同和はこわい考通信 No.18 1988.11.10 発行者・藤田敬一

《 意見陳述 》
 他者の人権を侵して自らの人権はあり得ない
   -甲山控訴審第一回公判における山田悦子さんの陳述-
 私は、この十四年間、無実であるにもかかわらず、「殺人事件」の犯人として、世にさらされてきました。警察検察は、私を犯人とするため、子どもたちを「目撃者」に、アリバイ証言の荒木さん多田さんを「うそつきの罪人」に仕立て上げ、私には、懲役十三年の求刑をしてきました。
 「冷酷非情、自己中心的な性格」と私を決めつけた、人格批判の屈辱的な一審論告求刑を、わたしは、体が震えるほどの怒りで聞きました。あの思いが、今新たに蘇ります。
 一審無罪判決にもかかわらず、冷酷、非情、自己中心的な検察官の控訴が、ここに再び私を被告として立たせたことに、怒りを禁じ得ません。
 事件発生からすでに十四年がたっておりますが、二人の子どもが相次いで行方不明になり、学園の浄化層で発見された痛ましい出来事は、思い出すたびに心が痛みます。
 十四年前(1974年)の三月十七日、溝畑光子ちゃんが行方不明となったとき、私は、宿直勤務をしておりました。自分の勤務中に、子どもを行方不明にさせてしまった自責の念と、安否を気づかう思いにかられ、必死に捜査をしました。
 悟君がいなくなったと知らされ、捜し登った甲山の頂上から見えた、オイルショックの神戸の町の夜景のほの暗さが、子どもたちの行方不明に驚愕する私の心に、切なくわびしく映ったことを忘れることはできません。
 あの時、私は悟君を殺した犯人として逮捕されるなどと、全く想像できませんでした。しかし、私は、警察の捜査で逮捕されてしまいました。
 身に覚えのないことの突然の逮捕に、私は全く気が動転しました。いくら無実を訴えても聞き入れてもらえず、一分一秒のアリバイ証明ができれば信じてやるという警察の言葉を信じ、私は、自分の行動を懸命に思い出そうとしました。
 しかし、思い出したことも次々と否定され、信じてもらえず、私は焦り、不安になり、記憶が混乱し、自分の記憶に自信をなくしゆきました。
 そんな私に追い討ちをかけるように、もう誰もあんたのことを信じていない、父親までが犯人だと思っている、との警察官の言葉にうちのめされ、身に覚えのないことに「自白」をしてしまいました。そして信じてくれる人のいない絶望に、私は、自らの命を断つことによって、身の証しをたてようとまで思いつめました。いかに過酷な取り調べの果てとはいえ、この虚偽の自白が、今も、私の弱さを責め、苦しめます。
 一審の公判廷で、検察官は、子どもたちに、事実に反する、「目撃証言」をさせました。この証言がどのような状況から生れたのか、子どもたちに対する取り調べ回数のおびただしさから、私にはうかがうことができます。子どもたちが、どのような過酷な取り調べにさらされたのか、同じ過酷さを味わった者として、私にはわかることができます。
 人は過酷さに耐えかねて、有りもしないことを言ってしまいます。子どもたちも私もそうでした。ここに、「知恵遅れ」とそうでないものの区別などありません。
 検察官が一審で主張された、子どもたちの矛盾錯綜した「目撃証言」を、一つ一つ丹念に分析し、「目撃証言」が虚偽であると明らかに出来たればこそ、一審完全無罪判決を得ることが出来たのだと、私は、確信しています。
 証言した子どもたちに、「知恵遅れ」のレッテルを貼ることなく、その証言を弾劾できたことは、子どもたちの人権を侵さずにすんだことを物語っています。子どもたちの人権を侵すことなく無罪を得たことが、私の人権の回復を確かなものにしています。他者の人権を侵して自らの人権はあり得ないという、人間社会が持たなければならない、一番大事なことを、私は、甲山裁判で学びました。
 私は、人間が人間を大切にする、この当り前の正義と、私が無実であるという真実が、第一審において守られたことに、深い感動を覚えます。そして、法が、正義と真実のもとに、ごくごく平凡に生きている私たちの手中にあることに、気付くことが出来ました。
 それにしても、正義と真実のもとに、法によって得た私の無罪判決までの道のりのなかで、私は、甲山学園の人々との関係を警察検察の手によってズタズタに裂かれたこと、裂かれた人間関係は甲山学園の廃止をも生み出してしまったこと、別れを惜しみ語ることさえ許されず、人々はそれぞれに学園を去って行かねばならなかったことなどなど思うとき、私の無罪判決はこの上もなく悲しみを秘めたものであります。
 命と生活の全てをかけて生きてきた雪冤の日々の果てに、ようやく得た第一蕃の無罪は、わたしにとってこの上ない喜びですが、今また、この場にこうしていることを思うとき、新たな悲しみと憤りを覚えずにはいられません。
 どうか、一日も早い無罪判決を、心よりお願い致します。
   一九八八年十月十二日
                             山田悦子

コメント.
これは大阪高裁で開かれた甲山事件控訴審第一回公判における、山田さんの意見陳述(全文)です。甲山事件救援会の了解をえて『甲山裁判支援通信』No.214号(88.10)から転載させていただきました。「他者の人権を侵して、どうして自らの人権を守ることができるか」という言葉の意味するところは深いように思います。
 山田さんとはじめてお会いしたのは1976年1月、『狭山パンフ』27号(「いっさいのデッチあげと差別を許さない-えん罪事件にみる権力の犯罪性」)の座談会に出席されたときのことでした。その頃、わたしは『狭山パンフ』の編集を手伝っていたものですから、親しくお話を聞かせていただきました。あれから13年。山田さんは「命と生活の全てをかけて生きてきた雪冤の日々」の中で、人間に対する確かな「まなざし」を得たんだなあと、意見陳述を聞きながら考えていました。

《 採録 》
その1.辻内義浩「第五回同炎の会研究集会雑感」(『同炎のたより』No.25.88.5)
 『同和はこわい考』の著者、藤田敬一氏を招いた第五回同炎の会研究集会はひさしぶりに参加者も多く、藤田氏がなにを語るのか聞いてみたいという、雰囲気にあふれていた。それは単に『同和はこわい考』がセンセーショナルな話題を提供しているから.ということだけでない。現在の部落解放運動の課題を問う藤田敬一氏の真摯な姿勢に触発されてのことである。
 とりわけ、被差別者に情けをかける運動でなく、自己の生き方、信仰の問題とかんがえてきた私たちにとって「両側から越える共同の闘い」ということについて著者の考えをもっと知りたいと思っていた。
 夜遅くまで論議に付き合っていただいたけれど、差別する者の運動こそ問わねばならないのではないかという私(たち)の主張は、「解放運動に向かう立場、位相の相違」であり、問題のたて方が違うとして藤田敬一氏にけり飛ばされた。
 藤田敬一氏との論議を噛み合せることができなかったのは、残念であるが(それは私の解放運動に向かう姿勢をはっきりと言語化できないでいることによる)、部落解放運動を絶対化するなという主張にかける藤田敬一氏の思いの深さを知った。
 自らの運動を絶対化してしまうのはどのような運動体もいつも抱えている問題であって、真宗教団も例外ではない。…

コメント.
今年の3月、真宗大谷派の有志の集り「同炎の会」で少し話をさせていただきました。出席者には「差別する側の歪んだ人間性を克服する闘いが問題にされるぺきではないか」という方が多いようでした。わたしは、こうした意見を否定するつもりはありませんが、その先はどうも行き止まりのように思えてならないのです。「差別する側」を教育・教化や啓蒙・啓発の対象としてだけ見ていては駄目なんではないか、差別-被差別関係総鉢の止揚に向けた「共同の営み」という運動態の中にこそ、その克服の契機があるはずだと考えているものですから。

その2.岸田弘「書評:『同和はこわい考を読む』-解放理論論争への提起」
      (『世界革命』1055号.88.8.8)
 …『こわい考』が大きな反響をよんだのは、何といっても、戦後部落解放運動を支えた二つのテーゼ(略)に疑問を呈した点にある。本書(『読む』-藤田)の大半は、この二つのテーゼに関わる感想であったし、「こわい考論争」もそうであった。…ここでは私見として、二つのテーゼをどう考えるかを述べたい。

 ①「不利益論」について
 …藤田氏は、「差別の結果論」が被差別者から緊張を奪い、堕落させる危険性を、いくつかの実例を挙げて指摘する。しかし、私はその方法に賛成できない。なぜなら、藤田氏が挙げた実例はすべて「結果論」を盾にして行われた「行き過ぎ」の例であって、それは「差別の結果でないものまで差別の結果といっている」ことへの批判であっても、「差別の結果論」そのものへの批判とはなりえていないからだ。
/むしろ問題は、「全く正当にも差別の結果である」事例に対して、どう対応するか、にあるといえよう。縮尺して言えば、「差別の結果」に対する「特別措置」と「自力救済」の関係をどうみるか、という点であろう。
/「特別措置」への「安住」は、確かに藤田氏の指摘する事態を生む。かと言って、「自力救済」の強調は差別の現実を無視し、その結果への責任を「被差別者」に一方的におしつけるという誤りを犯す。部落解放同盟は、この「特別措置」と「自力救済」を結合して、「要求闘争を通じて解放への自覚を」と呼ばれる一連の「自主管理通そう」をあみ出した。
/この自主管理闘争を通じて、「差別の結果」に対する「特別措置」が正当化される一方で、その「特別措置」の受給は、闘争、学習という「自力救済行為」と結合される。これが多くの活動家がイメージしてきた姿だった。しかし藤田氏が指摘するようなマイナス現象がある以上、この自主管理闘争(窓口一本化闘争)そのものが失敗している。…
/求められるのは、自主管理闘争=窓口一本化闘争の総括である。「窓口一本化闘争」はなぜ、行政-権力-融和主義勢力の分断攻撃に勝てなかったのか、今日、どんな「特別措置」が必要なのか、それはどのようにして自主管理されるぺきか、この点について論じられるぺきだ。
/藤田氏の「差別の結果論」批判は、この全体状況を見ずに、「産ぶ湯と一緒に子を流す」誤りを犯しているように見える。

 ②「資格-立場の絶対化」(ふまれた痛み)テーゼ批判について
 藤田氏は「資格と立場の絶対化」が「対話、共感を拒む」危験性があると、指摘する。しかし、私は、このテーゼをめぐる論争の問題の立て方自身に混乱を感じる。
/「ふまれた痛みは、ふんでいる者には分らない」という被差別者の叫びは、「する側」の人々を大いに揺さぶらずにはおかなかった。この言葉こそ「差別-被差別」関係の断絶の大きさを、社会に知らしめた名言といえるだろう。
/藤田氏はそこに「何が差別であるかないかの判断」の「資格、立場の絶対化」が、「共感成立の道」を閉ざす危険性を見る。一方、同盟中央書記長の小森氏は「このことの理解こそ、解放運動の第一歩」と、藤田氏を批判する。
/しかし私にはどうしても問題の立て方に混乱を感じざるをえないのである。
/私はこう思う。「ふまれた痛みは、ふんでいる者には分らない」という言葉は、その通り率直に理解すればよい。つまり「足をふんでいる者」が「ふまれている者の痛み」を感じるはずがないのである。
/ただし「ふまれた者」が「痛みを感じている」という事実を理解し、思いをはせることはだれにもできるはずだ。しかし、また同時に「思い」(想像)であって、永遠に「痛み(実感)」そのものにはなりえない。
/この事実は厳粛に理解すべきだ。感じることのできない「痛み」を「感じる」というのは誤りだし、その必要もない。かといって、「痛み」を「理解」するところからも、「する側」の「される側」に対する関係のあり方を変革することは十分に出来るのだ。
/さて、ところで『こわい考』をめぐる論争は、いつのまにか「何が差別であるか、ないかは、差別された者にしか分らない」という「判断」の問題にすり替わっている。「痛み」は、「ふまれた者にしか分らない」が、「何が差別であるか、ないか」は、「する側」でも分るときもあるし、「される側」でも、分らないときもある。
/「何が差別か、の資格、立場の絶対化」は明らかに間違っている。それは部落解放運動問題の展望の否定だ。しかし「痛み」の実感は、永遠に「される側」にしか感じない。この「実感」と「判断」の混同が、「こわい考論争」の原因だと思うのだが。…

コメント.
わたし藤田が混乱しているのか、それとも「こわい考論争」が混乱しているのか、はたまた岸田さん自身が混乱しているのか、そのあたりのことがよくわからない文章です。「こわい考論争」の参加者の中には自らの誤読、誤解によって論議を混乱させている人びともおられますが、わたしは、資格・立場の絶対化によって、批判の拒否、共感の喪失、自己正当化がおこることを指摘したまでです。自己正当化(「差別の結果論」)にかぎっていえば、「問題は自己責任をなにものかに転嫁することとによっておこる人間的弛緩だろう。自己責任との緊張感のない『差別の結果論』は際限のない自己正当化につながり、自立の根拠を失わせる魔力をもつように思う」と述べているのですから(『こわい考』67頁)、問題の所在は明らかでしょう。

その3.共同通信社配信“共同で差別の克服を。岐阜大助教授の提言に賛否。
 『同和はこわい考』の波紋”(9月上旬、京都新聞、山陰中央新報、熊本日日新聞、伊勢新聞、徳島新聞、日本海新聞が掲載)
 「同和はこわい考-地対協を批判する」(阿吽社刊)という本が論議を呼んでいる。部落解放運動に長年かかわってきた岐阜大助教授の藤田敬一氏が、運動の在り方を問い直そうと昨年五月に出版。以来、賛否両論の書評が雑誌などに次々と出て、その一部は「同和はこわい考を読む」(同社刊)の名でこのほど単行本にまとめられた。現在も、京都部落史研究所の月報「こぺる」がこの本をめぐる特集を連載、藤田氏自身が寄せられた感想を小冊子にして毎月発行するなど地道な対話が続けられている。
/昨年四月、政府の審議機関である地域改善対策協議会(地対協)の意見具申にもとづき、被差別部落の住宅改善や教育への国の補助事業が大幅に縮小された。地対協は、部落内外の格差は既に「相当程度是正された」として事業縮小を提言。その上で、民間運動団体が何が差別かを「恣(し)意的に判断」し、差別事件の確認・糾弾という「行き過ぎた言動」をとることが①「同和問題はこわい問題」との意識を生み問題の解決を遅らせている。②同和に名を借りた不当な行為が横行する背景となっている-と断じ、差別事件の処理は裁判所など公的機関にゆだねるぺきだと主張した。
/藤田氏は、この本で、こうした地対協路線を「部落解放運動を否定する」ものと厳しく批判している。だが、自分を含む部落外の人々、すなわち差別側に「同和はこわい」という意識が根強く、被差別側の部落民にもこれに乗じて利益を得ようとする人がいることは否定できないとして、この意識の解明に向かう。
/藤田氏の論旨はこうだ。「同和はこわい」というイメージは伝聞だけで容易に形成されるが、にもかかわらず、この意識の原因の一端は被差別側にもある。「ある言動が差別に当たるかどうかは、その痛みを知っている被差別者にしかわからない」「日常部落に生起する、部落民にとって不利益な問題は一切差別である」という従来の主張が、被差別側という立場を絶対化して外からの批判を拒み、差別を勝手に判断し乱用することを許した。それが「同和はこわい」との意識を再生産しているのではないかというのである。
/ここから藤田氏は、部落解放運動の存在根拠を明らかにし、地対協路線に反撃するため、差別・被差別双方が自己批判と相互批判を通じ「共同の営み」としての運動を作り出す必要があると訴える。
/これに対し、部落解放同盟中央本部の小森龍邦書記長らは、藤田氏の主張は差別側の責任を被差別側に押し付けるもので、地対協路線と同質だと批判した。立場の絶対化についても「やはり被差別部落民でなければ発言できない視座はある」(「こぺる」62年7月号)と反論する。同中央本部は昨年末、「同和はこわい考」は「国家権力と対決している時に部落解放運動にたいする味方の発言とは評価できないとして、きぴしく批判していく」との見解を機関紙「解放新聞」(12月21日号)に公表した。
/また、部落解放運動家などの間では「題名が差別的だ」「議論の前に実践すべきだ」といった反発も出ている。
/一方、藤田氏が「両側から超える」と表現した運動の在り方に共鳴する人も少なくない。七年前「貧しさはもう御免だ。差別ももう許せない。しかし、物を要求するときだけ“部落差別をいう”心のいやしさと怠惰は、もっと許せない」(「こわい考」所収)と自省した部落解放同盟京都府連事務局の前川む一氏は「部落民に対してもいかんことはいかんと言うぺきだ」と強調する。「利敵行為と決め付けずに批判を受け入れよう」「部落民といえども百パーセント被差別側にいるわけではない」などの声が部落内からも上がり始めた。
/さらに、この本は、部落問題の枠を超えて波紋を広げている。在日朝鮮人や身体障害者など被差別部落同様、被差別側に立たされている人々が「自分のことを言われているようだ」と感想をつづった。
/女性差別問題に携わっているある運動家は、差別を判断するのは被差別側だというのは譲れないとしながらも「批判的であれ、肯定的にであれ、各々の対象化のための作業の重要な“資料”として本書がある」(「同和はこわい考を読む」)と評した。
/さまざまな反響を受けて、藤田氏は「議論は始まったばかり。“差別とは何か”という基本的な問いを差別・被差別の双方からもう一度考え直さなくてはならない」と話している。

その4.共同通信社配信“論議呼ぶ「同和はこわい考」を著した藤田敬一さん”
(9月上旬、京都新聞、神戸新聞、徳島新聞、高知新聞、日本海新聞、山陰中央新報、北海タイムス、北日本新聞、東奥日報が掲載)
 被差別部落(同和地区)解放運動の在り方を問い直そうと昨年五月、「同和はこわい考」と題する本を京都・阿吽(あうん)社から出版した。これが反響を呼び、既に二万部まで増刷。賛否両論の書評が誰誌などに出て、今も論議の渦中にある。
/昨年四月、政府の審議機関である地域改善対策協議会(地対協)の意見に基づき、被差別部落への国の補助が縮小された。「このままでは被差別部落の問題はないことにされる」との危機感から同書を出版。地対協を批判しながら、“同和はこわい”との意識を生む一因は被差別側にもある、差別・被差別の双方の間にある壁を越える運動をつくり出さなければならない-と訴えた。
/これに対し、部落解放同盟中央本部などが「部落に責任を転嫁するものだ」と反発。他方で賛同の声も上がっている。「差別・被差別の二分論では片付かない人間の弛緩(しかん)を明るみに出したのが共感を呼んだのでは。組織ではなく個人として論議することを守り続けたい」と話す。
/被差別部落が多い京都市で生れ育った。大学時代「知らない世界への漠然とした関心からか」被差別部落を訪ねる。以来、狭山裁判支援、岐阜での運動組織の結成、部落問題全国交流会の開催など、部落解放運動にかかわり続けてきた。
/現在も毎月二回、街頭ビラまきを欠かさない。「虚飾を投げ捨てたような被差別部落の人の人間的な魅力に引かれたのでしょう」と振り返る。
/職業は中国近代史専攻の岐阜大助教授。「洒以外に趣味がないんで、休日も研究室で本読んでますわ」。野武士のような顔に、いたずらっぼい笑みが浮かんだ。…

コメント.
「野武士のような顔いうのはねぇ…」といったら、ある人曰く「野盗でなくてええやんか」。喝呼?!

《 紹介 》
☆津田ヒトミ「解放をどう展望するか-多岐にわたって提起された問題について整理してみる」(『こぺる』No.131,88.11.)

《 あとがき 》
*10月12日、甲山控訴審第一回公判の傍聴に出かけてきました。終わったあとの交流会では検察側の控訴趣意書の一部の朗読(といっても書面上の話)が保留されたこと、山田さんの意見陳述に判事の一人が身を乗り出して聞き入っていたことなどもあって、わりかし楽観的な雰囲気が漂っていました。それはそれでいいのですけれど、1974年9月、運よく傍聴させてもらった狭山二審最終弁論の際の寺尾裁判長が憶い出されて、なぜか落着かぬ気分でした。次回は12月9日午後1時半から
*田中龍雄さん(岐阜在住)の『被差別部落の民話3』(明石書店.1,80O円)が出ました。岐阜の被差別部落に伝わる話が集められています。ぜひご一読を
*10月15日から10月29日まで、京都(2)、大阪、兵庫、岐阜(2)、富山の7人の方から計34,020円の切手、カンパをいただきました。助かります。ありがとうございました
*本『通信』の連絡先は〒501-11 岐阜市西改田字川向 藤田敬一です。