同和はこわい考通信 No.80 1994.3.13. 発行者・藤田敬一

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 復刊から一年、あっというまに過ぎました。今年の賀状に書いたように、93年はなんといっても『こぺる』復刊がわたしにとっては最大の出来事で、それに精魂を傾けた一年という気がします。「なにもかも一手に引き受ける中小企業のオッサンみたい」と評する人や、「本職のほうはええんか」と心配してくれる人もいて、苦笑するほかありません。
 しかし、わたしはこう考えるのです。他のことはひとまずおいてでも、いま、この時にこそなすべき事柄というものがあるのだ、と。これまでにも何回かそんなことがありました。それらはすべて現在の思索につながっている。そして、いまは、もちろん『こぺる』の刊行一筋。内容的には不十分ですが、お力添えくださいますように。

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《 各地からの便り 》

その1.京都市研究集会で思ったこと
 先日は時間がなかったので自分の思ったことをうまく言えなかったのですが、自分が会場に居て思ったことを整理してみたいと思います。
 まず会場からの指摘の通り、部落問題自身がシャドーな問題にもかかわらずシャドーな面を指摘すれば、「実はシャドーではない」というのでは、単なる揚げ足取りに過ぎないし、その反面、外にはない部落の文化を主張するのでは、一般に対して特殊を認めることになる。部落の人情味あふれる文化というのは、多くは高度成長社会が忘れてきたものへのアンチテーゼである共同体としての下町文化を指しているのであり、それを部落の文化として正当化してしまえば、あまりに議論が上滑りしてしまうのではないでしょうか。少なくとも文化というものは、これら以外の地域色・独自色に求める必要があり、それを部落の人間味あふれる文化として使うのは適切でないと思います。
 ただ、これらの問題点を掘り下げていけば、部落民のアイデンティティーという大問題にぶつかってしまうので、今回は差別意識と啓発という面だけで述べたいと思います。(実際、分科会では、演壇側のアイデンティティー論と会場側の差別意識論というように、問題が混乱していました。)
 昨年のアンケート結果では、Aさん(男性46~50才)の回答は確かこうでしたね。

問1:
被差別部落にどのようなイメージをお持ちですか。
答:我々一般と同様と思っている。
問2:
解放運動にどのようなイメージをお持ちですか。
答:京都における落書き事象等がある以上、解放運動が必要で、まだまだ市民に差別問題が浸透していない。

人権啓発は、それを意識していない人に対しては、理解させるのは至難の技で、なかなか「自らの差別性の自覚」まで踏み込めずに、いつも「困っている他者への一般教養」というあたりで、足踏みしてしまいます。友人を集めて部落差別や人権啓発の勉強会を何度もしましたが、「他者の問題」から「自己の問題」へと「視点の変更」ができたのは皆無に近い状態です。このことを通じて、友人とよく話すのは、人権意識には、三段階の深度的な区分があるのではないかということです。
 あまりにも大ざっぱな区分ですが、

第一段階
好意的な観衆としての段階
第二段階
自己の問題としての内面的な段階
第三段階
解放の主体としての段階

の三段階です。
 まず、簡単に整理しておくと、はじめに部落差別は、いわれのないマイナスイメージをもって人を排除することとします。そして、このマイナスイメージとは、人が生まれた時にはないのだが、日常生活の途上において周辺環境からインプットされるものとします。そして、このマイナスイメージは、なにも部落問題だけでなく、さまざまな事柄があるが、とにかく本人の中に蓄積されて、それは生理的にも嫌悪感や畏怖感として反応するものであるとします。
 そこで、この人権意識の区分ですが、まず、差別されている者に対し、また、差別を許す人間社会に対し、同情や正義感から問題として人が知的に理解する段階があるのではないでしょうか。これを第一段階とします。この段階においては、とにかく人は融和的であれどうであれ、被差別者に対し、政治力学的には味方となります。(実に嫌な言葉ですが…)しかし、この段階での理解者は、先生のいうように「机をいつひっくりかえすかわからない怖さ」を抱いています。つまり、そこには部落の人と部落外の私という立場の異なる関係での理解であり、言い替えれば、被害者とそれに対する同情者というような関係といえるからです。この場合、自分が被差別部落民とつながりをもってしまうケース(たとえば子供の結婚)にぶつかれば、一転してこの関係から逃れようと排除してしまうことが起こりえるはずです。
 さて、次に第二の内面的な段階ですが、これが実に説明が難しいものです。俗にいう「差別を見抜く目」というやつですが、糾弾の第一目標もこのあたりにあるのではないでしょうか。つまり、「自らの差別性の自覚」ということです。これについては、「被差別の側からの逆照射」によってのみその輪郭が把握されうるといわれますが、私自身は必ずしもその必要はないと思います。しっかりとした啓発と自らの取組み次第で、簡単ではないが可能であると思います。これは具体的には、外部からのマイナスイメージのインプットと自分に蓄積されたマイナスイメージの反応の仕組みを直覚することといえます。この点さえ理解できれば、差別意識の構造は完全に理解できます。つまり、自分こそが「差別の媒体」であり、自分の蓄積してきたマイナスイメージに外部からの差別意識が共鳴するということです。これは論理的というより直覚するという経験的なことですから、この「自らの差別性の自覚」を、友達との間でよく「人権感覚」といっています。この第二段階と第一段階との大きな違いは、前者が差別を自覚するという自己開発の問題なのに対し、後者は差別を起こさないという一般教養の問題にあるのではないでしょうか。
 最後に、実践者としての段階ですが、これはずばり、解放の主体者ということです。運動しているから解放の主体者たりえるか、被差別者だから解放の主体者たりえるかというと、否です。部落解放の主体者とは、内も外も問わず、自らをもって他を照らすという生き方の問題ではないでしょうか。部落差別に限らず、全ての人権問題に取り組もうとするものは、差別者・被差別者の関係という大きな河を渡らねばなりません。そこで、自分の行動のよりどころとなるのは自分の灯りをもって他を照らす生き方といえます。生き方には、内も外もありません。差別関係という低実態に対し、自らをもって相手に投射する生き方を取らねばならないのではないでしょうか。はじめて、藤田先生とお会いした時に自分達にない大切な何かを感じたのも、これでした。いくら人権感覚があろうが、偏見を偏見として理解できようが、寄り添う随伴者はあくまで寄り添う随伴者に過ぎません。実践者は少なくとも自らに依って立つ必要があります。解放の主体者は、内・外という立場によるのではなく、字の通り「解放の主体者としての生き方」、これに尽きるのではないでしょうか。
 ところで、このアンケートの主題ですが、これは「イメージのアンケート」という大きなわなを張ることによって、その回答者の差別意識の段階を明らかにし、自らの差別性に気づかせるということにあると思います。その意味でいえば、この回答者の段階は、第一段階といえるでしょう。しかし、それはいいとか悪いとかいう問題ではありません。この方は、ある意味で模範的な優等生だと思います。今日の部落差別について、施策や運動団体の相対的な政治力の強さとかが複雑に絡み合った中で市民の間にねたみ意識がみられる現状においては、差別落書きをもって部落解放運動の必要性が納得できるというのなら、純粋ともとれます。(もっとうがった見方をすれば初期啓発の模範解答過ぎますが)
 しかし、「我々一般と同様」という言い方は、やはり確かに引っかかるものがあります。日本のビジネスマンが、外国人によくいう「We,Japanese」を思い出します。そこには、集団主義の中に埋没する当事者と、そこから排除されている者という関係を感じてなりません。しかし、このような人に対して、「人権意識としてまだまだ未熟だ」と指摘するのは高慢で、「せっかく同情しているのに、やっぱり変わった奴らだ」と受け止められ、揚げ足取りと誤解されることに終わってしまいます。先生もご存知の通り、実際、討論をしていて一旦、同情者がこの袋小路に入ってしまうとなかなか抜け出してもらえない。現在の啓発活動の限界はこのあたりにあり、啓発者の意識もこのあたりにあると思います。そういう意味では、この段階での広範囲の連帯者をもつことが、現時点でなしうる限りの合格点ではないかと思います。しかし逆にいえば、この段階での理解者は、差別意識に対し、人工的な同情意識をもってそれに換えているのであって、本質的には変わっていないことも指摘せずにはおれません。やはり本来の啓発の課題は、人権感覚(差別意識の自己理解)におくべきであり、それが「独立人と独立人とが連帯しあって生きていく市民社会」のあるべき姿の最低限の一線ではないかと思っています。そういう意味で、部落解放はすべての人権問題と同様、人間解放への一つの道筋であり、当然解決されるべき今日的な課題であり、封建社会の残りものとして扱う問題ではありません。
 だらだらと書いてきましたが、長いことお便りを出さなかった反動であると理解して下さい。また、ぜひ『こわい考通信』で、部落民のアイデンティティーについて取り上げて下さい。この手の硬派の内容は、『こわい考通信』か『こぺる』でしか真剣に取り上げられないものですから。
 いつも悩むのは、部落差別に負けないという意味での被差別意識に依る、部落民としての特別のアイデンティティーを作る必要があるのかということです。我々は、何も差別される存在ではないという毅然とした市民意識をもってそれに対抗すればいいのではないかということです。被差別者としての特別なアイデンティティーは、差別・被差別という二極化を、差別する人と差別される人という人間関係を、認めることになりはしないかということです。確かに、現実にはこの関係が存在するのですが、それでもなお、我々は差別される存在ではないという、「人間を尊敬する事によって自ら解放せんとする」生き方、これをもって部落差別に立ち向かう生き方として解決した方がいいのではないかと悩んでおります。
 今は、京都は雪が降っていますが、先生も風邪などを引かれずにお元気でおいで下さい。また京都に来られましたら、ぜひお話したいですね。それでは。
  2月26日深夜   (京都・M.Mさん)

コメント.
 この冬の京都は例年になく雪が多かったとか。わたしが幼かったころは、下京区でも結構積もったもんですが、最近はめったに積もらないといいますから、さぞかし、みなさんびっくりしはったことでしょう。
 さて、人権問題にたいする人びとの姿勢、態度、志向に三段階あるのではないかというM.Mさんの指摘、興味深く読みました。ただ、人権問題にかぎらないで、人間の問題というふうに広げてみると、話は宗教、文学、哲学といったテーマにつながっていくはずです。そこからもう一度、差別・人権問題にフィードバックする。つまり「人間と差別」を二つの軸として、その間を自由自在に往還することが大切で、どちらか一方にかたよっては人間の問題としての差別の全体像がみえてこないと思うのです。
 ところで、M.Mさんの問題意識は、どうしても被差別部落民とはなにか、被差別部落民のアイデンティティーとはなにかというところに向かうようです。いま一番悩んでおられることだから当然でしょう。
 そのことと関連していえば、これまで運動のなかでは「部落民としての社会的立場の自覚」が強調されてきました。「自らを被差別部落民として確認するとともに、部落差別からの解放をめざす主体者として、社会変革の主体者として自覚すること」が求められてきました。それを部落民魂と呼ぶ人もいる。この部落民魂をもたず、差別に立ち向かおうとしない人は、島崎藤村『破戒』の主人公瀬川丑松にちなんで「丑松」と呼ばれます。いま話題の「提言」にも、丑松主義(思想)の克服が重要課題としてあげられている。
 たしかに、差別の壁を前にしてたじろぐ人びとがいるなかで、差別に真っ向から向き合うべく、自らを励まし、仲間を支えるには、「被差別部落民としての社会的立場の自覚」が必要でした。しかし、わたしがいいたいのは、そこにとどまっていていいのか、もっと普遍的な視点に立った自己確定、自己確認が求められているのではないか、ということなんです。その意味で、M.Mさんの考えに共感を覚えます。なお住田・灘本往復書簡「被差別部落民とはなにか」は休止中ですが、『こぺる』4月号に熊本の津田ヒトミさんが書いておられます。読後の感想をお寄せください。

その2.
 前号でT.Tさんの「同和地区の不動産は格安なのに買い手が付かない」など、やるせない話が掲載されていました。T.Tさんは、「同和地区内の不動産の評価の『低さ』の責任の所在はつまるところ『具体的に責任追及のしようがない国民の差別的体質ではないでしょうか」と結んでおられた、と理解しています。藤田さんも「だからこそみんな悩んでいるのです」とコメントされていましたね。
 この話で、私が以前読んだ新聞コラムで考え込んでしまったことと、底流では一緒ではないかと思い、ペンを取りました。
 それは京都新聞に連載されている「解放への日々ⅩⅣ 差別落書きの底流を探る(5)屈折した存在感の誇示(上)」(93.10.18)です。いつもいろいろと触発されるコラムですが、この回のものは少なからずショックを受けました。この稿で、中川喜代子・奈良教育大学教授は、差別落書きを生み出す原因として「日本人は世間同調社会だからだ」と指摘しておられます。個人に立ち返っていうと、他人に優越感をもてないが故の「ねたみ意識」、また、それがなければ自分の存在感がなくなるという焦燥感から差別行為をする。とくに落書きは誰が書いたかわかりませんから、中川さんがおっしゃる放火犯に似ているという説はもっともだと思います。
 これは私見ですが、その個人の根が横たわっている「社会」こそ、個人に差別を強いるべく言葉のないシステムを作っているのではないでしょうか。つまり「世間並み」でないことで味わう疎外感よりも、他人への思いやりや信頼を断ち切る後ろめたさのほうが楽なのです。きっと。で、どうなるかというと、「世間並み」でできた、管理しやすい、しかし、あじけのない「社会」ができあがる。誤解のないように付け加えると、貧乏な人が「世間並み」を目指すことを否定して、考えているのではありませんよ。十把一からげに「こうでなくちゃへんだよ」というのがヘンだと思うのです。そのしめつけが差別を生む一つの原因ではないでしょうか。差別をする人は結局、そういう社会に強いられて、差別の先兵になっていることに気がつかない。そのくせ、ひとつまちがえると自分が差別されるという恐怖がいつもあると思います。
 残念ながら、中川氏の(下)のほうが手元にないのでその後の展開がどうなっているか知らないのですが、この稿の最後で氏は「差別した人は育ち損なったと言える」とのべておられます。この強烈なフレーズに考え込んでしまったのです。これはフランスの子供向け人権教育テキストの引用のあとに出てくるのですが、そのテキストに曰く、「自分が満たされないと差別したり、何かを攻撃したりする傾向がある」と。中川さんは「だから、そういう傾向をだれもがもっていることとだれにもいい所があることを子供に認識させなくてはならない」ともいう。…それをしそこなった人なんだな、と私は読みました。
 小、中、高、大学、職場、飲み屋、めしや、などなどで自分はどうだったかと胸に手を当ててみると、正直いってうなだれがちです。人との違いを認めあい、苦労も幸福も分かち合うことが、いろいろしんどくても結局は無用な苦労や悲惨な経験を積んだり、積ませたりしなくてすむのだ、と考えているのですが、学歴、肩書き、戸籍、国籍、などの違いを違いとして素直に受け止めるようになった(その人の属性でその人を判断しない)のも、そういう意識を持ってからですから、「育ち損ないかなぁ」と思ってしまうのです。
 私の意見は、「育ち損ない」をそのままに放っておいてもいいのだろうか?そう言い切って、切って捨てても差別はなくならないんじゃないのか?ということですが、どうでしょうか。皆さんのご意見をお聞きしたいです。(京都・西原 正さん)

コメント.
 いったい、差別・人権問題を語って、差別をする者は人間ではないかのようにこきおろす人がいる。そうすることによって差別の犯罪性、人権の重要性を伝えたいということなんでしょうが。中川さんの言葉にも、それに類したおもむきがあります。それにしても、「差別行為をする人は育ち損なった人だ」とは、よくもまあいったもんです。わたしなんか、人様にたいしてとてもそんなことはいえそうにない。
 西原さんのご意見について応答してくださる方は、わたしのほうまで原稿をお送りください。

《 紹介 》
『こぺる』No.13(94/4)
 部落のいまを考える⑧
  津田 ヒトミ:部落差別と私
 時評④
  師岡 佑行:問われたままの秋水
 ひろば(12)
  藤本 俊幸:地域における啓発活動
 第十回『こぺる』合評会から(熊谷 亨)

『こぺる』合評会 3月26日(土)2時 京都府部落解放センター2階
  3月号と4月号について行います。話題提供者は、藤田の予定です。

《川向こうから》
★前号本欄に“そのお年で”とは失礼だと書いたら、「55才への心配は失礼ではな い」との葉書が先輩から届きました。それもそうですねぇ、心します。
★こぺる刊行会総会(2/26)を終え、ほっとしているところです。わたし自身につい ていえば、いくぶん無理をして読者になってもらった人もおられるだけに、購読 を継続してくださる方がどれくらいになるか心配でたまらず、2月に総会を開い て、ドッと働きかけてもらおうと考えたわけです。現在、順調に払込通知票が阿 吽社に届いており、この分だと予想以上の方が継続してくださるのではと期待し ています。もっとも「よそで読めるのでやめます」などと書いてよこされると、 ムカッとします。ああ、まだまだ人間ができていないんだなあ、わたしは。
★本号も、ご覧のように読者からのお便りを中心に編集しました。このところ、こ れだけはいいたいという感じのお便りが増えつつあります。胸のなかにしまわれ ていたものが言葉となって吐き出されるかのように。しかも自分の言葉で、しな やかに書いてみえるところが魅力的です。
★最近読んだ本のことなど───原口孝博「インド旅行雑感」(『部落解放史・ふくおか』71号,93/9)。孤児院を訪れては、三井三池闘争や安保のころ、セッツ ルメント活動として原口少年の住む被差別部落に出入りしていた学生たちが卒業 とともに一切顔を見せず、姿を消したことが、過剰な期待や依存からの自立を考 える一つの契機となったことを思い出すなど、異色の旅行記です。文中の「片手 落ち」は差別的表現の恐れがあるとの編集部の指摘にたいする原口さんの反論が 付記され、編集後記に「言い換えといった安易な対応だけはしたくない」とある のも新鮮です。塩見鮮一郎『作家と差別語』(明石書店)、平岡正明編『筒井康 隆の逆襲』(現代書林)、『週刊文春』の特集、『朝日新聞』の記事「『断筆宣 言』その後」(3/2,3/3)などの議論では隠されがちな視点が、確実にそこにはあ る。声高な物言いでないところも、またよろしい。
★2月25日より3月6日まで、岐阜(2),高知,京都,兵庫,三重の6人の方から計 2万3706円の切手、カンパをいただきました。ほんとにありがとうございます。なお、この間のおもな支出は、79号郵送料4万3610円でした。本『通信』の連絡 先は、〒501-11岐阜市西改田字川向 藤田敬一 です。(複製歓迎)