同和はこわい考通信 No.1 1987.6.14. 発行者・藤田敬一

《 発行にあたって 》

 『同和はこわい考−地対協を此判する』が出版されてから約一か月が過ぎました。この間、多くの友人、知人が『こわい考』を読んでくださったばかりでなく、周囲の人びとに勧めていただきました。おかげで発売から一週間後に二刷が出ました。予想外のことで驚いでいるところです。  皆さんのお力添えに感謝の言葉もありません。中には五冊、十冊と鞄にいれて会う人ごとに売ってくださっている方、組織にはかって一括購入にふみきってくださる方、読書会を開く準備をしている方がおられます。古い友人が、なつかしいといって、わざわざお金を同封して注文をしてきてくれました。その一つ一つに、わたしは深い感動をおぼえています。岩波の『図書』の巻頚コラムに「読む人・書く人・作る人」というのがありますが、『こわい考』は「わたし書く人、あなた読む人」といった関係てはなく「一緒に作って、一緒に広めている」感じなのです。この「感じ」を、わたしは大切にしたいと思っています。  そして読んでくださった方からさっそく感想が寄せられています。過褒のものもあり恐縮するほかないのですが、もちろん非難、批判もあり、人さまざまの感がしています。前川さんもわたしも、『こわい考』が議論の対象にされ、部落解放運動をめぐる状況がすこしでも明らかになり、進む方向が見い出せればと考えていますので、論議は大いに望むところです。ただ、その前に、『こ わい考』にたいする反応の意味するところをきちんとみさだめる必要があります。というのも、そこにはそれぞれの人が、これまでどのように部落問題、部落解放運動にかかわってきたか、そして、なにを感してきたかが、示されているように思われるからです。 「人さまがどのように受け止めてくださるか、じっと様子を見守ろう」と一時は心にきめたものの、このような反響を目の前にしては沈黙は不可能で、うずうずしてしかたがありません。それに、わたしが見聞きする波紋の一端を皆さんに伝えたいという気持ちもあり、この際、「通信」を出そうと思いたちました。全くの私信ですから、脱線、逸脱おかまいなしになるはずです。よろしく。

《 日 誌 》

5/16. 初刷五千部出来。
5/17. 岐阜史学会総会(18部注文)
5/20. 岡山部落解放研究所より30部注文あり。以後、高知、矢田、四日市、東京、尼崎、名古屋、池田などからTELあり。
5/21. 岐阜市議会議員H氏に10部届ける。
5/23. 二刷五千部を承諾するも、少々不安。
5/25. 岐阜市同和対策室に20部届ける。
同盟岐阜県連に20部届ける。
5/28. 本願寺派大垣教務所で講演(50部注文)。
5/30. 二刷五千出来。

《 「書評・紹介」 》

5/30. 横井清「『心理』と『思想』の狭間から−藤田敬一著『同和はこわい考−地対協を批判する』に寄せて−」京都部落史研究所所報『こぺる』1987年6月号。
6/1. 「『両側から超える』努力を説く」京都新聞(後掲)。

《 お知らせ 》

 上掲『こぺる』は横井清さん(富山大学人文字部)を第一回として、今後、『同和はこわい考』の書評を集中連載します。研究者、弁護士、ジャーナリスト、宗教家、部落解放運動家などが執筆の予定です。『こわい考』がいよいよ公開の場でとりあげられるわけです。そこでお願いがあります。『こぺる』を定期購読していただけないでしょうか。お申込みは下記まで。
〒603 京都市北区小山下総町5-1 京都府部落解放センター
京都部落史研究所 宛
TEL 075(415)1032
郵便振替 京都5-1597
年間購読料 3000円

《 波紋・波紋・波紋 》

その1−「書名が気にくわん」
 某月某日、某氏曰く「ぱらっとしか読んどらんが、『同和こわい物語』とかいう、安もんの週刊誌みたいに、題名でつろうというところが気にくわん」。
鳴呼。いま一つ。さる県連の書記長「あれ、おまはんのセンスか」と詰問調の電話。さらに、もう一つ。某大学の某助教授「『同和はこわい考』というタイトルは、好きになれません。差別意識の凝縮したセリフを本のタイトルにするというのは大胆です。『タブーを破って議論しょう』という思いが込められたものと思いますが、読後でも、しっくりときません。」
 『天国つうしん』に連載中、地対協の『部会報告書』を読んで、ごく自然にこのタイトルが浮かんだのてす。「人をつろう」とか、「タブーを破ろう」とか、そんな大それた考えは、わたしにはありませんでした。人びとの意識の中に「同和問題はこわい同題」「面倒な問題」「避けた方が良い」というのがあると、わたしは感じ続けていたからです。
「いやしくも」が差別だとされても、なぜ訂正しえなかったのか。「士農工商」と銘うって本をだしたら、差別だと投書があり、書店側がなぜ動転したのか。「またかといわずに同和教育」との標語がなぜ入選作品になるのか。同和研修なるものに出席している人の、あの白けた表情をどう考えるのか。同和問題となると肩に力がはいり、口が重くなる人びとの存在はどうなのか。それもこれもみんな、かれらの差別意識のせいなのか。そもそも「同和問題」がらみの便宜供与要求事象の多発をどうみるのか。それをしも一部の「脱線的現象」としてすませるのか・・・・・・。「同和はこわい」「面倒だ」「避けた方が良い」というのは、被差別部落外で密やかに囁かれてきた話題なのです。好むと好まざるとにかかわらず、ここのところを抜きにしては地対協を批判しきれないと、わたしは思います。
 また「同和はこわい」と、わたしが主張しているかのようにうけとる人には「どうぞ本を読んでからにしてください」と答えるしかありません。「考」の意味がわかりにくいとか、「考」があっても人は気付かないものだとの非難にたいしても、同様のことを申しあげるほかはない。差別・被差別の「両側」からそれぞれの照射を受けてきた言葉でありながら、あからさまに語られたことのない言葉。それが「同和はこわい」です。その言葉を地対協は公然と使用して披差別部落民を論難しました。だからこそ、わたしはこの言葉をとりあげ、その合意するものを明らかにしようとしたのです。

その2−「一気に読んだ」
「前川君、一気によんだ。いいお友だちがおられて、よい議論をしているんやね。大切にしなはいよ」。自分のことが語られていて面はゆいけれども、敢えて紹介させてもらいます。前川さんは、この励ましの言葉に思わず涙を流されたよし。あたしも、ほんとにありがたいことだと思います。5月22日、東京の狭山集会でのことだったと、前川さんのお手紙にはありました。部落解放同盟の幹部だからではありません。同盟内に、わたしたちの真意を理解してくださる方がおられ、そのことを直接伝えてくださったからです。 実を申せば、出版前から「非難の集中砲火」を心配してくれる友人がいました。いまも心に懸けてくれている人がいます。わたしは、こうした「心配」を聞くたぴに辛くなります。「両側から超える」難しさに疲労困憊したことがあるからです。しかし今、多くの人が『こわい考』を広めてくれている。もちろん、その中には同盟員の友人も含まれています。『こわい考』が差別・被差別の両側をつなげてくれるのではないかと、ふっと夢想してしまいそうです。*『こわい考』にかんするニュースをお知せください。毎月一回程度、発行するつもりです。

「両側から超える」努力を説く
同和はこわい考 地対協を批判する
藤田 敬一 著

 総務庁の付属機関である地域改善対策協議会(地対協)は昨年十二月、部落問題について政府に意見具申した。全体に同和行政を終結する方向で論じており、部落解放同盟が「差別の実態を正しくとらえていない」と批判し、反論した。
 焦点の一つに糾弾の問題がある。意見具申は、その行動を「同和問題がこわい問題だとされる原因になっている」とし、反論する側は「糾弾は教育の意義を持っている。それを否定するのは解放運動の国家管理をも<ろむものだ」とする。
 本書は、そうした反論と基本的には同じ立場にあって意見具申を批判する。しかし、その内容は、これまでに出た刊行物とは趣が異なる。被差別の側と、そうでない側との「両側から超える」努力を説くのである。
 藤田氏は学生時代から解放運動とかかわり、現在は大学教員。その体験に照らして、被差別部落の出身ではない自分が抱いた「こわい」という意識の考察から始めて、「被差別」の側の対応に言及する。そして「ある言動が差別にあたるかどうかは、その痛みを知っている被差別者にしか分からない」というテーゼに含まれる「批判の拒否」を、批判する。
 本書の、いま一つの特色は藤田氏と、現在、解放同盟組織の専従者である前川む一氏との「往復書簡」にある。藤田氏の提起にこたえる形で、前川氏は被差別の体験をつづりつつ「私たちの兄弟が肩をいからせて世間を歩くようになったのは、一体いつからのことで、何がそうさせるようにしたのだろうか」と問いかけている。地対協の論理には、激しい批判を加える同氏だが、藤田氏には「どうか厳しい指摘を続けて下さい」とこたえる。両側から超えようとする率直な対話が、深くかつ新鮮である。
    (阿吽社・八〇〇円)     【京都新聞 6/1】