同和はこわい考通信 No.66 1993.1.31. 発行者・藤田敬一

《 各地からの便り 》
仏教と差別について
T.H(京都)
1.
 今年も残り少なくなってしまいました。毎年のことですが、やり残したことばかり多く、いたずらに年を加えてゆく自分が恥ずかしくなります。馬齢を重ねるとは言うものの、馬ほども働いていないまま年を重ねてゆく感じさえします。
 いつも『通信』を送っていただいて感謝申し上げます。これを読むたびに相も変わらぬ藤田さんの情熱に感服します。遅くなって申し訳ありませんが、この『通信』と新『こぺる』のために少しでもお役に立てばと思い、貧者の一灯を送らせていただきます。新『こぺる』が出ましたら、読者にさせてもらうつもりです。以前の『こぺる』にも大いに啓発されましたので、新しいものにも期待しております。

(中略)

 1984年、大阪朝日が一面に、空海くうかいが差別文書を書いているという記事を載せました。早速、解放同盟から真言宗各派に「緊急質問状」が届き、後に既成仏教全体の組織である「全日本仏教会」所属の各宗派にも「質問状」が出されました。それぞれの宗派は、独自に見解を表明しようとしましたが、そのほとんどは宗祖擁護論に終始していました。仏教教団はしたたかなものです。糾弾を受けて、その場で自分たちの過ちを認めても、だからといって宗団の差別体質を克服しようなどと実際に行動するわけでもないのですから。すべてはうやむやにされる不思議な組織です。 この間の議論の基本的な点は、空海が書いたとされる文書にある「旃陀羅悪人」という言葉は、差別であると認めるのかどうかということでした。まさしく、全国水平社運動のころから、仏教界に問い続けてきた「旃陀羅問題」が前面に出たと言えると思います。ところが、『弘法大師全集』に収録されているこの文章は、実は空海の真撰ではないのです。そうなると、ことはややこしくなります。たとえ空海の真撰ではないにしても、空海の文書として認めてきた立場をどのように考えるかという問題がこれにつけ加わりました。
 この「旃陀羅せんだら悪人」の問題に関して、どの宗派も当然と言えば当然ですが、宗祖である空海に間違いはないという立場でしたが、私は、この問題はそのような、いわゆる「宗祖擁護論」ではすまない問題があるような気がしました。というのも、たとえ「旃陀羅悪人」という文書を空海が書かなかったとしても、空海という一人の宗教者が社会状況にかかわるときに差別的な意識や態度をとらなかったことにはならないからです。もちろん、この問題を考えるときに何をもって「差別」と受け止めるかという議論が必要ですが。私には、「差別の構造」を認識する、ある前提があって、どうしても空海にも差別を生み出す意識があったと考えざるをえないのです。事実、空海は「旃陀羅」問題はさておき、当時の政治課題であった「蝦夷」問題にあっては、かなり露骨な差別的言辞を残しています。東北地方へ「蝦夷」平定のために赴く武将に対して、「蝦夷」を「毛人」「羽狄」であると言い、「羅刹のたぐいにして人のともがらにあらず」と述べています。このような立場が表明されている以上、空海に「絶対に差別はなかった」とは言い切れません。
 このような態度がなぜ生み出されるのか、という問題だと思います。「蝦夷」をどうにかして同じ人間であると見ないようにしようとする発想に、「異文化」をどのように受け止めるかという問題が関係してくると思いました。しばしば言われるように「同じ人間として見なさない」から差別が生じるのではなく、同じ人間として認めているけれども、なんらかの心理的・社会=文化状況が彼らを「忌避し、排除しようとする」から、その人間を「異なる者」としてあえて認知するための表現を求めるのではないかと考えられます。
 というのも、空海の「蝦夷」観はそのころの日本の律令体制を支える中華思想的イデオロギーに基づいて、自己の文化の周縁に異質な「異文化」を認め、その「異文化」が自己の文化の存続にとって危険であるとの認識があったと思えるからです。これは当時の律令体制を再編する国家イデオロギーが、東北地方をその周縁として異民族・異文化として見なす小中華思想として世界を認識する枠組みを作っていたことによると思います。空海の意識にも、当時のこのイデオロギーが反映しています。このことを、宗教の立場と社会通念とのもっとも緊張に満ちた関係として、私たちは反省しなければならないと思います。それは、後で述べるように大乗仏教の存在の根拠を問う問題にもなるはずです。社会通念をストレートに反映させた空海の発想の基になった『日本書紀』にも同じような記述がありますが、それらはおおむね中国の中華思想のイデオロギーの焼き直しと言えるようです。この発想では、自分たちが文化の中心に位置しており、「異文化」を自分たちの文化に従属させるか排除するかのどちらかの方法しか考えられていません。当時の自己中心の文化とは、基本的に律令体制を支える農業と機織であると思いますが、空海は「蝦夷」を「田つくらず、衣を織らず……」と捉え、その「異文化」性を強調します。問題なのは、自分が今いる文化状況から、「異文化」へと視点をシフトさせることがなぜできなかったか、ということになります。なぜなら、宗教は、とりわけ仏教は自分の固定した視点から見た世界はいつもゆがんでしまっていることを教えているはずだからです。

2.
 ところが、今日でも仏教の体制的な枠組みはあまり変化していません。戦時中に行ったことを反省するどころか、今もって「護国英霊」の慰霊法要を行いますが、その「英霊」に殺害され、踏みにじられた「犠牲者」への関心は二の次です。あのように「英霊」が自己犠牲を行ったから今日の私たちの繁栄があると受け止め、「英霊」の死を悼むことが強調されます。「戦争犠牲者」を追悼する場合でも、アジア各地の「戦争犠牲者」は意識に上がってもきません。日本とアジアとの関係を、視点をシフトさせて受け止めることができません。これは、空海が「蝦夷」に対する視点を固定化させてしまったことに通じると思います。もちろん、ヨーロッパの諸国が近代文明の普遍性を自負して、非ヨーロッパの文化に接した態度はさらに劣悪であったと思いますが、私が今いる状況では、このように置かれている日本の文化状況をどのような視点のシフトによって克服するかという問題になると思います。
 日常性を脅かす「異文化」を忌避し、排除して自分の文化を固定的なものにする働きは、私たちに常に現れてきます。日常性を脅かすものが「異常」で「こわい」ものとして忌避され、排除されることで、私たちは「日常性」を「正常」なものとして維持できているわけです。しかし文化のこの虚構が「生きていることの本質」を私たちから隠しているのではないかと思います。この「正常」と「異常」の虚構を突き崩すとき、何が私たちに見えてくるかが問題でしょう。「正常」は心理学的概念に偏り過ぎているかも知れませんが、これは社会状況として私たちが「異文化」の問題へのかかわりとして問われていることのはずです。そこに、空海にとっての「蝦夷」問題を考える基本的な課題があるような気がしています。「蝦夷」に関して空海が抱いたイメージ、あるいは認識が、はたして仏教の基本的態度とどのように関係するのか、そしてそれは中心課題となっている差別-被差別の構造とどのようにかかわる問題になるかを問うことにもなります。
 仏教は、自分の心のあり方として、この社会=文化状況へのかかわりをどのように把握すべきかについて教理の展開をしてきました。もっとも、端的にこのような仏教の態度を表明しているのが、密教の曼荼羅ではないかと思います。そこでは、文化の周縁が常に中心に変化し、中心は常に周縁でもありうる構造としての世界観を提示します。ここで曼荼羅には、視点を固定化する私たちの文化の構造を無化するエネルギーが備わっています。これが他の文化様式と大いに異なる点ではないかと思います。中華思想にしろ、西洋の伝統的な思想にしろ、自己の文化を中心とする視点を、その文化自身から突き崩す発想がありません。そういった思考様式とは異なり、仏教の、あるいは曼荼羅が持つ発想では、文化が固定されたとき、それはすぐに虚妄なものになってしまうという意識が支配的ではないかと思います。
 このような曼荼羅の発想からして、「異文化」であるがゆえに「蝦夷」を自己文化に従属させるか、あるいは排除すべき対象として空海がなぜ捉えたのか理解できません。空海こそ曼荼羅のもっとも優れた理解者であったはずなのに、です。
 これを解決しないと、「旃陀羅悪人」について提起された問題に答えられないような気がしました。空海にとって「旃陀羅悪人」の問題よりも、「蝦夷」問題のほうがリアルに人間が考えられているだけ、ことは深刻です。しかし、残念ながらこのような問題意識は、ほとんど考慮されていないようです。確かに「旃陀羅問題」は、仏教界がずっと長い間、問われ続けている問題であり、江戸時代には旃陀羅=エタの図式ができ上がるわけですから、それはそれとして、重大であると思います。しかし、旃陀羅=エタという公式が出来上がる根拠を仏教の問題として取り上げない限り、真の対話は無理な感じがします。
 「旃陀羅問題」は、空海にとっては、「蝦夷」問題であったと言えると思います。それを、差別語の問題として、視野を狭めてしまう議論が多すぎる気がしました。そして、そのことは「旃陀羅」問題を問う人たちにも共通しています。
 そもそも朝日新聞が「旃陀羅悪人」の問題を空海の使用した「差別語」として指摘したときから、ボタンの掛け違えた議論が出てしまったと言えます。私が知る限りでは、この問題にかなり本格的な議論を仕掛けたのは、たしか京都の師岡さんの『こぺる』誌上の論文のみではなかったかと思います。今その論文が手元にないので、確かなことは言えませんが、彼はこの問題を「言葉狩り」にしがちな議論を批判し、大乗仏教の人間観が西洋の自然法の考えとどのようになじまないかを指摘していました(もっとも、指摘だけで突っ込んだ議論にはなっていなかったような気もしました)。ところが、それ以降の議論では、師岡さん(?)の問題提起には誰も注目しませんでした。

3.
 私は、この「旃陀羅悪人」の表現を差別語であると指摘するなら、大乗仏教の知識を少しは獲得してからにすべきであったと、師岡さんと同じように思います。そうすれば、これは空海の問題ではなく、インド大乗仏教以来の歴史の問題として浮かび上がってくるはずです。そうすれば、「空海が差別している」といったセンセーショナルな問題にしないで、もっと本質的な議論にできたはずであろうと思います。私は、旃陀羅=悪人というのはインド大乗仏教以来の常識として、中国から日本に入ってきていると思います。悪人を「旃陀羅」にたとえるのはインド大乗仏教以来の常識であったというのは、大乗仏教のテキストからして確実であろうと思います。それは仏教が「悪」をどのように捉えたかという問題にもかかわります。
 仏教での「悪」は仏の教えに背くこと、仏の教えに向かう心構えである「戒」に背くことであったはずです(戒は他律的な規制ではなく、自律的な「戒め」です)。そのように背くことを、煩悩などの心の働きとして私たちは理解します。とりわけそのような心の働きのうち、「殺生」と「瞋恚しんに」(激怒する気持ち)は荒々しい振る舞いや心が仏の教えに即さないので、「悪」の代表と考えられました(そこにさえ仏の本質が宿っていると考え、実践論の中に組み込んだのは密教であると言えます)。ところが、動物を殺して毛皮を剥ぐという仕事は、インドではアウト・カーストの旃陀羅の仕事とされていました。このような殺生をし、血を流す仕事の荒々しいイメージが、旃陀羅に恐ろしい気性があるというイメージになり、彼らの生活に煩悩の代表例である「瞋恚」を具体的に見るような常識が仏教教理の中に出てきます。旃陀羅は実際に「殺生」を行なう、こわい「瞋恚」の心を持つ者とされてしまいます。「悪人」の端的な例として旃陀羅が扱われます。そうすると、旃陀羅以外のもので「悪」を行う者は「旃陀羅のような悪人」という意味で「旃陀羅悪人」と表現されます。
 このように、本来的には個人の行為や心構えを反省すべき事柄が、特定の社会階級とダブルイメージで表象されるようになったと言えます。特に、インドでは社会階級と職業の細分化がバラモン教の世界観に即した文化状況になっている点は見逃すことができません。現実に、インドの大乗仏教は、このような文化状況に妥協する形で人々の間に浸透しましたし、それだけにバラモン教→ヒンドゥー教の文化や社会通念を反映していると言えます。
 宗教的理想を人々の間に浸透させていくための妥協は、いつの時代でも当然ありえることです。しかし、その妥協が、いつしか社会通念を当たり前の事実として受け止める傾向になるものです。そのとき、宗教は危機的に現実に出会うと思います。もちろん、一切の妥協を拒否する宗教もありますが、そのような宗教が理想を堅持しているからといって、過大に評価されるのも疑問です。なぜなら、今までの歴史で、理想をかたくなに堅持し、一切の妥協を許さない宗教こそ、状況の変化次第では、きわめて露骨な差別主義に転じてしまう構造を持ちえるからです。それは、先ほど述べた、自己を文化の中心に据える視点を転換できないからです。視点をシフトする自由を確保することが、差別を超える認識のあり方に通じると思われます。
 そういった意味では、確かに大乗仏教は教理的に、他の宗教より優れた視点の据え方を提示したと思います。しかしながら、残念なことに具体的なインド社会でのアウト・カーストに対する視点が、社会通念を反映し、教理に結びつかなかった点があると思います。ここに、インド大乗仏教の根本的アキレス腱があるようです。もちろん、他方では旃陀羅を救済する教理は、如来蔵思想といった形で展開し、日本仏教のほとんどがその影響を受けているのは事実です。しかし、ここではそのような教理はただ背景に置くべきで、個人の内面と社会階級とを結びつけて「悪」が表象された問題に焦点をあわせるべきだと思います。「悪」は決定的に個人の内面に問うべき問題であったはずなのですから。
 では、なぜこのようなことが行われたのでしょうか。ここにこそ、私たちが今日的に問うべき問題があるような気がします。なぜなら、この問題は差別の構造をどのように私たちが受け止めるのかという問題になってくるからです。
 この問題に関して、私なりに藤田さんの『こわい考』の提起した問題を考えさせてもらいました。私たちが、心の中に「悪」を見るとき、それが先ほどの「殺生」でも「瞋恚」の場合でもそうですが、私たちの日常の「健全な意識」が脅かされるものと受け止められています。これは一種の日常意識の周縁の問題ではなかろうかと考えられます。心理学では、意識下の問題と言うかも知れません。いずれにしろ、私たちの「正常な」意識が脅かされる領域が、私たちの内部にあるとしたら、私たちはそれをできるだけ排除しようとします。(ここ数年、精神病理学の本、特に精神分裂病の本を読んで、私たちが「正常」と「異常」を区別する虚構の問題が、けっこう仏教に近いところで論じられていることを勉強しましたので、ついついこういった発想になってしまうのかも知れません。)

4.
 しかし、このような私たちの「正常な意識」が脅かされる感情は、すでに私たちが今の生活を当たり前であり、しかも無意識には維持し続けたいと受け止める認識があるからで、その認識を防御しようとする態勢として「こわい」という感情が出てくるのではないでしょうか。いささか理屈っぽくなりますが、このような防御態勢を私たちが作るのは、私たちが「ことば」を使用することから起こってくるのではないかと思います。私たちにとって「日常性を脅かす」と感じられるもの、「こわい」と受け止められるものは、この日常の意識に照らし出された反省的概念です。すなわち、すべて「ことば」が生み出したものと言えます。意識の内部の日常性を脅かすものへの恐怖は、「ことば」が作り出した二項関係に基づくと言えるようです。「ことば」は上-下、左-右、前-後といった空間表象から、善-悪といった倫理的価値まで、、二項関係で構成しがちですが、そこには人間が差別を生み出す根本的な表象の仕方があるのではないでしょうか。そして、「正常」と「異常」といった二項関係は、端的に言って「ことば」が生み出したものであり、現実ではないはずです(もっとも、現実とは何かが問題になるでしょうが)。現実と言うのが不適切であるなら、それを自然と言い換えてもかまわないでしょう。要するに、私たちは、自然を二項関係に切り裂いて、その「ことば」の虚構に現実を見ていると言ってよいのではないでしょうか。
 まさしく、日常意識は「ことば」によって二項関係に切り裂かれた現実の中で、意識された自分を「正常」なものとして保持するために、その意識された日常性を脅かす意識の周縁を「こわい」ものにしてしまうのではないかと思います。その「こわい」もの、日常性を脅かすものを、固定化して「悪」と決め込むと、「あれか、これか」の悲劇が襲ってくることもあります。所詮、人間はこの二項関係を避けえないのが運命ですから。
 しかし、仏教ではこの「悪」をその場面に固定化しなかったはずです。なぜなら、このように「ことば」で二項関係を生み出す働きを根本的な「悪」と見ていたはずですから。
 意識の問題としては、差別は二項関係を生み出す「ことば」の働きを持ち続ける限り、なくならないと思います。「ことば」は永遠に差別を生み出すでしょう。それは、「ことば」によって意識する人間の生き方の、避けることのできない運命である気がします。
 そして、事柄が錯綜するのは、その「ことば」が単に意識を形成するだけのものではなく、当然ながら、意識は社会状況において形成されるものですが、その社会あるいは文化は、その体系の基礎を「ことば」に置いていることです。私たちは、意識の周縁に「こわい」ものを受け止めますが、同時に社会あるいは文化の周縁にも同様に「こわい」ものを受け止めます。それは日常性を脅かす存在として意識されると思います。私たちは、それを排除しようとして、さまざまな「ことば」によってその存在を、私たちの日常性と異なるものであると名づけようとします。
 もし、そのような日常性を脅かすものが身近に人種として存在すれば、それが自分たちと異なることを「ことば」によって名づける(ギリシァ人が異国人を「バルバロイ」と名づけたように)でしょう。あるいは国の外に見なければ、自分たちの文化の内部でもっとも周縁に位置するものを、文化を脅かす危険な存在として「旃陀羅」とも名づけるでしょう。そして自己の文化を変更させることなく彼らを従属させるか、排除の対象にするかして、侮蔑する「ことば」で、そういった「異常な者」を永遠に文化の周縁に追いやったままにするでしょう。私たちの日常性を脅かす危険なものがあると、「ことば」で意識し、「ことば」で従属させるか排除するかして、周縁に追いやっておくのが、差別の構造ではないかと思います。
 ちなみに、インドではアウト・カーストの旃陀羅は端的な例です。彼らは大乗仏教の表現のように「悪人」とも受け止められ、「こわい者」とも「危険な者」とも受け止められ、文化の周縁に位置づけられるものでした。この危険な存在は、しばしば「暴悪なもの」と表現されます。
 いずれにしても、問題は、日常性を脅かす「こわい」存在をどのような視点で見ているかということになります。文化の周縁と中心が入れ替わる構造によって、日常性が「ことば」で作り上げていた差別構造の二項関係を逆転させ、「こわい」ものを作り上げていた日常の意識や「ことば」の使われ方が意味をなさない方向に向けられてゆくと思います。藤田さんが『こわい考』の中で、「おれは部落民や…」という「ことば」に土下座した友人のことを書いておられますが、そこではこのような「ことば」が生み出した二項関係が固体化されたままで、中心は二項関係のどちらにあるかという問題になってしまう人間関係であったように思います。もっとも、こんなことを平気で評論風に書いてしまうことが、私の弱さかも知れません。しかし、現場の当事者でなければ何が分かるか、という反省をしてみたところで、藤田さんの書いている現場に、私はあの『こわい考』の文章で参加するしか仕方がないわけです。そして、藤田さんはこの問題に参加するように訴えるからこそ、書き記したのだと思いますから、私のこのような勝手な意見もお許しください。私は、藤田さんが書いたあの事柄には、部落差別に限らず、私たちが差別してしまう人間の生き方に何を見抜くべきか、根本から問うべき問題がある気がします。
 ところで、先ほどの話題に戻りますが、「ことば」が意識の内部で脅かされる周縁と、文化の周縁とを重ね合わせるだけで、固定化して、その視点をシフトさせないインド大乗仏教は、旃陀羅差別を抜け出せずに「旃陀羅悪人」という表現で、差別を固定化し続ける社会体制に迎合したと思われます。そして、日本の仏教は江戸時代に、この問題への深刻な反省も教理的な配慮もなく、エタ=旃陀羅という公式を知識階級になった仏教が提示して、当時の社会体制に妥協し続けたと思われます。
 問題は、被差別部落を社会・文化の周縁に追いやった私たちの文化の構造であり、それは仏教にとってどのような意味で反省を迫るものなのかということが、まだまだ明確になっているとは思えません。ある固定した社会正義の問題として、差別が問われ、仏教界に反省を迫るという今の状況では、もっと議論が深まるとは思えないのです。確かに、部落差別は差し迫った重要問題ですが、それを差別の構造という一般の形式としてどのように受け止めるかという議論も必要なのではないでしょうか。その場合、私たちが社会や文化の状況に生きていることが、「ことば」に基礎づけられ、「ことば」が差別の基本構造を生み出すという認識が必要なのではないかと思います。そういった点から、仏教の教理と差別の問題を考えてみたいと思っています。「旃陀羅悪人」という問題は、社会あるいは文化と「ことば」と意識との相関関係として、人間の生き方を根本から問う問題だからです。

5.
 ところで、日本の仏教は釈迦如来以外にさまざまな仏や菩薩や神々を拝んでいるが、そのほとんどは起源がヒンドゥー教のものであり、ヒンドゥー教こそカースト制度という差別を作り上げた考えであり、釈迦は本来この差別を否定したのであるから、日本仏教もこの原点にたちかえるべきだという人がいます。はたして、このような意見は正当なものでしょうか。ヒンドゥー教の差別がよくないというのは、少しは分かります。実際にひどいカースト制度があるわけですから。しかし、それはヒンドゥー教の全面的な否定になるのでしょうか。ヒンドゥー教で生きている人たちを十把ひとからげにして断罪しているような気がします。バラモン階級が決して富を独占しているわけでもなく、彼らの中にはそれこそ日本で差別反対を唱える人よりも誠実に、差別を生み出す社会とのかかわりに禁欲的な修行者もいます。彼らの多くが、いわば自己中心的な社会=文化の状況の周縁にあえて身を置いています。彼らは、「異形の者」になりきっています。他の社会的価値よりも、そういった貧しい修行者を重視する社会が、ある意味で社会規範から自由なインドを作り上げている側面もあります。西洋社会のように社会階級が、そのまま社会的価値に直結しないインドの現状においては、ヒンドゥー教を全否定することはできません。
 別な言い方をすると、現在のヒンドゥー教の大きな勢力であるシヴァ信仰やクリシュナ信仰はカースト制度成立より以後の信仰運動です。こういった信仰運動が、カースト制度を温存している教義を持ち続けていることは確かに問題です。しかし、ヒンドゥー教によってカースト制度の差別が作られたわけではないはずです。また、差別をそのまま保持している現在のヒンドゥー教の中から、なぜマハトマ・ガンディのような熱烈なヒンドゥー主義者によってアウト・カースト救済の法的手続きがとれるのでしょうか。彼は単なる西洋流ヒューマニストでもなく、西洋近代の政治思想の信奉者でもありません。彼の行動の規範は、常にマハーバーラタにありました。彼だけでなく、多くのヒンドゥー教徒が、自らの背負ったカースト制度という呪縛を、ヒンドゥー教の思想に基づいて解決することを、私たちが断罪できるでしょうか。ましてや、日本の仏教はヒンドゥー教の影響を受けている点を改めるべきであるとは、真に差別を問題にしている人の言とも思われません。ヒンドゥー教の神々を受け入れた仏教が、世界の意味づけをする「ことば」を超えて、「ことば」が生み出す文化という差別構造を拒否するために、どのような世界観を受け入れたのかが問題になるはずです。宗教のあり方を一面的に断罪し、自己の社会正義に基づいて解釈しやすい釈迦をイメージしているだけであって、それ自身、予断に満ちているとしたら、部落解放とは別の位相から見た場合、差別を生み出す可能性があるように思えます。社会はさまざまな位相から認識できるのであって、部落差別からのみ社会正義を確定するとき、それは重要だし、否定することはしませんが、心の柔軟さを失うことがあるのではないでしょうか。しかし、藤田さんの『通信」でいつも問題になっている「立場」が固定してしまうと、小生はこの問題に口をつぐんで、ただ頭を垂れて聞かねばならないのでしょうか。
 異なる立場からの思想的対話ができなければ、藤田さんの言う「両側から超える」ことも不可能なのではないでしょうか。しかし、小生にその発言権があるのか迷ってしまいます。「おまえは部落解放のために何をしてきたのだ」と問いつめられれば、何も言えません。藤田さんの理論は、解放運動の中で問題にはできるかも知れないが、私のような立場では、その問題に発言する権利がないようにも仕組まれているような気もします。解放同盟という中心に、さまざまなかかわりを持つ運動がその外側を構成し、その中心と外側との関係として「両側から超える」問題が提起されているとすれば、私には何も発言する権利はなくなります。しかし、藤田さんの問題提起は、私には発言権はないといった地点にとどまることではなく、私なりに差別のあり方へのアプローチを追及する問題意識に組み込まなければならないと思っています。
 しかし、どうしてよいか、暗中模索しているところです。いろいろと教えてもらいたいことはたくさんあります。今は、まだ単純にものごとを受け止めすぎているような気がします。私も差別の問題で発言する権利はあるはずですから、それぞれの立場が異なるところから、差別がこのようにある現状で、その差別をどうにかしようという思いで向かい合う人が、それぞれに対話してゆくことが大事ではないかと思います。差別は「ことば」が生み出す文化の現象ですから、その問題へのアプローチを一定に固定しないで議論のさまざまな可能性を残しておくことが必要ではないでしょうか。そのような柔軟な心が、素朴かも知れませんが、差別に立ち向かう強い力になるのではないでしょうか。
 何かつまらないことをくどくど述べて、最後はしまらない幼稚な話に落ち着いてしまったようで申し訳ありません。ずっと『通信』を送っていただいているお礼を述べたかっただけなのに、つまらないことを書き連ねたような気がします。(後略)

コメント.
 昨年の夏、友人が送ってくれた文章が縁で仏典や仏教関係の本を開くようになり、そのことを「あとがき」に書いたら、ある読者からB5判15枚に及ぶこの便りが届きました。一読、同感・共感するところが多くうれしくなりました。もちろん「ことば」の問題など、まだよくわからない部分もありますが。
 ところで、『こわい考』の枠組みが、部落解放運動内部におかれていて、その中心と外側との関係を前提に「両側から超える」ことが主張され、それ以外の立場の者には発言する権利がないように仕組まれているのでは、とのご指摘はもっともです。あれを書いた時点では、なにはともあれ運動の中で常々気づかされている対話のとぎれ、その仕組みを見定めたいという気持が強く働いていたことは間違いありません。『こわい考』が出て、いろいろの批評を読んだり聞いたりしているうちに、『こわい考』の枠組みがそのものが論議の幅を狭めているのではと感じ始めました。そのあたりのことについては、初期の『通信』に書いています。運動にかかわっているかどうかを、議論の前提にしてはならない。議論をする前に、あらかじめ相手の立場、資格、経験を問うなら、話はもとに戻ってしまいます。事柄はきわめて微妙であるだけに、乱暴な議論はしたくない、そんな感じがしてならないのです。
 また、両側という設定自体、おっしゃる意味での二項関係にもとづきます。しかし、現実に人を縛っている二項関係から出発し、それを対象化、相対化することによって止揚するしかないのでしょう。現実と幻想とのあいだを不断に往来する中から、人と人との新たな関係がつくりだせないか。日常の生活感覚から、自他ともに抜け出る道はないのかどうか。そんなことを考えています。またお便りをください。

《 採録 》
藤田敬一『同和はこわい考』(阿吽社)
佐藤 秀夫(教育学科)
 部落差別問題を根源的に考えさせてくれる書物。一見ショッキングな書名だが、部落差別にどう立ち向かっていくのか、被差別部落民との人間存在をかけて連帯することの意味をじっくりと考えさせてくれる本。本書の問題提起を無視しては、部落差別問題は語れないだろうと思わせるほどの迫力を持つ。ぜひ一読をお勧めしたい。(日本大学文理学部『學叢』No.51,1992.「特集 新教養主義のすすめ」)

《 あとがき 》
★庭のワビスケが、今年は花をたくさん咲かせています。同志社大学の近くに、たしかこの名前をつけたいい感じの喫茶店がありますね。ワビスケという音も、佗助という字もなかなかよろしい
★一年ごしの原稿に正月から追われていたため、本号の作成が遅れました。まあ、ゆっくりやります
★新『こぺる』への寄金は1月22日現在、363人、509口、254万5000円に達しています。購読者募集は二月中旬から始めますので、よろしく
★92年12月14日から93年1月27日まで、岐阜(2),京都(3),富山,大阪(3),島根(2),鳥取(4),東京(2),新潟,広島の19人の方より計11万5296円の切手、カンパをいただきました。ほんとにありがとうございます
★本『通信』の連絡先は、〒501-11 岐阜市西改田字川向 藤田敬一です。(複製歓迎)