同和はこわい考通信 No.47 1991.6.24. 発行者・藤田敬一

《 案内 》
第8回部落問題全国交流会「人間と差別をめぐって」開催要項

 「差別は人間存在の根源にかかわる」とされながら、状況は、いよいよ不透明の度を増しつつあるようにみえます。なによりも紋切り型の物言いになれて、わが身の内外うちそとに冴えない雰囲気が漂い、しなやかな発想ができなくなっていることに気づかぬわたし。そんな自分を振り返り、差別・被差別関係を新たな視点でとらえかえす場として、交流会はもたれてきました。
 今年も「自分以外の何者をも代表しない」ことを前提に、自由で闊達な議論ができたらと思っています。みなさんの参加を心からお待ちしております。

日 時/7月27日(土)午後2時~28日(日)正午
場 所/本願寺門徒会館(西本願寺の北側)
    京都市下京区花屋町通り堀川西入る柿本町 Tel.075-361-4436
交 通/京都駅より市バス9・28・75 系統 西本願寺前下車
費 用/7,000 円(宿泊費込み)
    3,000 円(参加費のみ)
申込み/〒603 京都市北区小山下総町5-1 京都府部落解放センター3F
    京都部落史研究所 山本尚友(Tel.075-415-1032)あて。
    葉書か封書に住所・氏名(フリガナ付)・電話・参加希望分科会、宿泊の有無を書いて
    申し込んでください。
締切り/7月15日(月)

日 程/
 7月27日(土)1時 受付け 2時開会
  講演/山下力さん(部落解放同盟奈良県連副委員長)
    「部落の“いま”をどう見るか」
  分科会/第1「差別と自立」
      第2「差別・ことば・糾弾」
      第3「啓発をめぐる人間模様」
  懇親会
 7 月28日(日)9時 分科会(つづき)
        11時 全体会
        12時 閉会

●各地で発行されたビラ・パンフ・新聞などを多数ご持参ください。また第1日目の夜には恒例の懇親会を予定しています。各地の名産・特産の持ち込み大歓迎ですので、よろしく。

○分科会の紹介
 第1分科会:差別と自立
 ☆東谷修一(兵庫)
 自立という言葉、それだけを取り上げてみれば、立派に聞こえ、なにも問題はないように思える。だから、私たちは自立について、あまり深く考えようとせず、人間は自立すべきだとして自立を当たり前のことのように受けとめ、自立を人生の前提にしているのではないか。だが、自立について本当に何も問題はないと言えるのだろうか。自立の中味をよくよく検討してみると、個々具体的状況の中で自立がどのように扱われ、その扱われ方が、個々人にとって何を意味するのかを考えたとき、問題がないとは言えない。むしろ自立も、他のことと同様に、考え方や扱われ方しだいでは個々人にとってプラスにもなれば、マイナスにもなるのではないかと思う。
 たとえば、人間は自立して当然だという考え方はどうなのだろうか。そのような考え方は、自立とは何かを問わないで、安直に自立を義務化して、人々に自立を強制しないか。いわゆる自立(二足歩行、服の着脱、食事など自分でできる身辺自立、自分の生計費は自分で稼ぐ経済的自立など)ができない障害者は、自立を当然だとする私たちの社会では、一人前の人間として認められず、否定され、排除される。だから、障害者は自立を目的化して、そのために自分の人生の全てを捧げてしまわざるをえなくなる。
 私には、いわゆる自立という鋳型からはみ出した障害者を無理やりその鋳型にはめこんでいるように映る。それならば自立が、障害者の生活を高めるために寄与するのではなく、障害者を抑圧しているのではないか。私たちはこのような自立をどう考えればいいのだろうか。だからといって自立は障害者を抑圧するから、障害者は自立しなくていい、或いは自立について何も考えなくていいとも思わない。何も考えず、まわりの人たちの都合に合わせて生きていく生き方が障害者にとって幸福とは思えないから。
 そこで自立についての代表的な考え方を紹介し、それぞれの自立論の長所や問題点を考えながら、障害者にとって自立とは何かを探っていきたい。それを通して、社会(国家権力)から一方的に押しつけられる、いわゆる自立を越え、また健常者と障害者という立場を越えて、この分科会に参加されるみなさんぞれぞれにとっての自立とは何かを考える場にもしたい。

 ☆住田一郎(大阪)
「差別と自立」をテーマにするこの分科会では、自立を自明のこととして論議を進めるのではなく、自立とは何かを問いつつ、なぜ被差別部落大衆が今日、自立を主体的な課題とできないでいるのかについて考えていきたい。
 部落大衆の自立を阻む、あるいは課題ともしえなかった要因としては、大きくいって二つのことが指摘できるのではないか。一つは、六九年の特別措置法施行以前、部落差別に対する具体的な措置が放置されてきたために生じた、部落大衆の生活全般にみられる<低位性・劣悪さ>が部落大衆の自立へ気力すら奪ってきたこと。二つには、その状況を克服するためにスタートした同和対策事業の展開がすべての部落差別現象を国・自治体の責任とし、常に部落大衆を告発者として存在させ続け、それ故に部落解放運動への部落大衆自身の主体的な参加は曖昧にされざるをえず、さらに運動に参加した部落大衆の多くは自らの被害者性のみ肥大化し、自らの課題(自己変革)をも部落差別の結果とすることによって自己責任から逃れてきたこと。《立場の絶対化。部落差別については部落民である我々がもっとも詳しいとする神話》
 この二つの要因は部落差別の歴史的な連続性や社会的な関係を考えるなら、決して別々のものでないことは明らかである。つまり<低位性・劣悪さ>は、部落大衆の外的な生活(住環境や貧困)に現われるだけでなく、部落大衆の生活意識にも内的な弱さとして色濃く反映せざるをえない。この内的な弱さの克服を直接の課題としない同和対策事業ではおのずから部落大衆自身による自立の課題は持ち越されることになる。前者の要因を部落大衆の自立を阻む<ムチ>と見るなら、後者のそれはまさに<アメ>によって部落大衆は自立を自らの課題とできなかったのではないか。現在、自立が重要な課題にならないという困難に陥っているのは、この<アメ>的施策に部落大衆の多くがどっぷりと漬かってきたからではないか。《改良闘争が改良主義に》
 交流会当日は各地における<アメ>的施策の状況の中で自立できないでいる部落大衆の具体的事例を出しあうとともに、参加者との論議を通して、自立を参加者自らの課題としても明らかにしたい。とくに今年は、障害者の自立についての東谷さんの報告があるので、それとかみあうような議論ができることを期待している。

 第2分科会:差別・ことば・糾弾
 ☆高木奈保子(愛知)
 昨年秋の長野市における、絵本『ちびくろサンボ』焚書事件は、管理主義ここに極まれりともいえる、信じられないような出来事であった。しかし、もしかすると、これは氷山の一角なのかもしれない。

差別をしない・させないという善意が、どうしてこういう形に行きついてしまうのか。
こと差別に関わる問題となると、このように日常の思考が大きくはずれてしまうのはなぜなのか。
差別問題に真面目に取り組めば取り組むほど、こういった行動に追い込まれていく人が多いのはどうしてなのか。

「差別と言葉」を考えるとき、差別する側のただの自己防衛本能だけでは言い尽くせない<何ものか>を考えざるを得なくなってしまう。3年目に入った「差別と言葉」分科会は、これらの事象の背後にある「糾弾」の影も視界に入れつつ、この<何ものか>に迫ってみたい。
 実例として公共図書館をあげる。図書館は思想・学問・研究の自由を保障する機関としての使命を負いつつも、こと差別問題への対応となると、四分五裂の状況である。ある県立図書館職員は、夜な夜な人気ひとけのない館内で問題図書を裁断するという行為に追い込まれた。彼は行政マンにありがちな防衛本能だけでそうしたと断罪できるだろうか。彼はもしかするとナイーブで心優しすぎたのかもしれない。

この本で、いわれなき差別に苦しむ人々が傷つく。自分にはそんなことをする権利はないのだ。
この本で、差別事件が起こり、人が死んだら、どう責任をとるのだ。
この本は、差別を拡大助長しているかもしれない。

私は同じ図書館人として彼の気持ちが痛いほどわかる。「差別する自由があるのか?」と問われたとき、私は頭を下げるしかないのだ。
このままでは袋小路である。大切にしたいと思う一方で、この優しさ、この善意こそ問い直さなければならないのではないかと考える。もっと丁寧に、もっと執拗しつように。
 私は交流会3年目で、わからないことだらけです。問題提起どころか素材提供にもならないかもしれませんが、どうか宜しくお願いいたします。

 第3分科会:啓発をめぐる人間模様
 ☆前川む一(京都)
 いわゆる啓発・研修が組織的に盛んにおこなわれるようになったのは、一九七五年十一月に発覚した「部落地名総鑑」事件以降かと思う。それ以前にもおこなわれていたが、一九六五年八月に当時の佐藤総理大臣の諮問に対する答申「同和地区に関する社会的及び経済的諸問題を解決するための基本方策」(「同対審答申」)に曰く「同和問題は人類普遍の原理である人間の自由と平等に関する問題であり、日本国憲法によって保障された基本的人権にかかわる問題である」として、さらに問題解決にあたっては「国の責務であり、同時に国民的課題である」とされているのに、「よくもよくも差別図書を購入しておきながら、なにもせんとはオノレ!」と部落解放同盟が糾弾会で吠えはじめたからだ。
 冒頭から話しはそれるが、この糾弾会なるものは糾弾する側の人間から優しさを忘れさせる恐ろしさをもっている。ぼくなどもずいぶんと吠えたものだ。いま脂汗がでる思いでいる。
 やがて地方行政が重い腰をあげ、「部落地名総鑑」購入企業らが本心はともかく、あいついで啓発・研修をおこなうようになった。企業内の小規模のものから、企業連合会の合同規模のものまで毎月どこかでおこなわれるようになった。主だった活動家は講師に請われ、講演謝礼のうま味を知った。
 これとは別に部落解放同盟主催の研究集会という名の研修は、主催者に新しい収入源をもたらしたが、それは事実上、地方行政や企業などの負担の上に成り立っている。映画・演劇の切符や図書と同様に研究集会の参加券が購入される。
 黄色いゼッケンが大集会のホールで徘徊する姿が目立つようになったのも、この頃からだ。ぼくは何回、「中へ入って学習せんかいな」と声をかけたことか。と、曰く「わしら部落民は部落問題の専門家や。なにを、いまさら研修じゃ」。ぼくは苦い顔をするばかりだった。
 そのためか昨今では対抗策が講じられはじめたようである。東京集会だと、地方行政は前日から出張をして各省まわりをすませ、企業だと前日に本社でしかるべく仕事をおえて参加する。午前出席、午後退席で、会場ががらんとしてしまうのは周知の通り。参加者の白けた顔つきともども、啓発・研修をさせる・させられる関係が生んだ結果である。
 共同体験を忘れた関係からは共感も優しさも生まれない。残るのは屈折した憎悪と恨みのみだ。離反は悲しい。

 ☆山本尚友(京都)
 こうしてあらためて、私に与えられたテーマを見直してみると、今回私がいかに損な役割を振り分けられたかがよくわかり、当日を想像して今から悪寒が足元からのぼるようである。ここ数年、交流会の席上で好き勝手なことをしゃべってきた報いがきたのだろうか。「啓発をする立場」とは、なんともおぞましい。
 啓蒙とか啓発とかいう言葉を聞くと、私は20数年も前に聞き覚えたアーノルド・ウェスカー『フォーシーズン』の中の、

人間を変えるなんてできやしない。ただ愛せるだけだ。

という台詞を反射的に思い出す。あの、人を変えることに人々が熱中していた時代に、この言葉にふれたことが、その後の私の人間観を決めたと思っている。
 だから私は、これまで部落問題の啓発を目的とした講演会には、なるべく出ないように努めてきた。とはいえ、それとまったく無縁だったわけではない。分科会では、私がこれまで行ってきた啓発講演の内容を紹介して、なぜこのような話をしたのかを、自分なりに解剖したい。それが結果として、私が啓発なるものにどう対してきたかを提示しうるもっともよい方法だと信じるから。

 ☆柴田則愛(三重)
 研修を聞き続けてきた者として、研修をさせ、あるいはする側の人たちに、一度本音を聞いていただき、研修とは何かを共に考えようとすることが、本分科会におけるわたしの役割です。
 郵便局に勤めて11年になりますが、わたしの見るところ、郵政の研修は今ではおそらくその回数においても、また内容の「豊富さ」においても他企業に比して抜きんでているように思われます。それ故に、研修をめぐる職員の感情は、わたしが聞き及ぶだけでもさまざまなものがあります。ことに人的比重が高く、時間に追われている職種では、郵便物の多さも手伝って、たとえ研修の時間が短くても「なんでこんなくだらん研修をするのや」というような歪んだ反応を示す例もないわけではありません。
 まだ研修が職員の中に浸透していなかった頃、差別問題は全逓活動家得意の分野でしたから部外講師や局内講師による同和研修は、抵抗の機会として利用され、職場闘争沈滞のうっぷんをはらすための「あげ足取り」の場でもあったように思い返されます。もちろんその時はその時なりに真剣でしたし、現実にマル生人事をまのあたりにしていたこともあって、「差別しているあいつら(管理者)に、なんで差別問題について話ができるのか」という気持ちだったのでしょう。
 ところが反差別がそれなりに根付いた今日、研修を聞く職員の意識が微妙に変化しているように思えてならないのです。「差別はいけない」「差別者は悪人」という論理が無条件で容認され、しかも「差別」の内容がきわめて恣意しい的に拡散されるため、個人の不完全さに批判が集中して、自分を省みることや、組織や制度の矛盾を改善しようとする方向に思考が向きにくくなっているのではないかと考えたりしています。
 できれば研修の内容が、理念と生活を分離するのではなく、循環する触媒であってほしい。これは無理な相談なのでしょうか。

《 採録 》
い ま 思 う こ と
調 紀(真宗大谷派同和推進本部長)
 最近あらためて『同和はこわい考』を読んだ。その中で藤田敬一氏は、次のように語っている。

自分の成育史や生活体験を絶対化してしまうと、他の人々にも程度と質の違いはあれ、それなりの苦しみ、悲しみ、憂さ、辛さがあることへの配慮がなくなり、「やさしさ」を失う。他者への共感のないところで人間解放への希求を語っても説得力はない。

同和推進本部長に任命されて、まもなく半年になろうとする。その間、二度にわたる糾弾をとおして、同じような言葉を聞かされた思いがしている。
 被差別大衆が大谷派に問うていることは、単なる制度の改廃や宗政にかかわる問題だけではない。
 本質的には教学・信心が問われているのである。それを個人にもどしていうならば、「煩悩具足の凡夫であります」と、日常的に語っている私に、「それは教えが生活体験の説明原理になっているだけと違いますか」、「本願念仏の教えに生きているならば、あなたの人間観、世界観を聞かせてください」と問うているのであります。
 長らく休んでおりました『同和推進フォーラム』を、お届けします。あなたの声をお寄せください。

コメント.
真宗大谷派同和推進本部『同和推進フォーラム』No.6(1989.9.10)から全文を採録せていただきました。ところで同誌No.11(1991.1.10) 所収の小森龍邦さん(部落解放同盟中央本部書記長)の「大谷派へのメッセージ」によると、調しらべさんのこの文章は、『同和はこわい考』と同じ論法、つまり「われわれの闘争方針である糾弾にケチをつける論法」であるらしく、現在、調さんとある読者との間で論議が展開されているという。小森さんは「本誌を通じて、どのような統一見解に到達するものか、『言論の自由』の形式は一応尊重し、採用すべきものであろうから、成り行きを注目しているところである」とも述べておられる。しかし調さんの文章は、どう読んでも自己の成育史・生活体験を絶対化することにたいする自省の言であって、「糾弾闘争にケチをつける」ものとは、わたしには受けとれない。『同和はこわい考』からの引用がいけないというのなら、話の筋としてはわかりやすい。もっとも、わかりやすいからといってすむ問題ではありませんけれど。
 それにしても「『言論の自由』の形式は一応尊重し、採用すべきものであろう」というのには、恐れ入りました。小森さんにとって言論の自由とは、形式的に尊重して祭り上げておけばいい代物なんでしょうか。もしそうだとすると、部落解放運動の根底にこのような発想が横たわっていることに慄然りつぜんとする人がいても不思議ではありますまい。ソ連におけるペレストロイカを持ち出すまでもなく、自由は現代理解のキーワードの一つです。人間解放をめざしたはずの社会主義が、かえって人間を抑圧し、疎外したという現実の背後に自由の問題が伏在していることを凝視したいと、わたしは思うのです。それはわたしたちの身近な運動や組織のありように即つながっています。自由を形式の問題としてだけ見なし、かつ形式を軽んじていると、いずれ自由に仕返しされるのは必定です。ところで先日、J.S.ミルの『自由論』をあらためて読んだといったら友人に笑われてしまいました。いまさらミルでもなかろうというわけですが、ほんまにそうでしょうかね。

《 あとがき 》

★全国交流会で講演してくださる山下力さんをたずねて、久し振りに奈良へ出かけ、帰りに秋篠寺まで足を延ばしてきました。伎芸天が若い頃から好きなのです。秋篠が宮号にされたので観光客が押しかけているかなと心配でしたが、境内は案外静謐でよろしゅうござんした
★交流会まであと一月。今年は分科会が一つ減りましたが、濃密な議論をしたいものです。ぜひ参加してくださいますように
★5月4日から5月30日まで、三重(4)、東京(2)、島根、大阪(2)、岐阜、愛知、京都の12人の方から計38,248円の切手、カンパをいただきました。ほんとにありがとうございます
★本『通信』の連絡先は〒501-11 岐阜市西改田字川向 藤田敬一です。

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