同和はこわい考通信 No.48 1991.7.27. 発行者・藤田敬一

《 インタビュー 》
障害者にとって自立とはなにか───戸田二郎さんに聞く
(聞き手:藤田敬一・船坂克明)
経済的自立をめぐって

藤田 今年の全国交流会第1分科会のテーマが「差別と自立」で、しかも東谷さんが報告してくださるんで、全障連事務局次長の戸田君にもぜひ参加してほしかったのだけれど、日程が重なってしまい、やむなく誌上参加という形で話を聞かせてもらうことにしたわけです。まず『通信』No.47に載った東谷さんの文章の感想から。
戸田 東谷さんの文章にも経済的自立、身辺的自立が出てくるんだけど、やっぱりそこから入ってゆくしかないのかなあと思ってしまう。ずっと以前に、経済的自立とは要するにテメェで働いて稼ぐことだと言われていた。経済的自立が自立論の主流みたいな格好だったわけでしょ。結局その中で20年ほど前に障害者問題の視点から、賃労働に従事できるかできないかによって自立できる・できないがきまるのではおかかしいという話が出てきた。自立とはそういうものじゃないんじゃないかと。そこから動きはじめてきているんだと思うんだけど。経済的自立についていうと、一つは障害者年金が月額七万円くらいで水準は低いけれども一定の経済的保障にはなっている。しかし本人の主体はどうかという問題がある。自立というのはもうちょっと違うところにあるような気がする。
藤田 障害者解放運動の歴史の中では自立はどのように考えられてきたの。
戸田 自立というより自己決定権というような言い方がされてきている。最近では自己権なんて言葉が出てる。経済的自立とか身辺的自立とかをある意味で否定するところから運動は始まってる。あるがままの状況を社会的に認め、あるいはまた本人自身も認めてゆく。そこから自分の生活、ありようを考えてゆくことが自立への第一歩だと。だから経済的自立とか、賃労働ができできる・できない、身辺的自立ができる・できないということではなくて、自分の存在そのものを肯定してゆく。それを肯定する社会を形成してゆく。それが自立への第一歩と言われてきたと。
藤田 東谷さんもあそこで経済的自立、身辺的自立を主張してるわけではなくて、押し付けてくるそのような自立論を越えていかないとあかんと言うたはるわけでしょ。

世間のいう自立を越えて

藤田 ごく一般的な日常感覚でいえば自立というのは身辺的自立、経済的自立であって。たとえば朝起きたら布団をあげ、服を着て、顔を洗い、食事をとって、鞄にはその日の教科書がちゃんと入れてあるか確かめる。消しゴムは、鉛筆は、ハンカチと鼻紙は…、えーと、まあこういうことができるのが、子ども時分の自立。それともう一つは、ええ年こいていつまで親のスネをかじっているんや、大人になったらええかげん親から自立しなはいと。つまり親への依存からの自立。こうした自立のイメージが障害者に向けられるストレートなまなざしなんで。
戸田 そう。それに対するアンチとして障害者解放運動は出発している。そういう世間のまなざしは障害者の存在を否定することにつながるというか。自分の食い扶持ぶちは自分で働いて稼ぐ、日常生活の身辺のことが自分でできるのなら障害者じゃないんでね。それを強制されることはイコール存在の否定になる。現在、社会福祉の問題が不十分ながらも注目されてきている。とりわけ高齢化社会においてケアやガイドヘルパー(外出介護)・ホームヘルパーの問題が出てきて、所得保障など一定の条件が生まれている。その場合、自立の問題は、身の丈の問題になってくる。
藤田 身の丈の問題というのは。
戸田 たとえば藤田さんなら藤田さんの身の丈でいこうと。その身の丈にあった経済的自立、身辺的自立があれば、戸田二郎には戸田二郎の身の丈にあった自立がある。ぼくはなんとか働いて食っている。けれど身辺的にはできることとできないことがあるわけで。できないことがあれば、それを社会的にフォローアップしてゆけばいいわけだから、その人その人の身の丈にあったできることとできないことがあるということをベースにしながら足らないものを社会的に補ってゆく。それが自立的な社会なんかなあと。自立はその人の身の丈に応じて違っている。働いて稼げない人たちの問題は社会的に、つまり社会福祉の問題としてカバーしてゆく。社会全体が自立したものにならないと、そういう人たちの問題は保障されない。
藤田 社会全体が自立するというあたりをもう少し。
戸田 「働かざる者、食うべからず」という原則があるわけでしょ。これを言葉通りとると、社会保障は否定されるわけ。だから「働かざる者、されど食わざるをえず」なんで、どう食ってゆくか、どう食わせてゆくか。それを実現してゆくにはやはり社会が自立的なものにならないと「働かざる者、されど食うべし」にはなってゆかない。
藤田 つまり自立した社会になるということは、それぞれの身の丈に応じた自立を認めあった上で、できること・できないことを認めあい、その中で経済的社会的なものをカバーしてゆく仕組みが形成されている社会になるこというわけやね。

制度と意識

船坂 その場合、意識もふくめてなんかね。
戸田 単なる制度的なものだけでなくて人々の意識もふくめてのこと。制度はある意味では意識がはぐくまれないと崩壊する。なんであいつらのために税金を払わなあかんねんという話を越えてゆく意識がないと。
藤田 近代社会は効率の社会だから、平均的効率以下のものは切り捨ててゆく。それを越えるとなると、あとは理念的なものしかない。一人の人間が一時間に百個の製品を作るとして、ある人が同一時間内に十個しか作らないとすると、その人は排除の対象、もっといえば差別の対象にされる。そのような状況の中で障害者がどのような位置関係に置かれてきたかというのは、言わずもがなの話。社会福祉論、社会保障論がそれをカバーする形になってきているんだろうけど。
船坂 先の「障害者のありのままを認める」というのと、今の保障論とはどこかでズレがあるような気がするんやけど。制度だけでいいのかということも。
戸田 いや制度だけでいいということじゃなくて。制度は一つの形にしかすぎないんで、制度を持続してゆく社会とか意識とかいうものと微妙につながっている。「ありのままを認める」という言葉自体についても、なにが「ありのまま」なんかよくわからんところもあるし。たとえば身体は変化するもんでしょ。「ありのまま」といっても固定的なものじゃなくて。
船坂 世間の人々のイメージする自立が障害者に押し付けられている。それは違うんだと。世間の人々に近付くことが自立やないと。そういう視点を打ち出してきたエネルギーが社会保障を作りだし、生きてゆける方法を生んできたことはわかるんだけど、アンチテーゼとして出てきたイメージがもう一つよくわからない。
戸田 自立というものはもっと普遍的なものだと思ってるん。障害者に向けられてきた世間のイメージ、要するに金も稼げんゴクつぶしがというイメージに対するアンチとして運動が出てきた。そこで一定の社会保障的なものがなされたことは出発点というか、自立に向けて動くための土台、基盤ができてきたということだと。そこから始めて普遍的な自立とは何かということになってゆく。
藤田 船坂君のいうのは、社会福祉政策としての保障が人間としての自立へ向かわずに制度として完結してしまうのではないかという危惧なんやないの。
船坂 制度や施策から抜け落ちる人間の気持の問題はどうなるんやろかということやけど。
藤田 つまり法や制度、施策は、人間の顔が見えないシステムでその中で人間と人間との関係の問題、障害者の自立の問題がどのようになるのかということ。戸田君はそれが少なくとも出発点、土台、基礎だというわけでしょ。
戸田 人と人との関係でいえば、いままでのように経済的自立、身辺的自立が自立とされると、障害をもっているものは結局人との出会いさえもない。つながりとか関係はまったく問題にならない。せいぜい知っているのは家族だけでね。そういう状況がずっと続いてるわけ。その中で果たしてその人が今生きていることをどこで知り、どう生きてゆくのかをどこで模索してゆくか。それはほとんど不可能に近いわね。日々生きながらえていることだけであって、今日もなんとか生きているということだけしかなくて、自分が生きていること、これからどう生きてゆくか模索できない。それが一定程度の経済的な土台ができて初めて人との出会いが生まれ、その中でどう生きてゆくか、自分の生きている意味を考えられる機会が生まれつつある。それがぼくのいうスタートということなんだけど。
藤田 その場合、障害者といっても一概にはいえないし、施設にいる人もおれば、自宅にいる人もある。ほとんど外出できない人もいるし、車椅子に乗れない人もいる。映画をみる機会、フェスティバルに参加する機会、海水浴にゆく機会がない人がいる。いわゆる健常者なら意欲と時間と金があれば実現できることができない。閉ざされた世界に置かれがちな障害者の存在を視野にいれた自立論がもとめられているということやね。
戸田 知恵おくれといわれる知的障害者がいるわけでしょ。自立といっても彼らがどこで何を獲得し、それをどのように表現し実践するかという問題がつねにひっかかってくる。そうすると自立を経済的身辺的問題だけですますことができないことがわかるし、そのような自立論の否定から出てくるものはなんだろうかというと、どうもそれは普遍的な課題としての自立の問題。藤田さんの自立とぼくの自立とはどこかで一緒のはずで。もちろん個別には違いがあってもね。だから経済的自立とか身辺的自立なんてものは自立でもなんでもないという気がする。

自ら選択し決定する

藤田 戸田君がいつもいっている自己決定について少し話してよ。
戸田 簡単にいえば自分の意志を大切にするということ、それがまわりの人々から大切にされるということ。自分がこうしたい、ああしたい思うこと、自分の自由意志を大切にし、また大切にされるような人間のありかたみたいなものが自立への道につながっているんやないかなあという気がしてる。
藤田 こうしたいという欲求、こうしようという意志、それが抑圧されると、欲求や意志、意欲はいつのまにかえてしまうわね。
戸田 実際に萎えてしまっているわけ。今年六回目のサマーキャンプにしても萎えている人に刺激を与える、こういう世界があるんよと知らせるために開いている。
藤田 テレビなんかで海水浴なんかは見て知っていても、自分が参加できるとは思わない。そんな機会が具体的に目の前に出されることがなかった。
戸田 そう。テレビの世界だけで。キャンプも海水浴も、もっといえば恋愛もそうなんやね。しかしテレビの世界でなくて現実の世界として獲得することをめざす。それが僕たちのキャンプなんで。琵琶湖に行くようになって今年で四回目だけど、なぜ琵琶湖かというと、泳ごうと思ったから。まず水着をもってない障害者が何人もいて。買ったこともない。そこから始める。そんな現実を一人一人がどう変えてゆくか。そこから始まる。
藤田 養護学校なんかでプールで泳いだり、海水浴に行った人はもちろんいるわけでしょう。
戸田 そうなんだけど、成人してから水着を自分が選んで買ったという経験がない。学校や施設は、ある枠の中の許容された世界であって、自分が選び、決定する世界ではないんでね。水着一枚買うということは、学校や施設での経験とは質的に違う。ぼくたちは、自分が選び、決定する世界へとつながってゆくことが大切だと思ってる。具体的に実践を通して獲得してゆく。キャンプをやり琵琶湖で泳ぐというのはその一環としてある。それで「みんなで行こまい、泳ごまい」と呼びかけたわけ。黙っていたらなにもできない。とにかく自分が感じたこと、やりたいこと、やってほしいことを何でもとにかく意思表示する。それが原点になんだと。今まで自分を表現することがいけないとされる世界にずっといたわけなんだから。そうではなくて、自分が選び、決定してゆくことが生きるということなんだと。
藤田 当然その過程では壁に突き当たる。
戸田 そう。その壁をどう越えてゆくかも実践なんで。
藤田 欲求や意志、意欲を抑圧する壁は厚い。
戸田 欲求が抑圧される中で萎える。しかし子供は親から抑圧されても、たとえば学校の友人という人との関係で欲求を持続させるわけね。そこで抑圧する親と対峙する。自分のえた情報で親を説得しようとしたり。そうしてなんとか実現してゆく。ところが人間関係が閉ざされてしまっている障害者の場合は、そういうベースがないからよけいに萎えてゆく。自分の中で確認しようとしてもそのすべすらない。だからぼくらが呼びかけてそういう経験をもつ機会をつくる。したいと思ってることは、実はできないのではなくて、できないとされてきたものなんだと確認し、そこから次の選択・決定につなげてゆく。そういう出発点としてキャンプをやり、今は琵琶湖へ行っているわけなんだけど。

普遍的な自立に向けて

藤田 どうですか、六年前とくらべて。
戸田 意図は実現されてきていると思う。毎年新しい人が来るし、一回来て二回目から来ない人もいるわけだから一概にはいえないけれど。そういう世界の存在を知ることによって、自分が声を出さないと、自分が意思表示しないと何事も実現できないんだということをできるだけわかってもらおうと努力している。その意味では自分の今までの生き方、生活と対比して、ああそうなんだと。もっと自分がやりたいことを自分で探し、自分で決定していかんとあかん、それが大切だということに気づいていった人が何人もいるから。
藤田 そこに至るまでには本人自身が乗り越えなければならない壁もあるしね。
戸田 実際問題として施設からの参加者はやっぱり少ない。何年も呼びかけているんだけど、本人自身が施設に要求できない例もある。そんならこちらから施設に話を通そうかというと、いやそれをしてもらっては困ると。後でどうなるかわからんからというわけ。そんな危惧をもっている人がたくさんいる。それをどうやって越えてゆくかが課題なんやね。その人の置かれている状況や本人の意志の強さとも関係するけれど。
藤田 ところで、戸田君は自己決定権こそ普遍的な自立の基礎であって、それはなにも障害者に限らないといいたいわけやね。人間的な欲求、意志を明らかにして自己を実現してゆくと。
戸田 それがベースやないんかなあ。それがなかったら自立はないと思ってる。社会福祉が進んでいっても、それをきちんと使いこなせなければ何にもならんわけでしょ。月額十万円とかの金が出てきたとしても、本人がその金をどう使うかがないと経済的自立もできない。自己決定には一応経済的なものがないとできない部分が大きくあると思うけれど、あくまで自己決定と自己実現が自立の第一歩なんで、その意味では普遍的ではないかなあ。
藤田 問題は自立と経済的保障の関係ということにもなる。
戸田 それもあるし、もう一つ社会保障は、ある程度経済の長期的な発展に裏打ちされていることが前提なんで、かりに経済恐慌が来たらその瞬間に一番最初に切られるのはこの部分だから。「みんなが食えへんのに、お前らだけが食ってどうするんや」で終わってしまう。
藤田 そうすると制度や施策を自己決定、自己実現の契機にできるだけの主体のありようが問われるということになるね。どこでも同じ困難にぶつかってる感じだなあ。聞きたりないところもあるけれど、今日はこれくらいにしておきますか。いやいやどうもありがとうございました。

コメント.
戸田二郎さんは1951年生まれ。岐阜県笠松町、例のオグリキャップで一躍有名になった笠松競馬場近くで弟の三郎さんと一緒に写植業を経営。障害者自立センター“つっかいぼう”の代表でもあります。わたしの古くからの友人で、常々、太平天国社で一杯やりながら朝まで語り合う仲なんですが、今回はわたしと船坂君が聞き役にまわりました。

《 紹介 》
こぺる編集部編『部落の過去・現在・そして…』阿吽社、1991/7 2160円

*高度経済成長をくぐりぬけ、同和対策事業の実施によって大きく変貌をとげた被差別部落の現実と運動の実状が、いまわたしたちに何を問うているかを明らかにすべく編まれた論集。京都部落史研究所所報『こぺる』に88年6月から90年3月まで「同和はこわい考をめぐって」と題して連載された論考六篇(座談会をふくむ)、本『通信』掲載の二篇、さらに師岡佑行さんの『宮武外骨著作集』第8巻解説(河出書房新社刊)および拙文一篇からなっています。目次などは前掲案内文をごらんください。

《 あとがき 》
★夏休みに入るやいなや、読みたくて机上に積んでおいた本を片っ端から乱読しているうちに時間がなくなって、慌ててワープロをたたき終えんとしているところです。この分だと交流会前日に刷り上がり、発送作業は8月にずれ込みそう。なんという計画性のなさ。われながらあきれてしまいます
★6月23日から7月6日まで岐阜(3)、岡山、京都、大阪(2)、東京の8人の方より計11万1,200円の切手、カンパをいただきました。ほんとにありがとうございます
★本『通信』の連絡先は〒501-11 岐阜市西改田字川向 藤田敬一です。(複製歓迎)

≪ 戻る