同和はこわい考通信 No.11 1988.4.23. 発行者・藤田敬一

《 各地からの便り 》

その1.姜信子さん『ごく普通の在日韓国人』を読んで
C・W(三重)
 藤田先生、お元気ですか。先だっては、お忙しいでしょうに、私の手紙にお返事をくださってありがとうございました。嬉しかったです。
 早速、先生のお手紙にありました姜信子さんの『ごく普通の在日韓国人』の本を注文しました。本の届くのが遅くて、二日前やっと届いたのですが、その間、世間では原発問題が騒がしく、私は伊方原発の件で強い憤りを感じました。…
 さて、この本ですが、一気に読みました。私も覚えのある事や共鳴出来ることがほとんどで、「ウンウン」と何度もうなづきながら読みました。三重大のK君、C君の「私の生いたち」もその前に読んでいたのですが、時間と、場所と、男女の違いを超えて私達在日が、自分の国籍を隠すという子供の頃の行為には、共通のものがあり、しかもそれが、今現在も、幼い在日の子供達を苦しめているかと思うと、深いため息が出ます。この隠した体験というのはほとんどの在日に共通ですが、それ以後は様々です。
 「金達寿さん」の話にこんなのがあるのですが───
 日本の丸ぽっちゃいかぼちゃでなく、昔、朝鮮で食べた長いかぼちゃ(きゅうりのでかいような形)の味がどうしても忘れられず、それを日本で栽培しようと、苦労して、朝鮮かぼちゃの種を韓国から持って来たそうです。一年目、期待通りの長い朝鮮かぼちゃが出来て、大満足だったそうですが、二年目、三年目、四年目には、何と丸いかぼちゃに変形してしまったそうです。これから想い起こしてもう一つ思う事は民族そのものだった一世の次、二世、三世、四世は、その育った環境(両親、経済状態、親戚、地域)それに本人の能力(学歴、職業)、性格等によって、同じ種から、それぞれ違った実を結んだのではないかと思います。
 姜信子さんが云う様に民族をふりかざさずに、日本人と仲良く暮らす方法をさぐる事は大切だと思うけれど、例えば私の様に、ほんの少しだけ姜信子よりも民族臭がきつい人間も又、きついままで日本人と仲良く暮らしたいのです。
 ハングルもウリマルも出来ない在日が、しかし、そのまま、在日である事に間違いないように、朝鮮や韓国の匂いがどうしても抜けない、それに愛着を覚える在日もまたその姿のまま、在日として日本で生きやすくありたいと思います。それにしても私は三十八歳の現在でも、スマートに運動が出来ず、まわりの日本人を傷つけ、自らも傷ついて、手さぐりしながら方法を探しているというのに、彼女はあの若さでよく勉強もし、自分の意見や意志を持ってすごいと感心しました。
 指紋運動の際、「これは貴方方、日本人の問題じゃないですか!!」何度、この言葉を発して、私はまわりの日本人を切りつけて来た事か。もう二度と、このおごった言葉は使うまいと今は決心しています。このように、ドロドロと悩んで苦しんでもがいてしか、つかむ事の出来なかったものがたくさんあって、私も彼女の様にもっと早く利口に、おたがいにやりたかったと反省しています。
 けれど、もし彼女が東大生でなかったらどうだったんだろう。もっと差別を多く受けて屈折がひどかったらどうだったろう。恋愛した相手やその家族が韓国嫌いだったらどうだったろう。彼女の愛娘にもし指紋押なつの義務が課せられたらどうだろう。人生がもっと思うようにうまくいってなかったら彼女は……。
 在日の問題は、先生のおっしゃるように両者が橋をかけあうべきだと思います。日本人も在日も。在日がまずやる事は見えない日本人に自分達も見てもらい気付いてもらう事で、その為には私達はもっと裸になっても良いと思います。
 姜信子さんの様に日本人的に出来上った在日は(これは誤解を招く云い方ですが、民族がわからない在日という意味です)、その姿のままの在日として声をあげ、そのままの在日を示す。私の様に少し韓国にノスタルジーを感じる人間も、そうして民族主義的在日のタイプもそれとして、帰化した在日も又帰化した在日の姿そのままで、それぞれが無理なく声をあげる。この日本が、私達、それぞれの在日にとって又これから生れる在日にとって住みやすい国になるため、声をあげたいと思います。私達はこの国以外に住む場所はないし、十六歳が近づいて、指紋の洗礼を受ける十代の在日は現実に何百人も毎年いるし、職業を求めて苦労する大学卒業生も毎年生れます。何もせずに、差別を造る側に荷担する様な事は絶対ダメだと考えています。
 「民族」という言葉に辟易するという彼女の意見、よくわかります。在日が北朝鮮を切り捨て、帰化韓国人を切り捨て、その上、運動体にある在日を切り捨て、済州島出身者を切り捨て、自らを分断して弱体にし、日本権力の思うつぼにしていると思います。私自身をとってみても「民族」におぼれる傾向は、日本や日本人の良さを見えにくくし、日本人差別を自分の内に作ると自戒しています。
 私の生れ育ったこの国を愛し、この国の住人である事を誇り、この国に住む色々な人々と良いものを求めて生きたいと思います。その為に何をするか──無力な私に大した考えも力もないのですが、心のまま叫ぶ事だけはしたくない。
 「私は在日です。この日本で暮らしたいが、不安が一杯ある。私の子供達はもっと不安だ。指紋は嫌だ。くやしいもの。せっかく勉強しているのだから、それを生かした仕事につきたい。再入国の許可なんか取らずに自由に日本と外国を行き来したい。この国を一緒に担う為に選挙権も被選挙権も欲しい。何よりも日韓条約で決定した分の永住期間しか無いというのはひどい。警察の公安課に私自身の情報をすべて握られ、監視されているというのが気分が良くない。外登証の常時携帯も面倒くさくてイヤ。」
 これらの事を権力に(国に)訴えると共に、一般日本人にもわかってもらえるよう、声を出していきたい。
 …いつか姜信子さんにも会えると思います。楽しみです。人から人へ出会いがつながります。…

 藤田先生、本の感想を書き終えて封をして切手をはった後、気付いた事があります。それは、私が「同和はこわい考」にふれずに感想を書いたという事です。
 これはまずかったなと思って、それと一つ書き忘れたなという気もして書き足す事にしました。
 部落の人と私のような在日韓国人とを同じ想いを持つ者として、一緒にしてしまって良いのか不安ですが、どちらも自分達外の人々(差別者とか日本人)に対してやさしさを持たなければならないのかも知れないと思うのです。「柔和でやさしく」これは聖書の中にある言葉ですが、制度を替え権利を獲得しても、人の心の中の差別まではなかなか簡単に無くせない───心の差別を消してゆく為には、やさしい働きかけが、被差別者の差別者に対するやさしさが要ると思います。
 例えば私がそうしたいと希望しているこの様な事はどうでしょう。朝鮮人も韓国人も部落民も同じように、この日本を住みやすく安全な場所にする為に、又、人々の関係がおだやかで、仲良くあるように、心掛けるのです。身障者の問題にも意識を持ち、原発問題にも関心を持ち、軍縮や核兵器にも注意をはらい、教育問題にも心を向け、動ける人は動き、そうして同じ運動や、同じ意識を持つ中でお互いを理解しあい溝を少しずつうめてゆく。
 私がこの様に考えるのは、同じ被差別者同志でありながら、朝鮮韓国人で部落嫌いが多いからです。
 部落の人に何人か在日の思いを伝えたのですが、「組織が動かなければ個人では何も出来ない」とか「貴方方のグループの中に危険思想の部落の人が数人いるから一緒に出来ない」とか「在日問題は放っておいてもその内解決するさ」とか「日本に住みたければ法は守りなさいよ」と、まるで関心の無い人が多いのです。
 その反対に最近聞いた話しで、あるオモニが息子の恋愛相手が部落の娘さんなので弱っているというのがあります。「日本人でも嫌だけど、それがなんと部落出身者とは」「親戚に顔向けが出来ない。」というものです。
 姜信子さんの本にもありましたが、私は顔が日本人と変わらないので、私のそばで、日本人同志が、別の韓国人のうわさをして、しかも「だから韓国人って嫌ね」というのが聞こえる時があります。黙ってそ知らぬふりをするのが、日本人に対するやさしさなのか、「韓国人も様々だけれど、───」と割って入って、韓国人と日本人の立場の違いなどを説明するのがやさしさなのか、───苦労する所です。
 在日韓国人、朝鮮人と、被差別部落民とが、手を取り合って、日本の中の差別と向き合う事が出来ないでしょうか。
 …差別された痛みを知っているはずの在日が部落の人の痛みを思いやれないというのは貧しいと思います。…

コメント.
お手紙をいただいて姜信子さんの『ごく普通の在日韓国人』(朝日新聞社刊)を紹介しましたら、しばらくたって上掲のお便りを送ってくださいました。共同、共通の課題を一緒に取り組む中で「理解しあい溝を少しずつうめてゆく」というご指摘に同感です。

その2.「日常部落に生起する云々」テーゼの批判に疑問が残りました
住田 一郎(大阪)
 早速『通信』をお送りいただきありがとうございました。一気に読ませていただきました。部落解放運動(同盟)に基本的に連帯しつつも現状を真に憂えておられる方々の意見に接し、心強く感じました。と同時に、部落解放同盟員の一人として、地域での具体的な解放運動(教育関係の保護者組織)に日々かかわっている部落民である私自身の責任の重さを痛感します。
 私はここ数年来、地域での活動を通して、何故、部落出身者以外の連帯者から、解放運動対する「正当な批判」がなされないのかとの不満を持ち続けてきました。もちろん「批判」を「非難」としか捉えきれない我が部落解放同盟の「未熟さ」に大きな要因があるのですが…。それでも納得できなかったのです。そのうえ出身者以外の連帯者の多くが『こぺる』に登場した江嶋氏のように、部落民および部落解放同盟の運動に、自ら勝手な「思い込み(入れ)」の視点から部落民のある一面のみを「過大に評価」する態度に我慢できなかったのです。彼らの「思い込み(入れ)」は自分たちの運動や生き方が「真に評価」されたと額面通りに捉える「純朴な」部落大衆が、結果的に、自分自身に厳しく問い続ける姿勢をナエさせ、「ゴウマン」にしてしまっていると思うのです。
 私は江嶋氏のような論理を振りまわすインテリに「あなた方が部落民をほんとうは堕落させているのではないのか」と問うたこともしばしばなのです。そんな中で「部落以外からの指摘であれば差別になることも、部落民自身が指摘すれば差別ではない」との考えが、基本的に受け入れられることができない考えであっても、一定流布している中で、私は部落民自身による自らの運動への「批判」を、それも具体的な部落大衆の生活レベルに現われた「弱さ=部落差別」の指摘として開始すべきだと考えたのです。発表する機会が与えられた『解放教育論再考』(柘植書房)、『自己教育と社会啓発』(明治図書)所収の小論はそのことを意図したものでした。その意図は出身者以外の方々に受け入れられる場合が多かったのに対し、内部、なかでも運動の指導部には無視されたようです。暗すぎる、解放運動の展望を示し得ないなどなど…。
 藤田さんの『同和はこわい考』を書店で見つけ読みながら、私自身の「思い」とあまりにも多く共通するのに驚きました。また出身者以外の連帯者からの真摯な批判として胸のすく思いがしました。
 ただ藤田さんが提起された、二つのテーゼのうち、「日常部落に生起する云々」に対する藤田さんの見解にも疑問が残りました。当然「ハシがこけても、ギャンブルに敗けても、差別か」との反論に答えるにはあまりにも不十分なテーゼといわねばなりません。しかし、このテーゼの持つ真意を私は次のように捉えているのです。部落大衆が今日こうむっている不利益、不合理を歴史的・社会的に部落差別に基因すると捉え、克服の道筋を探り続ける、継続した営みにとって有効であったのではないだろうかと。この点についてはさらに論議をたたかわせたいと思います。……

コメント.
「日常部落に生起する、部落にとって、部落民にとって不利益な問題は一切差別である」というテーゼについては、おっしやるようにさらに論議をたたかす必要があります。問題はやはり「不利益と部落差別との関連いかん」ということだと思いますが、その前に部落差別とはなにかを、まず議論すべきではないでしょうか。なお住田さんは『同和はこわい考』をめぐって『朝日ジャーナル』88.3/25 号に投書しておられます。ご本人と『ジャーナル』のご了解をえて採録させていただきました。

《 採録 》

その1.『同和はこわい考』論議−江嶋氏への疑問
住田一郎(大阪市住吉区・西成労働福祉センター職員・41歳)
 本誌三月四日号での江嶋修作氏の藤田敬一氏への反論論旨(スサマジイ結婚差別の現実への対応を通しての批判)は、かれの設定した「土俵」上では実に単純明快である。/だが藤田氏の提起(「『同和はこわい考』論議の渦中から」、本誌二月一二日号)は今日、部落解放運動が到達した現況を基本的に肯定したうえで、権力から提起された新局面を迎え、従来の運動で「つみ残してこざるを得なかった解放運動の弱さ」を指摘し、今後の重点課題として「両側から超える」意味を強調する。/これに対し江嶋氏の論旨は今日の到達点についてふれぬまま「結婚差別にまつわる部落差別をクローズアップし、その事実のみで今日の部落問題をカバーし得るかのような展開になっている。これでは全く論旨が噛み合わないのも当然である。/問題は批判者である江嶋氏のクローズアップによる部落差別把握が、今日の被差別部落および部落問題の現状把握として普遍化しえるのかという点だ。/私は解放同盟の一員として、この江嶋氏の部落問題把握に暗い気持ちになる(彼が指摘する結婚差別の現実=差別実態を決して認めないわけではないが……)/江嶋氏は「この結婚差別」を前にして、いったいこのうえ、藤田氏は何を部落出身者に「超えろ」というのかと迫る。さらに、彼は最も大切な実践課題として、被差別にあえぐ部落の民に限り無く「寄り添い、共に闘う」ことこそが私たち(藤田氏も含め)に求められているのだと断言する。/しかし、ほんとうにそうなのか。私たち部落民は外部の連帯者に「寄り添い、共に闘っ」てもらうだけの存在でよいのだろうか(「贖罪論」にのっかってしまう危険はないのか)。/私ちは圧倒的な差別の状況下にあってもなお、自己自身の「自主解放」への営みとして、また「寄り添い、共に闘う」連帯者に応えるためにも、厳しく自己の生き方(闘い方)を自省し続けることが必要なのではないか。ましてや連帯者(極論すれば反対者でも)による問題提起を拒むことは私たち自身の「成長および闘い」にとっても許されることではない。/この視点から藤田氏の「提起」を捉えるなら、その内容は「啓発指針」レベルの皮相な批判とは断じ難い。「両側から超える」とのややスマートすぎる提起ではあるが、その内実はすでに部落解放同盟の現場(私の地区でも)で、「自らを主体的な解放運動の担い手へ」との取り組みとして実践されてもいるのである。/江嶋氏は、結果的に藤田氏の「提起」に呼応する部落民自身による「自らの弱さ」との対決、この実践方向をも批判されるのであろうか。

その2.コラム「五風十雨」、『全国自由同和』No78.1988.3.10.

 朝日ジャーナル3/4 号の「差別する側の、人間をやめたような、こわさこそがこわい」の論文に慨嘆した。/論旨は部落の若者と一般の娘の結婚ばなし。娘の親の絶対反対という差別意識の「こわい目」を排除して結婚させたという事例である。もちろん結婚式には娘の側は欠席したことだろう。そのおりの差別側の「人間をやめたような目」がこわかったという。/そりゃ、そうだろう、と私たちは実感する。手しおにかけた我が娘が、親を無視して結婚する。その相手に対する絶望的な無知が、こわい目をさせるのは当然である。/幾組となく結婚差別にかかわった私たちには、この「こわい目」が問題の出発点であった。結婚差別に取り組む場合、なによりもまず差別側の愚かしい意識への啓蒙と説得が運動の原則である。そのため相手<一般>の血族や地域の有識者をまきこみ、周辺の良識と協力による根強い説得を目ざした。両者の側のすべてに納得させるのが当たりまえの結婚ではないか。/差別を排除し、結婚の自由を守るためには、新夫婦にかかわる周囲の意識に変革がないかぎり、部落と一般のなん百組の結婚があろうと、差別側の一方的な義絶という状況のもと、被差別側へ追いやられるだけである。/「同和結婚がなん%」とか、「差別はなくなりつつある」の観測論とともに、この論文のような硬直した行為が、どれほど問題を切り捨てごめんにしてきたことか。この場合でも、両親や血族の「こわい目」が永久に固定したままではないか。二人を結婚させたというだけで運動の前進と考えられた時代とは社会的状況はちがう。/論文は藤田敬一氏の「同和はこわい考」の反論という側題だが、むしろ最初に生硬で単純なこの種の論文があり、その批判として「同和はこわい考」があるのが、運動理論の歴史的必然ではなかったろうか。

その3.コラム「解放の灯」、『解放新聞』広島県版.884 号.1988.4.6.

 『同和はこわい考』という書物が、味方の文章かと思って読まれた頃があった。広島県ではすぐに気づくものが出て、その汚染度は比較的軽かったようだ。その展開している中味は、言いまわしが、少し曲折しているだけのもので、地対協の「部会報告」と非常に似ている。▼第一、被差別部落に対する世間の「こわい」という意識が、そもそも差別だという立場に立つというなら、わざわざ、そのイメージを強くする『同和はこわい考』などという書名をつけるわけがなかろう。▼「同和」という言葉は、それ自体でまとまった意味をもたない。同和問題とか同和行政とか、同和教育というならわかる。「同和」だけの場合は、そのことによって、何を意味するのか、中途半端なものとなり、確定された内容が伝わってこない。▼そこで思い出すのが、半端な言い方をして、相手をさげすむという手法である。その昔、隣国、「韓国・朝鮮人」をさげすんで、「半島人」と呼称していた。ひどいのは、その「半島人」というのを、わざわざ「ハントウ」と切って捨てたような言い方をするものさえいたという始末だ。▼『同和はこわい考』の著者、藤田敬一氏が、「同和」と中途半端な言葉を使って、平気でおれるとしたら、心の奥深いところに・ドロドロとしたものがあることを証明していることになる。「『同和差別』という奇妙な言葉」とも言い、さらに、「エセ同和という奇怪な言葉」とも言っている。▼しかし、考えてみれば、「同和」なる言葉を、そのまま主語にして「こわい考」などとくっつければ、さらにおかしいことになる。奇怪千万な書名ということになるであろう。『同和はこわい考』についての論議は、まずこのことから指摘しなければなるまい。地対協路線がこじれるとこんなことになってしまうか。

《 紹介 》

☆部落解放中国研究会『紅風』99号.88.2.
 『同和はこわい考』を読んで−(1) 山田寛 (2) 支倉深生
☆『朝日ジャーナル』
 3/18号 海野 波「『同和はこわい考』へ−心を片側に固めるな」(読者から)
     城田恵美子「『教育の自由』から同和問題まで考える」(同上)
 4/1 号 師岡佑行「闇に隠れようとする意識をひきずり出すことが先決だ」
     (『同和はこわい考』論議の渦中からB)
☆愛知部落史研究会『會報』第6 号.88.3.
 近藤祐昭「部落外のものの責任と課題−『同和はこわい考』をめぐって−」
☆毛沢東思想学院『学院ニュース』249 号.88.4.1.
 師岡佑行「転換期の部落解放運動」
☆『解放社会学研究』2 号.88.4.
 稲田勝幸「藤田敬一著『同和はこわい考』批判−いま、差別問題の原点『差別の現実に学ぶ』に帰る−」
☆京都部落史研究所『こぺる』4 月号.88.4.
 前川む一「対話の芽を大切に」
 梅沢利彦「論議を正しい軌道に」

 この他、好井裕明「もう一人の書評者として」(京都大学文学部社会学研究室編『ソシオロジ』32巻3 号.1988.)、菅 孝行「現代日本の差別諸相」(同編『現代日本の差別』明石書店.1988.2.) でも少しふれられています。

《 あとがき 》

*長良川の堤には四季おりおりの草花が咲きますが、今年の春は菜の花が例年になくみごとに咲き詰め、岐阜羽島駅までのドライブを愉しくさせてくれています。これから岐阜は新緑の美しい季節に入ります*幻野の会『幻野通信』復刊第4 号(88.3) に「嗤ってすますわけにはゆかない−『中央本部見解』について−」を書きました。1 月5 日、岐阜で開かれた集りでの発言をまとめたものです。ご連絡いただければコピーをお送りします*『こぺる』5 月号に「部落解放運動をめぐる率直な論議を−あわせ聞けばあかるく、かたより信ずればくらし−」を寄稿しました。これで“『同和はこわい考』を読む”と題した特集連載は終わり、新たな企画が始まるとのこと。ありきたりですが、感慨無量です。横井清さんはじめ感想、批評、批判を寄せてくださったみなさんに、あらためて感謝したいと思います*本『通信』のご連絡は〒501-11 岐阜市西改田字川向 藤田敬一まで。