同和はこわい考通信 No.97 1995.8.17. 発行者・藤田敬一

《 案内 》
部落問題全国交流会のこと
藤田 敬一
 交流会も今年で11年目、12回を数えます。84年8月、それまで狭山裁判支援などで知りあった各地の友人に呼びかけ、一回かぎりのつもりで岐阜で開いたささやかな集まりが、こうして続いてきたのにはそれなりのわけがあるように思われます。とりあえず気のおけない人びとに会って、胸の奥底深くにわだかまっている、とらえどころのないモヤモヤを一度吐き出してみたい。身の内・外に漂う冴えない雰囲気の正体をつきとめたい。そんな思いを抱く人びとが少なくなかったからではないでしょうか。そうでなければ夏の暑い盛りに、身銭を切ってわざわざ京都まで出かけるはずがありません。
 もっとも、集まるのはわずかに百数十人。多いときで二百人あまり。1万人、2万人の大集会が当たり前のご時世で、町や村の同和研修会の規模にも達しない、こんな吹けば飛ぶような小さな集まりになにができるか。なにもできなくていいのです。今日ただいまの“わたし”と情況との関係を見つめるきっかけが、それぞれの内面で生まれれば、それだけでいい。人を組織して党派をつくり多数をめざすつもりなどはなからないのだから、決議や宣言、方針などはいらない。一年に一度集まって議論をする。そこで意気消沈するもよし、意気軒昂となるのもよし。それぞれが、それぞれに自らの思索のあとを振り返り、実践の足元を見つめ直す場になればもって瞑すべしと、考えてきました。
 「自分以外の何者をも代表しない」というのも、続けているうち次第に定着した合い言葉です。資格・立場の違いをたてに人の発言を封じる場面をいやというほど見聞きしてきた経験をふまえ、誰から言うとはなしに暗黙のうちに了解しあったのでした。厳密に言えば、人はなにがしかの集団に属し、集団の利害や意識・意志にとらわれています。しかし、部落差別問題、大きくは「人間と差別」という共通・共同の課題をめぐって心に包み隠すことなく語りあうには、ひとまずは「自分以外の何者をも代表しない」ように心がけたいのです。
 ところが、「交流会は、運動周辺の一般の人間が部落解放運動や部落解放同盟のあら探しばかりしていて、愚痴を言いあう評論家の集まりにすぎない」と言っている人がいるらしい。交流会での話が運動や組織のあら探しばかりしているというのは偏見でなければ誤解です。地方自治体や学校、企業、宗教界などで部落差別問題解決の取り組みを進めている人びとが自らの直面する課題を語ろうとすれば、いきおい運動や組織のありかた、その発想・理論・思想・活動スタイルに言及せざるをえないのは当然ではないでしょうか。個人としての意見を出せば職場に迷惑をかけるのではないかと心配しているわたし。おかしな話がまかり通っているのに見て見ぬふりをしているわたし。運動団体の人の前では黙ってしまうわたし。そんな“わたし”をどうしたらいいのか、悩みは深い。そこで思い切って、悩み、苦悩をいったん口に出してみる。そのとき、悩み、苦悩は対象化される、悩み、苦悩にへこたれずそれと向きあうわたしが生まれる、のです。すべてはここから始まります。交流会がそんな機会になればとの願いをもって続けてきたのでした。
 愚痴を言いあう評論家の集まりだとか。愚痴が言えるあいだはまだ元気が残っている証拠。ほんとにエネルギーがなくなると愚痴も出ない。しかも愚痴には情況を対象化する効能がある。以前にも書きましたが、『同和はこわい考』は、わたしの愚痴がつもりつもったあげく形になったものなのです。京都部落史研究所で月一回開かれていた差別論研究会が愚痴が言える唯一の場でした。いやな顔をせずに愚痴を聞いてくれた友人に、いまでもわたしは感謝してます。だから、交流会が愚痴を言いあう場であってなにがいけないのかと思う。いまどき、部落解放運動の情況に悩みを抱かず、愚痴の一つも出ない人は幸せです。そんな幸せな人は、あごあしつきでナントカ研究集会に出かけ、せいぜい一方通行の説教をしていい気になり、お説ごもっともと拝聴してればよろしい。
 部落解放運動は被差別部落民だけが進めるもの、もしくは部落民を中心・中軸とし部落外の「一般民」を周辺に配置した運動という発想からすれば、交流会の参加者は「運動周辺の人間」が数から言えば多いので、たしかにケッタイな集まりかもしれません。しかし、部落差別問題が人と人との関係に根ざすものであり、したがって問題解決への道筋としてその関係を変えることがめざされる以上、部落解放運動は部落の中だけの取り組みで完結できるはずがないのです。それなのに取り組みが進めば進むほど運動も人も内へ内へと向かう傾向を強め、内と外との距離は開くばかり。どうしてこんなことになってしまったのでしょうか。それは、部落解放運動が部落内外を貫く共同の営みとして位置づけられてこなかったからです。部落解放運動は部落民だけの運動だとする発想、自らを中心とし他を周辺として見る発想からは、パートナー関係は生まれない。「教師は三日にいっぺんケツたたかなあかん」と言い放った部落解放同盟の指導者がいましたが、ケツをたたく人とたたかれる人という関係があるかぎり、問題解決への道はほど遠いと言わざるをえない。
 たとえば、部落における同和事業が人と人との関係を変えなかったことは、いわゆる部落外の人びとの事業にたいする“まなざし”に端的に表れています。この人びとは、文字どおり事業を外から眺めるしかなかったのです。よくいって事業にたいする理解と認識を深めること、部落の生活の改善、改良、変容、変貌をわがことのように喜ぶことだけが求められてきました。家賃や保育料、奨学資金などの個人給付事業の具体的な中身が知らされることはまずない。市民に事業の内容を知らせているところもなくはないが、多くは公表に消極的です。だから噂が噂をよび、噂におひれがついたりする。他方、「うらやましがったり、ねたんだりしてはならない。羨望、嫉妬は差別なのだ」とくりかえし教えられるのだから、内にしまいこまれたホンネは、ひそやかな噂として流布されるしかない。こんな具合で、どうして双方が差別-被差別の呪縛から解き放たれるでしょうか。
 「部落解放運動は部落民だけが進めるもの、もしくは部落民を中心・中軸とし部落外の『一般民』を周辺に配置した運動」という発想そのものを自らのなかで打ちこわすときがきているのです。そのためには自らを被差別者(当事者)を支援する立場にいると思い定めていることから抜け出さなくてはならない。そして主人持ちの運動や取り組みから脱却しようとするとき、被差別の資格・立場の絶対化、差別-被差別関係の固定化に立ち向かうことができるのではないでしょうか。同和事業や啓発・教育をはじめとして部落差別問題解決のための取り組みにかかわっている人、くらしのなかで部落に関するあらぬ噂に出会ったらきちんと説明して噂を断ち切ろうと思っている人、部落差別問題に関心を寄せその解決のためになにができるか考えている人、これらの人びとみんなが部落解放運動を構成しているのです。いわゆる部落民によって組織されている運動団体はそこで重要な役割を果たしてほしいし、また果たすべきですが、しかし、その位置はあくまでも運動の内実、つまり、その主張、思想と行動の正当性、説得性、道義性、論理性によってきまります。部落民の自主的団体だから言うことなすことみな正しいとか、説得力があるとか、人としての道に合っているとか、筋道が通っているとはかぎらない。どんな人であれ団体であれ、誤りがあれば率直に批判する。批判されれば素直に誤りをただす。こうしてこそ相互の信頼が高まるのです。部落民とその団体を不可侵の身分に、その他の者を奉仕者の身分につけているかぎり「解放」を語ることはできない。
 部落解放運動をこのようにとらえてはじめて運動における人と人との関係は協同者、パートナーとしてのそれに変わるはずです。遠慮気味で、よそよそしい関係からは人間的な交感・共感・同感は生まれようがありません。部落解放同盟はそのことに気づきかけていますが、前々号でも触れたように「運動周辺の一般の人間」を将棋のコマのように扱い、集会の動員対象、座席埋め要員におとしめてなにも感じない人たちがいるかと思えば、一方には将棋のコマ然として振る舞い、結構居心地よさそうな顔をして席に座っている人がいる。こんな怖じ気をふるう関係に耐えられない人びとが集まって交流会をやってきました。対話を通して少しでも人間らしい関係がつくれたらと思っています。
 さて今回は、同和事業と教育に焦点をあて、これまでの取り組みが部落差別問題解決に向けた確かな一歩になってきたかどうか検証すべく下記のように三人の報告と一人のコメントを用意しています。交流会はなによりも各自が具体的な体験、経験を出しながら人間と差別について日ごろ考えていることを語りあう場です。かかわってきた時間の長さ、経験の豊かさを競う場でもなければ、小ざかしくて小むずかしい意見を披露する場でもありません。自分の言葉で考え、自分の言葉で表現することを大事にしたい。さかしらをする人とは無縁でありたい。
 交流会では、一年以上お会いしていない旧知の人びととの再会を果たすとともに、新しい出会いがきっとあるものと信じています。どんな議論がかわされるか、いまから楽しみです。では、8月26、27日、京都でお会いしましょう。

                 記
 第12回部落問題全国交流会「人間と差別をめぐって」
  日 時/8月26日(土)14時~27日(日)12時
  場 所/京都・本願寺門徒会館(西本願寺北側)
      京都市下京区花屋町通り堀川西入る柿本町 TEL 075-361-4436
  交 通/JR京都駅から市バス 9,28,75系統 西本願寺前下車
  費 用/8000円(夕食・宿泊・朝食・参加費込み)
      4000円(夕食・参加費込み)
  申込み/阿吽社(TEL 075-256-1364,FAX 075-211-4870)
  日 程/
   8月26日(土)14時 開会・全体会 16時 分科会 18時 夕食
          19時 分科会再開  21時 懇親会
   8月27日(日)9時  分科会再開   11時 全体会 12時 解散
  報 告とコメント/
      石元 清英:同和事業と部落の変化
      藤田 敬一:同和事業は部落内外の関係をどう変えたか
      住田 一郎:部落解放教育の現在
      鈴木マサホ:京都市議会での議論を振り返って

《 採録 》
みなみ あめん坊「浅羽 道明を批判する-悪意で語る差別のおぞましさ」
  (部落解放同盟大阪府連池田支部機関紙『荊冠旗』95/7/24)
 徳間書店の守屋汎さんから折角この『知のハルマゲドン』を献本していただいたのに、その内容について批判しなければならないのはなんとも忍びない。しかし、一読してみて「浅羽道明から小林よしのりを奪還しなければならない」と思わざるを得なかった。本書に収録された漫画家・小林よしのりと“思想家”浅羽道明との対談の中で、わが部落解放運動に触れた部分は問題ありというよりは、多くの差別性をあらわにしていると断じなければならない。部落差別をなくし克服していくという立場による批判及び提言であるならば、謙虚に耳を傾け、指摘されている諸点について襟元を正したいが、伝聞による言い掛かり、悪意に基づく差別発言の悍ましさが浅羽の意見に込められている以上は黙視するわけにはいかない。(中略)
 浅羽はいみじくもこう語っている。《実は私には部落差別をめぐる体験はないのです。生まれ育った神奈川県の横須賀には被差別部落はなかった》(P168)《だから私は、この問題を本で読んだ知識としてしか知らないのです》。浅羽が生まれ育った神奈川県には部落解放同盟はもとより全日本同和会(全国自由同和会の誤りか-藤田補注)の組織があり、差別撤廃に向けた運動が行われている事実には目も向けない。出会わずに見聞きもしなかったとか部落は存在しなかったというのは、浅羽の主観でしかなく、この国には差別問題など存在はしないと言いつのる差別勢力と歩調をいつにする姿勢に他ならない。どおりでお嫌いな日共・全解連には同感できるのだ。
 浅羽はかくも言う。《さて、私は二次的に生まれた差別感情は実に強いと自覚しています。いわゆる「同和はこわい」という怯えがけっこうあるのです。すなわち、学生の頃から差別についての本を少し読んだり、またマスコミ業界の片隅にいて流れてくる噂を聞いたりして、とくに七〇年代の糾弾や言葉狩りの実態を知って、非常にこわいなという印象を受けた》(P169)。まったく稚拙な論理だ。これのどこがいったい“思想家”だと言うのだろうか。これではまるで差別者宣言ではないか。しかも藤田敬一さんの『同和はこわい考』を連想させるかのように狡猾に言うが、藤田さんの論は被差別と差別の硬直した関係を相互に乗り越えようと提案したまっとうなものであり浅羽が手前勝手な解同批判の手本とする解釈とは一線を画しているのだ。(下略)

コメント.
 みなみ あめん坊さんは部落解放同盟大阪府連池田支部書記長で『月夜のムラで星を見た』(情報センタ-刊)などの作品のある文筆家。で、あめん坊さんが本文で引用している部分を読むかぎり、なぜ浅羽さんの発言が差別にあたるのか、わたしにはよくわからない。発言や主張に差別性があると言うときは、もう少し冷静になって、差別の概念を丁寧に述べ、その上でどの部分が差別に当たるかを発言者も納得できるように書く必要があります。浅羽さんはいまもなお「同和はこわいという怯えがある」と述懐しておられるのですから、ご本人が気づいていない「怯え」の底にあるものをできるだけ具体的に指摘してあげればいいのではないですか。あめん坊さんは力んでいる感じです。

《 各地からの便り 》
その1.
 『通信』をいつも、面白く(つまり、刺激を受けて)読ませてもらっています。藤田さんの提起されている、いわゆる(ということは、小生が藤田さんの提起をどこまで理解できているか分からないので、“いわゆる”といわせてもらいますが)「両側からこえる」という問題提起ですが、これはかって大沢正道氏が『反国家論』(平凡社)のなかで提起された「敵と思われた者が、味方になる」という発想や、また、埴谷雄高氏の「敵と味方」(『中央公論』s34年2月号)における「敵は制度、味方はすべての人間、そして、認識力は味方のなかの味方」という学生時代に読んだ、これらの人の発想に近いものを感じている次第です。埴谷氏の文脈では、前衛党の任務としてあげられているのですが、場面をかえて言えば、すべての生きること(生活)にとっても、非常に大切な指摘だと思うのです。
 「理論を持たぬ革命家は、自己の理論的無能及び理論的不足を補うに権力をもってする」又「正統派にとって異端者とは、ときに絶大なる恐怖であり、ときに憐れむべき滑稽である。」(「永久革命家の悲哀」埴谷雄高)
 親鸞は「善悪ふたつ総じてもって存知せざるなり」(『歎異抄』後序)といっているのですが、柔らかい立場を感じさせます。では、いよいよ旺盛な「理論」活動を。駄文をかき連ねました。  (愛知 W.Kさん)

コメント.
 まことにお恥ずかしいながら、大沢さんの本も埴谷さんの本も読んでません。ただ、部落解放運動での経験をもとに考え続けてきただけです。わたしに体系だった理論や深い思想があるわけでなく、運動のなかで思い悩んでは思索し、少しでも考えるヒントがえられそうな本があればむさぼるように読むなどして、わたしなりのイメージが徐々に形づくられてきたにようには思いますが。親鸞の『歎異抄』も、つい数年前、仏教関係の本をひと夏かけて乱読したおりに手にした一冊です。おかげで、なにか肩の力がすーっと抜けた気がしたものです。善悪にかぎらず二項対立的な発想を、わたし自身根強く持ってます。そこをどう切り抜けるかが、やはり問題でしょうね。

その2.
 先生がご健康で、新しい情報や今日的見方・考え方を読者に広めていただきますことを願っています。
 「こわい考通信」が配達されると何をおいても通読します。「こわい考通信」を心待ちしているのです。みなさんの意見と共に先生のコメントが楽しみです。小さな村の教育委員会で啓発の係をしていますが、自分の考えを確かめる上でも「こぺる」や特に「こわい考通信」がとてもよい参考書です。 (京都 I.Kさん)

コメント.
 『通信』を心待ちにしていてくださる方がいる。ああ、ほんとにうれしい。こんなとき『通信』を発行していてよかったとつくづく思います。いまのところ血液中の中性脂肪が多く、保健室から精密検査が必要と言われているだけで、体調もまずまず。この分だとまだまだ『通信』は続けられそう。今後ともよろしく。

その3.
 当方、京都市の中学教師で、一昨年までO中学におりました。先生の元気なお顔も何度か拝見させて頂きました。事情により転任し、現在は同和校ではない学校に勤務しております。自分なりに部落問題にはかかわっていこうと思います。そんな気にさせるのは本当に通信のおかげだと思います。  (京都 N.Hさん)

コメント.
 『通信』が、部落差別問題とのかかわりの一つの絆になっているとのこと。わずか8頁のミニコミにそんな力があるはずもないでしょうが、月1回の便りが人間と差別について思いをはせるよすがにならないとはかぎらない。そんなわたしの願いは、確実にN.Hさんに届いていたということで、実に愉快です。

番外編
 ふじたおじちゃんへ───暑中お見舞い申し上げます。お元気ですか。私は、すごく元気です。おじちゃんの言ったとおり勉強は、ゆっくりします。やっぱりさきさきすると、あとからまたこまると思ったのでそうすることにきめました。お仕事いそがしいですか?いそがしいと思いますが、よい夏をすごして下さい。今日は、おじちゃんと会えてすごくうれしかったです。これからもよい夏でありますよう、おいのりいたします。これからもつらいこと悲しいこと色々とあると思いますが、自分らしさを大切にしていって下さい。また大阪にも遊びに来て下さい。まってます。ご家族の方々にもよろしくと言って下さい。では、また。すばらしい夏を!
 P.S できれば手紙ほしいです。  (大阪 K.Sさん)

コメント.
 大阪の友人宅に泊めてもらった朝、帰りしなにちょこっと顔をあわせて話をした小学6年生のSさんからの便りです。ジーンときましたね。心のこもった便りに感動したのです。その感動をみなさんにもおすそわけします。返事はもちろんすぐ出しました、「自分らしさを大切にして生きていきたい」と書いて。

《 川向こうから 》
◆7月29日夕刻、大阪で曺智鉉さんの写真集『部落』(筑摩書房刊)の出版祝賀会がありました。50人ばかりのこじんまりした会だったけれど、お祝いの言葉がどれもみな友情にみちていてよかった。なかでも曺さんの主治医のお話が印象的でした。「人間、やらなければならない仕事をもっていると、術後の快復が早い。写真集の出版を目前にした曺さんの気力が治癒力を強めたと思う」。なんか、こちらが激励されたみたい。それにしても呼びかけ人7人のうち4人が欠席するとはどういうこっちゃ。世間には呼びかけ人の名前につられて出席するアホがいないとはかぎりませんが、この種の会で「大きな肩書き」に頼り頼られるという権威主義はもうそろそろやめたほうがいい。

◆最近読んだ本のことなど───雑誌『こぺる』の名称が吉野源三郎『君たちはどう生きるか』(岩波文庫。親本は1937年刊)からきていることを師岡佑行から聞いたのは、ずいぶん前のことだが、書名が重くて敬遠していた。中学2年生の主人公のあだ名がコペル君、地動説を唱えたコペルニクスにちなんで叔父さんがつけてくれたことになっている。東京に住む中産階級家庭のコペル君がさまざまな体験を通して、人間社会のしくみを学び、生き方を考えるという話。巻末、丸山 真男の「回想」もいやみがない。自分を問わずに倫理、道徳、モラルを人に押しつけがちな仕事についている人に一読をおすすめしたい。/斎藤洋一・大石慎三郎『身分差別社会の真実』(講談社現代新書95/7)。巻頭におかれた大石の短文はともかく、斎藤は近世政治起源説と必死に格闘している。近世政治起源説にたいする斎藤の疑問を決定的にしたのが、旧『こぺる』90/4に掲載された横井 清の文章「誕生から葬送へ」だったという。分裂政策論と差別意識注入論は話し手にはしゃべりやすく、聞き手にはわかりやすい。しかし、この「しゃべりやすさ」「わかりやすさ」がクセモノなのだ。歴史は安直な理解を拒否する。注意!注意!

◆本『通信』の連絡先は、〒501-11 岐阜市西改田字川向 藤田敬一 です。(複製歓迎)

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