同和はこわい考通信 No.111 1997.1.18. 発行者・藤田敬一

《 随感・随想 》
一枚のポスターから「人間と差別」について考える
藤田 敬一
 いま手もとに、四日市市商工部経済観光課の名を付したA4一枚の文書があります。話は、まずそれを読んでもらってからのことにします。

「第33回大四日市まつりポスター」回収の経緯と今後の対応について
                    経済観光課〔1996.8.29 〕


 当ポスターは、大四日市まつり実行委員会(会長 四日市市長、実行委員長 加藤四日市市助役)が、大四日市まつりのPR用に作成したもので、四日市の頭文字である「よ」を用い、威勢のよい掛け声として「よっ!」をデザイン化したものである。
 当ポスターは、3000枚印刷し、7月2日頃より市内公共施設、教育機関、中心商店街、JA三重、郵便局、銀行、近鉄、JR東海、三岐鉄道、三重交通等へ順次掲示依頼を行い、18日朝に各自治会宛発送したもので、その時点で約2000枚が発送済となっていた。(ただし、自治会宛のものは、ほとんどが地区市民センター到着段階で配布されていない状態であった。)
 7月18日に、市民のひとりから市同和対策課、及び同和教育室へ電話にて「大四日市まつりのポスターをよく見て欲しい。内容について問題はないのか」との趣旨のご指摘があったことから、商工部と、総務部、保健福祉部、教育委員会の同和問題担当部課長が緊急に協議を行った。
 もとより、当ポスターの「よっ!」の文字自体は差別用語ではなく、また、作成者に差別の意図は全く無いものであるが、作成者の意図とは別に、ポスターの真ん中にこの大きな文字を入れたことにより、この言葉が掛け声に理解されず、結果的に同和地区の人をさす差別的な表現「よつ」という言葉として誤解を招く恐れのあるものと判断した。
 この言葉が、未だに部落差別の表現として通用するという事実が何よりも問題であるが、今も社会に根深い部落差別が存在する以上、かかる誤解を招く恐れのあるポスターを掲示することは不適切であるとの結論をもって、市の主体的判断により回収の決定を行い、可能な限り速やかな回収措置をとったものである。
 今後は、当ポスターを、部落差別の解消に向けた具体的な問題提起を行う教材として行政関係者のみならず自治会、同推団体等へも積極的に活用できるよう貸出等を行っていきたいと考えている。

第33回大四日市まつりポスター

 さて、これを読んで含み笑いをする人、なんと馬鹿なことをと憤慨する人、やれやれ相変わらずの騒ぎかとあきれる人、さまざまあって当然でしょうが、わたしはこれは「痛み気づかい論」そのものだと思う。
 一市民の「内容について問題はないのか」という指摘を受けて四日市市の幹部がどのような議論をしたのかわかりかねますが、この文書によれば、対応の基本に、「よっ!」から「よつ」を連想して心に痛みを感じる人がいるかもしれないという推論がおかれたことは明らかです。
 「よっ!」を見て痛みを感じるなどということは経験則からいって絶対にあり得ないと断定できるのか。人の心の領域にかかわる問題を、他人(それも被差別の立場にない者)が勝手に憶測したり、断定したりできるのか。もしこのように問われたらどう答えるか。四日市市の幹部は悩みに悩んだことでしょう。そこで到達した結論は、

1) 「よっ!」から「よつ」を連想するのは、作成者の意図を「誤解」したものである。
2) しかし、そのような「誤解」を招くおそれがあることは否定しがたい。
3) よって、そのような「誤解」を招くおそれのある「よっ!」という言葉を使ったポスターを掲示することは不適切である。

というもので、かくして四日市市は、このポスターを回収し、新しいものを配布し直すという経過をたどったわけです。
 差別問題にかかわる言葉や表現をめぐって、当該の語句・文章の削除、書籍・雑誌などの回収・絶版、映画・CMの放映中止、音楽の放送中止といったことがこれまで何回となく繰り返されています。そのすべてを「あやまった措置」というつもりはありませんが、このポスターの場合のように「誤解を招く恐れがある」という理由で回収されることに、わたしは納得できかねるのです。
 以前、所ジョージさんが袋詰めにされて身動きができない状態で電話するコードレス電話機のCMに、「身障者に配慮が足りないのでは」との指摘があり、「一人でも誤解を招く表現なら、やめるのは当然」として打ち切りになったことがあります。そのとき『広告批評』の天野祐吉さんは「一般論で言えば、だれ一人として不快感を持たない表現なんてこの世の中に存在するのでしょうか」とコメントしていたけれど、わたしはCM中止のいいわけに見え隠れする“やさしさ”に「ウサン臭くて、やわな人間観」が感じられて不愉快になったものです。
 いったい人間には誤解・誤読する自由もあれば権利もある。誤解・誤読はなにも言語表現にかぎらない。個人と個人との間にも、集団と集団との間にも誤解・誤読(たとえば表情の読みとりまちがい)は起こりうる。要は、誤解・誤読があればそれをめぐって議論し、誤解・誤読を訂正してもらうように努めればよいのであって、誤解・誤読されるおそれがあるものは一切ダメというのであれば、表現行為はもとより人間の存在そのものが危うくなります。これは冗談でいっているのではありません。しかし、差別・人権問題にかかわって誤解・誤読を訂正してもらうには、あれこれ努力しなければならないし、心理的な負担もある。第一、面倒です。だからどうしても勢い対策的になってエイヤッと回収などですましてしまう。四日市市の幹部にこの「エイヤッ」がなかったかどうか気にかかります。というのも、「誤解の恐れ」云々には、例の「わかる」「わからない」をめぐるテーゼがひそんでいるのに、そのあたりのことが根底的に議論されたようには思えないからです。
 もっとも、「わかる」「わからない」は、『荘子』秋水篇のなかの有名な話(魚がのんびりと泳ぎまわっているのを見た荘周が「これが魚の楽しみだね」と言ったところ、恵施が「魚でもない君にどうして魚の楽しみがわかるのかい」とからかう。荘周が「君は僕ではないのにどうして僕の気持がわかるのか」と切り返す。そこで恵施は「僕はもちろん君ではないから君の気持はわからない。けれど僕に君の気持がわからないとしたら、君も魚でないのだから魚の気持はわからないはずだ」と答える。すると荘周は「『魚でない君にどうして魚の楽しみがわかるのか』とたずねること自体、すでに僕に魚の楽しみがわかっているということを知っての質問だ。僕は魚の楽しみを濠水の橋の上でわかったのさ」と答える。福永光司『荘子』朝日文明選参照)を持ち出すまでもなく、古来議論されてきたテーマであって、そうかんたんに片づく問題でないことは、わたしも知らないわけではありません。しかし、四日市市の幹部が「人間と差別」について考えるせっかくの機会を生かせなかった、もしくは生かさなかったのは残念としか言いようがない。
 たかがポスター一枚のことぐらいで大げさなと言わないでほしい。「〈よっ!〉を見て痛みを感じるなどということは経験則からいって絶対にあり得ないと断定できるのか。人の心の領域にかかわる問題を、他人(それも被差別の立場にない者)が勝手に憶測したり、断定したりできるのか」との意見の前に、いまなお多くの人が立ち往生しているのです。しかもこの「痛み論」がまたぞろ幅をきかすような雰囲気が出てきている。「痛み論」に「痛み気づかい論」が呼応すればどんな情況が生まれるかは、これまでの経験が教えてくれています。対話のとぎれ、関係のねじれ・ゆがみはいっそう進行・深刻化するでしょう。これでは差別・被差別の両側から超えた共同の営みとしての部落解放運動の可能性などほとんど絶望的なように、わたしには思える。
 もしかりに、「よっ!」を見て心を痛めるという人がいるなら、その人に、わたしは「そんなことで、どうして部落差別と向き合って生きてゆけるのですか」と言いたい。部落差別の呪縛から自らを解き放つだけでなく、人と人との関係にまといつく呪縛から双方が解き放たれるよう努めたいと願う者であれば、「よっ!」は単なるかけ声にすぎず、それに心を痛めるというのは過剰で過敏な反応だと指摘すべきです。それをあえて言わないとしたら、それこそ「いたわり」以外のなにものでもありません。勦り、勦られる間柄は、まっとうな人と人との関係ではない。勦り、勦られていると、双方とも人間がダメになる。そんな実例をたくさん見てきました。 わたしには、言うべきことを、言うべきときに言わなかった悔いがあれこれあります。利敵行為になるのではないか。差別を拡大・助長するのではないか。主観的には善意であっても客観的には差別になるのではないか。そんな思いにとらわれて、沈黙したのです。そのツケがいままわってきている。双方の関係を人間的なものにしたいという願いから出発するかぎり、必ず了解しあえる道はあるはずです。大切なのは、逃げないで真っ正面から向き合うことではないでしょうか。

《 採録 》
研究誌から-奈良『部落解放運動 情報』5号(96.12.20)
 先日京都で行われたシンポジュウム『新たな部落史像を求めて』の会場は、ほぼ満席だったと聞いた。参加者の多くは、学校の先生方がしめていたとも。
 部落史をめぐる教育現場の混乱と格闘がつづいている。この現状は、部落史をどの様につかみ、どう教えるのかにとどまらない。「解放教育」運動がかべにぶつかり揺れているからだ。「全解連」などは、「同和教育」の終結を各自治体に要求し、あちらこちらとかけまわっている。しかし、残念なことは、部落史研究をめぐっての様々な格闘が、解放同盟活動家にあまりひびいていないことだ。
 90年-91年にかけて行われた『解放新聞』紙上での上杉聡氏と寺木伸明氏の部落の起源をめぐる論争の展開を見ると、心揺さぶるものはあまり感じられないのも事実だ。部落史研究をめぐる論争や対立があって、その流れをふくんでどの様につかむのか、理解するのかは、なかなかやっかいな問題でもある。だからといって、その責任を研究者におしやってしまうわけにはいかない。
 シンポジュウムに参加した私の友人なども、そのような感想を伝えてくれた。しかし、師岡さんの提起は興味深く、示唆にとんだ指摘である。
 ひとつは、何よりも「近世政治起源説を考えるにあたって、部落史研究の内側から見るのではなく、この説を成り立たせた考えが何であるのかを知ることだ。」と提起し、経過と背景を紹介し、根拠として「見落とすことができないのは、この近世政治起源説の出現が、部落史研究の内部からではなく、政治的イデオロギーによるものであったという点である。」と指摘していることである。
 ふたつは、「敗戦の日本が目指したのは『近代化』であった。」「封建制からの脱却を目指す『近代化』は体制の目指すところであり、体制の思想・世界観というべきものであった。」と指摘している点である。そして、「部落の近世政治起源説は、いま大きく揺らぎ、多くの論議を呼ぶようになったその理由は、中世以前の賎民についての実証的研究がすすんだこともあるが、それだけではない」「いまここで、指摘してきた近世政治起源説をつくりだし支えてきたイデオロギーである革命理論・運動理論の解体と、このイデオロギーをのみこんでいた体制の『近代化』の破綻によるものである。」と結論づけている。
 このような師岡さんの指摘は胸に迫るものがある。「揺れ」の只なかにある活動家にとっては、近世政治起源説という部落史の認識と価値観を、自分自身の意識や感情として慣れしたしんできただけに、抜き差しならない緊張感がある。「部落差別とは」「部落民とは」、そして解放運動と組織のあり様の転換が、問われているように思う。
 こぺる・12月号に、『進歩史観から落ちこぼれたもの-部落史研究の意味』をテーマに網野善彦・師岡佑行・藤田敬一さんの対談が掲載されている。
 この対談は、先のシンポジュウムの内容に重なりつつ、広がっていくようなテーマ設定と内容になっており、議論の展開も興味深い。
 対談は、『京都の部落史』編纂のきっかけから始まり、差別史研究の意味をめぐって「差別にかかわる歴史事象の研究は歴史研究全体の中でどういう意味があるのか」、そして西日本と東日本の地域的ちがいについて・近世政治起源説の背景・部落の前史と本史・部落史研究の視座・時代区分をめぐって、と藤田さんの軽妙な質問を追って論議が進められており、全体の歴史研究の中における差別史研究の位置、意味や近世政治起源説の根拠、その評価について、部落史研究の位置・意味についての議論がおもしろい。/三回連載だそうで、ぜひ一読を勧める。

《 各地からの便り 》
その1.
 お元気ですか。私は今、田中克彦『名前と人間』(岩波新書)を読んでおります。その中に、言語というものが、作者不詳にして、「何となく」作られたものであることから、「人間が作ったもののうち、じつは、この「何となく」がいちばん神秘となぞに包まれているので、言語学は、この「何となく」の体系を発見しようとして、はてのない努力を続けているのである。この意味で、言語学が人民、あるいは人間そのもののたましいを直接相手にしていることはまちがいがないのである。」(まえがき)を読んで、藤田さんを思い出し、このハガキを書いています。差別は「何となく」の体系なのでしょうか。それとも「意図的」な体系なのでしょうか。あるいは両者のまじりあったものなのでしょうか。「何となく」の体系を、「意図的」な体系と強引に想定し、その上で原因を追求する「社会科学」、というようなことを考えたりします。「人間そのもののたましいを直接相手にする」言語学の視点、それも、田中さん流の言語学の視点も、大切なのではないかと思います。  (京都 M・Sさん)

コメント.
 差別について、誰かの意図を重視する考え方が根強いのは周知の通りですが、ほんとにそんな理解でよいのかどうか、あらためて考える必要があるとわたしも思います。「何となく」と言うと、えらく漠然としているけれど、「人間そのもののたましい」のありようを見つめようとするなら、「意図」を強調する論理の網から脱却する努力が求められるのでしょうね。

その2.
 『「同和はこわい考」通信』110号を読みますと、『通信』を不定期刊にし、かつ郵送を止められる場合もあるということで、ぜひ続けて読ませて頂きたいと思い、慌てながら手紙を書いている次第です。ともすれば現状にがっかりし、孤独感に陥りがちなとき、様々な提言にとても勇気づけられてきた読者です。
 昨年は夏の全国交流会の方へは参加できなかったものの、何とか「『部落の近世政治起源説』をめぐって-新たな部落史像を求めて」には行けました。(中略)
 高校の教員として、HRや社会科の授業の中で、部落問題そのものよりは、福祉・障害・在日朝鮮人などに関わる人権問題をテーマとして取り上げてきました。個人的な読み方かもしれませんが、『通信』を読みながら、部落内外の問題にとどまらず、在日朝鮮人と日本人、障害者と健常者との関係、男と女の関係、教師と生徒の関係と、どんどん思いは広がっていきます。よくわかっていないことを、右から左へ、運動が前進するならば事実関係の不明な点はまあいいかというようなことを、自分は様々な領域でやっていないかと思っています。可能な限り誠実にならないとと思いながら、実際のところは怪しいのです。
 つい数年前までは部落史や在日朝鮮人形成史などを、勢い込んで授業に取り上げていました。目的が正しいのだからと受け売りの信念が多かったのではないかと思います。今では、それではかえって不誠実であるし、実際のところ自信がなくて取り上げにくいテーマの一つになりました。最近では、人権そのものについても、どう取り上げていくかも再検討が必要であると思っています。自信の無いことだらけです。ぜひ、今後とも『通信』に関わらせてください。  (愛知 Y・Hさん)

コメント.
 世の中には自信まんまんの人もいますが、多くはこれでいいのかとわが身を振り返っているのです。自信なんて一気・一挙にできるもんではないのとちがいますか。小さな小さな「たしかさ」の積み重ねの先に、ぼやぁっと見えてくるもんでしょう。こわいのは途中であきらめること。しつこうやるには、絶望と希望のさかいめ、失望の境地が必要だと自分に言い聞かせています。この『通信』にたいしても元気の出る文章をのせよという人がいるようですが、そうはいきません。カラ元気ほどもろいものはないからです。こんな『通信』でもお役に立つならほんとにうれしい。

《 川向こうから 》
●なぜか俄然やる気になってパソコンに向かっています。どうも若いうちは、読む・考える・書く・話すという行為は一体で、いずれかに偏ってはあかんようですな。話すことに比重がかかるのは仕方がないにしても、ほかの三つもそこそこやらんとどうも気分がすっきりしないというわけでしょう。
●『大西巨人文選』第4巻(みすず書房)に『朝日ジャ-ナル』(88/8/5)に掲載された「部落解放を『国民的課題』にする一つの有力有効不可欠な道-『同和はこわい考』論議の渦中から」が収録されています。読み直してみても“「『部落民でない者になにがわかるか、わかるはずがない』という」論外な「主張」の類に関する無用不毛のこだわり”というご意見(232頁)には、そうかなあという感想を抱いてしまいます。「論外な『主張』」の前に沈黙してしまう人が多い現実から出発したいのですが、やはりそれは無用不毛なこだわりなんでしょうか。
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