同和はこわい考通信 No.76 1993.11.22. 発行者・藤田敬一

《 紹介とお知らせ 》
『こぺる』No.9(93/12)の内容
『特殊部落一千年史』の改題をめぐって④⑤⑥
 八木 晃介:「危険な存在」の再評価-師岡・沖浦論争に寄せて
 布川 弘 :『特殊部落一千年史』の復刻について
 本田 豊 :部落問題“翻訳”事情
時評①
 師岡佑行:はだかのクイーン
第六回『こぺる』合評会から(藤田敬一)

『こぺる』合評会:11月27日(土)午後2時 京都府部落解放センター2階

《 各地からの便り 》

■ 新『こぺる』No.5の灘本昌久氏「第三期の部落解放運動とイメージ戦略」という論文に「(部落についての)マイナスの証拠を積み上げられて、(一般の人々の)内面に巣くうマイナスイメージを放棄する人を想像することはむつかしい」とありました。「内面に巣くうマイナスイメージ」の具体像を考えたのですが、かつて数年前に書いてそのままにしていた文章を思い出しました。また『同和はこわい考通信』No.73に再録された藤田さんの文章に「劣悪な実態が偏見を生んでいるのだから、実態が改善されれば偏見はなくなるはずだった。ところが差別事象があとを絶たない」とありました。この差別事象とは具体的に何なのか、私自身の体験を通して考えたとき、またしてもかつて書いた文章を思い出したのです。私の体験がどれほど嫌なものであったか、その嫌な感覚こそが「内面に巣くうマイナスイメージ」「差別事象」ではないかと思われ、以前書いた文章も「積み上げられたマイナスの証拠」「あとを絶たない差別事象」の実際として、それなりに意味があるのではと考えてお送りする次第です。よろしければ掲載してください。(W.H.さん)

私の出会った「同和」の人々

 私は今役所勤めであるが、職務内容の必要上、土建業者との付き合いが多い。当然その中には、いわゆる同和企業も少なくないし、それらの業者に関する話を聞くことも多い。それに私自身、今の仕事につく前に土木関係の同和企業で二、三か月ほどアルバイトしたことがある。従って普通の人よりは同和企業について体験や知識は豊富だろうと思う。同和企業との具体的で実際の体験に基づいて、私なりの感想を持っている。それはあまり楽しいものではない。そういったことをあからさまに語ることが、部落解放運動に弓を引くものであることは重々承知していたからこれまでほとんどしゃべることはなかったのだが、いつまでも黙り続けるのもおかしいと感じてはいた。なぜなら「同和」についての不快な話は、わが職場だけでなく、土建業者の世界で広く知られており、常にまわりに気を使いながら、こそこそと話されているからである。私は、たとえ事実であっても公言することは差別に加担することになるかもしれないと考えてきた。多くの人は糾弾を恐れて口をつぐんでいるようにみえた。それはひそひそと語られるのみで、文字化されることはなかったと言ってよい。しかし、なぜそれが秘密の内緒話として広まっていくのか、それこそが差別ではないのか、いつかは公にして部落差別の実態を世に問うていくべきではないのか、とも考えていた。今その話を書いてみたい。こそこそ話をそのまま放置しておいてもなんの解決にもならない、こそこそ話を公にして議論してこそ解決の道が見付かるかもしれないという思いが強くなってきたからである。
 A市の水路改修工事で、B社という同和企業が3100万円ほどで落札して仕事をとり、なんと35%ピンハネして2000万円で下請けに出した。下請け業者はいくら仕事をしても儲からないのに腹を立て、夕方仕事を終えても道路清掃をしない、夜間工事車両を不法駐車させる、苦情を言う付近住民とケンカするなどのトラブルを起こした。工期は遅れて、四か月工期で年度内に竣工しなければならないものが、工事が終了したのは八月だった。それでも元請けB社は1000万円以上のピンハネがあったので損はせず、欠損は下請けがかぶった。工事内容は非常に杜撰で、担当した役所の職員は「あの水路は十年ももたないかもしれない。B社社長はうちの市長とツーカーの仲なので契約違反だからといって契約を破棄できない。竣工検査も目をつぶって通すしかない。社長を呼んでうちの係長とじかに話をしてもらったが、言うことを聞かない。私はB社の社長に殺されるのではないか」とこぼしていた。「殺される」とは、おだやかでないけれど、その気持ちは私には痛いほどわかる。みなさんに理解してもらえるだろうか。
 ある道路に伴う掘削工事のこと。元請け業者はBクラス(わが役所では土建業者はAからDまでせランクづけしている)なので、一応信用できる。埋め戻しは掘削土で行うという設計で発注したのだが、実際には産業廃棄物で埋め戻された。次に入る工事の業者がびっくりし、何とかしてくれと頼みにいったが、元請け業者自身知らないことだった。しかし掘削および埋め戻しを担当した下請けが同和企業であると聞いてあきらめた。そのためにかかる余分な費用は元請けと次の業者が負担したという。
 ある県の土木事務所では、ちょっとした工事でも地元の小企業のために分割発注するという話がある。一本の工事発注では価格が大きくなり大手しか受注できないが、分割発注すると小さな業者でも受注できる。ただ分割発注の方が現場管理費や一般管理費が高くつき、結局は税金の無駄遣いになる。しかも地元の小企業に公平にやられているのかといえば、必ずしもそうではないらしい。同和企業に一本向けるためだという。一種の特権になっているのである。
 また大手の土建業者が受注しても、その工事の下請けの一つに同和企業を入れるように役所の課長かそれ以上のクラスの人が「指導」しているという。大手の元請け業者の人から聞いた話だが、「指導」されるとイヤとは言えない。下請けに入ったある同和企業は口銭こうせん(普通は7~10%だが、同和企業の場合は倍以上になるという)だけとって仕事はすべて孫受けにまわしていた。しかもこの孫受けも評判の悪い業者だった。別の工区では、同和企業は名前を連ねるだけにしてもらっていると言う元請けもいた。名前を出すだけで家が一軒建つぐらいのお金が入るのだから、こんなうまい話はない。
 同和地区を中心とした一定のエリアで土木工事があると、必ずといっていいほど「同和」を名乗る人が出てくる。ある地域で工事の挨拶がなかったということで、一本(百万円)とられた。なんでもそのあたりでは挨拶料として50万円いるという。私の担当したところでは、外車2台に乗った一見ヤクザ風の男が7~8人やってきて、元請けの現場事務所に走って行った。私は役所の作業服をすぐさま脱ぎ捨て、ただのアルバイトという風に装って作業し、様子を見た。彼らが帰った後、事務所に入ってみると、顔をひきつらせた業者の現場担当者がおり、机の上には「同和○○会」という名刺が置いてあった。何があったのか、その人は話してくれなかったのだが、噂によれば、元請けの挨拶はあったが、孫受けの挨拶がなかったので来たらしい。その場の雰囲気から、脅しに類する言動があったことは容易に推測できた。
 ある同和地区の近くで崖崩れ防止工事を予定していたところ、工事車両を進入させるのに個人の土地を通過するしかなかった。普通ならこの土地を借地して仮設道路を造り、工事が終われば復旧して返還するのだが、土地の所有者が部落解放同盟員だった。支部の幹部などが出てきて、結局この土地は役所の費用で宅地にできるよう造成することになった。崖崩れの工事で災害の危険もなくなるので、利益になると思うのだが、その上に宅地造成までやらせたというのはどうみてもゴネ得としか映らない。「そんなことを認める上司も上司だ」と、担当者は怒っていた。
 以上、私が実際に見聞したことの中で確実と思われるもののいくつかを述べた。こんな同和企業は一部のもので、すべての同和企業の実態ではない、評判のよい良心的な同和企業もある、と反論する人もいるだろう。おそらくその通りだと思う。しかし、私のまわりでは同和企業について聞く話はみんなかんばしくないものばかりで、私自身、不愉快な体験しかしていない。
 それだけではない。私の職場では、同和地区とそこに住む人々、運動団体について悪いイメージが定着している。

「今日は遅刻しそうになって仕方なくあそこ(同和地区)を走ってきたが、犬や子供が飛び出してきたらどうしようかとヒヤヒヤした」
「高校生の単車に車をぶつけられた。聞いたらあそこに住んでいて、どうなるかと心配したが、警察には届けない、修理費は向こう側が持つということで話がまとまった。いい人で安心した」「それはラッキーだったね」
「選挙で解同のエライやつが落ちたと聞いて思わず拍手した」「私もだよ」

こんな会話を部落解放運動に携わっている人が聞けば、なんという差別意識に満ちた差別者集団なのかと思われるにちがいない。しかし、これが実情なのだ。それだけに「同和」関係で不愉快な体験を有する職員に、いくら同和研修をしても説得力があるとは思えないのである。「同和のことは聞きたくない」「何が人権だ、何が解放運動だ」という本音がこそこそと語られる。周囲に気を使って、本当に安心できる人を選んでなされる、息をひそめた「差別会話」。同和研修は、自分の「同和」に対する今の思いを正直に大きな声でしゃべってはならないことを学ぶ効果しかない。そして解同を真っ正面から批判する共産党のビラを読んで溜飲を下げるのである。当然のことながらわが職場の労働組合は共産党系の自治労連で、解同と友好関係にある社会党系など見る影もない。個人的には共産党嫌い、反共主義者も多いのに、である。
 この差別的現状をただ見守るだけでは部落問題の解決につながるわけがない。といって、こそこそ話を記録して、運動団体に持ち込んで糾弾を受けたとしても、いわゆる同和関係者や解同と具体的に接触する機会が多いわが職場の者は、身を固くして意味もなくひたすら平身低頭、聞き流すだけであろう。むしろ誰がタレ込んだのかと犯人捜しが始まるだろう。どうやっても事態の解決にはならないと、悶々としてきたのだが、やはり差別的事象の実態を記録しておくべきだと思い、この一文を書いた。私は、部落解放運動から見て、差別を世間に広める典型的差別者で、とんでもない奴ということになり、犯人捜しの対象にされるかもしれない。ウソを書いたのなら悪質な差別者として糾弾されても仕方がないが、私は自分の知る範囲の中で事実を書いた。事実なら事実として素直に受け止め、ならば今後どうすべきかを議論していくような作風がほしいと思っている。たとえ事実であっても書くべきでない、事実を書くことは差別の拡大助長につながる場合もあるのだ、と指弾する人もいよう。その論理も十分理解できるのだが、といって部落解放にわずかなりとも思いを寄せる私に、今の現状に対して一体何ができようか。

コメント.
 土木建設業をめぐる嫌な話は、ずっと以前から聞き知っていましたが、こうした見聞にもとづく事例を読むと、やはり暗澹たる気持になります。噂と事実との関係は微妙とはいえ、これらの話を偏見にもとづくたんなる噂と言い切ってしまわずに、きちんと見すえる必要がある。それにしてもW.Hさんの職場の同僚たちの本音の会話には、言葉を失ってしまいます。不信と憎悪が渦巻いている。人間の欲望がむきだしの形で現われる場での、貧しくて不幸な出会いの一例といってすますこともできるでしょう。しかし事態は部落解放への取り組みの根幹にかかわっている。
 先日もある市の同和対策課の人と話す機会があったのですが、やっていることに確信がなさそうで、行政責任一辺倒の論理にすっかり疲れている様子でした。そんな人に「両側から超えて共同の営みを」といってみても笑われるのがオチです。しかしそれでもなお、人と人との関係は変えうるものだと、わたしは信じたい。気づいたものから、まず関係を変える努力をするしかないのです。黙っていることをやめる。疑問があるなら問いただし、納得いくまで議論する。絶望を語るのはそれからでも遅くはないのですから。W.Hさんのお考えはどうですか。

《 再録 》
共同の営みのなかで関係を変えるということ
藤田 敬一
 『朝日ジャーナル』の「人」欄に、石牟礼道子さんのインタビュー記事がのったことがあります(1980年7月11日号)。水俣を部落差別問題におきかえても、そのままあてはまるような話がつぎつぎと出てくる。補償金が出ることによって「昔あった、あるのびやかさみたいなもの、お互いに共同して漁労だけじゃなくて、精神生活にもあったある共同性みたいなものが破壊されていますね」という部分など、共同体としてのつながりが稀薄になっている被差別部落の姿と重なってしまい、身につまされる思いがして、当時たずさわっていた部落解放運動関係の小さな雑誌の編集後記に、石牟礼さんの言葉を書きとめたのでした。
 被差別部落にかぎらず、共同性の弛緩は近代の、とくに高度経済成長期における社会変化の一現象でしょうが、同和対策事業は、それを一層推し進めたように思います。五〇年代の末から六〇年代の初頭にかけて話を聞かせてもらったことがある都市部落は、中層・高層の鉄筋アパート群に変貌し、鉄の扉に象徴されるように、「味噌貸して、醤油貸して、米貸して」といったつきあいは姿を消していました。加えて部落解放運動に占める事業の比重は、わたしの予想をはるかに超え、事業を抜きにしては運動は語れないような情況も現れていました。個人施策を受けようとするのなら、たとえば学習会に出席するなど運動に参加してほしいと幹部が考えるのは当然でしょう。その結果、学習会に何回出席したかが問題になり、とうとう出席をとるところも出てくる。ある支部で、わたしが狭山事件の話をしたときには三百人ほどの出席者があったのに、二、三か月後の教育の話にはわずか十数人しか集まらなかったと言います。理由は簡単で、わたしのときは出席のハンコをおしたけれども、教育の話のときはハンコをおさなかったからです。事業は手段で、解放が目的と言われながら、すでに手段と目的とのあいだのつながりが見えにくくなっていました。部落解放運動にとって同和対策事業はどういう意味をもつのかわからなくなり、わからないままに、なにかに追い立てられるような気持で人に議論をふっかけたりしたのはその頃のことです。
 ところが、わたしの意見は空を切るばかりで、議論が成り立たない。それはそれでかまわないのだけれど、運動の根幹に触れるような意見を出すと、「部落民でもなく、現場も知らない大学教師、評論家、サロン談義家になにがわかるか」「部落民でない者がそんなことを言うと差別になる」と言われたのには、正直言ってまいりました。あきらかに、それはわたしへの拒絶宣言でした。そうなると、分をわきまえず一線を超えてしまった己が正体が暴かれたような具合になり、まことにぶざまな状態に陥ってしまうこともしばしば。わたしは次第に、差別する側に立つ者と差別される側に立つ者との対話のとぎれとその背後にあるものはなんなのか考え込むようになります。まわりを見渡せば、対話のとぎれがいたるところで起こっていることにも気づきます。
 運動や組織、被差別者と言われる人びとに身と心をすり寄せる随伴者であるかぎり、そして自らの内面を問うことなしに、自分との差異を飛びこして相手に同一化しようするかぎり、差別・被差別関係の全体像は見えないのではないか。差別・被差別の両側からの資格・立場の絶対化、差別・被差別関係の固定化が対話のとぎれを生んでいるのではないか。もしそうだとすれば両側から超えて、とぎれる対話をつなげる努力をしつつ、部落解放運動を共同の営みとして進めることが求められているのではないか。そんなことを考えたあげくにまとめたのが、『同和はこわい考』(阿吽社、1987年)でした。あれから六年、いまだにその波紋に揺さぶられています。被差別者の立場を否定する意見だ、差別者のいなおりだ、融和主義・差別主義だとの批判も受けている。
 ところで、人間を被差別部落外出身者と被差別部落出身者、差別する側に立つ者と差別される側に立つ者、差別者と被差別者に分け、あるいは主体と支援者、中心と周辺に分けるのが、これまでの普通の考え方です。両者のあいだには超えられない溝、突き崩せない壁があるように思っている人も多い。しかし、このような考え方こそが差別と被差別の隔絶された関係を生んでいるとは言えないでしょうか。ヒト・モノ・コトを相対立する二項に分けるのは古くからある思考方法ですが、この二項対立的な分け方にとらわれると、往々にして個性を持つ多面的な人間を、ある種の紋切り型の人間類型にはめこみ、それにしたがって理解することになります。
 たとえば部落差別問題の場合、被差別部落民を実体があるものように考えられがちです。しかし被差別部落民は1871年以来、法制的な存在ではなくなり、社会的な存在となっている。被差別部落民はこの列島上に展開されてきた歴史に深く根ざしつつ、今日ただいまの暮らしのなかに生きる、部落差別(意識)を媒介にした人と人との関係においてイメージ化され命名されたものであって、それを実体のあるものとして定義づけることはできないのです。だから「被差別部落民とは、他の人びとが被差別部落民だと考えている人」としか言いようがない。被差別部落民は、厳密に定義しようとすればするほど曖昧になってしまいます。この曖昧さは、もちろん被差別部落民と言われる人にとっては堪えがたいものですが、部落差別が人と人との関係の問題である以上、曖昧さは避けられない。ところが二項対立的な分け方は、曖昧さを許しません。その結果、差別・被差別の資格・立場の絶対化、関係の固定化が起こってしまう。部落差別問題を解決するには、おたがいにこの二項対立的な分け方から解き放たれる必要があります。二項への分離、分割を前提にしているかぎり、いつまでたっても二項を超えることはできないのです。
 問題は、部落差別(意識)を媒介にした人と人との関係そのものを変えることです。そのためには、これまでのような二項対立的な分け方ではなく、人間というものに立ち戻るしかない。石牟礼さんは前述のインタビューのなかで、

やはり不幸の数は星の数ほどあって水俣だけではございませんで、水俣だけに耳をすましているというふうにはいかないでしょう。それが人情……自然です。ですから、ずっと持続するのがむずかしい。

と語っておられます。ちょうどその頃、ある人から「人の不幸はいくらでも辛抱できるから」と言われたこともあって、石牟礼さんの言葉が心にしみました。五、六〇年代に被差別部落(当時は未解放部落と呼ばれていましたが)に出かけて子ども会をやり、実態調査に参加した学生は大勢いたけれど、大多数の者は卒業とともにぷっつりと顔を見せなくなったし、七〇年代に部落解放運動に加わり、いつしか離れていった人も多い。しかし、その人びとを非難できるわけがありません。なぜなら「人の不幸」と無関係に日々の生活が過ごせる“わたし”とは、ほかの誰でもなく、このわたし自身なのですから。なにかの運動にかかわっているからと言って、「人の不幸」と無関係に日々の生活が過ごせていることまで否定できはしない。まして人はどんなにがんばっても他者になりかわれないのです。それが人間の現実、人間の限界でしょう。被差別の立場にあるとされる人だけがこの現実、限界からまぬがれているとは、わたしには思えない。
 言葉をかえて言えば、取りかえのきかない、一回かぎりの“わたしの生”を、人間の現実、人間の限界をみすえつつ、いかにして共感と連帯の世界に生きる“生”たらしめるかという課題は、差別・被差別の資格・立場を超えて“わたし”の前に差し出されているのです。そして言うまでもないことですが、被差別の立場、当事者の立場にあるということだけでは、この課題を引き受けていることにはなりません。このように考えてはじめて、それぞれの資格・立場は対象化され、相対化され、したがって資格・立場を超えて共同の営みを進める出発点に立てるのではないでしょうか。
 かつてわたしは、本来その人自身が責任を負わなければならないことまで「差別の結果だ」として理解しようとしたり、被差別部落民であることを呈示されたとたんにひるんだり、「部落民でない者に、なにがわかるか」「足を踏んでいる者には踏まれている者の痛さがわかるはずがないのだ」と言われて黙ってしまったことがあります。それらの体験は苦い思い出として、いまもなおありありとよみがえってきます。疲労困憊、悪戦苦闘のすえにたどり着いたのが、「おたがいの差異を認めつつ、“丸ごと生命いのちいっぱいの人間”として向きあい、共同の営みを続けるとき、気がつけば両者を隔てていた溝が埋まり、壁が消え、差別・被差別の二項対立でない人と人との新たな関係が生まれているにちがいない」という見通しです。その通りになるかどうかわかりませんが、少なくともわたしは、自分を随伴者の立場におくようなことは二度とすまいと心にきめています。随伴する人がいて、随伴される人がいる。自らを周辺と位置づける人がいて、自らを中心と位置づける人がいる。そんな関係に身をおくことを、わたしは拒否します。人と人とが二枚の合わせ鏡のように映し映される関係のなかで出会いたいからです。

 *水俣病センター相思社『ごんずい』No.17(93.7.25.)特集「しょせん人ごと、されど我がこと」に掲載。再録にあたって少し字句を変えました。

《 川向こうから 》
★自ら招いた忙しさにテンテコ舞いしています。会議で、いらん発言をしたために、全学の委員会に出る羽目に陥って。その一つ、「いったい大学構内の交通規制はどうなっているのだ。無許可駐車は横行するわ、外来者用駐車場が朝っぱらから学生や教職員の車で埋まるわ、なっとらん」と発言したら、交通対策委員に選ばれてしまった。しかも各学部持ち回りの委員長ポストがわが学部に当たるという運の悪さ。おかげで駐車違反の張り紙を貼ったり、無許可入構をチェックしたり。口は災いのもとといいますが、大学にもイジメがあるんですな、クソッたれ!
★大学祭恒例の“みこし祭り”で、史学科の学生たちと「琉球首里城」をかついで優勝。翌日は筋肉痛もなくシャンとしてましたよ。ただ我慢できないのが、“ケンカみこし”が年々おとなしくなってきていること。負傷者が出るのを心配する学生部の要請で、長良川の河原を整地し、ライトをつけ、お行儀よく“ケンカ”するのは、みっともないかぎり。大学当局に管理された“ケンカみこし”なんて、面白くもおかしくもない。そう思はりません?
★祭りといえば、滋賀県の水口町で大名行列が中止になったとか(朝日名古屋版93.11.8.)。「同和問題の研修会で「大名行列は身分制度を再現し、人権上問題がある」との指摘があったため大名行列は急きょ「歴史街道夢絵巻」のパレードに変更した。/九月中旬、地区ごとに開かれている同和教育の研修会などで、「虐げられた人々の立場を考えず、古い身分制度を無批判に美化するのはおかしい」などの批判が出たため、十月二日の実行委員会で「大名行列にこだわる必要はない」として中止を決めた」という。これにたいして、「中止は行き過ぎだと思う。確かに大名行列はかつての身分制度を美化するものだが、それがすぐに現在、差別を生み出すことにはならない。要はお祭りなのだから、いろんなことをやって、みんなが楽しめればいいのではないか」との奈良本辰也さんのコメントが載っていました。「お祭りなのだから、楽しめればいい」というのは、実に愉快です。いまどき、こんなのびやかなコメントを出す人がほかにいるかしらん。
★『北陸教学通信』18号(93.8.1.)に藤井慈等さんが北陸聞法道場月例学習会でなさった講演録「『解放運動の主体の形成』にむけて」の一回目が載っています。藤井さんは、この間のやりとりに関して「藤井さんは藤田さんに「主体性の問題」を尋ねている。ところが藤田敬一さんは「解放理論の問題」としてそれを受けとめている。だからくいちがう」という和田 稠さんの意見を紹介しておられます。しかし具体的な問題を抜きに主体性論をひねくりまわしたところで、空疎な議論にしかならないことは、かつての主体性論争が教えている。部落解放運動における“主体”が問題なのです。「主体の確立」を唱えていれば主体が確立するというものでもありますまい。ま、連載が終了した段階で感想を書くかどうか考えます。
★菊池山哉『特殊部落の研究』が批評社から塩見鮮一郎さんの解説つきで復刻されました(15,450円)。一方に『特殊部落…』を『被差別部落…』と改題して出版する書店があれば、他方に『特殊部落…』のまま出版する書店がある。そこで大いに議論が起こればいいのだけれど、『こぺる』以外に“特殊部落”をめぐって議論しているところはないようです。「朝まで生テレビ」のような中途半端な議論ではなくて、正真正銘の徹底討論をどこか企画しませんかねぇ。
★友人が京都市改良住宅家賃値上げ反対同盟連合会の『反対同盟ニュース』137号(93.10.6)を送ってきてくれました。タブロイド版6頁の大論文なのに、1年以上の家賃滞納者1500世帯、5年以上の滞納者400世帯という数字はあるものの、家賃の金額がどこにも書かれていない。値上げ反対を主張する以上、新旧家賃の比較は欠かせないのに、これでは世間を納得させるのはむずかしい。「部落民は、今なお市民的権利である就職の機会均等の権利が、行政的に不完全にしか保障されず、この差別の本質に制約された生活を余儀なくされている」という文章も、歴史が逆戻りしたのではないかと錯覚しそう。なんとも大変な論文で、一読の価値あり。
★『こぺる』が1400部に達しました。採算ベースまであと200部です。まわりの人びとに購読をすすめてくださるようおねがいします。
★10月20日から11月15日まで、岐阜(7),大阪の8人の方より計25,200円の切手、カンパをいただきました。ほんとにありがとうございます。本『通信』の連絡先は〒501-11 岐阜市西改田字川向 藤田敬一です。(複製歓迎)