同和はこわい考通信 No.71 1993.6.14. 発行者・藤田敬一

《 紹介 》
『こぺる』No.3(93/6) の内容
 ひろば③
  師岡佑行「ふたたび『特殊部落一千年史』への原題復帰を求めて」
 メディア・メディア③
  池村六郎「上品な・身振り・しぐさなど」
 第一回『こぺる』合評会から(藤田敬一)

次号(No.4.93/7)の予定
 部落のいまを考える②
  住田一郎「部落解放教育の岐路」
 ひろば④
  山城弘敬「差別落書きとその反応」
 メディア・メディア④
  池村六郎「本音の中身」
 第二回『こぺる』合評会から(高木奈保子)

*『こぺる』の購読部数はおかげさまで1200部を越え、第三種郵便物の認可がとれました。まだ採算ベースにのっていません。お力添えくださいますように。
  郵便振替 京都1-6141 こぺる刊行会 年間購読料4000円
  〒602 京都市上京区寺町通り今出川上る鶴山町14 阿吽社内
  電話075-256-1364 FAX075-211-4870
*第三回『こぺる』合評会は6月26日(土)午後2時から5時まで、京都部落史研究所(電話075-415-1032.京都・烏丸通り紫明東南角)にて開きます。

《 お知らせ 》
第10回部落問題全国交流会「人間と差別をめぐって」開催のご案内
 九年前の一九八四年夏、五十人ほどの者が岐阜に集り、部落問題をテーマに語りあいました。それが縁となって始まったのが、部落問題全国交流会で、今年はその十回目にあたります。
 よくもまあ飽きもせず、同じテーマで語りあっているなあと笑われそうですが、部落問題を考えてゆくと、「なぜ人は差別するのか」という疑問に行き着かざるをえません。そうなると、話はとてつもなく大きくなり、手っ取り早さが重宝される現代では、そんな議論は面倒くさいと敬遠されがちです。しかし、ほんとうにそうでしょうか。「人間と差別」という根源的な問題に立ち返ることによって、少しでも状況を対象化できるのではありますまいか。
 今年もまた、現実をふまえ、現実との緊張関係を保ちつつ、「人間と差別」について議論できたらと考えています。みなさんのご参加を心からお待ちしております。

 呼びかけ/部落問題全国交流会事務局(連絡先:〒501-11 岐阜市西改田字川向 藤田敬一
 日  時/9月4日(土)14時~5日(日)12時
 場  所/本願寺門徒会館(西本願寺の北側)
      京都市下京区花屋町通り堀川西入る柿本町(電話075-361-4436)
 交  通/JR京都駅前から市バス9,28,75 系統 西本願寺前下車
 費  用/8000円(夕食・宿泊・朝食・参加費込み)4000円(参加費のみ)
 申し込み/京都部落史研究所(〒603 京都市北区小山下総町5-1 電話075-415-1032)
      気付 山本尚友あて、葉書に住所・氏名(フリガナ付き)・電話・宿泊の
      有無を書いて8月25日までに申し込んでください。
 日  程/9月4日(土)13時受付け開始 14時開会
             14時半講演:師岡佑行「歴史が語りかけるもの」
             16時分散会 21時懇親会
      9月5日(月)9時分散会 11時全体会 12時解散
 その他/各地で発行されたビラ、パンフ、新聞、通信などを多数持参してください。また第一日目夜の懇親会への名産・特産の持ち込み大歓迎です。

《 採録 》
主張 融和主義との理論的対決を(『解放新聞』広島県版、1151号、93.5.19.)
 部落解放運動をすすめていくうえで、最も大事なことの一つに、融和主義という日頃は見えにくい差別主義と対決することがある。/融和主義はいかにも、それが部落解放運動に味方しているようなポーズをとってくるから、それが敵性をおびたものであるかどうか迷いやすいということである。
 われわれが理論に磨きをかけなければならないのは、運動の方向に誤ちなきを期すということであり、そのために融和主義を見抜く能力を身につけるということである。/日共・全解連の主張する「国民融合論」などは、融和=融合という言葉の類似性からも見抜きやすい語感をともなっているから都合がよい。/しかし、通常は、融和主義なるものは見えにくい。岐阜大の藤田敬一の説く『同和はこわい考』の論理は、解放運動を世間から「こわい」と思わせてはならないから、気をつけようと、いかにも、運動のためを思って主張しているかに見える。だが、彼がそのように主張をすればするほど、世間は文字通り、解放運動は「こわい」ものという認識を持たせることになる。「こわい」という意識を持たせてはならないから、糾弾闘争も、そのあり方を考えねばならないと、これにブレーキをかけるといった具合に論理は反部落解放の方向にのめり込んでいく。
 よほど慎重に読み取らなければ、ついつい融和主義のコースへ引きこまれてしまう。
 八六年「地対協・部会報告」がさかんに「同和関係者」の「自立」ということを主張している。人間が自主的行動をとり、自立的に物事と対処することは、誰もが認める大事なことである。しかし、八六年「地対協・部会報告」の思想は、そのようなことを言って、本当のところは、同和問題の解決を「国の責務」としている「同対審」答申の線から逃れようとしているのである。
 「国の責務」は糾弾闘争の現実的裏づけによって、前に進んでいくという歴史的経過を忘れてはならない。だから八六年「地対協・部会報告」は、その糾弾闘争こそ、「自立」と矛盾する行動だと規定する。/ここに至って、藤田敬一の『同和はこわい考』の論理と全く一致する。/当時の総務庁地対室長の熊代昭彦は、運動側の中にも、糾弾闘争を批判するものがいるではないかと開き直って見せたことがある。
 つまり、彼らにとっては『同和はこわい考』こそ、すぐれた友軍(援軍)であると認識していたということになろう。ところで、ごく最近のことだが、『中国新聞』が、『同和はこわい考』の宣伝普及版ともいうべき『こぺる』という冊子の紹介記事を掲載していた。長らく廃刊の状況が続いていたわけだが、部落解放運動のあり方を巡って、『同和はこわい考』の路線から批判しようというものだ。批判と言えば格好はいいが、つづまるところは融和主義の潮流を強めるということに他ならない。/『中国新聞』の文章を引用すれば、「藤田敬一岐阜大教授が、これまでの部落解放運動を概括。『差別する側』『差別される側』といった立場を絶対化する考え方を超えて、人と人との関係を変えていくような運動のあり方を模索する論文を寄せている」と『こぺる』の内容の一部を紹介している。
 藤田敬一の言いたいことは、被差別の立場を強調してはならないとし、ひいては糾弾を批判するところにある。
 いま差別されるものからすれば、人間の弱さというか、心の醜さというか、仏教でいうところの「煩悩」を問題にせずして、この問題の解決はありえない。藤田敬一はそこをけちらかそうとしているのである。残念なことに『中国新聞』は事の重要性を知らずして、『こぺる』を紹介し、事実上融和主義に加担している。日常的にわれわれが解放理論に磨きをかけねばならない理由はここにある。

コメント.
 こういう文章を読むと、うーんとうなってしまいます。もっとも、その論旨は小森龍邦さん(部落解放同盟中央本部書記長、広島三区選出社会党所属衆議院議員)の『こわい考』批判と酷似していて目新しい論点はなく、すでに『同和はこわい考を読む』『部落の過去・現在・そして…』(いずれも阿吽社刊)所収の拙文などで反論しているので、ここで繰り返す必要もありますまい。あえて一言するとすれば、わたしや『こわい考』に融和主義・差別主義のラベルを貼ってみたところで、事態はなにも変らぬということです。
 部落解放運動はなんのために存在するのかが問われているいま、冷静に部落解放運動七十年の歩みをたどり、現状を見つめれば、これまでの発想や理論、思想の枠組みのほころびが目につくはずです。ほころびは、あれこれ取りつくろってすませられる程度のものではなくなっている。それに気づいている人は少なくないけれど、新しい道を見つけ出せないままに戸惑い、苦悩しているのが実情でしょう。わたしはわたしなりに思索して、なんとかひとつの見通しを立てることができたようにも思いますが、それが唯一絶対の道だとは考えていない。いろんな人がいろんな意見を持ち寄り、突き合わせるなどして論議すればいいのです。
 ところが「主張」の筆者たちは、そういう立場をとらない。わたしを反部落解放の方向にのめり込んだ融和主義者と断罪するのはまだしも、『こぺる』を『こわい考』の宣伝普及版などと中傷し、あまつさえ『中国新聞』が『こぺる』の復刊と創刊号に掲載された拙文を紹介したことをもって、融和主義への加担だと批判なさる。この分だと『こぺる』の読者も、融和主義への同調者として指弾されかねない。いや、この文章には、どことなく『こぺる』を読んだり、紹介したりする者への警告の雰囲気すら漂っている。筆者たち自身、その警告の有効性を知っている気配もします。
 融和主義というラベルを貼れば、ある意見や主張を封じ込められると考えているのでしょうが、ラベルは、貼られた当人や周囲の者がその意味を内面化するかぎりにおいて有効なのであって、意味を認めない者には、なんの価値もありはしない。それが、この人たちにはわかっていないらしい。あたかも異端審問官のごとく振る舞い、意見の違う相手に異端の烙印らくいんを押し、「異端に惑わされてはならぬ」と、人びとに警告を発する。自らを絶対正義の立場におかないかぎりこんなことはできるものではありません。
 絶対正義をかかげる人びとは、これまでにもたくさんいました。中世ヨーロッパのキリスト教会しかり、プロレタリア革命党しかり。しかし、重要なことは絶対正義の根拠そのものなのです。たとえば、この場合、被差別という立場にあることは、はたして絶対正義を保証するかというふうに、問題をたてることができます。「ある言動が差別にあたるかどうかは、その痛みを知っている被差別者にしかわからない」「日常部落に生起する、部落にとって、部落民にとって不利益な問題は一切差別である」という二つのテーゼこそ、部落解放運動における被差別絶対正義の根拠でした。それを議論の対象にしたのだから、龍の逆鱗に触れたようなもので、『こわい考』出版以来六年、小森龍邦さんなどから執拗しつように批判を受けているのはそのせいに違いない。わたしも、かなりしつこい方なんで、根負けすることはありえません。大いに議論をたたかわせ、何が問題なのかを明らかにしていくつもりです。

《 各地からの便り 》

■ 「批判の中心である差別者という概念のママえ方ですでに誤解があるように思われ、とまどいを覚えます。しかしそれはむしろ私たちの主張が教団内でしか通用しない閉塞した主張に止まっていることを示唆するものとして受け止めていきたい。」 『同和はこわい考』通信No.70に採録された『同炎のたより』No.30について、一言申し上げます。差別者という概念のとらえ方で誤解があると言われるならば、おそらく私も誤解しているかも知れません。“差別者の自覚”なるものを公然と他者の前でひけらかすことは、あたかも中途半端な機責めによって作りあげられた謙虚な信心家がどんな時でも“私は凡夫でございますから”と自己弁護していく極めて傲慢なあり様と重なってしか、とらえ得ないわたしですから…。
 但しそういう私も大谷派教団に身をおくものでありまして、

  「私たちの主張が教団内でしか通用しない…」

は一体誰が誰に対してモノ申しているのか?つまり「同炎の会を含め大谷派教団の解放思想…」そういう枠組みのなかにある人を対象として言われるのでしょうが、少なくとも私の様に、教団の人間であっても、彼らの言う“差別者の自覚を理念とする運動”の通用しない者もいるということを確認しておいていただきたいと思ったわけです。但し、“大谷派教団の解放思想”なるものが、教団のうちにいる私にはっきりとみえてこないのは、やはり勉強不足のせいでしょうか。
 差別者という概念のとらえ方については、藤田さんのそれと私のとが同一であるかどうかはわかりません。うまく表現できないので無責任な言い方になりますが、若干のニュアンスの違いがある様にも思われるのですが、とにかく藤田さんもコメントで申されています様に私も今後の「同炎の会」の見解を期して待ちたいと思っております。
 “あとがき”の「飽きられているかもしれませんが、もう少し続けるつもりです」の一文、ドキッとしました。もう少しといわず、お身体の続く限り是非是非お願い致します。   (大阪 F.Sさん)

コメント.
 真宗大谷派の中にさまざまな考え方があって当然なのに、なぜか一枚岩的に「真宗大谷派の解放思想」が語られるきらいがあります。「寝た子を起こすな」「そっとしておけば」といった考えの持ち主も結構おられるようです。ところが、そうした意見はめったに表に出ない。内部でどのような激論が交わされているのか知るよしもありませんが、肉声が聞こえないというのは、なんとももどかしい。公式見解の内側にひそむ、個性に満ちた多彩な意見をお聞きしたい。とくにF.Sさんのように、教団の内部におられて、この論議に関心を寄せている人びとの意見が知りたいのです。
 ついでにいいますと、「差別者の自覚」「差別するものの解放」を語る人びとには、教義からではなく、人と人とのふだんの関係や、ごくありふれた体験を例に語ってくださるようお願いしたい。そうでないと、教義に通じない者にはわかりにくく、「『わたしたちの解放思想』を教団の外にある人と対話できるような形に開いていくこと」(前号に採録した『同炎のたより』から引用)はむずかしいのではないでしょうか。その際、「わたしたちの」ではなく、「わたしの」解放思想について書いていただけたら、もっとうれしい。
 ところでF.Sさんは、身体のつづくかぎり『通信』を出すようにと書いてくださいました。励ましの言葉として受けとらせてもらいます。ただ、気力がなくなれば自然に出せなくなるでしょうね。いまのところ気力も問題意識もあり、当分はつづけられそうだとしかいいようがありません。出さねばならぬと思うと力んでしまいます。出したいから出す、そんな感じでいたいのです。とはいえ、梨のツブテにしょげたり、転居先不明で『通信』が返送されるとがっかりしたりすることもあります。勝手に送りつけているのだからいいではないかと言い聞かせてはみるものの、反応を待っている自分がどこかにいる。われながら困ったもんです。というわけでF.Sさん、これからも気軽にお便りください。

■ 私の方、昨年よりある大学で1コマですが、非常勤講師をしています。大学から離れて長かっただけに、最初はとまどうこともありまたしたが、2年目に入った最近ようやく慣れてきました。科目は“人権思想”です。何となく最初は肩に力が入り、また、そんなことをこなす力があるのかずいぶんプレッシャーを感じました。今も勿論ありますが、今年3月朝日新聞にのった犬養道子さんの人権についてのコラムに接して以来、気分的に楽になりました。
 現在人権という言葉が語られない日はない。人権が語られるにもかかわらず、今なお世界各地で人権という名のもとに戦争がくりひろげられている。何故なのか。犬養さんは、その理由は、人権について語る人、語る場所により各人各様となっていると指摘するのです。人権というのは、古今東西を通じて人間の社会に息づいているものであり、その実現のために文学があり、様々な活動があったとして、人権は何かといえば、“自分がつらく悲しいことは、他人にもまたつらく悲しいことなのだ”という思いやりなのだ。───まあ、ざっと要旨をまとめるとこんなものでした。
 あたり前のことです。でも、これを読んだ時、とても新鮮に思えたのです。何かとっても難しいことのように錯覚していた自分がいたのだと感じました。考えてみれば、この思いやりは小さい頃より親はじめ大人からきかされ、そんな中で大きくなったと思います。   (大阪 N.Cさん)

コメント.
 犬養さんの文章は、わたしも印象深く読みました。「人権」や「思いやり」という、手垢てあかにまみれ、陳腐にさへ感じられる言葉に生命力を吹き込めるかどうかは、その言説の緊張感にかかっています。犬養さんの文章には現実との葛藤からくる緊張感がありました。ところが大学にかぎらず、教育や啓発の場で語られる「人権」や「思いやり」には、往々にして現実との葛藤がなく、生きた人間の問題が見えてきません。「人権」から「思いやり」へ、「思いやり」から「やさしさ」へと進んでいくうちに、根本問題が行方知れずになるのでしょう。人権教育の落とし穴といえるかもしれません。N.Cさんのお考えは如何。

《 あとがき 》
★第10回部落問題全国交流会の開催要項がやっと決まりました。いまから予定に入れておいてくだされば幸甚
★京都部落史研究所は創立以来17年、多くの成果をあげてきましたが、あとは『京都の部落史』第1巻と『近江八幡の部落史』の編纂を残すのみとなりました。そこで今年の交流会では所長の師岡佑行さんに、“部落史がわたしたちに問いかけるもの”をテーマに話していただく予定です
★5月22日から6月7日まで、京都(2),岐阜(2),大阪(2),愛知の7人の方より計36,100の切手、カンパをいただきました。ほんとにありがとうございます
★本『通信』の連絡先は〒501-11 岐阜市西改田字川向 藤田敬一です。(複製歓迎)