同和はこわい考通信 No.77 1993.12.18. 発行者・藤田敬一

《 紹介とお知らせ 》
『こぺる』No.10(94/1)の内容
『特殊部落一千年史』の改題をめぐって⑦⑧
 室伏 修司:「桶を桶といふ」こと-高橋貞樹著『特殊部落一千年史』の改題について
 梅沢 利彦:それもそれ、これもこれ
 中島 久恵:マルク・シャガールと祖父
ひろば⑨
 恩智 理 :人間性について
第七回『こぺる』合評会から(藤田敬一)

『こぺる』合評会:12月25日(土)午後2時、京都府部落解放センター2階

《 各地からの便り 》
その1.「私の出会った『同和』の人々」を読んで

■ 『こわい考』通信No.76ありがとうございました。私が手紙の最初にNo.を書くのは、藤田さんが、どれ程刊行したかを確認するためです。とにかくよく書きますね。敬服しています。「人と人とが二枚の合わせ鏡のように映し映される関係のなかで出会いたいからです」の気持、お互いに大切にしていきましょう。すべてをさらけ出してこそ信頼につながると思います。信頼こそ「共同の営みのなかで関係を変えること」に通ずるのではないでしょうか。W.Hさんの便り、確かに氷山の一角に過ぎませんが、批判の声が公にされていくことが大事ではないでしょうか。とにかく落ちるところまで落ちた現状ですから。(京都 N.Sさん)

■ 交通対策委員長というお仕事までされて大変なことですね。No.76のW.Hさんの「私の出会った『同和』の人々」には大きな衝撃を覚えました。同時に、この方の勇気にも感動しました。何らかのリアクションがあることでしょうが、応援したいものです。それにしてもまだまだ教育の分野では不十分な面が数多く見られ、情けない思いをすることが度々です。
       (岐阜 Y.Rさん)

■ W.Hさんの便り、さもありなんと思いつつ、その実態の深刻さに心が痛みます。劣悪な状況におかれていても、諸般の事情からその現実を外に向かって語れないというケースは、他にもあるかもしれませんが、W.Hさんの書いておられることは、その典型なのでしょう。外におる者としては、希望を捨てずに、と言うしかないのかもしれません。そして納得のいくまで議論できる状況が作られればと思います。   (兵庫 K.Yさん)

■ 「W.Hさんのお便り」は、現場の生々しさが伝わってきて、やっぱりという思いと、どうにも表現できないような暗鬱な気持ちになってしまいました。議論 できない環境に絶望しそうになることも事実でしょうし、変えることのできない自分に絶望してしまうこともまた事実だと思います。それでも…。   (三重 S.Nさん)

■ 通信76拝見、W.H氏の一文、さもありなんとは日頃想えども斯くなまなましい話を読むと、流石にうんざり。さてさてこの“不況”下で、事態は深刻化?   (京都 Y.Kさん)

コメント.
 先日、土木建設業を営んでいる友人に会ったところ、「僕もあんな目で見られているのかなあ」と寂しげでした。彼の気持がわかるだけに、なんとも返事のしようがなくて。
 こうした話を聞くたびに、事実が闇に隠されている限り、便宜供与を求める事象はなくならないように感じます。企業も行政も陰でブツブツいうだけで、正面切って向き合おうとはしない。運動団体にしてからが、それが部落解放運動の根幹にふれる問題だと切実に感じているようにみえません。このままだと、被差別部落とそこに住む人びとへのマイナス・イメージは薄らぐどころか、いよいよ固定化するにちがいない。暴力への恐怖がからむだけに、きれいごとではすまない部分があるとはいえ、なんとかしなくてはと焦りに似た気分にとらわれます。

その2.
■ 私の近況は…。今年3月で、ついに長年続けた解放同盟支部の役員を辞めました。端的に言ってしまえば、自分の身体の方が大事やということで決断したのです。また、同じ思いで、もう一人の仲間も同時に辞めました。彼は完全に神経的なものから身体をこわしてしまいました。
 私たちは、あえて藤田さんに言うには及びませんが、決して忙しさから疲れたものでもなく、もう精神的に耐えられなかったということです。詳しい中身については省かしてもらいますが、これも端的に言うならば、自分が同盟員、ひいては支部の幹部でいること(名乗ること)が恥ずかしいということです。自分もこの集団の一員であること、そのように見られることに耐えられないのです。
 つまり、それだけこの集団の評判がよくないということです。集団とはいえ、その評判を悪くしているのは、この集団の顔的存在の一部ではありますが……。『同和はこわい考』通信No.76の話ほどではないですが、表では一応「人間解放」という崇高な理念を訴えながら、中身を見れば……。この集団に近寄れば近寄るほどそのギャップを目の当たりにし、あきれはててしまう人々が増える一方です。このような状況は、決して自分の地域だけのことではないと思いますが。もう、それらの状況をつくってしまうのは、ほんの一部の者のせいという言い訳では、多くの人々を納得させることは困難なところまで来てしまっているのではないでしょうか。
 自分は、もう現在の地域の集団の状況が変化しないかぎり、もうその中核に身をおくことはないですが、自分のこれからの人生において、差別問題や人権問題は自分の中核においていきたいとは思っています。
 近年、わが街だけでなく全国的に「差別落書き」が多発しています。行政の担当者は。これらに振り回されています。これらの防止策には、これといって有効なものはなく、いたちごっこをするしかありません。
 運動体は、行政や落書き場所の企業に防止を要請するばかりで、自ら何かを積極的にすることもありません。これら落書きの書き手の真意はわかりませんが、自分は行政の啓発不足より、前述したような運動体のありようの方が大きなウエイトを占めているように感じます。世の中不景気になり、ますますこれらの類いの差別事象は増える一方ではないかと危惧しています。
 このような状況の自分ですので、この前も藤田さんから『こぺる』への寄稿を 促されましたが、何かを書くような前向きの意欲もないのが本音です。しかし藤田さんをはじめとする皆さんとは、何かの形でつながっていたいと思いますので、これからもよろしくお願いいたします。   (M.Sさん)

コメント.
 M.Sさんとその友人が支部の役職を辞任なさった背景にどのような事情があったのか知るよしもありませんが、「精神的にまいった」といわれると、なんとなくわかる気がします。もちろん、運動に責任を持たない行き方だと批判する人もおられるでしょう。しかし個人が組織に加わるのも、組織から離れるのも本来自由なはずで、それをとがめだてることは誰にもできない。だいたい組織は個人が生き生きできるものであってはじめて意味がある。なにより個人が無理をしなければならない組織、個人の自発・自主・自立を基礎としない組織、自己解体と自己再生の契機を内にもたない組織は衰弱するしかない。そのような組織に縛られてダメになるより、一旦離れるというのも一つの生き方だと、わたしは思います。

《 採録 》
芸備人権新報(発行人 小森龍邦)No.467(93.11.15.)コラム「視点」
 「両極からこえる」という論理が『同和はこわい考』の賛成者らによって盛んに主張された。ねらうところは、被差別者の解放への願いを抑えて、ときの支配権力にとりいろうとしているのである。
▼よほど、そのねらいを軽く見て、解放運動の主流からはずれた連中が、部落解放同盟中央本部を手こずらせてやろうとして、支配階級の拍手するようなことを言っていると考えるより他にない。
▼つまり自分たちの力だけでは対抗できないから、敵の敵は味方という雰囲気に酔っている姿だと言えよう。しかし、ここにある差別事件が起きたとする。結婚して、もうかなりの年月もたち、子どもたちも相当成長している。こんなときに起きた差別事件だとする。
▼思ってもみなかったことだが、もともと被差別部落出身ということは承知の上で結婚を求めてきた。配偶者の一方はそれを信じて結婚した。ところが人生には「山あり谷あり」「風の日も嵐の日も」といった具合である。
▼一方が離婚したいという気持ちになることもある。そのとき、差別感情が表面化してくる。部落出身者の配偶者をきたならしい穢れたものとしてののしる。そんな言動に走る一方の親きょうだいもこれに同調する。
▼こうなったとき、「両極からこえる」の論理で問題の解決をはかるということは具体的にどういうことなのであろうか。その差別に抗議し、追及するという姿勢からはじめなければ、問題の解決に近づくことはできない。
▼もし仮に、そのように差別されるものを身内にもっているとして、その親たちは「両極からこえる」といって、相手の立場を認めることになるであろうか。

《 随感・随想 》
部落解放運動に新しい風は吹くか
藤田 敬一
 10月19日から21日まで、名古屋で開かれた第27回部落解放全国研究集会(部落解放同盟中央本部主催)の第五分科会「新たな部落解放運動の創造と課題」で、大賀正行さん(元中央執行委員、部落解放研究所研究部長)が紹介した参加者の意見のなかに、『同和はこわい考』にふれたものがあったと友人が電話で知らせてくれました。どんな意見だったのか気になっていたところ、今度は別の友人から次のような便りが送られてきました。

全研の第五分科会の中で紹介されました参加者からの意見と大賀さんの対応ぶりの部分のテープ起しをしてみましたのでお送りします。分科会の全容をお送りできればよいのですが、ご存じのとおり、大賀さんのお話しのテープ起しは、なかなか大変でして、相当の時間を要しますのご容赦願います。なお、この分科会のパネラーは上杉佐一郎さん、大賀正行さん、磯村英一さん,それに東京人権啓発企業連絡会の篠崎欽吾さんという方で、司会は愛知大学の平野一郎さんが担当されました。

“それから、次に、若干の質問といいますか、ちょっと書いてある意見を申し上げますと、企業の方です。「極めて率直な意見、提言に感動すら覚えます。今の大賀さんの考え方だったら、数年前の『同和はこわい考』の出版に対して、中央本部がとった圧殺の態度はとられなかったでしょう。大賀さんは、『こわい考』に対して再評価はないのでしょうか。いずれにしても、まだかってない率直な開いた解放同盟の姿勢にエールを送りつつ、提言する段階においても、同様の認識で取り組まれることを切に要望します。」という要望で書いておられます。ということで、こういう意見があったということを申し上げておきます。”

『こわい考』は出版当初、部落解放同盟の集会などで一時話題にされたことはありますが、それ以降はほとんど無視されてきました。おそらくそれは87年12月21日付『解放新聞』に掲載された中央本部名による「『同和はこわい考』にたいする基本的見解-権力と対決しているとき-これが味方の論理か」の影響でしょう。社会党本部のある人が「『こわい考』という本は解放同盟の中央本部が批判しているものだろ」といって、手に取るのもはばかったという笑えぬ話もありました。それから六年、全国研究集会で大賀さんにたいしてこのような意見を書く人がいて、それを握りつぶさずに大賀さんが紹介したというのを聞くと、やはり感慨深い。
 大賀さんの意見、提言の詳しい内容はわからないけれども、部落解放同盟中央本部編『新たな解放理論の創造に向けて-中央理論委員会[提言]』(解放出版社、93.11)をみると、おおよその見当はつきます。大賀さんが執筆したと思われる第三期運動部会の提言には、

昨年、「地対財特法」の五年延長をみたが、「内閣同対審答申」(1965年)以降飛躍的発展をとげてきたこれまでの運動と組織は、「特別措置法」時代の終結により大きく構造的転換を余儀なくされることは明らかである。また、権力によるあらたな攻撃に対する備えも必要である。しかるに法延長慣れというべきか、法期限後に対する危機意識が欠如している。また、「特別措置法」という有利な条件は一部に「甘え」や「行政依存」のぬるま湯的状況と自主解放の精神を麻痺させ、一種の「バブル運動」ともなりかねない危機的状況を生み出している。(中略)部落の実態や部落大衆の生活の大きな変化、部落をとりまく周辺地域や国民意識の変化は、従来の要求や運動に転換を求めている。行政闘争第二期とも言うべき時代の、特に「特別措置法」以後の運動の総括、わが組織の長所と短所、あるいはその強さと弱さをえぐりだし、「部落解放運動とは何か」「完全解放を担いうる主体はできているのか」と自問し、大胆な点検と改革への取り組みが必要となっている。(P17)

と述べられている。この程度のことなら十数年前から指摘されてきたことであって、なにをいまさらという人がいるかもしれませんが、ここには特別措置法期限切れを目前にした部落解放運動への危機感がにじみ出ています。相変わらずノンキなことをしゃべっている人が大勢いるなかで、大賀さんのこのような危機感は貴重だと、わたしは思う。
 大賀さんは気づいているにちがいないでしょうが、その危機感の根っこを探ってゆくと、部落解放同盟が、いわゆる第三期運動への展望、方針を見出し得ていないという事実に行き着かざるをえません。そうでなければ“部落とは何か、部落民とは何か、部落完全解放とは何かが問われている”とまで書く(P29~30)必要はないからです。
 わたしがこれまで求めつづけてきたことは、「部落差別とはなにか、その実態はどうなっているか、どうすれば部落解放が達成されるか」といった部落解放運動の基本問題について、部落差別の撤廃を願う者同士が差別・被差別の資格・立場を超えて真剣に論議することにつきます。その意味で大賀さんとなら対話が成り立つ気がする。
 もっとも、前掲『新たな解放理論の創造に向けて-中央理論委員会[提言]』は全体に未整理で、課題の羅列にとどまり、突っ込み不足という感は否めません。問題の核心がみえてこないのです。とくに研究者が書いたとおぼしき部分は運動や組織に遠慮したのか、なんとも迫力がない。来年三月に予定されている第51回全国大会で集約される「部落解放運動の基本方向」を期して待つほかないようです。
 最後に、ぜひ大賀さんに検討してもらいたいことがある。それは部落解放運動の思想についてです。「人間性の原理に覚醒し、人類最高の完成にむかって突進す」る崇高な運動として自らを位置付け、自主解放の精神、自立・自闘が強調されているけれども、かかげられる理念、思想と運動の現実との裂け目は広がるばかりだとの印象をもっている。ついこの間、ある町の運動団体と行政機関との関係をばらした文書を読みました。団体の中枢にいる人が書いたものだけに信用できます。一読、ほんとに哀しくなった。狭山の集会に委託事業費を流用するどころの話ではない。詳しくは紹介できませんが、行政にたいしてタカリもどきのことをやっていて、どうして自主・自立・自闘の運動が可能なのか、わたしはさっぱりわからない。
 部落解放運動の思想を水平社宣言で代替させることは、もうやめた方がいいのではありませんか。もし水平社宣言をかかげるというのなら、現実の運動を宣言に近づけるべきで、宣言でもって現実の運動を飾らないことです。それが運動への信頼を取り戻すために最低限なすべきことでしょう。そのとき、部落解放運動に新しい風が吹くと、わたしは思います。

《 川向こうから 》
★自宅からしばらく南へ車を走らせると、東北に御嶽山、西に伊吹山、そして空が澄んだ日には東に恵那山がみえます。京都で育ったせいか、まわりに山がみえないと、なんとなく落ち着かない。岐阜は濃尾平野の奥まったところに位置し、その点なんとも気分がよろしい。ほれ、小さい頃、机の下なんかに囲いを作って遊んだことがあるでしょ。あれに似ているのかなあ。
★11月から12月にかけては、会議会議の連続で、猛烈な忙しさでした。それでも合間をぬって島根、兵庫、石川へ出かけ、親しい友人や知人と再会し、お酒も少しいただいて命の洗濯をしました。お世話になったみなさんに感謝。
★部落解放同盟中央本部編『新たな解放理論の創造に向けて-中央理論委員会[提言]』は、やはり読んでおくべき一冊です。そのさい、部落解放研究所編『図説 今日の部落差別-各地の実態調査結果より』第2版(解放出版社、91.10.)と杉之原寿一著『部落問題解決の到達段階-全国自治体の実態調査結果』(部落問題研究所、93.10.)をあわせて読まれることをおおすめします。
★『朝日』名古屋版(93.12.3)コラム「記者席」に「「最近、いろいろな『圧力』が感じられる」。政府提出の政治改革法案に反対票を投じた社会党の小森龍邦代議士の言葉である。小森氏によると、例えば十二年間書記長を勤める部落解放同盟から法案への対応について翻意を促され、結局書記長辞任を申し出たという。部落解放基本法制定を目的とした集会への欠席を求められたこともあったという。」とありました。一方、『解放新聞』広島版12月8日号の基本法制定要求第7波中央集会に関する記事には「『細川政権と連帯』に疑問の声」の見出しがつけられ、「過日の衆議院本会議で小森君がとった行動は、あくまでも小森君の個人的な政治信条に基づくものでありまして、私ども部落解放同盟がもっております細川政権と連帯していくという方針はなんら変わるものではないということを皆さん方にまず明らかにしておきたい」との上杉佐一郎委員長の発言を紹介するとともに、「集会参加者からは(中略)なぜ上杉委員長が謝罪の意を表わすあいさつをしなければならないのか、『基本法』に対して自民党政権と同主旨の国会答弁をしている細川政権と解放同盟が連帯していくというのはどういう意味か、との疑問の声が聞かれた」と報じています。「主張」の欄でも「悲しいことだが、部落解放同盟中央本部の幹部が突然、「細川内閣と連帯する」と言い出した。もちろん、思いつきと言わざるを得ない。おそらく幹部クラスの中の何人かがこの発言をさせるように誘導したものと思われる。このような方針を宣伝することが、その人たちにとって利益になることであり、都合がよいからであろう」と指摘しています。要するに政界再編の波が部落解放同盟にも押し寄せたということなんでしょう。それが部落解放運動にどのような影響を及ぼすか注視する必要があるとは思うものの、もう一つ関心がわかないのです。かなりひどい組織アレルギーにかかっているせいかもしれません。
★最近読んだ本のことなど───中上健次『紀州-木の国・根の国物語』(朝日文庫)の巻末エッセイ(千本健一郎「いとおしさを追う旅」)は、交流を通して垣間見た中上の内面が丁寧に書きとめられています。野間宏・安岡章太郎との鼎談について中上が漏らした感想も、わたしにはとても興味深かった。/筒井康隆『断筆宣言への軌跡』(光文社)の序文(井上ひさし「『われわれ』と『彼等』」)は、短いけれども人間と差別について考えさせられる文章です。/あれこれ悩んだあげく『岩波講座 日本通史』を予約しました。第一巻「日本列島と人類社会」の巻頭は網野善彦「日本列島とその周辺-『日本論』の現在」で、なかなかに刺激的でした。これまでとは違った新しい歴史像が期待できそう。
★11月26日から12月16日まで愛知、島根、京都(3),岐阜(4)の9人の方から計48,828円の切手、カンパをいただきました。ほんとにありがとうございます。本『通信』の連絡先は〒501-11 岐阜市西改田字川向 藤田敬一です。(複製歓迎)