同和はこわい考通信 No.81 1994.4.19. 発行者・藤田敬一

《 随感・随想 》
部落解放運動に新しい風は吹くか②────情況を読む
藤田 敬一
1.
 小森龍邦さんの書記長辞任いらい、部落解放同盟の動向が注目されている。中央本部が、従来の政治路線を大胆に変更しようとしているとの報道があれば、かたや小森さんの中央批判にも熱がこもる。東京のジャーナリズムがこれを見逃すはずがない。3月2日から4日にかけての全国大会に多数の記者がつめかけたのも当然だろう。
 『朝日』2/5は94年度運動方針について、「社会党支持を見直し-部落解放同盟が新方針」との見出しをつけてこう解説している。

これまで一貫して続けてきた社会党ブロック支持を改め、政治家個人との政策協定を重視する方針を打ち出した。階級闘争的色彩が強かった綱領の十年ぶりの「根本的検討」も提案する。

中央本部の誰かが背景説明したのをまとめたものらしい。基本は二つ。一つは政治路線、もう一つは綱領改正問題である。
 小森書記長辞任の最大の原因が細川連立政権の評価と対応であったことから考えて、同盟内に政治路線のちがいが存在することは、どんなに否定しても否定しきれるものではない。『毎日』3/30は、

細川政権誕生から一カ月たった昨年九月六日。副委員長だった上田(卓三)氏は、小沢一郎新政党代表幹事を訪ねた。解放運動への理解を求めると、小沢氏は「よく知らないことも多い。勉強させてほしい」と語った。上田氏は連立与党首脳との面会を重ねた。「与党」であることを強く意識した行動だったが、小沢氏と似た反応が多かったという。

と報じている。すでに政界工作は始まっていた。その裏に政界再編への思惑があり、社会党支持方針から解き放たれてフリーハンドでいたいということだろう。当時、小森さんがこうした動きにたいしてどのような対応をしていたのか知らないが、それが、たとえば「いかなる政権であれ権力と闘って差別撤廃を勝ち取ることが運動の基本である」との主張(『解放新聞』広島版2/9)とあいいれるはずがない。部落解放基本法実現のための多数派工作と一応は説明されているけれど、基本法実現の見通しが立たないことが誰の目に明白な段階での政界工作にどんな意味があるのか、わたしには理解できない。部落解放の課題達成と政界工作とのつながりがいっこうに見えてこないのである。「それは、お前が政治オンチだから」などといわないでほしい。同盟員のなかにもわかっていない人が多いのではないか。
 だが、小森さんらの反権力闘争路線にも首をひねる。なによりも言葉がうわずっている。政権と権力とを混同しているのはまだしも、反権力闘争の内容や差別撤廃の道筋への言及がない。言葉や意気のムードに酔ってもらっては困るのだ。

2.
 いずれにしても、いわゆる55年体制の一環としての部落解放運動が、正真正銘の転換期に遭遇していることだけは間違いない。それだけに意識的な活動家の最大の関心は、連立政権うんぬんよりも綱領改正にむけられている。
 94年度運動方針は、中央理論委員会の「提言」をもとに、綱領・規約検討小委員会を設置し、「同盟員はもちろんのこと、差別と闘うすべての仲間からも議論を寄せてもらう『参加型の議論』ができるように工夫し」、「九月を目途に新しい綱領・規約素案を作成します。これを全組織の討議にゆだね、来年の全国大会での機関決定をめざします」とだけ書かれていて、改正の方向は示されていない。ところが、新聞に「階級闘争的色彩が強かった綱領の十年ぶりの『根本的検討』も提案する」と報道されたのだから、活動家たちが戸惑っても無理はない。
 1984年10月27日、部落解放同盟第41回臨時全国大会で決定された綱領前文は

全国に散在する六千部落、三百万の部落民は、前近代社会から今日に至るもなお階級搾取とその政治的支配の手段である身分差別によって、屈辱と貧困と抑圧の中に呻吟させられている。(中略)資本主義の矛盾が深まれば深まるほど、これを糊塗しようとする管理主義の強化・分裂政策が行われ、部落差別の温存助長の政策もしだいに厳しいものになっている。このような状況において部落民は、今日もなお就職・居住・教育・結婚などの市民的権利と自由が侵害され、農村では土地所有から、都市では近代的で安定した職場からしめだされている。そして、部落の伝統的な産業は大資本に圧倒され、壊滅的打撃をうけている。(中略)それゆえにこそ、独占資本とそれに奉仕する反動的政治体制、すなわち帝国主義と軍国主義こそ、部落を差別し、圧迫する元凶としなければならない。

と述べている。一読、マルクス主義が理論的枠組みになっており、朝田善之助さんのいわゆる三つの命題(部落差別の本質、部落差別の社会的存在意義、社会意識としての差別観念。この三つの命題については師岡佑行著『戦後部落解放論争史』第4巻、柘植書房を参照)を引きついでいることは明白だ。要求綱目の四「平和と人権、民主主義の達成のために」は、憲法擁護、日米安保条約の廃棄、軍備の完全撤廃、軍事大国化阻止、天皇・皇族などの一切の貴族的特権の完全なる撤廃などをかかげる。これらの主張は、部落解放運動が55年体制下の革新派、左翼の陣営内にあることの証しだった。それを根本的に検討するというのである。
 前掲『毎日』3/30は「解放同盟 路線転換-脱『階級史観』に揺れる」と題して全国大会の様子を次のように報じた。

全国大会は激しい論戦となった。「解放運動の原点は天皇制反対、護憲平和、海外派兵阻止。執行部はその原則を放棄した」(埼玉県連代議員)「差別はいつも権力者が作りだす。権力との対峙こそが解放運動の本質ではないのか」(広島同)/次々と反発の声が上がった。執行部は階級史観の色彩の強い綱領の見直しを提案、細川政権支持の立場を確認した。水平社設立以来七十年、反権力を鮮明にしてきた解放運動が路線転換に踏み出したのである。(中略)小森氏は一連の流れを厳しく批判する。「解放運動に政権を支持するという選択肢はない。階級概念を捨てて差別は定義できない。(中略)新路線は、闘いで積み上げた運動の財産を投げ捨てることになる」(中略)イデオロギー崩壊の激震は、始まったばかりだ。階級史観からの脱却を目指す新綱領は九月にまとまる見込みという。

この記事ではいかにも緊迫した大会のようにみえるが、参加した代議員の話によれば、小森さんや中島広島県連委員長、原野前中央統制委員長らが顔をみせず、いわわれるほどの激論にはならなかったという。大阪の代議員からは小森さんや広島県連へのラブコール発言すらなされたらしい。『解放新聞』中央版3/14は大会討論の要旨を載せていて、「運動右傾化に懸念」(広島)「原則を守り抜こう」(埼玉)、「天皇制との闘いを」(京都)といった意見を紹介しているけれど、それを読んでも部落解放運動の現状のどこに問題があり、どのような方向で綱領を改正せねばならないかについて、議論が深められたようには思えない。
 綱領とは、「政党や組合などのありかたや運動目標についての根本方針」と辞書にはあるけれど、運動のなかに占める綱領の位置は低い。「綱領に照らせば」といった発言が聞かれたためしがない。なにごとも既成の発想、理論、思想でまかなえたからだろう。あらためて綱領を持ち出さなければならぬほどのこともなかったというわけだ。それはそれでいい。現実が言葉を超えていたのだから。
 しかし、部落解放運動の歴史を、第一期(1922年の全国水平社創立から1955年の部落解放同盟への名称変更まで)、第二期(1955年から1988年の反差別国際運動の結成まで)、第三期(1988年から現在まで)と時期区分するとしても、これまでの運動の総括がもっと具体的になされたうえで綱領改正問題が論じられる必要がある。部落解放運動が前進し、同和対策事業が大規模に実施され、啓発・教育が広範に取り組まれているにもかかわらず、なぜ差別事象が頻発するのか。その原因はどこにあるのか。部落差別問題の解決に向けて、運動は確かな歩みをすすめているのどうか。こういった問いを自らにしてみること、つまり、部落解放運動の存在根拠を自ら問うことから始めるべきではないか。
 「部落解放運動への信頼、信用は全体としては、確実に上昇している。圧倒的差別の前では解放運動がどうだ、こうだなど関係ないし、議論する暇はない」といって『同和はこわい考』を批判する人がいた。あるいは「部落解放運動は完全解放に向けた大道を着実に前進している」という人もいた。しかし、部落差別問題をめぐる情況に危機を感じとり、運動の新たな方向を模索する人びとはこれまでにも少数ながらいることはいた。部落解放理論に関して『解放新聞』紙上で論争らしきものが行われたことがあり(79年)、全国大会などで幹部の腐敗・堕落に示される運動の危機を指摘する意見も出されたけれど(81~82年)、運動と組織そのものを問い直す論議にはつながらなかった。今回の綱領改正問題がきっかけになって、旧来の発想、理論、思想が再検討され、運動と組織の再生がはかられるかどうか。それは過去の取り組みを総括し、現状を具体的に切開できるかどうかにかかっている。
 日々、数多くの会議が開かれ、集会がもたれ、交渉が行われている。ある支部で一年間にどれだけ会議が開かれたか計算してみたら、なんと五百回近かったという。人によっては一日何回も会議と打ち合わせがあるから、その数はもっと多いはずだ。スケジュールが立てられ、消化されていれば、なにか運動がすすんでいるかのように錯覚しがちだ。「忙しい怠け者」と自嘲することはあっても、原点に立ち返って考える人は少ない。現実に人びとが集まり、議論がなされ、決議と宣言が読み上げられているのだから、それでいいではないか。新たな部落解放理論を創造をしなければならぬ必要があるとは思わない……。もし、こんな具合に活動家が考えているとしたら、せっかくの提言も綱領改正も、一部の理論家、指導者だけの議論に終わりかねない。

3.
 部落解放同盟の理論的指導者と目される大賀正行さん(部落解放研究所研究部長)の『第三期の部落解放運動-その理論と創造』(部落解放研究所、人権ブックレットNo.30、1991)にはこう書かれている。

「部落民とは何か」、「部落の定義」といったことは、実は明確になっていないのです。拙著『部落解放理論の根本問題』の終りの方(343~344 ページ)でも問題提起しています。私も答えていません。誰か答えてもらいたいと書きましたが、あれから14年たっています。(中略)この30年間の変化にはものすごいものがあったということは確かです。/それ(部落解放のこと-藤田補注)を(「解放令」五万日の日延べにあたる2008年まで-藤田補注)あと17年で仕上げなければならないという気持ちです。ただし、この議論には、「部落解放とは何か」「どういう状態をもって部落解放というのか」ということを規定する必要があります。「そんなもん、まだ先のことや」「そんな抽象的なこと、議論しても観念論になる」ということで、今まではこんな議論は余りしませんでした。しかし、そろそろはっきりさせる必要が出てきたと思います。/「完全解放にむけてがんばろう」といっても、何をもって完全解放とするのかはっきりしていません。物事に完璧ということはありませんから、解放されたといっても時には差別は起こるでしょうが、とりあえず「こういう状態になったら一応、解放と見なそう」というものを作らなければなりません。これからはいよいよ、そういう議論もしなければと思います。(16~18頁)

「部落とはなにか、部落民とはなにか、部落解放とはなにかについて、これまであまり議論してこなかった。もうそろそろはっきりさせなければならない」とは、驚くほど率直な述懐である。つまり大賀さんは、これまでの運動、施策、啓発・教育はいったいなんためのものだったのかと自問しているのである。運動の指導者として無責任だと批判する人がいるかもしれない。過去に目を閉ざしていては、現在も将来もみえなくなるともいう。ただ、あまり過去に縛られすぎても前にすすめない。
 かつて、わたしは師岡・大賀論争を論評した文章のなかで大賀著『部落解放理論の根本問題』(解放出版社、1977)を批判し、身分と階級の弁証法的統一などといった議論ではなく、もっと差別と運動の現実にそくした理論、思想を語るべきだと書いたことがある。あれから十五年、ようやくおたがいの問題意識が重なるようになった。中央本部が『こわい考』を批判し、小森書記長からは差別者、融和主義のレッテルが貼られたりしたけれど、そんなことはいまとなってはどうでもよろしい。大切なのは、くりかえし述べてきたように、「部落差別とはなにか、その実態はどうなっているか、どうすれば部落解放が達成されるのか」といった部落解放運動の基本問題について、組織の内と外、差別・被差別の立場を超えて、開かれた論議を早急にすすめることである。その意味で94年度運動方針が「参加型の議論」を提唱しているのは、大いに歓迎したい。
 まだ論議は始まったばかりだということもあるのだろう、雑誌『部落解放』の特集連載「新たな解放理論の創造にむけて」(93/12~94/3)の諸論文を読み、全国大会の様子を聞くかぎり、基本問題についての論議は低調といわざるをえない。随伴的知識人が後追いの気安さゆえにノンキな議論をするのはわかる。それが彼らの役回りなのだから仕方がない。しかし、同盟の活動家が他人ごとのような議論をしていていいはずがない。大賀さんの主張をわたし風に言い換えると、今日の運動は部落解放をかかげてはいるけれど、解放への道に向かって確実に歩んでいると断言する自信がないということなのだ。これは運動の指導者としては大変な問題提起であり、関心を呼んでいるのも当然だ。
 大賀さんの主張がどの程度中央本部の共通認識になっているのか、部落解放同盟全体のものになる展望があるのかどうか、わたしにはわからない。現に「提言」が指摘する情況は、大阪特有のものにすぎないと一蹴する人がいる。よその都府県連のことに口を出すな式の内政不干渉論はあいかわらず健在だし、組織の求心力も弱まっている。こういう情況のなかで、果たして部落解放運動の基本問題に迫るような論議ができるのかという気がしないでもない。

4.
 しかし、論議が成り立つ可能性もある。わたしは、そのことに期待をかけたい。たとえば行政闘争路線をめぐって、意見の対立が鮮明になりつつある。「解放が目的、事業は手段という運動の原則が本末転倒する傾向があらわれ、物取り主義、功利主義、幹部のボス化、特別措置法依存主義といった弊害を生んでいる」とする意見(94年度運動方針)にたいして、「同和対策事業打ち切り断固阻止」(埼玉)、「国、自治体の責務を追及する行政闘争が運動の主軸であるべきだ」(京都)との意見が出されているのである。
 『解放新聞』広島版3/30の解説記事「第51回大会は新たな時代を切り拓く歴史的大会となったか(下)」には、

政府が部落解放基本法制定を否定し、未指定地区の実態調査を拒否し、「一般行政への移行」を方針としている時期に、それを勢いづかせるような形でなぜ同和対策事業の廃止、削減を提起するのか。今回の本部方針は、未組織部落の仲間のことを第一に考えるのではなく、政府や連立与党に対して運動側の「努力」をアピールすることによって細川政権に「基本法」を制定させようとの考えに基づいたものではないかと思われる。(中略)同和対策事業は、差別行政糾弾闘争の中で勝ち取ったものである。つまり、具体的な差別の現実とそれが長らく放置され、温存・助長されてきたことの行政責任を明確にし、運動を組織し、闘った成果である。(中略)本部はもっと全国の実状を把握した上で方針提起すべきではないか。

とある。広島県連が朝田さんの理論を受けつぎ、差別事件糾弾から行政闘争へと展開することによって同和対策事業を拡充し、かくして部落解放への展望を開くという路線をいまなお堅持していることがわかる。こうした主張は、1951年のオール・ロマンス闘争いらい定着した行政責任論と行政闘争論を学び、差別事件をきっかけに要求闘争を組織せよとのスローガンのもとで活動してきた幹部や活動家にはなじみ深いものであるだけに受け入れられやすい。しかし、法と制度のもとでの施策要求とその実現では、人間を変え、人と人との関係を変えられないことは、この間の事情をみればはっきりしている。要求闘争自体が空洞化しているのである。そこのところをどうみるかによって、部落解放運動の基本問題にたいする姿勢のちがいが明確になる。それが議論を活発にし、組織を活性化させる。再生の鍵はここにある。
 重要なのは、政治的思惑がからんで不毛な論議の泥沼に落ち込んだり、感情的な対立から組織矛盾に発展するような愚を犯さないことだ。部落解放同盟の全国大会で「中央本部の方針を基本的に支持する立場で発言したいと思います」という前置きがはやりだしたのは、日本共産党との対立が激しくなってからのことだと記憶する。今年も奈良県連(川口委員長)の代議員がこの前置きを使った。本部方針を批判するつもりはなく、補強意見にすぎないと、あらかじめ立場を明らかにするような前置きが語られつづけているうちに、組織内に異論や批判的意見はあってはならない、異論や批判的意見をいうものは異端だとする風潮が広まった。
 小森さんは「一枚岩の団結」を呼びかけたことがある。ひと続きの丈夫な岩にたとえて団結を誇示するこの言葉は、社会主義国や共産党、労働組合が好んで使ったが、社会主義国のそれが恐怖の統制と主体喪失の忠誠に守られた団結を意味したことは歴史が証明した。異論と批判を抑圧するところに人間的自由はない。異論、批判があってはじめて、その組織は解体と再生の契機を内部にもつことができるのだ。
 「提言」は、「全ての同盟員、全ての差別と闘う仲間の皆さんに『歯に衣を着せない』真剣な議論を要請する」(7頁)という。だが、「提言」をめぐって百花斉放・百家争鳴の論議が成り立つためには、なによりもまず対話がとぎれる現状をあらためる必要がある。そうでないと、どんなに呼びかけてもヨイショを得意とする随伴的知識人以外にものをいう人はいないだろう。差別・被差別の立場が問題にされ、主人と客人、中心と周縁といった関係が牢固として維持されているかぎり、多くの人は沈黙し、傍観するだけだ。このことを大賀さんら同盟の幹部は心にとめておいてほしい。週刊誌のインタビューで、ものわかりのよさを示し、運動スタイルの変更を語るだけでは不十分だと思う。変身のパフォーマンスはいらない。日常的な人と人との出会いとつながりのなかに、差別・被差別関係総体を変えようとする共同の営みへの志向が確かめられることが、なによりも大切なのだから。

《 紹介と案内 》
『こぺる』No.14(94/5)
 部落のいまを考える⑨-中村 勉「文化活動からみえてくるもの」
 時評⑤-師岡佑行「いたわるかの如き…」その1
 第11回『こぺる』合評会から(藤田敬一)

第12回『こぺる』合評会:4月23日(土)午後2時 京都部落史研究所
 4月号の津田論文について住田一郎さんと灘本昌久さんが話題提供の予定。

《 川向こうから 》
★今年も黒野栄町の春祭りに出かけて御輿をかついできました。いやあ、楽しかった。去年とちがって体調も万全で、ときどき休みながら全行程をかつぎ、翌日もシャンとしていましたから、たいしたもんでしょ。アハハハ…。
★話題の映画、崔 洋一監督「月はどっちに出ている」とスピルバーグ監督「シンドラーのリスト」は評判通りの作品で、崔監督のものには若い在日世代の新しい感性を、スピルバーグ監督のものには人間の限界と希望を考えさせられました。ただ、どちらも人物描写にやや難点がある感じですが、みなさんの感想は如何。
★最近読んだ本のことなど────鷺沢さぎさわ めぐむ『ケナリも花、サクラも花』(新潮社、94/2)。ソウルの延世大学に語学留学した半年間の生活を生き生きと描きつつ、父方の祖母だけが韓国人という「四分の一の血の意識」とアイデンティティとのかかわりをめぐって葛藤し思索したあとの記録。軽妙な筆致と、ときおり混じる大阪弁が効いている。姜 信子さんや崔 洋一さんと共通する心のしなやかさは、いったいどこからくるんでしょうねぇ。
★3月13日より4月9日まで、京都(4),岐阜(2),兵庫,鳥取,大阪の9人の方から計3万3,760円の切手、カンパをいただきました。ほんとにありがとうございます。なお、この間の主な出費は、郵送費4万3,350円、ワープロ宛名ラベルと中質紙代1万8,540円でした。本『通信』の連絡先は、〒501-11 岐阜市西改田字川向 藤田敬一 です。(複製歓迎)