|
||||||||||||||||
《 随感・随想 》
いま、部落解放運動のなにが問題なのか-雑誌『創』の匿名座談会を読む-③
|
||||||||||||||||
藤田 敬一
|
||||||||||||||||
1.
中央本部の提起する運動方針を基層の幹部が柳に風と聞き流しても、部落解放同盟が組織として存在しえていると言うのであれば、それはそれで貴重だという気がしないでもない。上部組織の決定・指導に下部組織が従うのは当然で、それに反する行動をとれば規律違反として処分するような「一枚岩の団結」「鉄の規律」を誇る、いわゆる民主集中制的組織よりはましだし、そこからもっと血の通った組織が生まれるかもしれないからだ。しかし、同盟の組織実態はそんなことを問題にしうるような状態ではないというのが、座談会出席者の考えらしい。Cさんはこう語る。
初期の運動というのがいつ頃のことを指すのか不明だが、差別に立ち向かうとき、政治思想や支持政党などお構いなし、差別への怒りからやみくもに行動してしまう人がいたことは確かである。みんな「勝手放題、言いたい放題やってた」とは思わないけれど、そこに自ずと自由な雰囲気が支配した反面、分散的だったことは間違いなく、その克服が全国大会で訴えられたことも一度や二度のことではない。人びとは、そうした自然発生的で分散無統一な動きをつなげ、いかにして部落解放を目指す単一の運動、組織につくり上げるか苦心してきた。理論や思想をともすれば敬遠しがちな人びとにもわかるように運動の目的と組織のありかたを説き、いろいろ批判はあるにしてもそれなりに自前の部落解放理論を組み立て、実践に役立つようにと練り上げてきた。 ところが、座談会出席者の語る今日の組織実態はどうか。
一部当たっているところもなくはないが、こうまで言われると、なんともやりきれない気分になる。これでは部落解放運動には思想性のかけらもないと受けとられてもしかたがない。第一、他の運動団体にたいして失礼である。 もちろん運動にしても組織にしても、基本となるべき集団の文化状況に規定されるから、「家の中行ったら天皇陛下の写真と日の丸があって、それで支部長やってる」人もおれば(108上)、「村から誰かが自民党から立候補となるとワッーとそちらに票が集中して、組織の推薦候補者が落ちるというようなことも出て」(106中)きてもおかしいとは思わない。わたし自身、1871年の「太政官布告」が出たのは明治天皇のおかげだと信じている人に出会ったことがあるし、被差別部落内部の人間関係に古いものが残されていることも知っているからだ。 しかし、1955年、組織的経験を積み理論武装をした活動家集団(部落解放全国委員会)ではなく、それこそ大衆団体(部落解放同盟)として再出発した部落解放運動は、さまざまな階層、多様な思想・信条を内部に含みつつ、あるいはそれを踏まえた上で部落差別と向き合い部落解放を目指すという一点で結集してきたはずである。上掲の発言を読むと、この原点が見失われているという印象を受ける。 部落解放運動および部落解放同盟はいま、その存在根拠が問われているというのが、8年らいのわたしの意見である。なんのための運動、なんのための組織なのか、自らに厳しく問うのでなければ、社会的信頼を一挙に失いかねない瀬戸際にあると、考えている。座談会出席者ほど揶揄的自嘲的にはなれないが、危機感は強い。それだからこそ、これまでの取り組み全般の再検討を求めてきたのだが、座談会出席者の話は表面的な現象の羅列に終始している。 事柄の本質は、ニンジンをぶら下げて組織拡大をはかり、教育が追いつかなかったことにあるのではない。日々の実践、取り組みが部落解放とどこでどうつながっているのか皆目わからないにもかかわらず、「部落解放」を掲げさえすれば、部落解放運動になっていると自らも信じ人にも信じ込ませてきたことが問題なのだ。組織の空洞化はその結果であって、原因ではない。そこのところが座談会では押さえられていないのはどうしたことか。
2.
たとえば、糾弾闘争である。Aさんは
と説明する。糾弾闘争が被差別部落民としての社会的立場を自覚する契機になったと述懐する人は多い。Aさんの話も同じだ。しかし、それはどうみても被差別部落民側からの物言いであって、糾弾される側および糾弾する者と糾弾される者との関係の問題はすっぽり抜け落ちている。もっと言えば糾弾は運動や組織を維持するための手段としてしか考えられていない。だから「現在の糾弾は手ぬるい」「こわくない糾弾会は意味がない」「講演会になっている」といった戦術的な話ばかりが語られるのである。唯一、Dさんだけが部落解放運動として糾弾闘争を再検討すべきだと間接的に述べているにすぎない。Dさんは、糾弾会によって部落民としてのアイデンティティーを確認することもはやできないと言いたいらしいのだが、相手にされていない。どうも座談会出席者には、糾弾闘争を思想的に総括しようとする視点がないようだ。 もっともBさんのように「糾弾は人間を変える」と言う人はいる。
立場の逆転が生み出す「快感」というのは誤解を招くから「解放感」と言いかえた方がいいとCさんは補足するが(114上)、心理のありようとしては同じだから、どちらでもいい。そんなことより「糾弾が人間を変える」という文言の方が大事である。Cさんも糾弾を通して「自分の尊厳に目覚める」「自分が変わっていく」と言う(114中)。 なるほど、日ごろ尊大ぶっている大会社の社長や部長、自治体の首長や局長、有名作家や著名な出版社の幹部などをいっときであろうと頭を下げさせ悄然とさせれば解放感にひたれるかもしれない。しかし、それは、特別な時空における「尊大なる者」と「卑小なる者」との立場の一時的な入れ替えにすぎない。その程度で「人間が変わった」と言えるだろうか。糾弾によって双方それぞれの人間が変わり、関係が変わるとしたら、それは普遍的な人間の問題としての差別問題と向き合い、それを通して交感・共感・同感し合う者としての「つながり」を確かなものにし、問題解決のために互いに努力する状態の中にしかない。状態の中にしかないものを運動の論理に従って固定化させようとするから、「ある種の取引」が生じるのである。
ここまであからさまに打ち明けられると、読む方が気恥ずかしくなってしまう。Bさんなんか調子に乗ってこんなことまで言っている。
企業も宗教団体もマスコミも将棋のコマなみに扱われている。共同闘争とか共闘関係といったうるわしい運動用語で飾られようと、要するに「持ちつ持たれつ」の世界の話でしかない。ここに示されているのは、糾弾闘争・共同闘争なるものの形骸化であり、腐敗である。糾弾は人間を変えると言う。人間のなにを変えてきたのか。人と人との関係をどのように変えてきたのか。もし変えたというのなら、人間をずるがしこくしただけではないのか。それなのに座談会は糾弾闘争の堅持を主張する。あきれてものが言えない。
3.
座談会は、書記長交代劇の裏話に打ち興じ、運動のダメさかげんをあげつらっているとしか、わたしには見えない。なによりも自らを問う姿勢がない。だから緊張感が感じられないのである。
『創』編集長の篠田博之さんから「今の体制になって解放同盟の基本方針は変わったんですか。変わったとしたら何が変わったんですか」と単刀直入にたずねられて、出席者は
と答えるだけである。同和事業の見直しをめぐる新旧方針の違いを「ものすごい」「ものすごい大きな」「ごっつい」と最大級の言葉で表現しているわりにはリアリティーがない。言葉が空回りしている。 新体制の方針にはあいまいな部分があり、1950年代いらいの行政闘争・同和事業路線の手直しによる単なるイメージチェンジに止まるのか、それとも基本路線の再検討にまで行き着くのか、いまのところ即断できないにしても、この方針の変更は、部落解放同盟の第一線にいるとおぼしき座談会出席者にとって、自らの発想、理論、思想の枠組みそのものを問う契機としてあるはずだ。ところが、出席者の多くは、そんなことは知らぬげである。それどころか、Aさんのように
と語る人もいる。「総体としては一緒だけれど、ぜんぜん意味あいが変わってきてる」などとわけのわからないことを言いつつ、差別糾弾闘争と同和事業の継続を主張する小森さんへの親近感を隠さない。小森さんへの親近感は、旧来の路線へのそれと重なっている。Aさんなどの発言を読んでいると、『こぺる』でわたしと対談した大賀さんほどにも運動や組織に危機感を持っていないように思われる。危機感がないところに自らの発想・理論・思想を再検討する必要性は自覚されるはずがない。基層の幹部たちが中央本部方針を柳に風と聞き流しているのは、彼らがこれまでの部落解放理論と戦術になじみ、思想的に怠惰になっているからではないか。 しかし、特別措置法下の運動はまもなく終わる。部落解放運動への追い風はやみ、そして逆風が吹くだろう。すでに各分野で後ずさりが始まっている。部落解放同盟の運動だけが部落解放運動だと思い込み、被差別部落民以外は差別者だと決めつけ、「足を踏んでいる者は、踏まれた者の痛みがわかるはずがない」と言いつのり、自治体職員や教員、企業や宗教団体の人びとなどを将棋のコマのように扱ってきたところでは、無惨な状況が現出するかもしれない。そうであってほしくないが、30数年前、朝田善之助さんが述懐したような「社会運動の孤児」的状況が再現されるかもしれない。声を張り上げても誰も振り向いてくれないような事態に陥るのではないかと、ふっと思うときがある。 運動と組織の実態を冷笑し、今日は今日の風が吹き、明日は明日の風が吹く、なにを思いわずらう必要があろうと開き直るのも、一つの生き方ではある。それならそれで、事あるごとに「水平社宣言」を持ち出して人を惑わしたりしない方がいい。部落解放同盟は全国水平社の歴史と伝統を受け継ぐ唯一の団体だと思っている人がいるからである。過去が現実を飾ることはどこにでもよくある話だが、フィクションはしょせんフィクションである。部落解放運動の現実のほころびは繕いようのないところまできている。この座談会はなんとも志の低い内容だったけれど、そのほころびを露悪的に示したものとして記録にとどめておく価値はある。(完)
《 各地からの便り 》
(前略)支部の話をついでにすれば、最近こんな状況になっています。それは対策事業に関することで、地元では当然各対策事業には所得制限がされています。教育奨励金(小学~大学)でいえば、だいたい年収800万円(夫婦)が限界となっています。(高校・大学では一応形式的には「貸与」制度になっていますが、「返還免除規定」を設けて、実質は「給付」となっています。)去年度までは何とかこれに該当するものはいなかったのですが、今年度になり支部長をはじめ3世帯が引っかかってしまったのです。支部長の家は夫婦とも公務員で、もう一世帯は夫のみ公務員、あと1世帯は自営業です。そこで、初めは支部長も「制限がある限り仕方ない」と言っていたのに、「何とかならんか」と言い出しました。それも行政の担当部署を飛ばして上司に直直談判したというのです。この上司は、担当部署に「教育奨励金事業に所得制限はなじまないと思う。その方向で考えてくれ」と指示したらしい。担当部署では、所得制限の撤廃もしくは制限額を上げることは無理との判断をしているようですが、どうなるかわかりません。
それに年収800万円という額が適正かどうかという問題もあります。7千5百円(3DK)の住宅に住んでいて、です。この家賃の問題もよく話題になっています。立地条件からいけば普通の賃貸住宅なら一桁違う家賃であって、私自身、人に公然と家賃の額をよう言えません。本来なら「自分たちもここまでこれた!」と喜んでいいのに、「あるものはもらわな損」という発想、「同じ支部員なのに対策を受けれる者と受けれない者ができると不平等になる」という訳のわからない「平等理論」がまかり通っているのです。最近の中央本部の方針など、ここではどこ吹く風であります。 (兵庫 M.Mさん)
コメント.
特権を求める人がいて、特権を認める人がいる。この特権構造に組み込まれている者はどちらも必ず人間的にダメになります。そんな人をたくさん見てきました。お便りに出てくる支部長なんて、どこかの幹部に比べたらかわいいもんです。だからと言って許せるわけではありませんがね。
《 お知らせ 》
□第24回『こぺる』合評会
7月22日(土)午後2 時 京都府部落解放センター2階 7・8月号の高木論文を中心に。高木さんも出席してくださいます。 □第12回部落問題全国交流会 8月26日(土)午後2時~27日(日)正午 京都・門徒会館(西本願寺北側) 報告者 石元 清英「同和事業は部落をどう変えたか」 藤田 敬一「同和事業は部落内外の関係をどう変えたか」 住田 一郎「解放教育の現状と課題」
《 川向こうから 》
○六月は猛烈な忙しさで、とうとうダウン。六日間ほど休養しました。こんなことは初めてです。いくら元気だといっても自重せんとあきませんな。
○部落解放同盟第52回全国大会での綱領改正案をめぐる論議は低調だったようです。基本法の方に気が向いているんでしょう。あんまり政治的術策をもてあそんでいるとヤケドしまっせと、わたしが忠告したってどうしようもありませんが。 ○3月で『こぺる』の会費が切れた方、至急購読継続の手続きをしてくださいませんか。まあ、お考えもあることでしょうから、無理にとは言いません。なお、これが、わたしからの最後のお願いです。 ○本『通信』の連絡先は、〒501-11 岐阜市西改田字川向 藤田敬一 です。(複製歓迎) |