同和はこわい考通信 No.8 1988.1.31. 発行者・藤田敬一

《 感想 》

その1.労働運動の中から考える
高 橋 恒 美
 自らの“ついて回り”の解放運動の総括を求められそうなので、「同和はこわい考」への意見表明を渋っていた。しかし、「解放新聞」掲載の同盟中央本部の見解なるオカド違いの批判には、黙っていられないので意見を述べさせてもらうことにした。
 私は岐阜解放研の末席に座っていて、藤田さんの身内になるが、出来の悪い生徒なので、的を射た論評などとてもとてもという所だ。しかし、労働運動の面では多少経験し見聞きもしたので、その面からの感想を寄せてみたい。他の人の様に、本の内容に直接フィットしないかもしれず、マクロ的になるかもしれないが、別の観点から、藤田提案である「こわい考」の存在価値がわかってもらえれば、と思う。
 「こわい考」の批判の中には、中央本部の批判文「地対協路線と同水準のもの」と言わぬまでも、(藤田さんの)言っている内容は一応理解できるが、何も権力と対決している時に言い出さなくてもいいじゃないの」との意見が多いことと思う。 確かに地対協路線は、部落解放運動に対する戦後政治の総決算攻撃であり、支配権力からの一大攻勢そのものだ。そして、一大攻勢はこちら側の教条的主張と同時に、一枚岩となっていない組織体制を見越してかけれられている。
 ならば、本物の一枚岩の運動の団結を作ることしかない。真正面に敵の攻撃を受けているからこそ、スクラムを組める陣形というか、新たなスタンスが早急に求められているのではないのだろうか。
 運動の陣形づくりは、部落解放運動だけにとどまらない。わが労働運動の分野でも深刻だ。一部大会社の労働貴族が主張する全民労連が、戦後民主主義を支えてきた総評に取って代わり、職場や組合の中では働く者同士が支え合う気風は消滅しつつある。「人を出し抜いて、幸せはオレ一人が」である。
 「部落差別は観念ではなく実態である」と主張する朝田善之助さんの指導で、部落解放運動ではこれまで行政闘争という闘争方針がとられてきた。労働運動でこれに当たるのは職場闘争だろう。ともに生活向上をかけていたのだが、そこは政治のありようや、闘争に参加する人たちの大衆教育の場でもあった。
 ところが、高度成長経済によって企業がもうけ、国や行政が潤おうと、要求は札束を切ることで解決させられていった。春闘の大幅賃上げであり特措法の実現である(もちろん特措法は力強く切実な要求の成果であったことを否定するものではない)。そのことが運動や組織面のゆがみを生んだ。労使協調、労働貴族の輩出であり、同和対策事業の一部の腐敗である。ある意味でもっと深刻な事態は、闘いを通じて個々の人たちが獲得してきた権利意識や階級意識の再生産が阻害されたことだ。
 労働運動の分野で言えば、あの総評を支えてきた強い国労が、いとも簡単に解体させられたのは、個々の労働者が実質的な闘いの場を踏まず、足腰を弱めていったことにある。話が少々脱線するが、ここでの貴重な教訓になるので国労の反省点をもう少し述べてみたい。反省点は二つある。まず一つは本工主義だ。架線や線路工事は国労組合員の手から離れ、かなり前から大半が下請け労働者の仕事に変わっていたが、国労にはそれら労働者と連帯の営みを行う姿勢が弱かった。二つ目は労働者の改善はヤミ的なものも含め国鉄当局から大幅に獲得、しかしその慢心や奢りが利用客(国民)の目には「横柄」や「たるみ」として映り、支配者の、国労と国民との分断攻撃に利用されてしまった。こうした反省点は、部落解放運動の内部に、同質のものとしてきっと存在するはずだ。
 労働運動の再生は、この国労批判が国労組合員当事者や、国労と連帯する労働者の間で忌憚なく行われなくては実現しないと私は思う。このことは、質の違いこそあれ、藤田さんの提案が被差別部落大衆の中で建設的に受け止められ、運動を支援する側と「両側から超える」努力をすることに近似していると思われてならない。
 客観的な言い方をして恐縮だが、藤田提案は時代状況として出るべくして出てきたと私は思っている。繰り返しになるが、戦後政治の総決算は、戦後の価値形態のブルジョアジー側からの変革である。行革、福祉切り捨て、軍拡…そして新国家主義へ行きつく。
 このすさまじい攻撃を許しているのは、残念ながらこちら側の論理や運動の破綻が原因だ。そうなら、やはり話は戻るがあらゆる戦線で闘いの陣形を組み立て直す内部作業が必要なはずだ。
 最後に一点だけつけ加えて述べておきたい。いくつかの戦線でこちら側が敗北を喫したのは、人間の幸せはゼニ、カネなど物質で購(あがな)えるという呪縛というか価値観に私たちが志向してしまった結果だと思う。物質に対置する価値観は「心」。「心の優しさ」から来る「心の豊かさ」を大切にすることではないだろうか。
 水平社宣言は言っている。「人の世の冷たさがどんなに冷たいか、人間をいたわることが何であるかかをよく知っている吾々は、心から人生の熱と光を願求礼讃する」と。この言葉が差別を受けた側から言える内容であることは重々わかっているが、それでも「心」のことを問うていることは間違いない。
 「同和はこわい考」は、「時」といい「内容」といい、私は極めて根源の所を撃っていると思う。運動のあり方やその見直しには大胆であり、かつ背後に「豊かな心」「共生の心」に裏付けられた、大きな連帯が求められている。

コメント.
 高橋さん(中部読売新聞記者)は岐阜・太平天国社創立以来の仲間です。現在、不当配転撤回闘争を闘っておられます。さる1月5日、岐阜で吉田欣一さん(詩人)、永平和雄さん(椙山女子短大)の呼びかけで開かれた、わたしを囲む会で、発言を求められた高橋さんは、しばらく考えて、一言ではいえないので書くとおっしゃいました。それから一週間もたたないうちに、この原稿が届きました。長く労働運動、市民運動にかかわってきた高橋さんならではの文章です。
 この世には敵と味方しかなく、敵はいつも反動・不正義で、味方はいつも革新・正義である。敵は常に悪らつな攻撃をしかけ、味方は常に果敢に闘っている。そして敵は必ず敗北し、味方は必ず勝利する…。大衆運動、革新運動につきまとう、この単純な思考では、今日の状況はみえない。なぜなら、ここからは自己を対象化することも、相対化することもできないからです。ことは労働運動だけではない、部落解放運動にも同質の問題があるはずだ、と高橋さんはいう。ミウチの誤り、弱点、克服すべき課題を指摘することが、なぜかためらわれる背景に労働者正義があったからではないでしょうか。金時鐘さんは以前から、被差別正義を指弾してこられましたが、そこに共通するものがあるように思われてなりません。

その2.官僚的作法での論争外的手段が心配です

 いつも「『同和はこわい考』通信」をお送りいただきありがとうございます。全国各地からの反響がよくわかり、興味深く拝見しております。
 私どもの機関紙の書評欄で貴書が紹介されていましたのでお送りします。
 私は大阪で部落解放運動にいろいろかかわってきた経験を通じて、先生のお考えにまったくの同感を覚えております。大阪の教組運動の中にも私のようなものがおり、志を同じくする者も多いことをお伝えしたいと思って、一筆したためた次第です。
 小森・土方論争では、どうも小森さんに分が悪い、と思いますが、官僚的作法での論争外的手段が出て来はせぬかと心配しています。大いに論争はやるべしと思っています。運動と組織の内部に血が通わなくなれば壊死することは必至ですから。(大阪・Iさん)

コメント.
 大阪市教職員組合の組合員の方からいただいたお便りです。Iさんのご心配なさった「官僚的作法での論争外的手段」がどういうことを指すのかよくわかりませんが、あの「見解」が発表されて以後、わたしのことを案じてくださるお便りがあり、恐縮しております。ただ、それらのご心配が、これまで部落解放運動や部落解放同盟に対して抱いてこられたイメージにもとづいているように感じられ、ちょっと複雑な気持になるのも事実です。しかし対話は確実に進んでいます。対話を押し止どめることは、不可能なのではないでしょうか。

200字 書評 (125)
藤田敬一 著 同和はこわい考
(阿吽社 800円)
いま大切な「共同の営み」
 「同和はこわい」の意識の原因と責任を部落の側に求め、これを梃子に運動と組織を孤立させようとする国家主義的融和政策が進められようとするいま、これを打破し逆包囲するためには差別・被差別関係の総体を止揚する部落と部落外の共同の営みが必要である、と著者は説く。そのためには差別判断の資格と基準を部落の側に置いてきた二つのテーゼの検証が不可欠だとし、体験や往復書簡をまじえての論を展開する。ぜひ一読してほしい一冊。(Q)

その3.「気をゆるめたら、あかん」ということを考えました
大 沢 敏 郎
…長い間、きびしいところでやりつづけておられるということ、まだまだ、ぼくなどはダメだなあと、思います。気をゆるめたら、あかん、ということを考えながら読ませていただきました。(机の横においていますので、今も、時々、読んで勉強しています)。寿の識字のなかで、どれだけ、じぶんをきたえることができるのかどうかということが、ずっと課題でありつづけています。…

コメント.
 大沢さんは横浜の寿(ことぶき)識字学校で活動しておられる方です。お手紙と一緒に、『横浜・寿識字学校だより<ちからにする>』第12集、第13集、『教育は絶望か希望か』(白順社)を送っていただきました。寿識字学校のことは前から気になっていましたので、この機会にと思い立ち、パウロ・フレイレ『自由のための文化行動』(亜紀書房)に収載されている大沢さんの文章「横浜・寿識字学校からの報告」ともども、年末から正月にかけて読みました。いろいろ教えられるところがありましたが、「学校だより」の表題にもなっている<ちからにする>という詩が実にいいのです。
生きるちからにする/働くちからにする/考えるちからにする/自分以外の人のことを思うちからにする/勉強するちからにする/はねかえしていくちからにする/識字をやるちからにする/明日からの自分のちからにする (<ちからにする>第2号より)
部落解放運動における識字運動について考える上で参考になることが多いように思いました。なお大沢敏郎さんの連絡先は〒238 横須賀市不入斗町です。

《 紹介 》

その1.「解放新聞」広島県連版.1988.1.20.
主張「『朝日』の高木が何故、地対協委員なのか」
 人間というものは、個人の性格というものが、そのよって立つ社会的状況をきめる。/どちらの陣営に属するかということも、応々にして、その性格が分水嶺となるものだ。/もともと、『朝日』の高木正幸なる人物は、…抜けがけの功名をねらって、記事を書きつづけた。しばしば勇み足のようなものもあった。東京『朝日』に部落問題を担当する適当な記者が少ないことも起因して、高木がその方面に顔をのぞかせることになった。…たまたま、部落解放運動の前進と、それに対応する抵抗の強まる時期に遭遇した。/政府総務庁とそれをとりまく一部政治家らが、急速に差別性を表面化させる時期でもあった。/高木は、これらの勢力と組むことによって、自己の存在価値を売り込もうとするようになった。/北九州市の「土地ころがし問題」という、あの執拗な差別記事の背後には、高木正幸なる人物がいたというわけで、日本における部落解放運動への反発を出すことによって、一矢報いようとしたわけである。/地対協路線の反動的差別性推進の役割を買って出たことも周知のとおりである。/いま東京『朝日』は、政府・地対協の機関紙のごとき観を呈している。…/問題は、前地対協室長、熊代昭彦が、今度の地対協委員の中に高木正幸を加えたということである。/反動にとって、どうしても大事な人物という評価になっているのである。そして、『朝日』をいつまでも地対協の機関紙に位置づけておこうという魂胆であろう。/すでに『朝日』の良識あるものから、高木に対する批判は高まっている。高木の地対協委員は、彼のいびつな性格が反動派によって認められたもので、日本の歴史の「あだ花」のようなものである。/ところで岐阜大の藤田敬一氏の『同和はこわい考』、さきに法務省人権擁護局の井口総務課長が、これを褒めたということである。そして、一月六日の『朝日』には、高木が大きな紙面をさいて、それをおだてた記事を書いている。藤田氏もこのへんで目がさめなければなるまい。

同上 コラム「解放の灯」
 組織内に呼びかけたい。岐阜大の藤田敬一氏が『同和はこわい考』を書いた。地対協が「同和はこわい」という論調をもって、部落解放運動への組織攻撃をかけてきたときである。藤田氏の言い分は、この地対協の論理に多少の味の素をふっている。▼それは、「こわい」という意識があるから、反省せよというものである。さらに、「踏まれたものの痛み」という、これまでの糾弾の論理を、「両側から超える」という金時鐘さんの言葉を引用して、批判しようとするものである。▼どういうことか、わが組織内に、これまでの人間関係がそうさせているのではと思うが、わずかながら、同調するものがいる。「両側から超える」というのを短絡させて、差別と被差別のそれぞれの任務とか立場を忘れて、言いたい放題のことを言い出した。▼やれ、糾弾は「こわい」とか、やれ、糾弾は「えせ同和」を生み出すとか、「両側から超える」ためには、これを忠告として聞けというのである。法務省人権擁護局の井口総務課長は、部落解放同盟周辺にも、われわれと同じことを言うものがいるではないかとうそぶいた。▼ところで、『赤旗』同然の差別キャンペーンを『朝日』紙上で展開している高木正幸記者は、一月六日付の東京版に、「論議呼ぶ『同和はこわい考』、被差別側に対して率直な批判、解放同盟内部に反発や戸惑い」と、またまた攪乱戦術に出てきた。組織内の『同和はこわい考』支持者は考えねばなるまい。▼ついに、悪名高き高木正幸にほめられる藤田敬一氏の論理、果たして、同志としての批判と言えるのかということだ。敵の攻撃が厳しい時には、必ずこのような「えせ理論」が出てくる。六十数年の水平社以来の闘いが教えている。藤田氏の周辺にも、彼はあやまっているというものが出はじめたという。闘いに平坦な道はない。

コメント.
高木正幸記者による『朝日』1/6 記事(後掲)は、大阪本社版以外の各版に掲載されたということです。

その2.兵庫県労働運動交流会『交流』NO.286号.1987.12.
筑波次郎「書評『同和はこわい考』」
 夏休みの在日韓国人高校生シンポジウムでこの本の存在を教えてもらい、その後「朝日ジャーナル」で書評を見、ぜひ読みたいと思った。読んでみて、やはり予想通りだった。
 解放同盟京都府連専従の前川む一氏と岐阜大教員藤田敬一氏の往復書簡を中心に成り立っている。(引用略)
 本音と建て前とは、同和教育が語られる時いつも言われる事だが、ここに来て、とうとうと言うか、やっとと言うか、本音が出だしたと思う。
 先日明石で開かれた兵同教大会で、かつて活動家と言われていたN氏が、相も変わらぬ尊大な態度で言っていた。「部落民も賢くならなければならないので補習をやっている。若い人々にもどんどんやって貰っているので、今迄で一番厳しい主任だと言われている。」賢くなる事には誰も異議は無い。しかし今の教育条件を放置して補習をどんどんやれと言うのなら、管理職の言い方とどこが違うのか。この同じ人物が、かつて部落奨学生集会で、「おまえはハクか」と聞き回って“語り”を煽動し、人が転勤するというと、県教委かどこかから情報を入手して、「お前は逃げるのか」と脅迫したのだ。…こういう人物が大きな顔をして出てくる限り、兵同教も同和教育そのものも決して信用されないだろう、官費出張でいかに多くの人間を集めようとも。…

《 あとがき 》
*今年の年賀状には、中央本部「見解」に対する感想を一筆書き添えてくださった方が多く、中には「悲しい」「寂しい」というものもありました。わたしがいま考えていることの一端を『朝日ジャーナル』2月4日(木)発売号に寄稿しましたので、読んでいただければありがたく存じます*『こわい考』4刷が1月25日に出ました。これで計2万部ということになります。多くの人に読んでもらえるのは、やはり嬉しいものです*『同和はこわい考』通信・郵政版が創刊され(連絡先は〒510 四日市市沖ノ島4-9 四日市郵便局気付、第一集配課・桜井裕之さん)、また『同和はこわい考通信』海賊版第二号が発行されました(連絡先は〒510 四日市市赤堀 山城弘敬さん)。お読みになりたい方は直接連絡されたし*前号、大阪・Yさんの文章が評判になっています。「Yさんのご意見に共鳴しています。現在心ある同盟員がもっている気持の代弁に他なりません。腐敗と堕落こそ、いま組織の緊急な課題だと思っています。微力ですが、そのために頑張っています」(京都・Nさん)といったふうに*『通信』専用の封筒を作りました。おおげさな感じがしないでもありませんが、まあいいということにしておきます*本『通信』は無料、複製は大歓迎です*連絡は〒501-11 岐阜市西改田字川向 藤田敬一まで。

※≪再録≫『朝日新聞』(1988年1月6日) 論議呼ぶ「同和はこわい考」被差別者に対して率直な批判/解放同盟内部に反発や戸惑い(高木正幸 編集委員)(この部分管理人が追加)

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