同和はこわい考通信 No.67 1993.2.28. 発行者・藤田敬一

《 お知らせ 》
新『こぺる』、4月より刊行開始!
☆新『こぺる』は、従来のスタイルを受けついで出発いたします。
☆当面は、「部落のいまを考える」をテーマに、議論や座談会を予定しておりますが、新『こぺる』に期待される企画やご意見がございましたら、ぜひお知らせ下さい。なお、ご寄稿、ご投稿も歓迎いたします。
  体 裁:A5判 16頁
  発 刊:毎月25日(月刊)
  購読料:年間4000円(送料込み)
  購読申し込み先:〒602 京都市上京区寺町通今出川上ル鶴山町14
          (株)阿吽社気付 こぺる刊行会
          電話075-256-1364 FAX075-211-4870
          郵便振替 京都1-6141 こぺる刊行会
          銀行振込 京都中央信用金庫西陣支店
               普通0555464 こぺる刊行会
☆93年4月号の内容
  部落のいまを考える:藤田敬一「運動は人と人との関係を変えたか」
  メデイァ・メディア:池村六郎「表情というコトバ」
  ひろば:師岡佑行「『特殊部落一千年史』の原題復帰を求めて」
                      こぺる刊行会事務局

月刊『こぺる』購読のお願い
 この二十数年、部落解放運動の進展と同和対策事業の実施、啓発・教育の前進にともなって、部落問題が多くの人びとの関心をよぶようになったばかりでなく、被差別部落の生活実態や人びとの意識にも大きな変化が生まれたことは、ご承知の通りです。しかし関西などで頻発している落書き事象を持ち出すまでもなく、最近の状況は、これまでの取り組みに根本的な検討を加えるよう求めているかにみえます。
 それなのに、いっこうに論議が起こらない。実に不思議な現象としかいいようがありません。いや、まったくなかったとはいえないでしょう。少なくとも京都部落史研究所の発行する月刊誌『こぺる』は、一九八三年以来、部落史研究の成果をわかりやすい形で発表するだけでなく、部落問題の現状と課題について率直に論議できる場としての役割を果たしてきたからです。
 『こぺる』は毎号わずか十六頁の小冊子ながら、そこには現実の課題と切り結ぶ緊張感があり、論旨に同感する人にも、同意できない人にも、開かれた論議の大切さを知らしめたはずです。さらには、部落問題にととまらず、「人間と差別」をめぐって、より広く深く思索したいと考える人びとに、時代と地域を超えた諸事例を提供するとともに、既成の発想、理論、思想の枠組みをとらえかえすためのヒントを呈示してもくれました。『こぺる』の魅力はここにあり、それが全国にまたがる読者を獲得したのだと思われます。しかし、京都部落史研究所には、残された時間と精力を『京都の部落史』全十巻の完成に注がねばならない事情もあり、ついに廃刊のやむなきにいたったと聞いています。ところがまもなく、廃刊を惜しむ人びとのあいだで、「ならばこの際、『こぺる』に親しんできたものが、力を合わせて発行しよう」との声があがり、たがいに呼びかけあってみると、百名以上の方の賛同がえられたのです。京都部落史研究所も誌名などの使用を快く承諾してくださいました。つまり『こぺる』は、読者の、読者による『こぺる』として再生、蘇生することになったわけです。
 組織や集団にたよらず、個々人の力を寄せあって発行する、これが私たちの出発点であり、原点です。一口五千円の基金を拠出したもの全員で『こぺる』刊行会をつくったのは、この考えにもとづきます。すでに刊行会には三百数十人の方が加わってくださっています。この刊行会を簡素で開かれたものにし、読者とのつながりを大切にして、運動や組織の宣伝ではなく、あくまでも個々人の思索と実践の中から生まれた問題意識をもとにした誌面づくりにつとめたく思います。
 もちろん前途が容易でないことは覚悟しています。既成の発想、理論、思想の枠組みを検証し、新たなものを創造するといっても、ことはそうスムースに進むとも思われませんが、部落問題を核心にすえつつ、「人間と差別」にかかわるテーマを追求するとともに、現代の文化状況に踏み込む問題提起を行うつもりです。
 つきましては、私たちのこのような趣旨をご理解いただき、ぜひとも『こぺる』の読者になってくださいますよう、心からお願い申し上げる次第です。
  一九九三年二月
                      『こぺる』刊行呼びかけ人一同

 安達重喜  阿部敬一  嵐 清治  池村六郎  石原英雄  石元清英
 伊藤悦子  今井静子  上田正昭  植松美行  梅沢利彦  梅田 勇
 大鳥英子  大野 剛  片岡道夫  亀岡哲也  川嶋将生  河村勝治
 川村 誠  木村和美  木村吉広  熊谷 亨  栗山 司  源城政好
 小林彰男  小林丈広  酒井 満  阪本 清  桜井裕之  笹原百合子
 佐藤るり子 重光 豊  志野忠司  柴田則愛  柴田政次  柴谷篤弘
 浄慶耕造  須甲 卓  鈴木 仁  住田一郎   智鉉  高木奈保子
 高木正幸  高田嘉敬  高松俊英  橘 尚彦  谷 亜生  崔 文子
 辻ミチ子  辻本義信  津田ひとみ 戸田二郎  戸田政義  仲尾 宏
 長尾眞砂子 中川 晃  中川ユリ子 仲田 直  中島智枝子 灘本昌久
 奈良本辰也 西岡 智  長谷 昭  畑辺初代  早矢仕健司 原口孝博
 東谷修一  土方 鉄  広岡法浄  平野貴子  藤田敬一  藤原正文
 船坂克明  冬村達夫  宝池伸明  堀  亨  前川勝彦  前川 修
 牧野澄夫  益井 等  増田久男  松岡 勲  松田國広  松田常子
 松永幸治  松本慶恒  南浦邦仁  蓑  実  村上弘光  村本正子
 物江和子  森芙美子  師岡佑行  望月広三  安田敏彦  山内政夫
 山路興造  山下 力  山城弘敬  山根節美  山本尚友  柚岡正禎
 吉井 弘  吉岡捷三  吉田 明  吉田賢作  芳田 茂  六島純雄
 (以上百八名、五十音順)

『こぺる』再刊によせて
 『こぺる』の廃刊にふみきったのは、昨年五月であった。京都部落史研究所の主要な仕事である『京都の部落史』と『近江八幡の部落史』を完成するには、とても『こぺる』の編集まで手が回らなくなったという事務局の力不足からであった。どうしてつづけるかについて会員や読者に図ることなく、また企画委員会でも十分に討議することはなかった。このため、六月に開かれた総会では独断ではないかとのきびしい批判の意見があいついだ。頭を垂れるほかなかった。また、廃刊を惜しまれ、なんとかして継続できないかと、お会いしたときに求められる方がた、電話やはがきを寄せてくださる方がたも少なくなかった。期待に答えられず、口をにごすだけだった。
 さいわい、有志のかたがたによって新『こぺる』刊行呼びかけ人が募られ、刊行会によって『こぺる』が復活することとなった。みずから『こぺる』の生命を絶ったものとして、言うのはおこがましいが、「うれしい」の一語に尽きる。
 わずかに数年だが、新しい『こぺる』のまえにひろがる世界は、旧『こぺる』のそれとはまったく違っている。大きく深くあらゆる価値が崩落する時代のなかにあって、まるで王か領主が妃をえらぶに等しい皇太子の婚約を通して、その残酷さをむきだしにしながら、明確に強化の道をえらんだ天皇制ひとつ見ても、そうである。旧いそれはまだしも牧歌的であったかも知れない。苛烈のさなかに出発する『こぺる』が以前にもまして多くの読者に支えられ、健闘することを心から願うばかりである。
  一九九三年二月
                   京都部落史研究所  所長 師岡佑行



《 おねがい 》
『こわい考通信』の読者のみなさんへ───『こぺる』復刊にあたって───
藤田 敬一
 『こぺる』がまもなく復刊します。ほんとによくここまでこれたというのが正直なところです。『こぺる』は、本屋の書棚に立てると、いならぶ大冊に挟まれて、目立たないどころか、姿形すらみえなくなってしまうほどの小冊子でした。発行部数も2200。どうころんでもミニコミの一種にしかみえない。そんな『こぺる』を復刊するためにエネルギーを費やすのは馬鹿げている、このご時世になんのツテもなくカネもないままに復刊に踏み切るのは無謀だ思われた方もおられるにちがいありません。しかし、わたしはなんとしても復刊したかったのです。
 『同和はこわい考』をとりあげてくれたからではありません。部落史研究に新風を巻き起こし、部落解放運動の基本問題を論議する場を提供するなど、『こぺる』の果たした役割は画期的だったし、部落問題をめぐる情況について、運動や組織に身と心をすり寄せるがごとき論調がまかり通り、なにか奥歯に物のはさまったような言い回しが横行するなかで、『こぺる』に掲載される論稿の多くが単刀直入、直截明快に問題点を指摘していたからです。惜しんでも余りある廃刊でした。そんな気持がつのって、昨年5月、本誌58号の「あとがき」に、復刊の夢を書きとめたのです。そのうち、廃刊を惜しむ人びとが結構おられるらしいことがわかるにしたがい、復刊の可能性があるかもしれないと思い始めました。
 そうはいっても、発行の引き受け手がいなければどうにもならない。引き受けてくれるところはあるだろうか。引き受け手があるとして、編集などの実務はどうするか。なにより資金をどこから調達するか。組織や集団のバックのないスカンピンばかりが集まって何ができるかという陰口が聞こえてきそうな雰囲気もなくはない。そこで考えたのは、力のない者、小さい者にしかできないやり方をする、つまり復刊したい者が復刊するということです。発起した者どうしで確認したのは、次の三点でした。

1)
復刊したい者が、まず刊行を引き受ける。
2)
復刊したい者が、まずお金を出し、友人・知人に呼びかけて資金をつくる。
3)
復刊したい者が、まず読者を募り、読者を広げ、読者の意見を誌面に反映する。

これがもとになって、

1)
新『こぺる』の発行主体を『こぺる』刊行会とする。
2)
刊行会は、刊行の趣旨に賛同し、基金(一口5000円)を寄せてくださった人全員によって構成する。
3)
発行所は、阿吽社にお願いし、編集・事務などを担   当していただく。

という、おおまかな方向が決まりました。昨年8月末のことです。もっとも、この段階ではどれくらいの方が刊行よびかけ人になってくださるか、基金がどれくらい集まるか、まったく予測がつかない状態で、胃が痛くなったのはこのころです。
 しかし、打てば響くとは、こういうときのことをいうのですね。9月5,6日の第9回部落問題全国交流会で訴えたところ、復刊に賛同し呼びかけ人になることを承諾してくださった方が58名あり、基金も64口32万円集まりました。これに励まされ、呼びかけ人承諾と寄金のお願い文を発送したわけです。ところが、よりによって阿吽社に届いた最初の返事は「呼びかけ人承諾 否 」でした。もちろん寄金も否。阿吽社からの電話でそれを知り、なんとも気分が重くなりました。
 そんな不安を吹き飛ばすように、呼びかけ人承諾の葉書と基金がぞくぞくと届き始めました。30年来の友人が知人らにコメントをつけて願文を送付してくれたり、同和研修で知り合った友人たちがどさっとまとめて基金を送ってくれたり、呼びかけ人にはならないけれど基金を送るという方や、郵便振替用紙の通信欄に「基金が足らぬときにはご連絡ください。送金します」と書いてくださった方、「危急存亡のおりには、ご一報くだされ」とおっしゃる方がおられたりして…。感激の連続でした。わたしの存じ上げない方からの寄金も多く、人と人とのつながりを通して、輪がどんどん広がっていったのです。93年2月15日現在、『こぺる』刊行会会員は367名、基金は520口260万円に達しています。
 刊行会には、三つの“取り決め”らしきものがあります。第一は、簡素なものにすること。世話人会(代表土方鉄)、会計監査(前川む一)、編集委員会(編集長藤田敬一)のほかには一切役職も機関もおかない。第二は、自主・自発を基礎とすること。世話人も編集委員もすべて自薦・他薦大歓迎で、無理やりやらせるとか、いやいやながら義理でやるというのではなく、やりたい人がやる。あくまでもめいめいの自主・自発だけにたよります。第三は、開かれたものにすること。たとえば編集会議は公開にします。毎月最終土曜日、午後2時から京都府部落解放センターで合評会を開き、そのあと編集会議と作業をやりますので、どなたでも合評会や編集会議に出席し、作業に参加していただけます。お出かけください。
 なにはともあれ、再刊の夢は多くの人びとのお力添えで、ようやく実現します。この感慨をどう表現したらいいか、言葉がみつかりません。ただ、今後のことを考えますと、またぞろ胃が痛くなりそう。というのも、採算ベース1500部にのらないと基金を食い潰してしまうからです。第三種郵便物認可がとれる1000部は早急に達成したい。そこで、みなさんに、『こぺる』の購読者になっていただくだけでなく、『こぺる』を広めてくださるようお願いしたいのです。
 復刊第一号の原稿も集まりました。あとの作業は阿吽社の方におまかせして、わたしとしてはインクの匂いのする『こぺる』を手にするのを待つだけです。おそらく3月27日の夜、わたしは京都のカリン亭(旧リラ亭)の椅子に腰をかけ、『こぺる』を繰り返し繰り返しめくりながら、オーシャンの水割りを飲んでいるはず。祝杯を一緒にあげてくださる方がおられたらうれしいのですけれど。(2月28日記)

《 各地からの便り 》
「仏教と差別について」を読んで
柴谷 篤弘(京都)
 実は、この間(1月30日)浄土真宗の教団のなかで差別についての見かたを深めようと努力している方々とお話する機会がありました。そのときの経験は、私にとってたいへん新鮮なものでした。構造主義生物学にもとづいた(とも言える)私なりの「反差別論」の話を、まともに聴いて下さっただけでなく、いままで一度もなかったような深い理解と、それに根ざした本源的な問題についての多くの討論をして頂き、私としても得るところがきわめて大きかったのです。
 そのすぐあとT.H.さん(京都)の上記の書きものを、本誌66号(1993年1月)で読み、一層思いを深くしました。その内容は私なりに理解できるし、よく同意できるものでした。T.H.さんが「文化の周縁」といわれるものこそが、私の考えている少数者であり、また「ことば」が生み出したもの、「ことば」の虚構性こそが、最近私が友人の池田清彦氏(『構造主義と進化論』海鳴社、1989)に教えられて考えるようになった内容と同じものと思われます。外界、実体は変わるものであり、これを意識のなかで人為的につくり出した不変の記号であることばによって代表させてしまうと、われわれにとって一義的なものは「ことば」である、ということになり、変動する現実は二義的なものになって、変化にもかかわらず、不変のことばによって等置されてしまう。ここに差別の対象は現実との対応の必然性を失って、われわれのことばの文化のなかでひとつの虚構として、あたかも実在するかのような錯覚を私たちに与えます。差別はこのようにして不断に「ゆえなき」ものとして再生産されるわけでしょう。

《 採録 》
コラム:記者席(『藝備人権新報』437号、93年2月15日)
 花園大学に八木晃介という人がいる。この人は少しばかり86年の「地対協」によった立場の人。本人はそんなことはないというかもしれない。しかし、藤田敬一・岐阜大教授の『同和はこわい考』騒動のとき、どちらにつくともつかぬとも歯切れの悪いことを言っていたという事実がある。/それはともかく、部落解放同盟から除名されている一味が機関をにぎり運営している「えせ岡山県連」に招かれて、これまた『解放新聞』なる紙名を詐称している彼らの機関紙で四国学院大学の栗林輝夫と対談している。/八木晃介が言うには、「中央本部の小森書記長が『部落解放というのはすべての格差が部落内外でなくなった時だ』と発言されました。(中略ママ)もし差別が格差であるとすれば格差がほとんど是正された部落もあるのですが、してみればそれは『完全解放』された部落だということになります」と批判。
 八木晃介の思い違いは、差別は格差ではないと言ったあまりに、「格差」のなくなった部落があるというのだ。一つの部落が集落をなしている場合、全戸揃って、すべての格差が解消したところがあるのだろうか。そして、その部落の親戚縁者のいる他部落との間で格差是正を達成しているのだろうか。/やはり、この人の発想は、かつて熊代が言ったように「完全解放宣言」をしてもよい部落があるとの考えに汚染されている。差別は環境、教育、主体の構築などさまざまな格差問題。一面的に把えてはならない。(文中の“熊代”とは、総務庁長官官房地域改善対策室長だった熊代昭彦さんのこと───藤田補注)

《 あとがき 》
★この数か月、おおげさにいえば寝ても覚めても『こぺる』でしたから、その復刊を目前にして、さすがに緊張しています
★これで『通信』の発行人と『こぺる』の編集長と、一人で二役をこなさなければなりません。正月早々の検査では異常はなく、体調もまずまずで、適当にウップン晴らしをしてますから、なんとかやっていけるでしょう
★『こぺる』に関して、もう一つお願いがあります。複製をしないでほしいのです。この『通信』はどんだけ複製してもらってもかまいませんが、どうか『こぺる』だけは購読してくださいますように。まわりの方にもお伝えください。よろしく
★2月8日から2月21日まで、三重、愛知、大阪の三人の方より計7,912円の切手、カンパをいただきました。ほんとにありがとうございます
★本『通信』の連絡先は、〒501-11 岐阜市西改田字川向 藤田敬一です。(複製歓迎)