同和はこわい考通信 No.87 1994.10.27. 発行者・藤田敬一

《 提言 》
個人の持てる力を基本にした運動を-部落解放運動の再生のために
山城 弘敬(三重)
 筒井問題を契機にして、「差別と表現の自由」という論点がクローズアップされてきました。いくつかのメディアが、この問題について取り上げましたが、どれもあまりおもしろいとは感じられず、納得できるものではありませんでした。(不勉強な私がすべての文章を読んだわけではありませんが)。むしろ、ある種のいらだちを感じざるをえませんでした。
 議論は、おおむね二つの異なる立場からなされていましたが、それらの立場があまりにも中途半端であったからではないかと思っています。すなわち、互いに相手の立場・存在と主張をある程度認めた姿勢を持ち、対立点を積極的に明らかにしようとする姿勢にかけていたと感じたからです。
 もっとも、これは、しかたのないことかもしれません。二つの立場(差別に反対するための立場と表現の自由を守る立場)に立つとして発言するほとんどの人は、相手の立場を認めるという姿勢をとっているものの、互いに白々しいものでしかないからです。「週刊文春」がいくら「反差別の運動を理解し、承認する」と前置きしても、どれほどそれを信じる人がいるでしょうか。まして、他の団体のまいたビラを受けとった人の鞄まで開けて回収するような団体に属する人が、「表現の自由を尊重する」などというのは、片腹痛いとしかいいようがありません。
 しかし、こうした議論を行わなくてはならない事情は、実際に存在するわけです。部落問題など、まったく意識しないで出版された書籍が、「部落差別だ」と指摘されることもあります。私の住む三重県では、どこをどう読んでも差別ではない図書が、県教委によって小中学校を通じて一般家庭から回収されるという事態が起こっています。このケースで、県教委は話し合いを申し入れた私たちに、しどろもどろの回答しかできませんでした。あげくのはては「差別図書と決めつけた覚えはない」などと責任回避に腐心する始末です。これでは、回収を命じられた出版社も、なぜ差別図書とされるのかすら理解不能であったと推測されます。
 何が差別として指摘され、絶版や回収という措置を要求されるのかわからないという現実の前では、差別だと指摘される可能性のある表現はすべて回避しようというのは当然の事態でしょう。指摘する側が、「表現の問題ではなく、差別の問題だ」といくら主張しても、指摘される側が表現の問題として受け止めてもやむをえないところがあるわけです。
 ここに存在する問題は二つあると思います。一つは、何が差別であるか具体的判断基準を示すことなく、ただ「差別はいけない」とオオム返しすることしか芸のない反差別運動の思想内容。これは、行政などによって進められている啓発活動についても、まったく同じことがいえます。もう一つは、納得もゆかないのに、絶版などの要求に応じる各出版社のふがいなさです。かりに「差別である」と理解したところで、絶版や回収という措置だけが問題解決の手段ではないはずです。実際に差別問題を正面からとらえようとするなら、もっと他の方法がいくらでもあります。表現の自由との関連でも、それによって成立している世界に住む以上、表現の自由を守ることと両立する方法を模索すべきでしょう。それを放棄してしまうからこそ、今日の泥沼状態が生まれてしまったのです。
 こうした状態をにらみながら、ここで一つの問題提起をしたいと思います。もっとも、これは今日の部落解放運動全体の持つ問題を打開しようという意味からの提案であって、出版をめぐる問題を解決しようという狭い意図からのものではありません。

提起
 公開の場でなされる部落差別に対しては、部落解放運動の組織として抗議・糾弾を行わない。

*「公開の場」とは、会議の席の発言や活字などのメディア、あるいは落書きなどを指します。
*「組織として」云々は、抗議すべきなら、これに代わって個人が抗議するという意味です。

 理由は以下の通りです。第一に、このような差別事件は、それによって差別が拡大されるものとは考えられないからです。これまで公開の場での差別は社会的影響力が大きいという理由で取り上げられてきました。しかし、社会的影響力なるものの厳密な査定がなされたという話を聞いたことがありません。部落差別を見聞きしたことによって新たに差別意識が拡大されるということになるでしょうか。これは相当疑わしいといわざるをえません。たとえば、「部落差別というのは、落書きなどを見ることによって生み出される」などと、誰が思っているでしょうか。社会的影響力を、明らかに過大評価しています。
 第二には、公開の場での言動は、その場か、その場と同等の場で、個人が反論できるはずだからです。できないとすれば、できるようにしていくのが、人権を掲げた運動の課題でしょう。(ついでにいうと、講演会や研修会などでは、部落問題での啓発活動が一方通行になっています。これは早急にあらためるべきでしょう。参加者と講師との関係だって、人と人との関係です。疑問を提出したり、批判をする権利が保障されるべきです。保障できないところで何をいっても、それはきれいごとでしかありません。)
 第三に、部落差別に反対する運動を、より多くの人々によって担ってもらおうということです。実際に、運動は今や部落民だけによって担われているわけではありません。まして、運動に直接参加していない人々にも大きな影響を与えているはずです。運動の成果に自信を持ち、誰もが知ることができるような差別事件は、それこそ<普通の人々>にバトンタッチすることを考える時期にきているのではないでしょうか。
 第四に、裏に潜り込んでしまった差別をもう一度明るいところに引き戻してみたいということです。「差別はいけない」ということを、「公開の場でしてはいけない」ということだと勘違いしている人がたくさんいます。結果として、非公開の場に移ってしまっただけです。裏であろうが、表であろうが、問題は同じことです。これでは、差別する人の意見を聴くことができません。聴かずして、どうして差別を理解することができるでしょうか。
 第五には、古い運動の主人公を、新しい運動の主人公に脱皮させたいからです。古い運動では、差別に対する批判を、組織や被差別という立場を背負ってしかできませんでした。これでは自分たちの貧困さをさらけ出しているだけです。もう少し成長してみなくてはなりません。
 第六に、運動=組織の役割を、個人を代行することから個人を育てることにシフトしてみたいからです。古い運動では、運動と組織を一体として理解し、それを第一に考えてきました。そして、組織に参加する個人を、隷属の対象として扱ってきたわけです。個人はあくまでも部分であって、独立した主体として認知されてこなかったのです。組織とは、自主性と主体性を持った個人の織りなす人間関係の形成物にほかなりません。組織を絶対化するのをやめ、個人を大切にする運動の方がずっと柔軟で大きな力となるでしょう。
 また結婚差別など組織や行政によっては解決不可能な問題(部落解放運動が直面しているもっとも深刻な事態は、その無力さを部落の中から見抜かれてしまっていることですが、結婚差別はそのさいたるものです)は、本来個人の力によって解決されるべきものです。個人の持つ力を育てることを古い運動では、事態の打開は望むべくもありません。
 第七には、差別する側・される側という自己限定を取り除き、差別に反対する一人として、人と人とのつながりを結びなおそうという意味です。差別に反対するのに、その理由や立場を問う必要はありません。信念の問題であろうと、好き嫌いの問題であろうと、差別に反対するのであれば、それは同じということで、運動を再構築することはできないでしょうか。理由を問い、立場を問うということの中に、立場による序列を正当化し、理由の一元化をもたらす運動が成立してきました。立場による序列化は、人が人に支配される関係の新たなる編成でしかありません。理由の一元化は思想統制であり、柔軟性の放棄でしかありません。その双方を克服する運動が求められているのです。
 第八には、そうした中で、今一度、自らが差別に反対する根拠を問い直すことができると思うからです。差別というそれ自体に否定の意味を含む言葉を使いなれてしまううちに、差別に反対する理由をどこかに忘れてしまっているということはないでしょうか。もう一度その理由を問い直すことは、差別を見据え直すことであると同時に、私たち自身をとらえ直すことでもあると思います。
 部落解放運動という言葉が、活発な大衆運動の代名詞であった時代がありました。それほど昔のことではありません。今はどうでしょう。活発なのは、その運動が作り出した様々な取り組みだけです。肝心の部落の運動は、運動としての機能をほとんど果たしていません。部落の外に対しても、中に対しても。
 行政の施策がいっさい打ち切られるなら、その瞬間、行政施策を実現させてきたはずの運動自体が崩壊してしまうでしょう。部落解放運動の空洞化、もしくはドーナツ化は確実に進行しています。そして、部落解放への具体的な展望だけでなく、抽象的展望すら見失いつつあります。部落差別をなくすことさえできぬものだという意識が確実に広がりつつあります。しかもそれが、運動の発展のバロメーターとされてきた、同和対策事業・社会啓発の拡大に比例しているわけです。何という皮肉なことでしょうか。
 こうした中でこそ、生み出すことのできた成果を生かしきり、同時におかしてきた過ちを精算するために求められているのは、大胆な総括であり、新たな運動に向けた転換とその準備でしょう。これは、私の夢想にすぎない提起です。私の提起をめぐっての論議を通じて、問題の整理ができたらと考えていますので、ぜひご意見、ご批判をお寄せください。

《 各地からの便り 》
その1.
 江原由美子先生の講演は、久し振りにドキドキする体験でした。大学時代に少々社会学を学び、フェミニズムの言説の一端に触れた者としては、日常生活の中で忘れがちになっていたことを思い出させていただいた貴重な二時間でした。
 私が江原先生の講演をお聴きして一番感じたのはカテゴリーとして扱われることのつらさです。先生は「女性は『女』を連帯のカテゴリーとせざるをえない状況がある。それは社会がそのように扱っているから生まれる状況であって、実体としてあるわけではない」というようなことを言われたと思います。私はあの席上で江原先生に質問するとき「教員です」と言いましたが、それはそう言わないと後の質問の内容が良くわかっていただけないと思ったからです。できることなら「教員」と言いたくなかった。それは初対面の場で既に「私=教員=教員の一般的イメージ」で括られてしまう恐れがあるからです。
 同様に女性はいつも「女」というイメージで括られてしまう、「私」として見てもらえない恐怖がつきまとっているのだということを強く感じました。この恐怖感は「女・子ども」を除いた「男」を常に「人間」という総称でカテゴリーとして括ってきた男性にわかってもらえるでしょうか。 それと、夜の懇親会で男性の友人に、私の質問の内容に対して、「あなたは女性だから、ひいき目で女性の方が優秀だと言うのではないか」と言われました。これは私の言葉足らずであったかもしれません。こう言い直します。「たとえ、ほぼ同じ程度の能力を持っているAさん(女性)とBさん(男性)がいたとしても、社会的にその能力が認められ、生かされる可能性は、Bさんの方が高い。」今、男女共学の中学高校では、おそらく生徒会長は男子の方が多いと思います。それはひとえに能力差によるものではなく、10年以上(おそらく学校教育の場においても)「女の子だから、あまり出しゃばらなくていい」「女の子だから男の子より控え目に」と(口に出しても出さなくても)言われ続けてきた結果だと思うのです。江原先生も少し触れられた、「女子学生の就職難」も、彼女たちが女であるという一点で、同程度、あるいはもっと無能な男子学生に能力を発揮する機会を奪われてしまうのです。しかし、これは本当は男子学生にとっても不幸なことではないでしょうか。 フェミニズムは、男嫌いの言説ではありません。女性解放は即ち男性解放でもあります。江原先生の講演の行間からは、男性へのエール・男性に差しのべられた手を読みとることができます。「俺は男だ。そして彼女は女だ!」と、男性が言うとき、彼は自分の弱さや女々しさ(!!)を押し殺してしまうのです。そして社会的に成功しなければという恐怖感がつきまといます。そうした生き方が果たして幸福と言えるのでしょうか。自分自身を抑圧してきているものの重さに気付かなくてはならないのは、本当は男性なのかもしれません。   (岐阜 T.Rさん)

その2.
 拙著を書くに当たっては、藤田さんの「同和はこわい考」並びに「『同和はこわい考』を読む」から、色々と勉強させて頂きましたので、藤田さんに拙著を読んで頂きうれしく思っております。ただ、御批判に納得しかねる点が幾つかあります。
 ぼくは、師岡氏の『読む』所収論文を、「明確」な批判と認めておりません。それは最終章で、氏の『部落解放論争史』のスタンスを批判した処とも関連いたします。また、拙論が「荒っぽい」との御指摘、甘んじて受けないわけでもありませんが、かつて「同和はこわい考」論争においては、藤田さん並びに師岡氏らの側に足りなかったのは、或る意味では「荒っぽさ」と言えるものではなかったのかと思います。拙著は、藤田さんの御主張の「想像力」なるものへの批判も含んでいるつもりです。とりあえず、御礼と当方の反論的コメントのみにて、失礼いたします。乱筆・乱文多謝。草々                (東京 絓 秀実さん)

コメント.
 お詫びが二つ。一つは、絓さんのお名前を間違えたこと。秀美ではなく秀実でした。もう一つは、師岡佑行「批判は妥当性をもつか-部落解放同盟中央本部『同和はこわい考』にたいする基本的見解をめぐって-」(旧『こぺる』No.122)は『同和はこわい考を読む』には収録されていませんでした。申し訳なし。絓さんのご意見については、あらためて考えてみたいと思います。

その3.
 先日、福岡で開かれた部落解放全国研究集会に出かけていきました。分科会での発言を聞いて、各府県連の“温度差”を強く感じました。大阪府連は、実態が大きく変化し、格差が目立たなくなったのにもかかわらず、差別はなくなっていない、だからこれまでの事業では解決できない問題が多く、基本法が必要だというのに対し、広島県連は、実態の変化は一部の地域のことで、まだまだ貧困、低位性は多くの部落でみられる、また未指定地区の問題もある、それゆえ、これまでの事業をさらに強化する意味で基本法は必要だ、という意見です。ともあれ部落の実態の変化によって新しい課題が提起されているのではないかという意見については、それは基本法制定に水をさすものだという批判が大勢を占めました。(大阪 I.Kさん)

コメント.
 全国研究集会に参加した他の人の話によれば、論議は噛み合わず、言い放しの演説会のような分科会もあったとか。すべてが部落解放基本法要求に帰着するというのではあまりにもわびしいけれど、部落解放運動の根本問題について、「歯に衣着せぬ」白熱の論争が起こりそうにないのは、なぜなんでしょう。

《 紹介 》
『こぺる』No.20(94/11)
 部落のいまを考える(14)
  近藤 祐昭:大学における同和教育から
 新しい差別論のための読書案内
  灘本 昌久:河合文化教育研究所編『上野千鶴子著「マザコン少年の末路」の記述をめぐって』
 第16回『こぺる』合評会から(住田 一郎)

《 案内 》
第17回『こぺる』合評会
 10月29日(土)午後2時 京都府部落解放センター2階
 山下 力「部落解放運動に、いま問われているものは」(10月号)について。話題提供者は筆者の山下さんです。ぜひお出かけ下さい。

《 川向こうから 》
★9月1日からはじまった校門付近での交通整理(主に許可証のない車の入構規制)はまだ続いています。おかげで早寝早起きの健康な生活に戻り、体調はすこぶるよろしい。それに、小さな赤い旗を持って整理に立っていると、いろんな場面に出くわして、考えさせられるんです。「なぜ教授が学生と同じように許可証を提示しなければならないのか」と、特権意識丸出しの発言をする人、「おまえらヒマやのう」とからかう人、「糞ババァ」と悪態をつく学生。こんな人びとを見ていると、大学の自治は内部からも崩壊していってるな、とつくづく感じる。自己責任と自己規律に裏づけされない自治の主張は、放恣・放埒の勧めにほかならぬと思ってしまう。こんなことをいうわたしは、やはり秩序派なんでしょうかね。ま、そんなことで多忙をきわめ、今号の発行が遅れてしまいました。
★9月14日より10月20日まで、京都(4),大阪(2),東京,岐阜の8人の方から計1万5889円の切手、カンパをいただきました。感謝します。なお、この間の主な出費は郵送費4万6640円でした。
★本『通信』の連絡先は〒501-11岐阜市西改田字川向 藤田敬一 です。(複製歓迎)