同和はこわい考通信 No.92 1995.3.19. 発行者・藤田敬一

《 採録 》 書評:藤田敬一編『被差別の陰の貌』(阿吽社刊)
その1.日本ユネスコ協会連盟『ユネスコ』(94/11・12)
 金 時鐘、土方 鉄、藤田敬一三氏による座談会の記録のなかで、「待遇が悪いということは、差別じゃなくて格差の問題だと思う。『差別』というのは、人間にかかわる問題、人間の思考秩序であるとか、意識にかかわる問題として照射されねばなりませんね」、と金氏が発言している。『被差別の陰の貌』を明らかにしていこうとする試みは、社会的にたいへん勇気を要することで、それが「被差別の側」から語られることは、他者との軋轢を覚悟する前に、まず自らに厳しい作業である。
 遊んでいた二人の女の子のうち一人が、「これから解放学級は行くわ」。するともう一人の子が、「あんたらえーね、ただで勉強教えてもろうて」。これは差別なのかどうか。“人間の思考秩序や意識にかかわる問題”として捉えれば、これを差別とは言えまい。でないと「結局、部落にふれること自体がいけない」ことになってしまう、と藤田氏は指摘し、危惧もしているのである。
 『被差別の陰の貌』を明らかにすることなしには、その陽の側面を見出すこともできない。執筆者の一人、大沢敏郎氏が、非識字者の「ことば」に、その『原風景』を感じとるのも、そうした厳しい作業を経てのことで、差別・被差別両者の対話の糸口も、ここに求められよう。(工)

その2.労働運動研究所『労働運動研究』(95/3)
 本書は次のとおり、一つの座談会と三つの論考から成る。

「被差別の陰の貌」(金時鐘・土方鉄・藤田敬一) 「違いの確認」(金時鐘) 「ことばの原風景試論」(大沢敏郎) 「被差別部落民の感性についての覚書」(住田一郎)

 はじめの座談会は、部落解放運動が拡がりと華やかさをもち、その運動の中心として解放同盟が揺るぎない権威を保持していたかに見えた1986年の時点のものであるが、すでにそこで被差別者像の再検討を通じて、それまでの運動の内実に対して深い疑問が提示されている。
 被差別の現実が人間にとってどういう意味をもっているのかを問い直し、被差別状況がそのままただちに怒り・抵抗として解放のエネルギーとなるとは限らず、ときとして人を卑屈にし、利にさとく自分勝手な生き方をうみだすことが、実態をふまえて率直に語り合われている。/こうした負の側面をしっかりと見据えたうえで、解放へと向かう回路はいかにして可能かを問う姿勢は、これまでの解放運動や同和教育が前提しがちな啓蒙主義的差別論を超えて、より深い人間と現実の把握を私たちに要請している。/この点で、住田論文は被差別部落の側から、この問いに真正面から答えようとする注目すべき作品である。自分の母親をはじめとする身近な人々の人間関係のあり方のなかに、部落差別による人間性の<歪み>を実にリアルに描き出し、この<陰>の部分の自覚とその克服を解放運動のなかに正当に位置づけて、これに取り組むことを提起している。
 また他の二つの論考は、以上の議論と直接関わるものではないが、差別からの解放とは何かを考えるうえでの大きな示唆を与えてくれる。在日朝鮮人の金氏は、抽象的な人間一般という同等性をよりどころとして差別を批判することに疑問をなげかけ、たがいの文化の違いを認め合いそれを分かち合うことを通じて、啓かれた対等な人間関係を作り上げていきことの必要性を話されている。/また大沢氏は、横浜・寿町での識字実践活動のなかから、被抑圧の民衆がことばを学ぶことは自分という人間をとりもどすことにほかならないこと、そして既成の学校教育のみならず解放教育もまたその営みをおしつぶすものになってしまっていることを、語り出している。
 個性的な著者たちによってその経験と思索のなかから語り出される本書の議論には、ここに紹介しつくされない種々の興味深い論点がちりばめられていて、それは微妙な差異を含みつつ、読者に自分の考えを問い直すことを促すとともにさらなる対話へと誘ってくれる。その意味で本書は、差別問題をじっくり考えるさいに広く読まれるべき一冊である。(評者 高橋正明)

《 資料 》
行政と運動体の姿勢と同和行政―とりわけ阪神大震災を通して
 (第26回部落解放研究京都市集会〔95/2/18〕第5分科会レジメ)
師岡 佑行(京都部落史研究所)
 1月17日の阪神大震災は死者5千人を越す大きな被害をだしました。私は、20日に従姉の住む宝塚、26日には叔母が住む神戸を尋ねました。どちらも無事でしたが、両地ともまるで地獄のような惨状でした。
 この分科会で、この惨状のあえてふれたのは、他でもありません。数年にわたって論議を重ねてきた同和行政の主体である行政そのものの姿、あるいは、これに対する組織の力量が、はしなくもこの中でハッキリと示されたからです。
 誰もがテレビを見ながらイライラとさせられたと思いますが、行政の対応のおくれがあまりにも目立ちました。ご承知のように火事場に消防車が、かけつけながらホースの先から肝心の水が出ない。消防士の胸は張り裂けんばかりだったでしょうが、防火貯水池がないのです。神戸市は、ポート・アイランドをはじめ、現代技術を取り入れた町として知られてきましたし、このため市当局は山を崩し、海を埋め立てるなど、力をつくしてきました。けれども、引火性の強いゴム工場の多い長田区に貯水池をつくるなどの施策を何ひとつやってこなかったのでした。つまり、金儲け中心の大企業本位の行政で、住民の安全などクソクラエの行政だったのです。政府も議員たちも、しきりに防災都市の建設を口にしていますが、それは震災の上をなぞっただけの話しで、これまでの行政が亜バブル行政というべき金ピカ安普請行政だったことを認め、行政は本来、市民の安全、健康、福祉を保全することにあることを確認し、市民中心の行政に方向転換せねばならないのです。
 100万都市をはじめ、周辺都市、さらに淡路島が大きな被害を蒙った事態は戦争が突然起こったに等しい。非常時の到来です。18日朝、村山首相は財界との朝食会に出席し、この時期に亀井運輸相ら閣僚は、青森知事選挙の応援に出かけています。このダラケきった行動のどこにも非常時の意識はカケラほどもありません。これが、この国の行政のトップの姿勢です。政治献金の疑惑に包まれて悪名高い中川大阪府知事は、被害者が、水も出ずガスも電気も庫内中で苦しんでいるさなかに、「米と台所があれば自分らで炊き出しをすればよいのに、その気がない」と発言し、物議をかもしています。自立を促すつもりだったのでしょうが、焼死など行政本来の仕事をキチンとやってこなかったことのよってもたらされた責任をいささかも反省することなく、被災地の実情も知ることなくして発せられたこの言葉は行政の姿を如実に物語っています。
 京都府でも同じ事でした。被災地への消防団の派遣、水、乾パン、医療品などの搬入が急がれたのに、府消防防災課は、国の指示を待っていました。ただ、弥栄町では、17日午後には、救援隊を送っています。行政関係者は弥栄町を除いて、誰もが、非常時到来の意識を持たなかったのです。驚くというか、呆れるというか、救援に忙しいはずの26日に社会党の田淵五十生氏は、4月の市会議員選挙のための集会をホテル・ニュー京都に200人を集めて開催しています。ぼけすぎてはいませんか。どれもが、阪神大震災が照らしだした今日の有様です。
 部落解放同盟は、被災地救援のためにかけつけました。だが、その対応もけっして十分ではありませんでした。17日に開かれた中央の会議では、基本法制定のための政府交渉の予定の確認にとどまり、被災地への救援はリュックをかついででもかけつけるという気迫にかけていました。ここでも、中央からの指示まちの姿勢がつよく、独自に動くという体制はみられませんでした。イギリスでは民間団体がニュースを聞いて30分後に出動体制に入り、大使館に連絡したというではありませんか。
 被災地では、被災者自身が助け合っています。86歳になる叔母が話していましたが、近所のふだんそれほど付き合いのない若い人が水を運んでくれたり、ポリタンクをくれたりと感謝していました。被災者同士の助け合いはテレビが報道する通りです。それに個人が自発的におもむいて活動するボランティアの人々には頭が下がります。政府をはじめ自治体、政党、さらに、運動団体まで、図体の大きい組織ほど制度疲労を起こしてしまっている。この分科会では連年、同和行政をとりあげてきましたが、阪神大震災が、はしなくも明らかにした行政や組織の実態を見つめ直して、それを本気で改めていくことなしには、たんに、なやかんやと言い合っているにすぎません。制度疲労を起こしていることを認め、その回復を自覚的に進めることが最初で最後です。
 しかし、これだけでは同和行政の分科会になりませんので、もう少し具体的に話させて下さい。この分科会では、一昨年京都市が示した戦後40年にわたる同和行政の総括と見直し案が、その後どのように実際化していったのか、経過をお聞きすることができると思います。また、その動きに促されるようにしてはじまった京都市協の取り組みと検討の結果についてもお話いただけることでしょう。
 私は、この京都市と同盟京都市協の取り組みは、制度疲労を自ら癒していく動きだと思います。今日配られた案内には、「みんなで考え、創造する同和行政」とあります。つまり、市協の考える同和行政のあり方、理念が示されたものであり画期的です。ただ、これでは行政当局と部落の生活の向上と解放を進める運動体との区別がつかず運動体の主体性がはっきりせず、もう一歩を進める必要があるでしょう。 あらかじめ、このような理念を掲げるのではなく、もっと同盟員や部落の人たちの要求や意見を聞き、それを積み上げていくことが大切だという主張も見られます。普通の状態のときには、これでよいかも知れません。震災ではありませんが、ベルリンの壁崩壊後、世界は先行き不明の中にあり、日本でも自社さきがけの連立政権が誕生するという思いもしなかった事態にあります。以前の言わば普通の状態なら、それでよいでしょうが、今日の事態にはそのような形で対処することは不可能です。
 今、必要なことは、先行き不明、まるで五里霧中の中です。少なくとも足元から問題を発見し、それを課題にすえて取り組んでいくことですが、今組織が組織として機能しているなら、まず組織が取りかからねばならないのはこのことです。それが指導というものの内容です。私は、今大衆の意見を聞いて、それにもとづいて取り組みを進めるというのは、民主的という言葉にかくれた指導の放棄だと思います。
 例えば、改良住宅の家賃にしても、環境にふさわしい金額に改訂するのは、当初家賃が決められた頃と収入そのものに大きな変化が起こっていることから言って当然でしょう。はじめのころは、失業、半失業者が多かったが、今では、公務員など就業者が多数を示しています。生活そのものが大きく変わっています。この変化を支部集会を開いて説明し、大衆的に部落の現状をつかみ、お互いに確認し(行政闘争がなにを獲得したのかを明らかにすることはこのことですし、これこそ運動体の任務でしょう)その中で家賃の値上げを決めていく方法が大切です。資料を提示し、説明をサポートするなど、この場合、行政の役割もまた大きいものがあります。奨学金についても同じことが言えます。
 それに、もうひとつ大きい問題として、家賃滞納の問題があります。1991年末、市の改良住宅全入居者3,573世帯のうち、68.2%にあたる2,438世帯が滞納し、このうち60カ月、つまり、5年以上の滞納者は817世帯、22.9%に達しています。これは、確実な資料にもとづいており、反対同盟がビラで指摘したうちの一つだけといって沈黙できるものではありません。どうして、このような信じられないことが起こったのか。また、どのようにして解決しようとするのか。この事実は極めてシビアで、容易に答えられないにしても京都市同和行政が直面している問題です。市当局だけでなく、運動体自身もまたきびしく問われています。
 なぜ、こんなことが起こり、どう解決しようとしているのか。市当局も市協も、その考えを是非示してほしい。何も聞けず、また木でハナをくくったような回答だとすれば、この分科会は名前だけのええかげんなものになってしまいます。

《 随感・随想 》
いま、部落解放運動のなにが問題なのか―雑誌『創』の匿名座談会を読む―①
藤田 敬一
 人は誰しも関心のある事柄について、ついつい聞き耳をたててしまうものだ。情報が少なければ少ないほど、よけいに知りたくなるのが人情である。だから『創』の篠田博之編集長が

同盟員約20万人と言われるほどの巨大組織でありながら、部落解放同盟の内部の実態というのは、殆ど知られていない。差別表現について糾弾を受けてきたマスコミが、さわらぬ神に祟りなし、とばかり、差別問題そのものをタブーとしてきたのだから、無理からぬことではあろう。/その解放同盟が、最近、柔軟路線に転換していると言われる。果たして実情はどうなのか。また解放同盟の顔とも言われてきた小森龍邦前書記長が昨年末、事実上解任されたと言われるが、それはどんな背景と、どんな意味を持っていたのか。

との疑問を抱き、「部落解放同盟のマスコミも書けなかった内部事情」と題する、四人の同盟員による匿名の座談会を企画したことを、とやかく言うつもりはない。そして、篠田編集長の主な関心が、強硬派と柔軟派という図式に基づく同盟内の勢力関係、政治力学に向けられていることに引きずられる形で話が進み、いきおい底の浅い内幕ものになってしまった面があるのは、座談会出席者にとって不本意なことであったろうと同情するにやぶさかではない。
 だが、出席者は、発言内容から推して現役の活動家、それも老練の人たちと見受けられる。それにしては、いかに不本意な場での発言とはいえ、部落解放運動の現状と課題にたいしてあまりにも放談がすぎると言わざるをえない。
 座談会は、同盟内諸潮流の紹介から始まる。同盟には「大きな流れ」として、社会党の「党員協」、ソ連派の「日本の声」、中国派の「中国研究会」の三つ、新左翼系グループを入れるとが四つがあった。大阪を拠点とした「日本の声」が、社会党「党員協」に接近し、その過程でまず新左翼系が切られ、ついで「中国研究会」がはずされ、いまや「日本の声」は全機関を握るまでに至っている。その象徴的存在が大阪府連出身の上田卓三書記長である。今回の小森龍邦書記長「解任」劇は、同じソ連派でありながらライバルだった「社会主義協会派」の小森をはずしたということにほかならない。おおよそこんなことが語られている。
 なるほどそうだったのかと合点がいった人がいるかもしれない。組織内の人間関係や諸党派の矛盾・対立・離合・集散に関する情報をもとに運動の動向を説明する手法は確かにわかりやすい。しかし、わかりやすければいいと言うものではない。
 人が集まればそこになにがしかの仲間、グループが生まれるのは避けられない。血縁、地縁、肌合い、利害、思想、信条、方針などが人と人を結びつける紐帯になるのはどの世界でも同じだろう。同盟内に信奉する思想、理論を異にするいくつかの潮流があってもなんら不思議はない。部落解放同盟初代委員長松本治一郎が社会党左派に属したことはあまりにも有名だし、1950年代から60年代中頃にかけて日本共産党に属する同盟員が運動の中枢、基幹部分に大きな影響力を持っていたことも周知の事実だ。朝田善之助はどの党派にも属さず、いわば部落民党として反もしくは非共産党系の人びとを包含して共産党グループに論争を挑むなど異彩を放っていたが、その理論的思想的立場はマルクス主義風だった。こうした状況は、戦後の部落解放運動が反権力・反体制・政治変革を標榜する社会運動として出発したことと関係している。そして70年代はじめ、共産党グループが部落解放同盟正常化全国連絡会議、さらには全国部落解放運動連合会を名乗って別組織方針をとったあと、同盟内には、座談会で述べられているように三つないしは四つの「流れ」が存在することになる。そこには当然のことながら矛盾や対立があった。
 しかし、渦の近くにいたわたしからすると、それらは部落解放運動の進む方向、進め方をめぐる意見の違いに基づく「流れ」としてあった。少なくとも、わたしはそう認識していた。頻発する同和対策事業にかかわる不祥事や金融などをめぐる事件は、運動と組織への信頼を傷つけ、一切の努力を台無しにしかねない状況が見られたばかりでなく、「解放が目的、事業は手段」というスローガンからしてすでに空文化していた。この現状をどう打開するかが最大の課題だったが、そんな現象は局部的で、運動は全体として高揚・拡大しつつあるとの主張の方が主流を占めていた。あまつさえ腐敗・堕落の克服を掲げた人自身が泥沼に足をすくわれるような事態も起こる。部落解放運動はまぎれもなくその存在根拠を問われる状況に立ち至った。それは諸潮流の依拠してきた発想、理論、思想の枠組みが総体として有効性を喪失したことを意味する。諸潮流の存立基盤そのものが吹っ飛んでしまったのだ。いまさら当時を振り返って、社会党党員協がどうの、社会主義協会派がこうの、日本の声派がこうした、中国派がああしたといったところで始まらない。
 また、座談会ではクーデターもどきの小森辞任・解任劇について、

この辞任騒動を上田対小森のライバル関係という面から捉える人もいるんだけれども、実は違っている。小森さんの最大のライバルは大阪の大賀正行さんなんですよ。どっちかと言うと小森さんは政治家と言うよりも理論家肌なんですよ。だから上田さんとはその意味ではぜんぜんライバルじゃない。/小森さんは書記長時代に運動方針を全部書いてきたんですが、それまではずっと大賀さんが書いてたわけですよ。そういう意味では小森さんの運動方針に対して大阪は常に全国大会で批判しておったわけですよ。「主体の変革」ばっかり言うから。/(中略)そういう意味じゃ大阪が中央を握りたいというのもあったし、その中ではやっぱり書記長というポストを取らなければならないというのがあった。だから社会党の方針をめぐる騒動の中で、小森さんは一応の形式として辞表を預けたのにそれが通ってしまうというのは、大阪にとってそれは「待ってました」であったわけです。/で、結局それが通ってしまうわけですよね。それで副委員長であった上田さんを書記長に据えると。だから小森さんが辞任した時に一番正直に言うたんは、誰にはめられたかと。「大賀にはめられた」と言ったんだ。

という、事情通ならではの内輪話が紹介されている。しかし、事実がそうだったとしても、だからどうだと言うのだろう。そんなことより小森書記長辞任後、部落解放運動の現状と課題に関する見解の相違が同盟内で表面化しつつあることの方が重要ではないか。ところが座談会はこの肝心な点に話を集中しない。糾弾闘争、同和対策事業、未組織・未指定地区問題などに関連して多少触れられてはいるものの、お座なりで突っ込み不足もはなはだしい。それはいったいなぜなのか。編集長のリードに引きずられたということだけではすまない問題がそこにはある。(未完)

《 紹介と案内 》
 ● 『こぺる』No.25(95/4)
  部落のいまを考える(17)
   柴谷 篤弘:『反差別論』以後
  時評⑩
   師岡 佑行:阪神・淡路大震災

 ● 『こぺる』合評会と刊行会総会
  ☆3月25日(土)午後2時 京都府部落解放センター2階
  ☆2,3月号のメイン論文を中心に。筆者の吉田智弥さんと柚岡正禎さんが出席してくださいます。
  ☆合評会終了後、刊行会総会を開きます。

《 川向こうから 》
★春休みにちょっと旅行をしようかと考えたんですが、結局やんぺにしました。読みたい本があり、したいことがあるというのが一応の理由ですが、要するに面倒 くさくなっただけのことです。これ、老化の始まりですかねぇー。

★幻の絵本、長谷川集平『はせがわくんきらいや』が手に入りました。友人が送ってきてくれたのです。知人宅で見てから十数年ぶりのご対面です。あまりのうれしさにしばし絶句。読者によって復刊されたとか。こういうことがあると、なんとも言えない至福を感じます。出版元は温羅書房(〒701-02 岡山市山田49-1, TEL 086-281-6609 ,FAX 086-281-6857) 、定価は1500円。

★本『通信』の連絡先は、〒501-11岐阜市西改田字川向 藤田敬一 です。(複製歓迎)

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