同和はこわい考通信 No.86 1994.9.17. 発行者・藤田敬一

《 紹介 》
『こぺる』No.19(94/10)
 部落のいまを考える(13)
  山下 力:部落解放運動に、いま問われているものは
 ひろば(14)
  梅谷 繁樹:廣澤隆之「仏教と平等・差別」への所感

《 案内 》
第16回『こぺる』合評会
 9月24日(土)午後2時 京都府部落解放センター2階
 大賀正行+藤田敬一「部落解放運動新時代の可能性」(8,9月号)について。
 話題提供者は藤田です。ぜひお出かけください。

《 各地からの便り 》
その1.
 通信No.85をお送りいただきまして、どうもありがとうございました。江原由美子さんの主張を中心にすえた内容でしたが、熊谷さんの解説の中で「差別とは何か」「差別はなぜ悪いのか」といった思考と論争の場を確保すること…とありましたが、これは意味のあることだと思いました。何事をおこなうにしても、基本や原点を忘れてはならないということで、行き詰まりを感じた時には出発点に帰ることも必要でしょうね。『こぺる』No.17での先生と大賀さんの討論を拝読しても感じた印象です。   (兵庫 K.Yさん)

コメント.
 原点とか出発点に戻るには、第一に、現在の取り組みが行き詰まっていることの自覚がなければなりません。ところが、どうも活動家の多くは、自分たちの運動が行き詰まっているとは感じていないらしい。それはそうでしょう、集会を開けば人が集まり、演説をすれば一応聞いてくれる人がいるのですから。「部落解放運動が行き詰まっているなんていう奴は誰だ!」という人がいても不思議ではない。第二に、勇気がいる。使い慣れた言葉、発想、理論、思想をあらためて問い直す勇気がいる。しかし、まわりを見まわしても、そんな勇気のある人はほんとに少ない。なぜなんでしょうか。運動や組織というのは保守的なもので、使う言葉は勇ましいけれど、自分自身を変えることには怠惰だからだと、わたしはにらんでいます。

その2.
 《…便り》《…読む》などもりだくさんの「通信」、さっそく読ませて貰いました。「こぺる」の対談も含め、少なくとも兄の周辺では何かが確かに変化し定着しつつあるとの印象ことさら強く、その手応えは充分に感じていることと推察、木曽三川の湿った空気の暑さもものかわ奮闘する兄の意気込みもむべなるかなとは、門外漢のひとりよがりな感想であります。
   (京都 T.Iさん)

コメント.
 何かが変わりつつあることはまちがいありません。自治体の職員、学校の教員、企業や宗教関係で啓発の仕事にかかわっている人、市民運動の活動家のなかに共感を表明してくださる方がいて、逆に励まされています。ただ部落解放運動の指導者、活動家のあいだには、いわゆる朝田さんの三つの命題(差別の本質論、部落差別の社会的存在意義論、社会意識としての差別観念論)にもとづく考え方が根強く、広島の小森龍邦さんも最近出した小冊子で三つの命題を今日もなお有効な理論として称揚していますが、同和対策事業に固執する人ほど、わたしへの反発が強いというのはおもしろい現象です。運動の場でわたしの意見が公然と議論の対象になるにはまだ時間がかかるということでしょう。ま、焦らずにやります。

その3.
 「こぺる」の対談、たいそう興味をもって読みました。とにかくじつによく分かる対談でした。おふたりがよほど論点のかみあった議論を明快な論理でしたからか、編集がよほどうまいのか、そしてその双方のゆえかと。ただ、他の記事がすべて割愛されたのは寂しかった。
   (東京 K.Rさん)

その4.
 対談、おもしろく読ませてもらいました。てらいのなさと率直さに共感、60歳引退の説に意外感・爽快感などこもごも…。余談ながらお二人の姿勢の風通しのよさに感服しつつ、革命家に定年なしとの某「革新」政党名誉議長さんの信条?を思いうかべ、生涯無名一活動家に徹した場合はともかく、有名にして権力の頂点を極めた人物に定年も引退もないというのは困ったことであります。(京都 S.Yさん)

その5.
 「両側から超える」との理論、至極納得。「資格・立場の固定化」は解放の弊害となり得ても、大きく前進させる原動力には決してなり得ないと私も思います。第一、取付くしまがない。そこに共感は生まれない。先生の考え方の一層の浸透、定着を期待するものであります。ところで交流会では、啓発に取り組む一個人の立場からすれば、「なぜ未だに心理的差別が横行するのか」との疑問に対する、より具体的な啓発姿勢(何をどう啓発すればよいのか)を教えていただければとの思いはありました(勿論、運動論の議論の場で、そんな枝葉、あるいは場違いなことは無理かなとは思いますが)。それと関連していうと、先生が『こぺる』で「啓発・教育によって心理的差別は解消するか」と大賀氏に質問されたことは、裏を返せば、同盟の運動に問題はありませんかと投げかけたようにも受け取れます。それで返答がなかったのかも。
   (愛知 M.Jさん)

コメント.
 部落問題全国交流会にはじめて参加された方からのお便りです。交流会では、運動論だけはなく、啓発・教育についても大いに議論したい。もし啓発・教育の問題を出しにくい雰囲気があったとすれば改める必要がありますね。もっと参加者が発言できる機会を増やすべきだとの提言も届いています。交流会のありかたそのものについて再考すべき段階にきているのかもしれない。夜の懇親会だけでも意味があるというのではあまりにも寂しい。

その6.
 通信有難うございました。記録に立ち合ってやろうなどと思いつつすごしていました。「めくら」というは、よくできた言葉だと思います。「めしい」は眼病すべてを表わす語ですが、これは、見えにくさの度合いを含みつつ状態を表わします。「くら」は「暗」で、真っ暗とはかぎりません。老眼を「目暗うて絵よまず」(紫式部日記)と書いています。事実を表わす語としてこういう言葉を使ってみたいと思います。   (愛知 T.Kさん)

《 採録 》①
花崎 皋平『アイデンティティと共生の哲学』(筑摩書房、93/5)
 人間は、心理的・精神的に「こわれもの」であり、とくに心が柔らかいうちに受けた傷は一生のこる。その人間の「傷つきやすさ」についての配慮と考察が、「差別」を考えるうえでは不可欠である。差別する側に位置する者は、そもそもそのことに対する鈍感さを共有している。鈍感でいられるよう条件づけられているという自覚が出発点として必要である。そういう私の見地からすると、柴谷(篤弘-藤田補注)の『反差別論』には、人間論、とくにその実存の諸相からの人間論を補う必要がある。(中略)
 そして、差別がひきおこすなま身の人間へのとりかえしのつかない加害性、とくに精神に対する障害の犯罪性を、もっともっと重要視しなければならないと思うようになった。だから私としては、最近いわれだしてきている「差別を『両側から』越える」という問題提起(柴谷も賛成している)に、危惧をおぼえてただちには同意できないのである。(中略)
 (前略)私が示したい点は、差別-被差別の関係が、なま身の人間の精神に加える傷についてである。それぞれ人によって、それはさまざまでありえよう。しかし、その傷はけっして一過性のものではなく、一生をつうじて消えることのない傷になることがしばしばある。その場合には、それはもはや元どうりにはなおらない障害となる。ある人びとが、その傷を意識化し、解放運動や宗教的救済の教えによって相対化し、受け身の呪縛から脱する事実があるからといって、それをすべての被差別者にもとめたり、あてはめたりすることはできない。むしろ、加害-被害の関係の精神的架橋は、加害側の謝罪と被害を受けた側の宥しにおいて──それも一回限りではなく、事あるごとに架橋し直す努力において──はじめて可能であるという、人の心に対する障害へのおそれの気持が必要ではなかろうか。(189~190 頁)

コメント.
 人間は「こわれもの」であるというのは正しい。花崎さんはそこから「加害-被害の関係の精神的架橋は、加害側の謝罪と被害を受けた側のゆるしにおいて──それも一回限りではなく、事あるごとに架橋し直す努力において──はじめて可能である」と主張する。しかし、人間がおのれを「こわれもの」だとを主張することによって自己正当化することも大いにありうるし、「被差別の立場にいる」とされる人も他者の苦しみ、悲しみ、憂さ、辛さに鈍感でありうるというのが、「人間の実存の諸相」でしょう。花崎さんのいう「事あるごとの謝罪と宥し」は、「差別者としての自覚」と同様、信仰の世界でのみ可能な姿勢だと、わたしには思われます。
 なお、「『差別』を両側から越えるという問題提起」とは、たぶんわたしの意見を指すのでしょうが、わたしはそんなことはいっていない。『こわい考』を読んでもらえばわかるように、部落解放運動を差別-被差別関係総体の止揚にむけた共同の営みにすべく、差別する側・差別される側という両側なるものの間にある溝・壁を両側から超える必要があるといっているのです。だいたい「差別を両側から越える」なんて、意味不明です。

《 採録 》②
阿部 謹也「日本に西洋型『社会』は存在するか」
   (『殺し合いが「市民」を生んだ』光文社、94/1所収)
 (前略)私はかねてから、なぜ被差別部落というものがあるのか、いろいろ勉強してきました。ヨーロッパの被差別民と日本の被差別部落との関係についても議論してきました。そのなかで私は、これは差別する側と差別される側の関係ではないんじゃないかと思いつつあって、そのことをあちこちに書いています。書いているんですが、ほとんど反応がありません。
 従来の被差別部落の側の反応というのは、もっとも良質だと思える人びとですら、部落外の人間にわれわれの気持ちがわかるはずがない、というものです。したがって、彼らがやる運動には限界がある。これは世間と同じなんですね。前川む一という人も、解放同盟に批判的な立場からではありますが、同じようなことを言っています。
 これに対して『同和はこわい考』(阿吽社)を書いた藤田敬一という人は、すごく反発しています。親しい関係で議論しあっているのに、そういうことはないはずだ、われわれでもわかるはずだと主張しています。/私は、そこには議論が一つ欠けていると思うんです。
 つまり、日本社会は被差別部落をも含んだ世間という重層的な差別構造のなかにあるのであって「被差別部落」対「そうでない社会」という発想そのものにまちがいがあると。被差別部落は、そのなかで歴史的にいちばん重みを持ってはいるけれども、しかしいまは他の差別と同じような次元に立ち至っていて、日本社会の差別的・排他的構造のなかに位置づけられているにすぎない。したがって、被差別部落の問題を扱おうとすれば、日本人が結んでいる世間という差別的構造を分析する意外にはない。/これが私の基本的考え方です。/こういう考え方に立ちますと、被差別部落の差別と言うものが相対化され、差別は至るところにあるということになってしまいます。だから、解放同盟、あるいはその他の研究所も含めてですが、賛意を示さないんだろうと思います。にもかかわらず、私はやはりそういう考え方しかありえないんじゃないかと考えているわけです。(90~92頁)

コメント.
 栗本慎一郎さんが学長を勤める自由大学での講義の一部です。阿部さんは、これまでの差別論に満足せず、個人と社会のあいだにみられる、長幼の序、贈与・互酬の論理が働く世間という準拠集団の根強い存在に、排除と差別の根拠を認めようとする。だから、「ケガレ」も「『世間に入れない』という烙印を押された人たちにつける共通の名前」だとされる。なかなか興味深い社会学的差別論です。ただ、要約されたわたしの意見については、少し違うという印象を抱きます。講義だから仕方がないのかもしれませんが。
 なお、この論文は東日本部落解放研究所総会でなされた講演録「『世間』と日本人の心的構造-新しい差別論のために」(東京部落解放研究所編『解放研究』第7号、94/3所収)とほぼ同じ内容ですが、ここに採録した、前川さんやわたしの意見に関する部分は後者には載っていません。また、「例を挙げるといろいろ差し障りがありますが」とも語っておられて(前掲『解放研究』20頁)、阿部さん自身「世間」から自由ではないのだなと思わずニヤッとしてしまいました。これは蛇足。

《 採録 》③
 すが 秀美『「超」言葉狩り宣言』(太田出版、94/8)
 藤田敬一著『同和はこわい考』(阿吽社刊・87年6月20日刊)は、解放同盟の内部も含めて、賛否両論の広範な論議を呼んだ。解同内で批判的な意見を最も積極的に発表したのは、中央本部書記長(当時)の小森であった。その論争内容に詳しく触れている余裕はないが(本書第四章は、この論議をも踏まえて書かれている)、ここで問題なのは、論争の継続時に、解同中央本部が「『同和はこわい考』にたいする基本的見解──権力と対決しているとき──これが味方の論理か」(87年12月21日)を発表したことである。これが、部落問題に対する真摯で自由な論争に対する弾圧的な行為であることは言うまでもない。そのことを明確に批判したのは「部落解放を『国民的課題』にする一つの有力有効不可欠な道」(『朝日ジャーナル』88年8月5日号)の大西巨人のみであった。この解同中央本部「見解」に小森龍邦の意向が大きく反映されていたことは、周知の事実である。そして、さらに問題なのは、小森はこの行為に対して、解同書記長を「解任」された現在も、いまだに何の見解も発表せず、差別問題の議論があたかも自由になされうる(なされねばならない)かのごとき「朝まで生テレビ」的パフォーマンスを、あちこちで行っているということである。小林(よしのり。漫画家、『ゴーマニズム宣言』の著者──藤田補注)が抱いた小森のイメージは、このパフォーマンスによってのみ作られたものにほかなるまい。(79~80頁。中略)
解放同盟に対する批判は──とりわけ国民的な「マス・メディア」では──いまだに不可能のように見えます。部落解放同盟に対する批判は政党・党派政治や行政「闘争」に規定されたレヴェルでは存在してきたものの、思想とか文学といったレヴェルでは全くと言っていいほどなされてきていません。しかし、筒井康隆問題に端を発した今日の「差別」論議のなかで、改めて、“同和はこわい”(注100)といったホンネ主義的言説が公然と語られているのであれば、われわれはそのような下劣なホンネ主義を斥けるためにも、反差別闘争の中心を担ってきた解放同盟のありかたを批判しておく必要があると思います。かつての“『同和はこわい考』論争”で明らかになりながらも、うやむやのまま解決を見ないままだったことは、“同和はこわい”という下卑たホンネを誘発するのに、解同指導部も確かに責任があったということですが、その責任を解同は決して認めようとしなかったのです。そのことのツケが、今日の筒井問題において露呈していると言ってもよいでしょう。

注100…藤田敬一著『同和はこわい考』(阿吽社、1987年)は、部落解放運動にかかわっている著者が“同和はこわい”という風潮の原因は、被差別者にも遠因があるのではないかと提起し、話題を呼んだ。これにたいして、解放同盟は中央本部見解として、「国家権力との対決の時期」に、「味方の発言として評価できない」とした。つまり、藤田の著書は客観的に通敵行為だ、というわけである。藤田批判の先頭に立ったのが、小森龍邦書記長(当時)である。これに対して、大西巨人は、藤田の著書は、「部落解放を『国民的課題』にする一つの有力有効不可欠な」道を指し示しているとした(「朝日ジャーナル」88年8月5日号)(絓)。(135頁)

コメント.
 すが 秀美さんは、上掲書の著者紹介によれば、1949年、新潟県生まれの文芸評論家。絓さんは小森龍邦批判の文脈でわたしを引き合いに出してくださったわけですが、どうも話の進め方が荒っぽくて、粗い。部落解放同盟中央本部の例の基本的見解が、「部落問題に対する真摯で自由な論争に対する弾圧的な行為である」といえなくもないけれど、見解が出たからといってシュンとしたわけでもなく、その後も論議は続いているのであって、「うやむやのまま解決を見ないままだった」と結論づけられると困ってしまう。また、中央本部見解を明確に批判したのは大西巨人のみであったというのも正確ではない。おそらく絓さんは、師岡佑行「批判は妥当性をもつか──部落解放同盟中央本部『同和はこわい考』にたいする基本的見解をめぐって──」(旧『こぺる』No.122,88/4.いま『同和はこわい考を読む』阿吽社、所収)をみていないのでしょう。「差別(表現)批判が、これまで以上に自由かつ闊達に行われることを願」い、「部落解放同盟(とりわけ、その指導部)が徹底的な自己検証・自己批判ののち、改めて反差別運動に邁進されることを望む」というのなら(2~3頁)、もう少しこまやかな目配りがほしい。

《 川向こうから 》
★夏休み終了直前に風邪をひき、おかげで交流会には絶不調で参加する仕儀とあいなりました。加えて飼い猫に噛まれた手の傷が化膿するというおまけつき。なんとも冴えない話でして。ところが9月1日から始まった大学入り口前の早朝交通整理で次第に体調がよくなったから不思議です。もっとも工学部のある教授から「管理大好きのバカおじさん」と罵られていますがね。ワッハッハ。
★最近読んだ本のことなど───楊 威理『豚と対話ができたころ──文革から天安門事件へ』(岩波同時代ライブラリーNo.110,94/7) 。文化大革命期の知識人に関するものを読むたびに、当時盛んにいわれた出身階級決定論(一種の血統論)が部落解放運動における差別-被差別論と、「労農大衆に学べ」が「部落大衆に学べ」と二重写しになってしまう。わたしは71年5月、北京郊外の五七幹部学校を訪問して大変感銘を受けたのだった。それだけに、楊 絳『幹校六記──<文化大革命>下の知識人』(みすず書房)やこの本は、わたしのダメさかげんを告発しているように思えてならない。
★8月12日より9月14日まで、岐阜(3),京都,福岡,東京,愛知の7人の方から計6万7,000円の切手、カンパをいただきました。ほんとにありがとうございます。なお、この間の主な出費は郵送費4万2,930円、セロテープ他1,030円でした。本『通信』の連絡先は、〒501-11 岐阜市西改田字川向 藤田敬一 です。市外局番と市内局番が変わりました。(複製歓迎)