同和はこわい考通信 No.51 1991.10.10. 発行者・藤田敬一

《 往復書簡───被差別部落民とはなにか② 》
灘 本 昌 久 様
住 田 一 郎
 今回頂いた手紙でも、あなたは『ちびくろサンボ』問題を論議する上で、対話主体が被差別部落出身者であるかいなかは基本的には無関係だと強調されています。しかし、手紙であなたが、不毛な論議・中傷を避けるとの理由から「灘本=部落民」を以下のように展開していることに、正直わたしは戸惑いを感じています。それはしばらく置くとして、ここであなたは部落出身者であると受け取られることをすでに「計算済み」といい、一般に流布された被差別部落民のイメージと違った被差別部落民=灘本の存在に意味を持たせたり、『同和はこわい考』の、部落出身者でない藤田敬一氏の例をあげて「被差別の立場」からの発言に注意を促しています。わたしはここでの展開から「灘本=部落民」があなたにとって決して副次的なものではない事実を知らされました。
 今回の往復書簡の核心は、手紙であなたが指摘された「部落民性を内面でもっていない部落民」をお互いにどのように理解するかにかかっているとわたしは考えるのですが、いかがでしょうか。この指摘に対する私なりの理解は「血筋はまぎれもなく穢多の末裔に違いないのだが、生まれたときから部落民として被差別部落で育ったのではなく、それ故被差別部落に生まれ生活を共有する中で身につく被差別部落民としての共同体意識を持たない部落民」となるのですが、いかがでしょうか。あなたの中では「部落民性を内面でもっていない」部落民が、出身者以外の不特定多数に向けて「部落民」をあえて名乗ることにどのような意味を置いておられるのか。外部に対する対応面ではあなたの記述からも理解可能ですので、ここではあなた自身の内面でどのように整理されているのかを問いたいと思います。私自身は私の理解から「部落民性を内面でもたない部落民=灘本」と言い切るあなたとの間にますます部落民としての距離を感じるのです。あなたの言葉で言い換えるなら「部落民性をもつ部落民」と「部落民性をもたない部落民」とをまったく同じように論じることができるのか、という事になります。次に述べる事実においても、この「部落民性」云々はキーワードに違いありません。
 手紙であなたは、「あなたがイメージしている被差別者」と違う被差別者灘本について語っていますが、私には「あなたがイメージした」被差別部落民と、すぐ後で「部落民性を内面でもっていない」と言い切る被差別部落民のあなたとは決して同じレベルで論ずることはできないと考えるのです。というのは、人々がイメージする部落民はまぎれもなく「部落民性を内面でもっている部落民」に違いなく、そのように理解する彼らに「部落民性を内面でもっていない部落民」であるあなたの存在を、同じ「部落民」として対置することの意味は決して小さくはないでしょう。彼らの中には「あのように考える部落民もいる。部落も捨てたものではない」という具合に受けとめる人もいるでしょう。しかし同時に私は考えるのですが、彼らにとっては、「部落民性を内面でもっていない部落民」であり、「部落民」として意識的に生きることに価値を見いだしていないあなたは血筋が部落民だけで、現実にはもはや「部落民」と言えないのではないか。さらに、もしあなたを通して「部落民のイメージを彼らが作るとすれば、それは圧倒的多数の「部落民性を内面でもっている」被差別部落民を理解したことにはならないだろうと私は思うのです。やはりあなたは「部落民性をもつ部落民」と「もたない部落民」とは一体どのような相関関係にあるかについての論理を展開すべきではないでしょうか。同時に、私にはもともとまったく部落民としての立場・生き方を異にするあなたであるなら、ここでは部落問題の一研究者としての立場から意見を述べるだけで十分であると思えるのです。「こんなことを言えるのはあの人が部落民だから」と善意の人々に「立場の絶対化」を勘繰らせるよりは研究者灘本のほうがあなたの真意を読者に理解してもらうにも相応しいように思うのです。この点については後で触れます。
 次いで、あなたには「被差別の立場」であるかいなかで、これまでも「こだわり派」は無意味な中傷を繰り返し、不毛な論議に終わっていたことから、それなら自ら「被差別の立場」を名乗り、まずは「論議の土俵」に「こだわり派」およびシンパの人々にもあがってもらおうとの積極的な意味もあったのでしょうか。たしかにあなたが心配されることは私にもわかるのですが、そのような「こだわり派」の「立場の絶対化」を前面にたてた意図的な戦術にあなたは「部落民」として応じたのですが、私にはその応じ方に両義性をつよく感じるのです。もちろん、私の意見は否定面に比重がかかったものです。ましてやあなたの「部落民=灘本」の内実は、部落民性を内面でもっていない」被差別部落民のあなたなのですから尚更だと考えるのです。さらに『同和はこわい考』云々についてですが、私はあなたのようには捉えません。私は『同和はこわい考』刊行の意義を、部落出身者でないにもかかわらず、長年部落解放運動に深く関わってこられた藤田敬一氏が書いた「部落解放運動への警鐘」であるその内容そのものに見いだしています。もちろん、あなたが言われるように藤田氏への中傷はあとを絶ちません。それでも「こだわり派」からの対応は悪意に満ちた歪曲以外まともな批判は皆無だったのではないでしょうか。この種の論議には「中傷」はつきものですが、無視するに限ります。
 そこで私へのあなたの質問なのですが、正直戸惑っています。私は竹田氏の朝鮮人宣言には全く違和感を感じませんでした。何故なのかについて考えました。理由のひとつは、私は竹田氏についてほとんど知らなかった点、それに在日朝鮮人の場合にはすでに「肩を怒らせる」運動から彼ら自身によって脱皮してきたのではないか。もちろん在日朝鮮人問題への日本人側の「無関心」がそうさせてきたのです。ところが被差別部落民の運動には『長崎市長への手紙』問題のようにあまりにもホットな状況が存在し、私としてはあなたの「宣言」にのみこだわったのです。ふたつは、あなたが手紙で「朝鮮人を内面でもっている竹田氏と、部落民性を内面でもっていない灘本の違い」と指摘したことに通じます。私もあの対談で、竹田氏が在日朝鮮人を名乗ることで自らの立場を明らかにし、朝鮮人を自覚的に生きる姿勢を示したからこそ違和感を感じなかったのだと思っています。しかし、「部落民性を内面でもっていない」と言い切るあなたには、なぜあの場で「部落民」を名乗る必要があったのか、いまも「疑問」に感じています。
 少し質問させてください。在日朝鮮人の場合、「朝鮮人を内面でもっていない人」が、自分自身を「朝鮮人である」と宣言することはあるのでしょうか。そもそも「朝鮮人を内面でもっていない」在日朝鮮人は、あなたが被差別部落(地域)とまったく切れたところで育った自分自身を「部落民性を内面でもっていない」部落民と位置付けるように(この指摘は私の独断です)、存在するのでしょうか。



 私が投げ掛けた被差別部落内外に住む部落民の相違についての問題提起はわかりにくかったでしょうか。あなたは私の文章を引きながら前者と後者で内容が矛盾していると指摘されています。たしかに、あなたが指摘するように、あなたと私を部落民という次元に一切を収斂するなら互いに部落出身者に違いなく、相違を云々するのはナンセンスでしょう。しかし、私の指摘は、一方に被差別部落(地域共同体としての)に生活の基盤を置き、その中で被差別部落住民のプラス・マイナス面を丸ごと抱えつつ、ともに部落解放運動に参加する部落民がおり、他方に部落外に居住し、あなたの言葉で言うなら「部落民性を内面でもっていない」部落民がいるこの客観的事実の差異をまず確認すること、その上でこの客観的事実の差異が、同じく「部落民」と一般的に規定されながらも、具体的な生活・運動への関わり方に大きな隔たりをもたらすに違いないという点だったのです。この点はあなたが後で触れている私との部落差別に対する基本的な認識の相違に大いに関わっています。
 私はあなたの「穢意識」を否定するものではありませんが、今日一般に流布している部落差別の現実(実態)をすべて「穢意識」で説明できるとは思っていません。被差別部落への差別は「意識と実態」が相互に補完しあいながらこれまで存続してきたに違いないのです。しかし、あなたが指摘する「穢意識」のまわりに「低位性という比較的近代的な差別感がとりまき」「部落差別が弱まるにつれて低位性に比重がかかってくる」には「意識や差別感」は述べられていますが、「実態」は何故出てこないのでしょうか。今日現象的に見られる具体的な部落差別の実態は被差別部落地域を介在させたものであり、決して「穢意識」そのものではないでしょう。人々の「穢意識」があなたの言うように部落民への差別の根拠であるとして、その意識をもつ人々は部落民を如何に選別できるのでしょうか。たとえば、あなたが部落民であることを名乗らねば、あなたへの人々による部落差別(穢意識)はどのように機能できるのか。あなたは部落差別を受ける地域出身者の末裔である事実によって部落民なのです。あなたは手紙で部落差別における地域の役割・意味にほとんど重きを置いていないようですが、何故なのでしょうか。私には理解できないことです。
 さらに、私の「部落差別の呪縛」理解についてもあなたは反論されています。あなたによれば「部落差別の呪縛」からの解放の核心は、部落民自身が、部落民であること、穢多の末裔であるということをありのままの事実として受け入れ、自分の中で整理されておれば基本的に解放されているとの指摘です。私もこの指摘は「奴隷が自ら奴隷である事実を自覚したとき、その奴隷はもはや奴隷ではない」に通じる普遍性をもった正論に違いないと思います。しかし、観念による解放は具体的な実態の解放でないことも明らかではないでしょうか。部落民が「部落差別の呪縛」から自ら解き放とうとする営みに抗して実際に、沈め石の役割をはたしてきたのが具体的な実態的差別(被差別地域の実態=対策事業も含めたさまざまな要素)なのではないか。同時にあなたも「呪縛」からの解放が「かなり困難であり」「単に認識すれば」よいとも言っていないのですが……。やはり現在の私には部落解放の展望は被差別地域内における部落住民自身による「自己変革」を含めた運動によってしか見えません。
 まだ触れねばならない課題もありますが、今日はこのへんで筆をおきます。よろしく御批判ください。(1991年9月7日)



住 田 一 郎 様
灘 本 昌 久
 再度お手紙をいただいて、ますます見解の相違が明らかになってきました。
 まず住田さんは、部落に生まれ育ち部落民意識のはっきりした住田さんと、そうでない私とはひとくくりにできないとたびたび強調されておられますが、まったくそのとおりです。ですから、私は今まで部落民を代表して文章を書いたこともなければ、したいと思ったこともありませんし、今後も書きません。身近な人間関係でいえば、交流会に参加しておられる住田さん、津田さん、山城さん、今岡君など、れっきとした部落民の諸氏と、そうでない藤田さん、柴田さんなどを比べた場合、部落民であるということで前者に強く親近感を感じるということもありません(強いていえば、県人会レベルでの親近感はあるようにも思いますが)。ただし、幸いなことに前者の人たちが、一人の人間として非常に好感の持てる人たちばかりなので、結果として親近感は強く持っていますが(ヨイショ)。そんなわけで、住田さんに「私とあなたは同じではない」と詰めよられても、いままで以上の答えは用意されていません。
 ただし、何度も言うように、部落民を差別する対象であると心得ている人たちからは、どう考えても私は部落民でしょう。部落に生まれ育った祖父母をもち、冠婚葬祭ではりっぱな部落民が顔をそろえ、現役の解放同盟員を親戚にもつ私を部落民でないとする理由は、差別しようとする人にはないでしょう。
 確かに私のアイデンティティー論は特殊ですよね。なにせ、部落民であるかないかを考えるのは、差別したい人に100%まかそうというのですから。しかし、それが、本当のところなのです。私たち夫婦の間を考えても、結婚のときに女房側の親戚が反対したので、私が部落民であることに意味は生じましたが、ふだん、夫婦の間で私が部落民であるかないかを議論したことはないし、迷ったこともありません。強いて問われれば、とりあえず私は部落民で、女房は部落民と結婚した部落民でない私、としかいいようがないのですから。これは私が住んでいる地域の人間関係でもいっしょです。私の家族と親しくしている人たちには『「ちびくろサンボ」絶版を考える』や『こぺる』関係の文章をあげているので、私の素性については広く知れわたっています(『絶版を考える』は団地の子ども文庫においてあるし、保育園の園長先生がたくさん売ってくださっているので、行き先が把握できないほどです)。それに、女房は井戸端会議で私の職業を問われたとき、「京都部落史研究所」(これは去る3 月に研究所を辞める前の話ですが)と答えるだけでなく、解説のついでに勝手に「部落民宣言」をしてしまうので、今や誰が知っているかも私にはわかりません。しかし、聞いた人が差別しようとしない限り、私の素性などどうでもいいことです(もっとも、差別しようとする人が出ても、その人は差別のしように困るでしょうね。団地から追い出すわけにも、仕事を取り上げるわけにもいかないし、差別発言をしてもこちらは通痒つうようも感じないわけですから)。
 しかし、住田さんの部落民論もかなり特殊ですよね。なにせ、部落の外に生まれ落ちたら、血統に関わりなく部落民からおろしてやろうというのですから。いままでの、正統派の部落民論からすれば、部落から出る奴は部落の裏切り者で、出て部落民を名乗れない部落民は「丑松」だったわけですが、これも住田さんの部落民論で無罪放免、一挙に解決です。
 でも考えるに、部落民の範囲は、差別する人たちの基準にしたがって広くしておけばいいんじゃないでしょうか。部落の中に住む人も、外に出た人も。部落解放をめざすうえで、部落民の範囲を狭くする(しかも、差別したい人の認識を無視してまで)必要がどこにあるのでしょうか。私にはわかりません。せいぜい、同和事業の個人給付をどの範囲にとどめるかにしか関係ないのではないですか。
 次に実態のことに触れていないことですが、私自身は、部落の生活は差別の再生産に寄与するほどひどい状態は脱していると思っています。確かに、マイナスの面は多々ありますが、部落差別をそれが再生産したり、再生産を非常に助けたりしているのでしょうか。そういうことがあったとしても、せいぜい都市部落の一部でしょう。それに、差別する人たちは部落の実態を正確に把握して差別するわけではありませんから。「あいつらは、あの程度の生活をしとるに違いないショウモナイ奴らや」程度の認識で。今の部落に否定的なことがあったとすれば、その程度に応じた軽蔑を受けるのはしかたのないことでしょう。それ以上のさげすみを受けるのが部落差別ではないですか。もっとも、その境界を截然と分けるのは至難の技ですが。 話はかわって、朝鮮人問題に関する住田さんの考えですが、これは部落民問題と同様、私との認識に隔たりが大きいです。「肩を怒らせる」タイプの運動が、日本人の無関心を原因(媒介というニュアンスか)として、朝鮮人自身の力によって克服されてきたといわれますが、そうでしょうか。私の親しくしている友人が偶然朝鮮人でして(国籍は日本で、朝鮮語の翻訳をなりわいとしている)、彼の認識によれば、日本人に対する恨みだけを支えに生きている若い朝鮮人がまだまだいるそうです。むろん、彼は否定的類型としてあげているわけですが。そもそも、日本の植民地支配が終わった当初は、肩を怒らせてもしかたがない面があるわけで、むしろ問題になってくるのは、戦後半世紀を経ようとしている今の朝鮮人の身の構え方として、肩を怒らせることが実りがあるかどうか、本人の人生にとってプラスかマイナスかという問題ではないでしょうか。竹田さんの言をかりれば、若い朝鮮人と日本人が相対したとき、日本人にとっての戦争責任とは、将来ふたたび朝鮮を侵略しないという努力をしていくことであって過去の責任をストレートに今の若い人に突きつけるのは、割れた茶碗をもとに戻せと言い続けることにひとしいといっています。まぁ、過去への償いももう少し明確にしないと、説得力は薄まりますが、おおむね同意できるでしょう。しかし、こうした告発・糾弾型の運動は、朝鮮人問題にもあるわけで、部落にのみあるとは思えません。
 また、こうした告発・糾弾型の運動の当否はまだ小さい問題で、朝鮮人のアイデンティテイーの危機は、その深刻さにおいて部落民の比ではありません。そもそも、朝鮮人の日本人との通婚率は、10年以上も前に50% を突破しました。すると、その間に生まれてくる子はハーフ、そして、次に日本人と結婚して生まれた子はクォーター。日本での朝鮮人差別が緩和してくるにしたがって境界が曖昧になっていく朝鮮人のアイデンティティー…。政治的・経済的に独立した源泉がある集団のアイデンティティーは、常に新しい命を吹き込まれつつ再生産されるでしょう。しかし、在日朝鮮人のアイデンティティーの源泉は実際には消滅しつつあるのではないかというのが、私の考えです。その理由は多々あるのですが、主な理由の一つは、在日朝鮮人のほとんどが日本語のみで生活しており、言葉の問題で朝鮮との文化的一体性が早晩切れてしまうだろうということ。もう一つは、在日朝鮮人側からは本国に一体化しようという心があっても、本国からはそうしたラブコールは薄いということです。したがって、在日朝鮮人のアイデンティティーの危機はこれから急速に深刻化していくことは必定です。私の感想だけをいわせてもらえば、朝鮮系日本人という位置を確固たるものにできなければ、在日朝鮮人の未来は険しいという感じです。そうでなければ、無理に朝鮮人にならなければなにないのですから。日本語をしゃべり、日本文化を享受している在日朝鮮人が、ある日突然民族意識を持たねば「ならない」といわれたら、さぞ大変でしょう。もちろん、私自身は、素直に持てれば持ったほうがいいと思いますが、無理して持つようなものではないと思います。 住田さんとの関係でいえば、竹田さんが対談で朝鮮人であるといったのは「朝鮮人を自覚的に生きる姿勢を示し」たからではなく、差別の問題を語るのに、朝鮮人でないかのような顔はできないということでしょう。住田さんの朝鮮人像はあまりにステレオタイプ化しているのではありませんか。そもそも、「朝鮮人を自覚的に生きる」という民族意識濃厚な人ならなぜ「竹田青嗣」という日本名を名乗っているのでしょうか。
 また、「朝鮮人を内面でもっている」「部落民性を内面でもっていない」というのは、竹田さんが以前「桜は美しいなんて許せない」「富士山が美しいなんて許せない」という気持ちにとらわれていたところをくぐり抜けて今の考えに達したことをさしているので、そうした点で私の被差別体験と、竹田さんの被差別体験は深刻さが違う、音色が違うといったまでです。ただ、竹田さんは朝鮮人であるという自己認識はあっても、それを支えにしたり軸にしたりして生きているようには見えません。今の私のスタンスとの間には大きな隔たりはないはずです。もっとも竹田さん本人に聞いてみないとわかりませんが。
  以上、またまた粗雑な感想で申し訳ありません。(1991年9 月25日)



コメント.
 住田・灘本往復書簡につき、「興味をもって読んでいます。同世代の悩みとして。とりわけ地域に根ざし、地域(部落共同体)の解体に危機感を抱く住田さんと、地域喪失者の灘本さんとの対比が興味深く、論議を深めることによって見えてくるものがあると思います」(兵庫・Hさん)、「ひっそりと注目するつもりです」(京都・Yさん)とのお便りが届いています。もっとも「論争は面白そうだが、私には事柄そのものが解りかねるところがあります」(岐阜・Yさん)との反応もあって、やはり解説が必要だったかと反省しています。
 ところで、わたしは「差別・被差別の現在を凝視ぎょうしする」(『部落の過去・現在・そして…』阿吽社、1991/7)の中で、次のように述べました。

わたしのみるところ、ある言動にたいして被差別部落出身者から「それは差別ではないか」とか「差別の拡大・助長につながる」と指摘されても平然とし、「差別とはなにか、なぜこれが差別になるのか」と議論をたたかわせられる人はめったにいない。まして「ある言動が差別にあたるかどうかは、その痛みを知っている被差別者にしかわからない」「差別する側に立っている者に、被差別者の思いなどわかるはずがない」といわれて、なおかつ対話を試みようとする人はめずらしい。そんな言葉に立ちすくむこと自体が差別意識のせいなのだといってみたところで、なにごとも明らかになりはしない。/「差別だ」と指摘する側にだけ、あるいはその指摘に動転する側にだけ問題があるというのでは不十分である。(中略)問題は、人と人との関係にひそんでいる。ここのところを解き明かさなければ、差別をめぐる問題状況は、その輪郭すらとらえることはできないだろう。(P280,281)

対話がとぎれる、とぎれがちになる仕組の背後にあるものを突きつめてゆくと、どうしても「被差別部落民とはなにか」という問題にたどりつきます。これは『同和はこわい考』における前川む一さんとわたしとの往復書簡の隠されたテーマでした。今回の住田・灘本往復書簡は、自らの存在を問いつつ、この問題に真っ正面から迫ろうとしているように、わたしには思えますが、どうでしょう。

《 あとがき 》
★住田・灘本ご両人の真摯な討論にあおられる感じでワープロをたたいてしまいました。なお往復書簡は一旦休憩して、次は「割り込み番外編」になる予定です
★9月28日から10月5日まで、大阪、愛知、京都(2) 、岐阜の5人の方より計29,626円の切手、葉書、カンパをいただきました。ほんとにありがとうごいます
★本『通信』の連絡先は〒501-11 岐阜市西改田字川向 藤田敬一です。(複製歓迎)

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