同和はこわい考通信 No.103 1996.2.14. 発行者・藤田敬一

《 各地からの便り 》
その1.
 冬休みをどう過ごしていますか?「アンネの日記」を読み終わったので感想を書きます。アンネは、人を思う心や考え方を日記にたくしました。私は、「ユダヤ人」というだけでなぜ殺さなければならないかということをぎ問に思いました。そして「アンネの日記」を読んだ人たちもきっとそう思っているはずです。同じ人間なのに、ちょっとしたちがいですごく差別したり。今は、黒人、白人のことで色々と話題にもなってきましたよね!私は、このことなどでこの本を読み、そして、人間の差別がどれほどおそろしいかを知りました。これが私の感想です。では、よい冬休みを過ごしてください。  (大阪 K.Sさん)

コメント.
 家や学校・地域などで差別の話を聞いているはずのK.Sさんが『アンネの日記』をどのように受けとめたか知りたくて感想文を送ってくださるようたのんだのです。年賀状に書かれた感想文は短かったけれど、こんどはもうちょっとくわしい感想文を送ってくださるとうれしいな。

その2.
 松江での通信百号を祝う会に仲間にしてもらい、その時の感想をお便りしようと思いながら遅れて申し訳ありません。鳥取の方々もおいでになっていましたね。カニがすごく美味しかったですねー。一年振りにお会いするけど笑顔で待っていて下さってありがとうございました。
 司会をなさっていた方、知らない人と思っていれば、十八年前オルグ隊のメンバーで、国道沿いの私の家にも立ち寄り、上がって話され、世の中にはこんな元気いっぱいの人もいるという印象を残して去られた方とは。そして、とぎれることなく活動されて、このような集まりで再び会えたことに深く感動してしまいました。
 話は変わって───先生が、親族会議で大阪の保育園長さんが一人がんばってみんなを説得して若い二人が結婚できた例をあげ、十人中一人でもこのような人がおられたらその影響は大きいと話されるのを聞いている内からもう涙が出て止まらず、恥ずかしいと思いながらグスングスン。私たちの自治会にはその一人がいないのよ!との思いがあって。家順を飛ばして班編成をするのはおかしいのに、やさしくて良識があって、りっぱな方々が大勢いらっしゃるのに誰も気付いてくれない。口に出してみたこともあるけど、立ち止まってもくれない。本当に無駄なことだと諦めしか感じられない。心の中でいくら叫んでも誰の耳にも届かない。それでも心の中で叫ぶしかなかった。その冷たさだけは身にしみている状態で聞いていたから涙が止まらなくなってしまいました。でもこんな集まりがあって確実にわかってくれる人もいるという実感に少し気持がしゃんとしました。Y子さんや鳥取の人たちがいて、先生が「差別と向きあってもっとお互いに声をかけあい、言い続けなければ」と力強く言って下さる。なんだか楽しくて元気の出る集まりでしたね。
 もう一つ話が変わって───元日一番下の妹の家族がM町まで帰るのを送っていきました。まあたまにはお茶でも飲んで帰ってと言われ、結局三時間以上話し込んでしまいました。義弟(私より年上)はM町で理髪業を営んでいます。毎週月曜日の朝、わざわざ父のひげを剃りに来てくれるのです。彼は、頑張ってきた父に妹がびっくりするくらいよくしてくれます。彼なりの考えがあってのことですが、去年一年ひんぱんに私の家に来て中を見ていると思うのです。それでも、どれだけ私達が変わったか、人の心や思いまではわからないでしょうという話になりました。でも母の苦労は私達の見えないところまでよくわかってくれているみたいです。
 彼は同和とか解放とかいうことばを大変きらっているのですが、私もつい話し込んでしまったのです。負けない、バカにされないようにと私は気にしている。気にすることがすでに負けているのだと言うのです。彼は私以上に友だちはいるし、嫌なことや変なことを言われれば容認せず相手をまかすぐらいは平気、人の世話は過ぎるくらい頑張ってするし、同和教育だって中途はんぱなら絶対してくれるなと町のえらい人にも断言してあると言うので、私も熱が入り、少しむきになって、

 そんなこと言ってもらったら困るよ!絶対、同和対策事業などお世話にはならないという考え方はりっぱだし結構だけど、あなたがそう言ったって、他の町村から見たら、あそこはボロボロじゃないかと知らないところで…

と返したら、横から妹が

 あなたやお姉さんの様な性格の人はいいの。人がどう思っても自分から前に出たり、言いたいこと言えるから人がついて来る時もあるけれど、私の様に思ったことが言えなかったりすれば…。こんなことがあったのよ。中学の時一番仲良かった友だちのお父さんが校長先生でこられることになり、それまで本当に仲良かったのに、その友だちと口をきくことがなくなったんだから。一人一人友だちがいなくなって(声を詰まらせながら)。まだあるよ。

と話してくれる。どうもこんなことは両親にも話さなかったことらしい。

 でもそのたびに、そんな友だちはいらないと、いつも毅然としていたよ。

 姉妹の中で一番明るくて、自慢になるけど可愛いと思える人だったんですが、姉妹でもそんな思いをしてたなんて知らなかったですよ。
 実は私も仕事の先行き不安をかかえているものだから、姉妹ならと冗談半分でも知って欲しいと切り出した話ですが、妹としては連れあいにも話すことがなかった内容を一気に話す機会となったみたいです。義弟いわく、

 考え方は違うかもしれないけれど、このことはあってはならんこと。大いに遠慮せず思いっきりやらっしゃいや!(出雲弁かな)。話する時間を持たないと気持がわからないねー。

と励まされました。彼にしてみれば同和問題で少し力が入れば異様に思えるのでしょうか。それとも見ていない、見えていないところがあるからなんでしょうか。私も改めて、他から見る時・場合はどうなのかを意識したのでした。
 教育に関しては自分の気持をもっともっと言いたくなるのです。『通信』100号の中の文章

 被差別部落に生まれたという自己をありのままに受け入れ、そのなかから確かな人としての営みをしていく。勤勉や努力や挫折や立ち直りを繰り返し…

 これ、いま私の気持ちのまっただ中にあるもの、好きになれる文面です。繰り返し繰り返しして、強くなって、そしてきっと先生に確かな反発もしたいと思っています。では今日はこの辺で。さようなら。  (島根 Y.Sさん)

コメント.
 お正月に妹さんや義弟の方と話ができたのはほんとによかった。それは、おそらくY.Sさんの中に差別について話したいという衝動があったからにちがいありません。そうしたら妹さんが誰にも話したことのない経験談をなさった。わたしがいう「お互いに声をかけあう」とは、こういうことなんです。

その3.
 部落問題にとって、部落民としての自覚やそれを名乗ることをどう考えるかは、大変重要な問題だと思っています。この問題を考えるに当たっては、特定の人が部落民であると思い、思われるという現存する社会的な関係をどのようにしてなくしていくかという現実的、実践的な視点が必要だと考えています。
 様々な意見の一部に、この問題から関係性が軽視されたり、哲学的な思弁の世界に入り込みすぎるような傾向が感じられ、少々違和感をを覚えます。「自分が何者であるか」ということの自己確認を、他者からどう規定されるのかに関わりなく、「自分は自分である」という認識の問題としてのみ捉えれてしまえば、主体的ではあるが、主観的にすぎるように思います。アイデンティティという言葉の正確な意味は知りませんが、少なくとも、社会関係の中で自分がどのようにみられているか(関係の中での被規定性)ということの認識を欠いたアイデンティティに意味があるとは思えません。
 アイデンティティが、自らの、また他者との関係の中での様々な被規定性の自己確認であるとすれば、部落民であるという被規定性の確認及びそれを表出することの意味はどこにあるのか。部落民であると規定し規定される関係が現存している限り、部落民であると規定される者がそれを自覚しなくともその関係は厳として存在するし、また自らのアイデンティティの確立のためにもそれが必要であるとの意見は理解できます。しかし部落民という被規定性が無意味となる社会や関係を作っていくという目標に、部落民としての自覚や名乗りがどのようにつながっていくのか、部落差別をなくすためのステップにどのようにしてなりうるのかということを明確にする必要があるのではないでしょうか。これからも考えていきたいと思います。  (大阪 T.Sさん)

その4.
 このかんお三人のシリーズを読ませていただいて、正直に自分を見つめ、静かに表現するということがおこなわれていることに心打たれました。とくに津田ヒトミさんの部落民としてのアイデンティティ──相対する二つの価値観に引きさかれた存在──ということを書かれた文章に強くひかれました。
 ただ、「正当に評価せよと言う論拠として自分のしてきた努力に対する自己肯定があるだろう」と書いておられるところ、スッキリしすぎていて何か肩すかしをくったような気分が残ります。結びの「自己肯定、自己評価に値する人格を形成していくことが云々」というところもひっかかります。住田さんのおっしゃる「その克服の努力を被差別部落住民以外の人びとが肩代わりできないことも自明の理である」ということとたぶん同義であると思うのですが、努力してきた自己を肯定するというところにどうも落し穴があるように思えてなりません。努力した自己を肯定するという論理は、努力しない他者を否定するというワナがある。あるいは、努力しないものは否定されていいのかもしれませんが、少なくとも努力とは何かが明らかにされなければ、これは独善に陥るのではないかと思います。  (京都 F.Kさん)

その5.
 久しぶりに『こぺる』合評会に参加できて楽しかったです。気づいたことをいくつか。報告はこう言ってはなんですが、いつになく丁寧なたどり方だったにもかかわらず、論議のほうは噛み合わなかったように思います。それは、このテーマが人の心のありようを正面から追求しているせいでしょうが、他方、どこかで具体的に出会ってきた人々を思い描きつつ、議論を進めないと説得力をなくすように感じます。たとえば、Yさんの発言からは、彼の出会った具体的な個々の部落(民)像が伝わりにくく、なかなかついてゆけませんでした。
 20年近く前に関西で出会った同世代の朝鮮人から「僕らが差別されるのはある意味ではわかるんやけど、部落差別はようわからんわ」といわれたときのことを思い出します。「それはちがうと思うよ。当たり前のように見えるかもしれんけど、朝鮮人っていう概念だって部落民と同じくらい不確かなもんやと思うな。帰化したら朝鮮人でなくなるのか」、確かにこう反論したのですが、その当時は被差別者としての共通項のイメージが強く、自分でもそれぞれの不確かさを追求することなく過ごしてしまいました。
 今の職場で7年近く身近に同じ障害者を見ていると、個々の障害がまるで個性の一部のように気にならなくなてきます。これに気付くのは彼らと一緒に街を歩いたときです。通行人の冷ややかな眼差しに出会って、彼らが「障害者」と見られている日常に気付きます。とすれば、民族よりもっと自明に感じられる「障害者」という概念すら疑っていいのかもしれません。「幻想としての○○○像の呪縛という現実」の○○○の中には様々な概念が入りそうです。しかし、単純にこれを押し広げ普遍化してみても、さほどの意味は感じられません。そこに具体的な人と人とを媒介とした○○○像が描かれていることが大切だと思います。私は、朝鮮人と障害者に日々出会っていますので、藤田さんの議論を横目でにらみながら、こちらの方の曖昧さを追求するつもりでいます。  (兵庫 T.Yさん)

その6.
 「部落民とはなにか」「部落をを名乗る-カムアウトすることの意味」といったことが議論になり始めてから気になっていたことが一つあります。それは「部落を名乗る」ことを肩を張らずにごく自然に、まるで当然の如くやってのけてしまっている「河原」の地域活動のことです。私はそれを語るには、先人たちに対しあまりも失礼で、生意気なことと思うのですが、そのことは現在の自分自身の学校現場での問題としても返ってくる重要なことなので、あえて書かせてもらいたと思います。
 ご承知のように「河原」は『かわらっ子』という通信紙を、市内はもとより、全国のあちこちに約800部発行しています。そして「河原」は、そこが同和地域と呼ばれる地域であることを、その『かわらっ子』の中でも明確にしながら(つまり宣言しながら)地域活動に取り組んでいます。また今回の『かわらっ子』の中には、河原の中学生会でこの正月に実施した「スキー合宿」の子どもたちの感想が、学年・名前入りで掲載されています。その前号には、小学生の文章がたくさん、もちろん名前入りで載せられています。しかも、写真付きで。
 よくよく考えてみればこれはスゴイことなのですが、「河原」にとってはこれはごく当たり前の自然なことであり、その記事を担当した加配教員自身も別に肩を張って構えながらやっているわけではありません。このように現在の「河原」は、ごく自然なこととして「部落を名乗る」ということをやってのけてしまっています。
 それは、これまで「河原」で地域活動に取り組んできた先人たちの多大な努力と、大変な営みの結果がそこにあるからですが、その河原のことを聞いた多くの人が、その結果だけを見て、それを「特別」なものとして棚上げにしてしまい「河原はそういうことを乗り越えてしまっているから」という一言で終わってしまっています。「すごいなぁ」「河原だからそんなことができるのだ」とするだけです。しかし、本当はそこのところで「対話」を終わらしてしまってはいけないのではないでしょうか。それがいったいどうしてできているのか、そこにどういった考え方があり、そこに関わった人間たちのどのような営みがあったのか、「河原」の地域活動については、すでに『こぺる』誌上で、また合評会の中でも話題とされていますから、そこのところに焦点を当ててあらためて捉え直してみれば、きっと新たな議論の展開が生まれる一つのきっかけにもなり得るのではないでしょうか。
 そして、逆に自分の側の問題としてそうできないのはいったいなぜなのか、そこにどういう現実や現場があるのか、むしろそこのところに着目して、その現状を交流する中でこの問題をちゃんと深く掘り下げて考えてみれば、今回の議論にもかみ合う共通の何かがきっとあるのではないかと私は思います。
 『こぺる』No.35の中で住田さんはこう書いておられました。

 私は小文のなかで、「部落を名乗る-カムアウトする」ことが今日の解放運動の課題でもある「両側から超える」営みを意義あらしめる不可欠な行為であると書いた。むろん、厳密に言えば部落を名乗るかどうかは個々人の自由選択に属する。しかし、私は混迷し見通しがきわめて悪い今日の部落差別をめぐる状況を見据えるとき、自らの意志によって部落出身者が一人でも多く部落を名乗る意義は大きいと考えている。

 このことはまちがってはいないと思いますが、そのことをすでに、またさりげなくやってのけてしまっているのが「河原」の地域活動です。しかも、間接的であるとはいえ、「個々人の自由選択」すら超えて、その子どもたちが自然に「部落を名乗る」ことになっているこの河原の活動とはいったい何なのか。河原の活動を「特別」な活動として終わらせてしまわないで、この議論の中の話題の一つにのせて、むしろそれができないこちら側の問題としてそれを現実の状況を交流しながら捉え直して考えてみれば、そこからきっと同じ土俵の上に立って議論のできる他の地域・他の現場にも共通した普遍的なテーマや問題が展望されるのではないかと思っています。私がそう考えるのは、実を言うとこのことが自分自身の問題として、自分の学校現場の問題としてもあるからです。
 今回の『かわらっ子』には、ズバリそのことに対する地域側からの問いかけが掲載されています。学校現場の教員はそれをしっかりと受けとめて、学校としてできること、できないことをあきらかにして整理しなくてはならないわけですが、残念なことに、この問いかけの持つ意味の大変な重要さにもほとんど気づかないような職員も多いのが今の学校現場の現実です。失礼ながらこのような状況は、合評会の場に参加されている人たちの周辺の現実ともそう変わらないのではないかと思うのですがどうでしょうか。  (京都 M.Tさん)

《 お知らせ 》
○『こぺる』合評会-2月24日(土)午後2時 京都府部落解放センター2階
          山城弘敬さん「ゆれ動く私を見つめる」
○『こぺる』講読者で3月期限切れの方、継続手続きをよろしくお願いします。

《 川向こうから 》
◆この冬の岐阜は大雪の到来で閉口しています。昔はテェ-ンを着けて走ったこともありますが、今はとてもとても。家にこもっております。トシですかね。

◆101号の本欄に「『転居先不明』で返送されてきた人の名前は絶対忘れない。恨み深いんです」と書いたら、「あれは私のことでは」とお便りをくださった方がおられます。購読料を送らないのに通信が届けられることが苦痛で転勤を機に、とお考えになったらしい。お気持がわからないではありませんけど、やはり転居通知は出してほしかった。

◆月刊誌『情況』1・2月合併号所収のすが秀実「『新日本文学会』を糾す」を一読、吹き出してしまいました。そこにはこう書かれています。「私は、京都で発行されている部落問題・差別問題をテーマとしている雑誌『こぺる』の編集長・藤田敬一(『「同和はこわい」考』阿吽社、の著者)から、七月末締切で、「部落解放同盟の綱領改正案について、自由な意見」の執筆を求められていた。それに対して、私は「綱領問題を直接云々するよりも、多方向の議論を継続していくことの方がより実践的」であるという立場から、「会館」使用拒否を「通告」して、議論を拒否するかのごとき対応を行った土方鉄氏の「スターリニスト文化官僚」ぶりを批判した文章を送った。土方氏のごときスターリニスト的対応がある限り、外部から解放同盟の「綱領を直接云々する」ことなど茶番である。それこそが「議論の前提」ではないかというのが、その骨子だ。ところが、この拙文を送るやいなや、藤田氏から、編集意図と違うから書き直せ(実質的にはボツ)という手紙が届いた。私は藤田氏の要請に従って「部落解放同盟の綱領改正案について、自由な意見」を書いただけだから、抗議文をファックスで送付し、書き直しは拒否した。/もちろん、藤田氏の対応は簡単に類推できる。藤田氏は土方氏と古くからの親密な関係にあるので、土方氏(土方氏は『「同和はこわい」考』で解放同盟の或る種のスターリニスト的体質を批判した藤田氏に加担した)もスターリニスト文化官僚であっては困るのであろう。しかし、藤田氏の今回の対応は、藤田氏もまたスターリニスト官僚の資質を充分に持っていることを証しているに過ぎない。ところで、藤田氏は、「会館」使用拒否も含めたこの問題について、土方氏と「謀議」をこらしたのであろうか。」困ったことをおっしゃるお人ですなあ。絓さんに原稿を依頼したこと、送られてきた原稿は綱領改正案に論及していないので書き直してほしいとお願いしたこと、絓さんから「書き直し要求、全く理不尽にて拒否します。この問題に関して、「こぺる」編集部も、断乎として、批判していく所存です。(追伸)なぜ、あなたの手紙が理不尽か、あなたには全くわからないのではないかと思い、追伸します。①「なぜ言いたくないか」は、文全体を読めば明らかである。議論の前提がそもそも出来ていないというのが、タイトルの含意に他ならない。②「解放同盟活動家を含む───多くの───」の部分、これについては、すでに公の論争がなされている。知らないのは貴兄の不勉強!!以上」との、書きなぐったファックスがわたしあてに届いたこと、これがすべてです。絓さんと新日本文学会および土方さんとのあいだになにがあったか、わたしの関知するところではありません。おそらく絓さんは「自由に書けと言うから自由に書いたのだ。文句あるか」といいたいのでしょうが、「綱領改正案について自由に書いてもらって結構」と申したのであって、編集意図からはずれた原稿の書き直しをお願いしたからといって、どうして「スターリニスト官僚の資質を充分に持っている」といわれなければならないのか理解に苦しみます。もっとも「スタ-リニスト官僚」を罵倒語として受け取る人はいまやほとんどいないでしょうが。「謀議云々」にいたっては笑止千万。絓さんの文章を読むと、仲間内の狭い世界にだけ通用する隠語を使ってやりあっていると、人間がいかに矮小わいしょうになるかがよくわかります。原稿の書き直しを求められて逆上するところなど、よっぱらっているとしか思えない。おたがい自戒したいものです。

◆本『通信』の連絡先は、〒501-11 岐阜市西改田字川向 藤田敬一 です。(複製歓迎)