同和はこわい考通信 No.94 1995.5.26. 発行者・藤田敬一

《 随感・随想 》
人間平等観について
山城 弘敬(三重)
1.
 本を紹介します。『サルからヒトへの物語』(河合雅雄著・小学館・1200円)です。そのタイトルからわかるように、部落問題の本ではありません。一見場違いなこの本を紹介する理由の説明から始めさせてください。
 先日、娘の通う小学校の『学校だより』に次のような記事がありました。

障害児学級のある生徒が、集団下校の際、一緒に行くのをいやがっていた。これは、登校班でその生徒に対するいじめがあり、いじめる生徒の親も「足手まといになる」云々といっているのも問題だ。「親はでしゃばるな」といいたい。

 ところが、すぐその後で、「いじめや問題の親の発言は昨年のものであり、それを現在の姿と思い違いをしていた」という訂正記事が載りました。
 娘も同じ学校に通っており、「障害児学級保護者会」というものを作って活動していて、詳しい事実関係を知っているので付け足します。当該の障害児は、毎日集団登校をする際、登校班の生徒からつねられたりしていました。彼の「痛い、やめて」という声を合図に、他の生徒を自宅から呼び出すのに使っていたのです。しかもそうした行為を行う生徒の親も、「うちの子は自分で登校するのが精一杯で、とても他人の子の面倒はみられない」などと、障害児の親に発言してきました。これが去年の話です。
 4月、いじめの中心の生徒が中学校へ進みました。去年は年度途中から、お母さんが付き添って登校していましたが、今年度の登校班の保護者は「私たちの子供が一緒に付いて行くから大丈夫」といってくれているそうです。しかし、『学校だより』からは、そうした事実は全く伝わってきません。
 去年から今年にかけて、全国で多くの中学生がいじめを苦に自殺しました。教育現場では、いじめはもっともホットな話題であったはずです。この時期に、こうしたいじめが起こったわけです。しかし『学校だより』でも明らかなように、学校はこのいじめにきちんとした対応をしてきませんでした。いじめがあり、それを肯定するような親の発言があることを知りながら、対策を講じないどころか、事実関係の調査すらしてこなかったことがわかります。
 娘の通うのは、いわゆる同和校です。部落を校区に持ち、積極的に同和教育を推進してきました。そこでこうしたことが起きているのです。程度の差はあるものの、障害児に対するいじめや無理解に基づく問題は、他にもたくさんあります。この事実に暗澹たる思いです。私も参加してきた部落解放運動が生み出した同和教育は、このようなものでしかなかったのかと。部落差別を否定し、それをなくそうという取り組みをしてきました。それは、憲法がどうとか、特措法がこうとかいう以前に、「人が人を差別していいはずがない」という認識を根拠にしてきました。ところが現実は、部落問題に関することであれば、どのような小さな差別事象であれ、いや差別であることが極めて疑わしいことでさえも大々的に取り上げる。大騒ぎをする。しかも、当の部落の人々の大多数がそれに無関心であったとしても。その一方で障害児は、このように扱われているわけです。
 私は、部落解放運動の中で、人間の尊厳や権利の問題として、部落差別を否定すべきだと主張してきたつもりです。それが伝わっていさえすれば、今日の事態は起こり得なかったはずです。もちろん、私が果たした役割などたかが知れています。それにしたところで、私自身の解放運動との主体的な関わりを切開するには充分すぎる契機でしょう。
 真意が伝わらず、ただ「大変なことになるから」と大騒ぎする姿勢だけが形成される。おそらく、学校における同和教育だけでなく、行政などの取り組みの本当の理由が、実はそんなところになってしまっているのではないでしょうか。その原因は自分自身のこれまでの姿勢にあるのではと内省しました。思い当たることがいくつも出てきます。まず、今から考えてみるなら、「ささいなこと」といわねばならないことを、「大変な差別だ」と力んで主張したこともあります。今では、その事象によって具体的にどれだけ権利が損なわれなどの実害があるか、あるいは差別を拡大する可能性が実際の問題としてどれほどあるかを判断できます。しかし、かつての私は、とにかく差別だと感じさえすれば、しゃにむにその軽重を問わず取り上げてきたものです。
 その原因は、相手方への不信などいくつか挙げることができます。しかし、この『サルからヒトへの物語』に出会って、重大なポイントに気づくことができました。それは私自身の差別観、というより人間観の問題です。

2.
 私はそれまで、差別とは人間にとってもともと、あってはならないものだと考えてきました。人間は本来、平等な存在である。それが何らかの理由によって、差別が生まれ、人間相互の関係をゆがめてしまっている。そんな風に理解してきました。ですから、差別がそこにあると思ったとき、それにどのような意味があるかなどといったことに思いを馳せるよりも、まずあってはならないものが存在するという思いが先行しました。差別という不正義に対して立ち向かう私自身は、自らを正義として認識せざるを得ませんでした。そうなってしまえば、独善的で強圧的な態度をとってしまうのは、ある意味で必然です。それを回避するために、ここしばらく、「差別を否定するのは正義の問題ではなく、趣味の問題だ」などとわけのわからないことをいったりしていたのです。
 しかし、このような逃げの姿勢だけでは、ほんとうにその正義の誘惑を絶つことはできません。何かが欠けているなと思っていたところに、この本によって、人間観こそが問題であると気づかされたようなわけです。
 ヒトはサルから進化した。このことは「ものみの塔」などのキリスト教原理主義者以外にとってみれば、正しい認識として定着しています。ところが、サルは実生活上なじみがないことに由来するのか、「人間だけは特別な動物」といった意識がかなり強く働いているようです。人間とそれ以外の動物との区別は、それほど意識されることはありません。しかし、平等を問題にするのは人間に限ったことですから、あえて人間とそれ以外の動物との違いを考えてみなくてはならないのです。ここでようやく『サルからヒトへの物語』の紹介が始まります。
 この本の前半は、サルの生態と文化の問題が明らかにされます。最初はサルが生まれた由来。恐竜が滅びて、代わって哺乳類が様々な場所に進出します。草原から水の中まで哺乳類が暮らすようになったとき、森には基本的にサルだけが行くことができたということです。その理由は、森、正確には熱帯雨林は、動物に対する強固なバリヤーが存在する場所であり、それを喰い破ることができたのはサルだけだったというわけです。
 もともと食虫類というモグラの仲間から進化したサルは、初めは虫を食っていた。サル同士の虫食い競争に敗れたサルが、やがて木の実を食べるようになり、次には葉っぱを。(フルーツより木の葉の方が栄養価が高いそうです。知らなかった)木の葉には、その樹木が自己防衛するために毒がある。同じ木の葉を食べるのではなく、少しずつ違う種類を食べることで中毒を回避するという。メニューは百種を超え、同じ種類のサルでもメニューが異なる。食べるものを群で学習し伝える。著者の河合さんはこれを一つの文化だという。確かに体調に合わせて、薬草まで食べるということだから、文化といえるでしょう。そうしてやがて肉食へ。サルが肉食によって脂肪酸を大量摂取して脳を発達させ、ヒトへの進化を行ったという説があります。この本を買った理由は、そのあたりのことを知りたかったからですが、残念ながら詳しく書かれていません。この頃のサルになると、道具も使い始める。興味深いのは、道具は食べるために使うわけですが、それで捕る食べ物は決して栄養上必要なものではないということです。味を追求しているようだとのこと。人間らしさが、このあたりでも見られます。
 本の後半は、ヒト化への社会進化が説明されます。これは、サルの群(河合さんは本の中で、オイキアという言葉を使ってみえます。これは、種社会を構成する基本単位のことです)の中のサル相互の関係と、オイキア相互の関係がどのようになってきているのか、ヒトを特徴づける家族にどのように接近してきたのかを明らかにしているわけです。
 最後の方は、ゲラダヒヒを例に挙げ、リーダー雄に限定されているものの、対等・平等の関係が形成されているとしています。おそらくは、安定性と機能性を保障するところから出てきているのだと思うのですが、詳しくは触れられていません。河合さんの他の本に書かれているそうですが、未見です。
 興味深かったのは、ヒト化の条件として、1)家族の成立、2)直立二足歩行、3)言語の使用、の三つを挙げ、「それぞれ絡み合いながら並行して進化していった」としている点です。
 進化などということをあまり真剣に考えたことのなかった私は、漠然としたイメージしか形成してきませんでした。それは、人間というハードウェアーがサルから進化して生み出され、それが文化というソフトウェアーを獲得したというイメージといえます。そのイメージからすると、人間が平等であらねばならぬという定めは、ヒトが人として生まれたときから突然作り出され、以降全く実現できぬまま今日の課題になっているということになってしまいます。
 しかし、ハードとソフトの進化が一体であり、それが社会を形づくるとするなら、平等も又その時代の社会のありように応じて実現していけるものとして、自分自身の課題を考えることができるような気がします。
 差別と平等が混在する中で、正義とは異なる平等を求めること。ようやくその手がかりが見つかったようです。

《 資料 》
部落解放同盟中央本部は、5月8日付『解放新聞』紙上で綱領改正案を公表しました。一年間かけて組織内外で討議するとしています。『解放新聞』をとっていない方も多いと思われますので資料として載せます。なお、参考のために1984年10月、第41回臨時全国大会で決定された現綱領も前文のみ収録しておきます。(藤田)

部落解放同盟綱領改正案(1995.5.)
【前文】
(1)
 我々は、部落の完全解放をめざす。わが同盟の目的は、この一点にある。全ての部落出身者が誇りをもって故郷ふるさとを語ることができ、全ての人が差別意識のくびきから解き放たれた社会。全ての人が人権を等しく認め、高め合い、互いの違いを尊重し合う社会。我々は、部落解放の展望をこうした人権確立社会の実現の中に見出す。
 部落解放運動は、それ故に、部落の完全解放を中心的課題としながらも、国内外のあらゆる差別撤廃と人権確立への取り組みを自らの課題とせざるをえない基本的性格をもつものである。/わが同盟の組織は、「人間を尊敬することによって自ら解放せんとする」広範な部落大衆の結集体であり、差別と闘う全ての人との連帯をめざす自主的大衆団体である。

(2)
 明治政府は、1871年に「解放令」を出したが、単なる「賎称廃止令」にとどまり、部落差別は解消されなかった。それどころか、部落差別は、天皇制専制国家のもとで再編強化され、深刻な状況におかれるに至ったのである。
 1922年、「エタであることを誇り得る時が来たのだ」との血の叫びのもと、全国水平社は創立された。「人の世に熱」と「人間に光」を求めて、部落差別への断固たる糾弾と自力自闘を貫いた全国水平社の精神は、我々の輝かしい共有財産である。しかし、「よき日」を求めて闘い続けた全国水平社も、日中戦争から太平洋戦争へ突入する中で、天皇制軍国主義の苛烈な弾圧の前に、終に侵略戦争への協力を余儀なくされた。痛恨の歴史である。

(3)
 1945年、日本は敗戦した。部落解放運動は、1946年いち早く部落解放全国委員会として再建された。運動の大衆化をめざし、1955年には部落解放同盟に名称を変更した。部落大衆の過酷な生活実態をも差別と見抜き、差別行政糾弾闘争の闘いを組織した運動は、急速に大衆的基盤と国民世論を拡大し、1965年内閣同和対策審議会答申、1969年同和対策事業特別措置法をかちとった。
 その後の行政闘争の発展は、地域を改善し、生活を高め、組織を拡大した。また、部落大衆を奮い立たせた狭山闘争と部落地名総鑑をはじめとする一連の粘り強い差別糾弾闘争は、共闘・連帯の輪をひろげ、反差別人権の砦を築きあげた。これらの力は、「世界の水平運動」への原動力となり、1988年には反差別国際運動が結成され、部落解放運動を新たな段階へと前進させた。

(4)
 部落解放をめざす我々の運動は、差別の結果に対する闘いにとどまることはできない。部落差別を生み出し支える社会的条件の克服と人権確立にむけた闘いこそが、部落差別撤廃への確かな道である。
 それ故に、「解放が目的、事業は手段」の原則を堅持し、まず全ての部落での生活や教育・産業や労働面での改善、差別事件の根絶や差別観念の払拭などの課題にとりくまなければならない。また、周辺地域の低位性、他の差別の存在、非民主的な諸制度、陋習や差別的文化の克服などとともに、国際化社会の中にあって部落差別撤廃も世界的な差別撤廃の潮流と結合させるとりくみが重要である。

(5)
 ときあたかも、我々は、歴史の大転換期にある。幾多の試練はあれ、21世紀への転換の指針は、「人権・平和・環境」であり、それはまた人類的価値観に裏打ちされている。この時期、まさに部落解放運動の真価を発揮する時であり、我々の歴史的使命を深く自覚するものである。
 我々は、今、荊の道を踏み越えてきた先達の闘いに導かれ、いよいよ部落の完全解放を展望しうる地平に位置している。
 我々は、「自主・共生・創造」の旗を高く掲げ、「人間性の原理に覚醒し」、部落の完全解放と人権確立社会の実現のために、邁進するものである。

【基本目標】
1.我々は、互いの尊厳の承認と自主解放の精神をもって団結し、広範な人々との連帯のもと部落解放の「よき日」をめざす。

1.我々は、差別事件を糾弾し差別の不当性を社会的に明らかにするとともに、差別の根絶のためのとりくみを求めていく。

1.我々は、災害に強く、人権・福祉・環境をキーワードとした魅力あふれる部落の街づくりにとりくむ。

1.我々は、母子・父子家庭、障害者や独居老人等、最も困難を抱えた部落大衆の生活を擁護し、福祉の確立にむけてとりくむ。

1.我々は、教育の向上と仕事の保障を獲得し、部落大衆の生活を安定させ、一人ひとりの部落大衆の持つ可能性を最大限発揮できるようにとりくむ。

1.我々は、それぞれの部落にあった産業を振興させ、全国流通のネットワークをはじめ相互協力のシステムを構築し、経済面からも相互の連帯・団結をはかる。

1.我々は、部落の周辺地域との連帯交流を推進し、地域社会の改善にとりくむ。また在日外国人をはじめすべての被差別者に対する差別に反対し、その市民的権利の保障を求めともに闘う。

1.我々は、人権啓発の積極的な推進を、行政、企業、マスコミ、学校、宗教、法曹、芸能、政党、議員等にはたらきかけ、差別観念の払拭と人権思想の普及高揚に貢献する。

1.我々は、国内に存在するあらゆる差別と非民主的な諸制度や不合理な迷信・慣習の克服をめざし、身分意識の強化につながる家制度や天皇制に反対する。

1.我々は、被差別民衆の生活文化を継承し、人間解放の文化創造を追求する。

1.我々は、国際的な人権諸条約の早期批准と具体化と、部落問題の根本的な解決とあらゆる差別の撤廃に役立つ法制度の整備を求める。

1.我々は、アジア・太平洋地域をはじめ全世界に存在する差別を撤廃し、差別なき平和な社会の建設に邁進する。

1.我々は、人間性の原理に覚醒し、歴史的使命の自覚のもと、世界の水平運動を展開し、人類最高の完成のために突進する。

[現綱領前文-1984年決定]
(1)
 全国に散在する六千部落、三百万の部落民は、前近代社会から今日に至るもなお階級搾取とその政治的支配の手段である身分差別によって、屈辱と貧困と抑圧の中に呻吟させられている。日本国民は、平和主義・主権在民・基本的人権の憲法をもつにもかかわらず、核戦争と環境破壊の脅威にさらされ人権と政治的自由は不完全にしか保障されていない。そして労働者階級、勤労大衆は若干の生活向上をみたとはいえ、管理主義強化と失業の増大をもたらすロボット化・コンピューター化のもとにおいては、ますます人間疎外を強めている。
 資本主義の矛盾が深まれば深まるほど、これを糊塗しようとする管理主義の強化・分裂政策が行われ、部落差別の温存助長の政策もしだいに厳しいものになっている。このような状況において部落民は、今日もなお就職・居住・教育・結婚などの市民的権利と自由が侵害され、農村では土地所有から、都市では近代的で安定した職場からしめだされている。そして、部落の伝統的な産業は大資本に圧倒され、壊滅的打撃をうけている。

(2)
 明治維新の改革は、「解放令」(太政官布告)により賤民制度を廃止すると宣言したが、天皇を頂点とするあらたなる身分制度に再編して温存され、部落民は悲惨な生活と最低の社会的地位から解放されなかった。これは維新後の資本主義発展の過程において富国強兵・殖産興業をめざした支配階級が働くものを搾取し、支配するために封建的遺制を温存し利用したからである。さらに、「日清」「日露」の戦争を通じて強化された天皇制権力は、帝国主義を押しすすめ、部落差別を助長・拡大したのである。/こうした「脱亜入欧」をめざす支配階級の差別政策に対して先達たちは、人間の尊厳を主張して、全国水平社を創立し部落解放の炎を燃やした。全国水平社の闘いは部落民の自尊心を高め、世人の反省を呼びおこした。また、支配階級の差別政策を糾弾し多大な成果をあげた。
 しかし、戦争とファシズムからの攻撃によって、民主主義は大きな壁にぶつかり、全国水平社の闘いもこの時期、前進をはばまれた。天皇制権力は、内に向けて部落差別を強化し、アジア諸国に向けて侵略をひろげていくために、その思想的裏付けとして皇国史観を浸透させる政策をとった。
 第二次大戦後の改革と新憲法によって、日本の民主化は著しく前進した。しかし、農地改革にみられる民主化の不徹底は、農村における部落民の状況を根本的に変えることはできなかったし、都市部落の悪環境や慢性的失業問題は改善されなかった。戦後いち早く結成された部落解放委員会は、全国水平社の歴史と伝統をうけ継ぎ、この差別の現実に、京都における「オールロマンス事件」などの経験によって構築した差別行政糾弾闘争の理論と戦術をもって闘った。
 その後、運動を名実ともに大衆化するため部落解放委員会から部落解放同盟に名称変更を行って、組織の飛躍的発展をとげた。大衆的に発展した部落解放同盟の組織的力量は、ついに同和対策審議会答申と「同和対策」のための特別措置法を獲得した。さらに、高松差別裁判糾弾闘争の伝統をうけ継いで「狭山差別裁判糾弾闘争」は、部落解放運動を生活や教育の条件整備の域にとどめず、人権の尊さを支配権力の差別性に対置させ、その本質をみぬく力を前進させた。
 これらの成果を武器とする全国的な闘いへの展開は、部落の環境をはじめとして教育・仕事など一定の改善をかちとることに成功した。しかし、表面的に改善したかにみえる住環境・教育の問題も時代の推移に再びとり残されようとしている。部落解放運動の地域的な力量の差と融和政策によって、なお多くの部落において住環境と生活の条件の整備はあらたなる問題をかかえている。そして、今日なお差別事件は跡をたたず、部落の慢性的失業と生活困窮の問題は解決されていない。

(3)
 今日なお、部落差別が解決しえないのは、先進資本主義国として発展をとげ高度に発達した生産技術を駆使する段階になって、更になお、資本主義の私的所有からくる矛盾は拡大の一途をたどり、労働者の無権利・低賃金によるコストの安い商品生産のために、支配階級は依然として、部落差別を利用し女性差別や民族差別などとあいまって、労働者階級、勤労諸階層に分断をかけ、管理主義を強化し続けているところにある。/また、朝鮮戦争の頃より急速に復活してきた独占資本と軍国主義が、日本の民主化に執拗に抵抗して部落差別をはじめ、あらゆる差別を利用し反動化を押しすすめているからである。それゆえにこそ、独占資本とそれに奉仕する反動的政治体制、すなわち帝国主義・軍国主義こそ、部落を差別し圧迫する元凶としなければならない。
 部落の解放なくして民主主義は実現されない。部落の解放は日本民主化の重要な課題である。部落の完全な解放は、差別と闘う国際的な運動と連帯を強め、被差別各層と共同し、労働者階級を中心とする農漁民・勤労市民・中小企業者・青年・婦人・知識人・宗教人など、広範な国民大衆の人権闘争の勝利によって、日本の真の民主化が達成されときはじめて実現する。
 それゆえに、部落解放運動は反核・平和と人権・民主主義のための広範な国民運動の一環であり、統一戦線の一翼である。

(4)
 部落民はいくつかの階級、階層に分かれているが、全体として独占資本主義の搾取と圧迫をうけており、ひとつの社会的な身分階層として、部落差別から生まれる共通の利害と感情の絆で結ばれている。したがって、部落解放運動は、全部落民を包含するものであり、その中心となるものは部落の労働者・農漁民である。部落解放同盟は部落民の利害を明らかにし、共通感情を目的意識的に高め、その自覚にもとづく自主的な解放運動の唯一の大衆団体である。部落解放同盟は、部落民のあらゆる不満や要求をとりあげて大衆闘争を組織しなければならない。部落解放同盟の組織と活動の基礎は部落である。全国六千の部落に支部をつくり、それぞれの部落の具体的実情に即した日常闘争を活発に展開し、地域的規模からしだいに全国的に拡大し、初歩的な要求から本質的なものに高め、周辺地域の利益をも前進させつつ、究極の目標である部落完全解放を達成するための闘争に発展させなければならない。
 部落解放運動は、すべての活動を通じて融和主義を克服し、部落解放が日本における平和と民主主義、そして労働者階級、勤労大衆の権利の前進の基礎であることを自覚し、使命感をもって闘わなければならない。
 われわれは、いまこそ長い部落差別の歴史に終止符を打たなければならない。
 部落解放は「人間性の原理に覚醒し、人類最高の完成に」向かって闘うことを誓った人間復権の叫びであり、社会進歩の実現に向かう人間疎外克服の闘いである。われわれは輝かしい全国水平社の歴史に学び、不屈の闘いと伝統をうけ継いで、差別を克服しうるにたる主体的人間をめざし、部落解放にたちはだからんとするものと徹底的に闘わなければならない。(『解放新聞』84年11月12日号より)

《 お知らせ 》
 ●第24回『こぺる』合評会
  6月24日(土)午後2時 京都府部落解放センター2階 6月号を中心に

 ●第12回部落問題全国交流会「人間と差別をめぐって」
  8月26日(土)午後2時~27日(日)正午 京都・西本願寺門徒会館

《 川向こうから 》
★先月末、京都の花園大学で開かれた日本社会臨床学会に出かけました。第1分科会「『同和』教育の社会臨床像」のパネラーとしての参加です。学会なるものに顔を出したのは68年11月が最後でしたから、実に27年ぶりのこと。学会といってもこじんまりとしたもので権威主義的雰囲気のないのが気に入りました。

★連休中はどこへも行かず、本ばかり読んでました。ゆったりした気分のなかで手にしたのが、北澤康吉さんの『素敵だよ、登校拒否』と『親子で光る-素敵だよ、登校拒否 PART2 』(いずれも毎日新聞社刊)の二冊。北澤さんは26年間勤めた高校を辞め、ロージャース流認定カウンセラーとして長野県駒ヶ根市で登校拒否の子を対象にした合宿所「のぞみ学園」を開いている。読み進むうちに自然とこちらの心がふくらんでゆく感じ。人は必ず内から動くようになる、ただそれをじっと待つだけという確信は、ロージャースの理論だけでなく、クリスチャンとしての信仰、親鸞の思想などによって支えられている。とはいえ著者の人柄も大いに関係しているとお見受けした。二冊を贈ってくださった方の、「分野は違いますが、北澤君の実践も人生の一つの真価の発露だと思い、大兄に献じます」という言葉の意味がわかりました。ところどころにそっと置かれてある著者の俳句、仏教詩人榎本栄一さんの詩、藤本正三牧師の断想もいい。

★5月16日で『こわい考』が出てまる8年になります。その日、ちょうど京都にいたので娘二人を誘って乾杯。心地よく酔いました。阿吽社によれば、いまだに新しい読者があるとか。おかげでこんどまた増刷して、7刷です。わたしにとって『こわい考』の出版とそれをめぐる論議は昔の話ではありえない。だからこそ現にこうして『通信』を発行しているわけでしてね。何が問われたのか、すっかり忘れて昔ながらの歌をうたっている人がいるようだけれど、論議は継続中なんです。しつこいのは、わたしの取り柄、ここでやめるわけにはいきまへん。

★『こぺる』編集部では部落解放同盟綱領改正案に対する意見を募り、近い内に連載特集を組む予定なので原稿をお寄せください。ただし匿名はお断りします。

★本『通信』の連絡先は、〒501-11 岐阜市西改田字川向 藤田敬一 です。(複製歓迎)

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