同和はこわい考通信 No.14 1988.7.15. 発行者・藤田敬一

《 随感・随想 》
「タレント風情」について考える

 いささか旧聞に属するが、昨年二月、上杉佐一郎さん(部落解放同盟中央本部委員長)の著書『連帯を求めて』の出版記念会が東京て開かれた。そのおり作家の野坂昭如さんが挨拶に立ち、「解放同盟というのは、もっと地道な活動をするところだと思っていた。めでたい席でやぼは承知でいうのだが、こんな一流ホテルで二万円の会費を払って盛大なパーティーをやることと、部落解放とはどこで結びつくのか、今、解同が抱えている問題はこんな所で洒を飲んで解決できるものではないはずだ。ちょうどいい機会だから、これから討論会をやりましょう。ぼくの言っていることに文句のある人は上がってきて、対決しまょう」と提案したけれど「壇上にあがる人はついに出ず、野坂さんは、終始ぶぜんとした表情」だったという(『朝日新聞』87.3/2.夕刊)。
 たしかに、野坂さんの挨拶は、ご本人も認めているように、めでたかるべき席のものとしては、かなり異質である。よほど思うところがあったにしても、どうしてこういう事態になったのか、気になってしかたがなかった。
 ところでこの六月、京都で開かれた講演集会で、講師の野坂さんがこのときのいきさつにふれたと、知人が伝えてきてくれた。野坂さんがいうには、案内状に会費の振り込み用紙が入っていることにまずひっかかったという。これは企業向けのやり方ではないかというわけだ。しかも二万円とはなにごとだ、ほんとに出版を祝いたいと思っている人が参加できるような条件をなぜつくらなかったのか、と野坂さんは語る。それに企業からの参加者は、代理が多く、会場の璧にくっついていたとか。想像するだけて吹き出したくなる光景ではあるが、出版記念会に対する人びとの本音が聞こえてくるようで、嗤っているわけにもいかない。「おもしろうて、やがてかなしき…」と京都からの手紙にはあった。
 どなたがどのようなパーティーをやろうと人様の自由であって、他人がとやかくいう筋あいのものではない。一方にどこでもやっているごとく案内状に銀行振り込み用紙を同封しておけば何口かキチンと振り込まれ、事務処理に手間がかからぬと考える主催者がいて、他方に銀行に金ウン万円を振り込み、代理か代表者を出席させれば義理が果たせると受けとめる人びとがいる。さらに政界、財界、労働界、社会運動界、宗教界、文化界、芸能界、スポーツ界、ジャーナリズム界などの錚錚(そうそう)たる人びとを集めてパーティーを盛り上げたいとの思惑を抱く主催者がいて、その思惑に賛同する各界の錚錚たる人びとがいる。ただそれだけのことにすぎず、なんの不都合もあるわけではない。この種のパーティーなど企業や各界の名士にとってはごくありふれた儀礼上のお付き合いの一つである。そこに部落解放運動の発展にとって企業や各界の名士との儀礼上の付き合いが必要だと考える人たちがいて、かくしてあのような形式の出版記念会が催されるに至ったのであろう。
 しかし野坂さんの「一流ホテルで二万円の会費を払って盛大なパーティーをやることと、部落解放とはどこで結びつくのか」という挨拶は、みやぴやかなパーティーに対する出し抜けの頂門の一針であったのではないか。少なくともそうした儀礼上の付き合いから部落解放にむけた共同の営みが生れるかもしれないなどとけっして夢想してはならぬとの苦言のように、わたしには思われてならない。
 さて『朝日新聞』の記事は紹介していないが、野坂さんの挨拶に対して会場からヤジが飛び、その中に「タレント風情がごたごたいうな」というのがあったと、野坂さんは講演でいっている。パーティーに出席していたわたしの知人も、そのヤジを聞いたというから、おそらく事実にちがいなく、ヤジが部落解放運動家から発っせられたこともたしかなようだ。それにしても野坂さんの挨拶を聞いて不愉快な気持になったとして、どうしてそこで「タレント風情が」というヤジになったのだろうか。
 相手の職業などを軽蔑して自らの心理的葛藤を処理しようとすることは、日常的によく起こる。いつぞや京都山科郵便局内の全逓洛東支部に送られてきた匿名の投書には「山科で出した郵便が四日もかからぬと配達しないなんて盗人猛々しい」と悪態をついたうえで「さがり商売の中には、火葬場の隠ポウ・牛殺し(パクロウ)・郵便屋・クズ拾い、牛チチ配達が最低で、皆んなエッタ(穢多)専業だった」とあった。このように毒づくことによって匿名の主は溜飲をさげたつもりなのだろう。「タレント風情」のヤジにも同じ心の動きがうかがえる。
 その運動家からすれば、あまりにも非常識な挨拶に思わず飛ばしたヤジにすぎないというかもしれないが、感情にまかせて発したヤジだからこそ、当人の、人間に対する“まなざし”がはしなくも露呈したともいえるのである。部落解放運動にかかわっているからといってあぐらをかいていると、思わぬ落し穴が待ち受けていることを、このヤジの一件は示している。
 だが、これは部落解放運動にかかわる者だけの問題であるはずがない。思い上がって傲慢になると、人は同じような過ちを犯しやすいものなのだ。しかも人を傲慢にさせる契機は、名声、職業、地位、学歴などいたるところにころがっている。野坂さんの作家という職業も、わたしの大学教員という職業も傲慢さを生みやすいものの一つであることに変わりはない。用心、用心。(藤田)

《 論考 》
「両側から超える」論の系譜(1)
梅沢 利彦(NHK資料部)
 藤田敬一氏が『同和はこわい考』で提起した問題の眼目は、「(差別・被差別の)両から超える」ということである。「両側」の関係が冷えぴえとしているところを、政府の地域改善対策協議会にツケ入られたとの認識があり、その要因の一つを取り除こうとする提案が「両側から超える」論である。
 この問題をめぐってどのような議論がなされてきたのか、その系譜を探って論争を豊かなものにするのが本稿の目的である。

◎「両側から超える」−作家・野間宏氏の場合
 長編小説『青年の環』で、第二次大戦前夜の大阪の被差別部落とそこに生きる人びとを描ききった野間氏は、ある対談で、「それは、非常に難しい問題なんです。それを超えるのはね。両側から超えていかないといけないと思いますがね」と発言している。
 一九七六年から七七年にかけて『朝日ジャーナル』が連載した「シリーズ『差別』鼎談−狭山裁判を基軸として」の中の一コマで、安岡章太郎氏が被差別部落出身者と対したときの自身の反応として、「深い割れ目」を感じると話したのに対してである。安岡氏は我と彼の間の「割れ目」と、自分の心理の「割れ目」の、二つの「割れ目」を出しているのだが、話の展開から野間氏は前者を指している(引用は朝日選書『差別−その根源を問う』上巻22頁)。
 ここでは「両側から超える」論は、ずっと後の金時鐘(キム・シジョン)氏を交えた鼎談でも出されるが、限定が加えられている。「主体はどっちかといえば、被差別部落だというべきですよ。ただ、ここのところで差別する側に、一定の条件がそなえられなければならないと思います。その条件がそなわってはじめて、相互批判が可能になる」(下巻45頁)。
 ここでは「両側から超える」ということばが、「相互批判」とほぼ同義的に使われていることがわかる。ただし、その相互批判は任意のものではなくて、「差別する側」が「一定の条件」をそなえたときに、「被差別の側」の「主体」においておこなわれるべきだというのである。この場合「主体」は能動的ないしイニシアティブの意味で了解される。しかし「条件」とは何を指し、何時そなわるのかは明瞭でない。
 それはともかく、この「限定」に関して、「十年前の議論」と評する人があるかも知れない。しかし、野間氏は北九州で「同和事業をめぐる土地転がし」が報じられるや、「部落解放運動の六十年の歴史において、これ以上に由々しい事態はない」として、「真相と対処方針の明示」を部落解放同盟中央委員会に求めている(四文化人連名で81年11月)。
 野間氏が運動の発展と、内部矛盾の発生を知らないわけがない。にもかかわらず先の発言である。そしてこの発言は現在に至るも変更されないであろうと確信する。
 『暗い絵』、『崩壊感覚』、『顔の中の赤い月』の初期の作品群と、『青年の環』を重ねてみると分る。野間青年が戦後まで引きずっていたのは革命運動の壊滅感、肉体の壊滅感、自我の喪失感である。その対極にあるのが、時局に追い詰められているとはいえ、なお余脈を保っていた水平社運動である。『青年の環』の最終場面では、経済更生会と暴力団の対決に介入する憲兵軍曹を、部落大衆が毅然として追い払うシーンが描かれているが、鼎談では「あそこへ憲兵も入るのを怖がっていた」(下巻89頁)と、フィクションでないことを裏付ける発言をしている。
 勝手な想像だが、野間氏の中には、闘い切ることのできなかった自己と、それなりに闘い切った水平社運動をオーバーラップさせた構図が原体験のようにあるのではなかろうか。野間氏は解放同盟の運動に問題があるとしても、それ以前の「差別の状況」を、まず問うという姿勢に徹しているというべきであろう。

◎「切れて繋がる」−詩人・金時鐘氏の場合
 金時鐘氏の思想の原点をうかがうには、一九七五年発表の「さらされるものとさらすもの」を読むのがよいと思う(以下引用は『「在日」のはざまで』立風書房.86年.所収から)。
 「部落出身生徒も日朝混血の生徒も、沖縄も朝鮮も母子家庭も、皆がみな正体をさらして学校へ着ている」、「解放教育の先陣」校の兵庫県立湊川高絞に朝鮮語の教員となって赴任した途端、生徒から「何しにきてんチョウセン帰れえ」の罵声を浴びせかけられる。ここのところは、部落出身生徒と、受験・就職に利益のない朝鮮語を正課として教えにきた金、それに同族として「さらされる金」に失望する在日朝鮮人二世、この三者の関係の中で、金氏がどのように処していったかという点が肝要なのだが、そこまで立ち入る余裕がない。ただ、日本人が朝鮮語を理解しない限り、「朝鮮人と日本人の真情は、依然として、日本語の領分だけではかられることになる。これはどうみても片よりすぎだ」と主張されていることを、書きとめておかねぼならない。
 ところで金氏は解放教育が「一般生徒の落ちこぼれ」を軽視したら誤りであるとの考えを、「解放教育の対極」が「在日朝鮮人にとって変わることこそ警戒すぺきことです」という表現で云われている(前掲書所収「『差別の中の起点と視点」から)。
 金氏が憂慮するのは、部落出身の生徒ならば落ちこぼれても解放教育の場にまた戻ることが可能だし、生活そのものが差別との闘いなる。しかし、一般生徒だと、いったん解放教育の場から離れたら、ふたたぴそこに戻ることはないだろうし、それどころか落ちこぽれの悪印象を固定化して、差別者として立ち現われる可能性があるということである。「日本人自身のまっとうな自立の中でこそ、在日朝鮮人は自由だ」ということばもある。
 では「被差別の対極」から外された在日朝鮮人の若者たちについて、金氏はどのような考えを持っておられるのだろうか。前掲書所収の「展望する在日朝鮮人」から引く。

 在日朝鮮人にとって<朝鮮>とは「在日」のことなのだ。「在日」を生きることに、若い在日世代達よ、朝鮮を創りだそう。…
 本国に似せて<朝鮮>に至るのではなく、至り得ない朝鮮を生きて<朝鮮>であるぺき自己を創りだそう。

 この文はある意味で在日朝鮮人の「主体確立宣言」である。ここには「勦り(いたわり)が「堕落」を誘うとした、あの「水平社宣言」と響き合うものが感じられる。ただし日本による植民地支配の歴史が免責されているのではない。むしろ厳しく意識されていることは、一九二○年代の末、プロレタリア映画を標榜して活動したコムニスト映画作家たち(プロキノ・コムニスト)が、弾圧を受けた後、朝鮮で果たした役割に触れて、「とてもじゃないが、『差別』を差別だけの次元で言えなくなってきますね」(『差別−その根源を問う』下巻21頁)と発言されていることでも明白である。
 さて金時鐘氏の考えをやや詳細に追ってきたのは、この節の結びとして掲げる氏の提言が少なからずショッキングなものであると考えられるからである。
 金氏は@差別の事実はもっと具体的で、構造的で、それが「差別」であることに気づかぬくらい平静に日常を敷きつめている、A流行語化した「差別」という言葉は同一規格の中での落差を指す意味しかなく、本当の差別のすごさとか、こわさに近づかない、の二点を前提につぎのように語っておられる。

 ぼくは在日朝鮮人として、「差別されている者」という言い方を…ぽく自身に向けられることには、少なからずありがた迷惑なのです。何でも差別する側とされる側の図式だけで律せられている。差別という意識から、むしろどう切れていくかが、ぽくならぼくの大きい関心ですから。できることなら運動する側の意識にまで持ちこんでいきたい。「切れて、つながる関係」を提起したい。(同書48頁)

 金時鐘氏は、朝鮮人にとってアイデンティティを奪ったものは「日本帝国主義」であることは明白だが、部落差別はさほど鮮明ではなく、部落解放運動も困難が多かろうと認識されている。だから「切れて繋がる」運動論も、在日朝鮮人の運動に限定されているものと解すぺきである。だが汲みとるぺき思想に溢れていはしないだろうか。(つづく)

《 各地からの便り 》
その1.一歩前進しようという気持ちです
大阪・N.H.
 …僕自身、黙して語らず、という状態が続いています。これまでも何度か、先生宛にべンを執りながら途中で折れてきました。何か書かねばという意識では何も書けるはずありませんね。この間、師岡先生の著書、小森書記長の著書、「地対協」の一連の文書、「基本法」の案文等、読み続けています。あちこちに疑問符をつけながら」自分とのかかわりを摸索しています。部落解放運動を自分の社会的活動の原点に持ちながら差別にめげた自己をもつ自分を冷静に問い返したいと思っています。小さな平穏の中でヌタヌクと生活を続け、周囲と妥協し、職業というものへの安易な妥協に日を送る自分を見つめ直し、受け売りでもなく、自分の頭に立脚した思想で前進したいと思っています。…小さな係りですが、一歩前進しようという気持ちで頑張りたいと思います。

コメント.
なにか一途を思いが伝わってきます。どうか焦らずにとしか申し上げるほかありません。気楽に便りを書いてお寄せください。

その2.まじめに差別に対している人たちがたくさんいる
滋賀・N.T.
 …『同和はこわい孝』に触れることがはたして今の運動にプラスとなるのだろうか、それともマイナスになるのではないだろうかと迷いつつ、何かうしろ髪を引かれる思いがして、友人の持っている『同和はこわい考』通信を冊子にしてもらったのです。冊子に書かれてある論議を読めば読むほど、それぞれの活動している位置関係によってこれだけの想いがあるのかと、つくづく感じさせられました。(自分たちの想いはまだはっきりさせられないのですが。)ただはっきりみんなで確認できたことは、まじめに差別に対して想い、活動している人たちがたくさんいることは力強く、一本の矢になればすごいということです。(一本の矢になるのにはどうしたらよいのでしょうか。)
 今後の差別に対しての想いや闘いは、個々の内なる想いが具体的な形として、少数であろうとも、多数であろうとも表現できるか、また論議されるかにかかっています。そのためにはまず差別に対しての活動を一人一人が始めなくては、つまり「隗より始めよ」だと強く思いました。

コメント.
たしかに一人からでも始めるぺきでしょうが、太平天国社の経験からいいますと少なくとも三人集まらないとしんどいようです。二人でなくて三人というところろがミソでして、その意味については太平天国社で酒でも酌み交わしながら話しませんか。

《 採録 》
“ルポ・論議呼ぶ「糾弾」”(『朝日新聞』1988.7.1.名古屋本社版)

 …しかし、糾弾を含む運動路線についての疑問は、解放同盟に近いところからも投げかけられた。藤田敬一・岐阜大学助教授は著書『同和はこわい考−地対協を批判する』で、「問題は糾弾を『する側』にだけ、あるいは『される側』にだけあるのではなかろう」と指摘。差別克服のため双方が「手を差しのぺ合う」必要性を訴えた。/これに射し解放同盟中央本部は昨年十二月、「解放運動を『こわい運動』とした地対協路線と同一水準」との批判見解をまとめ、論議の打ち切りを宣言。…

コメント.
第一に、わたしは、これまで差別だとされたいくつかの例をあげた上で「問題は指弾、糾弾を『する側』にだけ、あるいは『される側』にだけあるのではなかろう。おそらく、それは『両側の関係』のあり方にかかわっているにちがいない」と書いているのですが(50頁)、このルポは具体例を一切はぶき、わたしの意見をあまりにもー般化しすぎています。第二に、中央本部は昨年12月の見解で「論議の打ち切りを宣言」したのではなく、わたしを「差別思想の持主だ」と断定したのです。そして小森書記長がその後もひきつづき『こわい考』批判の論陣を張っておられることは、前号でも紹介したとおりです。したがってこのルポは、わたしに関する部分にかぎっていえば正確ではありません。

《 紹介 》
☆今野利彦『人権をくらしのなかに』1988.5.発売:新泉社.「あとがき」でほんの少し『こわい考』にふれておられます。

☆金子史朗「『同和はこわい考』を読む』(個人誌『歩』No.19,1988.7.1.;連絡先:愛知県尾西市三条郷内西704.金子史朗さん)

《 お知らせ 》
その1.第5回部落問題全国交流会の日程について
7月30日(土)
12時 受付開始(楽友会館).1時 開会(メッセージ他)
2時 講演(横井清さん「最近の部落問題について」)
3時30分 休憩.4時 分科会開始.6時 夕食.
7時 分科会再開.9時30分 分科会策了.
7月31日(日)
9時 分科会報告(平安会館).9時40分 全体討論.
11時30分 集会のまとめ.12時 閉会.

その2.『同和はこわい考を読む』が出版されました。
 7月9日、阿吽社から、こぺる編集部編『同和はこわい考を読む』(46版272頁16000円)が出ました。朝日ジャーナル、こぺる、同和はこわい考通信などから20扁の文章を収録、師岡佑行さんの解説「『同和はこわい考』の一年」の他、関連資料・日録が付いています。申込みは阿吽社へ(〒682 京都市上京区寺町今出川上ル4丁目鶴山町14.電話075-256-1364. 郵便振替 京都-3836.)

その3.林 力著『癩者の息子として』についてのお願い
「通信」を読んでくださっている方から上掲図書を友人にすすめてほしいとのお便りがありました。林さんは長く同和教育に携わってこられた人です。わたしもぜひ読ませてもらうつもりです。よろしくお願いします(明石書店.1500円.大きい声でいってはいけないのかもしれませんが、5冊以上、明石書店:電話03-818-6351に申込みますと2割引きの1200円になるそうです)。

《 あとがき 》
*いよいよ全国交浣会が近づいてきました。各地の友人が一年ぶりに一堂に顔を合わせるのです。それにまだお会いしたことのない『通信』の読者からも参加すると連絡が来ています。心がはずまないわけがありません。4年前、太平天国社創立10周年を記念して岐阜で開いたのが最初でした。今年は分科会形式をとり入れますが、さてどういうことにをりますか
*「両側から超える」論の系譜をたどり、その意味を考察する梅沢さんの文章は次号で完結します。感想をお寄せねがいます
*6月23日から7月10日まで福岡、岐阜(3)、東京、大阪(2)、茨城、熊本の9人の方から計39,400円のカンパ、切手が送られてきました。心からお礼を申し上げます
*本『通信』のご連絡は〒501-11 岐阜市西改田字川向 藤田敬一まで。