別措置法も、天から降ってきたものでもなければ、地からわいたものでもない。それらは、部落差別からの解放を願う人びとおよぴその運動に心を寄せる人びとの長年にわたる取り組みの成果であった。そして特別措置法の制定から28年、同和対策事業の進展と教育・啓発活動によって、世間の人びとの部落問題に対する関心は高まり、理解と認識は深まった。差別の口実にされた被差別部落の暮らしのありようも大いに改善された。この国の人権意識の広がりに果たした部落解放運動の役割を否定できる人はおそらくいないだろう。
 被差別部落の暮らしのありようが偏見を生み、偏見が劣悪な生活実態を生む。この悪循環を絶つには生活環境を良くし、安定した仕事につけるようにして暮らし向きを改善し、教育を受ける権利を保障することが大事である。暮らしのありようさ え改善されれば、あとは教育と啓発によって正しい考え方を広めればよい。これが50年代以来、主張されてきた部落解放への大まかな見通しである。だから69年から始まった同和対策とその成果によって部落解放への道筋が必ず見えてくるものと期待されたのは当然であった。
 ところが、環境改善などの成果が挙がっているにもかかわらず、被差別部落とそこに住む人びと、もしくはかつてそこに住んでいた人びととその子孫へのまなざし(特異視・特別視)に根本的な変化が起こったとは言えそうにない。4年前の総務庁の調査によれば、過半数の人が「同和関係者との結婚」に消極的否定的な態度を示しているという。悪質な差別事象も後を絶たない。これはいったいどうしたことであろうか。これまでの施策が不十分であったからだとの結論を引き出すことはやさしいが、ほんとにそうなのかどうか。
 物的な施策とその成果はあくまでも問題解決のための条件であって、それがそのまま問題解決に直結するわけではなかったのだ。なぜなら部落差別とは、部落差別意識を仲立ちして成り立つ人と人との関係である以上、この関係を変えうるのはあくまでも人間だからである。法的制度的には部落差別は存在しない。社会的に存在するだから、暮らしの中での人と人との関係を問い、それを人間らしいものに変える双方の努力が必要とされるのである。
 部落問題をめぐる現在の事態は、部落解放運動に解放への道筋に関するこれまでの発想・理論の枠組みから脱して、「人と人との関係を変える」という視点に立って「部落差別とはなにか。部落解放とはなにか。どうすれば部落解放が達成できるのか」をあらためて議論するよう求めている。しかし、「差別する側と差別される側」、「差別者と被差別者」といった二項対立的な考え方が双方に根強く、対話が途切れがちで、開かれた議論を進めにくい状況が見られる。
 部落解放運動は本来、人と人との関係のねじれ・ゆがみをただすべく取り組まれたはずである。「人の世がどんなに冷たいか、人間をいたわることがなんであるかをよく知っている吾々は、心から人生の熱と光を願求礼讃するものである。水平社は、かくして生まれた。人の世に熱あれ、人間に光あれ」との水平社宣言の一節には、先人たちの思いが凝縮されている。人と人との出会いとつながり、共感と連帯こそが部落解放運動の核心に置かれねばならないのである。そのような人と人との関係を基礎とし、被差別部落の内と外を貫く、両側から超えた共同の営みとしての部落解放運動。これが私の思い描く運動のイメージである。「評論家の夢想」として一蹴いっしゅうされようと、そこに希望をつなぎたい。

◇議論こそ差別問題解決の道-部落問題、新たな段階へ-基本は人と人との関係
  (「朝日新聞」名古屋本社版、97/3/22朝刊)
藤田 敬一
「あなたは、日本社会に『同和地区』、『未解放部落』、『被差別部落』などとよばれ、差別を受けている地区があること、あるいは『同和問題』、『部落問題』、『部落差別』とかいわれる問題のあることを知っていますか。」
 これは総務庁が4年前に実施した調査の質問項目の一つである。北海道から九州まで、いわゆる同和地区外住民7千人の回答によれば74.8%の人が「知っている」と答えている。つまり市民4人のうち3人が、部落問題についてなにがしかの知識を持っていると見て間違いない。
 もちろん日本列島上にくりひろげられてきた人間の営みとしての歴史に根ざす部落差別に関して、人々の意識に地域的な濃淡・強弱があって当然である。北海道・東北の41.4%、中部の67.4%、近畿の95.3%という数字はその表われだろう。しかし学生時代に被差別部落(以下、部落と略称)で初めて問題の深刻さと重要さを教えられた40年近く前の状況からから考えると、認知度の高さもさることながら「基本的人権にかかわる問題だから、自分も市民の一人としてこの問題の解決に努力すべきだと思う」と答えた人が43.8%もあるという事実に深い感慨を抱かぎるをえない。あのころ、部落をうわさの対象にする人はいても、部落問題を解決しなければならない課題として受けとめる人は圧倒的に少数だった。

生活改善には成果
 部落問題の抜本的解決を求める人々の要請をふまえて出された「同和問題の早急な解決こそ国の責務であり、同時に国民的課題である」との同和対策審議会答申から32年、同和対策事業特別措置法が制定されて28年がたった。今では部落問題解決のための事業と教育・啓発が懸命にすすめられている。1950年代末の、関西を中心とした部落の人々の暮らしと願いを描いた亀井文夫監督の記録映画「人間みな兄弟」を見ても、住環境や仕事、教育・文化の面における取り組みの成果は明らかだ。
 そこでこの3月、特別措置法(いわゆる地対財特法)が期限切れを迎えることを契機に、5年の暫定期間を設けて、特別対策から「一般施策に工夫をこらした対策」へと移行することになった。それとともに、「人権尊重の理念に関する国民相互の理解を深めるための教育及び啓発に関する施策」と「人権が侵害された場合における被害者の救済に関する施策」を推進するための人権擁護施策推進法が昨年暮れに成立した。施策の内容は今後の審議で決められるが、部落問題解決の取り組みは、30年近い「特別対策の時代」に終わりを告げ、新たな段階に入ろうとしている。

まなざし変わらず
 だが、私たちは部落問題解決のための確かな歩みをたどりつつあると自信を持って言えるだろうか。部落の暮らしのありようは大いに改善された。しかし前掲調査によっても、部落とそこに住む人々、もしくはかつて住んでいた人々とその子孫を特別視・特異視するまなざしに根本的な変化が起こったとは、到底思えない。落書きだけでなく、嫌がらせの電話をかけたり、結婚にさいしての身元調べがひそかに行われたりする。このような差別意識にとらわれ具体的行動に出る人は少いに違いないが、部落問題は「避けたほうがよい」と警戒している人々、「自分とは関係ない」「そっとしておけばなくなる」と考える人々は多い。
 もし「特別対策の終わり」が、自治体だけでなく市民の取り組みの後退につながるとすれば、これまでの成果は水泡に帰すかもしれない。そんな危ういところにいま立っているように、私には思われてならないのである。
 部落差別は法的制度的には存在せず、暮らしの中の人と人との関係に根ざしている。そうである以上、「自由な意志で選んだわけでなく、個人の努力では変えられない」事柄の一つである生い立ちを口実にした部落問題の解決には、「人間に対するまなざし」を問い、人間らしい人と人との関係をめざす「より広く、より深い」取り組みが求められるのである。
 大事なのは、部落問題の解決を願う部落内外の人々の、差別・被差別の立場を超えたネットワークを作ることであり、解決への道筋をめぐって率直で開かれた議論をすることである。それなくしては人権擁護施策推進法が施行されようと問題解決はむずかしいだろう。法と言い、施策と言っても、結局は人と人との関係が基本なのだから。

水平社の思想再び
 全国水平社は、1922年3月の創立大会で「人の世に熱あれ、人間に光あれ」と訴えたが、それは個人が「よく生きる」「よりよく生きる」だけでなく、人と人とが「よく生き合う」ことを願求礼讃したものにほかならない。それから75年、転換期だからこそ、水平社宣言の思想をよみがえらせる必要がある。部落問題解決の取り組みは、地域や戦場、家庭や学校などの人権構想力を高め、豊かにし、それによって支えられるものでなければなるまい。希望の芽はここにある。

コメント.
 同じ時期に前後して書いたので重複する部分が多いのは仕方がない。どちらも希望を語って終わっていますが、けっして感傷的になっているのではありません。やはり希望は持ちたいのです。楽観はしていませんが。
 友人からいろいろ感想が寄せられています。なかには「もっときついことを書くのかと思ったけれど、遠慮気味で藤田さんらしくない」というのもありました。わたしは、よほど狷介けんかいな人間と思われているようです。
 なお毎日の方は各回シリーズで、他の執筆者は土方 鐵、石元清英、大賀正行、杉之原寿一、畑中敏之、灘本昌久、沖浦和光のみなさんです。これらの人の文章をお読みになりたい方はご連絡ください。

《 採録 》
塩見鮮一郎・小松克己著『どう超えるのか?部落差別』緑風出版(96/11)

 部落差別については、これまで解放運動に力をつくしてきた藤田敬一さんが『同和はこわい考』(阿吽社)のなかで、「前近代からうけつがれてきた、身分制と不可分の賎視観念にもとづいて特定地域にかつて居住したことのある人びととその子孫、もしくは現に居住している人びとを種々の社会生活の領域において忌避もしくは排除すること」と定義づけています。
 この定義づけは、部落に人々が出生地に継続して居住し続けた場合ばかりでなく、その出生地を離れてどの地域に居住しようとも、子孫ともどもその系譜もしくはその出生地を口実に。生活していくうえで「忌避もしくは排除」という差別を受けなければならないという実態からすると、おおむね妥当な定義づけと考えられます。
 ただし、藤田さんは「前近代から……」と規定しており、「近世から……」「江戸時代から……」と規定することを避けています。これは、「被差別部落の起源」については「近世政治起轟説」を留意ないし支持しない立場に立って、あえて「前近代から……」という曖昧な表現をしたと考えられます。しかし、このような規定では「近世」「中世」ばかりでなく「古代」からとも受けとれるもので、定義づけとしては必ずしも十分とは言えません。/こうしたことや、これまで述べてきたことをもとに、部落差別については、藤田さんの定義づけを発展させ深める形で、次のようにもっと綿密に定義づけておきたいと思います。

「『浄穢』観を主とし、『貴賤』観、血統・家筋(種姓)観念を肥大化させた中世社会において形成され、近世社会で制度化された身分差別が、近代社会に入り廃止されたものの、近代社会のなかでもこれらの観念自体が強く残されたことで、特定の地域にかつて居住したことのある人々とその子孫、もしくは現に居住して人々を種々の社会生活、社会関係において忌避・疎外もしくは排除すること」

 また、部落差別は差別される側の問題ではなく「差別する側」すなわち部落外の人々の問題であること、また、現在、被差別部落に居住し、差別を受けている人々すべてが、江戸期の被差別身分の子孫ではなく、明治以降の流入により、系譜的には連続性を必ずしも有さない人々がいること、これらのことは重ねて強調しておきたいと思います。(168頁~170頁。小松克己筆)

コメント.
小松さんは「1951年、秋田県生れ。埼玉県・公立高教員、歴史教育者として、被差別部落、ウタリ(アイヌ)、沖縄、朝鮮、地域史に問題意識を持ちつつ、今日にいたる」(奥付)。著書に『部落問題読本』(明石書店、94年)など。

《 各地からの便り 》
その1.
 私方では同和教育推進教師・OB等仲間が三十名許り月一回集まり、研修会を持っております。通信は私方で増刷して全員に配布して教材としています。先日のNo.111号を配布して話し合った後、今月の会合で県内西宇和郡佐多岬の銘菓の名前が話題になりました。
 “地区出身でない私にも、「言うべきことを言うペきときに言わなかった悔いがあれこれあります」”と言う先生の言葉は深く心を打ちます。部落差別と向き合って生きて行く、生き方を教えて戴いた思いです。  (愛媛 M・Hさん)

コメント.
 お便りに同封されていたチラシのコピーには、「豪壮三崎まつり 闘う牛鬼ウショニンと四ツ太鼓」とありました。からかわず、さりとて深刻ぶらず「言葉と差別」「人間と差別」について討論ができればいいですね。

その2.
 「読んで、考えて、書いて、しゃべる」と、藤田さんがおっしゃったことをこの頃全然やってないなぁと反省して、ちょっと考えてみることにしました。
 藤田さんに私の勤務している小学校に来ていただいき、お話をしていただいた直接のきっかけは、①仕事場で、わりと多くの時間を同和教育に費やしている割には教えている方も教えられている方も、同和教育の研究や話をするとき、ホンネで話ができず、いまいち元気が出ないこと。②同和校に勤務している友だちはもっと元気がないこと。③そんなある時、『同和はこわい考』にめぐりあって、なるほど、今、仕事場の人たちが欲しい発想はこれなのではないか、と思ったこと。④『こわい考』を読んだとき、ずっと前に「カリン亭」のカウンターの奥に居はった人が著者だということを知り、こりゃぜひともお話をお伺いしたいと思ったこと。(④が主な要因かも知れません!)
 つまり、同和教育・部落について考えたことはあっても、直接部落の方々といっしょに仕事をしたり、つきあったりした経験はまだないのです。
 私は伊丹の下町で生まれ育ちましたが、親たちが汚いものをたとえるときに「朝鮮人のように」とか「部落のように」とかいったのを聞いた記憶があります。5~7歳で覚えているのですから、親たちは日常的に話していたのでしょう。幼い私も使っていたかも知れませんが、その言葉を聞いたとき、「何だか怖い。あんまり近寄っちゃいけないんだ」という、背中から何かが引いていくような感覚を持ったような覚えがありますので、畏れて使わなかったような気がします。1月の合評会で藤田さんに「恐れ・穢れ」の意味を教えていただいた後で、「会ったこともつきあったこともないのに、怖い・近づきたくない」と感じたそのころのことを思い出しました。無知と「恐れ・穢れ」は関係があるのでしょうか?
 成長して、宝塚の中学校に通っていたとき、校長先生が「どうわきょういくを勉強します。」と校内放送したことがありました。「童話をなぜ今ごろ?」と思った部類でしたが、「同和の時間」は好きで、いろいろ真面目に考えたりしていました。私は集団の中で強い疎外感を持っていましたので、ひとごととは思えなかったのです。そしてその反面、「あそこがあの地区よ…」という親の言葉を聞いたとき、反発もせず、「そうか、あの地区か」とオブラートにつつんだように部落を認識していました。
 私の中で部落に対する意識の二重構造は今もっていっしょかも知れません。自分の足で近づくことはほぼありません。なぜ遠巻きなのでしょうね。この問題の前にたたずんだとき、エゴイストな自分がはっきり見えてしまってツライからかな?
 12月~2月の「こペる」を読ませていただいて、すごく興味を持ってしまい、網野善彦さんの「無縁・公界・楽」を今読んでいます。すごく面白いです。中世の人々はなんてパワフルだったのかと感心するばかりです。(公界所の中で悲惨な死に方をした人も多かったと思いますが。)逆に中世の人々が現代を見たら、「みんななぜ透明な檻に入っているのだ」と嘆きあきれることでしょう。
 私は自分の生活に関係なければ、きわめてめんどくさがりなもので、これから意識して「透明な檻の柵をはずしていく作業」をしていかなければならないな、と思いました。へたくそな文をくだくだ書いてどうもすみません。これからもどうかよろしくお願いします。
               (大阪  H・Yさん)

コメント.
 H・Yさんは、被差別部落を遠巻きにして見ているだけで、自分の足ではなかなか近づけないもどかしさを感じておられるようです。しかし、これまで出会いの機会がなかっただけかもしれませんよ。人との出会いは、双方の思いと願いがうまくつながらないと実現しにくいものです。集会や会議は、出会っているようでほんとは出会っていないのではないでしょうか。出会ったふりをしてるだけの間柄。それは個人と個人との出会いがむずかしい現代という時代の特徴かもしれません。
 岐阜に来て26年半、よそ者・み人間が地元のみなさんから一応受け入れてもらえるまでには最低20年はかかるなというのが実感です。肩の力を抜いたところで出会い、つながりたい。無理と義理では、かえって精神的負担が大きく、長続きしない。何ごとも、よそ行きはあかんということでしょう。

その3.
 私は、あなたのように、同和事業をモノとカネとしか受けとめることはできません。モノとカネでしかないというあなたという人間が判らない。それなら、あなたが、松江でくみかわしたお酒にしたってカネでしかないではありませんか。一段高い所に身を置いて、庶民があくせくと精一杯の暮らしをくり返している様子を冷ややかに眺められる身分がうらやましく思います。差別をしたり、差別されて暮らしている凡人が馬鹿らしく見えるのですネ。(中略)あなたの頭の中には、差別がなくなっても「部落の人は部落や」と思っておられるようですネ。部落差別は差別している方が一方的に悪いのです。間違っているのです。(兵庫 T・Kさん)

コメント.
 困ったことを言う人です。同和事業と経済の高度成長によって被差別部落の暮らしのありようが変わり、暮らし向きにゆとりが生まれたことは、誰も否定しない。わたしが指摘したいのは、それが部落問題の解決にはつながらなかったという単純明白な事実です。それにしても、正義感と使命感、自負心があまりに過剰だと、悲劇を通り越して喜劇となる見本のようなお便りです。

《 川向こうから 》
☆岐阜大学教育学部は只今改革の真っ最中。毎日・朝日の筆者紹介記事でわたしの専攻を生涯学習(教育)論と書いてもらったのは、移籍した生涯教育講座(新設)のための宣伝活動でした。こう見えても学校でけっこう働いてるんですから。アハハハ。ただ、ここでも「制度と人間」という厄介な問題がありましてね。なにしろ教員の意識改革が一番大変です。わたしも偉そうなことは言えません。つい数年前までは改革に関心などなく、自分には関係ないと思っていたのですから。
☆こんど阿吽社から白石正明・中島智枝子・灘本昌久編『生涯学習・人権教育基本資料集』(2300円+税)が出ました。生涯学習、部落問題、民族・障害者・性、国際人権などの基本文献を集めたもので、「人権擁護施策推進法」まで66点が収録されています。「北海道旧土人保護法」1899年(明治32)もちゃんと入っている。大いに活用させてもらうつもり。みなさんも机上に一冊お備えください。
☆写真家曺智鉉さんの作品が、「統一日報」という新聞に「猪飼野いかいのフラッシュバック-追憶の60年代」として連載中です。前著『写真集 部落』(筑摩書房)とはちょっと趣がちがい、金聲晩さんの解説もなかなか味がある。出版されるのが待ち遠しい。最近、写真機を買い込んだので、よけいに興味・関心があるんです。
☆本『通信』の連絡先は、〒501-11岐阜市西改田字川向 藤田敬一 です。(複製歓迎)