同和はこわい考通信 No.74 1993.9.10. 発行者・藤田敬一

《 紹介とお知らせ 》
『こぺる』No.7(93/10)の内容
部落のいまを考える
 崎山 政毅「現代社会の中での同和事業」
ひろば
 梅沢 利彦「市民的権利と解放理論」
『特殊部落一千年史』改題をめぐって
 脇田 修「『特殊部落一千年史』復刻に寄せて」

こぺる合評会
日 時:9月25日(土)午後2時から
場 所:京都府部落解放センター第2会議室(電話075-415-1030)

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体 裁:A5判 16頁
発 刊:毎月25日(月刊)
購読料:年間4000円(送料込み)
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《 各地からの便り 》
■ 前略 一抹の不安を抱きながら、初めて参加させていただいた交流会、改めて人と人との出会いのすばらしさを、そして束縛の重苦しさとその解放の生々しさを体感いたしました。帰りの新幹線では、久しぶりに心地よい疲労感に浸っていました。自らにどう向うていくのか、大きな宿題も頂きました。まずは御礼まで。
   (愛知 S.Mさん)
コメント.
 資格や立場を問わず、自らの思索と実践を持ち寄って討論する、そんな当たり前のことが、部落解放運動関係の集まりでは実現できない。困ったもんです。とくに行政機関や企業に勤めている人にとっては、それぞれの組織の一員でもあるわけで、ホンネを、実情をと促されても、「はい、それでは」とはなかなかいかない。その点、部落問題全国交流会は当初から、自由な雰囲気のなかで討論してきました。初めて参加する人には戸惑いもあるでしょうが、いまどき珍しい集まりだと思っています。S.Mさんが交流会で、なにがしかの解放感を抱かれたとすれば、ほんとに嬉しい。

■ “朝田理論”にもとづく差別行政闘争路線がその限界性と重大な欠陥をますます露呈する中で、部落解放同盟は混迷と分岐を深め進行させながらも新たな道筋を求めて大きく変革しようとしていると私はみています。狭山・特措法の中で生きてきた世代であるだけに、痛切に肌で感じているところです。
 また、法期限切れを目前にして、部落解放同盟は理論的に、組織的に淘汰され、まさしく組織と運動の生き残りを賭けて私たちは闘わなければならないと考えております。法の有無にかかわらず、部落民が差別によって呻吟している事実が現存している限り、部落解放同盟は部落大衆の立場で存在しなければならないと考えております。問題は行政闘争路線に代わる今日的な運動の基本理論と路線が明らかになっていないところにあると思います。
 部落大衆と直接関わり、組織と運動の責任を負って活動を真剣にとりくんでいる人々にとっては、そのことが最も核心的な部落解放の課題であるに違いありません。部落解放運動の現状について様々に評論し、欠陥を批判する同盟員大衆、運動と同和事業の関係者はたくさんおり、私も謙虚に耳を傾けているつもりですが、その多くは現象だけを問題にして、核心的な問題に立ち入っていない的外れな意見、批判が多いように私は感じております。
 部落問題は何であり、部落解放とはどういうことなのか、そこに至るにはどういう手だてが必要になるのかを明らかにすることが、今求められていると思っております。私たちはこうしたことを真剣に研修、学習、討論すべきでありました。結局はお人好しの仲良しクラブだったのでしょうか。その場すらない状況を、私は残念に思います。何が忙しいのか分からない、働いているのか、遊んでいるのか、活動しているのか、無目的で無計画的な日常性に、私たちの多くは埋没しているように感じます。はっきりしているのは同和事業によって肥え太った人たちは、その私利私欲のため計画的に日夜忙しく働いているということです。政治的野望を持った人たちもその座を守るため懸命に努力しているということです。
 私たちは、地域でこうした日常性を克服して、何とか組織と運動を守っていきたいと努力を重ねているつもりです。
 先生とは、ずいぶん酒も飲んでおりませんが、みんなとこうしたことを論じ語りあえたら幸いかなと期待しております。最後は愚痴っぽくなりましたが、悪しからず。それではお元気で。              (大阪 H.Sさん)

コメント.
 部落解放同盟の第一線で活動している古くからの友人です。この便りから、組織と運動をなんとしても守らなければならないという使命感と展望の不透明さとに挟み撃ちにあっているH.Sさんの苦悩がうかがえます。使命感が強すぎると肩に力が入りやすく、展望の不透明さは焦燥感を生みやすい。そんなときは、一から自分の言葉で丁寧に考えるしかありますまい。批判も意見も評論もこやしにして、H.Sさん独自の見解を打ち出してもらって、その上で大いに議論したい。もちろん、その前に肩ならしのために一杯やるのは賛成。H.Sさん、連絡を待っています。

《 論稿 》
70年代ラディカル市民運動の隘路あいろ
 -花崎皋平『アイデンティティと共生の哲学』(筑摩書房)を読んで-②
柚岡ゆおか 正禎まさのり
(4) 国民国家は、政治によってのみ超えられる
 花崎さんは、冷戦後のこれからの世界において、「長期的な傾向として、民族、宗教、文化などさまざまなアイデンティティが、国民国家の同化・抑圧や国境による封じ込めをはみだし、あふれでて」くると予想する。「国家にかわる」あたらしい社会集団が「自治をめざす試み」を続けるだろう、という。
 長期的にはそのように現れるだろう。だがその実際の過程は“国民政党”が“国民合意”を取り付けながら、世界経済と国際政治の場において存在する国民国家に対して、真に普遍性(世界性)を帯びた政策を対置し、それにより政治を現実に変えていく過程である他はない。国民国家を上方にも下方にも超える過程、普遍性が世界政治としても自治としても実現していく過程が、結果としてエスニシティを開化させるのであって、逆ではない。[ちなみに先のカンボジア選挙のひとまずの成功は、一方でベトナムとカンボジアの民族対立ばかりを強調し、他方でUNTACは主権侵害だからすぐ撤退せよと主張して、化石頭で逆立ちしていた日本の左翼を、少しは反省させたのである。]
 花崎さんはハンナ・アーレントに依拠して、「国民国家の矛盾」、国民国家がその誕生のときからはらんでいる矛盾を指摘する。それはフランス革命が、「消滅することのない自然権としての人権」(①)を、「主権者としての人民の特殊国民的権利」(②)である、と主張したときからはじまるという(p135)。つまり「近代の人権思想」は、「近代国民国家とは矛盾する面をもつ」(p190)という。そしてエスニシティや難民問題こそが、この国民国家の矛盾を衝くのだという。
 だが①と②は主語と述語が逆である。国民国家は①を主語にして語らない。その規範秩序は②を主語とし、②の根拠付けとして、フィクションとしての①をつねに(憲法制定権力の合法化として)要請しているのである。つまり国民国家は二重の規範に引き裂かれているわけではないのであって、ただこれを外部から、①の抽象的普遍を主語にして語ろうとするものにとってだけ、そして国民国家にとってすべて問題をエスニシティや難民問題へと解消しようとするものにとってだけ、そう見えるということなのである。
 だが、国民国家を真に内部から超えるには、具体的なものとしての②を主語とし、それが①の述語にも適っている、つまり真に普遍的=世界的であるかどうかをめぐり、“国民”により、“国家”により“政治”として闘われなければならない。新たな国民的合意を普遍的なものとして追求することだけが、“国家”と“国民”を超えることを可能にするのである。
 国民国家を超える問題は、市場経済に国民国家がどうかかわるべきかをめぐる問題でもある。花崎さんは「経済の論理に屈服するのではなく、生活世界の使用価値的多面性を擁護」(p309)すると述べているが、最近の資本主義論が探り出しているように、資本主義の原理を自立的な市場システムそのものと解するのは誤りである。したがってまた、それに対抗する別の空間(オールタナティヴ)でもって社会主義を構想するのも、もともと無理な単純化なのである(それは社会主義計画経済の市民的裏返しである)。そうではなく、市場経済(世界市場)を下支えすべきものとしての国家の在り方が、従来の資本主義国家と来るべき民主主義国家とでは異なるということであろう。
 市場経済との付き合い方が問題だからこそ、フェニミズムでは、今、「よりましな性の商品化を」と、従来の議論を切り返しているのである。

(5) 「非対称の関係」を「両側から超える」
 だがこのように国家の問題を、民族の問題や難民問題へと還元するということは、政治の問題を差別の問題へと先送りするということにほかならない。じつはこのようにして、国家における“国民”だけでなく、同市民関係をなすものとしての“市民”も超えられ、旅のおわりには“ピープル”になったのである。
 第6章「反差別の論理と倫理」を見直そう。花崎さんにとって差別論は、第9章「ピープルとしてのアイデンティティ」へと具体的普遍を再構成するための基盤をなす。
 ここで確認されていることは、差別する側が一方的にカテゴリーを設け、それに命名する権利を独占しているという「非対称の関係」である。「名づけるものと名づけられるもの」「区分するものと区分されるもの」というこの関係により、「あたかも被差別者側の『実在的な差異』が有徴性の根拠であるかのように」指定されてしまう。人格的関係であるために「倫理」でもあるとされるこの関係を、「非対称の関係」と定めることは差別問題を考えるうえでの基本である。
 ただしこの関係を克服する過程は花崎さんにとってあまり明らかでない。ただこの関係そのものの不当性を暴露して「カテゴリー権の奪回」をはたすとか、「関係の非対象性を把握して対称性の関係をひらく」などといわれているだけである。
 だが筆者は、花崎さんがこの「非対称性の関係」にごたわり、それを差別する側が考慮すべき被差別側の「傷つきやすさ」において見ようとするその方向にこそ、藤田敬一氏らの「差別を両側から超える」という問題提起に重なるすぐれた視点があると思う。花崎さんが到達した「ピープル」としての在り方が、もし本当に歴史的社会的な広がりをもっていたなら、この藤田氏らの問題提起になんら「危惧をおぼえる」(p186)ことはなかったはずである。
 では藤田氏らの『同和はこわい考』(阿吽社)が提起した問題とはいったい何だったのか。それは「非対称の関係」と矛盾しないばかりか、じつはそれを前提にしている議論であった。筆者の理解によればそれはこうである。

社会の差別-被差別の構造的に「非対称の関係」にあっては、差別側が意図しないまま、または意図をはるかに上まわる結果をともなって「差別する」という事態が生じてしまうことがある。つまり「傷つける」ということがありうる。また被差別側にとっても、この歴史的に続いてきた差別-被差別の非対称的関係のゆえに、相手の意図をまったく一方的に誤解したり、あるいは関係の断絶にいたるまでの過剰な反撃をしてしまうことがある。それも「非対称の関係」に起因する被差別者側の「弱さ」である。そしてこの「非対称の関係」はさらに、マスコミの「自主規制」により増幅され、また運動の随伴者を巻き込んで、両側の努力や善意に様々な形での齟齬をきたす。そういうことが実際にある。両側を共に規定しているこの「非対称の関係」こそが部落問題を成り立たせ、また部落も実態を歴史的に持続させてもいるのである。したがってこの「関係」の克服は、それぞれ来歴を異にし、異なる人格をもって両側にいる人々が、たがいに「両側から超える」という視点を共有したうえで、批判しあい、許しあうという関係をたがいにつくっていく以外にはない。

 つまり花崎さんが、差別側だけが「配慮」すべきこととして被差別側の「傷つきやすさ」を強調するのに対し、藤田氏らは、両側の相互批判による克服課題のひとつとして、被差別側の「弱さ」をも指摘したのである。

(6) 「傷つきやすさ」と「内面的弱さ」
 われわれが花崎さんとともにいえること、それはわれわれの社会がその「非対称の関係」によって、部落・部落民・部落問題というものを、つねに維持・再生産し、「無根拠」にもかかわらず<歴史的で実態的な存在>として、それに見えない奥行きを与えてきたということである。
 そしてこのことを花崎さんは直接、「歴史的で感性的な存在としての人間の、非合理ではあるが事実存在する意識とそれにもとづく行為の次元」(p184)において、すなわち被差別者の人格において、見ようした。人間はもともと「こわれもの」であり、「傷つきやすさ」をもっている。「差別-被差別の関係がなま身の人間の精神に加える傷は…けっして一過性のものではなく、一生をつうじて消えることのない傷になることがしばしばある。」(p189)
 まさにそのとおりであろう。そして生身の人間としての被差別者の現在の「傷つきやすさ」、危うさを構成しているものは、生身の被差別者としてのその過去なのである。花崎さんは、この被差別者の現在を規定するものを、被差別者がすでに過去に受けた「傷」と見て、それをただ被差別者の人格における「傷つきやすさ」とだけ規定する。
 だが藤田氏らの「両側から超える」という問題提起を受けて、住田一郎氏はさらに、その事態を部落民として、まさに内側から明らかにした。それを部落民自身が歴史的・社会的に負わされ、自ら引き受けるべき課題として、それを部落民自身の歴史的・社会的規定性として、概念にまで高めている。すなわち、「歴史的社会的な部落差別によって被差別部落大衆が負わされた生活文化の脆弱性=低位性(内面的弱さ)」(『同和はこわい考通信』55号,92.3.14.)
 住田さんのいう部落民自身の「内面的弱さ」は、「生活文化の脆弱性」とされていることでも分かるように、部落における過去の経済的物質的生活水準の「低位性」に重なり、それに連続したものである。生活水準における低位性がほぼ克服されたといえる現在、なお部落大衆は、部落差別の実態的な「根拠」を与えるものとしての、この精神面での「低位性(内面的弱さ)」を継承しているという。(この「弱さ」には本書で触れられているウェーバーの「合理的隣人愛」の欠如も含まれるはずである。)
 この歴史的社会的な「差別の結果」としての部落大衆の「内面的な弱さ」は、住田さんによりはじめて「部落差別の実態として正面にすえる」と宣言された(『通信』44号,91.3.4,『部落の過去・現在・そして…』阿吽社刊所収)。この住田さんの「差別の実態」概念を、筆者は、差別(意識)論に唯物論的基礎を与えたものと評価する(『通信』52号,91.12.3の拙稿)。
 花崎さんの「傷つきやすさ」が、「歴史的で感性的な存在としての人間」を見つめることから生まれたとすれば、住田さんのいう部落民の「内面的弱さ」は、まさに歴史的で実態的な存在としての被差別部落大衆自身の自己解放の運動から生まれた。その実態概念は経済的・社会的・歴史的な広がりを帯びたものである。

(7) ピープルになる
 もう一度、本書の旅のおわり、第9章とさらに終章のピープル論を見てみよう。すでに述べたように、第9章で花崎さんは人と人との人称的関係を、たがいの「受苦可能性」(傷つきやすさ)を認めあい、ピープルとして「共に生きる」ことをめざす関係にまで展開する。そしてここに、前章までに出てきた多くの言葉が、ピープルとしての関係を豊かにすべく、バラバラにではあるが登場する。
 だがここに示されたピープルとしての人々の在り方は、最初にめざされていた具体的普遍とはほど遠いものである。それは先にも述べたように、先行する諸章での展開が、歴史的・社会的な広がりをもった諸規定(概念)、諸関連を獲得してこなかったからである。むしろその展開は現実から具体性を捨象しつつひたすら第9章まで下向、分析する過程であったようにさえ思われる。「差異を捨象しない具体的普遍概念として、ピープルを定義したい」(終章p297)という花崎さんの試みは失敗しているといわざるをえない。[これに比べて、例えば再刊『こぺる』4号(93.7.)の住田さんの報告(同和教育推進校での問題点とそこでの被差別部落の父母と子供の自立の課題)が、いかに社会的広がりをもって生き生きと、リアルに描かれているか、が知られるべきである。]
 60年代おわりの大学闘争に殉じて大学を辞めた花崎さんは、そのまま70年代の日本の市民運動・社会運動と歩みをともににしてきた。そしておそらく地球の深いところで地殻変動が生じつつあった80年代の半ばを過ぎるころから、かれらとともに、次第に、困難な隘路へと導かれていったのだと(そのころまで花崎さんの「追っかけ」をやっていた)私には思われるのである。
 だがなんにしても本書は、われわれがこれから花崎さんとは別の道を通って「ピープルになる」ための多くの手がかりを残してくれている。そのためのじつに多くの道しるべを花崎さんは残してくれた。第9章に散在するそれらについて述べたいことはまだたくさんあるが、それはまた別の機会にできるはずである。(完)

《 あとがき 》
★全国交流会が終わりました。台風13号が接近しヤキモキしましたが、結局120人の参加者があり、いつもながらの濃密な議論を交わすことができました。それに今年も組織や資格・立場の代表者づらをする人がいないのがよかった。これでわたしは夏に別れを告げ、いざ秋の陣へ
★花崎さんの本については、交流会で少しふれましたけれど、わたしなりの感想というか意見があり、いずれ近いうちに書くつもりです
★別の仕事に取りかかる必要があり、74号を早く出します
★8月23日から9月8日まで、三重(3),京都(5),埼玉,大阪(2),福岡、東京,新潟の14人の方より計73,164円の切手、カンパをいただきました。ほんとにありがとうございます
★本『通信』の連絡先は〒501-11 岐阜市西改田字川向 藤田敬一です。(複製歓迎)