同和はこわい考通信 No.10 1988.3.17. 発行者・藤田敬一

《 波紋 》

部落解放同盟全国大会で議論

 さる3月2日~4日、大津市で開かれた第45回全国大会で『こわい考』が昨年にひきつづいて論議の対象になったと、友人がメモを送ってきてくれました。それによれば、二日目、第三分散会で長野の代議員から「朝日新聞の差別体質もさることながら、藤田敬一の出しました『同和はこわい考』に対する中央本部の見解はすでに出ておりますけれども、見解のあと『朝日ジャーナル』で再び藤田敬一が中央本部見解に対する批判見解を出しております。これは差別者のいうことですからほっておけばすむわけですが、藤田敬一の批判見解の中に部落解放同盟の指導的立場にある方が全く藤田敬一の意見に賛成するような発言がのっているわけです。中央本部の批判見解がどう統一指導されているのか。さきほど書記長もおっしゃいましたが、タテ一本の組織形態ですから、中央本部から指示されたことを同盟員一人ひとりまでが知っている。それが組織強化につながる。だから中央本部の見解がそういった指導者によって曲解されて同盟員に指導されると組織の弱体化につながってくる。藤田敬一の解放同盟中央本部見解に対する批判見解に関連して、組織内からの意見をどう考えておられるか、お聞きしたい」との発言があったようです。
 これには「藤田敬一、差別者と呼び捨てにするのは言葉が過ぎる」との反論が出され、さらに「昨年の全国大会で公開討論をすることになったと聞いていたが、公開討論の最中に基本的見解が出た。これはフェアーな行為ではない」との意見があり、答弁に立った小森龍邦書記長はおよそ次のような発言をなさったという。

1.藤田敬一さんの『同和はこわい考』は、「解放運動の糾弾はあまりにもきついから、したがってそのきつさに乗じて『エセ同和行為』が生れてくると、地対協部会報告もいうているが、わしもそう思う」という意味のことを書いている。それでは部会報告と全く同じだ。地対協を批判するのではなく七割も八割も部落解放同盟中央本部批判になっている。

2.法務省の井口(人権擁護局総務課長)が統制委員長の原野さんらに「あなたとこの関係者の中にも法務省のいうことがええといってるものもおるんじやないか」といった。またこのあいだ自民党の代議士が「小森さん、あんたらなんかいろいろ論議を展開しておるようだが、あんたとこの内部で地対協路線がええというものがいるではないか」「それはだれか」というたら「『同和はこわい考』にちゃんと書いとるじゃないか」と、こういう。『同和はこわい考』を向こうが喜んでいるのは、間違いない。反動的なものがおもしろがるようなことは、ちょっと考えてみないといかんのではないか。

3.どうもこれはまずいと思ったけれども一応、同盟ですから内部もしくは内部周辺である程度、論争することもええじゃないかということで、公開討論会といったことはないが、『こぺる』にわたしの見解を書こうと思っているといった。中央本部書記長でなければ、個人的にはどういう場所に出ても徹底的にその差別性を暴露したいと考えている。しかし運動全体の調和という立場を考えなければならないから、可能なかぎりの機会を使って文章でもってその差別性を明らかにした。いったい部会報告とどこが違うのか明らかにしなさいというのが、再度にわたるわたしの指摘の問題点である。ところが返ってきた論点は「なんでもかんでも、そうきめつけるな」ということだった。「きめつける」という言葉で人をきめつけるのはやめてもらいたい。しかし、解放同盟中央本部もこのままいくと、部会報告路線がグウッと伸びてくると思ったので、中央執行委員会でいろいろ討議して解放新聞に『同和はこわい考』にたいする基本的見解を出した。われわれが先に手を振り上げたのではない。われわれの運動を先に批判したのは藤田敬一です。わたしは、反省してもらいたいと思っている。

4.あれで全国の仲間がだいぶ問題を知り、かなりきちょうめんな対応をしていただくようになった。また運動周辺の方々の発言を聞いてみても、あれでモヤモヤしとるんがわかったといっている。やはり解放新聞に書いたということは非常に成果があったんではないかと考えている。

5.論争という形態をとっているから、運動内部のものが中央本部と違う意見を述べても、われわれはその人をどうだ、こうだといっているわけじゃない。しかし、あんまり長くなると、これはちょっと考えなけりゃいかんことになる。中央が方針を明確に出してもまだこれに対し論争の名にかりて運動方針を切り崩すようなことをいわれたら、それは適当なところで組織問題として考えなけりゃならん時期が来るだろう。しかしそこまでならんうちに常識をもってこれは収束していただきたい。

第一分散会でも議論になったらしく、分散会報告に「『同和はこわい考』「朝日新聞」は誤っている。指摘しないわけにはいかない。解放同盟に糾弾をやめよといっているのと同じだ。」とありました(『解放新聞』1363号.3/14) 。
 第三日の全体会における小森書記長の本部答弁「一枚岩で前進を」(要旨)のうち『こわい考』に関する部分は以下のとおり(同上)。

藤田敬一さんの『同和はこわい考』の問題については、昨年、中央本部見解を『解放新聞』に掲載した。
一つは、糾弾闘争にたいして、「地対協・部会報告」とひじょうに共通項がある。もう一つは、部落問題にたいする、われわれの主体的かかわりの問題である。部落差別をうけたか、うけていないかは、やはり、差別をうけたものが一番敏感にわかる。全部が全部わかるわけではないが、だれよりも近似点に到達できる立場にある。
朝田元委員長は、われわれの特権的立場を表明するためにいったのではなく、われわれが考える、という意味のことをいったのである。
だれも、経験しないことについては、認識が浅く、経験しないことを、認識が深いと思っている方が、うぬぼれているのではないか。そうでないと、当事者という立場はなくなる。民主主義は、だからこそ、当事者が大事とされ、国民主権という思想が、近代の民主主義思想のなかにでてきているのである。
「地対協」は、われわれ被差別者を排除しているが、藤田敬一さんのいうことが正しいするなら、排除しても、差別の中身が十分わかる、ということになってしまう。だから、大問題だといっているので、理解をいただきたい。
敵が、歓迎しているかどうかをみれば、解放運動に役立つかどうかは、初歩的にわかる。
全国水平社以来六十数年の歴史と伝統を、先人が血と汗と涙で闘いとったこの組織を守るためにも、敵に足をすくわれることのないよう、お願いしたい。
そしてできれば、藤田さん本人にも、心やすい人がおられれば、話をしていただくことを期待しております。


《 採録 》

その1.『同和はこわい考』を考える(『竹トンボ』13号.2/6.大森昌也・信子)

 被差別部落(以下部落)を出て、山村の平家部落に住んで10ケ月。近所の人に「大森さん、前どこに住んでいたの」と聞かれて「養父の建屋」というと、「建屋のどこ?」と聞く。「郵便局や学校に近いところに…」と、ボソボソと答える自分を発見してイヤになる。
 部落出身を明らかにすることによってうける「社会的不利益」を感じて、どうもはっきりしない。『同和はこわい考』じゃないけど、部落に住んでいたこと、部落出身ということが話題になることへの「おそれ」というか、「こわさ」があることは否定できない。「なんで部落を出たの」「おい出されたんじゃないの」などといわれるのが、つらくもあり、こわい。
部落は、よそ者をほんとうにあたたかくつつみこんでいく面をもちつつ、また「…部落のもんに、(人の)両脚をもってぐいぐいひっぱるような」面もある。そんな面を指摘し「やっぱし部落はねぇ、こわい」などといわれるのが、こわい。こんなことじゃあかんと部落出身を明らかにし、なんとか人間関係をつくろうとすれば、差別に出くわし、差別だといえば「そんなつもりはない」とか「みんな差別されるのはイヤと思っている。もちろんわたしも」とかなんとか言って、まったく人がかわり人間関係が断たれていくのが、こわい。
 …著者は被差別統一戦線の内実を問い「部落解放運動が差別・被差別関係総体の止揚にむけた共同の営みとしてあることが不可欠」と主張している。

その2.主張・『同和はこわい考』の差別性について(解放新聞広島県版 1988年2月17日発行)

その3. 羽賀幸尚「書評」(『文芸タイムス』13号.3/1)

 『同和はこわい考』-なんとまあ、すさまじいタイトルの本が出版されたものだ。私は一見、驚愕をした。内容を読む前にである。
 果たせるかな、地元の京都新聞を始め朝日ジャーナルなどが書評でとりあげた。勿論、内容がとりあげるのに相応しいものを持っているからであるが、「阿吽社(京都)」という失礼であるが、あまり聞きなれない出版社の、それも著名ではない著者の「薄い本」が、このような反響を呼ぶに至ったのは、まず読んでみたい気持ちを起こさせるタイトルによるところが大きい。
 …いまや、「同和」という言葉は、その昔にささやかれた差別用語の同義語として定着しつつあり、現実に陰口を叩くのにつかわれだしている。
 一つ間違えば、袋叩きにされかねない発言をタイトルに持ってくるなど、私をして驚愕させるに充分であるが、著者自らが成育史をさらけだして語る内容に、「考」はよく合っているタイトルである。  …(藤田氏は)大胆率直に意見を開陳している。深い友情を底に秘めた、この勇気ある姿勢には敬服する。だからこそ、前川む一氏(部落解放同盟京都府連合会・専従)も、自らの個人史を綴り、藤田敬一氏の顔を真直ぐに見詰めて、真摯に答えている。…自らの「皮剥ぎ」をおこない血を流している。
 …藤田敬一氏がいう「ファックス印刷、百七十部配布の超ミニコミ誌『天国つうしん』に掲載されたもの」が出発点になり、第一線の部落解放運動を支える活動家ちが論戦に加わったことで、論議はさらに活発化した。そのため、ごく一部の人たちながら論議の成行きを見守ってきたところであった。
 わたしは、部落解放同盟が、このような論議をかわす度量と自由な作風をもっていることに対し、いつしか尊敬の念を抱き始めている自分を知った。
 ところが、まさにこの論議の最中ともいいうる昨年十二月に、「解放新聞」(部落解放同盟中央本部機関紙)は、個人の著書に対しては異例の処置とも思われる、「権力と対決しているとき-これが味方の論理か」という副題をつけた「『同和はこわい考』に対する基本的見解」を発表した。…
 …わからないことが多い。しかし、組織には組織のお考えがあるのかもしれない。ここでの論評は避けたい。
 だが、部落問題をご自分のものとされる機会、人間のもつ「差別意識」を考えなおす契機ともなろうかと考え、最近まれな好著として、あえて本書のすすめとさせていただいた。

その4.書評「“差別”の観念性を批判」(「週刊労働者新聞」188 号.3/6)

 この一~二年、部落問題-部落解放運動をめぐって大きな動きが見られる。この本は直接には副題にも示されるように、一昨年八月の地対協部会報告、さらには同年十二月の地対協意見具申を契機として出版されたものであるが、その中に盛られた内容は、著者の藤田氏が数年来抱いてきた部落解放運動への思いを綴ったものである。
 …藤田氏は、差別・被差別の現状を「両側から超える契機」にするためにもこの(二つの)テーゼの検討が不可欠であると考え、それをとりわけ運動関係者に期待したのであるが、京都府連の前川む一氏(ちなみにこの著書の後半は両氏の往復書簡が掲載されている)など一部の人以外からは反応は得られていないという。だが、地対協部会報告、意見具申に対する運動上・組織上の批判を展開する上で、この二つのテーゼの検討がなおざりにされるとすれば、「共同の営みとしての部落解放運動とはいったい可能なのか」と自問するのである。まことに痛切なる指摘とは言えないか。
 この本は、長年、部落解放運動にかかわりをもってきた著者が、そのかかわりの中で常にもどかしさを感じ、やがて行きついた隘路(あいろ)からいかに脱却するか、あるいは部落解放を「共同の営み」としていかに形成するか、という点を問うたものである。さらに言えば、地対協が部会報告や意見具申という形で部落解放運動への攻撃を強めている現在の時期にあってこそ、運動の質や中身が一層重要であり、そのために是非とも部落解放運動が差別・被差別の今日のありようを止揚して共同して取組む必要を強調したものといえる。
 確かにここでは、部落解放の課題を労働者の階級的闘いの一環として位置づける観点は希薄である。道徳的・市民主義的な感じもないではない。だが、藤田氏の言う「両側から超える」と言う視点は、部落解放の闘いを労働者の共同闘争として、また被差別部落内外を貫く闘いとして担う以上不可避のテーマであると考える。読者の一読を期待したい。(京都・S)

その5. 辻内義浩「研究集会に向けて」(『同炎のたより』24号.1/15)

 今回の研究集会で『同和はこわい考』をテーマに取り上げた理由のひとつは、部落解放運動をとりまく政治的、経済的状況が厳しさをつのらせているという状況認識を学びたいということです。
 藤田敬一氏は『地対協部会報告、意見具申が「戦後部落解放運動の総決算」をねらったものであり、部落解放運動を否定、弾圧しつつ、国家主義的融和運動をすすめようとするものである』としている。そして、『政府、自民党の部落解放運動孤立化・弾圧方針を逆包囲する態勢、力量』を被差別者と差別者の両側から超える共同の営みとしての部落解放運動の創出に、藤田氏はもとめられている。
 しかし藤田敬一氏が「共同の闘いとはなにかといわれると…すぐ取り出せるものは、いまところない」と言われているわけですが、実際そうした問題はほとんど述べられていません。それなら、共同の闘いという問題に私たちなりに何か応えてみようではないか。というのこのテーマを設定したもう一つの理由です。
 以下、私見を提起します。
 例えば、『被差別部落(民)に対する呼称があいまいになるのは、そのイメージの底にある偏見が無意識的に抑制されるためか、あるいは、なんらかのこだわりがあって、どのように呼んでいいか思いつかないためか、そのいずれかであろう。』…『こういう所の人とわけへだてなくつきあっているといいたかった町会議員はそして最後まで自らの意識のひだに分けいろうとはしなかった。』と、このように、鋭い現状把握あるいは差別意識の鋭い分析が多く示されるのですが、それが差別者の自己認識、部落認識の深化の問題として展開されず、部落解放運動批判へ展開していく事が多いのです。
 部落解放運動の現状を問い糺そうとする藤田さんの論旨に疑問があるわけではない。被差別であるが故に絶対的正義ということはない。批判が部落解放運動の側にのみ集約されていくことに不満を感じる。歴史的に関係の仕方が加害と被害というふうに歪められてきて、それがいっぺんにポーンと人間と人間の関係にならないというほかない。
 共同の闘いを提起するのであるならば、差別する側の歪んだ人間性を克服する闘いがどこから始まるかがもっと問題にされなくてはならないのではないか。差別する側にこの闘いが始まってこそ、差別はいけない、許せないという空虚な観念をこえて、いったいどこでひとつになれるのか、共なる世界がどこに開かれるのかという問いが成立する。
 それを真宗では本願という課題で語っているわけですが、人間はなんで生れてきたのか、生きるということはどんな意味があるんだ、人間の現在の関係はこれで良いのか、という人間の存在自体を問うような共有の問いをもたない限り答えはひとつにならない。そういう共有の問いをもつこと自体を運動とする私たちの姿勢を藤田さんと論議してみたい。
 藤田敬一氏は差別を「前代から受け継がれてきた、身分制と不可分の賤視観念にもとづいて特定の地域にかつて居住したことのある人びととその子孫、もしくは現に居住している人びとを種々の社会生活の領域において忌避もしくは排除しすること」としている。
 部落差別とはなにか、そしてどのような解放のイメージをもつのかも論議したいところである。
 差別の本質は差別観念にあるという考えは、かって運動のなかで観念論として葬られてきた。確かに部落差別は厳しい実態としてある。だけど、被差別部落民という人間が実在するのであろうか。どこもちがわない同じ人間である。『こういう所の人とわけへだてなくつきあっているといいたかった町会議員』と同じように私たちは被差別部落民を同じ人間に見えず、どこかちがう、普通でない人間として忌避もしくは排除してきた差別の事実があるのであって、被差別部落民という人間は実在しない。被差別部落民という人間は人々の幻想(観念)の中にしか存在しないのではないか。
 政治的、経済的解放が人間解放の前提であっても、人間解放のすべてではない。人間の解放ということを物質化(実態化)して考えるとたちまち解放ということが相対的にしかならない。水平社宣言は絶対の解放を期すであった。穢多として誇りうるときがきたのだと宣言するように、解放ということが被差別部落、被差別部落民の消滅として語られていない。被差別部落民が被差別部落民のままで解放されるということであるならば、差別の本質は幻想(観念)であり、解放とは幻想(観念)の革命であるということを示しているように思う。  なにやらこの考えは、信心の獲得こそ大事であり、凡夫の自覚が先決だとする、信心偏重主義の立場と紙一重のところにあるように思う。本当に意識だけが目覚めることができるのであろうか。藤田氏も提起するように「差別と意識」の問題はもっと論議される必要がある。
 藤田敬一氏の問題提起にふれたことを、私たちの運動のもつ意味とその運動がなにをなすべきなのかを明らかにしていく契機にしていきたい。

《 お知らせ 》

 『こわい考』の中でも少しふれました部落問題全国交流会が、今年も開かれます。88年7月30日(土)~31日(日)、京都・平安会館。詳しくはのちほど。

《 あとがき 》

*今号は部落解放同盟全国大会での議論を紹介しましたのでスペースがなくなり、《感想》《各地からの便り》は休みました
*『こぺる』3 月号に中島久恵さんの「私の中にある両側」が、『朝日ジャーナル』3/4 号に江嶋修作さんの「差別する側の<人間をやめたような>こわさこそがこわい」が載っています
*本『通信』は無料、複製は大歓迎です
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*ご連絡は〒501-11 岐阜市西改田字川向 藤田敬一まで