|
||||
《 詩 》
太陽は いま熟れている
|
||||
前 川 む 一(京都・部落解放同盟京都府連)
|
||||
《 論稿 》
障害者とは何か───住田・灘本「往復書簡」に寄せて───
|
||||
東 谷 修 一(兵庫・大阪ガス)
|
||||
1.
住田さんと灘本さんの往復書簡を読んで、私は深く考えさせられた。自分を部落民と認識し、彼は部落民と公認されることによって生じたいびつな人間関係からくる内面的弱さや劣等感などの問題をどう克服するかについて、住田さんと灘本さんが、それぞれの方法で試み、苦慮してきたことが読みとれる。
一方、障害者問題はどうであろうか。障害者は、住田さんと灘本さんの問題提起と無関係といえるだろうか。そこで、障害者とは何かについて、私なりに考えてみたいと思う。 まずはじめに、障害者と健常者と言えば、言葉上明確に区切られているように思える。だが、実際はどうなのか。障害者とは、素直に解釈すれば、障害を持っている者の意であろう。だが、その意味では健常者の中にも障害者はいる。例えば、私の友人が交通事故で片目を失明した。そこで、彼は障害者手帳をもらいに役所に行った。ところが役所は彼のもう一方の目が1.2だったため、彼を障害者と認めず、障害者手帳を交付しなかったという。確かに、身体障害者福祉法によると、視角障害者の一番の軽度である6級でさえ一眼の視力が0.02以下で、他眼の視力が0.6以下で、両眼の視力が0.2を超えるものという施行規則がある。また片耳が聞こえなくても、他方の耳が健聴であれば、その人は障害者手帳をもらえない。このように障害を持っている健常者はたくさんいるのではないだろうか。もちろん皆さんの中には片目を失明した者や片耳が聞こえない者を障害者と認めない福祉法の基準が厳しいすぎるのではないかという人もいるだろう。私もその通りだと思う。だが、そのような私たちでも、近眼者や歯抜けを障害者という人はまずいない。それでも身体的欠損や機能的障害を持っているといわれると、確かに彼らも障害者だといえそうだ。障害をどんどん広義に解釈していけば、人間誰しも欠点・欠陥や短所がある。だから人間誰もが障害者だといわれると、確かにその通りだといえそうである。 また障害は障害者にとって部分である。どのような障害を持とうとも。障害の部分以外は健常で、多くの細胞は生き、連関している。人は誰もが障害と健常をかね備えているといったら過言であろうか。とすれば障害を持っているかどうかで障害者と健常者の区別ができないことになる。どうやら、私たちが障害者問題というときの障害者とは、身体的欠損や機能的障害を持っている者すべてを指す言葉ではないようである。 では私たちのいう障害者とは何者だろうか。1975年国連第30回総会決議<障害者の権利宣言>によれば、「先天的か否かにかかわらず、身体的または精神的能力の不全のために、通常の個人または社会生活に必要なことを確保することが自分自身では完全にまたは部分的にできない人」と、障害者を定義している。この定義によれば、身体的または精神的能力の不全という障害でもって障害者というのではなく、その障害が理由で日常生活に支障をきたす者ということであろう。確かに日常生活の困難さがあるかどうかで、障害者と健常者とを明確に区別できるように思われる。しかし例えば日常生活の内実は各民族の文化の違いによってさまざまで、異なっている。おおざっぱにいえば、ヨーロッパでは椅子を使って生活しているため足を90度まげて座るだけでかまわないのに、日本では畳や座布団の上に足を180度おりたたんですわらなければいけない。だからヨーロッパでは足を180度まげられない人たちでも、足を90度まげらることができれば、日常生活に支障きたさないので、障害者とは呼べない。だが日本では彼らも障害者である。だからといって今日、障害者と呼ばれている人々すべてにとって日本文化よりヨーロッパ文化のほうが暮らしやすいとはかぎらない。立つことはできないが、はったりすわったりできる障害者にとって、ベットや椅子などの段差のある生活は自分自身の力では難しいように思われる。その点、室内だけでは畳式の日本家屋のほうが生活しやすいのではないか。つまり、各民族の文化の違いによって日常生活の困難さの内実は異なり、ある障害と日常生活上の困難さも異なってくる。 また個人レベルでも、生活環境や生き方などによって一つの障害が大したことであったりなかったりする。前に述べたように、片目を失明した私の友人は法律上、日常生活の困難さはないとみなされた。だが私は、片目の場合、両眼で見るよりずうっと疲れがひどく、遠近感もとりにくいという話を聞いたことがある。それならば、目をたくさん使い、遠近感をとる必要がある仕事をするなら、彼は障害者ではなかろうか。それとは逆に片目であることで困らない条件で仕事ができれば、彼を障害者と呼べないということになるのかもしれない。 また障害による日常生活の困難さというけれど、その度合いは、その時々の精神状態や体調によっても変化する。私が勤めている会社の食堂はセルフサービスシステムで、自分の食べたいものを高い段からとってお盆にのせていく。その高さがおよそ10㎝ぐらい。脳性麻痺の私は、少しの段差であれば平気なのだが、段差が高くなると、味噌汁など水物をお椀に9分目ぐらいまで入れられると、こぼれやしないかと心配する。体調が悪く、しんどいとき、手が震えこぼすことが多い。だが体調がよく精神状態が穏やかなときは、めったに手が震えださない。つまり、障害を理由とする日常生活の困難さの内実は障害だけでなく、いろんな要素が複雑にからまっているのである。 すなわち、障害が日常生活での困難さを生んでいるかどうかは、日々変化するさまざまな条件の中でころころと変わるという、流動的で相対的なものであるように思われる。ある障害が一定の条件では日常生活に支障をきたしても、別の条件ではその障害は大したことがないかもしれないのである。そんなふうに考えるていくと、実際には障害者と健常者の区別は相対的で曖昧であるということになる。例えば、近眼者と弱視者は視力の数字で明確に区別されているが、日常生活の困難とその度合いが生活環境や考え方などの条件で変わっていくなら、明確な数字は実態に合わない、かなりいいかげんなものではないか。
2.
そうだとすれば、障害者と健常者の区別にとれほどの意味があるのかということになる。その区別の固定化は幻想であり、私たちが障害者と呼ぶ人々とは、障害者とみなされた人々ではないのか。もちろん障害が主な原因で起こる困難さが現実にあり、その大変さを否定しない。それが障害者と呼ばれる人々の実態だといわれると、確かにその通りかもしれない。だか、それとは別に社会の中で人々を障害者と健常者とに区別してみなすことが何を意味し、どのような影響を与えるのだろうか。そこには次のような問題がはらまれているように、私には思われる。
そのうちの一つは、健常者の中に障害者問題など何もないと考える人が多くいるだろうが、本当にそうかという問題である。例えば、障害者差別問題はどうであろうか。私が以前勤めていた会社で、眼鏡をかけた若い事務員がベテランの社員に向かって偉そうな口のききかたをしたとして、ベテラン社員がその事務員を「眼鏡猿め」と吐き捨てるようにいったことがある。これも障害者差別である。近眼者が眼鏡によって近眼が原因の困難さからまぬがれているからといって、近眼者を健常者とみなし、障害者差別とは無関係だといえるだろうか。どうやら私たちは、障害者と健常者という社会の中での明確な区別化が、障害者とみなされない人々にとっては障害者差別は何もないとして、その人々の障害者問題を考えようとはしてこなかったのではないか。 もう一つは、日常生活の困難さは、障害者だけでなく、健常者にもあるということだ。しかも、障害者といっても、日常生活の困難さは多様で、その度合いも種々である。健常者も、日常生活の困難さは多様で、その度合いも種々である。だから障害者とて健常者との日常生活の困難さを比較対照するのは、それほど簡単ではない。ところが実際には、障害者の日常生活上の困難さは、健常者のそれより著しく多いとみなされる、観念としての障害者像があり、あるいは健常者は障害者より日常生活上の困難さはないとみなされる、観念としての健常者像がある。それが障害者と健常者との関係を呪縛している。 例えば、私は大学時代、杖をついていたころがあった。ある日、私はバスの中でシルバーシート(老人、障害者の優先席)にすわっていた。そのバスにお婆さんがよたよたしながら乗ってきた。私は席を譲ろうかどうか迷ったが、結局譲らなかった。すると、突然大きな声で「あんた、立ちなさいよ。ここは優先席でしょ!」と隣の席にいた女性が私にどなった。私はびっくりしたが、席を譲る気もあったので、杖をとって立ち上がった。その女性は私の杖をみたとたん、急に顔が青ざめ、困惑していた。私がお婆さんに席を譲った後、女性はなんども「どうもすみません」と謝った。私は彼女を責める気は毛頭ない。だが、なぜ彼女はあれほど怒りをあらわにしたのだろうかと思う。その原因の一つには、優先席では若く元気な人は老人や障害者に絶対席を譲らなければいけないという呪縛が彼女にあったからではないだろうか。その呪縛の背後には、障害者や老人は電車がバスの中で立っていることがとてもしんどくて、若く元気な人は楽だから、席を譲らねばいけないという彼女の障害者観や健常者観があったのかもしれない。だけど本当に電車やバスの中で障害者は立っていることがとても辛いが、健常者は障害者ほどのしんどさはないといえるだろうか。 ところで障害者と呼ばれる私は、電車やバスの中で席を譲られることが時々ある。体がしんどいときは大いに助かるし、ありがたいと思う。だが、私が元気なときに、私よりしんどそうにしている人から席を譲られたときには、さすがにどちらがしんどいのだろうかと、考え込んでしまった。よくよく考えてみると、いくら元気な人でも事情があって、しんどいときもある。健常者といっても多様である。それに外見上は健常者にみえても電車やバスの中で立っていることがとても辛い心臓病などの内部障害者もいる。また、障害者のしんどさの度合いも体の事情などによって変化するから、立っていても苦にならないときがある。障害者も多様なのである。いくら見かけが辛そうにみえても障害によっては案外立っていても平気な障害者がいたり、電車やバスの中で立つことで体を鍛えている障害者がいたり、障害者によっては立っているほうが都合がいい人もいる。 かつて私の知人が「電車やバスの一部だけでなく、すべての座席を優先座席にすべきだ」と主張したことがあった。だが、そんなことをすれば、立っているほうが都合のよい障害者や、体を鍛えるために立っている障害者は、座席にすわるよう強要されかねない。また体のしんどい健常者は席が空いていても優先座席だからすわりにくく、がまんして立ち続けざるをえない。しかも、障害者は座席を譲ってもらって当たり前だと、観念としての障害者像にますます寄りかかり、あぐらをかくのではないか。私は自分の体がしんどいとき、優先座席の前に立っていて、なぜ誰も席を立とうとしないのかという気持がふいに浮かび上がったとたん、自分の障害を誇張した演技をしている自分に気づき、はっとして恥じたことがあった。 話は横にそれたが、障害者も健常者も、しんどさの度合いは個人と場合によって異なり、多様で流動的で複雑である。だが、電車やバスの中に優先座席をおくと、人々はそれぞれの状態をありのままにみるのではなく、障害者は健常者よりしんどいという、観念としての障害者像や、健常者は障害者より楽だという、観念としての健常者像を先に浮かべて、それらの像を何も疑わずに、その場に居合わせた人々にはめ込んでしまうのではないか。そのことが障害者には席を譲るべきだという硬直化や、譲らねばならないという呪縛を生むのではないか。そのような硬直化と呪縛が、その場に居合わせた人々に、実態に合わない行動を強いることにつながっているのではないだろうか。 どうやら私たちは障害者が健常者より日常生活が困難という固定観念を振り回している間に、それぞれをありのままにみつめ、互いの心魂を語り合う人と人との関係を創っていくことを失念してきたのかもしれない。もちろん観念としての障害者像、健常者像にしても、それぞれの人がいろんな体験や情報によってさまざまなイメージが複雑に重なり合っているので、それぞれに違っていることはいうまでない。
3.
ところで、人は自分自身が描く人間像を心の中に持っている。その人間像から、はみ出したり、異なっている人と初めて出会うとき、大概の人は違和感を抱き、その人をどう理解したらいいのか、どうかかわっていいのかわからないという不安な思いもする。その不安を解消する方法としてはとりあえず二つある。一つは、なぜ自分の人間像とは異なる人間がいるのかとみつめ、その不安の要因になっている自らの人間像を問い、人間とは何かを深く追求するしていき、人と人との関係を新たに創っていくやり方である。もう一つは、自らの人間像を問わず、異なった人々を特殊な者として排除していくやり方である。前者は自らの拠り所を問う辛い作業であり、時間がかかる。その点、後者の方は特殊なものという型にはめ、排除するだけでいいのだから時間もかからず、容易で簡便である。人の心性としては後者の方に走りやすいのかもしれない。例えば、私たちが自らの人間像とは異なる人に出会ったとき、あの人は障害者だよといわれると、なんとなく納得して安心するのではないだろうか。というのも、障害者とは、自分たちが描く人間になる可能性があったが、事故や病気などでその可能性を奪われ、日常生活では健常者よりとてもひどい困難に陥っているかわいそうな存在という、観念としての障害者像があらかじめあるので、それを当てはめてかかわっていけるから。しかも、その方が自らの人間像を問わず、人間とは何かという根本的なことは考えずにすむ分だけ、効率よく楽である。
だが人々は自分たちの人間像を絶対化して自らの人間像とは異なる人を、人に成る可能性を奪われた落伍者としてみなし、それを障害者と呼ぶことで本当に自らの中に生じた不安を解消できるだろうか。それは、表面的で一時的な解消でしかなく、異なる人は自らの人間像を脅かす存在として潜在的不安は残ると、私には思われる。また、それぞれの人の描く人間像よりも実際には多様で複雑な人間を、障害者、健常者という鋳型にはめこんでつくる関係は、前述したようにケースや実態に合わないゆがんだ、硬直したものに出来上がるのではないか。 それにしても人々は、なぜ障害者と健常者を区別して、障害者像・健常者像を描くのだろう。確かに、商品生産能力があるかどうかで人間を判断することを前提とする今日の社会のあり方が、人々の中から商品生産能力が劣っているものとして障害者を区別して否定的な障害者像を生み出した要因の一つであろう。だが、それは時代的なものといわざるをえない。時代によっては障害者が神格視されたこともあったという。では、もっと奥深い原因がほかにあるのだろうか。今のところ、私にはよくわからない。ただ私が気になるのは、自らの人間像とは異なる人と出会ったとき、自らの人間像を問わず、異なる人を特殊な者とみなし、特殊なかかわりかたをすることである。障害者と健常者の場合も、障害を理由とした困難さがあるかないかというそれぞれの特殊性をクローズアップした一面的認識でかかわりあってしまっているのではないか。だが本来、人と人との関係は、それぞれの特殊性にこだわった関係よりももっと多様で流動的で豊かであるはずだ。特殊性にのみこだわった関係は、人と人との関係を矮小化しているのではないか。それに私たちが自らの人間像を問わず、自分たち自身を、観念としての障害者像や健常者像にはめこむという、一面的なかかわりですましてしまっていると、自分がどう生き、他者とどうかかわるかということを自分なりに考え、工夫するといった主体性をなくしてしまうことにもなりかねないのである。 おそらく、多くの人は時間をかけ、それなりに苦労をしながら、人と人とがわかりあえる関係を築き上げようとしているはずである。だが現在の障害者と健常者の関係の大きな矛盾は、じっくりと時間をかけて、わかりあえる関係を築こうとするのではなく、おきまりの障害者像、健常者像をあてはめることからはじめてしまうところに生じている。そうだとすれば、障害者とは何かを問うことは、人々を障害者と健常者とに区別して、それぞれの障害者像、健常者像を思い浮かべることではなく、自らの人間像を問い、改めて人と人との関係を考え直し、じっくりと新たな関係を創っていくことではないのか。その方が長い目でみたとき大切だろう。 今まで述べてきたことは、障害者と健常者との関係だけの問題ではないと思う。家庭における親と子、学校における教師と生徒、病院における医者と患者、商店における店員と客など、それぞれの生活の場で検討されていいのではなかろうか。
《 論稿 》
構造の恣意性
|
||||
柴 谷 篤 弘(京都・京都精華大学)
|
||||
梅沢利彦さんが、私たちの未熟な構造主義からする反差別の理論に徹底的につきあってくださるのを有がたく思っています。『こわい考』通信53号に出た梅沢さんの「気がつけば構造主義」も、問題を一層明確にするのに役立ったと思います。問題は、「構造」に重きを置くか、その「構造」から現象にむかう「経路」に重きを置くか、にある、ということになったようです。それでいいのかもしれません。しかし『構造主義生物学とは何か』(1988)で定立された池田理論によれば、「構造」は基底の物質法則からはじまり、人間の脳のなかの構造にいたるまで何段階にもわたる「構造列」を考え、その諸構造にすべて恣意性がつきまとうと考えるわけです。現象はこれらの構造列の成分である諸構造のそれぞれが生成するものです。諸構造はすべて恣意性を帯びますから、生成する現象はとうてい基底の構造に還元できません。これらの恣意的な構造列を、梅沢さんは「経路」と考えておられるようにも見えます。恣意的だ、というのは、他の可能性もあったが実現しなかった。なぜ実現しなかったかに、特定の根拠があるわけではない、ということです。ある歴史的、風土的、文化的条件が与えられても、脳内の基本的な構造から現象にいたるまでには多くの構造列にふくまれる諸構造の布置が、恣意的にきまるわけですから、最終的に現象がただひとつきまるわけではないと思われます。与えられた外的条件でも、いろいろの現象が生成するでしょう。それを構造から説明できても、それにつきそう恣意の項は、構造によって説明されません。梅沢さんの言う「パラメーター」は現象を制約するにしても、一義的にこれを規定しているわけではないでしょう。規定に関与するのは多くの人々の社会的な相互作用で、それは互いに影響されつつなお「自由」をもつ個人の動きにもとづくものだ、と私は考えています。それで私はあまり「経路」に深入りするのは、生産的ではないだろう、とこれまで考えてきたわけです。過去の歴史から現在が一義的に導きえない理由はここにあります。私はむしろ、現在から出発して恣意的に未来をきめる可能性は私たちの手のなかにある、と考え、その線にそう運動論を望見するわけです。
《 各地からの便り 》
その1.
「通信」を通して、いろんな方々の「思い」を知ることができ、自分自身に問いかけるきっかけになっています。とくに住田・灘本両氏の「往復書簡」は、はらはらすると共に、藤田先生が書いておられたように、お二人も交えた「酒を飲みながら」語り合う場が設定できたら運動の前進につながるのではないかと思いました。せっかくのお二人の力量を立場のいきちがい論に終わらせたくない、むしろお二人の問題提起が藤田先生の『こわい考』にある「両側から超える」方向へ進んで、差別の実態を直視し、真の解放への道筋を切り拓くバネとして運動諸団体をはじめ、教育界や行政にも影響が及ぶことを念願致します。…… (岐阜・R.Yさん)
コメント.
R.Yさんが「往復書簡」にはらはらしておられるというのを知って、少し驚きました。住田さんと灘本さんが、この「往復書簡」で感情的ないきちがいを起こしているということはありません。一月、京都で開いた一泊二日の全国交流会事務局会議では、お二人をふくめみんなでワイワイ議論し、会議の後で一杯やりながら談笑したりしてますので、ご安心ください。どうでもいいことですが、念のため。
その2.
住田さんが書簡の中で紹介している現場教員の具体的な事例を興味を持って読ませていただきました。…京都での七〇周年記念、寺本さん、平野さん、大賀さんによるシンポジュウムは結論的には「水平社宣言に帰れ」ですが、具体的内容に乏しかったように思います。それより相変わらず行政・教育の人々がかり出されているのが残念です。 (京都・S.Nさん)
コメント.
「水平社宣言に帰れ」といっている段には、誰も反対しない。しかし、なぜ水平社宣言に帰らなければならんのか、水平社宣言の思想のどの部分に帰るのか、どのようにして帰るのか、帰るというのは現在の運動をどうすることなのかを語らなければ意味はないですね。ところでS.Nさんが記念シンポジュウムに「人々がかり出されている」とおっしゃるには、それなりの根拠があるのでしょう。
そういえば、わたしが招かれた二月の部落解放研究京都市集会第一分科会(午後1時~4時半)でも参加券人数約600人、映画終了後約300人、第一講演終了後約150人、最終130人というありさま。参加券を出して出席した人と、「代わりに出しといて」と他の人に頼んだ人あわせて600人が最後には130人になっていたのですから、歩留まり2割強ということになります。主催者に「かり出す」意図がなくても、「かり出された」と感じている人がおおぜいいたことを、この数字は物語っていますが、見方を変えれば130人もの方が残ってくださったということです。ここから出発するしかない。問題は、主催者にその気構えがあるかどうかです。
その3.
連載されている「往復書簡」は、まだ私の中で問題意識として熟していない内容です。それはおそらく身近な部落の友人や交流会で知り合った人びとを通して部落民を考えているという、私のいいかげんな、あるいは幸せな経験からきていると思われます。…… (三重・N.Sさん)
コメント.
誰しも人との不幸な出会いをいつまでも覚えているのはシンドイ話です。わたしだって『こわい考』に書いたような体験は一日も早く忘れたいと思わないでもない。「暗過ぎるんじゃないかな」「なんと暗いひとなんだろう」と、江嶋修作さんにおちょくられて(『こぺる』No.118,1987年10月号,12頁)、気分がいいわけがない。けれども、それが差別・被差別という、人と人との関係に深くかかわっている以上、避けて通るわけにはまいらぬのです。住田・灘本「往復書簡」は、前川さんとわたしのあの未完の「往復書簡」につながっています。そこでN.Sさんには「幸せはまどろみであり、不幸はめざめである」という島崎敏樹さんの例の言葉(『生きるとは何か』岩波新書)をあらためて贈らせてもらいます。
その4.
はじめ50号で「被差別部落民とはなにか」と提示された時は、「堅苦しい問題で議論するのだなあ」と思っていましたが、号が進むにつれ、次第に関心が高まってき、正しい部落認識を身につけるための考えなくてはならない問題を、自らに問うという道すじになっていることに気づきました。
前号の藤田さんの文章も面白く読ませていただくとともに、共感する部分(「立場・資格に寄りかかって議論することには抑制的であれ…」)もありました。… (兵庫・F.Nさん)
コメント.
二年ほど前でしたか、ある中学校でPTAのお母さん方に話をさせてもらったことがあるのですが、わたしの後で挨拶に立った校長先生が「同和地区の方々はみなさん立派な人ばかりです」と話したのにはびっくりしました。啓発・教育の場における正しい被差別部落(民)像とは、校長先生のこの言葉に端的に示されているようなものではないでしょうか。F.Nさんのおっしゃる「正しい部落認識」とは、もちろんそんな啓蒙主義的なものではなく、部落差別克服の課題をみすえながら、情緒や感傷に流されず、被差別の陰の部分にも充分な目配りをした認識という意味でしょう。「往復書簡」が、これまで正当かつ正統とされてきた被差別部落(民)イメージに変更をせまるものになっていることは明らかで、しかもそれを自らに問うという形でなされているのは画期的だと、わたしも受けとめています。
《 紹介 》
☆井上 清・師岡佑行・藤田敬一
「過去と対話する感性(上)──『京都の部落史 2 近現代』をよんで」 (『こぺる』No.172,1992年4月号)
《 あとがき 》
★いよいよ新学期。わたしのような者でも、結構忙しくなるんです。で、今月は早めに出します。「隔月発行で結構」などといった注文は無視。もちろん、あの人への郵送はヤンペにしました
★前川さんが『通信』に作者として登場するのは発行以来はじめてのこと。これからはどんどん書いてもらいます ★「各地からの便り」を復活させました。お便りを待っていますので、よろしく ★印刷が前号からキレイになったことにお気づきですか。太平天国社が大枚をはたき、いくらか借金して買い入れた中古印刷機で刷ってます。中味第一、印刷第二との意見も聞きますが、やっぱりキレイなのはよろしいなあ ★3月12日から4月6日まで、愛知(2)、東京、兵庫、京都、埼玉、島根、千葉の8人の方から計30,456円の切手、カンパをいただきました。ほんとにありがとうございます ★本『通信』の連絡先は〒501-11 岐阜市西改田字川向 藤田敬一です。(複製歓迎) |