同和はこわい考通信 No.109 1996.9.28. 発行者・藤田敬一

《 報道 》
『部落』・非『部落』の両側から超える-部落問題全国交流会に参加して
  (『読売新聞』西部本社版、9/2夕刊)

  ◇今なお残る「恐れ」「差別」
  ◇硬直化した解放教育の中身
 部落問題全国交流会が8月24、25の両日、京都市で開かれた。部落差別を「部落」・非「部落」の両側から超えることを目標に、「何ものをも代表せず、個人の資格で参加し、発言する」という原則で年一回催されている集まりである。「部落」をめぐって、そこでどんな率直な言葉が交わされているのか。それを知りたくて参加した。(小林清人記者)

九州などから114人参加
 13回目の今回は京都、大阪を中心に西日本一円、関東などから114人が参加、福岡市の福岡水平塾のメンバーら九州からの参加者もいた。初日は、大賀正行・部落解放研究所研究部長の講演の後、分散会。二日目は分散会と全体会があった。
 大賀氏は部落解放同盟の理論的指導者の一人であり、「第三期の部落解放運動」論の提唱者としても知られている。第三期論への移行に積極的だった上杉佐一郎・前部落解放同盟委員長の急死により、解放同盟の運動路線の今後の行方が注目されている時だけに、「部落解放運動第三期論の今日的意味」というテーマでの大賀氏の発言には関心が高かった。
 この中で、大賀氏は「差別は観念ではない。実態である」としたいわゆる朝田理論について、この理論が同対審答申を引き出し、その後の同和対策の拡充につなげた功績を評価しながらも、一方で意識の問題を軽視する風潮を生んだ点を指摘。「朝田理論自体が物取り主義を生む素地を持っていたという批判があったが、私も一部同感する所がある」と述べた。
 さらに、従来の解放理論の「底の浅さ」について語り、「部落とは何か」「なぜ差別がいまだに残っているのか」といった、これまでおざなりにしてきた問題に正面から取り組む必要のあることを強調した。
 講演後の質疑では、「先に発表された解放同盟の新しい運動方針は大賀さんの第三期論とは違うのではないか」といった第三期論の行く末を懸念する質問が相次いだ。大賀氏は「解放運動全体を精神化させたい」と言い、「運動の方向を切り替えなけれなならないのに、切り替える力が足りない。私たちは(組織の)内部でやっているわけだから、(第三期論を唱える)私たちが力を持つように応援してほしい」と要請した。
 大賀氏の発言で印象的だったのは、解放同盟の弱点を率直に認め、外部からの批判に謙虚に耳を傾ける姿勢を示していたことだ。
 「『こぺる』(交流会の呼び掛け人である藤田敬一・岐阜大教授を編集責任者に京都で発行されている『人間と差別』を考える月刊誌)のみなさんのように解放同盟とは別個に部落問題を考えている人びとに期待している。解放同盟がおざなりにしてきた所を補ってくれており、運動への苦言や助言を(組織の)中央に反映させたい」といった発言は、大賀氏自身が解放運動の現状に強い危機感を持っているらしいことをうかがわせた。
 分散会は、「社会啓発の課題」「解放教育の終焉」「運動/行政/市民」の三つのテーマで行われた。
 「解放教育の終焉」とは、刺激的なテーマだが、話題提供者の住田一郎氏(大阪)によると、テーマの本来の文言は「特措法時代における解放教育実践の終焉」だったのだそうだ。つまり、同和対策特別措置法以後の解放教育は「対策」としてなされきた結果、教育の中身までが「対策化」し、硬直化してしまっている。部落解放教育は「同和対策事業の教育版」でしかなかったのか。その辺を真摯に総括してみようという提案である。
 この分散会にはさすがに教師や教育行政担当者の参加者が多く、▽運動体が学校に求めるものが「解放の学力」から「受験の学力」へ変わってしまったが、そのことについて何の総括もなされないため、現場の教師はただほんろうされている▽運動体への配慮から教師は自由な試行錯誤をやりにくく、マニュアル化された教育内容からそれるのを恐れる結果、面従腹背の教育が行われている-といった現場での体験が次々に報告された。/小学生に部落民宣言をさせたことを悔やむ教師もいた。 いずれも「運動は転換期を迎えているのに、学校現場が一番遅れている」という住田氏の指摘を裏付ける話だったが、不思議な気がしたのは、運動体への批判や不満ばかりが目立って、教師自身が「教育の論理」に立ってそこでどう対応したかということの報告が少なかったことだ。
 「学力」とは何かの問題にしても、教師が個々にあるいは集団でそれについて考えをどこまで深めてきたのか、そのうえで運動体や同和地区関係者との間でどんなやり取りをしたのかといった話はほとんど聞かれなかった。
 住田氏は保護者の立場から、「解放の学力」への転換について、「まじめな教師ほど『そりゃ、ないぜ』という気持ちになる」と教師の立場を思いやっていたが、そこで教師の主体性が問われていないことは気になった。「学力」とは何か、つまり何を教えるかは、教師にとって生命線だと思われるからだ。
 閉会後、同じ分散会にいた高校教師にそんな感想を漏らしたら、「これまで運動体を批判できる場がまったくなかったですからねえ」という答えが返ってきた。この問題に関して教師の主体性を問うことは、現場の実態に無知だからこそ可能な観念論でしかないのだろうか。
 こんなことを考えているうちに、交流会に第一回から欠かさず参加しているという部落史研究者の発言を思い出した。
 「これまで教育をテーマにした分散会はすべて失敗してきた。まず現場の教師の参加が少なかった。参加していても本音の発言が出なかった。今日の議論を聞いていて、時代が変わりつつあることを感じた」という発言である。

本音で語ることから
 なるほど、教師たちの言葉がいくらか恨みつらみめいて聞こえたとしても、それは仕方のないことだったのかもしれない。藤田教授が常々強調しているように、この問題を解決するには、各自が本音で語るという所から始めるしかないのだから。 だが、それにしても……と思う。「同和地区の生徒や親を相手にすると、子どものためにこれだけは言っておかなければならないということでも、つい遠慮してしまう」のはなぜなのか。そこで口ごもってしまった自分と向き合うことを、教師は避けてはいけないのではないか。
 「教師の中に部落や部落民への恐れがあった」と率直に語ったのは、大阪の小学校教師だった。「どこまでを運動体にさせられたことだと言えるのか。求められてではなく、先取りして、お先棒をかつぐようなことまでしてきたのはなぜなのか。この問題はまだ整理できていない」
 この「恐れ」こそ、まさに「差別」だと言ってよいだろう。
 同対審答申から31年。同和地区の生活実態は随分改善された。この国の民主主義の経験も半世紀を超えた。にもかかわらず差別はあり、恐れがある。高度な教育を受けているはずの教師たちにもそれはある。いったい何がそうさせるのか。
 このわかりにくさの前にだれもが立ち尽くしているように見える。それは、解放同盟の理論家である大賀氏にしても、交流会の呼び掛け人である藤田教授にしても、同じことなのだろう。「両側から超える」努力が今ほど強く求められている時はないのかもしれない。

《 随感・随想 》
学力とは何か-部落問題全国交流会第2分科会の議論で気になったこと
高田 嘉敬
 率直にいって、部落問題全国交流会のどの分科会に参加しようか迷いがありました。学校の現場には思い入れがあって、昨年まで教育の分科会に参加していたのですが、明解な議論にはなりにくく、いささか消化不良気味でした。今年は気分も新たに別の分科会に参加するつもりでおりました。が、やはり気にかかるところがあり、教育の分科会に参加しました。
 結論を先に記せば、相変わらず気にかかるところは氷解せぬまま、もやもやが続いております。 まず、部落解放教育の総括が提案され、教師の側からの様々な押し付けはやめようという意見が多く出されたのは、確かに腑に落ちることではあったのですが、そのまえに議論してほしいことがあったのです。
 それは、被差別部落固有の落ちこぼれ(が存在するとして)の根拠と評価およびその原因についてです。かつては実に様々なアプローチがあって、切り口はそれなりに新鮮なものでした。それらがその後どうなったのか知りたいのです。社会学的な調査、言語・職業指導・発達に関する心理学からの分析など、学際的な探求があり、それらの蓄積がどれほど今日の教育現象を説明してくれうるものなのか、そしてその結果が教育現場の中でどのように受け止められいるのかが知りたいところでした。なにもアカデミックなせまり方にこだわっているわけではなくて、部落固有の落ちこぼれ(このほか学校文化からの様々な逃避・逸脱)が具体的に説明可能なものなのかどうかが知りたかったわけです。
 こういってはなんですが、70年代に部落解放教育に出合った頃は、どうして部落の子に「低学力」が多いのか、それをある意味で合理的に説明するために、それこそ思いつく限りの方法・分析装置を駆使する意気込みが感じられたものです。その意気込みはその後どうなったのでしょうか。部落の抱える学校教育現象を説得力をもって説明できる実証的な研究・アプローチはあったと思いますが、それはその後どうなったのでしょうか。
 二つめは、学校教育の議論が煮詰まってくると、かならず出てくるのが、「学力」なのはなぜか、です。今回もそうでした。いわく、「進学の学力」か「解放の学力」か。何十年もまえの「資本に奉仕する学力」と「人民に奉仕する学力」などというレベルから半歩も移動していないように見えるのは、どうしてでしょうか。学校教育を語れば語るほど、それぞれの「学力」観ばかりが濃厚に噴出するのはなぜなのか不思議に思うのです。このことは、教育現場に明解な切り口・分析装置を欠いている例証でもあると思います。
 三つめは、在日朝鮮人の教育要求との違いです。私は、在日朝鮮人の教育要求の中に「学力」をみたことがありません。本名を名乗ることや、民族文化の紹介などが主要なテーマにはなっても、「民族の学力」など耳にしたこともありませんし、ましてや在日朝鮮人子弟の落ちこぼれ問題があるはずなのに、民族教育要求の中にそれが出されたことを知りません。
 部落解放教育ではつねに「学力」が中心課題となり、在日朝鮮人教育ではそれが問題とならず、ある意味で啓蒙啓発的側面ととらえてよいような他民族(文化)の尊重・共生がテーマとなっている点は、際だっています。
 この違いが、どこから生じているのかは確かめておく必要を感じます。おそらく、学校教育(つまり人材養成)のもつおよそ二つの側面、「知的能力の形成」と「社会性(共同体の構成員に求められる規範)の養成」、このどちらの側をより多く期待するのか、ということにつきると思います。
 つまり、在日朝鮮人教育の場合、民族性をとりまく諸要素の回復を学校教育への期待の第一においている、ということです。あるいは、かつての「就職における国籍の壁」から、高学歴効果・要求が日本国籍者ほどには高くない、ということもあるかもしれません。
 部落解放教育が「学力」を主要なテーマに選んだことの歴史的な意味を、あらためて考えてゆきたい。
 私の「もやもや」は、克服すべき課題が具体的には分析できておらず、かつまた解決の見通しが明瞭な形ではもてていないせいです。
 以下は少し脈絡を失うのですが、小学校の理科分野で始まった仮設実験授業(板倉聖宣さんの提唱)を、中学の技術・家庭の授業で恐る恐る試したときの驚きは忘れられません。こちらに明確な獲得目標があり、手にとって確かめられるような作業仮設を提案するとき、子どもの反応は予想を越えるものがありました。その後、社会科(テーマは江戸時代の貨幣の歴史だったと思いますが)にも仮設実験の手法で切り込んだ意欲的なテキストを拝見したことがあります。印象深いものでした。師岡佑行さんが紹介なさっていた、部落問題学習の仮設実験の取り組みをみたいと思っています。

《 採録 》
その1.「中途半端な表現」は何を狙っているのか
  (『解放新聞』広島県版「主張」、96/5/15)
 「足して二で割る」という言葉がある。どっちつかずのようなポーズを示しながら、その内実は力のあるもの、大きなもののやりたい方向になし崩し的に加担する効果をもたらそうとするとき、このようなポーズ、立場を取ることが多い。
 われわれが86年「地対協」路線と闘っているとき、例の岐阜大の藤田敬一らが「両極から越える」などと賢らしい素振りをして、「『地対協』も悪いが部落解放運動も考えねばならない」という意味のことを言った。そうすると、その間に入って、つまり、部落解放運動と藤田敬一の間に入って、八木晃介あたりが「足して二で割る」ような論理を展開した。つまり、四分の一「地対協」路線というわけである。あちらの言うこともわかるが、こちらの言うこともわかるという態度は、デス・インテリで、しかも非実践的な傍観者には賢らしく見えるのである。そこを狙ってこのような態度をとるといったものである。/そんなことを苦々しく経験したものからすれば、最近の社民党・村山党首の言っていることは、この「足して二で割る」式の自民党応援団長になっているように見える。(以下略)

コメント.
 文体と内容からして、この文章の書き手は小森龍邦さんです。それにしても、相手を卑小な人間として描き、身内同士で人を小馬鹿にし、あざけっているだけでは、どうにもならない状況にまで運動が陥っていることが、小森さんにはわからないらしい。『こわい考』が出て9年、対話の輪は確実に広がっている。それも小森さんには見えないのでしょう。人の話を聞かない、人の書いたものを読まないのは、それはそれでかまわないけれど、せめてまわりを見まわして、人びとの表情から気分を読み取る程度の感性がほしい。部落解放運動はいわゆる部落民が担う運動であり、部落民が中心、部落民でない者(一般)はすべて中心になびくべき存在だとする発想そのものが破綻している現実を見つめてほしいとも思う。もちろん事柄が、小森さんだけに限られるはずがありません。運動体と部落民を主人公と見なし、その前で客人然として振る舞っている人もまた、自らの醜い姿に早く気づくかなければ。

その2.『同和はこわい考』通信がおもしろい
  ───今、熱い『部落とは』『部落民とは』に迫る論議───
  (『部落解放運動・情報』No.1,96/8/20 )
 この間の、『こぺる』・『同和はこわい考』通信の論議がおもしろい。そのおもしろさは、編集していらっしゃる藤田敬一さんの人がらかもしれない。
 7月17日付の通信に、「読売新聞」(西部本社)6月26・27日夕刊から採録した記事が紹介されている。表題は、「『部落』をめぐる思想の魅力に触れる-原口論文にうながされて」(小林清人記者)の記事である。
 部落解放同盟福岡市協の活動家、原口孝博さんの『こぺる』(5月号)に掲載された「部落と共同体意識の関連について」を、取材をまじえてリポートしたもので、興味深い。(中略)
 (記事は)原口さんの主張を紹介したうえ、藤田敬一さんの主張や、その活動にもふれ、今日の時代状況との関係で、「部落」とは何か、「部落民」とは何かといった、本質的問題を改めて論議しなおす状況が、もりあがっていること、そして、その背景についても簡潔に紹介している。最後に、「今回の取材を通じて痛感したことは、自分を見つめることなしに『部落』を考えることはできないという一点である。議論を深めるには、自分にも他人にも正直に向き合える関係が何より必要なのであり、『こぺる』のような雑誌の存在意義は大きいのだろう」と結んでいる。紙数の関係で紹介しきれないが、ぜひ一読をすすめる。

コメント.
 『部落解放運動・情報』は、奈良で部落解放運動に取り組んでいる人びとが最近発刊した情報誌。創刊号の主な記事は、「解放新聞全国各紙から(東京都連版・埼玉県連版・大阪府連版・岡山県連版・広島県連版)」「特集①部落解放基本法をめぐって②第53回全国大会をめぐって」「商業新聞から(奈良新聞『深刻な財政と同和行政の現状』ほか)」などです。部落解放運動の現況がつかめるよう編集されており、記事につけられた短いコメントが奈良県連(山下委員長)の考え方を示唆してくれます。申し込みは下記へ。

 〒636-03 奈良県磯城郡田原本町鍵301-1 「部落解放運動・情報」編集委員会
 電話:07443-3-8555 郵便振替:01050-0-23411
 定価1部300円(送料別) 毎月20日発行

《 お知らせ 》
 ○公開対談とシンポジュウム:藤田敬一・鈴木正穂(京都市会議員)
   「同和行政と制度疲労-今後の同和行政のあり方をめぐって」
   10月2日(水)午後6時半 京都会館別館ホール 参加費 800円
   主催:鈴木マサホ自治体政策研究会

 ○『こぺる』合評会 10月26日(土)午後2時 京都府部落解放センター2階
   鈴木正穂「同和行政と制度疲労」(『こぺる』9月号)を中心に
    *鈴木さんも出席されます。

 ○シンポジュウム:「部落の近世政治起源説」をめぐって
  11月9日(土)午後2時 京都府部落解放センター4階ホール 資料代2500円
  パネラー:住本健次(福岡県立北九州高校)・畑中敏之(立命館大学)・吉田
       栄治郎(奈良県立同和問題関係史料センター)・師岡佑行(京都部
       落史研究所)・前川 修(京都部落史研究所)
  主催:京都部落史研究所 後援:京都府・京都市・部落解放同盟京都府連ほか

《 川向こうから 》
○岐阜市の北方に美山町という人口1万の山にかこまれた町があります。山と川さえあれば充分という人には、もってこいのところ。長良川の支流・武儀むぎ川、その支流の神崎かんざき川、そのまた支流の円原えんばら川はあくまでも清洌で、雨にけぶる情景もすばらしい。車で1時間の距離なので、時折出かけてのんびりしています。

○地元のみなさんのご推挙により9月15日付で岐阜市の人権擁護委員に委嘱されました。人権擁護制度をめぐる議論が起こりかけているいま、現行制度のもとで何ができて、何ができないかをじっくり研究し、その成果を報告して議論の参考にしてもらえたらと思っています。

○全国交流会での大賀正行さんの講演「部落解放運動第三期論の今日的意味」は、小林記者の記事にもあるように率直で好感がもてました。「部落解放同盟の96年度運動方針案は第三期論とはちがうのではないか」という質問には直接の答えはなかったものの、第三期論があやうい状況にあることだけはよく理解できました。ところで、一日目夜の懇親会で、みんなにむかって大声で演説を始め、せっかくのいい雰囲気をこわそうとした人がいたのは実に不愉快でした。交流会は個人と個人が出会い、対話する場です。この原則がこわれたら交流会を開く意味がない。それがわからぬ人とのおつきあいは御免をこうむります。ま、二度と会うこともないでしょうが。

○部落解放同盟の全国大会が開かれ、上田卓三委員長、組坂繁之書記長らの新執行部が選出されました。しかし全国大会を報じる『解放新聞』9/16には、なぜか信任投票の数字が公表されていません。聞くところによれば、信任票が72%にとどまった人もいたとか。その意味をとくと考えてみる必要がありそうです。

○本『通信』の連絡先は、〒501-11 岐阜市西改田字川向 藤田敬一 です。(複製歓迎)