同和はこわい考通信 No.84 1994.7.16. 発行者・藤田敬一

《 案内 》
第15回『こぺる』合評会
 7月23日(土)午後2時 京都府部落解放センター2階(電話075-415-1030)
 *7月号の小林丈広「『特殊部落』とはなにか-近代部落史の一視点」について報告と討論を行います。

第11回部落問題全国交流会「人間と差別をめぐって」
 日 時:8月27日(土)午後2時~28日(日)正午
 場 所:本願寺門徒会館(西本願寺北側 電話075-361-4436)
 講 演:江原 由美子(東京都立大学)「差異と差別」
 申込み:〒602 京都市上京区寺町今出川上る4丁目鶴山町14 阿吽社(TEL075-256-1364,FAX 075-211-4870)まで、葉書か封書またはファックスで住所・氏名(フリガナ付)・電話・宿泊の有無を書いて、申し込んでください。申し込み先が変更されました。お間違いなきよう。
   締切り:8月10日(水)

《 紹介 》
『こぺる』No.17(94/8)
 部落のいまを考える(12)
  大賀 正行+藤田 敬一:対談 部落解放運動新時代の可能性(上)
 第14回『こぺる』合評会から(藤田 敬一)

《 随感・随想 》
個人とシステムとフェミニズム
恩智 理(大阪)
1.
 以前、私は不意に思い立って、漢文の勉強をしていたことがあります。岩波全書の『漢文入門』を買いこんで、最初からしこしこと読んでいったわけです。この入門書には、中国唐の文人・韓愈かんゆ(776-824)の散文がずいぶん多く採られていました。対句表現を多く用いたそれまでのいわゆる「四六駢驪しろくべんれい体」から脱却し、新しい文体である「古文」を創始した韓愈は、以降清代に至るまで、その文章は模範と仰がれました。この本の編者も、そこのところを十分承知の上だったからこそ、多くの文章を採用したのでしょう。
 ただ、そんなことは私にとってはまったくどうでも良いのです。私としては彼の文章のいくつかに強く動かされたと言っておけば足ります。その一つが、「蘭田県丞廰壁の記」という文章でした。最近、機会があって読み返し、私はまた強く動かされました。まずこの文章について少々書いてみたいと思います。
 簡単に言ってしまうと、これは夢に破れた理想家の話です。その名は、崔斯立さいしりつ、博陵というところの出身です。彼は若い頃から学問に励み、進士や博学宏詞科(今で言うなら国家公務員の上級試験)にもパスし、その将来を嘱望されていました。ところが、お上の政治を批判したのが咎められて左遷されてしまいます。そうしてなったのが蘭田県という地方の丞。丞とは中間管理職です。上にいるのが令。下が主簿と尉。上のものの顔色を窺いながら、下のものを動かしていかなければなりません。しかし実情は、どちらかと言うとなめられがちな役目。それでも崔先生、最初は仲々けなげです。どんな官でも低すぎるということはない。ただ自分の能力がこの職責を果たすのに足るまいと恐れるのだ、などと殊勝なことを言っています。ところが、いよいよ赴任してみると、なんとも口の出しようがなく、折角の才能も施しようがありません。「丞なるかな、丞なるかな。余は丞にそむかず、しこうして丞は余に負けり」と嘆いた彼は、人の目につく角を根こそぎなくしてしまって、しきたり通りするようになり、自分の誇りも棄て、人並みにふるまうようになりました。今では勤務時間中も詩文を詠みながら庭を散歩している始末。訪ねてくるものがあっても、彼は言います、「はまさに公事あり、しばらく去れ」、今ちょうど仕事中だ。じゃましないでくれ。───崔斯立は韓愈の弟子だったそうです。一体どういう想いで韓愈はこの文章を書いたのでしょう。
 韓愈には次のような言葉もあります。「世に伯楽有りて、然る後千里の馬有り。千里の馬は常に有れども、伯楽は常には有らず」(「雑説」)。即ち、千里を走ることもできる馬はそこら中にいるのだが、それを育てる名伯楽がいないばかりに、多くの馬は自分の才能を発揮することなく無駄死にしていく、と言うのです。
 韓愈の生きた時代には、科挙制(官吏登用制度)がすでに始まり、人材登用システムは整いつつありました。韓愈自身、崔斯立と同じく進士の試験に通っています。しかし、その一方では六朝時代の貴族制度も根強く残っており、科挙によって登用された優秀な官僚たちも、十分力を発揮することができませんでした。韓愈のまわりには崔斯立のような人物が山ほどいたにちがいありません。有為の人物が埋もれていくのを目の当たりにしながら、自分自身それをどうすることもできない。せめてこういう人間が世の中に存在したことを伝えることによって、韓愈は崔斯立の、そして自分の気持ちをひそかに救いたかったのではないか。私にはそんな風に思われてならないのです。
 もちろん教科書的に言うなら、宋代に入って科挙制は完成したわけですから、韓愈の嘆きもそこで終わったと考えて良いのかもしれません。しかし私には必ずしもそうだとは思われない。システムがたとえ改善されたといっても、それが完璧であるはずがないし、また、そのシステムを運用する人間次第で細かい匙かげんはどうにでも変わってきます。要するに、崔斯立のような不遇の人、失意の人は、宋代以降も絶えなかったのではないか。現に中国の文人は、そういう人間のことばかり書き続けてきたという気すらします(帰有光の散文を想い出してください)。その流れは遠く魯迅にまで及んでいるのかしれない。───そもそも私がこの文章を読んで動かされているということ自体、この文章の扱う問題が現在でも古くなっていないことの証左ではないのか。私にはそんな風に思われます。
 何もシステムを改善することが一切無意味だなどと言いたいのではありません。システムを改善することによって、救われることも確実にある。しかし、そのシステムと言えどもまさか万能ではないだろう。どんなにシステムをいじくりまわしたところで、人間にはそのシステムから言わばはみ出した部分があるのではないでしょうか。従って、今後どんなユートピアが生まれようと、やはり崔斯立のような人物、「間抜けな理想家」とでも言えばいいのでしようか、そういう人物は、決してなくならないのではないか。───私はそういう風に考えますが、どうでしょうか。

2.
 前置きが長くなってしまいました。私はフェミニズムについて書こうとしていたのです。正直言って、私はこれまでフェミニズムに対しては、不信の念を隠せませんでした(より正確には、一切の革命思想・進歩主義思想に対して、と言うべきかもしれません)。なぜなら私の見るかぎり、フェミニストたちはシステムの中に個人を解消しうるかのように常々語ってきたからです。───即ち、人間にはシステムからはみ出た部分など全くないかのように彼らが語ってきたからです。
 現代社会に存在する様々な男女差別の問題は、システム(意識のシステムも含みます)を改善することによって一切解決されてしまう(逆に言うと、システムが改善されぬかぎり絶対に解決されえない)。そしてそのシステムの改善後は、男女間の問題はまったく起こりえない。───単純化している嫌いはあるかもしれませんが、彼らはそんな風に考えていはしませんか。私にはしかしこんなこと信じられません。男女間の問題って、そんなに簡単なものでしょうか。インテリが机上の空論をたくましくしただけで、あっけなく解決されてしまうようなものでしょうか。
 そもそも、たとえシステムが今後彼らの主張するような形で改善されるとしても、そのシステムが改善されるときまで私たちはいったい何をしていたらいいのか。フェミニストたちの論理で言うと、新しいシステムが成立するまでは男女間の関係は全て歪んだものでしかない。論理的には、男女関係を成り立たせることは、旧来のシステムの歪みを補強することにしかならない。従って、男女交際している人間は、常に「こんなじゃ、ほんとはいけないのだけれども」という良心の呵責にさいなまれてつづけることになる。その不自然さに堪えかねて、一切禁欲しようとする馬鹿が出てくる可能性もある。もちろん、更に大きな不自然に直面するだけの話なのだが。───これが果たして「人間解放の思想」なのでしょうか。人間は解放されるために、このような不自然さまで堪え忍んでいかなければなせないのか。私にはどうしても分かりません。
 また、女性をより良く理解しようと、フェミニストたちの言うことを真面目に聴いたとしても、女性とつき合う場合の実際的な助けにはこれが全くならないのです。それも確かに無理はない。「男女関係は一切差別的である」と言われて、緊張しない男などいない。「すみません、私は男です。堪忍してやってください」という気持ちがやはりどうしてもしてくる。───簡単に言うと、遠慮がちになる。しかし女の子はただ楽しむために来ているんだから、そんなこちらの態度はむしろ苛立たしいものに映る。そして女のそういう気持ちは、自分の一人いい気になっている男の方には伝わらない。
 しかしこんなことを書いているとまた、「お前さんのそんな個人的な問題にまで、私たちは付き合っていられないのだ」などといって怒られそうです。そうなると、もう私としても、「何を言ってもだめなのかいな」という気持ちになってくる。だからこそ、吉澤夏子さんの本の中に、次のように言葉を見つけたとき、私は少しは救われたような気持ちになったのです。

性関係がことごとく性差別であるという現実を生きることはほとんど想像を絶するとは言えないだろうか。(『フェミニズムの困難』勁草書房、91頁)

吉澤さんの言っていることは簡単なのです。つまり、今日においても、男女間の関係は可能なのだ、と。───実際上の人間関係に重きを置かないように見えるフェミニストたちが多い中、こういう発言は貴重と言うほかありません。ではなぜフェミニストたちは、普通の人間関係を軽んじる嫌いがあるのか。もしかしたらフェミニストたちはどこかで「有能でありさえすれば、人間は何をやっても良い」と簡単に考えているのではないでしょうか。
 確かに近代社会が成立して以来、私たちは、出自によらず個人の能力に応じて人間を評価しようとずっと試みてきました。もちろん、この大前提も十分徹底されてきたとは言えないところがあり、その部分が例えばフェミニストたちによっても批判されてきました。女性はたとえ能力があっても、それを十分評価されない。これは間違っているのではないだろうか、と。
 そこまでは私にも分からないではないが、ここで難しい問題が出てくる。即ち、では能力のある個人は他人のことなど配慮せず、全く好き勝手なことをして良いのかどうか、ということです。───ここでは道徳的にどうこうというようなことは言いたくない。話がややこしくなりすぎますから。ただ、仕事をやっていくという面に敢えて問題を限定したいと思います。
 事は非常に単純です。例えば能力的には非常にすぐれていても、他人に対する対応が横柄としか言えぬような人は、他人から信頼されるでしょうか。他人からの無償の協力が果たして期待できるでしょうか。───期待できるはずがありません。そうするとそんな人は自ら自分にできる仕事の範囲を狭めていることになりはしないか。一人でできる仕事など、この近代社会においても、たかがしれているのですから。ですから、この近代社会においても、人と人との個人的関係というものは、全く捨象するわけにはいかないのです。言い換えるなら、この近代社会というシステムと言えども、システム外の要素によって左右されるところが確実に存在する訳です。

3.
 フェミニズムはこの点に十分注意をしてきたでしょうか。制度面の問題にばかりとらわれているところはなかったでしょうか。───再び吉澤さんに聴いてみましょう。

われわれは、すれちがう道行く人々と、法律的な権利において、また経済的な権利において平等であるだろう。しかしわれわれは、一人の男性と、あるいは一人の女性と個人的に向き合っているとき、このような道行く顔も名も知らない人々とわれわれが平等である、ということとまったく同じ意味での平等を、その男性に、その女性に求めているのであろうか。ラディカル・フェミニズムは「個人的なことは政治的なことである」と主張してきた。ラディカル・フェミニズムは、いわば見知らぬ人々との間で成立する平等と、まったく同じ意味での平等を、個人的・私的な関係性にまで浸透させようとしたのだ。確かに、われわれの個人的・私的な男性と女性の関係性のすみずみにまで、政治的な関係が貫いている、という事実認識は、ある意味では正しい。(中略)しかしまた、もしわれわれが人生の経験の意味に少しでも触れるような瞬間があるとすれば、それはこのきわめて個人的・私的な関係の内部にこそあり、またそこにしかない、ともいえるのではないだろうか。(同上書、105 頁)

この吉澤さんの姿勢に私は強い共感を覚えます。
 しかし、ここで、私たちはこの矛盾を残した社会において、一体どのようにして自由を得られるのか、という問題が出てきます。私は、この文章の中で、どんな社会と言えども一切の矛盾や欠点から逃れられるものではないという風に考えてきました。社会のシステムと言っても、それは人間が造るものであり、そして人間の造るものに完璧にものなどありませんから、この社会のシステムも完璧なものにはなりえません。言わば私たちは永遠に不完全なシステムの下で呻吟し続けなければならないのです。───確かにこれはベシミスティックな考え方かもしれません。私たちの自由になる部分など、これではほとんど存在しないかのようにも思われます。私たちは絶望するしかないのでしょうか。───もう一度吉澤さんの本から引用します。

誰も「差異の構図」の外に立つことはできない。しかし、誰でも「『差異の構図』の外に立つことはできない」ということを知ることはできるのである。  (同上書、192 頁)

私たちは認識の力によって、たとえ不自由な境遇においても、自由になりうるのではないか。そしてこの認識の力は誰にでも与えられていますから、この自由の問題に関しては、男性も女性も全くない。親がどんな人間であろうと関係ない。───吉澤さんはそんな風に語っておられるかのようです。味わってみるべき言葉ではないでしょうか。
 最後に、吉澤さんはご自分で、ルーマン、ギデンスという社会学者の理論によるところが大きいと明記しておられますが、その二人の理論の簡単な内容を、吉澤さんの本に沿って紹介しておきましょう。
 ルーマンは「自己指示的社会理論」を唱えていて、その内容は、「主体としての私が、客体としての世界を対象化する、といういわゆる主-客図式で、世界を把握することはもはやできない、ということ」(42頁)だそうです。また、ギデンスの「構造化理論」によれば、「われわれが、自分にとって不利な(自分が劣位に位置づけられるような)社会構造を、そうとは知らずに、他ならぬ自分自身の行為によって作り出す、ということも起こりうる」(46頁)と言います。仲々お面白そうじゃありませんか。吉澤さんにはこのルーマン、ギデンスについての論文もいくつかあります。まだ本にまとめられていないのが残念ですが、機会があれば読んでみて、紹介できればと思っています。

《 各地からの便り 》
その1.
 先日はご多忙のところを、組の同和研修会のためにご講話をいただき、有り難うございました。本音で語ることができたと皆喜んでおりました。教区での研修会は「あなたたちは差別者だ。そんなことで良いのか」と攻められるのを恐れて、年々参加者が少なくなっていると聞いております。いかに無力でも何とかして差別をなくしたいと思い、それなりの努力をしているつもりですが、これでは不十分で参加する資格はないかもしれないと考えてしまいます。……    (F.Sさん)

コメント.
 宗教者のなかには「差別者としての自覚」を強調する人がいる。それが、深い自己省察にもとづくことまで疑わぬにしても、その言葉が自らにではなくて他者に向けられるとき、そこにいかなる事態が生ずるか、気になって仕方がない。F.Sさんのお便りは伝聞の形をとっているので、確かなことは分かりかねますが、「あなたたちは差別者だ。そんなことで良いのか」と糾弾する人と、糾弾される人がいるような場で、果たして研修が成り立つのかどうか。わたし自身、かつて使命感と自負心から、えらく高ぶった物言いをしたことがある。それは苦い経験として今も忘れられない。それだけに研修は、参加する方々が自らの内面を問うような場でありたいと思っています。もちろん、言うは易く、行うは難し、ですがね。

その2.
 仕事に対して、解放運動に対して、そんなに燃えているわけではありませんが、毎日それなりにがんばっています。最近になって、先生の言われる「人の不幸はいくらでも辛抱できる」、「人の苦しみや悲しみと無関係に日々が送れる“わたし”がいる」という心情がなんとなくわかってきた感じです。それは僕自身の生活の中にやはりあるんですよね。そんな自分が時にはイヤになることがあります。
 僕は部落出身ですが、差別される側の人間と、する側の人間の両方を持っているような感じがしています。今までの解放運動によくあったパターンは、部落の側が一方的に(極端な言い方ですが)しゃべりまくり、正しいんだから、こちらの言うことに従えという雰囲気もあったように思います。そんなとき、「あっ、自分は部落の人間で良かった。言われなくてすむ。守られているんだ」という思いを少なからず持ちました。そんな自分がイヤになり、解放運動を冷ややかな覚めた目で見るようになってきたことも事実です。「差別される側の人間と、する側の人間の両方を持っている」というのは、そういう意味です。言う一方だけでは、説得力はありません。これまでのようなことをしていては、回りの人を説得できないのではないでしょうか。…                   (三重 D.Hさん)

コメント.
 運動や組織、あるいは立場・資格を「冷ややかな覚めた目でみる」ということは、実はそれらを対象化し、相対化するということなのです。身内意識にとらわれていると、「冷ややかな覚めた目」は生まれません。D.Hさんが部落差別問題に無関心でありうるはずがない以上、そのような目を生かして対話が成り立つように努力されることを期待しています。

《 川向こうから 》
★岐阜は燃えています。なにせ39℃にもなろうかという猛暑のなか、頭にタオルを巻いてパソコンに挑戦しているんですから。先日、山城君に連れられて四日市のパソコンショップに出かけ、あれこれ言うてるうちに、エイッヤッと買ったわけ。そこでパソコンなるものを根源的に把握しなければならぬと、『パソンコン入門』『パソコン・ソフト入門』を読破したものの、さっぱり理解できないのです。しかし師岡さんにやれて、俺にできぬはずがないと自らに言い聞かせ、目下奮闘中。いずれ成果を報告できる日がくるでしょうから、それまで待っててください。
★全国交流会が近づいてきました。江原由美子さんの講演のほか、新しい趣向も企 画しています。ぜひお出かけください。
★『こぺる』の購読継続の件、くれぐれもよろしくお願いします。
★6月13日より7月6日まで、岐阜(4),愛知(2),京都(4),東京(2),奈良の13人の方 から計4万6,001円の切手、カンパをいただきました。ほんとにありがとうこざいます。なおこの間の主な出費は郵送費4万3,400円と封筒代7,210円でした。本『通信』の連絡先は〒501-11 岐阜市西改田字川向 藤田敬一 です。(複製歓迎)