同和はこわい考通信 No.104 1996.3.19. 発行者・藤田敬一

《 各地からの便り 》
その1.
 だいぶ前のことになってしまいましたが、通信のバックナンバー送って下さって、ありがとうございました。おかげさまで、大谷派の取り組みに関してのやりとりがわかりました。僧侶の、特に男はどうも自分の抱えた切実さというところで焦点を結びにくい気がします。
 送ってくださる通信は人の肉声が感じられて、いつも励まされたり、自分のことをあらためて感じ直したりしながら読んでいます。以前くださったおはがきの「人と人との人間らしい関係が成り立ちにくいご時世に、ふと哀しみを感じることもありますが、あきらめずにと自分に言い聞かせております」ということばが身にしみます。  (神奈川 F・Tさん)

コメント.
 大谷派云々とは、89年9月、真宗大谷派『「同和」推進フォーラム』No.6に掲載された調紀(同和推進本部長)さんの一文「いま思うこと」に端を発した調・平田往復書簡、それをめぐる本『通信』と上掲フォーラムとのやりとりなどを指しています。あれから6年、論議にかかわった人びとはその後どのように思索を深めたか。たんなるエピソードだった人もいるようです。まあ、論議なんて多くはそんなものなんでしょうから、がっかりはしませんが。

その2.
 毎号たのしく…?拝読させていただいています。どんな集会に出ても、だれが喋っても同じことばかりの繰り返し(選挙か同和事業の削減)で新鮮味がない中で、いろいろの立場の方が自由に自分の意見を言っておられるのはすばらしいことです。こういった形で部落について、部落解放運動について、差別ということについて、自由に意見交換がされなければ何も見えてこないし、変革もなければ進歩もありません。そういう意味ではとても刺激的な通信です。しかし私には文章のタッチが、哲学的というか心理学的というか難しいです(…?はそういう意味)。何度読み返しても、まるで昔、部落解放運動をしはじめたとき社会科学の辞書をめくり回したときのようです。でもこの作業は苦痛ではありません。ちょっと自分自身がはがゆいですが、時としてコンプレックスは私の起爆剤となりますのでいい勉強です。
 さて、己の無学無知の言い訳はさておいて、藤田先生にお便りする限り、最低限今何を思っているかぐらいは書かないと「何考えてんねん。甘えてんのとちがうか」とどなられそうな気がしますので、自分の仕事を通して思っていることを書きます。
 私の職業はホームヘルパーです。高齢者や障害者の家庭を訪問するヘルパーです。22年前、部落解放運動の仕事保障の取り組みでこの仕事につきました。たかがヘルパーと世間では思っているでしょうが、この仕事、なかなかのもんです。
 世界一の長寿国として今頃になって高齢者だの介護だのと騒がれるのも、後手後手で腹立たしいです。ほんとうに大変なんですから。各市町村は官民こぞって施設建設です。施設予算の削減のため在宅サービスなるものが作られたのかという見方もありますが、ヘルパーをしているとそうとも言えません。
 ところで、「皆さんは自分の老後について考えていますか。自分の末期についてイメージをもつ人はいるでしょうが、そこに至る道程について考えていますか」と、友人にこんな話をすると、「そんな暗い話やめて。老後の話なんかやめて。嫌になるから考えんようにしてる」と言います。ほんとうに考えなくでいいんでしょうか。老いも死も、ごく自然な人生の一部です。若くして病気や事故で去られるのは辛い。自然に老い、長寿を喜び、時をえて去る。悠久の昔より繰り返されている人類の営みです。なのに現代は高齢化社会として問題になっています。我が国の高齢化は70年代から急激に上昇して今や65歳以上の人口比が14%を上回る超高齢化社会となりました。「少子高齢化社会」、子どもが少なくて年寄りが多い社会です。しかも長寿です。家族の形態も核家族で共働きです。子どもはカギっ子で老親の入る透き間はありません。高齢者だけの所帯、つれあいを亡くした独居所帯がふえています。なんとか自分のことはできて自由に外出ができる間はいいとして、病気の後遺症で体が不自由になったり、高齢で身体機能が衰えてくると外出も身の回りのこともおっくうになってきます。今まで難なくできてきたことができなくなるのです。思い当たることはありませんか。たしかなことは、誰でも通る道だということです。しかし、老い方はそれぞれです。22年間ヘルパーをしてきてさまざまな老いの形に触れてきました。この間、自分が何かできたというより、知恵をもらい、優しさをもらい、エネルギーをもらい、生きる意味を教えられて自分自身が豊かになった気がします。
 ここで終わったのではきれいごとです。現状を厳しく見なければなりません。何が欠けているのか、何が必要なのか、私たちの使命は……と。
 私は、経験の浅い若いヘルパーに「人の世話をするより世話になる方が、どんなにづつなくて辛いことか」という話をします。まだ日本の福祉は制度的にも意識の面においても未熟です。当たり前のこととしていろんなサービスを利用でき、地域の中で世話になったり世話をしたりの自由な人との関係ができないと、受ける側にはプレッシャーがかかるのです。
 私事になりますが、昔、子育ての真っ最中、息子を厳しく叱ったときのことです。外に放り出したら、向かいのおばぁちゃんが息子と一緒にどげざして謝ってくれました。息子の頭を押さえながら、「堪忍したって。これからええ子になると、わてと約束したさかい、堪忍してください」と。今でもそのときのことを思い出すと胸が熱くなります。やさしい人やなぁ、暖かい人やなぁと、そのときは親の自分が救われたような気がしました。そのおばぁちゃんも今年90歳になって痴呆が出てきて町を徘徊するようになりました。家族にとっては頭痛のたねです。
 今でも、地区では仕事保障の名のもとに若い人が何の教育もされずに現場に入ってきます。福祉には確かに金がかかるでしょう。しかし、人の気持ちと努力でいい知恵も出てくるものです。「福祉は人なり」と言われますが、その人を育てることが解放運動の使命ではありませんか。私たちの仕事は人間の尊厳ということに基礎をおかないと大変な間違いをおかします。安易に送り込んでくる側も問題ですが、入ってくる側も問題です。痴呆老人の相手をしたり、おしめを交換したりしてショックを受け、「地域の職場に入れて嬉しかったのに、こんなきつい仕事やと思わんかった。これやったら給食の方に行った方がよかったわ」。給食現場の人が聞いたら怒るで…。
 「指示待ち症候群」、言われたことだけをする。仕事の話はしない。本を開くのはカタログショッピング。そのくせ「○○が使い込みをした」「○○と○○が別れたの、ひっついたの」との話に花が咲く。送り込んだ方も質が落ちたと愚痴りながらも動員要員ぐらいにしか思っていないのではないか。ジェネレーションギャップという言葉はこんなときに使うのかなぁ。そんな中で、それでも私は50歳半ばになってやっと高校を卒業でき、春から大学です(通信制)。いまさら何のためにとお思いでしょうが、それは次の機会にします。
 「通信」の趣旨に合わないことを書いてしまったと思いますが、近況報告と思ってください。ではまたの機会に。お元気でご活躍ください。  (大阪 W・Mさん)

コメント.
 W・Mさんと知り合ってかれこれもう20年になりますか。深く考えている人だなとは思っていましたが、大学に進もうとしておられるとは知らなかった。ぜひ進学の動機を聞かせてほしい。なおこの『通信』には趣旨なんかありはしません。哲学も心理学ももちろん大切ですが、こざかしい理屈を振りまわさず、身のまわりを眺め、自らを問い、人との関係に思いをいたして、自分の言葉で表現する、それがわたしの望んでいることなんです。次のお便りが楽しみです。

《 読書漫記 》
解放新聞社編『ルポルタージュ部落 四国・九州編』(解放出版社、94/12)
 読み始めた当座は、率直にいって、この本を薦めた藤田さんがうらめしかった。最初の高知(高杉晋吾執筆)のところで、はやくも詰まってしまったのだ。なかなか興味がわいてこない。ワクワクすることがない。どうしてなのか。おもしろくなかったわけを考えてみる。
 まず、ルポとはどんなものか、私なりにまとめておく。ルポは、事実をありのままに伝えているわけではない。ルポライターの問題意識・興味関心で構成されたフィルターを通して見えてきた現実の一部を再構成してみせたものなのだ。作業仮説を検証するために、取材現場を切り取る作業だ、といいかえてもよい。もちろん切り取られた現実の一端はそれ自身として興味深い、ということはよくある。しかしそれは、いってみればルポという織物の縦糸のほうであって、ルポライターの作業仮説という横糸のほうも同じほどドラマチックにながめられてこそ、切り取られた事実の意味が浮かび上がってくる、といえるはずだ。作業仮説は、著者があらかじめ構想したものでもいいし、取材現場に触発されて練り上げられたものでもかまわない。
 ただし、作業仮説はけっしてドグマであってはならないし、さきに結論ありき、というのもまた、なじまない。ならば、次の表現はどうだろう。

 部落差別と低賃金労働力のしくみが、じつに根深く結びついているのだと思う。部落差別の土台のうえに、現代の能力差別がしっかりと根づいて、のせられているのである。(P105)
 近代産業の能力差別の土台は、歴史をたどれば部落差別のうえに成り立っているのである。(P106)

 これらは、ルポから具体的に導き出せる結論だと、本当にいえるだろうか。むしろ逆に、ルポライターの思いこみ、あるいは確信を吐露したにすぎない、といったほうがよいのではないか。それにしても、この非常識な論理的飛躍を支えているのは一体何だろう。著者には検証したい作業仮説がなかった、というしかないような気がする。作業仮説ではなくて枠組みが、まずできあがっていたのだろう。この時、部落差別・差別意識は解きあかされるテーマではなくて、もはや克服・打倒される対象でしかないことになる。これでは、私の知りたかったことは、棚上げだ。
 私がなかなか読み進められなかった理由は、ここにある。考えてみれば、私はもともと高知の部落に興味があったわけではない。強いていうなら、そこに生きる人々の喜びや悩みを通して、私たちと共有できるような普遍的な課題があると思うから、読もうとしたのだ。
 しかし、途中から俄然おもしろくなる。
 4人の著者によるルポを年代順にならべてみる。すると、意外なことに気付く。後に書かれたものほど今日的課題に近づいているわけではないからだ。それぞれのルポの書かれた年代と、訴える中身・印象深さとが、まったく無関係なのだ。私は宮崎・熊本(藤田敬一執筆)がもっとも最近に書かれたと感じたのだが、反対に、これはもっとも古く書かれたものだった。他の部分と際だっている点は、運動に対する危機感と人間に対する信頼感とである。部落差別・差別意識を自明な存在としないこと、ルポの対象に距離をおき埋没(過剰同調)していないこと、人々の苦悩のありかを差別社会・行政敵論などに還元しないこと、このような姿勢は当然緊張感を生む。著者の作業仮説は次のように明快だ。

 部落解放運動が達成してきたものが、部落解放に向けた確実な基礎をどこまで築いたか、真剣に問いただす段階にきている。(P275~276)

この文章が、82年に解放新聞に掲載された、というから驚く。
 佐賀・鹿児島(川元祥一執筆)では、一段と作業仮説が見えにくくなっている。この部分では、ルポした部落のことを「この村」と表現することが多い。また、インタビューの相手を姓ではなくて名で呼ぶ。小さなことかもしれないが、ここに川元さん自身のルポルタージュする姿勢がよくでていると思われる。それは、ルポの対象とルポする人との距離の取り方の問題だ。川元さん自身が部落民であることの自明性に依拠して、記事が書かれているように見える。「この村」に寄り添い、○○さんに親しみを寄せることが悪いというのではない。そのような姿勢をとっていることに、どれほど自覚的かどうかが、問題なのだと思う。対象に埋没したのでは、「見た」ことにはならない。
 もう一つは、客観的に歴史的な眼差しを提示しているように見えて、実はそうした歴史叙述が、今日ただ今の部落差別を遡及的に説明するための道具建てに使われているに過ぎないように感じられてならないことだ。今日の部落差別の根拠(無根拠)を歴的事実に語らせる手法は、はたして説得力があるだろうか。今日の差別意識は歴史家の課題に還元してよいだろうか。次のような結論めいた叙述に、思わず立ち止まってしまうのは、こうした疑問と無関係ではない。とても楽天的で、力の入らない文章なのだ。

 このような人間の心の闘いが、やがてはすべての日本人の心を動かす原動力になるであろう。(P292)
 前岡の人びとは、自分の信念を持ち、支配者の圧制に激しく抵抗しながら生きてきた。そしてその闘いの魂は、今も村人の心に誇り高く残っている。(P343)
 おそらくその調査員も、率直な政治(人名-藤田補注)の心に感銘したのだろう。(中略)差別観念をもち、今も結婚差別などをおこなう差別者である日本人一人ひとりが、政治のこのような心に学び、自らもその差別の心を一つひとつ克服していくことが大切だと思う。(P290~291)

最後の引用は、娘さんの身元調査にきた調査員が、父親の長尾政治さんから「ここは部落です」と切り出されて、思案の末「私の責任で採用します」といったことをさして、調査員が「率直な政治の心に感銘した」と川元さんがいっているのである。しかし、私にはもう少し複雑な心の揺れが動きがあったようにも思える。
 これについては、くどくどと詮索してもしかたがないことだとは思うが、それにしても「差別者である日本人」以下の文章はまりに虚しい。「差別者たちよ、悔い改めよ」と訓を垂れることに、いかほどの意味があるのだろうか。ここに切実さ、緊張感がさほど感じられないのは、一体どうしたことだろう。
 著者のアプローチの仕方で、こんなにも違った切り口が見えるものか、と改めて思う。逆に明確な作業仮説のないルポが、切り出した現実の後ろに潜んでいる様々な問題を、どれほど見えなくさせているのかと思うと、恐ろしい。
 一定の時間の経過したルポの中で、今一度読み返してみようと思えるものが少ないのは、作業仮説と取材現場との真摯な葛藤に欠けるものがあまりに多い、ということだろう。  (高田 嘉敬)

「座談会|戦後50年 金時鐘 針生一郎 土方鐵」(『新日本文学』96/1・2 )
 金時鐘さんが「両側から超える」について座談会で語っておられると知らせてくれた人がいたので、さっそく京都に出たついでに『新日本文学』を買い求め読んでみた。土方さんから「あなたの持論である、『両側から越える』ということ、あれを説明してよ」と水を向けられて答える形になっている。長くなるが、引いてみる。

 「両側」というのは、内と外という意味での両側ですけど。在日朝鮮人が被っているという、日本人の心ない仕打ち、仕組みとか社会機構を据えて在日朝鮮人をみるとき、在日朝鮮人の内側からも越えねばならない問題があるという意味での「両側から越える」。(中略)在日朝鮮人が、海外からたくさん労働市場を求めて日本に来ている人たちと繋がるとか。現実に大阪の生野などにいきますと、たくさんおるんですよ。/不法滞在している人らを抱えたり、うちの同胞が観光ビザできて、そのまま劣悪な労働事業に。しかも同胞として、収奪するよ。(中略)かつて戦時中、戦前の私たちに日本人が格差をつけたことを、いまのうちの同胞がやってるのよ。働かす場を保証する点で共生しているが、なかにはより弱い者を収奪する構造がそのままあります。[土方 本音をいわれたら、日本人はみな……]お手上げだがな。日帝三十六年なんていえば、日本人はもう言葉ない。つまり、正義はいつもこっち側にある。そういう意味で人権がいえる。だが、自分の抱えている暗がりは自分からいうことはないのよ。/私が「両側から越える」というのは、私たち同族同士で反目し、おとしめあってることを、私たちで返さなければいけない。このようなこと、日本人は口をはさめられない。目にあまることはずいぶんあるよ。これ、被差別部落にもまたいえることなのよ。私の決まり文句だけど、エゴイズムは差別者の側だけにあるんじゃなくて、差別を被っている側にもあるんだよ。[土方 そうそう、そのとおり]そして、差別を被っているもののエゴイズムほど、度し難いものはない。それがそのまま、差別の酷さだと思う。差別の酷さというのは、虐げをとことん食ってしまうと、虐げがもう苦痛ではなくなるんだな。つまり、自分を省みる力がなくなってしまう。人から顰蹙をかうことを意に介さなくなる。/(中略)こういうことは内側から越えていかないと。/暗がりから、両方が手を徐々に差し伸べていって、一つの交わる点を作っていかないと。(中略)内側から自分の問題として正していく意識体が、内にも外にもない。そういう意味で私は「両方から越えて行くべきだ」といってきたけど。それが、なんか部落解放同盟を批判する言葉としてうつったのが、私はかなわんのやね。[土方 それはそうね](P61~62)

 一読、わたしが金さんの「朝鮮人の人間としての復元」などの論稿から受けた衝撃とはなんだったのか、という深い疑問にとらわれてしまった。「両方から手を徐々に差し伸べていって、一つの交わる点を作っていかないと」とは語られてはいるものの、基本は「内側から超える」ということであって、そこには「両側」の視点はほとんどない。「外側」の人間は、「お手上げ」状態のまま宙ぶらりんにさせられている。それでいいのかどうか。金さんの講演録「差別を両側から超える」(『ひょうご部落解放』93/11)へのコメント(本誌No.88,94/11)でもふれたように、金さんは部落解放同盟に言及するにあたってきわめて慎重な姿勢をおとりになる。それはそれでかまわないけれど、読み方によっては部落解放同盟を批判の対象から除外しているようにみえることも、この際指摘しておきたい。わたしの考えでは、ほんとうの友人とは直言・苦言を呈し、率直に批判してくれる人のことだ。部落解放同盟の不幸は、そのような友人があまりにも少ないことだと思う。それなのに金さんは「両側から超える」が部落解放同盟批判の文言として映っているとして不快感をかくさず、土方さんまでがそれに同意しておられる。これはどういうことだろう。わたしの知るかぎり、金さんが部落解放同盟を批判したと受け取っている人などいない。あの小森龍邦さんですら、被差別者である金さんなら「両側から超える」と主張してもよいが、差別者の藤田がいうのはケシカランといっていたのだ。金さんの反応は過剰としかいいようがない。あるいは金さんには別の考えがあるのかもしれない。もしそうなら、それを聞かせてほしいと思う。  (藤田 敬一)

《 お知らせ・案内・お願い 》
○『こぺる』合評会:3月30日(土)午後2時 京都府部落解放センタ-2階
  話題提供者:師岡佑行さん「課題としてのバブル文化の克服-『京都の部落史』
               ・『近江八幡の部落史』を完成して」
○『こぺる』No.37(96/4)
  山下 力:やさしさとぬくもりのある関係をどうつくるか
  柴谷篤弘:「人権」概念を中心にすえた解放同盟綱領改正案の意義

○『こぺる』購読と購読継続手続きのお願い
 『こぺる』は、いよいよ4年目に入ります。人間と差別について、さらに突っ込んだ論稿を掲載し、開かれた議論の場として充実させていきたいと思っています。ぜひ購読してください(年間4000円 郵便振替01010-7-6141 京都市上京区寺町通今出川上ル鶴山町14、阿吽社内 こぺる刊行会 Tel075-256-1364)
 なお3、4月号で期限切れの方は購読手続きをとってくださいますように。

《 川向こうから 》
★岐阜の太平天国社がこの1月で幕を閉じました。わたし自身は考えるところがあって、一昨年12月末をもって「天国」から身を引いたのですが、やはり複雑な気分です。なんといっても20年間、わたしなりの思いをもってかかわってきた「天国」ですからね。2月18日、尼崎から高田君もかけつけ、常連メンバ-と柳ヶ瀬で一杯、けっこう盛り上がって三次会までやってしまいました。アハハハ。

★3月3日は、京都のリラ亭マスター(木村勝次さん)の七回忌とカリン亭6周年の会。130人あまりが各地から集まって飲めや歌えの大騒ぎ。学生時代から通いなれた店と木村さんの思い出はつきることなく、酒縁の友との再会にすっかり酔いしれました。カリン亭(河原町三条下ル二筋目東入ル北側)には月末の土曜日、こぺる合評会帰りに必ず立ち寄っています。一度ご一緒しませんか。

★本『通信』の連絡先は、〒501-11 岐阜市西改田字川向 藤田敬一 です。(複製歓迎)