同和はこわい考通信 No.19 1988.12.15. 発行者・藤田敬一

《 随感・随想 》
文化会議の自立性が問われている
藤田 敬一
 先日、差別とたたかう文化会議から一通の封書が届いた。それには「再結集の呼びかけ」のほか、新旧の規約と体制(案)、加入申し込み用葉書、そして『会報』Vol2-1(88.10.20)が入っていた。用向きは、規約を改正し、体制を強化するから会員の再登録をしてほしいということである。
 わたしは、文化会議の総会に一、二回出席したことはあるものの、会費の長期滞納者であり、機関誌『差別とたたかう文化』もめったに読まない不熱心な会員だったので、「文化会議は体制の弱さから会員の力を結集しきれず活動の停滞をきたしております」というのを読むと、なんとも申しわけない気持になってしまう。これは心を入れかえて、きちんと会費を払うようにしようと思うものの、いま一つ心がはずまないのは、どうしてだろうか。
 呼びかけ文の「権力の文化攻勢に対して反差別・人間解放の文化を創造し、うちかた(め)ねばなりません」という意見に反対ではないし、これまであった団体加盟の文言を削除し、個人加盟を原則にした規約の改正、事務局次長を新たに置くとの強化案に異論があるわけでもない。そこでつらつら考えてみるに、どうもこのところ、わたしの関心が運動における自立、連帯・共闘とはなにかという点に向けられていることと関係があるようなのだ。
 呼びかけ文には「部落の完全解放と人間の全的解放をもとめ、民主主義の確立に重大な意義をもつ部落解放運動が強力にすすめられなければなりません」とあり、また部落解放同盟との恒常的な連帯・協力関係の樹立がうたわれている。一般論としてはよく理解できるのだけれど、わたしにはこれがすんなりと受けとめられないのである。
 ところで小森龍邦さんが『部落解放』1988年6月号のコラムで『同和はこわい考』をめぐって文化会議が批判的見解をまとめたかのような書き方をし、これを読んだ友人が、ほんとうかとたずねてきたので、何人かの方に確認したけれども、そんな事実はなかった。友人には、それは誤解だと答えておいた。ここまでは本誌13号「随感・随想」に記しておいたから、おぼえている人もおられよう。
 しかし、これで終わったとは、わたしは考えていない。なぜなら小森さんの文章などから推測すると、文化会議の総会で野間宏さんが口頭で見解を表明し、それがメモかなにかにされて部落解放同盟中央本部に伝えられたというのが、ことの経緯らしいからだ。しかもそれがあたかも組織の見解であるかのように紹介されたのである。当然、文化会議として一言なかるぺからずだと、わたしなんかは考えるけれども、いっこうになんの話も聞かない。一つの組織の総会(総会として成立せず、討論会になったそうだが)でなされた個人の発言が組識の見解として世間に流布されるがままにしているといわれてもいたしかたない。
 『こわい考』という小冊子がいずれの組織でいかなる扱いを受けようと、そんなことはどうでもよろしい。一人でも多くの人によって、思索と討論の素材にしてもらえれば、それで十分だ。加えて組織運営について云々する気力も、いまのわたしには正直いってない。文化会議が部落解放同盟との連帯や協力関係の樹立をかかげるにしても、せめて小森さんの誤認と読者の誤解を解くことぐらいしてもおかしくないと指摘したいだけである。そうでないと文化会議の自立性、主体性が問われるのではあるまいか。
 部落解放運動の中で、わたしは自らの「随伴的かかわり」にいやけがさし、なんとかならないかものかと考えつづけた。前川む一さんとの往復書簡はそのあがきの跡である。大西巨人さんは、これを「卑屈奇怪な表現」と一蹴しているけれども(『朝日ジャーナル』1988.8.5)、当時のわたしとしては、自分の心情をこのようにしか言い表わすほかなかったし、いまも運動における「随伴的かかわり」の問題はけっして小さくないと感じている。文化会議が再結集にあたって、『こわい考』をめぐるこの間の経緯に対してどのような措置をとるのか、注目せざるをえないのもそのためである。
『会報』(Vol.2-1)に掲載されている1988年度全体討論会(総会)報告には

 (討論会の)終りに、藤田敬ママさんの『同和こママわい考』について、師岡佑行さん、寺本知さん、野間宏議長の発言があった。その発言の内容は別に報告する…。

とある。三人の方の発言内容を公表するだけでなく、どうしてこんな具合になったのか、経緯と背景をきちんと説明してほしい。
 ある知人が、小森さんの文章を読んで「『こわい考』について文化会議でこう簡単に意見がまとまるようでは文化の中身が問われるなあと、なかばあきらめの心境だった」と書き送ってきた。ことは文化会議の再結集の基本にかかわるなどというつもりはないが、部落解放運動における文化会議の自立、連帯・共闘のありかたの問題が存在していることはたしかであって、それだけに対応が注目されるのである。 期して待ちたいと思う。

《 各地からの便り 》
その1.論議をもっと公開の場で
R・Y(岐阜)
 No.17を読ませていただきました。別綴じにして、少しずつ厚さが増すのを楽しみにしております。それと共に、このねばり強い営みが、実りのある論議を呼び起こし、これまでの手かせ、足かせ、面子等々をかなぐり捨てて、一人一人が正しい問題意識の上にたって、根源的な差別解消への実践的な歩み出しを始める大きなきっかけとなると思います。
 朝日ジャーナルのシリーズの内容には、まだ喰いたりないものはありますが、ジャーナリズムの限界だとあきらめるわけにはまいりません。もっと論議を広げ深め「両側から超える」努力を積み重ねたいものです。…対立意見の持主たちも、公の場に出て、責任ある発言をし、論陣を張ってもらいたいと思います。…

コメント.
『通信』を別綴じにしてくださっているよし、なんと申し上げてよいか。小口、大口、手渡し含めて530部ほど発行していますが、その後どのように遇されているのか、気にならないわけではありません。そのままポイと屑籠に投げ入れられているのではないか、鞄の中、机の上にほったらかしにされているのではないかと、わが身を顧みて思いあたる情景が浮かんできます。
 しかし人にはそれぞれ仕事や生活、趣味、そして抱える問題があるのであって、いつまでも『こわい考』や『通信』につきあっておれないこともわかります。それに、わたしが勝手に送りつけている場合もあり、そんな方にとっては、まことにもって迷惑な話にちがいない。ですから、せめて100人、いや一割の50人でもいい、読んでいてくださる人があればと考えるようにしています。R・Yさんのように別綴じにしていてくださる方がおられるのを知ると、なんというのでしょうね、やはり嬉しくなってしまいます。

その2.幹部は、下部末端の声に耳をかしてもらいたい
C・N(京都)
 …部落解放運動を引張り指導される幹部諸君は、むずかしい論議を重ね、未来を展望したところの解放理論を責任をもって構築されることは当然なことですが、そのためにも下部組織の末端の偽らざる素直な声により耳をかしてもらいたいものです。さすれば藤田さんがもっと書きたいことがあるのに、政府や地対協の解放運動つぶしをねらう現状を考慮していま克服しなければならない主要な視点だけをとりあげ、問題提起をされたことを理解できると思うのです。
 『こわい考』の問題提起に対する論争は大いに結構。でも、あげ足とりや論争のための論争ではなく、いま自らがどのようにたたかい、さらにはいま下部組織でどんな声があるのかなど、具体的な問題を取り上げ、藤田さんの問題提起に迫って欲しいものです。それが部落解放運動をより力強く前進させるものと、わたしは考えています。…

コメント.
下部末端といいますか、支部員の中に、運動の直面している課題をスパッと見抜いている人がおられます。見るべきものを見ていないのは、むしろ幹部の方ではないかと感じるときがある。われわれ幹部は大衆に責任をもっているとは、よく聞く意見ですが、どうもこれには「幹部は指導する者、大衆は指導される者」という図式が隠されているように思えてならない。あるいは大衆は功利的で、ほっとけばどこへ行くかわからんから、幹部が責任をもって指導せんとあかんのだという自負があるのかもしれません。
 しかし行政交渉の場で描かれる被差別部落の生活実態と自らの実感とのへだたり,同和対策事業もその一因である、自立・自律の根拠の喪失状況を肌で知っている人がいる。そうした生活と運動の分離、分裂、乖離は、むしろ部落解放理論の再検討を促しているのですが、再検討に向かう様子がみえない。
 組織とか運動というものは、どうしても保守的になる傾向があるようです。組織運動も一つの体制、制度だからやむをえないのでしょう。あれこれ考えていると、いよいよ日暮れて途遠しの感がしてきます。

《 採録 》
その1.桜井裕之「全国交流会に参加して」
   (差別問題を考える四日市市民の会『会報』No.11.88.9.)
 …話はもとに戻って、交流会の感想を述べていこう。やはり初めは、横井清さんの「最近の部落問題について」であろう。先月の会報で松本君がいっているように、横井さんの話は、おもしろおかしい講演であったといえる。それとともに部落問題に対する認識が、新たに問い直されてきたんじゃないかと思える。「部落問題から離れようと思いつつ、結局は周りの友人から引き戻されてしまった。また、自分の中に部落問題から離れることができなかったことがあった」という話があった。この言葉は、部落問題に対して損得勘定ではかれるものなのかとか、そして関わり続ける関係がそこにあったのではと感じてしまった。
 今回の交流会では、分科会が企画された。…第1分科会は、予想をはるかに上まって交流会の参加人数の大多数が集まってしまった。山城さんは「これは予想していた。交流会全体のテーマが、これだから」と言っていた。…「部落差別とはなにか」というのが、交流会の全体の共通するテーマであるから、人が少ないところが議論しやすいのではということで、山城さんが司会する第2分科会に入ることにした。報告者は師岡佑行さんだった。歴史的視点から、きわめて細かく説明がされ、知らぬまに1時間半たってしまった。話のきわめつけは、「平民表札」事件の話しであった。これは、ごく最近のできごとで、京都の舞鶴市で舞鶴郵便局解放研のメンバーである郵便局員が、配達中に「平民」と書かれている表札を見つけたことから始まった。この「平民表札」は、「新平民」でないという意思表示として掲られたもので、差別表札として扱ったという話であった。
 ここの話の中での感想をひとこと。①「平民表札」は、ほんとうに「差別にあたいする」のだろうか。②「平民」という言葉の議論だけでなく、この表札を掲げた主の言葉の方が重要であるように思えてくる。「最近同和問題がやかましく言われているが、いまは逆になっている。自分も同和地区へ仕事に行っていたが、ものすごい。何かあるとすぐ課長を呼べと言う。こっちがそんなことを言っても何もしてもらえない。ものすごい。何となあ、と思う」③行政当局に「平民表札」を取り外ずさせるだけでよかったのだろうか。
 というような感じを受けました。もう少し議論しあえればよかった。また、このような話しだけでなく、他の事例を出し合ってやってもよかったとも思う。…今年の交流会は期待していたとおりに非常によかった。市民の会で議論していることもあり、また、「郵政版」を出して私自身の意識の整理をしていることもあったからであろう。これからもう一年間、私の身の周りの状況をよく見て、意識の整理を進めた上で、次回の交流会に参加していきたいと思う。

コメント.
桜井さんが紹介している「平民表札」問題について、詳しい経過を知らずにいわせてもらうと、これは差別表札事件というより、身分表札問題ととらえた方が、人びとの身分意識全体を論議の対象にできていいのではないでしょうか。差別表札事件との命名・規定がもつ衝撃力は大きい。しかし、それでは「平民-新平民」の関係はクローズアップされるけれども、現在に及ぶ身分意識全体の問題が見落とされないか心配です。
 それに表札を取りはずすにしても、これらの表札を一つの題材にして、町の人びとが「この表札をかけたのは、どんな気持からだったのか」「身分表札にはどんな問題がふくまれているのか」「人から指摘されるまで気づかなかったのはなぜか」「いまの世に、身分というのはあるのか」「そもそも身分とはなにか」といったことどもを一緒に議論し、その上で、各自が「やっぱりこの表札は取りはずそう」ということであってほしい。町の人びとが身分についてより深く考え、自らの意志で表札を取りはずすことが肝心なのですから。

その2.出版ニュース社『出版ニュース』1988年10月中旬号.
 サワラヌ神にたたりなしが、多くの日本人のくらしの根もとにあった。異界や差別はこわい。できるだけ目をつむり、避けて通るのが賢明だと考えてきた。きびしいだけでは世の中やっていけないというのが、相互慰撫のアイマイな目かくしにもなってきた。この本(『同和はこわい考を読む』)は、その根もとにまっとうなクサビを打ちこもうとする。「ほんまにそうやろうか」という柔らかいが芯は強い批判こそが、きびしい相互の批判のやりとりの中で、実りの多い対話を生みだす。
 かつて日本で客死したレモスが、部落解放同盟の立派な建物を前にして、「ここでは私の解放は語れない」と言ったことがある。その言葉の重みの正否を「ほんまにそうやろうか」と問うてほしい。

コメント.
部落解放同盟の立派な建物というのがどこのものを指しているのかわかりませんが、同じような感想をもらす人にときどき出会うことがあります。1958年6 月、やっとのことで捜しあてた京都河原町七条西南角の部落問題研究所も、1960年初めに出かけた大阪桃谷の部落解放同盟中央本部も、いまからみればたしかにみすぼらしいものでした。それからいうと各地にある解放会館や諸施設の中には、びっくりするくらい立派なものがある。部落解放運動の成果でもあるこれらの建物を見ていろんな感想が生れても当然です。ただわたしは、その成果がなにをもたらしたかということに目を向けたい。
 戦後十数年のころとくらべて、建物も服装もみんなよくなった。たとえばテレビに映る企業と労働組合との会見場面を見ていると、服装だけではどちらが労働組合側かわからないくらいです。部落解放運動だけが例外で、昔風のままというわけにもいかない。あまりムード的にならずに解放について語りあえればと思うのですが。

その3.朝日新聞第2部「読書特集」話題の本(1988.10.27.)
 宣伝力に乏しい小規模出版社の本が、ときに大きな反響を呼ぶことがある。質的に高く評価される本も少なくない。…同和行政と被差別部落解放運動の現状に一石を投じた『同和はこわい考-地対協を批判する』(藤田敬一著・800 円)は、京都市の阿吽社(あうん)社の発行。この本をめぐる多様な論議は、今年八月に同社から出た『同和はこわい考を読む』(こぺる編集部編・1,600 円)にまとめられている。…これらの出版社は、大月書店(二十七人)を除いて、いずれも十人以下の会社。(今年『町で起こった盗聴事件』で日本ジャーナリスト会議のJCJ奨励賞を受けた)リベルタ出版は、発足一年、社長一人で切り盛りする出版社だ。

コメント.
いわゆる地方出版社、小規模出版社紹介の特集紙面だから、読んでいない人もおられるはず。わたしも友人から教えられて知ったような始末です。<話題の本>の中に広瀬隆『危険な話』(27万部)、甘蔗珠恵子『まだ、まにあうのなら』(43万部)、木藤亜也『1リットルの涙』(46万部)などとともに『こわい考』『読む』があげられていて、少々照れくさい。
 それはともかく、ここで阿吽社をちょっと紹介させてもらいますと、社長の森芙美子さん以下、社員四人とも女性ばかり。刊行中の『京都の部落史』は評価が高いし、あうん双書『いけん君が代』は息の長いベスト・セラーです。
 場所がまたいい。同志社大学、相国寺に近い浄土宗阿弥陀寺の境内、木造小学校風の建物の一階にある。しばらく寄せてもらっていませんが、五月の頃は、庭の新緑がまぶしかった。京都部落史研究所のある京都府部落解放センターまで歩いて15分、賀茂川と高野川の合流地点もまぢかい。このあたりからの比叡山が、わたしは一番気にいってます。桜の咲く時分には河原で花見ができ、比叡山から東山に連なる山々を眺めながらの一杯は趣があります。

その4.部落解放京都地方共闘会議編『第10回部落問題基礎講座講演集』(1988.9)
 …(質問)1 月26日の「同和はこわい考」藤田さんの講座を聞きました。その時にコペルも読み京都府連委員長の吉田明さんが「率直な書物と出会った。率直にいろんな今の部落解放運動の憂うべき点を指摘しておられるし、この直言は解放運動をより強固なものにしていく」という見解を示しておられる。12月21日付解放新聞で本部の見解が出されていた。その中味は、国家権力と闘っているこの時期に「同和はこわい考」は味方の論理ではないと見解を示している。この場合、中央執行委員でもある駒井さんはこの「同和はこわい考」をどのように考えておられるのか。

コメント.
今年の1 月26日、京都で開かれた部落問題基礎講座で「同和はこわい考-地対協を批判する」と題して話をさせてもらいました。その後2 月12日、駒井昭雄さん(部落解放同盟中央執行委員、京都府連書記長)が講演したとき、聴講者から上記の質問が出たということです。なお駒井さんの答弁は『講演集』によって要約すると以下の通りです。①『こわい考』は3 ~4 年前に書かれた文章で、部会報告や意見具申、啓発推進指針が出ていない時に出された文章である。②『こわい考』は内容的に推進指針、意見具申の批判になっていない。そのためこの厳しい時期に足をひっぱる論議になっているのではないかということで、不十分さを追及される状態が生れている。③中央の段階では敵対的矛盾のかたちに発展させてはならないと意志統一をして、公開論争をやるけれども私たちの敵として追いやることのないようにしようとしている。運動から排除することにはなっていない。④お互いに部落解放をすすめるという大きな点で意見一致ができるなら、意見交換をやって不十分さを正していく。『こわい考』と中央の見解を重ね合わせて、反動攻勢に対して両方から注意していく状態をつくり、運動の中に正しいものを吸収していく必要がある。⑤これは個人の見解である。

《 あとがき 》
*11月19日(土)、京都の差別意識論研究会に出かけ、住田一郎さん(大阪)の報告を聞かせてもらってきました。この研究会は、いまから10年ほど前、関西の友人たちとつくった差別論研究会が一旦中断して、昨年復活したものです。わたしにとって、部落問題全国交流会とともに、問題意識をふくらませる場になっています。次回は12月17日(土)午後2 時から、京都部落史研究所(電話075-415-1032) 。報告者は山城弘敬さん(三重)です
*11月3 日、横井清さんの『まと胞衣えな-中世人の生と死』(平凡社.1988.8.)の毎日出版文化賞受賞が決りました。今夏、一気に読んだ本です。ここでわたしがくだくだ述べるより直接手にとって読んでいただきたいのですが、たとえば「どうしても『社会構造』といった客観的な分析対象へと私を追い込むのではなくて、ごく痛切な心性というか、心の問題という形で丸ごとこちらに跳ね返って来がちなんです」という述懐、阿部謹也さんの『逆光のなかの中世』(日本エディタースクール出版部.1986)にふれて「なぜ日本の古代や中世の差別の問題が今一つクリアーに見えてこないのかと問い直されて、例えばのこととしてこの糞尿に言及なさっています。それらを汚く嫌らしいものとしてのみ見ていては、古代・中世の差別を鮮明に解き明かせないのでは……というわけです。その背景というか基盤というからには、当時の人びとの共有した自然観・宇宙観・物質観等々についての認識があってのことですが、まったく同感です」などの指摘にはっとさせられます。一読をお勧めします
*コメントをもっと多くとのお便りに悪乗りして、今号はいささか饒舌気味。お許しあれ
*11月4 日から11月28日まで、大阪(3 ) 、京都、福岡、愛知、三重、岐阜の8 人の方から、計17,640円の切手、カンパをいただきました。ありがとうございました。それではよいお年を
*本『通信』の連絡先は〒501-11 岐阜市西改田字川向 藤田敬一です。